―「昨日(令和03年02月05日)」を書き直します。―
(01)
(ⅰ)
1 (1)∀x(Fx→Gx) A
2 (2)∃x(Fx) A
1 (3) Fa→Ga 1UE
4(4) Fa A(代表的選言項)
1 4(5) Ga 34MPP
1 4(6) ∃x(Gx) 5EI
12 (7) ∃x(Gx) 246EE
1 (8)∃x(Fx)→∃x(Gx) 27CP
(ⅱ)
1 (1)∃x(Fx)→∃x(Gx) A
2 (2) Fa A
2 (3)∃x(Fx) 2EI
12 (4) ∃x(Gx) 13MPP
5(5) Ga A(代表的選言項)
12 (6) Ga 456EE
1 (7) Fa→Ga 26CP
1 (8)∀x(Fx→Gx) 7UI
に於いて、
(ⅰ)は「正しい」が、
(ⅱ)は「間違ひ」である。
cf.
(E.j.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、147頁)
然るに、
(02)
(ⅱ)
1 (1) ∃x(Fx)→∃x(Gx) A
1 (2)~∃x(Fx)∨∃x(Gx) 1含意の定義
3 (3)~∃x(Fx) A
3 (4)∀x(~Fx) 3量化子の関係
3 (5) ~Fa 4UE
3 (6) ~Fa∨Ga 5∨I
3 (7) Fa→Ga 6含意の定義
3 (8) ∃x(Fx→Gx) 7EI
9 (9) ∃x(Gx) A
ア(ア) Ga A(代表的選言項)
ア(イ) ~Fa∨Ga ア∨I
ア(ウ) Fa→Ga イ含意の定義
ア(エ) ∃x(Fx→Gx) ウEI
9 (オ) ∃x(Fx→Gx) 9アエEE
1 (カ) ∃x(Fx→Gx) 2389オ∨E
(ⅲ)
1 (1)∃x(Fx→Gx) A
2 (2)∃x(Fx) A
3 (3) Fa→Ga A(代表的選言項)
4(4) Fa A(代表的選言項)
34(5) Ga 34MPP
34(6) ∃x(Gx) 5EI
23 (7) ∃x(Gx) 246EE
3 (8)∃x(Fx)→∃x(Gx) 27CP
1 (9)∃x(Fx)→∃x(Gx) 138EE
に於いて、
(ⅱ)は「正しい」が、
(ⅲ)は「間違ひ」である。
cf.
(E.j.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、154・155頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ∀x(Fx→Gx)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
に於いて、
① ならば ② であるが、
② ならば ① であるとは限らず、
② ならば ③ であるが、
③ ならば ② であるとは限らない。
従って、
(03)により、
(04)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
に於いて、
②=③ ではない。
従って、
(04)により、
(05)
②(あるxがFである)ならば(あるxはGである)。
③ ∃x(Fx→Gx)
に於いて、
②=③ ではない。
然るに、
(06)
「すべてのフランス人は寛大である」は一種の条件文として適切に記号化されるので、これに同化してしまって、
「幾らかのフランス人は寛大である」を、正しく「∃x(Fx&Gx)」と記号化するかわりに、
「∃x(Fx→Gx)」とするのは、よくある間違い(である。しかし、「∃x(Fx→Gx)」は、
「それがフランス人であるならば、寛大であるようなものが存在する」ことを主張するのであって、
「これは、かりにフランス人が存在しない」としても「真」であろう。しかるに、
「幾らかのフランス人は寛大である」はそうではない。
(E.j.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、123・124頁)
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
に於いて、
②=③ ではないが故に、
②(あるxがフランス人である)ならば(あるxは寛大である)。
③(xがフランス人であるならば、寛大であるようなx)が存在する。
に於いても、
②=③ ではない。
cf.
③ There is something which,if ⅹ is French then ⅹ is generous.
然るに、
(08)
私には、
②(あるxがフランス人である)ならば(あるxは寛大である)。
③(xがフランス人であるならば、寛大であるようなx)が存在する。
に於いては、
②=③ であるとしか、思へない。
然るに、
(09)
{xの変域}={a、b、c}
であるとして、
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
といふ「論理式」は、
②(~Fa&~Fb&~Fc)∨(Ga∨Gb∨Gc)
③(~Fa∨Ga)∨(~Fb∨Gb)∨(~Fc∨Gc)
といふ「論理式」に「等しい」。
然るに、
(10)
「言葉」で「説明」するのは、「大変」であるが、
②(~Fa&~Fb&~Fc)∨(Ga∨Gb∨Gc)
③(~Fa∨Ga)∨(~Fb∨Gb)∨(~Fc∨Gc)
に於いて、
②が「真」であれば、 ③も「真」であるが、
③が「真」であっても、②が「真」であるとは、限らない。
(11)
③ ~Fa=「真」
であれば、それだけで、
③(~Fa∨Ga)∨(~Fb∨Gb)∨(~Fc∨Gc)
は「真」であるが、
③ ~Fa=「真」
であっても、それだけでは、
②(~Fa&~Fb&~Fc)∨(Ga∨Gb∨Gc)
は「真」であるとは、限りない。
従って、
(01)~(11)により、
(12)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
といふ「論理式」は、
②(~Fa&~Fb&~Fc)∨(Ga∨Gb∨Gc)
③(~Fa∨Ga)∨(~Fb∨Gb)∨(~Fc∨Gc)
といふ風に「展開」すると、
②=③ ではないが、
②(あるxがフランス人である)ならば(あるxは寛大である)。
③(xがフランス人であるならば、寛大であるようなx)が存在する。
といふ風に「翻訳」すると、
②=③ である。
としか、思へない。
従って、
(12)により、
(13)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
といふ「論理式」は、
②(あるxがFである)ならば(あるxはGである)。
③(xがFであるならば、Gであるようなx)が存在する。
といふ風に、「読むべきではない」ものの、とは言へ、
③(xがFであるならば、Gであるようなx)が存在する。
といふ「読み方」は、「間違ひ」であるはずがない。
従って、
(13)により、
(14)
② ∃x(Fx)→∃x(Gx)
③ ∃x(Fx→Gx)
といふ「論理式」は、ある種の「パラドックス」であるに、違ひない。
令和04年02月05日、毛利太。
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