2022年2月5日土曜日

「述語論理」の「初歩的な、よくある間違い」に関連して。

 ―「昨日(令和03年02月05日)」を書き直します。―
(01)
(ⅰ)
1  (1)∀x(Fx→Gx) A
 2 (2)∃x(Fx)    A
1  (3)   Fa→Ga  1UE
  4(4)   Fa     A(代表的選言項)
1 4(5)      Ga  34MPP
1 4(6)   ∃x(Gx) 5EI
12 (7)   ∃x(Gx) 246EE
1  (8)∃x(Fx)→∃x(Gx) 27CP
(ⅱ)
1  (1)∃x(Fx)→∃x(Gx) A
 2 (2)   Fa         A
 2 (3)∃x(Fx)        2EI
12 (4)       ∃x(Gx) 13MPP
  )          G  A(代表的選言項)
12 (6)          G  46EE
1  (7)   Fa→G      26CP
1  (8)∀x(Fx→Gx)     7UI
に於いて、
(ⅰ)は「正しい」が、
(ⅱ)は「間違ひ」である。
cf.
(E.j.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、147頁)
然るに、
(02)
(ⅱ)
1   (1) ∃x(Fx)→∃x(Gx) A
1   (2)~∃x(Fx)∨∃x(Gx) 1含意の定義
 3  (3)~∃x(Fx)        A
 3  (4)∀x(~Fx)        3量化子の関係
 3  (5)   ~Fa         4UE
 3  (6)   ~Fa∨Ga      5∨I
 3  (7)    Fa→Ga      6含意の定義
 3  (8) ∃x(Fx→Gx)     7EI
  9 (9)        ∃x(Gx) A
   ア(ア)           Ga  A(代表的選言項)
   ア(イ)       ~Fa∨Ga  ア∨I
   ア(ウ)        Fa→Ga  イ含意の定義
   ア(エ)     ∃x(Fx→Gx) ウEI
  9 (オ)     ∃x(Fx→Gx) 9アエEE
1   (カ)     ∃x(Fx→Gx) 2389オ∨E
(ⅲ)
1   (1)∃x(Fx→Gx)     A
 2  (2)∃x(Fx)        A
  3 (3)   Fa→Ga      A(代表的選言項)
   (4)   F         A(代表的選言項)
  3(5)      Ga      34MPP
  3(6)   ∃x(Gx)     5EI
 23 (7)   ∃x(Gx)     26EE
  3 (8)∃x(Fx)→∃x(Gx) 27CP
1   (9)∃x(Fx)→∃x(Gx) 138EE
に於いて、
(ⅱ)は「正しい」が、
(ⅲ)は「間違ひ」である。
cf.
(E.j.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、154・155頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ∀x(Fx→Gx)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
に於いて、
① ならば ② であるが、
② ならば ① であるとは限らず、
② ならば ③ であるが、
③ ならば ② であるとは限らない。
従って、
(03)により、
(04)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
に於いて、
②=③ ではない。
従って、
(04)により、
(05)
②(あるxがFである)ならば(あるxはGである)。
③ ∃x(Fx→Gx)
に於いて、
②=③ ではない。
然るに、
(06)
「すべてのフランス人は寛大である」は一種の条件文として適切に記号化されるので、これに同化してしまって、
「幾らかのフランス人は寛大である」を、正しく「∃x(Fx&Gx)」と記号化するかわりに、
∃x(Fx→Gx)」とするのは、よくある間違い(である。しかし、「∃x(Fx→Gx)」は、
それがフランス人であるならば、寛大であるようなものが存在する」ことを主張するのであって、
「これは、かりにフランス人が存在しない」としても「真」であろう。しかるに、
「幾らかのフランス人は寛大である」はそうではない。
(E.j.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、123・124頁)
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
∃x(Fx→Gx)
に於いて、
②=③ ではないが故に、
②(あるxがフランス人である)ならば(あるxは寛大である)。
(xがフランス人であるならば、寛大であるようなx)が存在する
に於いても、
②=③ ではない
cf.
③ There is something which,if ⅹ is French then ⅹ is generous.
然るに、
(08)
私には、
②(あるxがフランス人である)ならば(あるxは寛大である)。
③(xがフランス人であるならば、寛大であるようなx)が存在する。
に於いては、
②=③ であるとしか、思へない。
然るに、
(09)
{xの変域}={a、b、c}
であるとして、
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
といふ「論理式」は、
②(~Fa&~Fb&~Fc)∨(Ga∨Gb∨Gc)
③(~Fa∨Ga)∨(~Fb∨Gb)∨(~Fc∨Gc)
といふ「論理式」に「等しい」。
然るに、
(10)
「言葉」で「説明」するのは、「大変」であるが、
②(~Fa&~Fb&~Fc)∨(Ga∨Gb∨Gc)
③(~Fa∨Ga)∨(~Fb∨Gb)∨(~Fc∨Gc)
に於いて、
②が「真」であれば、 ③も「真」であるが、
③が「真」であっても、②が「真」であるとは、限らない。
(11)
③ ~Fa=「真」
であれば、それだけで、
③(~Fa∨Ga)∨(~Fb∨Gb)∨(~Fc∨Gc)
は「真」であるが、
③ ~Fa=「真」
であっても、それだけでは、
②(~Fa&~Fb&~Fc)∨(Ga∨Gb∨Gc)
は「真」であるとは、限りない。
従って、
(01)~(11)により、
(12)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
といふ「論理式」は、
②(~Fa&~Fb&~Fc)∨(Ga∨Gb∨Gc)
③(~Fa∨Ga)∨(~Fb∨Gb)∨(~Fc∨Gc)
といふ風に「展開」すると、
②=③ ではないが、
②(あるxがフランス人である)ならば(あるxは寛大である)。
③(xがフランス人であるならば、寛大であるようなx)が存在する。
といふ風に「翻訳」すると、
②=③ である
としか、思へない。
従って、
(12)により、
(13)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
といふ「論理式」は、
②(あるxがFである)ならば(あるxはGである)。
③(xがFであるならば、Gであるようなx)が存在する。
といふ風に、「読むべきではない」ものの、とは言へ、
③(xがFであるならば、Gであるようなx)が存在する。
といふ「読み方」は、「間違ひ」であるはずがない。
従って、
(13)により、
(14)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
といふ「論理式」は、ある種の「パラドックス」であるに、違ひない。
令和04年02月05日、毛利太。

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