2017年8月27日日曜日

「含意の定義(一昨日の記事)」の補足。

―「08月25日の記事」を補足します。―
(01)
自然演繹論理のあるバージョンには、公理が存在しない。ジョン・レモンが開発した体系 L は、証明の構文規則に関する次のような10個の基本的規則だけを持つ。
 1.A  (仮定の規則)
 2.MPP(肯定肯定式)
 3.MTT(否定否定式)
 4.DN (二重否定 )
 5.CP (条件的証明)
 6.&I (&‐導入)
 7.&E (&‐除去)
 8.∨I  (V‐導入)
 9.∨E  (V‐除去)
10.RAA(背理法)
(ウィキペディア改)
然るに、
(02)
1 (1)P→Q          A
2 (2) ~Q          A
12(3)~P           12MTT
1 (4)~Q→~P        23CP
  (5)(P→Q)→(~Q→~P)14CP
(03)
1 (1) ~Q→~P        A
2 (2)     P        A
2 (3)   ~~P        2DN
12(4)~~Q           12MTT
12(5)  Q           4DN
1 (6)  P→Q         15CP
  (7)(~Q→~P)→(P→Q) 16CP
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
自然演繹論理L」により、
① PであるならばQである( P→ Q)。
② QでないならばPでない(~Q→~P)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
① PであるならばQである(P→Q)。
② PはQに含まれる。
③ Q以内にPは在る。
④ Q以外にPは無い。
⑤ QだけがPである。
⑥ QでないならばPでない(~Q→~P)。
(06)
① QでないならばPでない(~Q→~P)。
② QだけがPである。
③ Q以外にPは無い。
④ Q以内にPは在る。
⑤ PはQに含まれる。
⑥ PであるならばQである(P→Q)。
従って、
(05)(06)により、
(07)
日本語の論理」により、
① PであるならばQである( P→ Q)。
② QでないならばPでない(~Q→~P)。
に於いて、
①=② である。
従って、
(05)(07)により、
(08)
日本語の論理・自然演繹の論理」により、
① PであるならばQである( P→ Q)。
② QでないならばPでない(~Q→~P)。
③ QであるならばPである( Q→ P)。
④ PでないならばQでない(~P→~Q)。
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
従って、
(08)により、
(09)
①&③=(P→Q)&( Q→ P)。
①&④=(P→Q)&(~P→~Q)。
に於いて、
①&③=①&④ である。
然るに、
(10)
①&③=(P→Q)&( Q→ P)。
といふことは、「PとQは等しい。」といふことに、他ならない。
従って、
(09)(10)により、
(11)
①&④=(P→Q)&(~P→~Q)。
といふことは、「PとQは等しい。」といふことに、他ならない。
従って、
(11)により、
(12)
①&④=(P→Q)     &(~P→~Q)。
①&④=(PならばQである)&(PでないならばQでない)。
といふことは、「PとQは等しい。」といふことに、他ならない。
然るに、
(13)
① PならばQであって、④ PでないならばQでない。
といふことは、
⑤ Pならば、その時に限ってQである。
といふことに、他ならない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
「一昨日の記事」でも書いたやうに、
⑤ (P→Q)&(~P→~Q),~Q ├ ~Q
⑤ Pならば、その時に限ってQである。Pでない。故に、Qでない。
といふ「推論」は、「妥当(Valid)」である。
(15)
【ば】(接続助詞)
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
已然形に付き、順接の確定条件を示す。
そして次の三つ用法がある。
(1)原因・理由を示す。
 いと幼ければ、籠に入れて養ふ(竹取物語)。
(2)偶然条件を示す。
 柿食へば鐘がなるなり法隆寺(正岡子規)。
(3)恒常条件を示す。
 水清ければ、魚住まず(ことわざ)。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、167頁改)
然るに、
(16)
〔苟・・・・・〕(仮定)「いやしくモ・・・・・(バ)」と読み「かりにも・・・・・すれば」「もしも・・・・・であれば」の意。
「苟能充之、足以保四海〔苟も能く之を充たば、以て四海を保んずるに足る〕(=もしかりにこれを拡充させたならば、それによって天下を安定させることができる。)」〈孟子・公孫丑〉
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、651頁)
然るに、
(15)(16)により、
(17)
この場合は、
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルール」により、
① 之を充た(サ行四段・未然形)ば、
と、なってゐる。
然るに、
(18)
〔若・・・・・〕(仮定)「もシ・・・・・(バ)」と読み「かりにも・・・・・すれば」「もしも・・・・・であれば」の意。「如」と同じに用いる。「若掘地而及泉〔若し地を掘りて泉に及ば〕(=もしかりに地面を掘って泉に達すれば)」〈左伝・隠元〉
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、651頁)
然るに、
(15)(18)により、
(19)
この場合は、
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルール」を「無視」して、
② 泉に及(バ行四段・已然形)ば、
と、なってゐる。
cf.
泉に及び(連用形)(完了の助動詞・未然形)ば=泉に及んだとしたら、
従って、
(15)(17)(19)により、
(20)
【ば】(接続助詞)
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルール」は、「漢文訓読」に於いては、「必ずしも、順守」されない
然るに、
(21)
【ば】(接続助詞)
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルールに従ふ限り
① 充た(サ行四段・然形)ば、
② 及べ (バ行四段・然形)ば、
に於いて、
① は、「正しく」、
② は、「正しく」はない
然るに、
(22)
】[意味]① あした(
(角川新字源、1968年、459頁)
然るに、
(23)
一朝】③ 事件などがおこることを仮定するときのことば。いったん
(学研、漢和大辞典、1978年、4頁)
従って、
(22)(23)により、
(24)
一旦】=仮定するときのことば(もし・IF)
である。
従って、
(24)により、
(25)
もし緩急あ然形)ば、
一旦緩急あ然形)ば、
の場合は、両方とも、
①〈仮定条件〉であって、
③〈仮定条件〉である。
従って、
(21)(25)により、
(26)
【ば】(接続助詞)
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルール」に従ふ限り、
① 充た(サ行四段・然形)ば、
② 及 (バ行四段・然形)ば、
③ あ (ラ行変格・然形)ば、
に於いて、
① は、「正しく」、
② は、「間違ひ」であって、
③ も、「間違ひ」である。
然るに、
(27)
大阪大名誉教授の加地伸行さん曰く、
老生きの答えかたは、二種類あった、一つは古文の立場からである。すなわち、助詞「ば」には、三のつながりかたがある。例えば、「あり」の場合、
①「あり」の未然形である「あら」につながって「あらば」となると仮定となり、「もし・・・・・であるならば」となる。池上某もそのようにのべている。
②「あり」の已然形「あれ」につながり「あれば」となると、「・・・・・ので」(理由)とか「・・・・・たところ」(継起)を表わす。
さらに「ば」が「已然形」に接続する、
③の場合がある。それは〈或ることが有ると、いつでもそれに伴って、後のことが起こることを「ば」が示す〉という〈一般条件〉の場合である。
例えば、「勝てば官軍」「住めば都」、漢文調なら「三人寄れば文殊の知恵」「命長ければ、恥じ多し」・・・・・。
教育勅語の「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ」は、近代国家の国民として、外国軍と戦うこと(危急)が起こったときは、当然、戦うという意味であるから、
③に相当する。文法として誤りどころか正しいのである(月刊ウィル 2017年6月号、26・27頁)
従って、
(27)により、
(28)
加地伸行先生の場合は、
【一朝】③ 事件などがおこることを仮定するときのことば。いったん
(学研、漢和大辞典、1978年、4頁)
に於ける、【一旦】を、「仮定するときのことば」ではない
といふ風に、されてゐる。
従って、
(26)(27)(28)により、
(29)
「 苟 」は、「仮定するときのことば」であって、
「 若 」は、「仮定するときのことば」であって、
「一旦」も、「仮定するときのことば」であるならば、
教育勅語の「一旦緩急あば、義勇公に奉じ」は、近代国家の国民として、外国軍と戦うこと(危急)が起こったときは、当然、戦うという意味であるから、
③に相当する。文法として誤りどころか正しいのである(月刊ウィル 2017年6月号、26頁)
といふ「説明」は、「正しくはない」。
然るに、
(30)
井上、元田ともに漢詩漢文の造詣の深さで超一流の人物である。その成果としての名文、教育勅語に対する文法の誤りを指摘とは、身の程知らずのチンピラである。
(月刊ウィル 2017年6月号、26頁)
然るに、
(31)
もう一度、確認するものの、
【ば】(接続助詞)
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルール」に従ふ限り、
① 充た(サ行四段・形)ば、
② 及ば(バ行四段・形)ば、
③ あ (ラ行変格・形)ば、
に於いて、
① は、「正しく」、
② は、「間違ひ」であって、
③ も、「間違ひ」である。
といふことに関しては、「間違ひ」は無い
従って、
(32)
「一旦緩急あ(ラ行変格・然形)ば、」とはせずに、
「一旦緩急あ(ラ行変格・然形)ば、」としていたならば、
「之を充た(サ行四段・然形)ば、」といふ「それ」が、さうであるやうに、
古文としても訓読としても正しかった」ことになるため、固より、
「教育勅語に対する文法の誤りを指摘とは、身の程知らずのチンピラである」といふ所の、その「チンビラ」自体が、有り得なかった、ことになる。
平成29年08月27日、毛利太。

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