2018年4月25日水曜日

「括弧」は「補足構造と語順」を、「返り点」は「語順」を表してゐる。

(01)

(02)
① 我非必求以解中文法解漢文者也。
② 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解せんことを求むる者に非ざるなり。
に於いて、
① は「漢文」であって、
② は「訓読」である。
従って、
(02)により、
(03)
① 我  必    中文  漢文  法    者    也
② 我は 必ずしも 中文を 漢文を 法を   者に   也
といふ、
① 主語 修飾語  目的語 目的語 非修飾語 非修飾語 終助詞
等に関しては、
①「漢文の語順」と、
②「訓読の語順」は、「等しい」。
然るに、
(04)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
① 非{ }⇒{ }非
① 求[ ]⇒[ ]求
① 以〔 〕⇒〔 〕以
① 解( )⇒( )解
① 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也⇒
② 我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(05)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治、中文と漢文、1975年、296頁)
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
といふ「漢文」に於ける、
①   {  [ 〔 (  ) 〕 (  )] }
といふ「括弧」は、「漢文の補足構造」を表してゐて、
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「国語」に於ける、
②   {    [〔(   )     〕  (   )      ]     }
といふ「括弧」は、「国語の補足構造」を表してゐる。
従って、
(04)(06)により、
(07)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於ける、
①   {  [ 〔 (  ) 〕 (  )] }
といふ「括弧」は、「漢文の補足構造」を表してゐると「同時」に、
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「訓読の語順」を表してゐる。
然るに、
(08)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
① 我 は、「主語」であって、
①    必 は、「連用修飾語」であって、
①                     中 は、「連体修飾語」であって、
①                  漢 は、「連体修飾語」である。
然るに、
(09)
「主語」 の「有無」は、「補足構造」と、「関係」が無く、
「修飾語」の「有無」は、「補足構造」と、「関係」が無い。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
③  非{ 求[以〔解( 文)法〕解( 文)]者}也。
に於いて、
① の「補足構造」と、
③ の「補足構造」は、「等しい」。
然るに、
(11)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
③  非{ 求[以〔解( 文)法〕解( 文)]者}也。
に於いて、
① の「返り点」は、「地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天」であって、
③ の「返り点」は、「乙 下 二 レ   一 上レ  甲」である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
③  非{ 求[以〔解( 文)法〕解( 文)]者}也。
に於ける、
①   {  [ 〔 (  ) 〕 (  )] }
②   {  [ 〔 (  ) 〕 (  )] }
といふ「括弧」は、「漢文の補足構造」と「訓読の語順」を表してゐるものの、
① 我非 必求 中文 漢文 也。
③  非 文法上レ 文者 也。
に於ける、
① 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
③ 乙 下 二 レ   一 上レ  甲
といふ「返り点」は、「訓読の語順」を、表してゐる。
然るに、
(13)
「レ点」が無ければ、
③ 乙 下 二 レ   一 上レ  甲
といふ「返り点」は、
① 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「返り点」といふ風に、せざるを得ない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① 我非 必求 中文 漢文 也。
③  非 也。
に於ける、
① 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
③ 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「括弧」は、「漢文の補足構造」と「訓読の語順」を表してゐる。
然るに、
(15)
① 地{丙[下〔二(一)上〕乙(甲)]天}
に於いて、
① 地{ }⇒{ }地
① 丙[ ]⇒[ ]丙
① 下〔 〕⇒〔 〕下
① 二( )⇒( )二
① 乙( )⇒( )甲
といふ「移動」を行ふと、
① 地{丙[下〔二(一)上〕乙(甲)]天}⇒
① {[〔(一)二上〕下(甲)乙]丙天}地=
① 一 二 上 下 甲 乙 丙 天 地。
従って、
(15)により、
(16)
このことからも、
①  { [ 〔 ( ) 〕 ( )] }
といふ「括弧」は、
① 地 丙 下 二 一 上 乙 甲  天
といふ「返り点」と、「同じ語順」を、表してゐる。
平成30年04月26日、毛利太。

2018年4月13日金曜日

述語論理と漢文の「訓読(邪道?)」。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
(a)
1  (1) ∀x(人x→  死x)  仮定
 2 (2) ∃x(人x& ~死x)  仮定
  3(3)    人a& ~死a   仮定
  3(4) ~~(人a& ~死a)  3二重否定
  3(5) ~(~人a∨~~死a)  4ド・モルガンの法則
  3(6) ~(~人a∨  死a)  5二重否定
  3(7) ~( 人a→  死a)  6含意の定義
1  (8)    人a→  死a   1U除去
1 3(9) ~( 人a→  死a)&
        ( 人a→  死a)  78&導入
  3(ア)~∀x(人x→  死x)  19背理法
 2 (イ)~∀x(人x→  死x)  23アE除去
12 (ウ) ∀x(人x→  死x)&
      ~∀x(人x→  死x)  1イ&導入
1  (エ)~∃x(人x& ~死x)  2ウ背理法
(b)
1  (1) ~∃x(人x& ~死x)  仮定
 2 (2) ~∀x(人x→  死x)  仮定
 2 (3)  ~( 人a→  死a)  2U除去
 2 (4)  ~(~人a∨  死a)  3含意の定義
 2 (5)   ~~人a &~死a   4ド・モルガンの定義
 2 (6)     人a &~死a   5二重否定
 2 (7)  ∃x(人x& ~死x)  6E導入
12 (8) ~∃x(人x& ~死x)&
        ∃x(人x& ~死x)  17&導入
1  (9)~~∀x(人x→  死x)  28背理法
1  (ア)  ∀x(人x→  死x)  9二重否定
然るに、
(02)
 ∀ = 全
 ∃ = 有
 ~ = 不
 → = 則
 & = 而
 ∨ = 与
従って、
(01)(02)により、
(03)
1  (1) 全x(人x則  死x)  仮定
 2 (2) 有x(人x而 不死x)  仮定
  3(3)    人a而 不死a   仮定
  3(4) 不不(人a而 不死a)  3二重否定
  3(5) 不(不人a与不不死a)  4ド・モルガンの法則
  3(6) 不(不人a与  死a)  5二重否定
  3(7) 不( 人a則  死a)  6含意の定義
1  (8)    人a則  死a   1U除去
1 3(9) 不( 人a則  死a)而
        ( 人a則  死a)  78而導入
  3(ア)不全x(人x則  死x)  19背理法
 2 (イ)不全x(人x則  死x)  23アE除去
12 (ウ) 全x(人x則  死x)而
      不全x(人x則  死x)  1イ而導入
1  (エ)不有x(人x而 不死x)  2ウ背理法
(b)
1  (1) 不有x(人x而 不死x)  仮定
 2 (2) 不全x(人x則  死x)  仮定
 2 (3)  不( 人a則  死a)  2U除去
 2 (4)  不(不人a与  死a)  3含意の定義
 2 (5)   不不人a 而不死a   4ド・モルガンの定義
 2 (6)     人a 而不死a   5二重否定
 2 (7)  有x(人x而 不死x)  6E導入
12 (8) 不有x(人x而 不死x)而
        有x(人x而 不死x)  17而導入
1  (9)不不全x(人x則  死x)  28背理法
1  (ア)  全x(人x則  死x)  9二重否定
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
①   ∀x(人x→ 死x)=全てのxについて、xが人ならば、そのxは死ぬ。
② ~∃x(人x&~死x)=xは人であって、そのxは死なない。といふ、そのやうなxは存在しない。
③   全x(人x則 死x)=全てのxについて、xが人ならば、そのxは死ぬ。
④ 不有x(人x而不死x)=xは人であって、そのxは死なない。といふ、そのやうなxは有らず。
に於いて、
①=②=③=④ である。
cf.
Mors omnibus communis(死は全ての人に共通です)⇔ 死なない人間はゐない。
従って、
(04)により、
(05)
② ~∃x(人x&~死x)。
④ 不有x(人x而不死x)。
に於いて、
②=④ である。
然るに、
(06)
任意の表述の否定は、その表述を’~(  )’という空所にいれて書くことにしよう。
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
従って、
(05)(06)により、
(07)
② ~(∃x(人x&~(死x)))。
④ 不(有x(人x而不(死x)))。
に於いて、
②=④ である。
従って、
(08)
② ~[∃x〔人x&~(死x)〕]。
④ 不[有x〔人x而不(死x)〕]。
に於いて、
②=④ である。
然るに、
(09)
④ 不[有x〔人x而不(死x)〕]。
に於いて、
④    x  x    x
は、「置き字」であるとする。
cf.
置き字とは、書き下し文を作るときに、書いてあるけど読まない文字があります。この文字のことを置き字と言います(マナペディア)。
従って、
(09)により、
(10)
② ~[∃x〔人x&~(死x)〕]=
④ 不[有 〔人 而不(死 )〕]。
に於いて、
④ 不[ ]⇒[ ]不
④ 有〔 〕⇒〔 〕有
④ 不( )⇒( )不
といふ「移動」を行ふと、
② ~[∃x〔人x&~(死x)〕]=
④ 不[有 〔人 而不(死 )〕]⇒
④ [〔人 而(死 )不〕有 ]不=
④ [〔人にして(死せ)不るは〕有ら]不=
④ 死なない人間(不死身の人間)は、存在しない。
といふ、「漢文訓読」が成立する。
然るに、
(11)
そこで述語論理学では「人間」と「動物」の「包含関係」を表わすのに、
 動物(人間)
と表示する。そしてこれを記号化して
 F(x) または( )を省略して Fx
というように書く。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、116頁改)
従って、
(11)により、
(12)
人x = 人(x) = xは人である。
死x = 死(x) = xは死ぬ。
従って、
(08)(12)により、
(13)
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}。
④ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}。
に於いて、
②=④ である。
然るに、
(14)
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=
④ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}。
に於いて、
④ 不[ ]⇒[ ]不
④ 有〔 〕⇒〔 〕有
④ 人( )⇒( )人
④ 不( )⇒( )不
といふ「移動」を行ふと、
② ~{∃x〔人(x)&~〔死(x)〕]}=
④ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}⇒
④ {[(x)人而〔(x)死〕不]有x}不=
④ {[(xは)人であって〔(xは)死な〕ない]といふ、そのようなxは有ら}不=
④ 死なない人間(不死身な人間)は、存在しない。
従って、
(10)(14)により、
(15)
② ~[∃x〔人 x &~(死 x )〕]=
④ 不[有 〔人   而不(死   )〕]⇒[〔人にして(死せ)不るは〕有ら]ず。
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=
④ 不{有x[人(x)而不〔死(x)〕]}⇒{[(xは)人であって〔(xは)死な〕ない]といふ、そのようなxは有ら}ず。
従って、
(15)により、
(16)
④ 不[有 〔人   而不(死   )〕]=人にして、死せざるは有らず。
といふ「漢文」と、
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=xは人であって、xは死なない。といふ、そのようなxは有らず。
といふ「述語論理」の「違ひ」は、「xの有無」に、過ぎない。
然るに、
(17)

従って、
(17)により、
(18)
④ 不 人而不一レ 死=人にして、死せざるは有らず。
② ~x 人 x & ~一レ x=xは人であって、xは死なない。といふ、そのようなxは有らず。
に於ける、
④ レ 二 一レ
② レ 二- レ 一レ レ
といふ「返り点」は、
④ 不[有 〔人   而不(死   )〕]=人にして、死せざるは有らず。
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=xは人であって、xは死なない。といふ、そのようなxは有らず。
に於ける「括弧」に、「相当」する。
従って、
(15)(18)により、
(19)
④ 不 人而不一レ 死=人にして、死せざるは有らず。
といふ「漢文」と、
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=xは人であって、xは死なない。といふ、そのようなxは有らず。
といふ「述語論理」の「違ひ」は、「xの有無」に、過ぎない。
然るに、
(20)
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
然るに、
(21)
まず「学習の前に」では、漢文を読むための基礎知識が紹介されている。はじめに漢文は自然言語を土台にして作り上げられた人口的書記言語であることを確認する。話すのではなく、読んで書くために作られたのである(黒田龍之介、寝るまえ5分の外国語、2016年、194・195頁)。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
西洋文化研究者曰く、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。
とは言ふものの、
② ~x 人 x & ~一レ x=
② ~{∃x[人(x)&~〔死(x)〕]}=xは人であって、xは死なない。といふ、そのようなxは有らず。
といふ「人工言語」に対する「訓読」が、「正当」である以上、その一方で、
④ 不 人而不一レ 死=
④ 不[有〔人而不(死)〕]=人にして、死せざるは有らず。
といふ「人工言語」に対する「訓読」が、「邪道」である。
といふことには、ならない。
従って、
(22)により、
(23)
支那の言語や文字を研究するのに、漢文と支那語の様な区別を設けてゐるのは、世界中、日本だけで、支那はもとより、ヨーロッパやアメリカで支那学を研究するにも、そんな意味のない区別など夢にも考へてゐない。西洋人が支那のことを研究するには、何よりも先き、支那の現代の言葉を学び、現代人の書く文章を読み、それから次第に順序を追うて、古い言葉で書いた書物を読んで、支那民族の文化の深淵を理解する。アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである(勉誠出版、「訓読」論、2008年、57頁)が故に、日本人もアメリカ人を見習ふべきである。
といふことには、ならない。
平成30年04月13日、毛利太。

2018年4月4日水曜日

「お前が言うな。」の「が」について(Ⅱ)。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(c)「前言(3月14日)」を翻し、『「は」と「が」』に関する「記事」も、この「ブログ」に書くことにします。

(01)
(a)
1  (1)  A→ B 仮定
 2 (2)    ~B 仮定
  3(3)  A    仮定
1 3(4)     B 13前件肯定
123(5)  B&~B 42&導入
12 (6) ~A    35背理法
1  (7) ~B→~A 26条件法
(b)
1  (1) ~B→~A 仮定
 2 (2)     A 仮定
  3(3) ~B    仮定
1 3(4)    ~A 13前件肯定
123(5)  A&~A 24&導入
12 (6)~~B    35背理法
12 (7)  B    6二重否定
1  (8)  A→B  27条件法
従って、
(01)により、
(02)
(a)
1  (1)AならばBである。    仮定
 2 (2)    Bでない。    仮定
  3(3)Aである。        仮定
1 3(4)    Bである。    13前件肯定
123(5)BでありBでない。    42&導入
12 (6)Aでない。        35背理法
1  (7)BでないならばAでない。 26条件法
(b)
1  (1)BでないならばAでない。 仮定
 2 (2)       Aである。 仮定
  3(3)Bでない。        仮定
1 3(4)       Aでない。 13前件肯定
123(5)AでありAでない。    24&導入
12 (6)Bでない。でない。    35背理法
12 (7)Bである。        6二重否定
1  (8)AならばBである。    27条件法
従って、
(02)により、
(03)
(a)
1  (1)大野ならば私である。    仮定
 2 (2)     私でない。    仮定
  3(3)大野である。        仮定
1 3(4)     私である。    13前件肯定
123(5)私であり私でない。     42&導入
12 (6)大野でない。        35背理法
1  (7)私でないならば大野でない。 26条件法
(b)
1  (1)私でないならば大野でない。 仮定
 2 (2)       大野である。 仮定
  3(3)私でない。         仮定
1 3(4)       大野でない。 13前件肯定
123(5)大野であり大野でない。   24&導入
12 (6)私でない。でない。     35背理法
12 (7)私である。         6二重否定
1  (8)大野ならば私である。    27条件法
(04)
(a)
1   (1) ∃x(大野x→ 私x) 仮定
 2  (2)    大野a→ 私a  仮定
  3 (3)        ~私a  仮定
   4(4)    大野a      仮定
 2 4(5)         私a  24前件肯定
 234(6)    私a& ~私a  53&導入
 23 (7)   ~大野       46背理法
 2  (8)   ~私a→~大野a  37条件法
 2  (9)∃x(~私x→~大野x) 8E導入
1   (ア)∃x(~私x→~大野x) 129E除去
(b)
1   (1)∃x(~私x→~大野x) 仮定
 2  (2)   ~私a→~大野a  仮定
  3 (3)        大野a  仮定
   4(4)   ~私a       仮定
 2 4(5)       ~大野a  24前件肯定
 234(6)   大野a&~大野a  35&導入       
 23 (7) ~~私a        46背理法
 23 (8)   私a        7二重否定
 2  (9)   大野a→ 私a   38条件法
 2  (ア)∃x(大野x→ 私x)  9E導入
1   (イ)∃x(大野x→ 私x)  12アE除去
従って、
(01)~(04)により、
(05)
③ 大野ならば私である。
④ 私でないならば大野でない。
に於いて、
③と④は「対偶」であるため、必ず、
③=④ である。
然るに、
(06)
③ 大野ならば私である。
④ 私でないならば大野でない。
といふことは、
③ 大野は私です。
④ 私以外は大野ではない。
といふことに、他ならない。
従って、
(05)(06)により、
(07)
③ 大野は私です。
④ 私以外は大野ではない。
に於いて、
③=④ である。
といふことを、「論理学(対偶)」が示すところの、「事実」である。
従って、
(08)
③ 大野は私です。
③ 日本の首都は東京である。
④ 私以外は大野ではない。
④ 東京以外は日本の首都ではない。
といふ「日本語」に於いて、
③=④ である。
といふことは、「学説」ではなく、「事実」である。
然るに、
(09)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
 私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
 大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(09)により、
(10)
②  私(未知)が大野(既知)です。
③ 大野(既知)は 私(未知)です。
といふことは、無いにしても、
② 私が大野です。
③ 大野は私です。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(08)(10)により、
(11)
② 私が大野です。
③ 大野は私です。
④ 私以外は大野ではない。
に於いて、
②=③=④ である。
然るに、
(12)
【名字】大野
【読み】おおの,おの,おおや,おうの
【全国順位】 71位
【全国人数】 およそ222,000人
従って、
(12)により、
(13)
全国には、約22万人の「大野さん」がゐる。
従って、
(11)(13)により、
(14)
④ 私以外は大野ではない。
といふのは、飽くまでも、
④(今、ここにゐる人間に関しては)私以外は大野ではない。
といふ、「意味」である。
従って、
(11)(14)により、
(12)
②(今、ここにゐる人間に関しては)私が大野です。
③(今、ここにゐる人間に関しては)大野は私です。
④(今、ここにゐる人間に関しては)私以外は大野ではない。
に於いて、
②=③=④ である。
といふ、ことになる。
然るに、
(13)
③(今、ここにゐる人間に関しては)大野は私だけです。
といふ「それ」は、「本当」の時もあれば、「ウソ」の時もある。
従って、
(13)により、
(14)
① 私は大野です。
といふことが、「本当」であったとしても、
③(今、ここにゐる人間に関しては)大野は私だけです。
といふ「それ」は、「本当」の時もあれば、「ウソ」の時もある。
従って、
(14)により、
(15)
① 私は大野です。
③ 大野は私です。
に於いて、必ずしも、
①=③ であるとは。限らない。
従って、
(11)(15)により、
(16)
① 私は大野です。
② 私が大野です。
③ 大野は私です。
④ 私以外は大野ではない。
に於いて、必ずしも、
①=③ ではないが、必ず、
②=③=④ である。
従って、
(17)
「順番」を変へると、
① 私は大野です。
② 大野は私です。
③ 私が大野です。
④ 私以外は大野ではない。
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず、
  ②=③=④ である。
然るに、
(18)
 マリリンモンローがディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
然るに、
(19)
大野 智(おおの さとし[1]、1980年11月26日[1] - )は、日本の歌手、俳優、タレント、アイドルであり、男性アイドルグループ・嵐 のリーダーである[1]。愛称は「大ちゃん」「リーダー」[4]など。

(ウィキペディア)
従って、
(18)(19)により、
(19)
「ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法」ではないにせよ、いづれにしても、
⑤ 大野智( )結婚!
が、「週刊誌の見出し」であるならば、
⑤ 大野智( )結婚!
に於ける、
⑤    ( )の中には、
⑤    「が」が、入り、
⑤    「は」は、入らない。
然るに、
(20)
⑤ 誰も知らない、何処かに住んでゐる大野さんが結婚する。
からといって、そのことが、「週刊誌の見出し」になることなど、決して無い。
従って、
(19)(20)により、
(21)
⑤ 大野智が結婚!
といふ「週刊誌の見出し」は、
⑤(他ならぬ、あの)大野智が結婚!
といふ、「意味」になる。
従って、
(16)(21)により、
(22)
① 私が大野です。
② 大野智が結婚!
の場合は、それぞれ、
① 私は大野であって(私以外は大野ではない)。
②(他ならぬ)大野智が結婚!
といふ、「意味」になる。
従って、
(22)により、
(23)
① AがBである。
② AがBである。
といふ「日本語」には、少なくとも、
① AはBであって(A以外はBでない)。
②(他ならぬ)AがBである。
といふ「二通り」が、有ることになる。
cf.
「終止形としての排他的命題」=      AはBであって(A以外はBでない)。
「連体形としての排他的命題」=(他ならぬ)AがBである=(A以外ではない所の)AがBである。
然るに、
(24)
然るに、
(25)
Aは「一度も窃盗をしたことが無く、刑務所とは無縁である」。
Bも「一度も窃盗をしたことが無く、刑務所とは無縁である」。
Cも「一度も窃盗をしたことが無く、刑務所とは無縁である」。
Dは「窃盗の罪で、何度も刑務所に入ってゐて、それでも尚、盗みを止める気が無い」。
とする。
然るに、
(26)
お前が言うなとは、主に自分を棚上げした言動・表現に対して使われる言葉である。「おまえがいうな」「おまえが言うな」などの表記ゆれも見られるが、ここでは「お前が言うな」として取り扱う。
この表現は、ある事柄(社会問題など)に対し、その是非を指摘するには不自然な立場の人物が言及した際の批判やツッコミとして用いられることが多い。
突っ込まれる側は、自らを反省、過去を顧みることをせず、その場の思い付きで発言するケースが多くみられる。いくら言論の自由があっても、自分で自分を突っ込むような発言は無責任という印象を強くして自ら貶める結果を生む。
(お前が言うなとは (オマエガイウナとは) [単語記事] - ニコニコ大百科)
従って、
(25)(26)により、
(27)
D曰く「万引きは絶対にしてはならない。」
に対して。
C曰く「お前が言ふな!」
と言ふのであれば、
C曰く「(AやBならばともかく窃盗の常習犯であるDよ、)お前が言うな!」
といふ「意味」になる。
然るに、
(28)
C曰く「(AやBならばともかく窃盗の常習犯であるDよ、)お前が言うな!」
といふことは、
C曰く「(AやBならばともかく、他ならぬCよ、)お前が言うな!」
といふ、ことである。
従って、
(28)により、
(29)
「お前が言ふな!」といふ「日本語」は、
「(他ならぬ)お前が言ふな!」といふ、「意味」である。
平成30年04月04日、毛利太。

2018年3月30日金曜日

「鏡の中の、上下左右」について。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
①「AE」と書かれた「Tシャツ」を着て、「鏡」に向かうと、「鏡の中」で、「AE」といふ「文字」は、「∃A」に見え、
①「AE」と書かれた「コピー用紙」等を、「鏡」に向ければ、「鏡の中」で、「AE」といふ「文字」は、「∃A」に見える。
(02)
②「AE」と書かれた「コピー用紙」等を、「ページ」をめくるように「裏返し」にして、「明るい方向(窓や照明)」に向けると、
②「AE」と書かれた「コピー用紙」は、「充分に薄い」ため、「裏から見る」と、「∃A」といふ「文字」が「透けて見える」。
従って、
(01)(02)により、
(03)
①「AE」と書かれた「Tシャツ」を着て、「鏡」に向かうと、「鏡の中」で「AE」といふ「文字」は、「∃A」に見え、
②「AE」と書かれた「コピー用紙」は、「裏から見る」と、「∃A」といふ「文字」が「透けて見える」。
然るに、
(04)
①「AE」と書かれた「Tシャツ」を着て、「鏡」に向かうと、「鏡の中」で、「AE」といふ「文字」は、「∃A」に見え、
②「AE」と書かれた「コピー紙」を「裏返し」にして、「透かして見る」と、「AE」といふ「文字」は、「∃A」に見える。
といふことは、すなはち、
①「鏡の中」の「Tシャツ」に書かれた「AE」といふ「文字」に関しては、「裏側」から「見てゐる」といふことに、他ならない。
然るに、
(05)
②「鏡」に映す際の、「コピー紙」といふ「平面上」の「AE」といふ「文字」には、「上下左右」はっても、固より、「奥行き(前後)」はい。
従って、
(04)(05)により、
(06)
①「AE」と書かれた「Tシャツ」を着て、「鏡」に向かうと、「鏡の中」で、「AE」といふ「文字」は、「∃A」に見える。
といふことは、要するに、
②「AE」と書かれた「Tシャツ」を着た「人物」の「上下左右」に関しては、「裏側背中の側)」が見えてゐる。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(07)
①「ある人」が「鏡の前」で「直立」するとき、「鏡の中」の「その人の、像(image)」は、「こちらを見てゐる」。
従って、
(06)(07)により、
(08)
①「ある人」が「鏡の前」で「直立」するとき、「鏡の中」の「その人の、像(image)」は、「前後」に関しては、「こちらを見てゐる」ものの、
②「上下左右」に関しては、「その人」が「背中裏側)を向けて、立ってゐる」際の、「人型(figure)」に「等しい」。
従って、
(08)により、
(09)
①「ある人」が、「こちらを見てゐる」にも拘らず、
②「その人」は、「背中を向けてゐる」ことになる。
すなはち、
(10)
① 「前後」 からすると、「ある人」は、「こちらを見てゐる」にも拘らず、
②「上下左右」からすると、「その人」は、「背中を向けてゐる」ことになる。
然るに、
(11)
①「ある人」が、「こちらを見てゐる」にも拘らず、
②「その人」は、「背中を向けてゐる」といふことは、「鏡のの世界」では「有り得ず」、それ故、「混乱」が生じることになる。
然るに、
(12)
③ 二人の人物が、「向い合う」場合は、
③ 一方の人物が、「立」してゐるならば、もう一方の人物は、必ず、何が何でも、絶対に「立ち」していなければならない。
といふ「ルール」があるとする。
従って、
(12)により、
(13)
②「鏡のの人物」が「立」をしてゐるのであれば、
③「鏡のの人物」は「立」をしていなければならないし、
(14)
②「鏡のの人物」が「立」をしてゐるのであれば、
③「鏡のの人物」は「立」をしていなければならない。
然るに、
(15)
② -E-
を -  - を「軸」にして、「180度、回転」させると、
③ -E- になる。
従って、
(15)により、
(16)
逆立ち」をすれば、「上下(A∀)」は「逆」になるが、「左右(EE)」は、「変らない」。
従って、
(12)~(16)により、
(17)
③ 二人の人物が、「向い合う」場合は、
③ 一方の人物が、「立」してゐるならば、もう一方の人物は、必ず、何が何でも、絶対に「立ち」していなければならない。
といふ「ルール」があるならば、
③「鏡の前の人物」は、「鏡の中の自分」を見て、
③ 鏡は、上下は反転するのに、左右にはなぜ反転しないのですか。
といふ「疑問」を持つことになる。
然るに、
(18)
質問者:mako6_6質問日時:2009/05/01 06:40回答数:7件
鏡は、左右は反転するのに、上下にはなぜ反転しないのですか。
従って、
(17)(18)により、
(19)
② 鏡は、左右は反転するのに、上下にはなぜ反転しないのですか。
といふ「疑問」を持ってゐる「mako6_6さん」であったとしても、
③ 二人の人物が、「向い合う」場合は、
③ 一方の人物が、「直立」してゐるならば、もう一方の人物は、必ず、何が何でも、絶対に「逆立ち」していなければならない。
といふ「ルール」が有る「社会」に住んでゐるならば、その場合は、
③ 鏡は、上下は反転するのに、左右にはなぜ反転しないのですか。
といふ「疑問」を、持つことになる。
従って、
(19)により、
(20)
我々の「社会」には、そのような「ルール」が無いからこそ、多くの人は、
③ 鏡は、左右は反転しないのに、上下にはなぜ反転するのですか。
といふ「疑問」を、持つことになる。
(21)
∀ は「全称記号(universal  quantifier)」であって、
∃ は「存在記号(existential quantifier)」である。
従って、
(21)により、
(22)
① Ex{少女x&Ay(少年y→愛yx)}=あるxは少女であって、すべてのyについて、yが少年であるならば、yはxを愛す。
② ∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}=あるxは少女であって、すべてのyについて、yが少年であるならば、yはxを愛す。
において
①「EA」は「間違い」であって、
②「∃∀」が「正しい」。
然るに、
(23)
① Ex{少女x&Ay(少年y→愛yx)}
② ∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}
において
①「EA」は「間違い」であって、
②「∃∀」が「正しい」とする「理由」は、ただ単に、そのように、「決めた」からである。
従って、
(19)(23)により、
(24)
③ 二人の人物が、「向い合う」場合は、
③ 一方の人物が、「直立」してゐるならば、もう一方の人物は、必ず、何が何でも、絶対に「逆立ち」していなければならない。
といふ「ルール」があるとするならば、
② 鏡の中の像は、左右が逆になるのに、どうして上下は逆にならないのですか?
といふ「疑問」ではなく、
③ 鏡の中の像は、上下が逆になるのに、どうして左右は逆にならないのですか?
といふ「疑問」を、持つことになる。
(25)
最後に、もう一度「確認」すると、
①「鏡の中」の「∃A」といふ「字形」は、「上下左右」に関して、
②「AE」と書いた「紙」を「裏側から、透かして見てゐる」際の「字形(figure)」に「等しい」。
といふことは、
①「ある人」が「鏡の前」で「直立」するとき、「鏡の中」の「その人の、像(image)」の場合も、「上下左右」に関しては、
②「その人」が「裏側背中)を向けて、立ってゐる」際の、「人型(figure)」に「等しい」。
といふことに、他ならない。
平成30年03月31日、毛利太。

2018年3月21日水曜日

「象は鼻に長い。」といふ「日本語」に対する、「論理学」による「考察」。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(c)「は」と「が」に関する「記事」は、『日本語の「は」と「が」について(https://blog.goo.ne.jp/onomameus3037)』に書くことにしたのですが、下の画像で示す通りです。

(d)といふわけで、「gooブログ」では、「文字数オーバー」になってしまひ、アップロードできません。
(e)そのため、今回のやうに、「30000文字」を超えてしまふ場合は、これまで通り「ブロガー」に投稿させてもらふことにします。

(001)
③ A is B.
に於いて、
③ A を、「強く発音」すると、
④ A以外はBでない
といふ「意味」になる。
従って、
(002)
「逆」に言ふと、
④ A以外はBでない
といふことを、「主張」したい場合は、
③ A is B.
に於いて、
③ A を、「大きな声で、発音」する。
従って、
(003)
① AはBである。
③ ABである。
に於いて、
① Aは〔清音〕 の「(心理的な)音量」よりも、
③ A音〕 の「(心理的な)音量」の方が、「大きい」のであれば、
その場合は、
③ ABである。
④ A以外はBでない
に於いて、
③=④ でなければ、ならない。
然るに、
(004)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。
(005)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(004)(005)により、
(006)
① Aは〔清音〕 の「(心理的な)音量」よりも、
③ A音〕 の「(心理的な)音量」の方が、「大きい」。
従って、
(003)(006)により、
(007)
③ ABである。
④ A以外はBでない
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(008)
② BはAである。
④ A以外はBでない
といふことは、
③ BならばAである。
④ AでないならばBでない
といふことに、他ならない。
然るに、
(009)
③ BならばAである。
④ AでないならばBでない
を、「記号」で書くと、
③  B→ A
④ ~A→~B
である。
然るに、
(010)
(a)
1  (1) B→ A 仮定
 2 (2)   ~A 仮定
  3(3) B    仮定
1 3(4)    A 13前件肯定
123(5) A&~A 42&導入
12 (6)~B    35背理法
1  (7)~A→~B 26条件法
(b)
1  (1) ~A→~B 仮定
 2 (2)     B 仮定
  3(3) ~A    仮定
1 3(4)    ~B 13前件肯定
123(5)  B&~B 24&導入
12 (6)~~A    35背理法
12 (7)  A    6二重否定
1  (8)  B→ A 27条件法
従って、
(008)(009)(010)により、
(011)
② BはAである。
④ A以外はBでない
の場合は、「対偶(Contraposition)」であって、それ故に、
②=④ である。
従って、
(007)(011)により、
(012)
③ ABである。
④ A以外はBでない
に於いて、
③=④ であって、
② BはAである。
④ A以外はBでない
に於いて、
②=④ である。
従って、
(012)により、
(013)
② BはAである。
③ ABである。
④ A以外はBでない
に於いて、
②=③=④ である。
然るに、
(014)
逆には、(1)真でないときと、(2)真であるときがあります。そこで(1)と(2)をひっくるめて、「逆は必ずしも真ならず」といいます(山下正男、論理的に考えること、1985年、13・14頁)。
従って、
(013)(014)により、
(015)
① AはBである。
はAである。
③ ABである。
④ A以外はBでない
に於いて、必ずしも
①=② ではないが、必ず
  ②=③=④ である。
(証明終了)
然るに、
(016)
① 中野区は東京都である。
② 東京都は中野区である。
③ 中野区東京都である。
④ 中野区以外は東京都ではない。
に於いて、
① は、「本当」である。
② は、「ウソ」である。
③ も、「ウソ」である。
④ も、「ウソ」である。
(017)
① 東京都は日本の首都である。
② 日本の首都は東京都である。
③ 東京都日本の首都である。
④ 東京都以外は日本の首都ではない。
に於いて、
① は、「本当」である。
② も、「本当」である。
③ も、「本当」である。
④ も、「本当」である。
従って、
(015)(016)(017)により、
(018)
① AはBである。
② BはAである。
③ ABである。
④ A以外はBでない
に於いて、必ずしも
①=② ではないが、必ず
  ②=③=④ である。
といふことは、実際に、さうである
然るに、
(019)
③ 東京都日本の首都である。
ならば、言ふまでもなく、
① 東京都日本の首都である。
従って、
(020)
③ ABである。
ならば、言ふまでもなく、
① ABである。
従って、
(020)により、
(021)
③ ABである=
③ AはBであって(A以外はBでない)。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(022)
Definition of exclusive proposition
: a proposition in logic whose predicate is asserted to apply to its subject and no other “none but the brave deserves the fair” is a simple exclusive proposition(merriam-webster).
従って、
(021)(022)により、
(023)
③ ABである=AはBであって(A以外はBでない)。
といふ「それ」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と呼ぶことにする。
然るに、
(024)
② 藤井総太( )指原莉乃と婚約!
であれば、「週刊誌の見出し」は、
② 藤井総太()指原莉乃と婚約!
であって、
② 藤井総太()指原莉乃と婚約!
ではあり得ない
然るに、
(025)
 マリリンモンローディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
 あのチャップリン大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
然るに、
(26)
「未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。」といふのは、「詭弁」に過ぎない。
従って、
(025)(026)により、
(027)
② 藤井総太()指原莉乃と婚約!
であれば、「週刊誌の見出し」は、
②(誰でも知ってゐる、なら、あの)藤井総太()指原莉乃と婚約!
といふ「意味」になる。
然るに、
(028)
②(なら)A
といふことは、
②(A以外ではない所の)A
といふ、ことである。
従って、
(028)により、
(029)
② ABである=
②(なら)ABである=
②(A以外ではない所の)ABである。
といふ、ことになる。
従って、
(023)(029)により、
(030)
① ABである=AはBであって(A以外はBでない)。
② ABである=(A以外ではない所の)AがBである。
といふ「二通り」が、成立する。
然るに、
(031)
①(A以外はBでない)。は、「終止形」であって、
②(A以外ではない所の)は、「連体修飾語」である。
従って、
(030)(031)により、
(032)
① ABである=AはBであって(A以外はBでない)。
② ABである=(A以外ではない所の)AがBである。
に於いて、
① は、「終止形としての排他的命題」であって、
② は、「連体形としての排他的命題」であるとする。
然るに、
(033)
37講 助詞「・の」の働き
助詞は助動詞ほど現代語と離れていませんので、解釈面をしっかり押さえることがポイントです。初めに格助詞「・の」です。両者は非常によく似ています
(武藤元昭、0からわかる古文、1997年、100頁)
すなはち、
(034)
① 君の家、私の国、君の行く道、博士愛した数式。
に対して、
① 君が世、我が国、君が行く道、博士愛した数式。
であるため、「」と「の」は、非常によく似てゐる
然るに、
(035)
① AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
② AがBである=(A以外ではない所の)AがBである。
③ ABする(連体形)C(体言)。
に於いて、
① Aが(係助詞)
② Aが(係助詞)
③ A(格助詞)
であるため、
③ A助詞)Bする(連体形)C(体言)。
の場合は、ここでは、取りあげない。
然るに、
(036)
③ AならばBである(A→B)。
といふ「命題」を、「仮言命題」といふ。
然るに、
(037)
(a)
 1 (1)  A→ B        仮定
  2(2)  A&~B        仮定
  2(3)  A           2
 12(4)     B        13前件肯定
 12(5)    ~B        2&除去
 12(6)  B&~B        45&導入
 1 (7)~(A&~B)       16背理法
(b)
1  (1)~(A&~B)       仮定
 2 (2)  A           仮定
  3(3)    ~B        仮定
 23(4)  A&~B        23&導入
123(5)~(A&~B)&(A&~B)12&導入
12 (6)   ~~B        35背理法
12 (7)     B        6二重否定
1  (8)  A→ B        27条件法
従って、
(036)(037)により、
(038)
③   A→ B =AならばBである。
④ ~(A&~B)=AであってBでない、といふことはない
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(039)
④ AであってBでない、といふことはない
といふのであれば、
④ AであってBでない
ならば、そのときにだけ、「ウソ」である。
従って、
(038)(039)により、
(040)
③ Aならば、Bである=
④ AであってBでない、といふことはない
といふ「仮言命題」は、
③ AであってBでない
ならば、そのときにだけ、「ウソ」である。
然るに、
(041)
③ AならばBである=
③ 日曜日晴れならば、私は釣りに行く。
であるとする。
然るに、
(040)(041)により、
(042)
③ 日曜日晴れならば、私は釣りに行く。
といふのであれば、
⑤ 月曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
⑤ 火曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
⑤ 水曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
⑤ 木曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
⑤ 金曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
⑤ 土曜日が晴れたのに、私は釣りに行かない。
としても、
③ 日曜日晴れならば、私は釣りに行く。
とふ「仮言命題」は、「ウソにはならず
⑤ 日曜日晴れたのに、私は釣りに行かない
のであれば、
③ 日曜日晴れならば、私は釣りに行く。
とふ「仮言命題」は、「ウソ」になる。
従って、
(042)により、
(043)
⑤(日曜日以外ある所の)土曜日晴れたのに、私は釣りに行かない(としてもウソではない)。
④(日曜日以外ない所の)日曜日晴れたのに、私は釣りに行かない(としたらウソある)。
然るに、
(044)
④ 私はウソを言はない
従って、
(043)(044)により、
(045)
⑤(日曜日以外ある所の)土曜日晴れたのに、私は釣りに行かない(といふことはアル)。
④(日曜日以外ない所の)日曜日晴れたのに、私は釣りに行かない(といふことはナイ)。
然るに、
(038)により、
(046)
④ AであってBでない、といふことはない
③ AならばBである。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(045)(046)により、
(047)
③(日曜日以外ない所の)日曜日晴れならば、私は釣りに行く。
④(日曜日以外ない所の)日曜日晴れたのに、私は釣りに行かない(といふことはナイ)。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(048)
③(日曜日以外ない所の)日曜日晴れならば、私は釣りに行く。
といふことは、
③(なら)日曜日晴れならば、私は釣りに行く。
といふことに、他ならない。
従って、
(036)~(048)により、
(049)
③ 日曜日晴れならば、私は釣りに行く=(なら)日曜日が晴れならば、私は釣りに行く。
でなければ、ならない。
従って、
(027)(032)(049)により、
(050)
② 藤井総太婚約           =(なら)藤井総太婚約。
③  日曜日晴れならば、私は釣りに行く=(なら) 日曜日晴れならば、私は釣りに行く。
に於いて、
② は、「連体形としての排他的命題」であって、
③ も、「連体形としての排他的命題」である。
従って、
(050)により、
(051)
② 藤井総太( )指原莉乃と婚約! 
③  日曜日( )晴れならば、私は釣りに行く。
に於ける、
②     ( )には、「」が入り、
③     ( )にも、「」が入る「理由」は、
② 藤井総太()指原莉乃と婚約! 
③  日曜日()晴れならば、私は釣りに行く。
に於いて、それぞれが、
②「連体形としての排他的命題」であって、
③「連体形としての排他的命題」であるからである。
(証明終了)
従って、
(051)により、
(052)
②   x( )象ならば、yはxの鼻である。
③ 日曜日( )晴れならば、私は釣りに行く。
に於ける、
②    ( )には、「」が入り、
③    ( )にも、「」が入る「理由」は、
②   x( )ならば、yはxの鼻である。
③ 日曜日( )晴れならば、私は釣りに行く。
に於いて、それぞれが、
②「連体形としての排他的命題」であるからである。
従って、
(036)(052)により、
(053)
② x象ならば、
のやうな、「仮言命題の前件」としての、
②   は、 
②「連体形としての排他的命題」に於ける「」である。
然るに、
(054)
そこでたとえば「象は鼻が長い」というような表現は、象が主語なのか鼻が主語なのかはっきりしないから、このままではその論理構造が明示されていなから、いわば非論理的な文である、という人もある。しかしこの文の論理構造をはっきり文章にあらわして
「すべてのxについて、もしxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、yは長い」といえばいいかもしれない。しかし日常の言語によるコミニュケーションでは、たとえば動物園で象をはじめて見た小学生が、父親にむかってこのような文章で話しかけたとすれば、その子供は論理的であるといって感心されるまえに社会人としての常識をうたがわれるにきまっている(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、29頁)。
然るに、
(055)
しょゆうかく-いう-[2]【所有格】〔possessive case〕
英文法などで,主格・目的格と並ぶ格の一つ。所有・所属の関係を表すもの。my, your, its などの類(Weblio辞書)。
従って、
(055)により、
(056)
① yは鼻であって、xはyを所有してゐる。
といふことは、
① yは、x鼻である。
といふ「意味」である。
従って、
(055)(056)により、
(057)
① すべてのxについて、もしxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、yは長い。
といふことは、
① すべてのxについて、xが象ならば、あるyはx鼻であって、yは長い。
といふことである。
然るに、
(032)により、
(058)
① 鼻が長い=鼻は長く(鼻以外は長くない)。
② 鼻が長い=(他)鼻が長い。
といふ「二通り」が有る。
(059)
② 鼻長い=(なら)鼻長い。
といふのであれば、
② 鼻長い。
といふ「それ」であっても、
② 藤井総太婚約!⇒ビックリした。大変だ。
といふやうな「意味合ひ」が、「いくらか」は、無ければならない。
然るに、
(060)
三上章先生がいふ所の、
① 象は鼻が長い。
に於いて、
① 鼻長い。
といふことに、
② 藤井総太が婚約!⇒ビックリした。大変だ。
といふやうな、『特別な意味』が有るとは、思へない。
従って、
(057)(060)により、
(061)
① 象は鼻長い。
といふ「日本語」は、
① 象は鼻長い=
① 全ての象は鼻が長く、鼻以外は長くない
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
① 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「述語論理」に、「翻訳」される。
然るに、
(062)
① 全ての象は鼻が長く、鼻以外は長くない。
と言ふのであれば、
① 象が存在するならば、鼻の長い象が存在する。
然るに、
(063)
1    (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1    (2)   象a→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  1UE
 3   (3)∃x(象x)                         A
  4  (4)   象a                          A
1 4  (5)      ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  24MPP   
1 4  (6)      ∃y(鼻yx&長y)               5&E
13   (7)      ∃y(鼻yx&長y)               346EE
1 4  (8)                 ∀z(~鼻zx→~長z)  5&E 
13   (9)                 ∀z(~鼻zx→~長z)  348EE
13   (ア)                    ~鼻bx→~長b   9UE
   イ (イ)                          長b   A
    ウ(ウ)                    ~鼻bx       A
13  ウ(エ)                         ~長b   アウMPP
13 イウ(オ)                    ~長b&長b     イエ&I
13 イ (カ)                   ~~鼻bx       ウオRAA
13 イ (キ)                     鼻bx       カDN
13   (ク)                     長b→鼻bx    イキCP
13   (ケ)                  ∃z(長z→鼻zx)   クEI
13   (コ)      ∃y(鼻yx&長y)& ∃z(長z→鼻zx)   7ケ&I
13   (サ)∃x(象x)&∃y(鼻yx&長y)&∃z(長z→鼻zx)   3コ&I
1    (シ)∃x(象x)ならば、あるxは象であって、あるyはxの鼻であって、yは長く、あるzが長いならば、zはxの鼻である。
1    (ス)象が存在するならば、ある象は象であって、あるyは象の鼻であって、yは長く、あるzが長いならば、zは象の鼻である。
といふ「述語計算」は、「正しい」。
然るに、
(064)
全ての象は鼻が長く、鼻以外は長くない=
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふことは、
全ての象の鼻は長い。そして、全ての象の鼻以外は長くない=
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}&∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふことに、他ならない。
然るに、
(065)
(a)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (2)   象a→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  1UE
 3(3)   象a                          A
13(4)      ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  23MPP
13(5)      ∃y(鼻yx&長y)               4&E
1 (6)   象a→∃y(鼻yx&長y)               35CP
1 (7)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}              6UI
13(8)      ∀z(~鼻zx→~長z)             4&E
1 (9)   象a→∀z(~鼻zx→~長z)             38CP
1 (ア)∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            9UI
1 (イ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}&
     ∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            7ア&I
(b)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}&
     ∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            A
1 (2)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}              1&E
1 (3)   象a→∃y(鼻yx&長y)               2UE
1 (4)∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            1&E
1 (5)   象a→∀z(~鼻zx→~長z)             4UE
 6(6)   象a                          A
16(7)      ∃y(鼻yx&長y)               63CP
16(8)      ∀z(~鼻zx→~長z)             65CP
16(9)      ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  78&I
1 (ア)   象a→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  69CP
1 (イ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} アUI
従って、
(065)により、
(066)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
であるとき、そのときに限って、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}&∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}。
である。
従って、
(054)~(066)により、
(067)
① 象は鼻長い。
といふ「日本語」に対する、
① 象は鼻長い=
① 全ての象は鼻が長く、鼻以外は長くない
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
① 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「翻訳」は、「正しい」。
然るに、
(068)
② ソクラテスは人間である。
といふ「日本語」は、
② ソクラテスといふ人間がゐる=
② ∃x(ソクラテスx&人間x)=
② あるxはソクラテスであって、そのxは人間である。
といふ「述語論」に、「翻訳」される。
然るに、
(069)
そこで私たちは主語を示す変項を文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
 (はソクラテスである)(は人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
 である。
という一般的な 主語-述語文は、
 F G
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、F はもとの文の主語に対応し、G述語に対応していることがわかる。
(沢田充茂、現代論理学入門、1962年、119頁)
従って、
(068)(069)により、
(070)
② ソクラテスは人間である=
② ∃x(ソクラテスx&人間x)=
② あるxはソクラテスであって、そのxは人間である。
といふ「述語論理」には、
② ソクラテスx=ソクラテスといふ
②        人間x=人間である
といふ、「二つ主語」が、有ることになる。
然るに、
(071)
⑦ すべての哲学者は独身である。
といふ「日本語」は、
⑦ ∀x(哲学者x→独身x)=
⑦ 全てのxについて、xが哲学者ならば、xは独身である。
といふ「述語論」に、「翻訳」される。
然るに、
(072)
ところで先にも述べたが、「すべての哲学者は独身だ」における「すべての哲学者」は、文法でいうような主語ではない。述語論理では「哲学者」は述語であり、「すべてのものは哲学者である」あるいは「哲学者であるすべてのものは」と読みかえられる(飯田賢一・中才敏郎・中谷隆雄、論理学の基礎、1994年、121・122頁)。
といふ、ことになる。
従って、
(071)(072)により、
(073)
⑦ すべての哲学者は独身である=
⑦ ∀x(哲学者x→独身x) =
⑦ 全てのxについて、xが哲学者ならば、xは独身である。
といふ「述語論理」には、
⑦ 哲学者x=哲学者である
⑦  独身x=独身である
といふ、「二つ主語」が、有ることになる。
従って、
(067)(070)(073)により、
(074)
① 象は鼻長い=
① 全ての象は鼻が長く、鼻以外は長くない
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
① 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「述語論理」には、少なくとも
① 象x =象である
① 鼻yx=象であるxの鼻である
といふ、「二つ主語」が、有ることになる。
然るに、
(075)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)。
従って、
(074)(075)により、
(076)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
① ∀x といふ「演算子の働き」は、
①   {象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「全体」に及んでゐて、
①       ∃y(鼻yx&長y)
に於いて、
①       ∃x といふ「演算子の働き」は、
①         (鼻yx&長y)
といふ「部分」に及んでゐる。
従って、
(074)(075)(076)により、
(077)
① 象は鼻長い=
① 全ての象は鼻が長く、鼻以外は長くない
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
① 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「述語論理」には、
① 象x=象である
といふ「主語」は、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「全体」に対する「主語」であって、
① 鼻yx=象であるxの鼻であるy
といふ「主語」は、
①       ∃y(鼻yx&長y)
といふ「部分」に対する「主語」である。
然るに、
(078)
日本語「象は鼻が長い」のようないわゆる「総主文」が存在する。このような日本語表現を二重主語と解釈するかどうかは議論があるが、中国語においてはこのような表現は「主謂謂語句」、すなわち「主語+謂語(述語)」の組み合わせが副文として述語になっていると解釈する(ウィキペディア)。
従って、
(077)(078)により、
(079)
① 象は鼻長い。
といふ「日本語」に、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「論理構造」が有る。
といふことを、認めるならば、
① 象は鼻長い。
といふ「日本語」には、少なくとも
① 象
① 鼻
といふ「二つ主語」が有って、尚且つ、
① 象
は「総主語」である。
然るに、
(080)
① An elephant has a long nose and any other part of it is not long.
といふ「英語」は、
① 象=Elephant
① 鼻=Nose
① 長=long
であるとして、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
① As for all x, if x is an elephant then there is y such that y is a nose of x, and y is long. and as for all z, if z is not a nose of x then z is not long.
といふ「述語論理」に、「翻訳」される。
然るに、
(081)
① An elephant has a long nose and any other part of it is not long.
といふ「英語」だけを見て、
nose
が「主語」であると、思ふ人は、一人もゐないはずである
従って、
(082)
主・二重主語)」といふ「発想」は、
① 象は鼻長い。
のやうな「國語」に特有なのであって、
主(二重主語)」といふ「発想」は、
① An elephant has a long nose and any other part of it is not long.
といふ「英語」には、有り得ない
然るに、
(083)
然ルニ國語ノ法則トシテ日本ノ文法ニ之ヲ編入スル者ナキハ何故ゾ。西洋ノ言語ニ類似ノ語法ナク、西洋ノ文典ニ類似ノ記載ナキガ故ニ非ザルカ(草野清淸、國語特有セル語法― 總主、明治三十二年)。
従って、
(082)(083)により、
(084)
主(二重主語)」といふ「発想」は、
① 象は鼻長い。
といふ「國語」に「特有セル語法」なのであって、「西洋ノ言語ニ類似ノ語法ナク、西洋ノ文典ニ類似ノ記載ナシ」である。
然るに、
(085)
大辞林 第三版の解説
しゅじ【主辞
主語」に同じ。[形式論理学と文法]
 そもそも主語・述語とは,形式論理学における命題〈AはBである〉のA(それについて語るところのもの)およびB(Aについて語る事がら)に当たるものを,アリストテレスがそれぞれギリシア語でhypokeimenon,katēgoroumenonと表現したことにさかのぼるという。これが,その後ラテン語でそれぞれsubjectum,praedictumと表現され,論理学および文法の用語としてしだいに定着,今日のヨーロッパ諸言語でも継承され(たとえば英語subject,predicate),また他の言語でも用いられるようになり,日本でも主語述語と訳してきたものである(形式論理学では主辞賓辞とも,文法では主部・述部とも訳す)。当初のヨーロッパでは論理学と文法は密接な(元来は未分化ともいえる)関係にあり,共通の用語となったのだが,しかし,両者は目標も対象も異なる学問である(文法は今日では言語学の一部として位置づけられている)。
従って、
(084)(085)により、
(086)
ある人が、
① 象は鼻長い。
といふ「日本語」は、
① 象は
だけが「主語(主辞)」であって、
①   鼻
  は「主語(主辞)」でない
とするならば、その人こそが、「西洋文法に巻かれていることを語る以外の何物でもない」。
然るに、
(087)
「象は鼻長い」はどれが主辞がわからないから、このままでは非論理的な構造の文である、と言う人がもしあった(沢田『入門』二九ペ)とすれば、その人は旧『論理学』を知らない人であろう、これはこのままで、
 象は 長い。 
 主辞 賓辞
とはっきりしている。速水式に簡単明リョウである。意味も、主辞賓辞の関係も小学生にもわかるはずの文である。これに文句をつけたり、それを取り次いだりするのは、人々が西洋文法に巻かれていることを語る以外の何物でもない。このまま定理扱いしてもよろしい。そしてこの定理の逆は真でないとして、鼻の長いもの例に、鞍馬山の天狗だの、池の尾の禅珍内供だのを上げるのも一興だろう。それでおしまいである。
(三上章、日本語の論理、1963年、13・14頁)。
従って、
(086)(087)により、
(088)
草野清淸先生や、沢田充茂先生ではなく、三上章先生の方こそが、「西洋文法に巻かれていることを語る以外の何物でもない」。
加へて、
(089)
① 象ならば鼻が長い(順)。
② 鼻が長いならば象である(逆)。
③ 天狗は鼻が長いが象ではない(反例)。
といふことと、
 象は 鼻が長い
 主辞 賓辞
とはっきりしている。速水式に簡単明リョウである。意味も、主辞賓辞の関係も小学生にもわかるはずの文である。
といふことが、「どうして結びつくのか」が「不明」である。
(090)
伝統論理学を速水滉『論理学』(016)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九冊一万部中の一冊で、なお引続き刊行だろうから、前後かなり多くの読者をもつ論理学書と考えられる。新興の記号論理学の方は、沢田充茂『現代論理学入門』(062)を参照することとする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
然るに、
(091)
The best to way to find out what logic is to do some(E.J.Lemmon,Beginning Logic).
論理学とは何であるかを知る最善の方法は、実際に幾らかやってみることである(E.J.レモン、竹尾治一郎・浅野楢英訳、論理学初歩、1973年、3頁)。 
然るに、
(092)
沢田充茂『現代論理学入門』は、「解説書(岩波新書)」なので、「沢田充茂、現代論理学入門、1962年」を読んだだけでは、「論理学を、実際に幾らかやってみた」ことには、ならない。
然るに、
(093)
 捨てる神があれば、拾う神がある。
「xノ」消去もある。xは、しっぽをもつ任意の動物。
 頭が西を向けば、尾が東を向く。
ただし、これは「雨の降る日は、天気が悪い」に似て笑いを誘うためだから、その効果のために犬を代入して、
 犬が西向きゃ、尾が東向く。
「何々の」というものを重視したいものである。
 すべての馬が動物であれば、馬の頭はすべて動物の頭である。(ド・モルガンの例)
というようなものに備えて、「何々の」に対しても敏感であることが望ましい。以上のように、条件文で道理を表わすことわざで了解事項となるものは、ガノニヲの範囲である。
(三上章、日本語の論理、1963年、37・38頁)。
然るに、
(094)
「何々の」というものを重視したいものである。かどうかは、ともかく、
1  (1)   ∀x(馬x→動物x)                A
1  (2)      馬b→動物b                 1UE
 3 (3)   ∃y(馬y&頭ay)                A
  4(4)      馬b&頭ab                 A
  4(5)      馬b                     4&E
  4(6)      頭ab                    4&E
1 4(7)      動物b                    26MPP
1 4(8)      動物b&頭ab                56&I
1 4(9)   ∃y(動物y&頭ay)               8EI
13 (ア)   ∃y(動物y&頭ay)               349EE
1  (イ)   ∃y(馬y &頭ay)→∃y(動物y&頭ay)  3アCP
1  (ウ)∀x{∃y(馬y &頭xy)→∃y(動物y&頭xy)} イUI
   (エ)「全てのxについてxが馬ならば、xは動物である。」ならば「全てのxについて、或るyが馬であって、xがその馬yの頭であるならば、或るyは動物であって、xはその動物yの頭である。」
といふことであるならば、私にも、「理解」出来る。
然るに、
(095)
日本文法界でかつて流行した見解、げんに流行しているらしい見解は次のものです。どちらもわれわれにはもはや用のないものです。
象ハ  鼻ガ 長イ。
総主語 主語
私ハ 腹ガ  痛イ。 
主語 対象語
(三上章、象は鼻が長い、1982年、第13版、66頁)
然るに、
(032)により、
(096)
① 腹は痛い=腹は痛い。 
② 腹痛い=腹は痛く(腹以外は痛くない)。
従って、
(096)により、
(097)
② 腹痛い=腹は痛く(腹以外は痛くない)。
と、言はずに、
① 腹痛い=腹は痛い。 
と、言ふのであれば、
① 腹以外(例へば、頭)、痛いのか?
といふ風に、「尋きたく」なる。
従って、
(096)(097)により、
(098)
② あなた好きです。
と、言はずに、
① あなたは好きです。
と、言ふのであれば、
他にも、好きな人がゐるのか。
といふ風に、「尋きたく」なる。
従って、
(097)(098)により、
(099)
② 腹以外は痛くない
② あなた以外は好きではない
と、言ひたいのであれば、
② 腹痛い。
② あなた好きです。
といふ風に、言ふべきである。
然るに、
(100)
 主語と述語
 何がなんだ。
 何がどんなだ。
 何がどうした。
この「何が」にあたる所を主語といい、「なんだ」「どんなだ」「どうした」にあたる所を述語という。
これは私の記憶にまちがいがなければ、私が中学1年のときにならった国文法の第1課の最初に書いてあった文章です。
(竹内外史、集合とはなにか、2001年、13・14頁)
然るに、
(101)
日本語などの東アジアの言語には必要のない「主語」は、明治維新以降は「脱亜入欧」の掛け声のもと、英文法を真似て導入されたものだった。大野晋も『日本語の世界』付録の丸谷才一との対談、その事情をあっさり認めてゐる。 明治以降、要するに英文法をもとにして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。その時に、ヨーロッパでは文を作る時に必ず主語を立てる。そこで『文には主語が必要』と決めた。そこで日本語では主語を示すのに『は』を使う、と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものを当てはめた(金谷武洋、英語にも主語はなかった、2004年、11頁)。
(102)
多くの印欧語において、主語は客観的に観察できる構文的概念である。以下に重要と思われるものを四つほど列挙しよう。マルチネにとっては(あ)が唯一の主語の条件」であるが、特に英仏語の様子を勘案しながら、さらに3点を加えてみる。
(あ)基本文に不可欠な要素である。
(い)語順的にはほとんどの場合、文頭に現れる。
(う)動詞に人称変化(つまり)活用を起こさせる。
(え)一定の格(主格)を持って現れる。
ここで重要なのは、(い)から(え)までの3点を加えるのは(あ)の結論をさらに強めるためだという点である。
(金谷武洋、日本語に主語はいらない、2002年、62頁)
然るに、
(103)
2 主語を補うテクニック
古文が読みにくい原因の一つは、主体(主語)、客体(目的語・補語)が省略されている文が多いことです。主語がわかれば文はずいぶんと読みやすくなります。
(荻野文子、古文マドンナ解法、1993年、11頁)
従って、
(102)(103)により、
(104)
(Ⅰ)「主語」は、基本文に不可欠な要素である。
(Ⅱ)古文が読みにくい原因の一つは、主体(主語)、客体(目的語・補語)が省略されている文が多いことです。
従って、
(104)により、
(105)
(Ⅰ)「省略できる」ならば、「主語」ではない。
(Ⅱ)「古文」では「主語」が「省略」されている文が多い。
(106)
主語や目的語や補語、これだけは自分で考えるクセを付けて下さい。学校の先生がこれまた、考えなくとも、どんどん入れて訳してくれるんです。古文はよく、省かれているんですね。誰が、誰を、誰に、みたいなものが、日本語はよく省略されているんですけど、先生がどんどん補って下さる。で皆さんは何でその主語になるのかよくわかんないまま、またノートに、訳のところに、一生懸命、書いて覚えて、テストを受けてる。さっきも言いました。自力です。自力で補足するんです。
(東進ハイスクール 荻野文子先生 - YouTube)
従って、
(105)(106)により、
(107)
(Ⅰ)「省略できる」ならば、「主語」ではない。
とするならば、 荻野文子先生の「授業」は、成立しない

(108)
「日本語」には、「英語のやうな「主語」はない。といふのであれば、確かに、その通りである。
然るに、
(109)
② こんにゃく太らない。
もちろん、この文が問題となるのは、「太らない」のが「こんにゃく」ではなく、それを食べる人間様の場合である
(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、84頁改)。
従って、
(109)により、
(110)
② こんにゃく太らない。
といふのであれば、
② こんにゃくが存在するならば、ある人が存在して、その人はこんにゃくを食べ、その人は太らない。
然るに、
(111)
1  (1)∀x{蒟蒻x→ ∃y(人y&食yx&~太y)} A
1  (2)   蒟蒻a→ ∃y(人y&食yx&~太y)} 1UE
 3 (3)∃x(蒟蒻x)                 A
  4(4)   蒟蒻a                  A
1 4(5)        ∃y(人y&食yx&~太y)  24MPP
13 (6)        ∃y(人y&食yx&~太y)  345EE
1  (7)∃x(蒟蒻x)→∃y(人y&食yx&~太y)  36CP
1  (8)あるxが蒟蒻であるならば、あるyは人であって、yはxを食べ、yは太らない。
1  (9)こんにゃくが存在するならば、ある人が存在して、その人はこんにゃくを食べ、その人は太らない。
といふ「述語計算」は、「正しい」。
従って、
(110)(111)により、
(112)
② こんにゃく太らない。
といふ「日本語」は、
② こんにゃくは太らない=
② ∀x{蒟蒻x→∃y(人y&食yx&~太y)}=
全てのxについて、xがこんにゃくならば、あるyは人であって、yはxを食べ、yは太らない。
といふ「述語論理」に、「翻訳」される。
従って、
(061)(112)により、
(113)
① 象鼻が長い。
② こんにゃく太らない。
といふ「日本語」は、
全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
全てのxについて、xがこんにゃくならば、あるyは人であって、yはxを食べ、yは太らない。
といふ「述語論理」に、「翻訳」される。
然るに、
(114)
① 全てのxについて、xが象ならば、
② 全てのxについて、xがこんにゃくであるならば、
といふことから、すれば、
① 象鼻が長い。
② こんにゃく太らない。
といふ「日本語」は、「確実に」、
①「象」を「話題」にし、
②「こんにゃく」を「話題」にしてゐる。
cf.
とは、「何々について言へば」という意味合いのものです(山崎紀美子、日本語基礎講座 ― 三上文法入門、2003年、18頁)。
従って、
(079)(114)により、
(115)
① 象鼻が長い=
① 全ての象は鼻が長く、鼻以外は長くない=
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
① 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「日本語・述語論理」に於いて、
①「象」=「∀x{象x→」
は「総主」であって、「話題」である。
平成30年03月21日、毛利太。