2017年8月16日水曜日

一般論(と已然形)、仮言命題(と未然形)。

(01)
1 (1) P→Q           A
 2(2) P             A
12(3) Q             12MPP
12(4) P&Q           23&I
1 (5) P→(P&Q)       24CP
  (6)(P→Q)→{P→(P&Q)}15CP
(02)
1 (1) P→(P&Q)       A
 2(2) P             A
12(3) P&Q           12MPP
12(4) Q             3&E
1 (5) P→Q           24CP
  (6){P→(P&Q)}→(P→Q)15CP
従って、
(01)(02)により、
(03)
① Pであると仮定するならば、Qである(P→Q)。
といふ「仮言命題」は、
① Pであると仮定するならば、Pであって、Qである{P→(P&Q)}。
といふ、「意味」である。
従って、
(04)
① Pな然形)ばQである。
といふ「仮言命題」自体は、
① Pである
① Qである
とは、「言ってゐない」し、
① Pでない
① Qでない
とも、「言ってゐない」。
然るに、
(05)
② Pな然形)ばQである。
といふ「古文」は、
② PなのでQである。
といふ「意味」である。
然るに、
(06)
② PなのでQである。
といふのであれば、
② Pである
② Qである
と、「言ってゐる」。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① Pな然形)ばQである。
② Pな然形)ばQである。
に於いて、
① は、「仮言命題」であるが、
② は、「仮言命題」ではない
然るに、
(08)
① Pな然形)ばQである。
② Pな然形)ばQである。
に於ける、
① Pな然形)ば、
② Pな然形)ば、
に於いて、
① を、「定条件」と言ひ、
② を、「定条件」と言ふ。
然るに、
(09)
① Pな然形)ばQである。
に於いて、
① Pな然形)ば、
を、「前件(前提)」と言ひ、
② Qである。
を、「後件(結論)」と言ふ。
従って、
(08)(09)により、
(10)
①「仮定条件」とは、
①「 論理学 」でいふ、
①「前件・前提」に、他ならない。
然るに、
(11)
「古文・漢文」に於ける、
①「仮定条件」
に関しては、
① Pな然形)ばQである。
といふ「用法」しか無い。
すなはち、
(12)
① 虎求百獣而食之得狐。狐曰、子無敢食我也。天帝使我長百獣。今子食我、是逆天帝命也(戦国策)。
① 虎、百獣を求めて之を食らひ、狐を得たり。狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ。天帝、我をして百獣に長たらしむ。今、子、我を食らば、是れ天帝の命に逆らふなり。
等が、さうであるやうに、
① 我を食ら然形)ば、是れ天帝の命に逆らふなり。
のやうな、
① Pな然形)ばQである。
といふ「用法」しか無い。
然るに、
(13)
【ば】(接続助詞)
然形に付き、順接の定条件を示す。
然形に付き、順接の定条件を示す。そして次の三つ用法がある。
(1)原因・理由を示す。
 いと幼ければ、籠に入れて養ふ(竹取物語)。
(2)偶然条件を示す。
 柿食へば鐘がなるなり法隆寺(正岡子規)。
(3)恒常条件を示す。
 水清ければ、魚住まず(ことわざ)。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、167頁改)
従って、
(12)(13)により、
(14)
① Pな然形)ばQである。
の場合が、
(1)「定条件」を示す。
といふ「一通り」しかないのに対して、
② Pなれ(已然形)ばQである。
の場合は、
(1)「原因・理由」を示す。
(2)「 偶然条件 」を示す。
(3)「 恒常条件 」を示す。
といふ「三通り」の「用法」がある。
然るに、
(15)
* 未然 ―「未だ然らず」、 すなわち、「マダソウナッテイナイ」の意である。
* 已然 ―「未然」の反対で、すなわち、「スデニソウナッテイル」の意である。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、23・24頁)
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
(1)いと幼けは(原因)、籠に入れて養ふ(結果)。
(2)柿食ば(その直後に、)鐘がなるなり法隆寺。
(3)(これまでの例からすれば、)水清けば、魚住まず。
といふ風に、解することが、出来る。
然るに、
(17)
(3)(これまでの例からすれば、)水清けば、魚住まず。
といふのであれば、
② 水清け然形)ば、魚住まず。
といふ「言ひ方」は、「一般論」である。
然るに、
(18)
貧すば鈍す
読み方:ひんすればどんす
別表記:貧すば鈍する
貧しいと、生活苦に煩わされることが多くなり、才気や高潔さが失われてしまうものである。瀕すれば鈍する。
(日本語表現辞典 Weblio辞書)
cf.
「鈍する(サ変・連体形)」であるため、「古典文法」としては、「鈍す(サ変・終止形)」が、「正しい」。
従って、
(18)により、
(19)
② 水清け然形)ば、魚住まず。
③ 貧す然形)ば、鈍す。
といふ「ことわざ」は、「一般論」である。
然るに、
(20)
① 水にご然形)ば、釣りをせん。
① 水が濁るな然形)ば、釣りをしよう。
といふ「それ」は、「 一般論 」ではない所の、「仮言命題」であって、
① 水にご然形)ば、
といふ「それ」は、「定条件」ではない所の、「定条件」である。
従って、
(19)(20)により、
(21)
① 水にご然形)ば、釣りをせん。
② 水清け然形)ば、魚住まず。
に於いて、
① は、「仮言命題」であって、
② は、「 一般論 」である。
従って、
(10)(20)(21)により、
(22)
① 水にご然形)ば、
② 水清け然形)ば、
に於いては、
① だけが、「定条件」である。
然るに、
(23)
古典語では順接の仮定条件は「行ば(行クナバ)」のように「然形+ば(接続助詞)」の形であらわした。後期江戸からは、「已然形+ば」はもっぱら仮定条件の意味を表わすようになった。そうなると、「已然形」はもはや「已然形」ではなくなってしまい、「仮定形」と呼ぶべき意味用法を備えるようになった。ここに古典語の「已然形」が消滅し、現代語の「仮定形」によって取って代わられたことになる(浅川哲也・竹部歩美、歴史的変化から理解する現代日本語文法、2014年、97・149頁)。
従って、
(22)(23)により、
(24)
古典語の「已然形」が消滅し、現代語の「仮定形」によって取って代わられた。が故に、
① 水にご然形)ば、
② 水清け然形)ば、
は、本来は、さうではないにも拘らず、両方とも、
①「仮定条件+ば」
②「仮定条件+ば」
として、受け止められる、「可能性」がある。
然るに、
(25)
批判は、勅語の中の「一旦(いったん)緩急あば義勇公に奉じ…」の「あば」は文法的に誤っているといった方向にまで及んだので、さすがに小欄も取り上げないわけにはいかなくなった(産経ニュース、【国語逍遥】2017.6.28 10:01)。
(24)(25)により、
(26)
古典語の「已然形」が消滅し、現代語の「仮定形」によって取って代わられた。が故に、
① 一旦緩急あ然形)ば、
② 一旦緩急あ然形)ば、
は、本来は、さうではないにも拘らず、両方とも、
①「仮定条件+ば」
②「仮定条件+ば」
として、受け止められてゐる(ものと、思はれる)。
然るに、
(27)
】[意味]① あした(
(角川新字源、1968年、459頁)
然るに、
(28)
一朝】③ 事件などがおこることを仮定するときのことば。いったん。
(学研、漢和大辞典、1978年、4頁)
従って、
(27)(28)により、
(29)
一旦仮定するときのことば(もしも・IF)
である。
従って、
(29)により、
(30)
② 一旦緩急あ然形)ば、
といふ「それ」は、
もしもPな然形)ば、
ではなく、
もしもPな然形)ば、
といふ「それ」に、相当する。
然るに、
(31)
もしもPなば、
に対して、
もしもPなば、
といふ「それ」は、明らかに、「ヲカシイ」。
従って、
(30)(31)により、
(32)
② 一旦緩急あ然形)ば、
といふ「それ」は、「読む人が読ま(め)」ば、「ヲカシイ」。
従って、
(32)により、
(33)
④ 行ないて余力あ然形)ば、
といふ「それ」も、「読む人が読ま(め)」ば、「ヲカシイ」。
然るに、
(34)
③ 行なひて余力有然形)ば、則ち以て文を学ぶ(論語、三省堂、 1973年)。
④ 行ないて余力あ然形)ば、則ち以て文を学ぶ(論語、岩波書店、1963年)。
従って、
(33)(34)により、
(35)
③ 行なひて余力有然形)ば、
④ 行ないて余力あ然形)ば、
に於いて、
④ 行ないて余力あ然形)ば、「古典文法」としては、「ヲカシイ」ものの、
実際には、
④ 行ないて余力あ然形)ば、
といふ「それ」も、「通用」する。
然るに、
(36)
高校生が、「古文漢文」を、「並行して学ぶ」以上、
③ 行なひて余力有然形)ば、
④ 行ないて余力あ然形)ば、
に於いて、どちらでも良いのであれば、「古典文法」として「正しいそれ」である、
③ 行なひて余力有然形)ば、
の方を、高校生に対しては、教へるべきである。
加へて、
(37)
③ 行な(ハ行四段・連用形)
が、「正しい」のであって、
④ 行な(ハ行四段・連用形)
は、「間違ひ」である。
従って、
(38)
高校生に対して、ある程度、「古文漢文」の両方が、読めるようになることを「期待」するのであれば、
④ 行なて余力あ然形)ば、則ち以て文を学ぶ(論語、岩波書店、1963年)。
といふ「書き下し文」は、
③ 行なて余力有然形)ば、則ち以て文を学ぶ(論語、三省堂、 1973年)。
といふ「書き下し文」に、改める、べきである。
平成29年08月16日、毛利太。

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