(01)
2A=A+A
であるやうに、
復A=A+A
であるとするのが、分りやすい。
従って、
(01)により、
(02)
① 冀〔復得(兎)〕= 冀〔得(兎)+ 得(兎)〕。
② 復冀〔得(兎)〕= 冀〔得(兎)〕+ 冀〔得(兎)〕。
である。
然るに、
(03)
① 冀〔得(兎)+ 得(兎)〕。
であれば、
① 〔(兎を)得た上で、もう一度(兎を)得ることを〕願ふ。
といふ「意味」である。
(04)
② 冀〔得(兎)〕+ 冀〔得(兎)〕。
であれば、
② 〔(兎を)得ることを〕願い、もう一度 〔(兎を)得ることを〕願ふ。
といふ「意味」である。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① 冀〔復得(兎)〕= 冀〔得(兎)+ 得(兎)〕。
② 復冀〔得(兎)〕= 冀〔得(兎)〕+ 冀〔得(兎)〕。
に於いて、
①=② ではない。
然るに、
(06)
① 冀二復得一レ兎=復た兎を得んことを冀ふ。
② 復冀レ得レ兎 =復た兎を得んことを冀ふ。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 冀〔復得(兎)〕= 冀〔得(兎)+ 得(兎)〕。
② 復冀〔得(兎)〕= 冀〔得(兎)〕+ 冀〔得(兎)〕。
に於いて、
①=② ではないものの、その一方で、「訓読」は、両方とも、
① 復た兎を得んことを冀ふ。
② 復た兎を得んことを冀ふ。
である。
然るに、
(08)
(A)常不レ得レ油 (全部否定)
(B)不二常得一レ油 (部分否定)
この例は次のように下から返読してその意味をはっきりさせることができる。
(A)常レ不レ得レ油(油ヲ得ザルコト常ナリ)
(B)不レ常レ得レ油(油ヲ得ルコト常ナラズ)
(原田種成、私の漢文講義、1995年、156頁)
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 復冀〔得(兎)〕= 冀〔得(兎)〕+ 冀〔得(兎)〕。
であれば、
② 復レ冀レ得レ兎(兎ヲ得ント冀フコト復ビナリ)。
といふ風に、「返読」することが、出来る。
平成29年09月30日、毛利太。
2017年9月30日土曜日
2017年9月29日金曜日
「副詞(句)」の位置。
(01)
① 冀復得兎=
① 冀〔復得(兎)〕⇒
① 〔復(兎)得〕冀=
① 〔復た(兎を)得んことを〕冀ふ。
(02)
② 復冀得兎=
② 復冀〔得(兎)〕⇒
② 復〔(兎)得〕冀=
② 復た〔(兎を)得んことを〕冀ふ。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 冀〔復得(兎)〕。
② 復冀〔得(兎)〕。
に於いて、「訓読」は、両方とも、
① 復た兎を得んことを冀ふ。
② 復た兎を得んことを冀ふ。
である。
然るに、
(04)
① 冀復得兎。
② 復冀得兎。
といふ「漢文」自体は、
① 冀〔復得(兎)〕= 冀〔得(兎)+ 得(兎)〕。
② 復冀〔得(兎)〕= 冀〔得(兎)〕+ 冀〔得(兎)〕。
といふ、「意味」である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 冀〔復得(兎)〕。
② 復冀〔得(兎)〕。
といふ「漢文」の場合は、
「訓読」に関しては、①=② であるが、
「意味」に関しては、①=② ではない。
すなはち、
(06)
◆ 冀二復得一レ兎
この句は「復た兎を得んことを冀ふ」と読むが、いまかりに原文の「冀」と「復」とを入れかえて「復冀レ得レ兎」としても読み方はかわらない。しかし意味内容のうえでは大きな違いがあるので注意を要する。「冀二復得一レ兎」の場合は「冀ふ」の内容が下の「復得レ兎」となる形であるから、「ふたたび兎を手に入れる」ということを「ねがう」の意で、まえにも兎を入れたが、さらにもう一度兎を手に入れたいと望むことになる。ところが「復冀レ得レ兎」の場合は「復」が「冀」の上にあるので、「復」が「冀」を修飾する形であり、「冀ふ」の内容は「得レ兎」だけになる。つまり「兎を手に入れること」を「もう一度ねがう」の意である。
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、1973年、36頁)
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 復た兎を得んことを冀ふ。
② 復た兎を得んことを冀ふ。
といふ「訓読」からは、その「原文」が、
① 冀復得兎。
であるのか、
② 復冀得兎。
であるのか、といふことが、「判らない」。
従って、
(08)
① 復た兎を得んことを冀ふ。
② 復た兎を得んことを冀ふ。
だけでなく、
① 十五城を以て、兎を得んことを冀ふ。
② 十五城を以て、兎を得んことを冀ふ。
といふ「訓読」からは、その「原文」が、
① 冀以十五城得兎。
であるのか、
② 以十五城冀得兎。
であるのか、といふことが、「判らない」。
従って、
(09)
① 十五城を以て、兎を得んことを冀ふ。
② 十五城を以て、兎を得んことを冀ふ。
だけでなく、
③ 十五城を以て、之に易んことを請ふ。
④ 十五城を以て、寡人の璧に易んことを請ふ。
といふ「訓読」からは、その「原文」が、
③ 請以十五城易之。
であるのか、
④ 以十五城請易寡人之璧。
であるのか、といふことが、「判らない」。
然るに、
(10)
然るに、
(11)
③ 之
④ 寡人の璧
に於いて、
③=④ である。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
③ 十五城を以て、之に易んことを請ふ。
④ 十五城を以て、之に易んことを請ふ。
といふ「訓読」からは、その「原文」が、
③ 請以十五城易之。
であるのか、
④ 以十五城請易之。
であるのか、といふことが、「判らない」ものの、「意味」自体は、
③=④ である。
従って、
(05)(09)(12)により、
(13)
① 冀〔復得(兎)〕。
② 復冀〔得(兎)〕。
とは「異なり」、
③ 請〔以(十五城)易(之)〕。
④ 以(十五城)請〔易(之)〕。
の場合は、「意味」としても、
③=④ である。
平成29年09月29日、毛利太。
① 冀復得兎=
① 冀〔復得(兎)〕⇒
① 〔復(兎)得〕冀=
① 〔復た(兎を)得んことを〕冀ふ。
(02)
② 復冀得兎=
② 復冀〔得(兎)〕⇒
② 復〔(兎)得〕冀=
② 復た〔(兎を)得んことを〕冀ふ。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 冀〔復得(兎)〕。
② 復冀〔得(兎)〕。
に於いて、「訓読」は、両方とも、
① 復た兎を得んことを冀ふ。
② 復た兎を得んことを冀ふ。
である。
然るに、
(04)
① 冀復得兎。
② 復冀得兎。
といふ「漢文」自体は、
① 冀〔復得(兎)〕= 冀〔得(兎)+ 得(兎)〕。
② 復冀〔得(兎)〕= 冀〔得(兎)〕+ 冀〔得(兎)〕。
といふ、「意味」である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 冀〔復得(兎)〕。
② 復冀〔得(兎)〕。
といふ「漢文」の場合は、
「訓読」に関しては、①=② であるが、
「意味」に関しては、①=② ではない。
すなはち、
(06)
◆ 冀二復得一レ兎
この句は「復た兎を得んことを冀ふ」と読むが、いまかりに原文の「冀」と「復」とを入れかえて「復冀レ得レ兎」としても読み方はかわらない。しかし意味内容のうえでは大きな違いがあるので注意を要する。「冀二復得一レ兎」の場合は「冀ふ」の内容が下の「復得レ兎」となる形であるから、「ふたたび兎を手に入れる」ということを「ねがう」の意で、まえにも兎を入れたが、さらにもう一度兎を手に入れたいと望むことになる。ところが「復冀レ得レ兎」の場合は「復」が「冀」の上にあるので、「復」が「冀」を修飾する形であり、「冀ふ」の内容は「得レ兎」だけになる。つまり「兎を手に入れること」を「もう一度ねがう」の意である。
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、1973年、36頁)
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 復た兎を得んことを冀ふ。
② 復た兎を得んことを冀ふ。
といふ「訓読」からは、その「原文」が、
① 冀復得兎。
であるのか、
② 復冀得兎。
であるのか、といふことが、「判らない」。
従って、
(08)
① 復た兎を得んことを冀ふ。
② 復た兎を得んことを冀ふ。
だけでなく、
① 十五城を以て、兎を得んことを冀ふ。
② 十五城を以て、兎を得んことを冀ふ。
といふ「訓読」からは、その「原文」が、
① 冀以十五城得兎。
であるのか、
② 以十五城冀得兎。
であるのか、といふことが、「判らない」。
従って、
(09)
① 十五城を以て、兎を得んことを冀ふ。
② 十五城を以て、兎を得んことを冀ふ。
だけでなく、
③ 十五城を以て、之に易んことを請ふ。
④ 十五城を以て、寡人の璧に易んことを請ふ。
といふ「訓読」からは、その「原文」が、
③ 請以十五城易之。
であるのか、
④ 以十五城請易寡人之璧。
であるのか、といふことが、「判らない」。
然るに、
(10)
然るに、
(11)
③ 之
④ 寡人の璧
に於いて、
③=④ である。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
③ 十五城を以て、之に易んことを請ふ。
④ 十五城を以て、之に易んことを請ふ。
といふ「訓読」からは、その「原文」が、
③ 請以十五城易之。
であるのか、
④ 以十五城請易之。
であるのか、といふことが、「判らない」ものの、「意味」自体は、
③=④ である。
従って、
(05)(09)(12)により、
(13)
① 冀〔復得(兎)〕。
② 復冀〔得(兎)〕。
とは「異なり」、
③ 請〔以(十五城)易(之)〕。
④ 以(十五城)請〔易(之)〕。
の場合は、「意味」としても、
③=④ である。
平成29年09月29日、毛利太。
2017年9月23日土曜日
「レ点」の位置。
(01)
① 我不三常読二英文一=我、常には英文を読まず。
に於いて、
① 我 は、「主語」である。
① 常 は、「連用修飾語( 副詞 )」である。
① 英 は、「連体修飾語(形容詞)」である。
(02)
② 不三 読二 文一=文を読まず。
に於いて、
② 不 は、「助動詞」である。
② 読 は、「 述語 」である。
② 文 は、「 補語 」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 我不三常読二英文一=我、常には英文を読まず。
に於いて、
①「 主語 ・副詞・形容詞」には、「返り点」は付かず、
①「助動詞・述語・ 補語 」には、「返り点」が付く。
然るに、
(04)
③ 不レ 読レ 文=文を読まず。
に於いて、
③「助動詞・述語」には、「返り点(レ点)」が付く。
③ 「補語」には、「返り点(レ点)」が付かない。
然るに、
(05)
② 読二文一=文を読まず。
③ 読レ文 =文を読まず。
に於いて、
②=③ であるならば、
② 二 一
③ レ
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(06)
③ 読レ文 =文を読まず。
② 読二文一=文を読まず。
に於いて、
③ レ が、
② 二 一 に、「等しい」のであれば、
③ レ は、
② 二 一 を、「兼ねてゐる」。
然るに、
(07)
③ 読レ文 =文を読まず。
② 読二文一=文を読まず。
に於いて、
③ レ が、
② 二 一 を、「兼ねてゐる」のであれば、
③ レ は、「読 と、文 の、両方の漢字」に、「付いてゐる」。
然るに、
(08)
レ点は下の字に属するものであることを知っていない専門家もゐる。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、42頁)
従って、
(08)により、
(09)
原田先生の場合は、
③ 読レ文 =文を読まず。
② 読二文一=文を読まず。
に於いて、
③ レ が、「読 と、文」の、両方の漢字に、「付いてゐる」とはせずに、
③ レ は、「文」というふ漢字だけに、「付いてゐる」といふ風に、されてゐる。
従って、
(04)(09)により、
(10)
原田先生の場合は、
③ 不レ 読レ 文=文を読まず。
に於いて、
③「助動詞・補語」には、「返り点」が付くが、
③ 「述語」には、「返り点」が付かない。
といふ風に、されてゐる。
(11)
レ点が下の字の左肩につけるものであることを知らないと、「為二人所一レ」の場合に「一レ」の形になることが説明できない。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、42頁) 然るに、
(12)
「為二人所一レ欺」といふ風に、書くよりも、
「為三人所二欺一」と書く方が、分りやすい。
(13)
「二 一レ」よりも、「三 二 一」の方が、分りやすいだけなく、「二 一レ 二 一」よりも、「四 三 二 一」の方が、分りやすい。
従って、
(14)
「二 一レ」や、「二 一レ 二 一」のやうな、「返り点」は、「不要」であるし、固より、「レ点」自体が、「不要」である。
平成29年09月23日、毛利太。
① 我不三常読二英文一=我、常には英文を読まず。
に於いて、
① 我 は、「主語」である。
① 常 は、「連用修飾語( 副詞 )」である。
① 英 は、「連体修飾語(形容詞)」である。
(02)
② 不三 読二 文一=文を読まず。
に於いて、
② 不 は、「助動詞」である。
② 読 は、「 述語 」である。
② 文 は、「 補語 」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 我不三常読二英文一=我、常には英文を読まず。
に於いて、
①「 主語 ・副詞・形容詞」には、「返り点」は付かず、
①「助動詞・述語・ 補語 」には、「返り点」が付く。
然るに、
(04)
③ 不レ 読レ 文=文を読まず。
に於いて、
③「助動詞・述語」には、「返り点(レ点)」が付く。
③ 「補語」には、「返り点(レ点)」が付かない。
然るに、
(05)
② 読二文一=文を読まず。
③ 読レ文 =文を読まず。
に於いて、
②=③ であるならば、
② 二 一
③ レ
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(06)
③ 読レ文 =文を読まず。
② 読二文一=文を読まず。
に於いて、
③ レ が、
② 二 一 に、「等しい」のであれば、
③ レ は、
② 二 一 を、「兼ねてゐる」。
然るに、
(07)
③ 読レ文 =文を読まず。
② 読二文一=文を読まず。
に於いて、
③ レ が、
② 二 一 を、「兼ねてゐる」のであれば、
③ レ は、「読 と、文 の、両方の漢字」に、「付いてゐる」。
然るに、
(08)
レ点は下の字に属するものであることを知っていない専門家もゐる。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、42頁)
従って、
(08)により、
(09)
原田先生の場合は、
③ 読レ文 =文を読まず。
② 読二文一=文を読まず。
に於いて、
③ レ が、「読 と、文」の、両方の漢字に、「付いてゐる」とはせずに、
③ レ は、「文」というふ漢字だけに、「付いてゐる」といふ風に、されてゐる。
従って、
(04)(09)により、
(10)
原田先生の場合は、
③ 不レ 読レ 文=文を読まず。
に於いて、
③「助動詞・補語」には、「返り点」が付くが、
③ 「述語」には、「返り点」が付かない。
といふ風に、されてゐる。
(11)
レ点が下の字の左肩につけるものであることを知らないと、「為二人所一レ」の場合に「一レ」の形になることが説明できない。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、42頁) 然るに、
(12)
「為二人所一レ欺」といふ風に、書くよりも、
「為三人所二欺一」と書く方が、分りやすい。
(13)
「二 一レ」よりも、「三 二 一」の方が、分りやすいだけなく、「二 一レ 二 一」よりも、「四 三 二 一」の方が、分りやすい。
従って、
(14)
「二 一レ」や、「二 一レ 二 一」のやうな、「返り点」は、「不要」であるし、固より、「レ点」自体が、「不要」である。
平成29年09月23日、毛利太。
2017年9月22日金曜日
敢不走乎=不敢不走。
(01)
「敢」が、「助動詞」ではなく、「副詞」であるならば、
① 敢走。
② 敢不走。
③ 不敢走。
④ 不敢不走。
に付く「返り点」は、
① 敢走。
② 敢不レ走。
③ 不二敢走一。
④ 不二敢不一レ走。
であって、「括弧」は、
① 敢走。
② 敢不(走)。
③ 不(敢走)。
④ 不〔敢不(走)〕。
である。
(02)
「敢」が、「副詞」ではなく、「助動詞」であるならば、
① 敢走。
② 敢不走。
③ 不敢走。
④ 不敢不走。
に付く「返り点」は、
① 敢レ走。
② 敢レ不レ走。
③ 不レ敢レ走。
④ 不レ敢レ不レ走。
であって、「括弧」は、
① 敢(走)。
② 敢〔不(走)〕。
③ 不〔敢(走)〕。
④ 不[敢〔不(走)〕]。
である。
(03)
① 敢(走)。
② 敢〔不(走)〕。
③ 不〔敢(走)〕。
④ 不[敢〔不(走)〕]。
といふ「漢文」は、
① (走ることを)敢へてする。
② 〔(走ら)ないことを〕敢へてする。
③ 〔(走ることを)敢へてする。〕といふことはない。
④ [〔(走ら)ないことを〕敢へてする。]といふことはない。
といふ風に、「解すること」が、出来る。
従って、
(03)により、
(04)
② 敢〔不(走)〕。 の「否定」は、
④ 不[敢〔不(走)〕]。である。
然るに、
(05)
② 敢〔不(走)〕。
は、「反語」ではないが、
② 敢〔不(走)〕乎。
は、「反語」である。
然るに、
(06)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、45頁、1973年)。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
② 敢〔不(走)〕乎。
④ 不[敢〔不(走)〕]。
に於いて、
②=④ である。
従って、
(03)(07)により、
(08)
② 敢〔不(走)〕乎。
といふ「反語」は、
④ [〔(走ら)ないことを〕敢へてする。]といふことはない。
といふこと、すなはち、
② 敢へて逃げないといふことはない(逃げるにちがいない)。
といふ、「意味」になる。
cf.
「逃走」は、「複語」なので、「走=逃」である。
然るに、
(09)
虎求百獸而食之、得狐。狐曰、子無敢食我也。天帝使我長百獸。今、子食我、是逆天帝命也。子以我爲不信、吾爲子先行。子隨我後觀。百獸之見我、而敢不走乎。
虎、百獣を求めて之を食ひ、狐を得たり。狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ。 天帝我をして百獣に長たらしむ。今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。 子我を以って信ならずと為さば、吾子の為に先行せん。 子、我が後に随ひて観よ。 百獣の我を見て、敢へて走らざらんや。と。
虎は、すべてのけだものをつかまえてこれを食べていたが、(あるとき)狐をつかまえた。(すると)狐は(虎に向って)言った。「あなたはけっしてわたしを食べたりしてはいけない。(そもそも)天の神様は、このわたしを百獣のかしらとしたのです。いまもしもあなたがわたしを食べれば、それは天の神様の命令にそむくことになります。あなたがわたしの(言っている)ことをうそだと思うのなら、(わたしのことばほんとうであることを証明するために)わたしがあなたの先に立って歩いてみましょう。あなたはわたしの後についてきて、よくごらんなさい。すべてのけだものたちは、わたし(の姿)を見れば、必ず(おそれて)逃げ出すにちがいありません。」
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、45頁、1973年、39頁)
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
② 敢〔不(走)〕乎。
④ 不[敢〔不(走)〕]。
に於いて、
②=④ であるならば、
② 敢〔不(走)〕乎。
といふ「反語」は、
④ [〔(走ら)ないことを〕敢へてする。]といふことはない。
といふこと、すなはち、
② 敢へて逃げないといふことはない(逃げるにちがいない)。
といふ、「意味」に、なる必要があって、尚且つ、実際に、その通りである。
然るに、
(01)により、
(11)
「敢」が、「助動詞」ではなく、「副詞」であるならば、
① 敢走。
② 敢不走。
③ 不敢走。
④ 不敢不走。
に対する「訓読」は、
① 敢へて走る。
② 敢へて走らず。
③ 敢へて走らず。
④ 敢へて走らざずんばあらず。
である。
従って、
(11)により、
(12)
「敢」が、「助動詞」ではなく、「副詞」であるならば、
② 敢不走。
③ 不敢走。
の「訓読」は、両方とも、
② 敢へて走らず。
③ 敢へて走らず。
である。
然るに、
(13)
② 敢不走。
③ 不敢走。
の場合は、明らかに、
②=③ ではない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
「敢」が、「助動詞」ではなく、「副詞」であるならば、
② 敢不走。
③ 不敢走。
に於いて、
②=③ でない。
にも拘らず、
② 敢へて走らず。
③ 敢へて走らず。
に於いて、
②=③ ではある。
といふ、ことになる。
(15)
② 敢不走。
といふ「漢文」が、
② 〔(走ら)ないことを〕敢へてする。
といふ「意味」であるならば、
② 敢不走。
といふ「漢文」を、
② 敢へて走らず。
といふ風に、「訓読」しても、
② 走らざること敢へてす。
といふ風に、「訓読」しても、どちらとも、「可」である。
平成29年09月22日、毛利太。
「敢」が、「助動詞」ではなく、「副詞」であるならば、
① 敢走。
② 敢不走。
③ 不敢走。
④ 不敢不走。
に付く「返り点」は、
① 敢走。
② 敢不レ走。
③ 不二敢走一。
④ 不二敢不一レ走。
であって、「括弧」は、
① 敢走。
② 敢不(走)。
③ 不(敢走)。
④ 不〔敢不(走)〕。
である。
(02)
「敢」が、「副詞」ではなく、「助動詞」であるならば、
① 敢走。
② 敢不走。
③ 不敢走。
④ 不敢不走。
に付く「返り点」は、
① 敢レ走。
② 敢レ不レ走。
③ 不レ敢レ走。
④ 不レ敢レ不レ走。
であって、「括弧」は、
① 敢(走)。
② 敢〔不(走)〕。
③ 不〔敢(走)〕。
④ 不[敢〔不(走)〕]。
である。
(03)
① 敢(走)。
② 敢〔不(走)〕。
③ 不〔敢(走)〕。
④ 不[敢〔不(走)〕]。
といふ「漢文」は、
① (走ることを)敢へてする。
② 〔(走ら)ないことを〕敢へてする。
③ 〔(走ることを)敢へてする。〕といふことはない。
④ [〔(走ら)ないことを〕敢へてする。]といふことはない。
といふ風に、「解すること」が、出来る。
従って、
(03)により、
(04)
② 敢〔不(走)〕。 の「否定」は、
④ 不[敢〔不(走)〕]。である。
然るに、
(05)
② 敢〔不(走)〕。
は、「反語」ではないが、
② 敢〔不(走)〕乎。
は、「反語」である。
然るに、
(06)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、45頁、1973年)。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
② 敢〔不(走)〕乎。
④ 不[敢〔不(走)〕]。
に於いて、
②=④ である。
従って、
(03)(07)により、
(08)
② 敢〔不(走)〕乎。
といふ「反語」は、
④ [〔(走ら)ないことを〕敢へてする。]といふことはない。
といふこと、すなはち、
② 敢へて逃げないといふことはない(逃げるにちがいない)。
といふ、「意味」になる。
cf.
「逃走」は、「複語」なので、「走=逃」である。
然るに、
(09)
虎求百獸而食之、得狐。狐曰、子無敢食我也。天帝使我長百獸。今、子食我、是逆天帝命也。子以我爲不信、吾爲子先行。子隨我後觀。百獸之見我、而敢不走乎。
虎、百獣を求めて之を食ひ、狐を得たり。狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ。 天帝我をして百獣に長たらしむ。今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。 子我を以って信ならずと為さば、吾子の為に先行せん。 子、我が後に随ひて観よ。 百獣の我を見て、敢へて走らざらんや。と。
虎は、すべてのけだものをつかまえてこれを食べていたが、(あるとき)狐をつかまえた。(すると)狐は(虎に向って)言った。「あなたはけっしてわたしを食べたりしてはいけない。(そもそも)天の神様は、このわたしを百獣のかしらとしたのです。いまもしもあなたがわたしを食べれば、それは天の神様の命令にそむくことになります。あなたがわたしの(言っている)ことをうそだと思うのなら、(わたしのことばほんとうであることを証明するために)わたしがあなたの先に立って歩いてみましょう。あなたはわたしの後についてきて、よくごらんなさい。すべてのけだものたちは、わたし(の姿)を見れば、必ず(おそれて)逃げ出すにちがいありません。」
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、45頁、1973年、39頁)
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
② 敢〔不(走)〕乎。
④ 不[敢〔不(走)〕]。
に於いて、
②=④ であるならば、
② 敢〔不(走)〕乎。
といふ「反語」は、
④ [〔(走ら)ないことを〕敢へてする。]といふことはない。
といふこと、すなはち、
② 敢へて逃げないといふことはない(逃げるにちがいない)。
といふ、「意味」に、なる必要があって、尚且つ、実際に、その通りである。
然るに、
(01)により、
(11)
「敢」が、「助動詞」ではなく、「副詞」であるならば、
① 敢走。
② 敢不走。
③ 不敢走。
④ 不敢不走。
に対する「訓読」は、
① 敢へて走る。
② 敢へて走らず。
③ 敢へて走らず。
④ 敢へて走らざずんばあらず。
である。
従って、
(11)により、
(12)
「敢」が、「助動詞」ではなく、「副詞」であるならば、
② 敢不走。
③ 不敢走。
の「訓読」は、両方とも、
② 敢へて走らず。
③ 敢へて走らず。
である。
然るに、
(13)
② 敢不走。
③ 不敢走。
の場合は、明らかに、
②=③ ではない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
「敢」が、「助動詞」ではなく、「副詞」であるならば、
② 敢不走。
③ 不敢走。
に於いて、
②=③ でない。
にも拘らず、
② 敢へて走らず。
③ 敢へて走らず。
に於いて、
②=③ ではある。
といふ、ことになる。
(15)
② 敢不走。
といふ「漢文」が、
② 〔(走ら)ないことを〕敢へてする。
といふ「意味」であるならば、
② 敢不走。
といふ「漢文」を、
② 敢へて走らず。
といふ風に、「訓読」しても、
② 走らざること敢へてす。
といふ風に、「訓読」しても、どちらとも、「可」である。
平成29年09月22日、毛利太。
2017年9月17日日曜日
不能仰視。不敢仰視。
(01)
① 不(能仰視)⇒
① (能仰視)不=
① (能く仰視せ)ず。
然るに、
(02)
[副詞]よク
① A能B[読み]AよクBス:Aは主語、Bは用言。[訳]AはBすることができる。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、275頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 不(能仰視)⇒
① (能仰視)不=
① (能く仰視せ)ず=
① (仰視することができ)ない。
に於いて、
① 能 は、「副詞」である。
cf.
よう言はん(関西弁?)。の、
よう は、よく の「ウ音便」。
ん は、ぬ の「撥音便」。
(04)
② 不(敢仰視)⇒
② (敢仰視)不=
② (敢へて仰視せ)ず。
然るに、
(05)
あへて【敢へて】アエテ〔副詞〕
①〔下に打消しの語を伴って〕押し切っては(~しない)。進んでは(~しない)。
(大修館書店、古語林、1997年、51頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
② 不(敢仰視)⇒
② (敢仰視)不=
② (敢へて仰視せ)ず=
② (押し切って、仰視することを)しない。
に於いて、
② 敢 は、「副詞」である。
従って、
(03)(06)により、
(07)
① 不(能仰視)。
② 不(敢仰視)。
に於いて、
① 能 は、「副詞」である。
② 敢 は、「副詞」である。
然るに、
(08)
③ 不〔能(仰視)〕⇒
③ 〔(仰視)能〕不=
③ 〔(仰視する)能は〕ず=
③ 〔(仰視することが)でき〕ない。
然るに、
(09)
A《助動詞に準ずる働きをする場合》
あたフ(自ハ四)
② A不レ能レB [読み]A、Bスル〔コト〕あたハず。:Aは主語、Bは用言の連体形[訳]AはBすることができない。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、276頁改)
従って、
(08)(09)により、
(10)
③ 不〔能(仰視)〕⇒
③ 〔(仰視する)能は〕ず=
③ 〔(仰視することが)でき〕ない。
に於いて、
③ 能(can) は、「助動詞」である。
然るに、
(11)
「敢」は勇敢・果敢の敢で、勇気を出し押し切ってすること。また無謀・無思慮・無礼なことをすること。要するに、しにくいこと、してはいけないことをすることを意味する。英語の dare という語に相当すると考えればよい。→ 三二五、六ページ。
(西田太一郎、漢文の語法、1980年、321頁)
然るに、
(12)
④ 不敢仰視=
④ 不〔dare(仰視)〕⇒
④ 〔(仰視)dare〕不=
④ 〔(仰視することを)勇気をだして、しょうと〕しない。
従って、
(11)(12)により、
(13)
④ 不敢仰視=
④ 不〔敢(仰視)〕⇒
④ 〔(仰視)敢〕不=
④ 〔(仰視することを)勇気をだして、しょうと〕しない。
に於いて、
④ 敢(dare) は、「助動詞」である。
cf.
dare(auxil)have enouth courage or boldness for some act.
(旺文社、シニア英英辞典、1978年、296頁改)
従って、
(10)(13)により、
(14)
③ 不〔能(仰視)〕。
④ 不〔敢(仰視)〕。
に於いて、
③ 能 は、「助動詞」である。
④ 敢 は、「助動詞」である。
従って、
(07)(14)により、
(15)
① 不(能 仰視)。
② 不(敢 仰視)。
③ 不〔能(仰視)〕。
④ 不〔敢(仰視)〕。
に於いて、
① 能 は、「 副詞 」である。
② 敢 は、「 副詞 」である。
③ 能 は、「助動詞」である。
④ 敢 は、「助動詞」である。
然るに、
(16)
② 不(敢 仰視)。
④ 不〔敢(仰視)〕。
に於いて、「訓読の語彙」としては、
② 敢 は、「副詞」であって、
④ 敢 は、「副詞」である。
従って、
(16)により、
(17)
④ 不〔敢(仰視)〕。
⑤ 敢〔不(仰視)〕。
であれば、「意味」としては、
④ 〔(仰視すること)敢へてせ〕ず。
⑤ 〔(仰視せ)ざること〕敢へてす。
であるとしても、
④ 不敢仰視。
⑤ 敢不仰視。
の「訓読の習慣」としては、両方とも、
④ 敢へて仰視せず。
⑤ 敢へて仰視せず。
といふ風に、「読む」ことになる。
然るに、
(18)
④ 〔(仰視することを)勇気をだして、しょうと〕しない。
⑤ 〔(仰視し)ないことを〕勇気をだしてす。
に於いて、
④ (仰視すること) ⇒「勇気」が必要。
⑤ 〔(仰視し)ないこと〕⇒「勇気」が必要。
であるため、
④ 不〔敢(仰視)〕。
⑤ 敢〔不(仰視)〕。
に於いて、「意味」としては、
④=⑤ ではない。
従って、
(17)(18)により、
(19)
④ 不二敢仰視一。
⑤ 敢不二仰視一。
といふ「返り点」により、「訓読」としては、両方とも、
④ 敢へて仰視せず。
⑤ 敢へて仰視せず。
といふ風に、「読む」ものの、
にも拘らず、「意味」としては、
④=⑤ ではない。
従って、
(19)により、
(20)
「訓読」の「習慣」として、
④ 不敢仰視=敢へて仰視せず。
⑤ 敢不仰視=敢へて仰視せず。
といふ風に、「読む」にせよ、
「目読」としては、
④ 不〔敢(仰視)〕=仰視すること敢へてせず。
⑤ 敢〔不(仰視)〕=仰視せざること敢へてす。
であるといふことを、「忘れてはならない」。
(21)
漢文の原則として上の字は下の字にのみ影響するから「敢」は「仰視」の字のみに影響する。蘇秦の昆弟妻嫂の場合、蘇秦を仰視することは勇気がいることだから「不敢仰視」はそれを否定して。つまり「勇気を出して仰視することをしない」「正視するだけの勇気」がないことである。
(西田太一郎、漢文の語法、1980年、326頁)
然るに、
(22)
上の字は下の字にのみ影響するから「敢」は「仰視」の字のみに影響する。
に於ける、「影響する」といふ「意味」が、私には、「分からない」。
cf.
~(P&Q)=~P∨~Q
であるため、
~は、(P&Q)に「影響する」。
然るに、
(23)
「勇気を出して仰視することをしない」。
といふ「言ひ方」は、
「勇気を出して、仰視することをしない」。
「勇気を出して仰視することを、しない」。
といふ、「二通りの解釈」が、「可能」である。
従って、
(24)
① 勇気を出して(仰視することをしない)。
② (勇気を出して仰視することを)しない。
といふ、「二通りの解釈」が、「可能」である。
然るに、
(25)
① (蘇秦を、仰視することをしない)⇒「勇気は不要」。
② (蘇秦を、仰視することを、する)⇒「勇気が必要」。
従って、
(23)(24)により、
(26)
「勇気を出して仰視することをしない」。
といふ「言ひ方」は、
① 勇気を出して(仰視することをしない)。
ではなく、
② (勇気を出して仰視することを)しない。
といふ「意味」に、違ひない。
然るに、
(27)
② (勇気を出して仰視することを)しない。
といふのは、あるいは、
④ (仰視することを、勇気を出してすることを)しない。
といふこと、すなはち、
④ 〔(仰視することを)勇気を出してすることを〕しない。
といふ「意味」であるのかも、知れない。
然るに、
(28)
② 不敢仰視=
④ 不〔敢(仰視)〕⇒
④ 〔(仰視)敢〕不=
④ 〔(仰視することを)勇気を出してすることを〕しない。
従って、
(21)~(28)により、
(29)
西田先生の場合も、
④ 不敢仰視。
といふ「漢文」の「補足構造」を、
④ 不〔敢(仰視)〕。
といふ風に、捉へてゐた。
といふ風に、想はれる。
(30)
④ 不〔敢(仰視)〕。
であれば、
④ 敢 は、(仰視)に「影響」するかどうかは分からないものの、
④ 敢 は、(仰視)に、「その意味」が、「届いてゐる」。
(31)
④ 不〔敢(仰視)〕。
であれば、
④ 敢(仰視)。
の「否定」であるが、
④ 不 敢(仰視)。
であれば、
④ 敢(仰視)。
の「否定」ではない。
平成29年09月17日、毛利太。
① 不(能仰視)⇒
① (能仰視)不=
① (能く仰視せ)ず。
然るに、
(02)
[副詞]よク
① A能B[読み]AよクBス:Aは主語、Bは用言。[訳]AはBすることができる。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、275頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 不(能仰視)⇒
① (能仰視)不=
① (能く仰視せ)ず=
① (仰視することができ)ない。
に於いて、
① 能 は、「副詞」である。
cf.
よう言はん(関西弁?)。の、
よう は、よく の「ウ音便」。
ん は、ぬ の「撥音便」。
(04)
② 不(敢仰視)⇒
② (敢仰視)不=
② (敢へて仰視せ)ず。
然るに、
(05)
あへて【敢へて】アエテ〔副詞〕
①〔下に打消しの語を伴って〕押し切っては(~しない)。進んでは(~しない)。
(大修館書店、古語林、1997年、51頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
② 不(敢仰視)⇒
② (敢仰視)不=
② (敢へて仰視せ)ず=
② (押し切って、仰視することを)しない。
に於いて、
② 敢 は、「副詞」である。
従って、
(03)(06)により、
(07)
① 不(能仰視)。
② 不(敢仰視)。
に於いて、
① 能 は、「副詞」である。
② 敢 は、「副詞」である。
然るに、
(08)
③ 不〔能(仰視)〕⇒
③ 〔(仰視)能〕不=
③ 〔(仰視する)能は〕ず=
③ 〔(仰視することが)でき〕ない。
然るに、
(09)
A《助動詞に準ずる働きをする場合》
あたフ(自ハ四)
② A不レ能レB [読み]A、Bスル〔コト〕あたハず。:Aは主語、Bは用言の連体形[訳]AはBすることができない。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、276頁改)
従って、
(08)(09)により、
(10)
③ 不〔能(仰視)〕⇒
③ 〔(仰視する)能は〕ず=
③ 〔(仰視することが)でき〕ない。
に於いて、
③ 能(can) は、「助動詞」である。
然るに、
(11)
「敢」は勇敢・果敢の敢で、勇気を出し押し切ってすること。また無謀・無思慮・無礼なことをすること。要するに、しにくいこと、してはいけないことをすることを意味する。英語の dare という語に相当すると考えればよい。→ 三二五、六ページ。
(西田太一郎、漢文の語法、1980年、321頁)
然るに、
(12)
④ 不敢仰視=
④ 不〔dare(仰視)〕⇒
④ 〔(仰視)dare〕不=
④ 〔(仰視することを)勇気をだして、しょうと〕しない。
従って、
(11)(12)により、
(13)
④ 不敢仰視=
④ 不〔敢(仰視)〕⇒
④ 〔(仰視)敢〕不=
④ 〔(仰視することを)勇気をだして、しょうと〕しない。
に於いて、
④ 敢(dare) は、「助動詞」である。
cf.
dare(auxil)have enouth courage or boldness for some act.
(旺文社、シニア英英辞典、1978年、296頁改)
従って、
(10)(13)により、
(14)
③ 不〔能(仰視)〕。
④ 不〔敢(仰視)〕。
に於いて、
③ 能 は、「助動詞」である。
④ 敢 は、「助動詞」である。
従って、
(07)(14)により、
(15)
① 不(能 仰視)。
② 不(敢 仰視)。
③ 不〔能(仰視)〕。
④ 不〔敢(仰視)〕。
に於いて、
① 能 は、「 副詞 」である。
② 敢 は、「 副詞 」である。
③ 能 は、「助動詞」である。
④ 敢 は、「助動詞」である。
然るに、
(16)
② 不(敢 仰視)。
④ 不〔敢(仰視)〕。
に於いて、「訓読の語彙」としては、
② 敢 は、「副詞」であって、
④ 敢 は、「副詞」である。
従って、
(16)により、
(17)
④ 不〔敢(仰視)〕。
⑤ 敢〔不(仰視)〕。
であれば、「意味」としては、
④ 〔(仰視すること)敢へてせ〕ず。
⑤ 〔(仰視せ)ざること〕敢へてす。
であるとしても、
④ 不敢仰視。
⑤ 敢不仰視。
の「訓読の習慣」としては、両方とも、
④ 敢へて仰視せず。
⑤ 敢へて仰視せず。
といふ風に、「読む」ことになる。
然るに、
(18)
④ 〔(仰視することを)勇気をだして、しょうと〕しない。
⑤ 〔(仰視し)ないことを〕勇気をだしてす。
に於いて、
④ (仰視すること) ⇒「勇気」が必要。
⑤ 〔(仰視し)ないこと〕⇒「勇気」が必要。
であるため、
④ 不〔敢(仰視)〕。
⑤ 敢〔不(仰視)〕。
に於いて、「意味」としては、
④=⑤ ではない。
従って、
(17)(18)により、
(19)
④ 不二敢仰視一。
⑤ 敢不二仰視一。
といふ「返り点」により、「訓読」としては、両方とも、
④ 敢へて仰視せず。
⑤ 敢へて仰視せず。
といふ風に、「読む」ものの、
にも拘らず、「意味」としては、
④=⑤ ではない。
従って、
(19)により、
(20)
「訓読」の「習慣」として、
④ 不敢仰視=敢へて仰視せず。
⑤ 敢不仰視=敢へて仰視せず。
といふ風に、「読む」にせよ、
「目読」としては、
④ 不〔敢(仰視)〕=仰視すること敢へてせず。
⑤ 敢〔不(仰視)〕=仰視せざること敢へてす。
であるといふことを、「忘れてはならない」。
(21)
漢文の原則として上の字は下の字にのみ影響するから「敢」は「仰視」の字のみに影響する。蘇秦の昆弟妻嫂の場合、蘇秦を仰視することは勇気がいることだから「不敢仰視」はそれを否定して。つまり「勇気を出して仰視することをしない」「正視するだけの勇気」がないことである。
(西田太一郎、漢文の語法、1980年、326頁)
然るに、
(22)
上の字は下の字にのみ影響するから「敢」は「仰視」の字のみに影響する。
に於ける、「影響する」といふ「意味」が、私には、「分からない」。
cf.
~(P&Q)=~P∨~Q
であるため、
~は、(P&Q)に「影響する」。
然るに、
(23)
「勇気を出して仰視することをしない」。
といふ「言ひ方」は、
「勇気を出して、仰視することをしない」。
「勇気を出して仰視することを、しない」。
といふ、「二通りの解釈」が、「可能」である。
従って、
(24)
① 勇気を出して(仰視することをしない)。
② (勇気を出して仰視することを)しない。
といふ、「二通りの解釈」が、「可能」である。
然るに、
(25)
① (蘇秦を、仰視することをしない)⇒「勇気は不要」。
② (蘇秦を、仰視することを、する)⇒「勇気が必要」。
従って、
(23)(24)により、
(26)
「勇気を出して仰視することをしない」。
といふ「言ひ方」は、
① 勇気を出して(仰視することをしない)。
ではなく、
② (勇気を出して仰視することを)しない。
といふ「意味」に、違ひない。
然るに、
(27)
② (勇気を出して仰視することを)しない。
といふのは、あるいは、
④ (仰視することを、勇気を出してすることを)しない。
といふこと、すなはち、
④ 〔(仰視することを)勇気を出してすることを〕しない。
といふ「意味」であるのかも、知れない。
然るに、
(28)
② 不敢仰視=
④ 不〔敢(仰視)〕⇒
④ 〔(仰視)敢〕不=
④ 〔(仰視することを)勇気を出してすることを〕しない。
従って、
(21)~(28)により、
(29)
西田先生の場合も、
④ 不敢仰視。
といふ「漢文」の「補足構造」を、
④ 不〔敢(仰視)〕。
といふ風に、捉へてゐた。
といふ風に、想はれる。
(30)
④ 不〔敢(仰視)〕。
であれば、
④ 敢 は、(仰視)に「影響」するかどうかは分からないものの、
④ 敢 は、(仰視)に、「その意味」が、「届いてゐる」。
(31)
④ 不〔敢(仰視)〕。
であれば、
④ 敢(仰視)。
の「否定」であるが、
④ 不 敢(仰視)。
であれば、
④ 敢(仰視)。
の「否定」ではない。
平成29年09月17日、毛利太。
2017年9月13日水曜日
「論理式」としての「漢文」(Ⅱb)。
(01)
1 (1)~∃x[親(x)&~∃y〔子(yx)&愛(xy)〕] A
2 (2) ~[親(a)&~∃y〔子(ya)&愛(ay)〕] A
3 (3) ~[親(a)& ~〔子(ab)&愛(ab)〕] A
3 (4) ~親(a)∨ ~~〔子(ab)&愛(ab)〕 3ド・モルガンの法則
3 (5) ~親(a)∨ 〔子(ab)&愛(ab)〕 4DN
3 (6) 親(a)→ 〔子(ab)&愛(ab)〕 5含意の定義
3 (7) 親(a)→ ∃y〔子(ay)&愛(ay)〕 6EI
2 (8) 親(a)→ ∃y〔子(ay)&愛(ay)〕 237EE
1 (9) 親(a)→ ∃y〔子(ay)&愛(ay)〕 128EE
1 (ア) ∀x[親(x)→ ∃y〔子(xy)&愛(xy)〕] 9UI
(02)
1 (1) ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕] A
1 (2) 親(a)→ ∃y〔子(ya)&愛(ay)〕 1UE
3 (3) 親(a)→ 〔子(ba)&愛(ab)〕 A
4 (4) ∃x[親(x)&~∃y〔子(yx)&愛(xy)〕] A
5 (5) 親(a)&~∃y〔子(ya)&愛(ay)〕 A
6 (6) 親(a)& ~〔子(ba)&愛(ab)〕 A
6 (7) 親(a) 6&E
6 (8) ~〔子(ba)&愛(ab)〕 6&E
36(9) 〔子(ba)&愛(ab)〕 37MPP
36(ア) ~〔子(ba)&愛(ab)〕&
〔子(ba)&愛(ab)〕 89&I
3 (イ) ~[親(a)& ~〔子(ba)&愛(ab)〕] 6アRAA
3 (ウ) ~[親(x)&~∃y〔子(ya)&愛(ay)〕] イEI
3 (エ)~∃x[親(x)&~∃y〔子(yx)&愛(xy)〕] ウEI
1 (オ)~∃x[親(x)&~∃y〔子(yx)&愛(xy)〕] 23エEE
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ~∃x[親(x)&~∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
1(1)∃y〔愛(xy)&子(yx)〕 A
2(2) 愛(xb)&子(bx) A
2(3) 愛(xb) 2&E
2(4) 子(bx) 2&E
2(5) 子(yb)&愛(xb) 34&I
2(6)∃y〔愛(xy)&子(yx)〕 5EI
1(7)∃y〔愛(xy)&子(yx)〕 126EE
従って、
(03)(04)により、
(05)
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
に於いて、
①=② である。
然るに、
(06)
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
に於いて、
① ~∃x[ ]⇒〔 〕 ~∃x
① 親( )⇒( )親
① ~∃x〔 〕⇒〔 〕 ~∃x
① 愛( )⇒( )愛
① 子( )⇒( )子
といふ「移動」を行ふと、
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]⇒
① [(x)親&〔(xy)愛&(yx)子〕~∃y]~∃x=
① [(xは)親であって、尚且つ〔(xが)愛する、子である所の(yが)〕存在しないといふ]そのやうなxは存在しない。
といふ風に、「読む」ことになる。
(07)
② ∀x[親(x)→∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]。
に於いて、
② 親( )⇒( )親
② 子( )⇒( )子
② 愛( )⇒( )愛
といふ「移動」を行ふと、
② ∀x[親(x)→∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]⇒
② ∀x[(x)親→∃y〔(yx)子&(xy)愛〕]=
② 全てのxに於いて[(xが)親ならば、或る〔(yはxの)子であって、尚且つ(xはyを)愛す〕]。
といふ風に、「読む」ことになる。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
① [(xは)親であって、尚且つ〔(xが)愛する、子である所の(yが)〕存在しないといふ]そのやうなxは存在しない。
② 全てのxに於いて[(xが)親ならば、或る〔(yはxの)子であって、尚且つ(xはyを)愛す〕]。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(09)
② 全てのxに於いて[(xが)親ならば、或る〔(yはxの)子であって、尚且つ(xはyを)愛す〕]。
といふことは、要するに、
② 親は皆、自分の子を愛す。
といふ「意味」である。
然るに、
(10)
① 無親而不愛其子=
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
に於いて、
① 無[ ]⇒[ ]無
① 不〔 〕⇒〔 〕不
① 愛( )⇒( )愛
といふ「移動」を行ふと、
① 無[親而不〔愛(其子)〕]⇒
① [親而〔(其子)愛〕不]無=
① [親にして〔(其の子を)愛せ〕ざるは]無し=
① [親であって〔(自分の子供を)愛さ〕ない者は]ゐない。
といふ「訓読」が、成立する。
然るに、
(11)
① [親であって〔(自分の子供を)愛さ〕ない者は]ゐない。
といふことは、要するに、
① 親は皆、自分の子を愛す。
といふ「意味」である。
従って、
(05)~(11)により、
(12)
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
に於いて、
①=①=② である。
然るに、
(13)
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
といふ「人工言語(数学語)」は、「何処の国の言葉」でもない。
cf.
② 全てのxに於いて、xが親 であるならば、或るyは、xの子供であって、尚且つ、xはyを愛す。
② 全てのxについて、xが合成数であるならば、或るyは、xの約数であって、尚且つ、1<y<x。
然るに、
(14)
中国の口語文(白話文)も、漢文とおなじように漢字を使っていますが、もともと二つのちがった体系で、単語も文法もたいへんちがうのですから、いっしょにあつかうことはできません。漢文と中国語は別のものです(魚返善雄、漢文入門、1966年、17頁)。しからば、口語はAxByであるものを、文章語はABとつづめても、これはこれで完全な文となり得る。かくして記載語のABは、はじめから口語のAxByとは別のものとして発生し、存在したと思われる。かくして記載語ABが、口語AxByよりも簡潔な形であると意識されたとき、記載語は、簡潔な上にも簡潔な方向へと、みずからをねりあげていった(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、59頁・60)。中国語の文章は文言と白話に大別されるが、漢文とは文章語の文言のことであり、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは呼ばない。通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない(ウィキペディア)。
従って、
(14)により、
(15)
「白話(口語)」は「中国語」であるが、「漢文(文言)」は、「中国語」ではないため、「漢文」は、「何処の国の言葉」でもない。
従って、
(13)(15)により、
(16)
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
① ~∃[親&不〔愛(其子〕]。
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
に於いて、
①=①=①=② である所の、
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
といふ「人工言語(漢文)」は、「何処の国の言葉」でもない。
然るに、
(17)
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
といふ「論理式」を、
② 全てのxに於いて[(xが)親ならば、或る〔(yはxの)子であって、尚且つ(xはyを)愛す〕]。
といふ風に、「日本語」で、「日本語の語順」で「読んだ」としても、「誰からも、クレーム」は来ない。
然るに、
(18)
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
従って、
(17)(18)により、
(18)
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
① ~∃[親&不〔愛(其子〕]。
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
に於いて、
①=①=①=② である所の、
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
といふ「漢文」は、「何処の国の言葉」でもない、「人工言語」であるとするならば、「どこの国に外国語(漢文)を母国語(日本語)の語順で読む国があろうか」といふ「批判」は、当らない。
平成29年09月13日、毛利太。
1 (1)~∃x[親(x)&~∃y〔子(yx)&愛(xy)〕] A
2 (2) ~[親(a)&~∃y〔子(ya)&愛(ay)〕] A
3 (3) ~[親(a)& ~〔子(ab)&愛(ab)〕] A
3 (4) ~親(a)∨ ~~〔子(ab)&愛(ab)〕 3ド・モルガンの法則
3 (5) ~親(a)∨ 〔子(ab)&愛(ab)〕 4DN
3 (6) 親(a)→ 〔子(ab)&愛(ab)〕 5含意の定義
3 (7) 親(a)→ ∃y〔子(ay)&愛(ay)〕 6EI
2 (8) 親(a)→ ∃y〔子(ay)&愛(ay)〕 237EE
1 (9) 親(a)→ ∃y〔子(ay)&愛(ay)〕 128EE
1 (ア) ∀x[親(x)→ ∃y〔子(xy)&愛(xy)〕] 9UI
(02)
1 (1) ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕] A
1 (2) 親(a)→ ∃y〔子(ya)&愛(ay)〕 1UE
3 (3) 親(a)→ 〔子(ba)&愛(ab)〕 A
4 (4) ∃x[親(x)&~∃y〔子(yx)&愛(xy)〕] A
5 (5) 親(a)&~∃y〔子(ya)&愛(ay)〕 A
6 (6) 親(a)& ~〔子(ba)&愛(ab)〕 A
6 (7) 親(a) 6&E
6 (8) ~〔子(ba)&愛(ab)〕 6&E
36(9) 〔子(ba)&愛(ab)〕 37MPP
36(ア) ~〔子(ba)&愛(ab)〕&
〔子(ba)&愛(ab)〕 89&I
3 (イ) ~[親(a)& ~〔子(ba)&愛(ab)〕] 6アRAA
3 (ウ) ~[親(x)&~∃y〔子(ya)&愛(ay)〕] イEI
3 (エ)~∃x[親(x)&~∃y〔子(yx)&愛(xy)〕] ウEI
1 (オ)~∃x[親(x)&~∃y〔子(yx)&愛(xy)〕] 23エEE
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ~∃x[親(x)&~∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
1(1)∃y〔愛(xy)&子(yx)〕 A
2(2) 愛(xb)&子(bx) A
2(3) 愛(xb) 2&E
2(4) 子(bx) 2&E
2(5) 子(yb)&愛(xb) 34&I
2(6)∃y〔愛(xy)&子(yx)〕 5EI
1(7)∃y〔愛(xy)&子(yx)〕 126EE
従って、
(03)(04)により、
(05)
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
に於いて、
①=② である。
然るに、
(06)
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
に於いて、
① ~∃x[ ]⇒〔 〕 ~∃x
① 親( )⇒( )親
① ~∃x〔 〕⇒〔 〕 ~∃x
① 愛( )⇒( )愛
① 子( )⇒( )子
といふ「移動」を行ふと、
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]⇒
① [(x)親&〔(xy)愛&(yx)子〕~∃y]~∃x=
① [(xは)親であって、尚且つ〔(xが)愛する、子である所の(yが)〕存在しないといふ]そのやうなxは存在しない。
といふ風に、「読む」ことになる。
(07)
② ∀x[親(x)→∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]。
に於いて、
② 親( )⇒( )親
② 子( )⇒( )子
② 愛( )⇒( )愛
といふ「移動」を行ふと、
② ∀x[親(x)→∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]⇒
② ∀x[(x)親→∃y〔(yx)子&(xy)愛〕]=
② 全てのxに於いて[(xが)親ならば、或る〔(yはxの)子であって、尚且つ(xはyを)愛す〕]。
といふ風に、「読む」ことになる。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
① [(xは)親であって、尚且つ〔(xが)愛する、子である所の(yが)〕存在しないといふ]そのやうなxは存在しない。
② 全てのxに於いて[(xが)親ならば、或る〔(yはxの)子であって、尚且つ(xはyを)愛す〕]。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(09)
② 全てのxに於いて[(xが)親ならば、或る〔(yはxの)子であって、尚且つ(xはyを)愛す〕]。
といふことは、要するに、
② 親は皆、自分の子を愛す。
といふ「意味」である。
然るに、
(10)
① 無親而不愛其子=
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
に於いて、
① 無[ ]⇒[ ]無
① 不〔 〕⇒〔 〕不
① 愛( )⇒( )愛
といふ「移動」を行ふと、
① 無[親而不〔愛(其子)〕]⇒
① [親而〔(其子)愛〕不]無=
① [親にして〔(其の子を)愛せ〕ざるは]無し=
① [親であって〔(自分の子供を)愛さ〕ない者は]ゐない。
といふ「訓読」が、成立する。
然るに、
(11)
① [親であって〔(自分の子供を)愛さ〕ない者は]ゐない。
といふことは、要するに、
① 親は皆、自分の子を愛す。
といふ「意味」である。
従って、
(05)~(11)により、
(12)
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
に於いて、
①=①=② である。
然るに、
(13)
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
といふ「人工言語(数学語)」は、「何処の国の言葉」でもない。
cf.
② 全てのxに於いて、xが親 であるならば、或るyは、xの子供であって、尚且つ、xはyを愛す。
② 全てのxについて、xが合成数であるならば、或るyは、xの約数であって、尚且つ、1<y<x。
然るに、
(14)
中国の口語文(白話文)も、漢文とおなじように漢字を使っていますが、もともと二つのちがった体系で、単語も文法もたいへんちがうのですから、いっしょにあつかうことはできません。漢文と中国語は別のものです(魚返善雄、漢文入門、1966年、17頁)。しからば、口語はAxByであるものを、文章語はABとつづめても、これはこれで完全な文となり得る。かくして記載語のABは、はじめから口語のAxByとは別のものとして発生し、存在したと思われる。かくして記載語ABが、口語AxByよりも簡潔な形であると意識されたとき、記載語は、簡潔な上にも簡潔な方向へと、みずからをねりあげていった(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、59頁・60)。中国語の文章は文言と白話に大別されるが、漢文とは文章語の文言のことであり、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは呼ばない。通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない(ウィキペディア)。
従って、
(14)により、
(15)
「白話(口語)」は「中国語」であるが、「漢文(文言)」は、「中国語」ではないため、「漢文」は、「何処の国の言葉」でもない。
従って、
(13)(15)により、
(16)
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
① ~∃[親&不〔愛(其子〕]。
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
に於いて、
①=①=①=② である所の、
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
といふ「人工言語(漢文)」は、「何処の国の言葉」でもない。
然るに、
(17)
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
といふ「論理式」を、
② 全てのxに於いて[(xが)親ならば、或る〔(yはxの)子であって、尚且つ(xはyを)愛す〕]。
といふ風に、「日本語」で、「日本語の語順」で「読んだ」としても、「誰からも、クレーム」は来ない。
然るに、
(18)
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
従って、
(17)(18)により、
(18)
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
① ~∃[親&不〔愛(其子〕]。
① ~∃x[親(x)&~∃y〔愛(xy)&子(yx)〕]
② ∀x[親(x)→ ∃y〔子(yx)&愛(xy)〕]
に於いて、
①=①=①=② である所の、
① 無[親而不〔愛(其子〕]。
といふ「漢文」は、「何処の国の言葉」でもない、「人工言語」であるとするならば、「どこの国に外国語(漢文)を母国語(日本語)の語順で読む国があろうか」といふ「批判」は、当らない。
平成29年09月13日、毛利太。
2017年9月6日水曜日
「括弧」が有って、次に「返り点」が有る。
(01)
日本語はテニオハを伴わねば文を成さないの対して、中国語は、「助字」を伴わなくとても、文を成し得る。あってもなくともよい。
たとえば、
学んで之を習う、人知らずして慍まず。
は、必ずしも、
學而時習之、
人不知而不慍、
と表現される必要はない。かりに而を省略して、
學時習之、
人不知不慍、
であったとしても、文を成し得る。
(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、47・48頁)。
従って、
(01)により、
(02)
① 無人不知(人にして知らざるは無し)。
といふ「漢文」は、
① 無人而不知(人にして知らざるは無し)。
といふ風に、「書くこと」が出来る。
然るに、
(03)
① 而・・・同時・並行または連続・継起の関係を表す接続詞として機能する。
・順接となる。→「て」* 英語〈and〉
(古田島洋介・湯城吉信、漢文訓読入門、2011年、27頁)
従って、
(03)により、
(04)
① 無人而不知(人にして知らざるは無し)。
といふ「漢文」は、
① 無人&不知(人にして知らざるは無し)。
といふ風に、「書くこと」が出来る。
然るに、
(05)
【無】[意味]② 否定詞として、あとに続く語を打ち消す。
【不】[一]否定の助字。
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、96・514頁)
然るに、
(06)
任意の表述の否定は、その表述を’~( )’という空所にいれて書くことにしよう。
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 無人&不知(人にして知らざるは無し)。
といふ「それ」は、
① ~〔人&~(知)〕
といふ「論理式」に、「相当」する。
然るに、
(08)
1 (1)~〔人&~(知)〕 A
2 (2) 人 A
3 (3) ~(知) A
23 (4) 人&~(知) 23&I
123(5)~〔人&~(知)〕&〔人&~(知)〕 14&I
12 (6) ~~(知) 35RAA
12 (7) 知 DN
1 (8) 人 → 知 27CP
(9)~〔人&~(知)〕→(人 → 知) 18CP
(09)
1 (1) 人 → 知 A
2 (2) 人&~(知) A
2 (3) 人 2&E
12(4) 知 13MPP
2 (5) ~(知) 2&E
12(6) 知&~(知) 45&I
1 (7)~〔人&~(知)〕 26RAA
(8)(人 → 知)→(~〔人&~(知)〕 17CP
従って、
(08)(09)により、
(10)
① ~〔人&~(知)〕
② 人 → 知
に於いて、
①=② である。
然るに、
(11)
② 人則知之。
といふ「漢文」であれば、
① 人 → 知
といふ「論理式」に、「相当」する。
従って、
(04)~(11)により、
(12)
① 無人而不知。
① ~〔人&~(知)〕
② 人則知之。
② 人 → 知
に於いて、
①=② である。
然るに、
(13)
① 無人而不知(人にして知らざるは無し)。
② 人則知之(人は、則ち、之を知る)。
といふ「漢文」は、
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
といふ「日本語」に、「翻訳」出来る。
然るに、
(14)
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
に於いて、明らかに、
①=② である。
従って、
(10)~(14)により、
(15)
① 無人而不知。
② 人則知之。
① ~〔人&~(知)〕
② 人 → 知
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
といふ「六つ」は、「互いに等しい」。
然るに、
(16)
① ~〔人&~(知)〕
② 人 → 知
に於いて、
①=② である。
とする所の、「命題計算」は、「自然演繹」である。
然るに、
(17)
歴史も文化も価値観も違うのに、同じ「推論規則」を使うのは、そもそも人間の脳に先天的にインプット(ブレインストール)されているもの
だからに違いないでしょう、自然演繹は、そういう人類に共通の推論方法を、できるだけ操作しやすいように形式化したものということができ
ます。私たちの「認識」そのもの、ということです。
(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、139頁)
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
といふ「意味」である所の、
① 無人而不知。
といふ「漢文」は、
① ~〔人&~(知)〕
といふ「論理式」として、「人間の脳に先天的にインプット(ブレインストール)されている。」といふ風に、見なすことが、出来る。
従って、
(18)により、
(19)
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
といふ「意味」である所の、
① 無人而不知。
といふ「漢文」には、
① 無〔人而不(知)〕。
① ~〔人&~(知)〕。
といふ「括弧」が、無ければならない。
然るに、
(20)
① 無人而不知。
といふ「漢文」が、
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
といふ「意味」で、ないのであれば、
① 無人而不知。
といふ「漢文」に対して、固より、
① 無二人而不一レ知。
といふ「返り点」を、付けることは、出来ない。
従って、
(19)(20)により、
(21)
① 無二人而不一レ知。
といふ「返り点」を付ける「前から」、
① 無人而不知。
といふ「漢文」には、
① 無〔人而不(知)〕。
といふ「括弧」が、無ければならない。
従って、
(21)により、
(22)
① 無人而不知。
といふ「漢文」に、
① 無〔人而不(知)〕。
といふ「括弧」が有って、然る後に、
① 無二人而不一レ知。
といふ「返り点」が、「付く」ことになる。
平成29年09月06日、毛利太。
日本語はテニオハを伴わねば文を成さないの対して、中国語は、「助字」を伴わなくとても、文を成し得る。あってもなくともよい。
たとえば、
学んで之を習う、人知らずして慍まず。
は、必ずしも、
學而時習之、
人不知而不慍、
と表現される必要はない。かりに而を省略して、
學時習之、
人不知不慍、
であったとしても、文を成し得る。
(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、47・48頁)。
従って、
(01)により、
(02)
① 無人不知(人にして知らざるは無し)。
といふ「漢文」は、
① 無人而不知(人にして知らざるは無し)。
といふ風に、「書くこと」が出来る。
然るに、
(03)
① 而・・・同時・並行または連続・継起の関係を表す接続詞として機能する。
・順接となる。→「て」* 英語〈and〉
(古田島洋介・湯城吉信、漢文訓読入門、2011年、27頁)
従って、
(03)により、
(04)
① 無人而不知(人にして知らざるは無し)。
といふ「漢文」は、
① 無人&不知(人にして知らざるは無し)。
といふ風に、「書くこと」が出来る。
然るに、
(05)
【無】[意味]② 否定詞として、あとに続く語を打ち消す。
【不】[一]否定の助字。
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、96・514頁)
然るに、
(06)
任意の表述の否定は、その表述を’~( )’という空所にいれて書くことにしよう。
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 無人&不知(人にして知らざるは無し)。
といふ「それ」は、
① ~〔人&~(知)〕
といふ「論理式」に、「相当」する。
然るに、
(08)
1 (1)~〔人&~(知)〕 A
2 (2) 人 A
3 (3) ~(知) A
23 (4) 人&~(知) 23&I
123(5)~〔人&~(知)〕&〔人&~(知)〕 14&I
12 (6) ~~(知) 35RAA
12 (7) 知 DN
1 (8) 人 → 知 27CP
(9)~〔人&~(知)〕→(人 → 知) 18CP
(09)
1 (1) 人 → 知 A
2 (2) 人&~(知) A
2 (3) 人 2&E
12(4) 知 13MPP
2 (5) ~(知) 2&E
12(6) 知&~(知) 45&I
1 (7)~〔人&~(知)〕 26RAA
(8)(人 → 知)→(~〔人&~(知)〕 17CP
従って、
(08)(09)により、
(10)
① ~〔人&~(知)〕
② 人 → 知
に於いて、
①=② である。
然るに、
(11)
② 人則知之。
といふ「漢文」であれば、
① 人 → 知
といふ「論理式」に、「相当」する。
従って、
(04)~(11)により、
(12)
① 無人而不知。
① ~〔人&~(知)〕
② 人則知之。
② 人 → 知
に於いて、
①=② である。
然るに、
(13)
① 無人而不知(人にして知らざるは無し)。
② 人則知之(人は、則ち、之を知る)。
といふ「漢文」は、
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
といふ「日本語」に、「翻訳」出来る。
然るに、
(14)
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
に於いて、明らかに、
①=② である。
従って、
(10)~(14)により、
(15)
① 無人而不知。
② 人則知之。
① ~〔人&~(知)〕
② 人 → 知
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
といふ「六つ」は、「互いに等しい」。
然るに、
(16)
① ~〔人&~(知)〕
② 人 → 知
に於いて、
①=② である。
とする所の、「命題計算」は、「自然演繹」である。
然るに、
(17)
歴史も文化も価値観も違うのに、同じ「推論規則」を使うのは、そもそも人間の脳に先天的にインプット(ブレインストール)されているもの
だからに違いないでしょう、自然演繹は、そういう人類に共通の推論方法を、できるだけ操作しやすいように形式化したものということができ
ます。私たちの「認識」そのもの、ということです。
(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、139頁)
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
といふ「意味」である所の、
① 無人而不知。
といふ「漢文」は、
① ~〔人&~(知)〕
といふ「論理式」として、「人間の脳に先天的にインプット(ブレインストール)されている。」といふ風に、見なすことが、出来る。
従って、
(18)により、
(19)
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
といふ「意味」である所の、
① 無人而不知。
といふ「漢文」には、
① 無〔人而不(知)〕。
① ~〔人&~(知)〕。
といふ「括弧」が、無ければならない。
然るに、
(20)
① 無人而不知。
といふ「漢文」が、
① 人であって知らない者はゐない。
② 人であれば誰でも知ってゐる。
といふ「意味」で、ないのであれば、
① 無人而不知。
といふ「漢文」に対して、固より、
① 無二人而不一レ知。
といふ「返り点」を、付けることは、出来ない。
従って、
(19)(20)により、
(21)
① 無二人而不一レ知。
といふ「返り点」を付ける「前から」、
① 無人而不知。
といふ「漢文」には、
① 無〔人而不(知)〕。
といふ「括弧」が、無ければならない。
従って、
(21)により、
(22)
① 無人而不知。
といふ「漢文」に、
① 無〔人而不(知)〕。
といふ「括弧」が有って、然る後に、
① 無二人而不一レ知。
といふ「返り点」が、「付く」ことになる。
平成29年09月06日、毛利太。
2017年9月4日月曜日
「括弧」が無ければ、「返り点」も無い。
(01)
① 無人 ⇔ 人、 なし。
② 不立 ⇔ 立た、ない。
に於いて、「左辺」の、
① 無人
② 不立
は、「漢文の語順」であって、
① 無人 ⇔ 人、 なし。
② 不立 ⇔ 立た、ない。
に於いて、「右辺」の、
① 人、 なし。
② 立た、ない。
は、「日本語の語順」である。
従って、
(01)により、
(02)
① 無# ⇔ #無
② 不# ⇔ #不
に於いて、「左辺」は、「漢文の語順」であって、「右辺」は、「日本語の語順」である。
従って、
(03)
① 無(人)不(立)
に於いて、
① 無( )⇒( )無
① 不( )⇒( )不
といふ「移動」を行ふと、
① 無(人)不(立)⇒
① (人)無(立)不=
① (人)無くんば(立た)ず。
といふ「日本語の語順」が、成立し、
(04)
② 無〔人不(立)〕
に於いて、
② 無〔 〕⇒〔 〕無
② 不( )⇒( )不
といふ「移動」を行ふと、
② 無〔人不(立)〕⇒
② 〔人(立)不〕無=
② 〔人にして(立た)不るは〕無し。
といふ「日本語の語順」が、成立する。
然るに、
(05)
例へば、
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」は、それぞれ、
③ 信無くんば立たず(論語、顔淵)。
④ 物として長ぜざるは無し(孟子、告子上)。
といふ風に、「訓読」される。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
③ 無(信)不(立)。
④ 無〔物不(長)〕。
である所の。
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」が、
③ (信)無くんば(立た)ず。
④ 〔物として(長ぜ)ざるは〕無し。
といふ風に、「訓読」されるやうに、
① 無(人)不(立)。
② 無〔人不(立)〕。
である所の、
① 無人不立。
② 無人不立。
といふ「漢文」も、
① (人)無くんば(立た)ず。
② 〔人にして(立た)不るは〕無し。
といふ風に、「訓読」される。
然るに、
(07)
① 無(人)不(立)
② 無〔人不(立)〕
といふ「それ」は、
① 無(人)→ 不(立)
② 無〔人&不(立)〕
といふ風に、「書くこと」が、出来る。
然るに、
(08)
【無】[意味]② 否定詞として、あとに続く語を打ち消す。
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、514頁)
然るに、
(09)
任意の表述の否定は、その表述を’~( )’という空所にいれて書くことにしよう。
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
① 無(人)不(立)
② 無〔人不(立)〕
といふ「漢文」は、
① ~(人)→ ~(立)
② ~〔人&~(立)〕
といふ風に、「書くこと」が、出来る。
然るに、
(11)
1 (1)~〔人&~(立)〕 A
2 (2) ~(立) A
3 (3) 人 A
23 (4) 人&~(立) 23&I
123(5)~〔人&~(立)〕&〔人&~(立)〕 14&I
12 (6)~(人) 35RAA
1 (7)~(立)→ ~(人) 26CP
(8)~〔人&~(立)〕→ ~(立)→ ~(人) 17CP
(12)
1 (1)~(立)→ ~(人) A
2 (2) 人 & ~(立) A
2 (3) ~(立) 2&E
12(4) ~(人) 13MPP
2 (5) 人 2&E
12(6) 人&~(人) 45&I
1 (7)~〔人&~(立)〕 26RAA
(8)~(立)→ ~(人)→ ~〔人&~(立)〕 17CP
従って、
(11)(12)により、
(13)
② ~〔人&~(立)〕
といふ「論理式」は、
② ~(立)→ ~(人)
といふ「論理式」に「等しい」。
従って、
(14)
① 無(人)不(立)。
② 無〔人不(立)〕。
といふ「漢文」は、
① ~(人)→ ~(立)
② ~(立)→ ~(人)
といふ風に、「書くこと」が、出来る。
然るに、
(15)
① ~(人)→ ~(立)
② ~(立)→ ~(人)
に於いて、
① は、② の「逆」であり、
② は、① の「逆」であって、
尚且つ、「逆」は、必ずしも、「真」でない。
従って、
(15)により、
(16)
① ~(人)→ ~(立)
② ~(立)→ ~(人)
に於いて、
①=② ではない。
従って、
(14)(16)により、
(17)
① 無(人)不(立)。
② 無〔人不(立)〕。
に於いて、
①=② ではない。
従って、
(06)(17)により、
(18)
① 人無くんば立たず。
② 人にして立たざるは無し。
に於いて、
①=② ではない。
然るに、
(19)
このように、否定形や反語形のときは、その否定語がどこまでかかっているかという「管到(スコープ)」をみきわねばならない。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、327頁改)
然るに、
(20)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(06)(18)(19)(20)により、
(21)
① 無人不立。
に於ける、
① 無 の「管到(スコープ)」が、
① (人)であって、
① 不 の「管到(スコープ)」が、
① (立)であるならば、その時に限って、
① 人無くんば立たず。
といふ風に、「訓読」され、
② 無人不立。
に於ける、
② 無 の「管到(スコープ)」が、
② 〔人不立〕であって、
② 不 の「管到(スコープ)」が、
② (立)であるならば、その時に限って、
② 人にして立たざるは無し。
といふ風に、「訓読」される。
従って、
(21)により、
(22)
③ 無信不立(論語、顔淵)。
に於ける、
③ 無 の「管到(スコープ)」が、
③ (信)であって、
③ 不 の「管到(スコープ)」が、
③ (立)であるならば、その時に限って、
③ 信無くんば立たず。
といふ風に、「訓読」され、
④ 無物不長(孟子、告子上)。
に於ける、
④ 無 の「管到(スコープ)」が、
④ 〔物不長〕であって、
④ 不 の「管到(スコープ)」が、
④ (立)であるならば、その時に限って、
④ 物として長ぜざるは無し。
といふ風に、「訓読」される。
然るに、
(23)
③ 古より皆死有り、民 信無くんば立たず(三省堂、明解古典シリーズ16、1973年、142頁)。
④ 故に苟しくも其の養ひを得れば、物として長ぜざるは無し(三省堂、明解古典シリーズ16、1973年、274頁改)。
従って、
(22)(23)により、
(24)
③ 無信不立(論語、顔淵)。
④ 無物不長(孟子、告子上)。
といふ「漢文」には、
③ 無(信)不(立)。
④ 無〔物不(長)〕。
といふ「括弧」が、有ることになる。
従って、
(23)(24)により、
(25)
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」に、
③ 無(信)不(立)。
④ 無〔物不(長)〕。
といふ「括弧」が、無いならば、
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」に対する、
③ 信無くんば立たず。
④ 物として長ぜざるは無し。
といふ「訓読」は、成立しない。
従って、
(25)により、
(26)
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」に、
③ 無(信)不(立)。
④ 無〔物不(長)〕。
といふ「括弧」が、無いならば、
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」に対する、
③ 無レ信不レ立。
④ 無二物不一レ長。
といふ「返り点」も、成立しない。
平成29年09月04日、毛利太。
① 無人 ⇔ 人、 なし。
② 不立 ⇔ 立た、ない。
に於いて、「左辺」の、
① 無人
② 不立
は、「漢文の語順」であって、
① 無人 ⇔ 人、 なし。
② 不立 ⇔ 立た、ない。
に於いて、「右辺」の、
① 人、 なし。
② 立た、ない。
は、「日本語の語順」である。
従って、
(01)により、
(02)
① 無# ⇔ #無
② 不# ⇔ #不
に於いて、「左辺」は、「漢文の語順」であって、「右辺」は、「日本語の語順」である。
従って、
(03)
① 無(人)不(立)
に於いて、
① 無( )⇒( )無
① 不( )⇒( )不
といふ「移動」を行ふと、
① 無(人)不(立)⇒
① (人)無(立)不=
① (人)無くんば(立た)ず。
といふ「日本語の語順」が、成立し、
(04)
② 無〔人不(立)〕
に於いて、
② 無〔 〕⇒〔 〕無
② 不( )⇒( )不
といふ「移動」を行ふと、
② 無〔人不(立)〕⇒
② 〔人(立)不〕無=
② 〔人にして(立た)不るは〕無し。
といふ「日本語の語順」が、成立する。
然るに、
(05)
例へば、
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」は、それぞれ、
③ 信無くんば立たず(論語、顔淵)。
④ 物として長ぜざるは無し(孟子、告子上)。
といふ風に、「訓読」される。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
③ 無(信)不(立)。
④ 無〔物不(長)〕。
である所の。
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」が、
③ (信)無くんば(立た)ず。
④ 〔物として(長ぜ)ざるは〕無し。
といふ風に、「訓読」されるやうに、
① 無(人)不(立)。
② 無〔人不(立)〕。
である所の、
① 無人不立。
② 無人不立。
といふ「漢文」も、
① (人)無くんば(立た)ず。
② 〔人にして(立た)不るは〕無し。
といふ風に、「訓読」される。
然るに、
(07)
① 無(人)不(立)
② 無〔人不(立)〕
といふ「それ」は、
① 無(人)→ 不(立)
② 無〔人&不(立)〕
といふ風に、「書くこと」が、出来る。
然るに、
(08)
【無】[意味]② 否定詞として、あとに続く語を打ち消す。
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、514頁)
然るに、
(09)
任意の表述の否定は、その表述を’~( )’という空所にいれて書くことにしよう。
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
① 無(人)不(立)
② 無〔人不(立)〕
といふ「漢文」は、
① ~(人)→ ~(立)
② ~〔人&~(立)〕
といふ風に、「書くこと」が、出来る。
然るに、
(11)
1 (1)~〔人&~(立)〕 A
2 (2) ~(立) A
3 (3) 人 A
23 (4) 人&~(立) 23&I
123(5)~〔人&~(立)〕&〔人&~(立)〕 14&I
12 (6)~(人) 35RAA
1 (7)~(立)→ ~(人) 26CP
(8)~〔人&~(立)〕→ ~(立)→ ~(人) 17CP
(12)
1 (1)~(立)→ ~(人) A
2 (2) 人 & ~(立) A
2 (3) ~(立) 2&E
12(4) ~(人) 13MPP
2 (5) 人 2&E
12(6) 人&~(人) 45&I
1 (7)~〔人&~(立)〕 26RAA
(8)~(立)→ ~(人)→ ~〔人&~(立)〕 17CP
従って、
(11)(12)により、
(13)
② ~〔人&~(立)〕
といふ「論理式」は、
② ~(立)→ ~(人)
といふ「論理式」に「等しい」。
従って、
(14)
① 無(人)不(立)。
② 無〔人不(立)〕。
といふ「漢文」は、
① ~(人)→ ~(立)
② ~(立)→ ~(人)
といふ風に、「書くこと」が、出来る。
然るに、
(15)
① ~(人)→ ~(立)
② ~(立)→ ~(人)
に於いて、
① は、② の「逆」であり、
② は、① の「逆」であって、
尚且つ、「逆」は、必ずしも、「真」でない。
従って、
(15)により、
(16)
① ~(人)→ ~(立)
② ~(立)→ ~(人)
に於いて、
①=② ではない。
従って、
(14)(16)により、
(17)
① 無(人)不(立)。
② 無〔人不(立)〕。
に於いて、
①=② ではない。
従って、
(06)(17)により、
(18)
① 人無くんば立たず。
② 人にして立たざるは無し。
に於いて、
①=② ではない。
然るに、
(19)
このように、否定形や反語形のときは、その否定語がどこまでかかっているかという「管到(スコープ)」をみきわねばならない。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、327頁改)
然るに、
(20)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(06)(18)(19)(20)により、
(21)
① 無人不立。
に於ける、
① 無 の「管到(スコープ)」が、
① (人)であって、
① 不 の「管到(スコープ)」が、
① (立)であるならば、その時に限って、
① 人無くんば立たず。
といふ風に、「訓読」され、
② 無人不立。
に於ける、
② 無 の「管到(スコープ)」が、
② 〔人不立〕であって、
② 不 の「管到(スコープ)」が、
② (立)であるならば、その時に限って、
② 人にして立たざるは無し。
といふ風に、「訓読」される。
従って、
(21)により、
(22)
③ 無信不立(論語、顔淵)。
に於ける、
③ 無 の「管到(スコープ)」が、
③ (信)であって、
③ 不 の「管到(スコープ)」が、
③ (立)であるならば、その時に限って、
③ 信無くんば立たず。
といふ風に、「訓読」され、
④ 無物不長(孟子、告子上)。
に於ける、
④ 無 の「管到(スコープ)」が、
④ 〔物不長〕であって、
④ 不 の「管到(スコープ)」が、
④ (立)であるならば、その時に限って、
④ 物として長ぜざるは無し。
といふ風に、「訓読」される。
然るに、
(23)
③ 古より皆死有り、民 信無くんば立たず(三省堂、明解古典シリーズ16、1973年、142頁)。
④ 故に苟しくも其の養ひを得れば、物として長ぜざるは無し(三省堂、明解古典シリーズ16、1973年、274頁改)。
従って、
(22)(23)により、
(24)
③ 無信不立(論語、顔淵)。
④ 無物不長(孟子、告子上)。
といふ「漢文」には、
③ 無(信)不(立)。
④ 無〔物不(長)〕。
といふ「括弧」が、有ることになる。
従って、
(23)(24)により、
(25)
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」に、
③ 無(信)不(立)。
④ 無〔物不(長)〕。
といふ「括弧」が、無いならば、
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」に対する、
③ 信無くんば立たず。
④ 物として長ぜざるは無し。
といふ「訓読」は、成立しない。
従って、
(25)により、
(26)
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」に、
③ 無(信)不(立)。
④ 無〔物不(長)〕。
といふ「括弧」が、無いならば、
③ 無信不立。
④ 無物不長。
といふ「漢文」に対する、
③ 無レ信不レ立。
④ 無二物不一レ長。
といふ「返り点」も、成立しない。
平成29年09月04日、毛利太。
2017年9月2日土曜日
「論理式訓読」に於ける「返り点・括弧」。
(01)
(30)~(45)で、示すものの、「結論」として、
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
といふ「論理式」に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
然るに、
(02)
任意の表述の否定は、その表述を’~( )’という空所にいれて書くことにしよう。しかし、丸括弧はその内部の表述が連言でないかぎり削除しよう。
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
「括弧」は、その内部の表述が「連言」でなくとも「削除」しない場合は、
① P→ Q
② ~(Q)→~(P)
③ ~〔P&~(Q)〕
④ ~〔~(Q)&P〕
⑤ ~(P)∨ Q
⑥ Q∨~(P)
に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
然るに、
(04)
和文の否定は文の最後尾につきます。「・・・ではない」という形式です。すると、直前の語を否定しているのか、文全体を否定しているのか、別の語や句読点を補わない限り区別がつかなくなります。
(新井紀子、数学は言葉、2009年、123頁)
従って、
(03)(04)により、
(05)
① P→ Q
② ~(Q)→~(P)
③ ~〔P&~(Q)〕
④ ~〔~(Q)&P〕
⑤ ~(P)∨ Q
⑥ Q∨~(P)
といふ「論理式」を、「日本語の語順」に「直す」ならば、
① P→ Q
② (Q)~→(P)~
③ 〔P&~(Q)〕~
④ 〔(Q)~&P〕~
⑤ (P)~∨ Q
⑥ Q∨(P)~
といふ、「語順」になる。
然るに、
(06)
① P→ Q
② (Q)~→(P)~
③ 〔P&~(Q)〕~
④ 〔(Q)~&P〕~
⑤ (P)~∨ Q
⑥ Q∨(P)~
といふ「論理式」を、「日本語」に「置き換へ」るならば、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
といふ、「それ」になる。
然るに、
(07)
① P→ Q
② ~レQ→~レP
③ ~二P&~一レQ
④ ~二~レQ&P一
⑤ ~レP∨ Q
⑥ Q∨~レP
といふ「それ」を、「返り点」に従って、「訓読」すると、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
といふ、「訓読」となる。
従って、
(05)~(07)により、
(08)
① P→ Q
② ~(Q)→~(P)
③ ~〔P&~(Q)〕
④ ~〔~(Q)&P〕
⑤ ~(P)∨ Q
⑥ Q∨~(P)
に於ける、
①
② ( ) ( )
③ 〔 ( )〕
④ 〔 ( ) 〕
⑤ ( )
⑥ ( )
といふ「括弧」は、
① P→ Q
② ~レQ→~レP
③ ~二P&~一レQ
④ ~二~レQ&P一
⑤ ~レP∨ Q
⑥ Q∨~レP
に於ける、
①
② レ レ
③ 二 一レ
④ 二 レ 一
⑤ レ
⑥ レ
といふ「返り点」に、「相当」する。
従って、
(05)~(08)により、
(09)
① P→ Q
② ~(Q)→~(P)
③ ~〔P&~(Q)〕
④ ~〔~(Q)&P〕
⑤ ~(P)∨ Q
⑥ Q∨~(P)
といふ「論理式」を、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
といふ風に、「理解すること」は、「漢文訓読」ならぬ、「論理式訓読」に他ならない。
従って、
(01)(03)(09)により、
(10)
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
といふ「論理式」に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥
である以上、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
に於いても、
①=②=③=④=⑤=⑥
でなければ、ならない。
然るに、
(11)
① PであるならばQである。
といふ「言ひ方」は、
① Pである場合は、Qである場合に、「含まれる」。
といふ風に、「解する」ことが、出来る。
然るに、
(12)
① PであるならばQである。
② PはQに含まれる。
③ Q以内にPは在る。
④ Q以外にPは無い。
⑤ QだけがPである。
⑥ QでないならばPでない。
(13)
⑥ QでないならばPでない。
⑤ QだけがPである。
④ Q以外にPは無い。
③ Q以内にPは在る。
② PはQに含まれる。
① PであるならばQである。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
に於いて、
①=② である。
cf.
対偶(Contraposition)。
然るに、
(15)
① PであるならばQである。
といふことは、
③ PであってQでない。といふことはない。
といふことに、他ならない。
(16)
② QでないならばPでない。
といふことは、
④ QでなくてPである。といふことはない。
といふことに、他ならない。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(18)
⑤ Pでない。でない。
といふことは、
⑤ Pである。
といふ、ことである。
cf.
二重否定(double negation)。
然るに、
(19)
⑤ Pでないか、Qである。
⑤ Pでない。でない。
であれば、
⑤ Qである。
従って、
(18)(19)により、
(20)
⑤ Pでないか、Qである。
⑤ Pである。
であれば、
⑤ Qである。
然るに、
(21)
① Pであるならば、Qである。
① Pである。
であれば、
① Qである。
従って、
(20)(21)により、
(22)
① PであるならばQである。Pである。故に、Qである。
⑤ Pでないか、 Qである。Pである。故に、Qである。
然るに、
(23)
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
に於いて、明らかに。
⑤=⑥ である。
cf.
交換法則(Commutative law)。
然るに、
(24)
⑥ Qであるか、Pでない。
⑥ Qでない。
であれば、
⑥ Pでない。
然るに、
(25)
② QでないならばPでない。
② Qでない。
であれば、
② Pでない。
従って、
(24)(25)により、
(26)
② QでないならばPでない。Qでない。故に、Pでない。
⑥ Qであるか、 Pでない。Qでない。故に、Pでない。
従って、
(14)(22)(26)により、
(27)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(17)(27)により、
(28)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
に於いても、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
然るに、
(29)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
といふ「日本語」は、
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
といふ「論理式」に、「相当」する。
然るに、
(30)
1 (1)P→Q A
2 (2) ~Q A
3 (3)P A
13 (4) Q 13MPP
123(5)~Q&Q 24&I
12 (6)~P 35RAA
1 (7)~Q→~P 26CP
(8)(P→Q)→(~Q→~P) 17CP
(31)
1 (1)~Q→~P A
2 (2) P A
3 (3)~Q A
13 (4)~P 13MPP
123(5)~P&P 24&I
12 (6)~~Q 35RAA
12 (7) Q 6DN
1 (8) P→Q 27CP
(9)(~Q→~P)→(P→Q) 18CP
従って、
(30)(31)により、
(32)
① P→ Q
② ~Q→~P
に於いて、
①=② である。
然るに、
(33)
1 (1) ~Q→~P A
2 (2) P&~Q A
2 (3) ~Q 2&E
12(4) ~P 13MPP
2 (5) P 2&E
12(6) P&~P 45&I
1 (7)~(P&~Q) 26RAA
(8)(~Q→~P)→ ~(P&~Q) 17CP
(34)
1 (1)~(P&~Q) A
2 (2) ~Q A
3 (3) P A
23 (4) P&~Q 23&I
123(5)~(P&~Q)&(P&~Q) 14&I
12 (6) ~P 35RAA
1 (7) ~Q→~P 26CP
(8)~(P&~Q)→ ~Q→~P 17CP
従って、
(33)(34)により、
(35)
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(36)
1 (1)~(P&~Q) A
2 (2) ~Q& P A
2 (3) P 2&E
2 (4) ~Q 2&E
2 (5) P&~Q 34&I
12(6)~(P&~Q)&(P&~Q) 15&I
1 (7)~(~Q&P) 26RAA
(8)~(P&~Q)→ ~(~Q&P) 17CP
(37)
1 (1)~(~Q&P) A
2 (2) P&~Q A
2 (3) ~Q 2&E
2 (4) P 2&E
2 (5) ~Q&P 34&I
12(6)~(~Q&P)&(~Q&P) 15&I
1 (7)~(P&~Q) 26RR
(8)~(~Q&P)→ ~(P&~Q) 17CP
従って、
(36)(37)により、
(38)
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(39)
1 (1) ~(~Q&P) A
2 (2) ~(~P∨Q) A
3 (3) ~P A
3 (4) ~P∨Q 3VI
23(5) ~(~P∨Q)&(~P∨Q) 24&I
2 (6) ~~P 35RAA
2 (7) P 6DN
8 (8) Q A
8 (9) ~P∨Q 8VI
28(ア) ~(~P∨Q)&(~P∨Q) 29&I
2 (イ) ~Q 8アRAA
2 (ウ) ~Q&P 7イ&I
12(エ) ~(~Q&P)&(~Q&P) 1ウ&I
1 (オ)~~(~P∨Q) 2エRAA
1 (カ) (~P∨Q) オDN
(キ)~(~Q&P)→(~P∨Q) 1カCP
(40)
1 (1) ~P∨Q A
2 (2) ~Q&P A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23(5) ~P&P 34&I
3(6)~(~Q&P) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q 2&E
27(9) ~Q&Q 78&I
7(ア)~(~Q&P) 29RAA
1 (イ)~(~Q&P) 1367アVE
(ウ)(~P∨Q)→ ~(~Q&P) 1イ
従って、
(39)(40)により、
(41)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨Q
に於いて、
④=⑤ である。
然るに、
(42)
1(1)~P∨Q A
2(2)~P A
2(3)Q∨~P 2VI
4(4) Q A
4(5)Q∨~P 2VI
1(6)Q∨~P 12345VE
(7)(~P∨Q)→(Q∨~P) 16CP
(43)
1(1)Q∨~P A
2(2) ~P A
2(3)~P∨Q 2VI
4(4)Q A
4(5)~P∨Q 4VI
1(6)~P∨Q 12345VE
(7)(Q∨~P)→(~P∨Q) 16CP
従って、
(42)(43)により、
(44)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
に於いて、
⑤=⑥ である。
従って、
(32)(35)(38)(41)(44)により、
(45)
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
に於いて、
①=②
②=③
③=④
④=⑤
⑤=⑥
であるが故に、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
従って、
(28)(45)により、
(46)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
に於いても、
①=②=③=④=⑤=⑥ であって、尚且つ、
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
然るに、
(47)
① P→Q
といふ「論理式」は、
① Pならば、 Qである。
① PであるならばQである。
といふ「日本語」に、「相当」する。
従って、
(46)(47)により、
(48)
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
といふ「論理式」は、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
といふ「日本語」に、「相当」する。
然るに、
(49)
③ ~(P&~Q)
といふ「論理式」は、例へば、
③ 無(夕而不飲)
といふ「漢文」に、「相当」し、
③ 無(夕而不飲)
といふ「漢文」の「訓読」は、
③ 夕べとして飲まざるは無し。
であって、
③ 夕べとして飲まざるは無し。
といふ「訓読」は、
③ 夕べであって飲まない。といふことはない。
といふ、「意味」である。
従って、
(48)(49)により、
(50)
③ ~(P&~Q)
といふ「論理式」は、
③ PであってQでない。といふことはない。
といふ「意味」であって、尚且つ、
③ 無(夕而不飲)
といふ「漢文」は、
③ 夕べであって飲まない。といふことはない。
といふ、「意味」である。
従って、
(50)により、
(51)
③ ~(P&~Q)
といふ「論理式」を、
③ PであってQでない。といふことはない。
といふ風に、「理解すること」は、「漢文訓読」ならぬ、「論理式訓読」に他ならない。
平成29年09月02日、毛利太。
(30)~(45)で、示すものの、「結論」として、
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
といふ「論理式」に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
然るに、
(02)
任意の表述の否定は、その表述を’~( )’という空所にいれて書くことにしよう。しかし、丸括弧はその内部の表述が連言でないかぎり削除しよう。
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
「括弧」は、その内部の表述が「連言」でなくとも「削除」しない場合は、
① P→ Q
② ~(Q)→~(P)
③ ~〔P&~(Q)〕
④ ~〔~(Q)&P〕
⑤ ~(P)∨ Q
⑥ Q∨~(P)
に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
然るに、
(04)
和文の否定は文の最後尾につきます。「・・・ではない」という形式です。すると、直前の語を否定しているのか、文全体を否定しているのか、別の語や句読点を補わない限り区別がつかなくなります。
(新井紀子、数学は言葉、2009年、123頁)
従って、
(03)(04)により、
(05)
① P→ Q
② ~(Q)→~(P)
③ ~〔P&~(Q)〕
④ ~〔~(Q)&P〕
⑤ ~(P)∨ Q
⑥ Q∨~(P)
といふ「論理式」を、「日本語の語順」に「直す」ならば、
① P→ Q
② (Q)~→(P)~
③ 〔P&~(Q)〕~
④ 〔(Q)~&P〕~
⑤ (P)~∨ Q
⑥ Q∨(P)~
といふ、「語順」になる。
然るに、
(06)
① P→ Q
② (Q)~→(P)~
③ 〔P&~(Q)〕~
④ 〔(Q)~&P〕~
⑤ (P)~∨ Q
⑥ Q∨(P)~
といふ「論理式」を、「日本語」に「置き換へ」るならば、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
といふ、「それ」になる。
然るに、
(07)
① P→ Q
② ~レQ→~レP
③ ~二P&~一レQ
④ ~二~レQ&P一
⑤ ~レP∨ Q
⑥ Q∨~レP
といふ「それ」を、「返り点」に従って、「訓読」すると、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
といふ、「訓読」となる。
従って、
(05)~(07)により、
(08)
① P→ Q
② ~(Q)→~(P)
③ ~〔P&~(Q)〕
④ ~〔~(Q)&P〕
⑤ ~(P)∨ Q
⑥ Q∨~(P)
に於ける、
①
② ( ) ( )
③ 〔 ( )〕
④ 〔 ( ) 〕
⑤ ( )
⑥ ( )
といふ「括弧」は、
① P→ Q
② ~レQ→~レP
③ ~二P&~一レQ
④ ~二~レQ&P一
⑤ ~レP∨ Q
⑥ Q∨~レP
に於ける、
①
② レ レ
③ 二 一レ
④ 二 レ 一
⑤ レ
⑥ レ
といふ「返り点」に、「相当」する。
従って、
(05)~(08)により、
(09)
① P→ Q
② ~(Q)→~(P)
③ ~〔P&~(Q)〕
④ ~〔~(Q)&P〕
⑤ ~(P)∨ Q
⑥ Q∨~(P)
といふ「論理式」を、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
といふ風に、「理解すること」は、「漢文訓読」ならぬ、「論理式訓読」に他ならない。
従って、
(01)(03)(09)により、
(10)
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
といふ「論理式」に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥
である以上、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
に於いても、
①=②=③=④=⑤=⑥
でなければ、ならない。
然るに、
(11)
① PであるならばQである。
といふ「言ひ方」は、
① Pである場合は、Qである場合に、「含まれる」。
といふ風に、「解する」ことが、出来る。
然るに、
(12)
① PであるならばQである。
② PはQに含まれる。
③ Q以内にPは在る。
④ Q以外にPは無い。
⑤ QだけがPである。
⑥ QでないならばPでない。
(13)
⑥ QでないならばPでない。
⑤ QだけがPである。
④ Q以外にPは無い。
③ Q以内にPは在る。
② PはQに含まれる。
① PであるならばQである。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
に於いて、
①=② である。
cf.
対偶(Contraposition)。
然るに、
(15)
① PであるならばQである。
といふことは、
③ PであってQでない。といふことはない。
といふことに、他ならない。
(16)
② QでないならばPでない。
といふことは、
④ QでなくてPである。といふことはない。
といふことに、他ならない。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(18)
⑤ Pでない。でない。
といふことは、
⑤ Pである。
といふ、ことである。
cf.
二重否定(double negation)。
然るに、
(19)
⑤ Pでないか、Qである。
⑤ Pでない。でない。
であれば、
⑤ Qである。
従って、
(18)(19)により、
(20)
⑤ Pでないか、Qである。
⑤ Pである。
であれば、
⑤ Qである。
然るに、
(21)
① Pであるならば、Qである。
① Pである。
であれば、
① Qである。
従って、
(20)(21)により、
(22)
① PであるならばQである。Pである。故に、Qである。
⑤ Pでないか、 Qである。Pである。故に、Qである。
然るに、
(23)
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
に於いて、明らかに。
⑤=⑥ である。
cf.
交換法則(Commutative law)。
然るに、
(24)
⑥ Qであるか、Pでない。
⑥ Qでない。
であれば、
⑥ Pでない。
然るに、
(25)
② QでないならばPでない。
② Qでない。
であれば、
② Pでない。
従って、
(24)(25)により、
(26)
② QでないならばPでない。Qでない。故に、Pでない。
⑥ Qであるか、 Pでない。Qでない。故に、Pでない。
従って、
(14)(22)(26)により、
(27)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(17)(27)により、
(28)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
に於いても、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
然るに、
(29)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
といふ「日本語」は、
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
といふ「論理式」に、「相当」する。
然るに、
(30)
1 (1)P→Q A
2 (2) ~Q A
3 (3)P A
13 (4) Q 13MPP
123(5)~Q&Q 24&I
12 (6)~P 35RAA
1 (7)~Q→~P 26CP
(8)(P→Q)→(~Q→~P) 17CP
(31)
1 (1)~Q→~P A
2 (2) P A
3 (3)~Q A
13 (4)~P 13MPP
123(5)~P&P 24&I
12 (6)~~Q 35RAA
12 (7) Q 6DN
1 (8) P→Q 27CP
(9)(~Q→~P)→(P→Q) 18CP
従って、
(30)(31)により、
(32)
① P→ Q
② ~Q→~P
に於いて、
①=② である。
然るに、
(33)
1 (1) ~Q→~P A
2 (2) P&~Q A
2 (3) ~Q 2&E
12(4) ~P 13MPP
2 (5) P 2&E
12(6) P&~P 45&I
1 (7)~(P&~Q) 26RAA
(8)(~Q→~P)→ ~(P&~Q) 17CP
(34)
1 (1)~(P&~Q) A
2 (2) ~Q A
3 (3) P A
23 (4) P&~Q 23&I
123(5)~(P&~Q)&(P&~Q) 14&I
12 (6) ~P 35RAA
1 (7) ~Q→~P 26CP
(8)~(P&~Q)→ ~Q→~P 17CP
従って、
(33)(34)により、
(35)
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(36)
1 (1)~(P&~Q) A
2 (2) ~Q& P A
2 (3) P 2&E
2 (4) ~Q 2&E
2 (5) P&~Q 34&I
12(6)~(P&~Q)&(P&~Q) 15&I
1 (7)~(~Q&P) 26RAA
(8)~(P&~Q)→ ~(~Q&P) 17CP
(37)
1 (1)~(~Q&P) A
2 (2) P&~Q A
2 (3) ~Q 2&E
2 (4) P 2&E
2 (5) ~Q&P 34&I
12(6)~(~Q&P)&(~Q&P) 15&I
1 (7)~(P&~Q) 26RR
(8)~(~Q&P)→ ~(P&~Q) 17CP
従って、
(36)(37)により、
(38)
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(39)
1 (1) ~(~Q&P) A
2 (2) ~(~P∨Q) A
3 (3) ~P A
3 (4) ~P∨Q 3VI
23(5) ~(~P∨Q)&(~P∨Q) 24&I
2 (6) ~~P 35RAA
2 (7) P 6DN
8 (8) Q A
8 (9) ~P∨Q 8VI
28(ア) ~(~P∨Q)&(~P∨Q) 29&I
2 (イ) ~Q 8アRAA
2 (ウ) ~Q&P 7イ&I
12(エ) ~(~Q&P)&(~Q&P) 1ウ&I
1 (オ)~~(~P∨Q) 2エRAA
1 (カ) (~P∨Q) オDN
(キ)~(~Q&P)→(~P∨Q) 1カCP
(40)
1 (1) ~P∨Q A
2 (2) ~Q&P A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23(5) ~P&P 34&I
3(6)~(~Q&P) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q 2&E
27(9) ~Q&Q 78&I
7(ア)~(~Q&P) 29RAA
1 (イ)~(~Q&P) 1367アVE
(ウ)(~P∨Q)→ ~(~Q&P) 1イ
従って、
(39)(40)により、
(41)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨Q
に於いて、
④=⑤ である。
然るに、
(42)
1(1)~P∨Q A
2(2)~P A
2(3)Q∨~P 2VI
4(4) Q A
4(5)Q∨~P 2VI
1(6)Q∨~P 12345VE
(7)(~P∨Q)→(Q∨~P) 16CP
(43)
1(1)Q∨~P A
2(2) ~P A
2(3)~P∨Q 2VI
4(4)Q A
4(5)~P∨Q 4VI
1(6)~P∨Q 12345VE
(7)(Q∨~P)→(~P∨Q) 16CP
従って、
(42)(43)により、
(44)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
に於いて、
⑤=⑥ である。
従って、
(32)(35)(38)(41)(44)により、
(45)
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
に於いて、
①=②
②=③
③=④
④=⑤
⑤=⑥
であるが故に、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
従って、
(28)(45)により、
(46)
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
に於いても、
①=②=③=④=⑤=⑥ であって、尚且つ、
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
然るに、
(47)
① P→Q
といふ「論理式」は、
① Pならば、 Qである。
① PであるならばQである。
といふ「日本語」に、「相当」する。
従って、
(46)(47)により、
(48)
① P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~P∨ Q
⑥ Q∨~P
といふ「論理式」は、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ Pでないか、Qである。
⑥ Qであるか、Pでない。
といふ「日本語」に、「相当」する。
然るに、
(49)
③ ~(P&~Q)
といふ「論理式」は、例へば、
③ 無(夕而不飲)
といふ「漢文」に、「相当」し、
③ 無(夕而不飲)
といふ「漢文」の「訓読」は、
③ 夕べとして飲まざるは無し。
であって、
③ 夕べとして飲まざるは無し。
といふ「訓読」は、
③ 夕べであって飲まない。といふことはない。
といふ、「意味」である。
従って、
(48)(49)により、
(50)
③ ~(P&~Q)
といふ「論理式」は、
③ PであってQでない。といふことはない。
といふ「意味」であって、尚且つ、
③ 無(夕而不飲)
といふ「漢文」は、
③ 夕べであって飲まない。といふことはない。
といふ、「意味」である。
従って、
(50)により、
(51)
③ ~(P&~Q)
といふ「論理式」を、
③ PであってQでない。といふことはない。
といふ風に、「理解すること」は、「漢文訓読」ならぬ、「論理式訓読」に他ならない。
平成29年09月02日、毛利太。
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