(01)
1,304,803 回視聴 2021/03/23 ゆる言語学ラジオ全部(順番通り)
「象は鼻が長い」の主語、分かりますか?象?鼻?
実は「日本語学者も文法的にどうなってるのか分からない」のです。
100年にわたって日本語学者たちが繰り広げてきた戦いの歴史を、お楽しみください。
然るに、
(02)
① 象鼻長(ザウビチャウ)。
という「漢文(音読)」は、
② 象の鼻は長い(象之鼻長)。
という「意味」でなければ、
③ 象は鼻は長い(象其鼻長)。
という「意味」である。
従って、
(03)
① 象鼻長(象は鼻長し)。
という「漢文(訓読)」は、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
② すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長い)}。
という「述語論理式」に、「相当」する。
然るに、
(04)
そこでたとえば「象は鼻が長い」というような表現は、象が主語なのか鼻が主語なのかはっきりしないから、このままではその論理構造が明示されていなから、いわば非論理的な文である、という人もある。しかしこの文の論理構造をはっきり文章にあらわして、「すべてのxについて、もしxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、yは長い」といえばいいかもしれない。しかし日常の言語によるコミニュケーションでは、たとえば動物園で象をはじめて見た小学生が、父親にむかってこのような文章で話しかけたとすれば、その子供は論理的であるといって感心されるまえに社会人としての常識をうたがわれるにきまっている(田允茂、現代論理学入門、1962年、29頁)。
従って、
(04)により、
(05)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
という「述語論理式」は、「論理的(Logical)」である。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
① 象鼻長(象は鼻は長い)。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
② は、「論理的(Logical)」であるが故に、
① も、「論理的(Logical)」である。
然るに、
(07)
1 (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx& 長y)&動物x} A
2 (2) ∀x{兎x→∃y(鼻yx&~長y)&動物x} A
1 (3) 象a→∃y(鼻ya& 長y)&動物a 1UE
2 (4) 兎a→∃y(鼻ya&~長y)&動物a 2UE
5 (5) ∃x(象x&兎x) A
6 (6) 象a&兎a A
6 (7) 兎a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya& 長y)&動物a 37MPP
1 6 (ア) ∃y(鼻ya& 長y) 9&E
イ (イ) 鼻ba& 長b A
イ (ウ) 長b イ&E
2 6 (エ) ∃y(鼻ya&~長y)&動物a 48MPP
2 6 (オ) ∃y(鼻ya&~長y) エ&E
カ (カ) 鼻ba&~長b A
カ (キ) ~長b カ&E
イカ (ク) 長b&~長b ウカ&I
1 6 カ (ケ) 長b&~長b アイクEE
12 6 (コ) 長b&~長b オカケEE
125 (サ) 長b&~長b 56コEE
12 (シ)~∃x(象x&兎x) 5サRAA
ス(ス) 象a&兎a A
ス(セ) ∃x(象x&兎x) スEI
12 ス(ソ)~∃x(象x&兎x)&∃x(象x&兎x) シセ&I
12 (タ) ~(象a&兎a) スソRAA
12 (チ) ~象a∨~兎a タ、ド・モルガンの法則
12 (ツ) 象a→~兎a チ含意の定義
12 (テ)∀x(象x→~兎x) ツUI
従って、
(07)により、
(08)
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx& 長y)&動物x}。然るに、
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(鼻yx&~長y)&動物x}。従って、
(ⅲ)∀x(象x→~兎x)。
という『推論』、すなわち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長く )、xは動物である}。然るに、
(ⅱ)すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyは(xの鼻であって、長くはなく)、xは動物である}。従って、
(ⅲ)すべてのxについて{xが象であるならば、xは兎ではない}。
という『推論』、すなわち、
(ⅰ)象は鼻の(が)長い動物である。 然るに、
(ⅱ)兎は鼻の(が)長くない動物である。従って、
(ⅲ)象は兎ではない。
という『推論』は、「妥当」である。
然るに、
(09)
生成AI(コパイロット)」によると、
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 象は鼻の(が)長い動物である。
② Elephants are animals whose noses are long.
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&動物x}.
④ For all x{if x is an elephant, then y is(x's nose and long)& x is an animal}.
⑤ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長く)、xは動物である}。
に於いて、
①=②=③=④=⑤ である。
cf.
①「私の国・鼻の長い動物」の「の」は「連体助詞(格助詞)」であって、
①「我が国・鼻が長い動物」の「が」も「連体助詞(格助詞)」である。
従って、
(10)により、
(11)
① 象は鼻の(が)長い動物である。⇔
② Elephants are animals whose noses are long.⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&動物x}.⇔
④ For all x{if x is an elephant, then y is(x's nose and long)& x is an animal}.
に於いて、
②「Elephants」が「主語(Subject)」であるならば、
① 「象は」も「主語(Subject)」であるし、
②「Elephants」が「主題(Topic)」 であるならば、
① 「象は」も「主題(Topic)」 である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① 象は鼻の(が)長い動物である。⇔
② Elephants are animals whose noses are long.⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&動物x}.⇔
④ For all x{if x is an elephant, then y is(x's nose and long)& x is an animal}.
に於ける、
①「象は(Elephants)」が、「主題(Topic)」 であるとしても、
①「象は(Elephants)」が、「主語(Subject)」ではない。
ということには、ならない。
従って、
(12)により、
(13)
よく「日本語には主語が2つある」と言われます。簡単に言ってしまうと、主語を表す形には「は」と「が」あるということです。こう言うと反論を述べる人が必ず出ると思います。日本語では「は」は主題といい、「が」を主格というので、主語はないのです(倉本幸彦、なぜ、日本人は日本語を説明でいないのか、2017年、38頁)。
ということには、ならない。
然るに、
(14)
D={象、兎、馬}
であるならば、
① 象は動物であり、
② 兎も動物であり、
③ 馬も動物である。
という「理由」により、
① 象が動物である。
とは、言えない。
然るに、
(15)
D={象、兎、馬}
ではなく、
D={象、机、本}
であるならば、
① 象は動物であるが、
② 机は動物ではなく、
③ 本も動物ではない。
という「理由」により、
① 象が動物である。
従って、
(14)(15)により、
(16)
① 象が動物である。
ということは、
D={象、机、本}
という場合がそうであるように、
① 象は動物である(が、象以外(机と本)は動物ではない)。
ということに、他ならない。
従って、
(16)により、
(17)
① 象は鼻が長い。
ということは、
① 象は鼻は長く(鼻以外(である耳)は長くない)。
ということに、他ならない。
然るに、
(18)
― 当初から、繰り返し、書いているものの、―
1 (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2) ∀x{兎x→∃z(耳zx&~鼻zx&長z)} A
3 (3) ∃x(象x&兎x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃z(耳za&~鼻za&長z) 2UE
6 (6) 象a&兎a A
6 (7) 象a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∀z(~鼻za→~長z) 47MPP
1 6 (ア) ~鼻ba→~長b 9UI
2 6 (イ) ∃z(耳za&~鼻za&長z) 58MPP
ウ (ウ) 耳ba&~鼻ba&長b A
ウ (エ) ~鼻ba ウ&E
ウ (オ) 長b ウ&E
1 6ウ (カ) ~長b アエMPP
1 6ウ (キ) 長b&~長b オカ&I
12 6 (ク) 長b&~長b イウキEE
123 (ケ) 長b&~長b 36クEE
12 (コ)~∃x(象x&兎x) 3ケRAA
12 (サ)∀x~(象x&兎x) コ量化子の関係
12 (シ) ~(象a&兎a) サUE
ス (ス) 象a A
セ (セ) 兎a A
スセ (ソ) 象a&兎a スセ&I
12 スセ (タ) ~(象a&兎a)&(象a&兎a) シソ&I
12 ス (チ) ~兎a セタRAA
12 (ツ) 象a→~兎a スチCP
テ(テ) 兎a A
テ(ト) ~~兎a テDN
12 テ(ナ) ~象a ツトMTT
12 (ニ) 兎a→~象a テナCP
12 (ヌ)∀x(兎x→~象x) ニUI
という「推論(計算)」は、「妥当」である。
従って、
(18)により、
(19)
「記号」で書くと、
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。然るに、
(ⅱ)∀x{兎x→∃z(耳zx&~鼻zx&長z)}。従って、
(ⅲ)∀x(兎x→~象x)。
という『推論』は「妥当」である。
従って、
(19)により、
(20)
「日本語」で書くと、
(ⅰ)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長く)、すべてのzについて(zがxの鼻ではないならば、zは長くない)}。然るに、
(ⅱ)すべてのxについて{xが兎であるならば、あるzは(xの耳であって、xの鼻ではないが、zは長い)}。従って、
(ⅲ)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない)。
という『推論』は「妥当」である。
従って、
(17)(20)により、
(21)
「(普通の)日本語」で書くと、
(ⅰ)象は鼻が長い。 然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、兎の耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
という『推論』は「妥当」である。
然るに、
(22)
1 (1)∀x{象x → 動物x} A
2 (2)∀x{動物x→~植物x} A
1 (3) 象a → 動物a 1UE
2 (4) 動物a→~植物a 2UE
5(5) 象a A
1 5(6) 動物a 35MPP
125(7) ~植物a 46MPP
12 (8) 象a→ ~植物a 27CP
12 (9)∀x{象x→ ~動物x} 8UI
従って、
(22)により、
(23)
(ⅰ)∀x{象x → 動物x}。然るに、
(ⅱ)∀x{動物x→~植物x}。従って、
(ⅲ)∀x{象x →~植物x}。
という『推論』、従って、
(ⅰ)すべてのxについて{xが象 であるならば、xは動物である}。 然るに、
(ⅱ)すべてのxについて{xが動物であるならば、xは植物ではない}。従って、
(ⅲ)すべてのxについて{xが象 であるならば、xは植物ではない}。
という『推論』、従って、
(ⅰ)象は、動物である。 然るに、
(ⅱ)動物は植物ではない。従って、
(ⅲ)象は、植物ではない。
という『推論』は、「妥当」である。
従って、
(21)(22)(23)により、
(24)
① 象は鼻が長い。
② 象は動物である。
に於いて、
① 象は と、
② 象は は、両方とも、
① ∀x{象x→
② ∀x{象x→
であって、従って、
① すべてのxについて{xが象であるならば、
② すべてのxについて{xが象であるならば、
であって、従って、
① For all x{if x is an elephant,
② For all x{if x is an elephant,
である。
然るに、
(25)
② 象は動物である。
① 象は鼻が長い。
に対して、
② ∀x{象x→動物x}。
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
であるということは、
② 動物x が「述語」であるならば、
① ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z) も「述語」である。
ということを、「意味」している。
従って、
(25)により、
(26)
二重主語文とは、大きな枠組みとして主語と述語が構成されている文の中に、さらに主語と述語の構成が含まれている文を指します。たとえば「象は鼻が長い」という文は、大きな枠組みとして「象は」が主語、「鼻が長い」が述語ですが、「鼻が長い」の部分は「鼻が」と「長い」という主語と述語の構成になっています。
という「(橋本進吉の)直観」は、「論理的」に、「正しい」し、
② Elephants are animals whose noses are long.
という「英語」にも、「主語(Elephants、noses)」は、「2つ有る」。
然るに、
(27)
主語や目的語や補語、これだけは自分で考えるクセを付けて下さい。学校の先生がこれまた、考えなくとも、どんどん入れて訳してくれるんです。古文はよく、省かれているんですね。誰が、誰を、誰に、みたいなものが、日本語はよく省略されているんですけど、先生がどんどん補って下さる。で皆さんは何でその主語になるのかよくわかんないまま、またノートに、訳のところに、一生懸命、書いて覚えて、テストを受けてる。さっきも言いました。自力です。「自力で補足するです。」入試のときそばで誰も助けてくれないからですね。で実は、これが皆さんを古文嫌いにさせている、つまり、せっかく、訳ができた。単語を覚えて、Aさんがしてることを、Bさんがしたと勘違いして、変え~んな、文章にしちゃったことないですかあ。ワタシは模擬試験の時にですねえ、よく、ストーリーは、ある程度わかったのに、「やったひととやられた人を勘違い」して、もう途中で「大混乱」してですね。七行目ぐらいまで頑張って読んだのに、もう「まんなか辺」で、プチッと切れて、もうええいいや、ワケわかんなくなっちゃたといって、「放り出し」ことがよくありますけども、これ(主語・目的語・補語)を自分で意識すると、「こうやって考えながらやるんだな」って意識すると、かなり読みやすくなるんです(東進ハイスクール 荻野文子先生 - YouTube)。
従って、
(28)
「三上章先生は、日本語に、主語は無い」と言うものの、「(古文という)日本語」は、「主語・目的語・補語」を「意識せず」には、「理解」出来ない。
令和6年11月16日、毛利太。
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