無題化というのは「Ⅹは」の「は」を消すことですから、
センテンスの形のままでもできないことはありませんが、
センテンスの形では、本当に無題になりきらない場合も起こります。
たとえば、
私は幹事です。
私が幹事です。
のように、「は」を消しても、センテンスの意味は、
幹事は、私です。
というのに近く、題が文中の別の個所に移り隠れたにすぎません。
(山崎美紀子、日本語基礎講座、― 三上文法入門 ―、2003年、65頁)
従って、
(01)により、
(02)
「無題化」といふことは、「よく分からない」ものの、いづれにせよ、
① 私が幹事です。
② 幹事は私です。
に於いて、
①=② は「無題化」である。
然るに、
(03)
(ⅱ)
1 (1) P→ Q A
2 (2) ~Q A
3(3) P A
1 3(4) Q 13MPP
123(5) ~Q&Q 24&I
12 (6)~P 35RAA
1 (7)~Q→~P 26CP
(ⅲ)
1 (1) ~Q→~P A
2 (2) P A
3(3) ~Q A
1 3(4) ~P 13MPP
123(5) P&~P 24&I
12 (6)~~Q 35RAA
12 (7) Q 6DN
1 (8) P→ Q 27CP
従って、
(03)により、
(04)
② P→ Q
③ ~Q→~P
に於いて、
②=③ であって、
②=③ は「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(04)により、
(05)
「日本語」で言ふと、
② Pであるならば、Qである。
③ Qでないならば、Pでない。
に於いて、
②=③ は「対偶」である。
従って、
(05)により、
(06)
P=幹事である。
Q=私である。
として、
② 幹事は私です。
③ 私以外は幹事ではない。
に於いて、
②=③ は「対偶」である。
従って、
(02)(06)により、
(07)
① 私が幹事です。
② 幹事は私です。
③ 私以外は幹事ではない。
に於いて、
①=② は「無題化」であって、
②=③ は「 対偶 」である。
従って、
(07)により、
(08)
「番号」を付け直すと、
① 私が幹事です。
② 私以外は幹事ではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(09)
① 私が幹事です。
といふのであれば、当然、
① 私は幹事である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 私が幹事です。
② 私は幹事であり、私以外は幹事ではない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(10)により、
(11)
① 私が大野です。
② 私は大野であり、私以外は大野ではない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(12)
② 私以外は大野ではない。
といふことを、「強調・確認」したい場合には、
③ 私は大野です。
とは言はずに、
① 私が大野です。
といふ風に、言ふことになる。
従って、
(13)
② 私以外は大野ではない。
といふことを、「強調・確認」する「必要が無い」のであれば、
その場合は、
① 私が大野です。
とは言はずに、
③ 私は大野です。
といふ風に、言ふことになる。
然るに、
(14)
(3)
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(13)(14)により、
(15)
「大野さんはどちらですか。」
といふやうな問いに対する「答へ」の場合は、
② 私以外は大野ではない。
といふことを、「強調・確認」したい場合である。
といふ、ことになる。
従って、
(01)(15)により、
(16)
「大野さんはどちらですか。」 といふやうな問いに対する「答へ」の場合は、
③ 私は大野です。
といふ「日本語」は、
① 私が大野です。
といふ風に、「無題化」が起こる。
といふ、ことになる。
従って、
(16)により、
(17)
私としては、一体何故、
「大野さんはどちらですか。」 といふやうな問いに対する「答へ」の場合は、
③ 私は大野です。
といふ「日本語」は、
① 私が大野です。
といふ風に、「無題化」する。
のかといふ、「 理由 」が、知りたい。
令和04年02月18日、毛利太。
0 件のコメント:
コメントを投稿