2017年9月17日日曜日

不能仰視。不敢仰視。

(01)
① 不(能仰視)⇒
① (能仰視)不=
① (能く仰視せ)ず。
然るに、
(02)
副詞]よク
① A能B[読み]AよクBス:Aは主語、Bは用言。[訳]AはBすることができる。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、275頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 不(能仰視)⇒
① (能仰視)不=
① (能く仰視せ)ず=
① (仰視することができ)ない。
に於いて、
① 能 は、「副詞」である。
cf.
 よう言はん(関西弁?)。の、
 よう は、よく の「ウ音便」。
 ん  は、ぬ  の「撥音便」。
(04)
② 不(敢仰視)⇒
② (敢仰視)不=
② (敢へて仰視せ)ず。
然るに、
(05)
あへて【敢へて】アエテ〔副詞
①〔下に打消しの語を伴って〕押し切っては(~しない)。進んでは(~しない)。
(大修館書店、古語林、1997年、51頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
② 不(敢仰視)⇒
② (敢仰視)不=
② (敢へて仰視せ)ず=
② (押し切って、仰視することを)しない。
に於いて、
② 敢 は、「副詞」である。
従って、
(03)(06)により、
(07)
① 不(仰視)。
② 不(仰視)。
に於いて、
は、「副詞」である。
は、「副詞」である。
然るに、
(08)
③ 不〔能(仰視)〕⇒
③ 〔(仰視)能〕不=
③ 〔(仰視する)能は〕ず=
③ 〔(仰視することが)でき〕ない。
然るに、
(09)
A《助動詞に準ずる働きをする場合》
あたフ(自ハ四)
② A不B [読み]A、Bスル〔コト〕あたハず。:Aは主語、Bは用言の連体形[訳]AはBすることができない。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、276頁改)
従って、
(08)(09)により、
(10)
③ 不〔能(仰視)〕⇒
③ 〔(仰視する)能は〕ず=
③ 〔(仰視することが)でき〕ない。
に於いて、
③ 能(can) は、「助動詞」である。
然るに、
(11)
「敢」は勇敢・果敢の敢で、勇気を出し押し切ってすること。また無謀・無思慮・無礼なことをすること。要するに、しにくいこと、してはいけないことをすることを意味する。英語の dare という語に相当すると考えればよい。→ 三二五、六ページ。
(西田太一郎、漢文の語法、1980年、321頁)
然るに、
(12)
④ 不敢仰視=
④ 不〔dare(仰視)〕⇒
④ 〔(仰視)dare〕不=
④ 〔(仰視することを)勇気をだして、しょうと〕しない。
従って、
(11)(12)により、
(13)
④ 不敢仰視=
④ 不〔敢(仰視)〕⇒
④ 〔(仰視)敢〕不=
④ 〔(仰視することを)勇気をだして、しょうと〕しない。
に於いて、
dare) は、「助動詞」である。
cf.
dareauxil)have enouth courage or boldness for some act.
(旺文社、シニア英英辞典、1978年、296頁改)
従って、
(10)(13)により、
(14)
③ 不〔(仰視)〕。
④ 不〔(仰視)〕。
に於いて、
は、「助動詞」である。
は、「助動詞」である。
従って、
(07)(14)により、
(15)
① 不(能 仰視)。
② 不(敢 仰視)。
③ 不〔能(仰視)〕。
④ 不〔敢(仰視)〕。
に於いて、
① 能 は、「 副詞 」である。
は、「 副詞 」である。
③ 能 は、「助動詞」である。
は、「助動詞」である。
然るに、
(16)
② 不(敢 仰視)。
④ 不〔敢(仰視)〕。
に於いて、「訓読の語彙」としては、
は、「副詞」であって、
は、「副詞」である。
従って、
(16)により、
(17)
④ 不〔敢(仰視)〕。
⑤ 敢〔不(仰視)〕。
であれば、「意味」としては、
④ 〔(仰視すること)敢へてせ〕ず。
⑤ 〔(仰視せ)ざること〕敢へてす。
であるとしても、
④ 不敢仰視。
⑤ 敢不仰視。
の「訓読の習慣」としては、両方とも、
敢へて仰視せず。
敢へて仰視せず。
といふ風に、「読む」ことになる。
然るに、
(18)
④ 〔(仰視することを)勇気をだして、しょうと〕しない。
⑤ 〔(仰視し)ないことを〕勇気をだしてす。
に於いて、
④  (仰視すること)  ⇒「勇気」が必要。
⑤ 〔(仰視し)ないこと〕⇒「勇気」が必要。
であるため、
④ 不〔敢(仰視)〕。
⑤ 敢〔不(仰視)〕。
に於いて、「意味」としては、
④=⑤ ではない
従って、
(17)(18)により、
(19)
④ 不敢仰視
⑤ 敢不仰視
といふ「返り点」により、「訓読」としては、両方とも、
敢へて仰視せず。
敢へて仰視せず。
といふ風に、「読む」ものの、
にも拘らず、「意味」としては、
④=⑤ ではない
従って、
(19)により、
(20)
「訓読」の「習慣」として、
④ 不敢仰視=敢へて仰視せず。
⑤ 敢不仰視=敢へて仰視せず。
といふ風に、「読む」にせよ、
目読」としては、
④ 不〔敢(仰視)〕=仰視すること敢へてせず。
⑤ 敢〔不(仰視)〕=仰視せざること敢へてす。
であるといふことを、「忘れてはならない」。
(21)
漢文の原則として上の字は下の字にのみ影響するから「敢」は「仰視」の字のみに影響する。蘇秦の昆弟妻嫂の場合、蘇秦を仰視することは勇気がいることだから「不敢仰視」はそれを否定して。つまり「勇気を出して仰視することをしない」「正視するだけの勇気」がないことである。
(西田太一郎、漢文の語法、1980年、326頁)
然るに、
(22)
上の字は下の字にのみ影響するから「敢」は「仰視」の字のみに影響する。
に於ける、「影響する」といふ「意味」が、私には、「分からない」。
cf.
 ~(P&Q)=~P∨~Q
 であるため、
 ~は、(P&Q)に「影響する」。
然るに、
(23)
「勇気を出して仰視することをしない」。
といふ「言ひ方」は、
「勇気を出して、仰視することをしない」。
「勇気を出して仰視することを、しない」。
といふ、「二通りの解釈」が、「可能」である。
従って、
(24)
① 勇気を出して(仰視することをしない)。
② (勇気を出して仰視することを)しない。
といふ、「二通りの解釈」が、「可能」である。
然るに、
(25)
① (蘇秦を、仰視することをしない)⇒「勇気は要」。
② (蘇秦を、仰視することを、する)⇒「勇気が要」。
従って、
(23)(24)により、
(26)
「勇気を出して仰視することをしない」。
といふ「言ひ方」は、
① 勇気を出して(仰視することをしない)。
ではなく、
② (勇気を出して仰視することを)しない。
といふ「意味」に、違ひない。
然るに、
(27)
② (勇気を出して仰視することを)しない。
といふのは、あるいは、
④ (仰視することを、勇気を出してすることを)しない。
といふこと、すなはち、
④ 〔(仰視することを)勇気を出してすることを〕しない。
といふ「意味」であるのかも、知れない。
然るに、
(28)
② 不敢仰視=
④ 不〔敢(仰視)〕⇒
④ 〔(仰視)敢〕不=
④ 〔(仰視することを)勇気を出してすることを〕しない。
従って、
(21)~(28)により、
(29)
西田先生の場合も、
④ 不敢仰視。
といふ「漢文」の「補足構造」を、
④ 不〔敢(仰視)〕。
といふ風に、捉へてゐた。
といふ風に、想はれる。
(30)
④ 不〔敢(仰視)〕。
であれば、
④ 敢 は、(仰視)に「影響」するかどうかは分からないものの、
④ 敢 は、(仰視)に、「その意味」が、「届いてゐる」。
(31)
④ 不〔敢(仰視)〕。
であれば、
④   敢(仰視)。
の「否定」であるが、
④ 不 敢(仰視)。
であれば、
④   敢(仰視)。
の「否定」ではない。
平成29年09月17日、毛利太。

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