人皆知其名=
人皆知(其名)⇒
人皆(其名)知=
人は皆(其の名)を知る。
に対して、
無人不知其名=
無[人不〔知(其名)〕]⇒
[人〔(其名)知〕不]無=
[人として〔(其の名を)知ら〕不るは]無し。
(02)
Mⅹ =ⅹは人間である。
Kⅹn=ⅹはある名前nを知ってゐる。
∴
∀ⅹ(Mⅹ→ Kⅹn)=
全てのⅹについて、ⅹが人間ならば、そのⅹはある名前nを知ってゐる。
に対して
¬∃ⅹ(Mⅹ&¬Kⅹn)=
人間であって、ある名前nを知らないⅹは存在しない。
従って、
(01)(02)により、
(03)
人皆知其名=
人は皆(其の名)を知る=
全てのⅹについて、ⅹが人間ならば、そのⅹはある名前nを知ってゐる。
無人知其名=
[人として〔(其の名を)知ら〕不るは]無し=
人間であって、ある名前nを知らないⅹは存在しない。
従って、
(03)により、
(04)
人皆知其名=
人は皆(其の名)を知る。
といふ「命題」と、
無人不知其名=
[人として〔(其の名を)知ら〕不るは]無し。
といふ「命題」が「等しい」のは、
∀ⅹ(Mⅹ→ Kⅹn)=
全てのⅹについて、ⅹが人間ならば、そのⅹはある名前nを知ってゐる。
といふ「命題」と、
¬∃ⅹ(Mⅹ&¬Kⅹn)=
人間であって、ある名前nを知らないⅹは存在しない。
といふ「命題」が「等しい」ことと、「同じこと」である。
然るに、
(05)
① ⅹ=ⅹ は必然であり、
② ⅹ ≠ ⅹ は不可能である。
③ ⅹ= y は可能であり、
④ ⅹ ≠ y も可能である。
然るに、
(06)
∀ⅹ〔Mⅹ→ Kyn&(ⅹ=y)〕
に対して、
∀ⅹ〔Mⅹ→ Kyn&(ⅹ ≠ y)〕=
全てのⅹについて、ⅹが人間ならば、yはある名前nを知ってゐて、ⅹとyは違ふ人間である。
といふ場合は、
人皆知其名=
人は皆(其の名)を知る=
全てのⅹについて、ⅹが人間ならば、そのⅹはある名前nを知ってゐる。
といふことには、ならない。
然るに、
(07)
「彼女の名前を知らない人はいない」
この文は、「彼女は非常に有名で今やだれでもその名前は知っている」という肯定を強
調する目的で、二重否定を使っていますので、英語では以下のように、二重否定で表現さ
れます。
There is nobody who doesn't know her name.
[ = Everybody knows her name .]
(Webサイト:二重否定 - RAVCO)
従って、
(06)(07)により、
(08)
∀ⅹ(Mⅹ→ Kyn)=
全てのⅹについて、ⅹが人間ならば、そのyはある名前nを知ってゐる=
There is nobody who doesn’t know the name=
人は皆、其の名前を知ってゐる。
であるならば、必然的に、
③ ⅹ=y である。といふことに、なる。
従って、
(09)
¬∃ⅹ(Mⅹ&¬Kyn)=
ⅹといふ人間であって、ある名前nを知らないyは存在しない=
There is nobody who doesn’t know the name.
に於いて、
who=y
ならば、
body=ⅹ
であって、
¬∃=There is no
である。といふことに、なる。
然るに、
(10)
チャンスが無い。⇒ There is no chance (グーグル翻訳)。
No chance ⇒ チャンスはありません(グーグル翻訳)。
Nobody=No one
従って、
(09)(10)により、
(11)
「理屈」としては、
¬∃ⅹ(Mⅹ&¬Kⅹn)=
人間であって、ある名前nを知らないⅹは存在しない=
No one who doesn’t know the name.
従って、
(11)により、
(12)
「理屈」としては、
¬∃ⅹ(Mⅹ&¬Lⅹm)=
人間であって、meを好きでないⅹは存在しない=
No one who doesn’t like me=
Everybody likes me.
然るに、
(13)
子ども:Nobody don’t like me.
母親 :No,say ”Nobody likes me.”
子ども:Nobody don’t like me.
(同じやりとりが8回繰り返される)
母親 :No,now listen carefully;say ”Nobody likes me.”
子ども:Oh! Nobody don’t likes me.
(大修館書店、生成言語学入門、1999年、76頁)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
子ども:Oh! Nobody don’t likes me.
は、あるいは、
子ども:Oh! Nobody who doesn’t like me.
子ども:Oh! Everybody likes me.
といふ「意味」である、「可能性」がある。
従って、
(15)
ある子供が、
Nobody doesn’t〔like(me)〕.
とはせずに、
No[body doesn’t〔like(me)〕].
といふ「形」で、
Nobody don’t likes me.
といふ風に、言ってゐるのであれば、
その子にとっては、
¬∃ⅹ(Mⅹ&¬Lⅹme)=
No[body doesn’t〔like(me)〕]
Nobody who doesn’t like me=
There is Nobody who doesn’t like me.
といふことに、なる。
(16)
子供の言葉は、固より、「メチャクチャ」なので、
Nobody don’t likes me.
といふ「英語」も「正しい」とか、「正しくない」といふことを、述べてゐるのではない。
(17)
私が、言ひたいのは、
「ネイティブとしての、正しい英語」を身につける以前の段階にある子供であれば、「正しい英語」には、捉われずに、却って、
無[人不〔知(其名)〕]。 ⇔ 人皆知(其名)。
¬∃ⅹ(Mⅹ&¬Lⅹme)⇔ ∀ⅹ(Mⅹ→ Lⅹme)
といふ「普遍的な論理(UG)」に従ふ「形」で、
Nobody don’t likes me. ⇔ Everybody likes me.
といふ風に、言ってゐる「可能性」が無いわけでは無い。といふことである。
(18)
更に言へば、
無=No
人=one
不=doesn’t
知=know
其名=the name.
であるにも拘らず、
No one doesn’t know the name.
といふ「英語」が、「正しい英語」としては、
No[one doesn’t〔know(the name)〕]⇒
[one 〔(the name)know〕doesn’t]No=
[人として〔(其の名を)知ら〕不るは]無し=
無 人 不 知 其 名。
とはならないとしたら、そのことは、「意外」である。といふ、ことである。
cf.
mistermaxjrさん曰く、
英語の二重否定(double negative)は肯定になることまずありません。否定の強調です。
平成26年06月22日、毛利太。
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