2019年1月14日月曜日

「漢文の語順(の例外)」について。

(01)
① 病従口入=
① 病従(口)入⇒
① 病(口)従入=
① 病は(口)従り入る=
① 病は(口)より入る。
然るに、
(02)
② 学入乎耳=
② 学入〔乎(耳)〕⇒
② 学〔(耳)乎〕入=
② 学は〔(耳)乎り〕入る=
② 学は〔(耳)より〕入る。
cf.
小人之学乎=小人の学は耳より入る(荀子 勧学)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
「漢文」の場合は、「英語」とは異なり、
① 病 from 口 enters.
② 病 enters from 口.
といふ「語順」は、「両方とも、正しい」。
cf.
①   from 口     が、「副詞句」であることからすると、
①   from 口 enters.の方が、「一般的」であると、思はれる。
(04)
漢文では「ヲ・ニ・ト・ヨリ・ヨリモ」の送り仮名をつけて返る場合が多いが、これにかかわらず、訓読の際に下から必ず返って読む特別の文字がある。これを「返読文字」という。
(鳥羽田重直、漢文の基礎、1985年、22頁)
然るに、
(05)
③ 世有伯楽=
③ 世有(伯楽)⇒
③ 世(伯楽)有=
③ 世に(伯楽)有り。
従って、
(04)(05)に於いて、
(06)
③ 世有伯楽=世に伯楽有り。
に於いて、
③ 有 は、「返読文字」である。
然るに、
(07)
④ 伯楽常有=
④ 伯楽は常に有り。
cf.
千里馬常有=千里の馬は常に有り(韓愈 雑説)。
従って、
(04)(06)(07)により、
(08)
③ 世有伯楽=世に伯楽有り。
④ 伯楽常有=伯楽は常に有り。
であるため、
③ の 有 は、「返読文字」であって、
④ の 有 は、「返読文字」ではない
然るに、
(09)
④ 伯楽 は、「名詞」であり、
④ 巨人 も、「名詞」である。
然るに、
(10)
例へば、
④ 常在 は、「名詞」であり、
④ 常設 は、「名詞」であり、
④ 常備 は、「名詞」であり、
④ 常駐 は、「名詞」であり、
④ 常連 は、「名詞」であり、
④ 常勝 は、「名詞」である。
然るに、
(11)
「漢文」の場合は、
④ A(名詞)+B(名詞)=AはBである。
といふ、「意味」である。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
④ 巨人常勝=巨人(名詞)+常勝(名詞)。
④ 伯楽常有=伯楽(名詞)+常有(名詞)。
であるならば、
④ 巨人常勝=巨人は、常勝である。
④ 伯楽常有=伯楽は、常有である。
といふ、「意味」になる。
従って、
(08)(12)により、
(13)
③ 世有伯楽=世に伯楽有り。
④ 伯楽常有=伯楽は常有なり。
であるため、
③ の 有(動詞) は、「返読文字」であって、
④ の 有(名詞) は、「返読文字」ではない
(14)
⑤ 少年易老=
⑤ 少年易(老)⇒
⑤ 少年(老)易=
⑤ 少年(老ひ)易し。
然るに、
(15)
⑥ 破山中賊易=
⑥ 破(山中賊)易⇒
⑥ (山中賊)破易=
⑥ (山中の賊を)破るは易し。
従って、
(14)(15)により、
(16)
⑤ 少年易老 =少年、老ひ易し。
⑥ 破山中賊易=山中の賊を破るは易し。
であるため、
⑤ の 易 は、「返読文字」であって、
⑥ の 易 は、「返読文字」ではない
然るに、
(17)
⑦ 山中賊易破=
⑦ 山中賊易(破)⇒
⑦ 山中賊(破)易=
⑦ 山中賊は(破り)易し。
従って、
(16)(17)により、
(18)
⑤ 少年易老 =少年は老ひ易し。
⑥ 破山中賊易=山中の賊を破るは易し。
⑦ 山中賊易破=山中の賊は破り易し。
であるため、
⑤ の 易 は、「返読文字」であって、
⑥ の 易 は、「返読文字」ではなく
⑦ の 易 は、「返読文字」である。
(19)
⑧ 謂AB=AをBと謂ふ。
に於いて、
⑧  A を、「倒置」すると、
⑨ A謂_B。
然るに、
(20)
⑨ A謂_B
に於ける、
⑨   _
の「位置」に、
⑨   之
を置くと、
⑨ A謂之B=Aは、之をBと謂ふ。
従って、
(21)
⑧  謂AB=AをBと謂ふ。
⑨ A謂之B=Aは、之をBと謂ふ。
に於いて、
⑧ に対する、「倒置形」が、
⑨ である。
従って、
(21)により、
(22)
⑧   謂不教而殺虐=教へずして殺すを虐と謂ふ。
⑨ 不教而殺謂之虐=教へずして殺す、之を虐と謂ふ。
に於いて、
⑧ に対する、「倒置形」が、
⑨ である。
然るに、
(23)
倒置(とうち)とは、言語において通常の語順を変更させることである。表現上の効果を狙ってなされる修辞技法の1つで、強調的修辞技法の一つである。
(ウィキペディア)
従って、
(22)(23)により、
(24)
⑧   謂不教而殺虐=教へずして殺すを虐と謂ふ。
に於ける、
⑧   不教而殺 =教へずして殺す
といふ「目的語」を、「強調」してゐるのが、
⑨ 不教而殺謂之虐=教へずして殺す、之を虐と謂ふ。
といふ「倒置形」である。
cf.
教育を施してもゐないのに、悪いことをしたら、殺してしまふ。これこそを、虐といふのだ(論語 堯曰、拙訳)。
(25)
① 宋人有〔耕(田)者〕。
② 田中有(株)、兎走觸(株)、折(頸)而死。
③ 因釋(其耒)而守(株)、冀〔復得(兎)〕。
④ 兎不〔可〔復得)〕、而身爲(宋國笑)。
① 宋人に田を耕す者有り。
② 田中に株有あり、兎走りて株に觸れ、頸を折り而死す。
③ 因りて其の耒を釈て而株を守り、復た兎を得んことを冀ふ。
④ 兎復た得可から不し而、身は宋國の笑ひと爲れり。
従って、
(25)により、
(26)
③ 復得(兎)=復た兎を得る。
であるため、
③ 不[可〔復得(兎)〕]=復た兎を得べからず。
である。
従って、
(25)(26)により、
(27)
③ 不[可〔復得(兎)〕]=復た兎を得べからず。
④ 兎不〔可〔復得)〕  =兎、復た得べからず。
である。
従って、
(27)により、
(28)
③ 不可復得兎=復た兎を得べからず。
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
に於いて、
③ の    兎 を。「倒置」した形が、
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
である。
然るに、
(29)
④ 兎、復た得べからず。
といふ「訓読」は、
④ 兎、二度とは手に入れることが出来なかった。
といふ「日本語」に相当する。
然るに、
(30)
従来の説でほぼ共通していると思われるのは、「」を「主題」、「が」を「主格」と呼び、両者は別々の次元に属するという規定である。
(淺山友貴、現代日本語における「は」と「が」の意味と機能、2004年、79頁)
従って、
(29)(30)により、
(31)
④ 兎、復た得べからず。
といふ「訓読」は、
④ 兎、二度とは手に入れることが出来なかった。
といふ「日本語」に相当し、尚且つ、
④ 兎は
は、「主題は」である。
然るに、
(32)
第一要素(文頭)には、「主語(S)」以外に、
① 副詞
②(倒置された)目的語(あるいは主題語
③ 助詞
など、様々な要素が現れる。
(加藤徹、白文攻略 漢文ひとりまなび、2013年、32頁改)
従って、
(28)~(32)により、
(33)
③ 不可復得兎=復た兎を得べからず。
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
に於いて、
③ の    兎 を。「倒置」した形が、
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
であるにせよ、
④ 兎不可復得=兎は、二度とは手に入れることが出来なかった。
に於ける、
④ 兎=兎
④「主題語」としての「第一要素(文頭)」である。
といふ、ことになる。
従って、
(33)により、
(34)
③ 不可復得兎=復た兎を得べからず。
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
に於いて、
③ 兎 は、「純粋な、目的語」であって、
④ 兎 は、「主題語であって、目的語」である。
然るに、
(35)
⑤ 虎不可復得兎=虎、復た兎を得べからず。
に於いて、
⑤      兎
を、「省略」すると、
⑤ 虎不可復得 =虎、復た得べからず。
従って、
(34)(35)により、
(36)
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
⑤ 虎不可復得=虎、復た得べからず。
に於いて、
④ 兎 は「目的語(対格)」であって、
⑤ 虎 は「 主語 (主格)」である。
従って、
(36)により、
(37)
① 宋人に田を耕す者有り。
② 田中に株有あり、兎走りて株に觸れ、頸を折り而死す。
③ 因りて其の耒を釈て而株を守り、復た兎を得んことを冀ふ。
④ 兎復た得可から不し而、身は宋國の笑ひと爲れり。
といふ「文脈が無ければ
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
に於ける、
④ 兎 は、「主語」なのか、「目的語であるのかが、分からない
(39)
① 先生不知何許人。
① 先生は何許の人なるかを知らず。
① 先生は、どこの人かは分からない。
(日栄社、要説 書誌・百家、1965年、142頁)
然るに、
(40)
① 先生、どこの人かは分からない。
といふのであれば、
② 私は、先生が何処の人であるのかを知らない。
といふ「意味」である。
然るに、
(41)
② 我不知先生何許人=
② 我不〔知(先生何許人)〕⇒
② 我〔(先生何許人)知〕不=
② 我、先生の何許の人なるかを知らず=
② 私は先生が何処の人であるのかを知らない。
cf.
先生・の(格助詞、連体修飾)何許の人で・ある(連体形)かを知らない。
先生・が(格助詞、連体修飾)何処の人で・ある(連体形)・の(形式名詞)かを知らない。
従って、
(39)(40)(41)により、
(42)
①  先生不知何許人=先生は、どこの人かは分からない。
② 我不知先生何許人=私は、先生が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(42)により、
(43)
① 先生不知何許人=先生、どこの人かは分からない。
に於いて、
①「先生=先生」は、
①「不知=知らず」の、「主語」ではない
平成31年01月14日、毛利太。

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