(01)
人而不仁、如礼何。
人にして仁ならずんば礼を如何せん。
人として人間らしさ(仁)がないならば、礼があっても何になろう。
(明解古典学習シリーズ16、1973年、40頁)
(02)
人之性悪。其善者偽也。
人の性は悪なり。その善なる者は偽りなり。
人の天性は悪である。人間の善を作り上げているのは(後天的な)人為なのである。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、349頁)
従って、
(01)(02)により、
(02)
人の性は悪なり。
に対するアンチテーゼとして、
① 不有人而不善=人にして善なら不るは有らず。
とする。
然るに、
(04)
① ~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ))=
① ~[∃ⅹ〔人ⅹ&~(善ⅹ)〕]⇒
① [〔人ⅹ&(善ⅹ)~〕∃ⅹ]~=
① [〔人であって(善で)ないといった〕そのやうなⅹは存在し]ない。
といふ「述語論理」は、
① 不有人而不善=
① 不[有〔人而不(善)〕]⇒
① [〔人而(善)不〕有]不=
① [〔人にして(善なら)不るは〕有ら]不。
といふ「漢文」の、「直訳」である。
然るに、
(05)
言ふまでもなく、
① 不有人而不善(人にして善なら不るは有らず)。
といふ「漢文」は、
① 無人不善(人にして善なら不るは無し)。
といふ風に、書くことが出来る。
然るに、
(06)
① 無人不善(人にして善ならざるは無し)。
を、「英語」に置き換へると、
① No man is not good.
といふ、ことになる。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① 無人不善(人にして善ならざるは無し)=
① No man is not good=
① ~∃ⅹ(MANⅹ&~(GOODⅹ))=
① ∀ⅹ(MANⅹ → GOODⅹ)=Every man is good.
である、はずである?
然るに、
(08)
任意の表述の否定は、その表述を’~( )’という空所にいれて書くことにしよう(W.O.クワイン、現代論理学入門、1972年、15頁)。
従って、
(08)により、
(09)
① No man is not good.
の「否定」は、
② ~(No man is not good).
であるが、
② ~(No man is not good).
といふ「英語」はない。
然るに、
(10)
「・・・・・でない。」ではない=
「・・・・・でない。」といふこと、それは、ウソである=
「・・・・・でない。」といふこと、それは、本当ではない。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① No man is not good.
の「否定」、すなはち、
② ~(No man is not good).
は、例へば、
② It is not true that no man is not good.
である。
然るに、
(12)
どの言語をみても、一般に否定文は肯定文にはないなんらかの要素(日本語のナイ、英語のnot、仏語の
ne・・・pasなど)をもち、その逆ではない(大修館、『言語』セレクション、第一巻、2012年、321頁)。
といふ場合の、
ナイ
not
ne・・・pas
といふ「否定詞」に対して、
It is not true that
は、「否定詞」とは、言ひにくい。
然るに、
(13)
① ~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ)).
① 無人不善(人にして善ならざるは無し)。
① 不有人而不善(人にして善なら不るは有らず)。
といふ「二重否定」の「否定(三重否定)」は、
② ~(~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ)))
② 非無人不善(人にして善ならざるは無きに非ず)。
② 非不有人而不善(人にして善なら不るは有らずんば非ず)。
であって、つまりは、
② 人であって善でない者は、ゐないわけではない。⇔
② 善でない人もゐる=∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ))。
といふ、ことである。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
① ~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ)).
① 無人不善(人にして善ならざるは無し)。
① 不有人而不善(人にして善なら不るは有らず)。
① No man is not good.
といふ「二重否定」にあって、
① No man is not good.
だけは、「否定詞」を用ゐて、「三重否定」にすることが、出来ない。
然るに、
(15)
よくスラム街などを舞台にした映画で、
I don't know nothing! とか I didn't say nothing!
などと言っている人を見かけますが、
文にnotとnothingという2つの否定詞が入ってしまっていますから、
文法的にはとんでもない×。
ではなぜネイティブが使っているのでしょう?
それは「この人はちゃんとした教育を受けていませんよ」
ということを脚本で表そうとしているから。こわいですね~。
ネイティブだからって、真似すればいいってもんじゃないんですね。
「私は何も知らない」と言いたいときの正しい文法は、
I don't know anything または I know nothing。
それぞれ否定詞を1つずつしか使っていませんね。
あ、「おらー何も知っちゃいねーよ!」と言いたいときには
I don't know nothingで良いかもしれません。
いや、やめましょう(笑)。
(Webサイト: ジョルダンスクール)
従って、
(14)(15)により、
(16)
① ~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ)).
といふ「意味」で、
① No man is not good.
といふ風に、言はんとすると、
① No man is good.
① Man is not good.
といふ風に、英語の先生によって、直されてしまふ。
従って、
(16)により、
(17)
① ~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ)).
① 無人不善(人にして善ならざるは無し)。
① 不有人而不善(人にして善なら不るは有らず)。
といふ「述語論理・漢文」に対応する、「英語」は、存在しない。
加へて、
(14)により、
(18)
① No man is not good.
といふ「英語」が存在したとしても、
① No man is not good.
といふ「英語」を、「否定詞」を用ゐて、「否定」することは、出来ない。
従って、
(17)(18)により、
(19)
「英語」は、「二重否定」や「三重否定」が、得意ではないが故に、「漢文・訓読」に比べて、「非論理(学)的」である。
平成27年01月31日、毛利太。
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