2015年3月28日土曜日

「鏡像(左右が逆)」。

(01)
「鏡に映る自分の像」を、「回れ右」をして「振り返った自分」と「仮定」すると、「左右」が「逆」になる。
然るに、
(02)
「鏡に映る自分の像」を、「逆立ち」をして「振り返った自分」と「仮定」すると、「上下」が「逆」になる。
すなはち、
(03)
「逆立ち」をしてゐるのであれば、「頭が下」で「足が上」でなければならない。にも拘わらず、さのやうには映らないといふ意味で、「上下」が「逆」になる。
従って、
(01)~(03)により、
(04)
「鏡は左右に反転して上下に反転しないのは何故か?」 といふことが、疑問に思へる人がゐるのであれば、その人は、「鏡に映る自分の像」を、「回れ右」をして「振り返った自分」と「仮定」してゐるからに、他ならない。
然るに、
(05)
「鏡に映る自分の像」は、「回れ右」をして「振り返った自分」ではないし、
「鏡に映る自分の像」は、「逆立ち」をして「振り返った自分」でもない。
従って、
(06)
「鏡に映る自分の像」が、「回れ右」をして「振り返った自分」であるとする「仮定」は、「偽(ウソ)」である。
従って、
(01)(06)により、
(07)
「仮定」が「真(本当)」ではない以上、「鏡に映る自分の像」は、「左右が逆」になる。といふ風には、言へない。
(08)
① 〇〔△(囗)〕⇔〔(囗)△〕〇
等を、「鏡像(ミラーイメージ)」とする。
(09)
① 不〔読(書)〕⇔〔(書)読〕不
等も、「鏡像(ミラーイメージ)」とする。
従って、
(09)により、
(10)
① 我不〔常読(書)〕⇔〔(書)読常〕不我
は、「鏡像(ミラーイメージ)」である。
従って、
(10)により、
(11)
① 我不〔常読(書)〕⇔〔(書)読常〕不我
② 我不〔常読(書)〕⇔ 我〔常(書)読〕不
に於いて、
②は、「鏡像(ミラーイメージ)」ではない。
従って、
(09)(11)により、
(12)
② 我不〔常読(書)〕⇔ 我〔常(書)読〕不
自体は、「鏡像(ミラーイメージ)」ではない。が、
② 我不〔常読(書)〕⇔ 我〔常(書)読〕不
に於ける、
① 不〔読(書)〕⇔〔(書)読〕不
の部分は、「鏡像(ミラーイメージ)」である。
然るに、
(13)
我不〔常読(書)〕⇒
我〔常(書)読〕不=
我〔常には(書を)読ま〕不。
は、「漢文訓読」である。
従って、
(12)(13)により、
(14)
我不〔常読(書)〕⇒
我〔常(書)読〕不=
我〔常には(書を)読ま〕不。
といふ「漢文訓読」は、
我不〔常読(書)〕⇔ 我〔常(書)読〕不
に於ける、
①「鏡像(ミラーイメージ)」の部分の「左右を逆」にして、
②「平仮名」を補ふこと。
に、他ならない。
平成27年03月28日、毛利太。

2015年3月17日火曜日

既知は・未知が。

(01)
AとBは集合であって、
A={1,2}
B={1,2,3}
であるとする。
従って、
(01)により、
(02)
ⅹがAの要素であれば、
ⅹ=1 か、
ⅹ=2 であるが、
1は、Bの要素であって、
2 も、Bの要素である。
然るに、
(01)により、
(03)
ⅹがBの要素でないならば、
ⅹ≠1 であって、
ⅹ≠2 であって、
ⅹ≠3 であるため、
ⅹは、
A={1,2}
の中にはない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
AとBが、集合であって、
A={1,2}
B={1,2,3}
であるならば、
① ⅹがAならば、ⅹはBである。
② ⅹがBでないならば、ⅹはAでない。
に於いて、
①と②は、両方とも「正しい」。
加へて、
(05)
A={1,2}
B={1,2}
である場合も、
A={1}
B={1}
である場合も、
① ⅹがAならば、ⅹはBである。
② ⅹがBでないならば、ⅹはAでない。
に於いて、
①と②は、両方とも「正しい」。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① Aならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない。
に於いて、
①が「真(本当)」であれば、
②も「真(本当)」であって、
②が「真(本当)」であれば、
①も「真(本当)」である。
然るに、
(07)
① Aならば、Bである。
に対する、
② Bでないならば、Aでない。
を、
①の「対偶」といふ。
然るに、
(08)
② Bでないならば、Aでない。
の「対偶」は、
② Aでない・でないならば、Bでない・でない=
① Aならば、Bである。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① Aならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない。
に於いて、
①は②の「対偶」であり、
②は①の「対偶」であるものの、
通常の数学では、命題「AならばB」の真偽とその対偶「BでないならAでない」の真偽とは必ず一致する(すなわち真理値が等しい)〔ウィキペディア:対偶〕。
従って、
(09)により、
(10)
① Aならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない。
に於いて、
①と②は、「同じ命題」の、「言ひ換へ」に過ぎない。
然るに、
(11)
② Bでないならば、Aでない。
といふことは、
③ B以外は、Aでない。
といふことに、他ならない。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① Aならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない。
③ B以外は、Aでない。
に於いて、
①=②=③
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(13)
① Aならば、Bである。
② Bでないならば、Aでない。
③ B以外は、Aでない。
に於いて、AとBには、特に、意味が無い。
従って、
(13)により、
(14)
① A以外は、Bでない。
② Aでないならば、Bでない。
③ Bならば、Aである。
に於いて、
①=②=③
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(15)
① AはBである。
としても、
② A以外はBでない。
とは、限らない。
然るに、
(16)
① AがBである。
ならば、
② A以外はBでない。
従って、
(14)(16)により、
(17)
① AがBである。
ならば、
② A以外はBでない(BならばAである)。
然るに、
(18)
① AがBである。
であって、尚且つ、
① AはBでない。
とするならば、「矛盾」する。
従って、
(18)により、
(19)
① AがBである。
ならば、
① AはBである。
従って、
(17)(19)により、
(20)
① AがBである。
といふ「言ひ方」は、
① AはBであり、
② BはAである(A以外はBでない)。
といふ「連言」に、等しい。
従って、
(21)
① 私が社長です。
といふ「言ひ方」は、
① 私は社長であり、
② 社長は私である(私以外は社長でない)。
といふ「連言」に等しい。
従って、
(22)
① 私が社長です。
② 社長は私です(私以外は社長でない)。
といふ「答へ」を期待してゐるのであれば、
① 誰が社長ですか。
② 社長は誰ですか。
といふ風に、質問すべきであって、
① 誰は社長ですか。
といふ風に、質問すべきではない。
従って、
(22)により、
(23)
例へば、
 誰が社長ですか。
 社長は誰ですか。
 私が社長です。
 社長は私です。
といふ「日本語」を説明する際に、「既知・未知」といふ「用語」を用ゐる必要はない。
然るに、
(24)
ハの上には既知扱いのものがおかれる当然の結果として、ハの上には疑問詞はこない。
 誰はいるか。
 何はあるか。
 どれは君のか。
という表現は可能ではない。ハの上は既知として扱うのが原則であるから、「誰」「何」「どれ」のような疑問詞をハで承けることはない(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、26頁)。
然るに、
(25)
例へば、
(AとBの内)どれが君のか。
 これ(A)が私のです。
といふのであれば、
 これ(A)は私のであって、
 これ以外(B)は私のではない。
といふことに、他ならない。
(26)
このハの上にくるものは、既知として扱うので、誰でも当然知っているものがくる。たとえば、
 地球は丸い
 人は死ぬ
 二掛ける三は六である。
 花のにほひは昔に変らず。
「地球」「人」などは時や場所を超越して、誰でも知っている存在として扱われる対象である。「二掛ける三」とは学問上の命題である。こうしたものはハで承ける(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、26頁)。
然るに、
(27)
{地球、三角定規、竹とんぼ、ホームベース、食パン}の中では、
 地球が丸く(地球以外は丸くない)。ものの、
{地球、三角定規、竹とんぼ、ホームベース、食パン}は、大人の日本人であれば、ほぼ、誰もが、知ってゐる。
(28)
1+2+3=6
は完全数であるとのことであるが、
6の次の完全数は江夏の背番号(28)である。
といふ場合の、
6の次の完全数 は、普通の日本人には、「未知」である。
従って、
(29)
既知は ・ ・ ・ ・ ・。
未知が ・ ・ ・ ・ ・。
であるならば、
6の次の完全数は江夏の背番号である。
といふ「言ひ方」は、
6の次の完全数が江夏の背番号である。
でなければならない。
然るに、
(30)
6の次の完全数は江夏の背番号である。
といふ「言ひ方」は、「普通」である。
平成27年03月17日、毛利太。

2015年3月10日火曜日

矣(完了)・焉(継続)。

(01)
[り]ら り り る れ れ
「接続]四段の已然形およびサ変の未然形に付く。
[意味]① 完了 ある動作・作用が、時間に関係なく終了した意を表す。<・・・・・・タ>
(代々木ライブラリー、受験国文法、1980年、119・120頁)
然るに、
(02)
矣<完了>[例]不幸短命死矣。[読み]不幸短命にして死せり。[訳]〔顔回は〕不幸にも死んでしたった。<論語・雍也>
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、17頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
死矣=死せ(サ変・未然形)り。
であれば、
矣(完了)=り(完了)
である。
然るに、
(04)
燭滅せり、
燭滅矣―ろうそくが消えてしまいました。矣は断定をあらわす終助詞。
(中西清、初歩の漢文、1989年、27頁)
従って、
(04)により、
(05)
矣(断定)=り(完了)
であるものの、
り(断定)=り(完了)
は、矛盾する。
然るに、
(06)
[ぬ]な に ぬ ぬる ぬれ ね
[接続]動詞、形容詞および助動詞の連用形に付く。
[意味]① 完了 ある動作・作用が、時間に関係なく終了した意を表す。<・・・・・・タ。・・・・・・てしまう。・・・・・・てしまった。>
(代々木ライブラリー、受験国文法、1980年、110頁)
従って、
(06)により、
(07)
やん(マ行四段・連用形・撥音便)ぬる(完了・連体形)かな(終助詞・詠嘆)=終わっ・てしまった・なあ。
である。
然るに、
(08)
[慣用表現]
1 已矣乎[読み]やんヌルかな。[訳]もう駄目だ、もうおしまいだ。<陶潜、帰去来辞>
従って、
(07)(08)により、
(09)
已矣乎=やん(マ行四段・連用形・撥音便)ぬる(完了・連体形)かな(終助詞・詠嘆)。
であれば、
矣(完了)=ぬ(完了)
であっても、問題は無い。
従って、
(03)(09)により、
(10)
死矣。
已矣乎。
に於いて、
矣=完了
であっても、問題は無い。
然るに、
(11)
[慣用表現]
2 而已矣[読み]のみ ⇒ 九ページ。
[例]夫子之道、忠恕而已矣。[読み]夫子の道は、忠恕のみ。[訳]先生の道は、真心と思いやりに外ならない。<論語・里仁>
(天野成之、漢文基本語辞典、19・9頁)
然るに、
(12)
先生の道は、忠恕にして、終はりで、完了。
といふことで、
夫子之道は、忠恕のみ。
と「訓読」してゐるのであれば、
而已矣。
に於いて、
矣=完了
であっても、問題は無い。
従って、
(10)(12)により、
(13)
死矣。
已矣乎。
而已矣。
に於いて、
矣=完了
であっても、問題は無い。
従って、
(13)により、
(14)
矣 は、基本的に、
① 完了
を意味し、その、
① 完了
といふ意味から、例へば、
② 確信
③ 決意
等の意味が、派生すると、思はれる。
(15)
并力西向、秦必破矣=力を并せて西に向はば秦必ず破れん。
であれば、
并力西向、秦必破矣=力を并せて西に向ったその時点で、秦の敗北は完了してゐる(のも同然である)。
といふ「気分(確信)」を、
秦必破矣 の、矣 は、表してゐると、思はれる。
(16)
有赴東海而死矣=東海に赴きて死する有るのみ。
であれば、
有赴東海而死矣=東海に赴ひて、死んで完了(、それ以外は無い)。
といふ「気分(決意)」を、
而死矣 の、矣 は、表してゐると、思はれる。
(17)
本当にさうかどうかは別にして、とにかく、何となく、そんな気がする。
然るに、
(18)
焉には継続・進行を表わす作用がある。これは矣が完了を表わすのと対照的である。
(布施郁三、中国古典に於ける矣・焉の解釈、1984年、37頁)
従って、
(18)により、
(19)
先世避秦時乱率妻子邑人、来此絶境不復出焉=先世秦時の乱を避けて、妻子邑人を率ゐて、この絶境に来たり、復た出でず。
であれば、
不復出焉 の、焉 は、
来此絶境不復出焉=この絶境に来てからは、二度とここから出ない状態が、続いてゐる。
といふ「継続」を表してゐる。と、思はれる。
(20)
十室之邑、必有忠信如丘者焉=十室の邑、必ず忠信丘のごとき者有らん。
であれば、
有忠信如丘者焉 の、焉 は、
有忠信如丘者焉=良心と約束を守ることでは、孔子ぐらいの者は、昔から絶えず、ゐ続けてゐる。
といふ「継続」を表してゐる。と、思はれる。
然るに、
(21)
徂徠は、「也」は「ナリ」、「矣」は「ケル」、「焉」は「ケレ」となおしてみればよいと説明している。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、158頁)
従って、
(21)により、
(22)
少なくとも、荻生徂徠が書いた、
① ・ ・ ・ ・ ・ ・ 矣。
② ・ ・ ・ ・ ・ ・ 焉。
に関しては、
① 完了
② 継続
といふ「意味」は無い。
平成27年03月10日、毛利太。

2015年2月19日木曜日

不敢不勉。

(01)
① 敢勉  =葛藤が有っても、努力することを、 選択する。
② 敢不勉=葛藤が有っても、努力しないことを、選択する。
然るに、
(02)
① 敢勉  =葛藤が有っても、努力することを、選択する。
の「否定」は、
③ 不敢勉=葛藤が有っても、努力することを、選択しない。
然るに、
(03)
③ 不敢勉=葛藤が有っても、努力することを、選択しない。
といふことは、
③ 不敢勉=決して、努力することを、しない。
といふことに、他ならない。
(04)
② 敢不勉 =葛藤が有っても、努力しないことを、選択する。
の「否定」は、
④ 不敢不勉=葛藤が有っても、努力しないことを、選択する。といふことはない。
然るに、
(05)
④ 葛藤が有っても、努力しないことを、選択する。といふことはない。
といふことは、
④ 葛藤が有っても、必ず努力する。
といふことに、他ならない。
従って、
(05)により、
(06)
④ 喪事不敢不勉(論語、子罕、一六)。は、
④ 葬ひ事に際しては、どのやうな場合も、「必ず努力する」。
といふ、意味である。
然るに、
(07)
孔子がいうに「宮廷へ出ては、公卿に仕え、家庭にあっては、父兄に仕える。葬式のことがあればどうしても努力しないではいられない、できるだけ努力する(多久弘一、多久の漢文公式110、1988年、24頁)。
然るに、
(08)
「必ず努力する」=「どうしても努力しないではいられない、できるだけ努力する」
従って、
(09)
(06)と(07)に、「矛盾」は無い。
然るに、
(10)
④ 必ず努力する。
といふことは、
④ 努力しないことを、決してしない。
といふことに、他ならない。
従って、
(03)(04)(10)により、
(11)
③ 不敢勉 =決して、努力することを、しない。
④ 不敢不勉=努力しないことを、決してしない。
従って、
(12)
③ 不敢=決して、・・・しない。
④ 不敢=決して、・・・しない。
然るに、
(13)
1 市販の問題集・参考書の類、教科書・教師用指導書の類では、「不敢」を「決して・・・ない」と訳している(江連隆、漢文語法ハンドブック、1997年、81頁)。
従って、
(14)
(12)と(13)に、「矛盾」は無い。
(15)
② 敢不勉=葛藤が有っても、努力しないことを、選択する。
③ 不敢勉=決して、努力することを、しない。
の「訓読」は、両方とも、
② 敢へて勉めず。
③ 敢へて勉めず。
である。
従って、
(15)により、
(16)
② 敢へて勉めず。
③ 敢へて勉めず。
といふ「書き下し文」だけからは、
② 敢不勉。
③ 不敢勉。
の「区別」が付かない。
然るに、
(16)
同音異義語(どうおんいぎご)とは、発音は同じだが、互いに区別される語。
従って、
(15)(16)により、
(17)
② 敢不勉=敢へて勉めず。
③ 不敢勉=敢へて勉めず。
は、「同音異義語」に、似てゐる。
平成27年02月19日、毛利太。

2015年2月9日月曜日

新しいブログ。

 
 既にご案内させていただきました通り、誠に勝手ながら、「Page ON」の
 サービスを、2015年2月28日をもちまして終了させていただきます。
 ご利用のお客さまにはご迷惑をおかけし、申し訳ございません
。

といふことから、「縦書き専用のブロガー」として、「返り点と括弧(http://kaeriten.blogspot.com)。」
を始めました。


「横書き」をやめたわけではないので、これからも、宜しく、お願いします。

1:「返り点」の基本(2)。
2:「ソート」としての「返り点」。
 

3:「返り点」と「括弧」(2)。
4:「括弧」はあります!
5:漢文の基本構造。
6:「連続符号」について。
7:「括弧」と「返り点」。
8:「レ点」について。
9:「返り点」の基本(1)。
10:「括弧(補足構造)」はあります!
11:訓読vs音読。
12:例外(WH移動)。
13:「返り点」と「括弧」(1)。
14:「返り点」と「括弧」(1.5)。
15:「返り点」と「括弧」(2.5)。
16:返り点、括弧、漢文、白話。

平成27年02月09~28日、03月02.・15・20・22・25日、毛利太。

2015年2月7日土曜日

¬(A→B)

(01)
① AならばBならず。
② AなればBならず。
に於いて、
① Aなら(未然形)
② Aなれ(已然形)
である。
然るに、
(02)
已然形
(a)「ば」「ども」に続いて確定条件を表す。
風吹けば、舟出ださず。〈風ガ吹クノデ、舟を出サナイ〉
*已然―前の「未然」の反対で「已に然り」、すなわち、「スデニソウナッテイル」の意である(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、24頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① Aなら(未然形)ばBならず。
といふ「命題」は、
① もしもAでならば、Bでない。
といふ意味であって、
② Aなれ(已然形)ばBならず。
といふ「命題」は、
② 既にAであって、Bでない。
といふ意味である。
従って、
(03)により、
(04)
② Aなれ(已然形)ばBならず=
② 既にAであって、Bでない。
といふ「命題」は、
② A∧¬B=Aであって、尚且つ、Bでない。
といふ、意味になる。
然るに、
(05)
「二重否定律」、「ド・モルガンの法則」、「含意の定義」により、
② A∧¬B=¬(¬(A∧¬B))=¬(¬A∨B)=¬(A→B)
である。
従って、
(04)(05)により、
(06)
② Aなれ(已然形)ばBならず=
② ¬(A→B)
である。
然るに、
(07)
① Aなら(未然形)ばBならず=
① もしもAならば、Bでない。
は、もちろん、
① A→¬B。
である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① Aなら(未然形)ばBならず=
① A→¬B。
であって、
② Aなれ(已然形)ばBならず=
② ¬(A→B)=
② A∧¬B
といふ、ことになる。
加へて、
(09)
「理屈」としではなく、私自身の感覚として、飽く迄も、
① Aなら(未然形)ばBならず=
① A→¬B。
であって、
① Aなら(未然形)ばBならず=
② ¬(A→B)。
には、ならない。
然るに、
(10)
数学を和文で表現するときに、最初にトラブルに陥るのはが、否定をどのように表現するか、という問題です。次の和文を読んでみてください。
 AならばBではない。
この文は、2つの解釈があります。ひとつは「(AならばB)ではない」。数文であらわすと、¬(A→B)です。もう一つは「Aならば(Bではない)」。数文であらわすと、A→¬Bとなります。この2つはまったく異なる意味をもちますが、和文であらわそうとすると、どちらも同じ文になってしまうのです(新井紀子、数学は言葉、2009年、123頁)。
従って、
(09)(10)により、
(11)
新井先生の感覚からすれば、
① Aなら(未然形)ばBならず。
といふ「命題」が、
② Aなれ(已然形)ばBならず。
といふ「命題」を、兼ねてゐることになり、
私の感覚からすれば、
① Aなら(未然形)ばBならず。
は、飽く迄も、
① Aなら(未然形)ばBならず。
である。といふ、「理屈」になる。
従って、
(12)
① AならばBでない。
といふ「言ひ方」に対する捉え方(感じ方)は、同じ日本人であっても、同じではない。
ものの、因みに、「未然形:已然形」に係はる問題としては、次のやうな「議論」が、有名である。
(13)
教育勅語に文法の誤用があるという説がある。すなわち、原文「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」部分の「アレバ」は、条件節を導くための仮定条件でなくてはならず、和文の古典文法では「未然形+バ」、つまり「アラバ」が正しく、「アレバ」は誤用である、とする説である。1910年代に中学生だった大宅壮一が国語の授業中に教育勅語の誤用説を主張したところ教師に諭された、と後に回想している[6](ウィキペディア:教育勅語)。
然るに、
(14)
この場合は、
② 緩急あれ(已然形)ば=仮定条件。
① 緩急あら(未然形)ば=仮定条件。
といふことなので、
② 緩急あれ(已然形)
が、
① 緩急あら(未然形)
を兼ねてゐる。といふ、ことになる。
平成27年02月07日、毛利太。

2015年2月6日金曜日

「返り点」について(縦書き)。

このブログは、PC上では「縦書き」で表示され、マウスポインタが、「縦書きの部分」にある時に、マウスのホイールを回すと、左右にスクロールし、「縦書きの外」では、上下にスクロールします。下に見えてゐる「スクロールノブ」を動かしても、左右のスクロールします。
(〇一)
「返り点」とは、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
④ 天 地 人
⑤ レ
⑥ ‐(ハイフン)
を、言ふ。
(〇二)
読教科書=教科書を読む。
の「返り点」を、
読四教一科二書三=教一科二書三を読四む。
とするのは、「マチガイ」であって、
読二教科書一=教科書一を読二む。
が、「正しい」。
(〇三)
読教科書学漢文=教科書を読み漢文を学ぶ。
の「返り点」を、
読二教科書一学四漢文三=教科書一を読二み漢文三を学四ぶ。
とするは、「マチガイ」であって、
読二教科書一学二漢文一=教科書一を読二み漢文一を学二ぶ。
が、「正しい」。
従って、
(〇二)(〇三)により、
(〇四)
四 一 二 三。
二 一 四 三。
は「マチガイ」であって、
二 一。
二 一 二 一。
が「正しく」、このことは、「基本中の基本」である。
(〇五)
鳥啼梅樹聞=鳥、梅樹に啼く。
聞鳥啼梅樹=鳥の梅樹に啼くを聞く。
の「返り点」は、当然、
鳥啼二梅樹一聞三=鳥、梅樹一に啼二く。
聞三鳥啼二梅樹一=鳥の梅樹一に啼二くを聞三く。
が、「正しい」。
然るに、
(〇六)
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
④ 天 地 人
に於いて、
① を挟んで返る場合には、
② を用ゐ、
② を挟んで返る場合には、
③ を用ゐ、
③ を挟んで返る場合には、
④ を用ゐる。
従って、
(〇六)により、
(〇七)
四 二 一 三。
五 四 二 一 三。
五 二 一 四 三。
は、「マチガイ」であって、
下 二 一 上。
下 中 二 一 上。
下 二 一 中 上。
が、「正しい」。
従って、
(〇六)により、
(〇七)
聞四鳥啼二梅樹一声三=
鳥の梅樹一に啼二く声三を聞四く。
不五常聞四鳥啼二梅樹一声 三=
常には鳥の梅樹一に啼二く声三を聞四か不五。
如五揮二快刀一断四乱麻三 =
快刀一を揮二つて乱麻上を断中つが如下し。
は、「マチガイ」であって、
聞下鳥啼二梅樹一声上=
鳥の梅樹一に啼二く声上を聞下く。
不下常聞中鳥啼二梅樹一声 上=
常には鳥の梅樹一に啼二く声上を聞中か不下。
如下揮二快刀一断中乱麻上 =
快刀一を揮二つて乱麻上を断中つが如下し。
が、「正しい」。
従って、
(〇七)により、
(〇八)
不欲揮快刀断乱麻=
快刀を揮って乱麻を断たんと欲せず。
の「返り点」として、
不レ欲下揮二快刀一断中乱麻上=
快刀一を揮二って乱麻上を断中たんと欲下不レ。
は、「正しい」。
然るに、
(〇九)
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
とは異なり、
② 上 中 下
④ 天 地 人
は、三つしかない。
従って、
(〇八)(〇九)により、
(一〇)
不欲揮快刀断乱麻=
快刀を揮って乱麻を断たんと欲せず。
に対して、
不必欲揮快刀断乱麻=
必ずしも、快刀を揮って乱麻を断たんと欲せず。
の場合は、已むを得ず、
② 上 中 下
ではなく、
③ 甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
を、用ゐて、
不丁必欲丙揮二快刀一断乙 乱麻甲=
必ずしも快刀一を揮二って乱麻甲を断乙たんと 欲丙せ不丁
とする。
従って、
(〇七)(一〇)により、
(一一)
下 二 一 上。
下 中 二 一 上。
下 二 一 中 上。
丁 丙 二 一 乙 甲。
が、正しい。
然るに、
(一二)
例へば、
四 二 一 三。
ではなく、
二 四 一 三。
であったとする。
然るに、
(一三)
(3)上中下点(上・下、上・中・下)
レ点・一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中点に相当しりものと考えるとわかりやすい)。〔原 田種成、私の漢文講義、1995年、43頁〕
従って、
(一二)(一三)により、
(一四)
二 四 一 三。
は、
二 下 一 上。
でなければ、ならない。
然るに、
(一五)
{( )}
に対して、
({ )}
といふ形の「括弧」が、有り得ないやうに、
二 下 一 上。
といふ形の「返り点」も、存在しない。
従って、
(一二)~(一五)により、
(一六)
二 四 一 三。
といふ「順番」を表す「返り点」は、存在せず、
更に言へば、
二 3 一。
二 4 一 3。
二 5 一 4。
二 6 一 5。
・・・・・・。
といふ「順番」を表す「返り点」も、存在しない。
従って、
(一七)
例へば、
2 3 1。
といふ「数字の順番」になるやうに、「返り点」を付けよ。
といふ「問題」がある場合には、実際には、
2‐3 1。
といふ、
2‐3(ハイフン有り)と、
1 に対して、
二 一。
といふ「返り点」を、付けることになる。
然るに、
(一八)
2 3 1=
2‐3 1。
ではなく、
2 4 1 3。
等の「順番」は、固より、
⑥ ‐(ハイフン)
を、用ゐることが、出来ないため、
二 下 一 上。
といふ、「反則」を用ゐない限り、
2 4 1 3。
といふ「数字の順番」を、表すことは、出来ない。
従って、
(一八)により、
(一九)
2 4 1 3。
2 5 1 3 4。
2 6 1 4 3 5。
・・・・・・。
等の「順番」に対しては、
原理的に、「返り点」を付けることが、出来ない。
(二〇)
不レ欲下揮二快刀一断中 乱麻上=
快刀を揮って乱麻を断たんと欲せず。
に対して、
不レ欲二揮レ刀断一レ麻=
刀を揮って麻を断たんと欲せず。
である。
従って、
(二〇)により、
(二一)
① 一 二・点
② 上 下・点
③ 甲 乙・点
④ 天 地・点
⑤ レ点
に於いて、
⑤ レ点
は、
① 一二 の下にも、
① 一二 の中にも、
① 二二 の上にも、
② 下二 の上にも、
置くことが、出来るし、
加へて、
(二二)
まレほ地あと丙いて乙うえた下おそ中かしレさ二くレきこ一レけせ上レすつ甲レちは三なの二ぬレにね一へ天レふレひ=
あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひへほま。
等は、「返り点」として、「正しい」。
従って、
(二二)により、
(二三)
二 一レ
だけでなく、
中 上レ
乙 甲レ
地 天レ
といふ「返り点」は、有る。
然るに、
(二四)
二 一レ
中 上レ
乙 甲レ
地 天レ
に対して、
三 二レ 一
下 中レ 上
丙 乙レ 甲
人 地レ 天
であるが故に、
「始点が二つ、終点が一つ」である、
三 二レ
下 中レ
丙 乙レ
人 地レ
といふ「返り点」は、有り得ない。
(二四)
非レ不レ読二漢文一=漢文を読まざるに非ず。
といふ「返り点」は、
非四不三読二漢文一=漢文 一を読二ま不三るに非四ず。
といふ「返り点」に、等しい。
従って、
(二五)
非レ不レ読二漢文一=
非四不三読二漢文一=漢文を読まざるに非ず。
のやうな、「使い方」だけを、してゐる限り、
「レ点」は、少しも、難しくはない。
(二六)
恐四衆狙之不三馴二於己一=
衆狙の己一に馴二れ不三るを恐一る。
ではなく、
恐二衆狙之不二レ馴二於己一=
衆狙の己に馴れ不るを恐る(朝三暮四)。
が、「正しい」。
然るに、
(二七)
二 一レ
といふ「返り点」が無ければ、
恐二衆狙之不一レ馴二於己一。
といふ「分りにくい、返り点」は、
恐四衆狙之不三馴二於己一。
といふ風に、書かざるを得ないし、固より、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
② 上 中 下 松 竹 梅
④ 天 地 人 間
くらいの「返り点」が有れば、
⑤ レ点
は、不要である。
然るに、
(二八)
数式に於いて、
( )の他に、
{ }を使ふのは、
( )だけでは、「読みにくい」からであるが、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
の他に、
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
を使ふ「理由」も、例へば、
使一三籍誠不八以五畜二妻子一憂四飢寒三乱七心六 而有一〇銭財九以済一二医薬一一 =
籍をして誠に妻子一を畜二ひ飢寒三を憂四ふる を以五て心六を乱七不八銭財九 有一〇りて以て医薬一一を済一二さ使一三 む。
のやうに、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
だけを用ゐると、「読みにくい」からである。
然るに、
(二九)
「読みにくい」のとは逆に、
「付けやすさ」から言へば、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
よりも、「付けやすい」それは、有り得ない。
従って、
(二七)(二九)により、
(三〇)
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
② 上 中 下 松 竹 梅
④ 天 地 人 間
⑤ レ点
に於いて、
「付けやすい返り点」といふことから言へば、
①
だけの「返り点(番号)」が、「最も簡単」であり、
①+③+②+④
からなる「返り点」が、「その次に簡単」であり、
⑤ レ点
を含む、
①+③+②+④+⑤
からなる、「フルセットの返り点」が、「最も難しい」。
従って、
(三一)
「返り点」が、メチャクチャ苦手な、受験生に対しては、
最初に、
使一三籍誠不八以五畜二妻子一憂四飢寒三乱七心六 而有一〇銭財九以済一二医薬一一=
籍をして誠に妻子一を畜二ひ飢寒三を憂四ふる を以五て心六を乱七不八銭財九 有一〇りて以て医薬一一を済一二さ使一三む。
といふ風に、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
だけからなる、「返り点(番号)」を付けることを、勧めたい。
(三二)
その上で、
使一三籍誠不八以五畜二妻子一憂四飢寒三乱七心六 而有一〇銭財九以済一二医薬一一 。
に対して、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
② 上 中 下
④ 天 地 人
からなら「返り点」を用ゐて、
使人籍誠不丙以下畜二妻子 一憂中飢寒上乱乙心甲而有二銭財一以済地医薬天=
籍をして誠に妻子一を畜二ひ飢寒上を憂中ふる を以下て心甲を乱乙不乙銭財二有一りて以て医薬天を済地さ使人む。
とすることを、勧めたい。
(三三)
その次に、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
② 上 中 下
④ 天 地 人
に加へて、
⑤ レ点
を用ゐて、
使人籍誠不乙以下畜二妻子 一憂中飢寒上乱甲レ心而有二銭財一以済地医薬天。
とすることを、勧めたい。
(三四)
言沛公不敢背項王=
沛公敢へて項王に背かずと言はん。
であれば、もちろん、
言四沛公不三敢背二項王一=
沛公敢へて項王一に背二か不三と言四はん。
である。
然るに、
(三五)
言沛公不背項王=
沛公項王に背かずと言はん。
の場合は、
言四沛公不三背二項王一=
沛公項王一に背二か不三と言四はん。
は、「マチガイ」であって、
言二沛公不一レ背二項王一=
沛公項王に背かずと言はん。
が、「正しい」。
と決めたのは、多分、明治時代の、文部省である。
平成二七年〇二月〇六日、毛利太。

2015年2月2日月曜日

縦書のHPについて。













ブラウザによっては、下の「画像(PNG)」が、表示されない場合が、有ります。
平成27年02月03日、毛利太。
不可戻

戻れず

 既にご案内させていただきました通り、誠に勝手ながら、「Page ON」の
 サービスを、2015年2月28日をもちまして終了させていただきます。
 ご利用のお客さまにはご迷惑をおかけし、申し訳ございません
。

といふことで、
「縦書きのホームページ(Page ON)」を、
https://sites.google.com/site/kaeriten/
へ引っ越してはみたものの、うまく行かず、困ってゐます。

平成27年02月02日、毛利太。