2015年1月24日土曜日

「所」について(Ⅱc)。

(01)
① 我汝所生也=我は汝生みし所なり。
に於いて、「の」は、
a.「主語」を示す。
(02)
② 我汝所生之子也=我は汝生みし所子なり(私はあなたが生んだ子供である)。
に於いて、「の、の」は、順番に、
a.「主語」を示す。
b.「同格(同一)」を示す。
(03)
③ 我汝所生之太郎友也=我は汝生みし所太郎友なり(私はあなたが生んだ太郎の友人である)。
に於いて、「の、の、の」は、順番に、
a.「主語」を示す。
b.「同格(同一)」を示す。
c.「連体修飾語」を作る。
従って、
(02)により、
(04)
② 我汝所生之子也=我は汝の生みし所の子なり。
に於いて、
② 我=所生。
② 所生=子。
といふ「等式」が、成立する。
(03)により、
(05)
③ 我汝所生之太郎友也=我は汝の生みし所の太郎の友なり。
に於いて、
③ 我=太郎の友。
③ 所生=太郎。
といふ「等式」が、成立する。
である。
然るに、
(06)
③ 我汝所生之太郎友也。
に於いて、
③ 所生=太郎。
であるならば、
③ 我汝所生之太郎友也。
は、
④ 我汝所生之友也=我は汝の生みし所の友なり(私はあなたが生んだ太郎の友人である)。
に、等しい。
然るに、
(07)
③ 我汝所生之太郎友也=
④ 我汝所生之友也=我は汝の生みし所の友なり(私はあなたが生んだ子供の、すなはち、太郎の、友人である)。
である以上、
④ 我汝所生之友也。
に於いて、
④ 我=友。
④ 所生=太郎。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(04)(07)により、
(08)
② 我は汝の生みし所の子なり(私はあなたが生んだ子供である)。
の場合は、
② 所生=子。
であって、尚且つ、
④ 我は汝の生みし所の友なり(私はあなたが生んだ太郎の友人である)。
の場合は、
④ 所生 ≠ 友。
である。
従って、
(08)により、
(09)
② 我汝所生之子也。
④ 我汝所生之友也。
に於いて、
② 所生=子。
④ 所生 ≠ 友。
である。
従って、
(09)により、
(10)
A所B之C。
に於いて、
所B は、Cと「同一である」ことも、
所B は、Cと「同一ない」ことも、両方とも、「可能」である。
cf.
16「所当過之橋」17「韓非所著之書」では「所当過」と橋、「所著」と書とは同一のものであるが、28「所崇」と子孫、29「所愛」と肉とは別のものであることに注意(西田太一郎、漢文の語法、1980年、152頁)。
従って、
(11)
⑤ 其所愛之肉。
の場合も、
⑤ 所愛=肉。
であることも、
⑥ 所愛 ≠ 肉。
であることも、両方とも、「可能」である。
(12)
⑤ 所愛=肉。
であるならば、
⑤ 肉=好物。
であるため、
⑤ 食其所愛之肉=好物の肉を食べる(普通である)。
となり、
⑥ 所愛 ≠ 肉。
⑥ 所愛=妻や妾。
であるならば、
⑥ 食其所愛之肉=妻や妾を殺してその肉を食べる(異常である)。
といふ、ことになる。
従って、
(13)
⑤ 食其所愛之肉(肉食)。
⑥ 食其所愛之肉(カニバリズム)。
は、「文脈」に、依存する。
然るに、
(14)
さらに「所」についての応用問題を出してみよう。次の漢文を訳してみよ。
食其所愛之肉、以与敵抗=其の愛する所の肉を食ひ、以て敵と抗す。
おそらく「一番好きな肉、たとえば牛肉を食って、スタミナをつけ、それで敵とわたりあった」という解答が圧倒的だろうと思う。もちろん牛肉が豚肉であろうと鶏肉であろうとそれはかまわない。要するに「所愛」は、肉に対する好みというわけである。しかし、右のような解釈は残念ながら、この場合ぴったりしない。どこがアウトなのかわかるか。これが分かる人は、漢文の力は高度である。
まず、原因から考えて行こう。以前に説明したように、「所」というのは、あくまでも対象化する働きを持つ語なのである。だから、くり返していえば、「所愛」というのは、愛する行為の対象者であり、愛する相手のことなのである。すると、前記の文の場合、愛する対称とはなにか、肉か。否、肉ではない。「所愛」の二字自体が、愛する相手なのである。それを仮にⅹとしよう。すると次のようになる。
ⅹの肉を食らひ、以て敵と抗す。
それではⅹとは何か。ごくすなおに考えてみよう。ⅹの内容は、「愛するところ」すなわち「愛する人」である。「愛する人」って誰のこと?決まってるじゃないか、愛人だよ。ま、一般的にいえば、妻や第二夫人、つまり妻妾である。すると次のようになる。
食2其妻妾之肉1、以与ㇾ敵抗 : 二 一 レ。
其の妻妾の肉を食らひ、以て敵に抗す。
と、こういうわけだ(漢文法基礎、二畳庵主人、1984年、151頁)。
従って、
(14)により、
(15)
二畳庵主人の「説明」を読む限り、
⑤ 食其所愛之肉(肉食)。
⑥ 食其所愛之肉(カニバリズム)。
とはならず、常に、
⑥ 食其所愛之肉(カニバリズム)。
といふ「解釈」しか、成り立たない。
従って、
(10)~(15)により、
(16)
A所B之C。
に於いて、
所B は、Cと「同一である」ことも、
所B は、Cと「同一でない」ことも、両方とも、「可能」である。
といふ「解釈」は、「二畳庵主人の説」に従ふ限り、
⑤ 食其所愛之肉。
に関しては、成り立たない。
平成27年01月24日、毛利太。

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