2015年6月15日月曜日

返り点、括弧、集合数(Ⅱ)。

(01)
(a)漢文の補足構造は、「括弧」で表すことが出来る。
(b)補足構造を除くと、漢文と訓読の「語順」は、等しい。
(c)漢文の補足構造を「集合数」で表した時、訓読の語順は、「順序数」である。
といふ「三つの条件」の元で、例へば、
人有喜与不如己者為友之心=
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉=
1C〈9{6[4〔3(2)〕5]8(7)}AB〉⇒
1〈{[〔(2)3〕45]6(7)8}9AB〉C=
人〈{[〔(己)如〕不者]与(友)為}喜之心〉有=
人に〈{[〔(己に)如か〕不る者]と(友と)為るを}喜ぶの心〉有り。
といふ「括弧による、ソート(漢文訓読)」が、成立する。
(02)
Dryer (2011a) は世界1377の言語を調べ、可能な語順が複数ある場合には使用頻度によって基本語順を決めた。この調査によれば、SOV型が一番多く565言語、次いでSVO型が488言語であった。他の4つのタイプはいずれも100言語以下で、VSO型が95言語、VOS型が25、OVS型が11、OSV型が4であった(ウィキペディア:語順)。SOV言語とSVO言語の優位は動かず、VSOは少数、VOSとOVSはきわめて希でOSVはほぼ皆無である(岩波書店、言語類型論入門、2006年、91頁)。
(03)
① SOV:日本語
② SVO:漢文
③ VSO:ゲール語
④ VOS:フィジ―語
⑤ OVS:ヒシカリヤナ語
⑥ OSV:シャバンテ語
に於いて、
② S(VO)   ⇒  ④(VO)S
④ (V〔O)S〕⇒ ⑥(〔O)S〕V
従って、
(04)
② SVO=主語+動詞+目的語(補足語)。
といふ、「漢文の語順」を、
⑥ OSV=目的語(補足語)+主語+動詞。
といふ、「シャバンテ語の語順」で読むためには、
⑥ (〔 )〕
を用ゐることになる。
然るに、
(05)
〔( )〕
に対して、
(〔 )〕
の場合は、
(  )の中に、
   〕 があるため、「括弧」ではない。
従って、
(04)(05)により、
(06)
② S(V〔O)〕⇒
⑥ (〔O)S〕V。
すなはち、「シャバンテ語」による、「括弧による、訓読(ソート)」は、成立しない。
(07)
① SOV
② SVO
③ VSO
④ VOS
⑤ OVS
⑥ OSV
に於いて、
S=主語
を、
N=否定
に置き換へると、
① NOV
② NVO
③ VNO
④ VON
⑤ OVN
⑥ ONV
(08)
① NOV
② NVO
③ VNO
④ VON
⑤ OVN
⑥ ONV
に於いて、
N=不
V=読
O=書
とするならば、
① 不書読。
② 不読書。
③ 読不書。
④ 読書不。
⑤ 書読不。
⑥ 書不読。
従って、
(08)により、
(09)
② 不読書=
② 不〔読(書)〕⇒
⑤〔(書)読〕 不=
⑤〔(書を)読ま〕ず。
は、「漢文訓読」である。
然るに、
(10)
② 不読書。を、
⑥ 書をない読ま。と読む場合は、
② 不読書=
② 不(読〔書)〕⇒
⑥ (〔書)不〕読=
⑥ (〔書を)ない〕読ま。
(11)
③ 読書。を、
⑤ 書を読まない。と読む場合は、
③ 読書=
③ 読(不〔書)〕⇒
⑤ (〔書)読〕不=
⑤ (〔書を) 読ま〕ない。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
② ⇒ ⑤ は、〔( )〕を用ゐ、
② ⇒ ⑥ は、(〔 )〕を用ゐ、
③ ⇒ ⑤ は、(〔 )〕を用ゐる。
ものの、(05)でも述べた通り、
(〔 )〕は、『括弧』ではない。
然るに、
(13)
二(三 一) ⇒ (三 一)二
(三〔一)二〕⇒ (〔一)二〕三
従って、
(13)により、
(14)
(〔 )〕 は、
二 三 一 に相当する。
従って、
(13)(14)により、
(15)
② ⇒ ⑥ は、二 三 一 を用ゐ、
③ ⇒ ⑤ は、二 三 一 を用ゐる。
然るに、
(16)
言ふまでもなく、
⑥ 書をない読ま。
などといふ「日本語」はない。
加へて、
(17)
③ 読書。
であれば、「漢文の語順」から、
③  不 は、
③  書 だけを「否定」してゐるため、
③(書を読ま)ず。
といふ「意味」には、成り得ず、それ故、
③ 読書。
といふ「漢文」も、有り得ない。
従って、
(16)(17)により、
(18)
③ 読書。
といふ「漢文」も、
⑥ 書をない読ま。
といふ「訓読」も、有り得ない。
従って、
(15)(18)により、
(19)
③ と ⑥ が、有り得ないが故に、
② ⇒ ⑥ は、二 三 一 を用ゐ、
③ ⇒ ⑤ は、二 三 一 を用ゐる。
といふことも、有り得ない。
従って、
(19)により、
(20)
一体何故、
② 二 三 一
③ 二 三 一
といふ「返り点」が、有り得ないのかと言へば、例へば、
② 不読書。
に対して、
③ 読書。
といふ「漢文」が有り得ず、
⑤ 書を読まない。
といふ「訓読」に対して、
⑥ 書をない読ま。
といふ「訓読」が、有り得ない。からである。
(21)
② 不〔読(文)〕⇒
⑤〔(文)読〕 不=
⑤〔(文を)読ま〕ず。
に対して、
我=主語
常=修飾語
漢=修飾語
を加へると、
② 我不〔常読(漢文)〕⇒
⑤ 我〔常(漢文)読〕不=
⑤ 我〔常には(漢文を)読ま〕不。
然るに、
(22)
① 15〔24(33)〕⇒
④ 1〔2(33)4〕5。
従って、
(21)(22)により、
(23)
① 我不〔常読(漢文)〕⇒
④ 我〔常(漢文)読〕不=
① 15〔24(33)〕⇒
④ 1〔2(33)4〕5=
④ 我〔常には(漢文を)読ま〕不。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(24)
15〔24(33)〕
を「集合数」とすると、
5は、〔24(33)〕を含んでゐて、
4は、(33)を含んでゐる。
然るに、
(25)
15〔24(33)〕。
から、
〔( )〕
を外して、
152433。
としても、
5は、2433 を含んでゐて、
4は、33 を含んでゐる。
従って、
(26)
152433。
を見て、
5は、2433 を含んでゐて、
4は、33 を含んでゐる。
といふことには、「気づく」ことが、出来る。
然るに、
(27)
我不常読漢文。
を見て、
不は、常読漢文 に係ってゐて、
読は、漢文 に係ってゐる。
といふことには、「気づく」ことが、出来る。
然るに、
(28)
我不常読漢文。
を見て、
不は、常読漢文 に係ってゐて、
読は、漢文 に係ってゐる。
といふことには、「気づく」ことが、出来るのであれば、
我不常読漢文。
といふ「白文」を、
我常には漢文を読ま不。
といふ風に、「訓読」することが、出来る。
然るに、
(29)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
従って、
(28)(29)により、
(30)
我不常読漢文。
といふ「漢文」の、「管到」が分れば、その時に限って
我不常読漢文。
といふ「白文」を、
我常には漢文を読ま不。
といふ風に、「訓読」することが、出来る
従って、
(30)により、
(31)
人有喜与不如己者為友之心。
といふ「漢文」の、「管到」が分らなければ
人有喜与不如己者為友之心。
といふ「白文」を、
人己に如かざる者と友と為るを喜ぶの心有り(金沢大学入試問題)。
とは、読めない
然るに、
(32)
人有喜与不如己者為友之心。
といふ「白文」を、
人己に如かざる者と友と為るを喜ぶの心有り。
といふ風に、読めないのであれば、
人有喜与不如己者為友之心。
に対して、
といふ「返り点」を、付けることは、出来ない。
然るに、
(33)
人有喜与不如己者為友之心。
といふ「漢文」の、「管到」は、
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉。
といふ「括弧」で、表すことが、出来る。
cf.

然るに、
(34)
人有喜与不如己者為友之心=
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉=
1C〈9{6[4〔3(2)〕5]8(7)}AB〉⇒
1〈{[〔(2)3〕45]6(7)8}9AB〉C=
人〈{[〔(己)如〕不者]与(友)為}喜之心〉有=
人に〈{[〔(己に)如か〕不る者]と(友と)為るを}喜ぶの心〉有り。
の「返り点」は、
乙 下 二 レ レ 一 上レ 甲
であるが、
人有喜与不如自分者為友人之心=
人有〈喜{与[不〔如(自分)〕者]為(友人)}之心〉=
1C〈9{6[4〔3(22)〕5]8(77)}AB〉⇒
1〈{[〔(22)3〕45]6(77)8}9AB〉C=
人〈{[〔(自分)如〕不者]与(友)為}喜之心〉有=
人に〈{[〔(自分に)如か〕不る者]と(友人と)為るを}喜ぶの心〉有り。
の「返り点」は、
地 丙 下 三 二 一 上 乙 甲 天
である。
従って、
(34)により、
(35)
〈{[〔( )〕]( )}〉
〈{[〔( )〕]( )}〉
といふ「括弧」に対して、
乙 下 二 レ レ 一 上レ 甲
地 丙 下 三 二 一 上 乙 甲 天
といふ具合に、「返り点」は、「一通り」ではない。
従って、
(35)により、
(36)
「返り点」は、「順番」を表してゐるとしても、「補足構造(管到)」を表してゐるとは、言へない。
(37)
更に言ふと、「返り点」は、「レ点とハイフン」の用法が、恣意的であって、それ故、分かりやすいとは、言へない。
(38)
漢文非中華人民共和国語也。以是、
中国語直読法雖隆盛而中国語不可以読中夏之書審也。
如日本之大学生有欲能読白文者則宜以括弧学其管到。
(39)
漢文は中華人民共和国語に非ざるなり。是を以て、
中国語直読法は盛んなりと雖も、中国語は以て中華の書を読む可から不ること審かなり。
如し日本の学生に能く白文を読まんと欲する者有らば則ち、宜しく括弧を以て其の管到を学ぶべし。
平成27年06月15日、毛利太。

2015年6月9日火曜日

返り点、括弧、集合数(Ⅰb)。

(01)
不読書。
に於いて、
不=~ は、否定である。
然るに、
(02)
任意の表述の否定は、その表述を’~(  )’といふ空所にいれて書くことにしよう(W.O.クワイン、現代論理学入門、1972年、15頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
不読書=
不(読書)。
然るに、
(04)
読む のは、(書)である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
不読書=
不〔(読書)〕。
然るに、
(06)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(05)(06)により、
(07)
不読書=
不〔読(書)〕⇒
〔(書)読〕不=
〔(書を)読ま〕ず。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
(08)
3=囗囗囗
2=囗囗
1=囗
に於いて、
3は2を含み、
2は1を含む。
といふ際の、
321。
を、「集合数」とし、
1番目、2番目、3番目。
といふ際の、
123。
を、「順序数」とする。
(09)
321。
に於いて、「21」といふ「二つの集合数」は、「3」に含まれるものの、是を以て、
3(21)。
とする。
(10)
3(21)。
に於いて、「1」といふ「一つ集合数」は、「2」に含まれるものの、是を以て、
3〔2(1)〕。
とする。
然るに、
(11)
3〔2(1)〕。
を、「順序数」とするならば、
3〔2(1)〕⇒
〔(1)2〕3。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
従って、
(07)(11)により、
(12)
不読書=
不〔読(書)〕=
3〔2(1)〕⇒
〔(1)2〕3=
〔(書)読〕不=
〔(書を)読ま〕ず。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
(13)
我不常聞鳥啼梅樹声。
に於いて、
不=~ は、否定である。
然るに、
(14)
任意の表述の否定は、その表述を’~(  )’といふ空所にいれて書くことにしよう(W.O.クワイン、現代論理学入門、1972年、15頁)。
従って、
(13)(14)により、
(15)
我不常聞鳥啼梅樹声=
我不(常聞鳥啼梅樹声)。
然るに、
(16)
聞く のは、(鳥啼梅樹声)である。
従って、
(15)(16)により、
(17)
我不常聞鳥啼梅樹声=
我不〔常聞(鳥啼梅樹声)〕。
然るに、
(18)
鳥が啼く のは、(梅樹)である。
従って、
(17)(18)により、
(19)
我不常聞鳥啼梅樹声=
我不[常聞〔鳥啼(梅樹)声〕]。
然るに、
(20)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(19)(20)により、
(21)
我不常聞鳥啼梅樹声=
我不[常聞〔鳥啼(梅樹)声〕]⇒
我[常〔鳥(梅樹)啼声〕聞]不=
我[常には〔鳥の(梅樹に)啼く声を〕聞]ず。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
(22)
9=囗囗囗囗囗囗囗囗囗
8=囗囗囗囗囗囗囗囗
7=囗囗囗囗囗囗囗
6=囗囗囗囗囗囗
5=囗囗囗囗囗
4=囗囗囗囗
3=囗囗囗
2=囗囗
1=囗
に於いて、
9は8を含み、
8は7を含み、
7は6を含み、
6は5を含み
5は4を含み、
4は3を含み、
3は2を含み、
2は1を含む。
といふ際の、
987654321。
を、「集合数」とし、
1番目、2番目、3番目、4番目、5番目、6番目、7番目、8番目、9番目。
といふ際の、
123456789。
を、「順序数」とする。
(23)
192836457。
に於いて、「2836457」といふ「七つの集合数」は、「9」に含まれるものの、是を以て、
19(2836457)。
とする。
(24)
19(2836457)。
に於いて、「36457」といふ「五つの集合数」は、「8」に含まれるものの、是を以て、
19〔28(36457)〕。
とする。
(25)
19〔28(36457)〕。
に於いて、「45」といふ「二つの集合数」は、「6」に含まれるものの、是を以て、
19[28〔36(45)7〕]。
とする。
然るに、
(26)
19[28〔36(45)7〕]。
を、「順序数」とするならば、
19[28〔36(45)7〕]⇒
1[2〔3(45)67〕8]9。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
従って、
(21)(26)により、
(27)
我不常聞鳥啼梅樹声=
我不[常聞〔鳥啼(梅樹)声〕]=
19[28〔36(45)7〕]⇒
1[2〔3(45)67〕8]9=
我[常〔鳥(梅樹)啼声〕聞]不=
我[常には〔鳥の(梅樹に)啼く声を〕聞]ず。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
従って、
(01)~(27)により、
(28)
(A)漢文の補足構造は、「括弧」で表すことが出来る。
(B)補足構造に関して、漢文訓読語順は、全く反対である。
(C)漢文の補足構造を「集合数」で表す時、訓読の語順は、その「順序数」に対応する。。
といふ「三つの条件」の元で、
① 不読書=
① 不〔読(書)〕=
① 3〔2(1)〕⇒
① 〔(1)2〕3=
①〔(書)読〕不=
①〔(書を)読ま〕ず。
といふ、『括弧による、ソート(漢文訓読)』と、
② 我不常聞鳥啼梅樹声=
② 我不[常聞〔鳥啼(梅樹)声〕]=
② 19[28〔36(45)7〕]⇒
② 1[2〔3(45)67〕8]9=
② 我[常〔鳥(梅樹)啼声〕聞]不=
② 我[常には〔鳥の(梅樹に)啼く声を〕聞]ず。
といふ『括弧による、ソート(漢文訓読)』が、成立する。
然るに、
(29)
① 不読書=書を読ま不。
の「返り点」は、
① レ レ
であるが、
① レ レ
は、
① 三 二 一
に、置き換へることが、出来る。
(30)
② 我不常聞鳥啼梅樹声=我常には鳥の梅樹に啼く声を聞か不。
の「返り点」は、
② 下 中 二 一 上
である。
cf.

従って、
(29)(30)により、
(31)
① 不読書=書を読ま不。
② 我不常聞鳥啼梅樹声=我常には鳥の梅樹に啼く声を聞か不。
の「返り点」が、
① 三 二 一
② 下 中 二 一 上
である以上、
③ 読不書=書を読ま不。
④ 我常聞不鳥啼梅樹声=我常には鳥の梅樹に啼く声を聞か不。
に付く「返り点」は、
③ 二  一
④ 中  二 一 上
である。
然るに、
(32)
③ 二(三〔一)〕
④ 中〔下[二(一)上〕]
といふ「括弧」、すなはち、
③ (〔 )〕
④ 〔[( )〕]
といふ「形」の「括弧」は、有り得ないし、
③ 二  一
④ 中  二 一 上
といふ「返り点」も、「漢文訓読」である限り、絶対に有り得ない
従って、
(32)により、
(33)
「漢文訓読」である限り、
③ (〔 )〕
③ 二 三 一
といふ「(括弧と)返り点」は、絶対に、有り得ない
然るに、
(34)
従って、
(33)(34)により、
(35)
① 臣本布衣、躬耕(於南陽)。
② 臣は本布衣、躬ら(南陽に)耕す。
といふ、
① 漢文。
② 訓読。
に於いて、「語順」は異なるが、
① (   )
② (   )
といふ「補足構造」は、等しく、尚且つ、漢字も等しい。
(36)
① 臣本布衣、躬耕(於南陽)。
③ 臣本来是一個平民、(〔在南陽)親自〕耕田種地、
といふ、
① 漢文。
③ 現代中国語訳、
に於いて、「語順」は、固より、
① (   )
③ (〔   )  〕
といふ「補足構造」も、同じではなく、漢字も一致しない。
従って、
(35)(36)により、
(37)
① 臣本布衣、躬耕(於南陽)。
② 臣は本布衣、躬ら(南陽に)耕す。
③ 臣本来是一個平民、(〔在南陽)親自〕耕田種地、
といふ、
① 漢文。
② 訓読。
③ 現代中国語訳、
に於いて、「より大きく異なる」のは、
①と③であって、
①と②ではない。
然るに、
(38)
①と②が、「小さく異なり」、
①と③が、「大きく異なり」のであれば、
②と③は、「大きく異なる」はずである。
然るに、
(39)
通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない。白話文は直接口語訳するのがよく、より原文の語気に近い訳となる(ウィキペディア:漢文)。
然るに、
(40)
いづれにせよ、
① 漢文。
② 訓読。
③ 現代中国語訳、
に於いて、
①と③が、「小さく異なる」のであれば、
漢文は、普通に「訓読」出来る一方で、
白話文を「訓読」するとたいへん奇妙日本語になる。
といふことは、おそらく、矛盾する。
従って、
(39)(40)により、
(41)
① 漢文
③ 現代中国語訳。
に於いて、
①と③は、「全く別物」であるとしても、不思議ではないが、例へば、次の通りである。
(42)
ユーザーID:9191609315
漢文と現代中国語は全く別物
のぶりん
2011年8月19日 20:40
はじめまして。
中国語と中国情勢でメシを食っている者ですが、結論はタイトルの通りです。
漢文がわかっても現代中国語はわからないし、逆も然りです。
自分も仕事柄と教養のために中国古典を読んでますが、漢文はさっぱりで見るのは専ら日本語訳の方です(笑
言葉は生き物のように常に進化します。中国語も無論時代を経て進化していて、日本なら織田信長が生まれた頃に書かれた『菜根譚』という古典なら文章が漢文と現代中国語の中間くらいなので、現代中国語の知識を持っていれば「原文でも何とかわかる」という感じです。
(43)
漢字の訓読みに用いるのは和語とは限らず、外来語である場合もある。この場合はカタカナで表記されることが多い(ウィキペディア:訓読)。
訓読みの例[編集]
 頁 - ぺーじ(英語: page)
 米 - めーとる(フランス語: mètre[6])
 哩 - まいる(英語: mile)
 熟字訓の例[編集]
 麦酒 - びーる(オランダ語: bier[7])
 煙草 - たばこ(ポルトガル語: tabaco[8])
従って、
(44)
「漢字」は、「意味」を無視しない限り、「音」としては、「どうにでも」読めるため、
① 子 爲(誰)。
② しは(だれとか)なす。
③ YOU ARE(WHO)?
に於いて、
①を、②のやうに読んでも良いのであれば、
①を、③のやうに読んで、悪いはずがない。
従って、
(45)
④ WHO ARE YOU?
ではなく、
③ YOU ARE WHO?
が、「正しい英語」である場合には、
① 子 爲 誰。
と書かれた「漢文」は、
③ YOU ARE WHO?
といふ風に、読んでも、構はない。
然るに、
(46)
③ YOU ARE WHO?
ではなく、
④ WHO ARE YOU?
が、正しいため、その場合は、
① 子 爲 誰=
① 子〔爲(誰)〕⇒
④ 〔(誰)爲〕子=
④ 〔(WHO)ARE〕YOU?
といふ風に、「訓読」される。
平成27年06月09日、毛利太。
(47)
論語でも孟子でも、訓読をしないと気分が出ないといふ人もあるが、これは孔子や孟子に日本人になってもらはないと気が済まないのと同様で、漢籍が国書であり、漢文が国語であった時代の遺風である。支那の書物が、好い国語に翻訳されることは、もっとも望ましいことであるが、翻訳された結果は、多かれ少なかれその書物の持ち味を棄てることは免れない、立体的なものが平面化することが想像される。持ち味を棄て、平面化したものに慣れると、その方が好くなるのは、恐るべき麻痺であって、いはば信州に育ったものが、
きのよい魚よりも、塩鮭をうまいと思ふ様ものである(勉誠出版、訓読論、2008年、60頁)。
(48)
両者の亀裂は、戦後も親中国革新派の音読、反中国保守派の訓読として、ある意味で現在にまでつづいている(金文京、漢文と東アジア、2010年、88・9頁)。

2015年6月1日月曜日

返り点、括弧、アルゴリズム。

(01)
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁)
従って、
(01)により、
(02)
① 下 二 一 上
① {  (   )  }
に対して、
② 下 二 上 一
② {  (   }  )
③ 二 下 一 上
③ (  {   )  }
といふ「返り点・括弧」は、有り得ない。
然るに、
(03)
『「勉誠出版、続「訓読論」、2010年、312頁:川島優子』によると、
只管要纏擾我=ヒタスラ 我ガ ヤッカイニナル。
に於いて、
要纏擾我。の「返り点」は、
② 下 二 上 一
である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
② 下 二 上 一
といふ、「有り得ない、返り点」を付けざるを得ないが故に、
只管要纏擾我=ヒタスラ 我ガ ヤッカイニナル。
といふ「白話文(口語)」は、「漢文」の内に、入らない。
然るに、
(05)

従って、
(02)(05)により、
(06)
② 要 纏 擾 我
② 下 二 上 一
② {  (   }  )
② 4 2 3 1
といふ「順番」と、
③ 読 非 書 不
③ 二 下 一 上
③ (  {   )  }
③ 2 4 1 3
といふ「順番」は、「漢文訓読」に於いて、有り得ない。
従って、
(06)により、
(07)
② 2<>1
③ 2<>1
といふ「順番」は、「漢文訓読」に於いて、有り得ない。
cf.
従って、
(08)
言ひ方を変へると、
③ 2 # 1
④ 3 # 2
に於いて、
③ # は、2よりも、大きくない。
④ # は、3よりも、大きくない。
従って、
(09)
さらに、言ひ方を変へると。
③ 2<3 # # 
④ 3<5 # # #
⑤ 4<7 # # # #
等に於いて、
③ # は、1ではない。
④ # は、2ではない。
⑤ # は、3ではない。
(10)
小さな箱=( )
大きな箱={ }
のやうに考へた場合、「数学」に於ける、
{( )}は、
大きな箱={ }
の中に、
小さな箱=( )
が入ってゐる。といふ風に、喩へることが出来る。
従って、
(10)により、
(11)
① {( )}
に対して、
② {( })
③ ({ )}
の場合は、
小さな箱の中に、大きな箱が入ってゐて、尚且つ、
大きな箱の中に、小さな箱が入ってゐる。ものの、
② 下 二 上 一 =
② 四 二 三 一
③ 二 下 一 上 =
③ 二 四 一 三
といふ「順序」は、そのやうな
② {( })
③ ({ )}
といふ、『(あり得ない)形』に、相当する。
(12)
「返り点」に対する「括弧」は、
( )=小さな箱
〔 〕=中くらゐの箱
[ ]=大きな箱
{ }=もっと大きな箱
に、相当する。
(13)
コンピューター関連では2進数とともに、16進数というのがよく使われます。このときは数字が0から9まででは足りないのでA、B、C、D、Eを加えて16個の数字をつかいます(何森仁、
小沢健一、算数から数学までまるごと8時間でわかる本、2014年、45頁)。
従って、
(13)により、
(14)
F>E>D>C>B>A>9>8>7>6>5>4>3>2>1
といふ「不等式」が、成立する。
但し、
(15)
  1=  1
 11= 17
111=273
ではなく、
1     は、 1番目の、「一字」とし、
11    は、 1番目の、「二字」とし、
AAA   は、10番目の、「三字」とし、
FFFF は、15番目の、「四字」と、する。
(16)
Nは、0以外の、任意の16進数の数字であって、
Nの右側に、Nよりも小さい数字が有れば、
その時に限って、それらの数字を、内側から順番に、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
で括ることを、「括弧」で括る。
とする。
(17)
N=1
である時、
1<D であるため、
1D264433355BA79988CE。
のままで、変はらない。
(18)
N=D
である際に、
1D264433355BA79988CE。
を( )で括ると、
1D(264433355BA79988C)E。
(19)
N=2
である時、
2<6 であるため、
1D(264433355BA79988C)E。
のままで、変はらない。
(20)
N=6
である際に、
1D(264433355BA79988C)E。
を〔 〕で括ると、
1D〔26(4433355)BA79988C〕E。
(21)
N=4
である際に、
1D〔26(4433355)BA79988C〕E。
を( )で括ると、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
(22)
N=5
である時、
6〔・ ・ ・ ・ ・5〕#
であるため、
6<#
であるものの、固より、
5<6
であるため、
5<#
であり、それ故、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
のままで、変はらない。
(23)
N=B
である際に、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
を( )で括ると、
1D[26〔44(333)55〕B(A79988)C]E。
(24)
N=A
である際に、
1D[26〔44(333)55〕B(A79988)C]E。
を( )で括ると、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
(25)
N=7
である時、
7<9 であるため、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
のままで、変はらない。
(26)
N=9
である際に、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
を( )で括ると、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
(27)
N=C
である時、
D{・ ・ ・ ・ ・C}#。
であるため、
D<#
であるものの、固より、
C<D
であるため、
C<# 
であって、それ故、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
のままで、変はらない。
(28)
N=E
である時、
E の右には、。しかないため、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
のままで、変はらない。
従って、
(14)~(28)により、
(29)
 FOR I=1 TO 14
  N=N( I )
  Nの右側にある、
  Nよりも小さい数字を「括弧」で括る。
 NEXT I
といふプログラムを実行すると、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
といふ「結果」が、出力される。
然るに、
(30)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう(産業図書、数理言語学辞典、2013年、47頁:命題論理、
今仁生美)。
従って、
(29)(30)により、
(31)
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
を、「演算」とするならば、例へば、
D{ }
のスコープは、
 26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C
であって、
6〔 〕
のスコープは、
 44(333)55
である。
(32)
44(333)=
理解(中国語)
であるならば、
理解(   )
のスコープは、
 中国語
であるため、
44(   )
のスコープは、
 333
である。
然るに、
(33)
例へば、
1+4×(2+3)=
1+(2+3)×4。
にならって、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E ⇔
1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE。
とする。
然るに、
(34)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置き換えて読むことが、その大きな原則となっている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(33)(34)により、
(35)
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」に、
① 2(1)。
② 1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
といふ『補足構造』がある。ならば、その時に限って、
その『補足構造』における語順は、国語とは『全く反対』である。
といふ「事情」により、
① 書読む。
② 我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
といふ「訓読」には、
① (1)2。
② 1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE。
といふ「語順と、補足構造」がある。ことになる。
然るに、
(36)
① 読書=
① 2 1=
① 2(1)⇒
① (1)2=
① (書)読=
① 書を読む。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也=
② 1 D 2 6 4 4 3 3 3 5 5 B A 7 9 9 8 8 C E=
② 1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E⇒
② 1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE=
② 我{必〔(中国語)理解方法〕以[〔人(漢文)理解〕使]欲者}非也=
② 我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
cf.
従って、
(35)(36)により、
(37)
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」には、確かに、
① 2(1)。
② 1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
① 読(書)。
② 我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「語順と、補足構造」が有る。ことになる。
然るに、
(38)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。
漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を、人の国にて見えたまいてけれ」の部分の構文を、文節・連文節の係り受けがわかるように図示せよ(新明解古典シリーズ10、徒然草、1990年、142頁)。
従って、
(30)(37)(38)により、
(39)
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」には、
① 2(1)。
② 1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
① 読(書)。
② 我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「語順と、補足構造(管到・スコープ)」が有る。ことになる。
従って、
(39)により、
(40)
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」を、
① 書を読む。
② 我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
といふ「語順」で「訓読」する。といふことは、
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」の「補足構造(管到・スコープ)」を、
① 読(書)。
② 我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「形」で把握することに、他ならない。
従って、
(40)により、
(41)
① 読書。
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」が、
① 書を読む。
② 我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
といふ風に「訓読」出来る。といふこと自体が、
② 我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」が、
① 読(書)。
② 我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「構造(シンタックス)」をしてゐる。といふことを、示してゐる。
然るに、
(42)
① 読(書)。
② 我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
であるならば、
① レ 
② 乙 下 ‐二‐ 一 上 レ 三 ‐二‐ 一 甲
であるの対して、
① 読(漢文)。
② 我非{必以〔解(語)法〕欲[使〔人解(文)〕]者}也。
であるならば、
① 二 一
② 下 二 レ 一 レ 二 一レ 上
であるため、「返り点」は、「語順」は示してゐても、「構造(シンタックス)」を示してゐる。とは、言へない。
(43)
「返り点」は、「レ点」や「ハイフン」の使い方が、「恣意的」であるが故に、それなりに、難しい。
従って、
(41)(42)(43)により、
(44)
「括弧」は、「漢文の構造(シンタックス)」を示すための「ツール」であって、単なる、「返り点」の「代用」ではない。
従って、
(45)
倉石武四郎博士が戦前に中国留学した際に「訓読は玄界灘に捨ててきた」と言ったことは音読派の決めぜりふとして有名である(土田健次郎、大学における訓読教育の必要性)。
とのことであっても、「訓読」と一緒に、「括弧」まで、捨てるべきでははない。
(46)
「牛島徳次、中国古典の学び方、1977年、59・60頁」に、
わたしが「次の一句が全然わからなかった。」というと、そばにいた二三人の学生が一斉に笑い出して、いった。「先生、そこはこの間、先生がぼくたちに教えてくれた”xue er you shi”ですよ!」とあるやうに、
倉石博士の薫陶を受けられた、牛島博士は、「学而優則仕(論語)」のやうに、「返り点」も付かない、これ以上簡単なそれがないくらゐ簡単な、たった五字しかない「漢文」の意味を、「訓読」としては、学生に対して、「即答」出来たにも拘わらず、「中国語」としては、「全然わからなかった。」との、ことである。
従って、
(47)
現代中国語がしゃべれないような人は本当は漢文は読めないんです(Webサイト)。
といふ言ひ方は、たぶん、「錯覚(思ひ込み)」である。
平成27年06月01日、毛利太。

2015年5月26日火曜日

「返り点」に対する「括弧」のアルゴリズム(Ⅲ)。

(01)
ASCII.jpデジタル用語辞典の解説
16進数
 数値の表し方のひとつ。0~9の数字のほかにA~Fのアルファベットを用いて数値の大きさを表す。10進数でいう10、11、12、13、14、15がA、B、C、D、E、Fとなり、Fの次に1桁上がる。
従って、
(02)
16進数であれば、
 F=15
10=16
である。
従って、
(03)
17進数であれば、
 G=16
10=17
である。
従って、
(04)
18進数であれば、
 H=17
10=18
である。が、
1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G<H
は、18進数であるとする。
(05)
1    は、 1番目に読まれる、一字の言葉とし、
55   は、 5番目に読まれる、二字の言葉とし、
AAA  は、10番目に読まれる、三字の言葉とし、
FFFF は、15番目に読まれる、四字の言葉と、する。
(06)
Nは、任意の一桁の18進数であって、
Nの右側に、Nよりも小さい数字が有れば、
その時に限って、それらの数字を、内側から順番に、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
〈 〉
で括ることを、「括弧」で括る。
とする。
(07)
① 1 H G 2 A 7 4 3 6 5 9 8 C B D F E。
を、( )で括ると、
② 1 H G 2 A 7 4(3)6(5)9(8)C(B)D F(E)。
(08)
② 1 H G 2 A 7 4(3)6(5)9(8)C(B)D F(E)。
を、〔 〕で括ると、
③ 1 H G 2 A 7〔4(3)6(5)〕9(8)C(B)D F(E)。
(09)
③ 1 H G 2 A 7〔4(3)6(5)〕9(8)C(B)D F(E)。
を、[ ]で括ると、
④ 1 H G 2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)。
(10)
④ 1 H G 2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)。
を、{ }で括ると、
⑤ 1 H G{2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)}。
(11)
⑤ 1 H G{2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)}。
を、〈 〉で括ると、
⑥ 1 H〈G{2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)}〉。
然るに、
(12)
⑥ 1 H〈G{ }〉。
を、仮に、
⑥ 1〈H G{ }〉。
とするならば、(06)により、
⑥  1は、17 よりも、大きい。
⑥ 17は、16 よりも、小さい。
となって、「矛盾」する。
従って、
(13)
⑥ 1<17>16 
である以上、必ず、
⑥ 1 H〈G{ }〉。
でなければ、ならない。
(14)
④ A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]
を、仮に、
④ A〔7 4(3)6(5)9(8)〕
とするならば、
④ 7<4
④ 7<3
④ 7<6
④ 7<5
となって、「矛盾」する。
従って、
(07)~(14)により、
(15)
① 1 H G 2 A 7 4 3 6 5 9 8 C B D F E。
を「括弧」で括る、「やり方」は、
⑥ 1 H〈G{2 A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)D F(E)}〉。
といふ、「一通り」しか、存在しない
従って、
(15)により、
(16)
⑥ 我不使籍不以畜妻憂飢乱心有銭以済医。
といふ「漢文」に、
⑥ 1 H G 2 A 7 4 3 6 5 9 8 C B D F E。
といふ「語順」を与へることは、
⑥ 我不使籍不以畜妻憂飢乱心有銭以済医。
といふ「漢文」を、
⑥ 我不〈使{籍不[以〔畜(妻)憂(飢)〕乱(心)]有(銭)以済(医)}〉。
といふ「括弧」で括ることと、「結果」に於いて、変はりがない
従って、
(16)により、
(17)
⑥ 我不使籍不以畜妻憂飢乱心有銭以済医=
⑥ 1 H G 2 A 7 4 3 6 5 9 8C B D F E=
⑥ 1H〈G{2A[7〔4(3)6(5)〕9(8)]C(B)DF(E)}〉⇒
⑥ 1〈{2[〔(3)4(5)6〕7(8)9]A(B)CD(E)F}G〉H=
⑥ 我〈{項籍[〔(妻)畜(飢)憂〕以(心)乱]不(銭)有以(医)済}使〉不=
⑥ 我籍をして、妻を畜ひ、飢憂ふるを以て、心を乱さ不、銭有りて以て医を済さ使め不。
といふ、「括弧」を用ゐた、「ソート(並び換へ)」が、可能になる。
従って、
(17)により、
(18)
⑦ 我不使項籍不以畜妻子邑人憂飢寒乱良心有銭財以済医薬=
⑦ 1 H G 2 2 A 7 4 3 3 3 3 6 5 5 9 8 8 C B B D F E E=
⑦ 1H〈G{22A[7〔4(3333)6(55)〕9(88)]C(BB)DF(EE)}〉⇒
1〈{22[〔(3333)4(55)6〕7(88)9]A(BB)CD(EE)F}G〉H=
⑦ 我〈{項籍[〔(妻子邑人)畜(飢寒)憂〕以(良心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使〉不=
⑦ 我項籍をして、妻子邑人を畜ひ飢寒を憂ふるを以て良心を乱さ不、銭財有りて以て医薬を済さ使め不。
といふ、「括弧」を用ゐた、「ソート(並び換へ)」が可能になる。
cf.
然るに、
(19)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置き換えて読むことが、その大きな原則となっている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(17)(19)により、
(20)
我_使籍不有田二頃。
我_使項籍不以畜妻子邑人憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
の「否定」が、
我不使籍不有田二頃。
我不使項籍不以畜妻子邑人憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
であるとして、
我不使籍不有田二頃 ⇔
我籍をして田二頃有ら不ら使め不。
我不使項籍不以畜妻子邑人憂飢寒乱良心有銭財以済医薬 ⇔
我項籍をして、妻子邑人を畜ひ、飢寒を憂ふるを以て、良心を乱さ不、銭財有りて以て医薬を済さ使め不。
に於いて、「語順が全く反対」である。
といふことは、
{[〔( )〕]}⇔
{[〔( )〕]}。
〈{[〔( )( )〕( )]( )( )}〉⇔
〈{[〔( )( )〕( )]( )( )}〉。
といふ「補足構造」が、「共通」である。といふことに、他ならない。
cf.
従って、
(21)
「語順が全く反対」であるといふことだけに「注目」して、「補足構造と、漢字」が、等しいといふことを、無視し、いまや中国語を日本においても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するときだ」といふ風に、断定するこは、正しくない。
(22)
231
2413
4231
の「括弧」は、
2(3〔1)〕
2(4〔1)3〕
4〔2(3〕1)
でなければ、ならない。
然るに、
(23)
(〔 )〕
(〔 )〕
〔( 〕)
といふ「括弧」は、有り得ないし、
二 三 一
二 下 一 上
下 二 上 一
といふ「返り点」も、有り得ない。
平成26年05月26日、毛利太。
(24)
さすがに、現在においては、「漢文訓読法」でなければ、日本人だけでなく、中国人も中国古典は理解できない、などという倒錯した主張をなす者はいなくなった。今から考えてみれば「漢文訓読法」派は単に現代中国語ができなかっただけのことではなかったか、そのようにさえ思えてくる(「訓読論」 : 勉誠出版、2頁)。
(25)
ともかく筆者が言いたいのは、大学でも漢文の授業の方はしっかりと訓読だけを教えれば
よいということである。以前このようなことをある講演の際に述べたら、他の大学に勤めている先輩から、自分のところでは音読も取り入れて学生もみな読めるようになっていると力まれて困った。それならばその大学出身の若手が中国学会をリードしているはずである(土田健次郎、大学における訓読教育の必要性)。
(26)
現代中国語による「漢文直読法」は、少なくとも、思ひ立って、すぐに出来るものではな
いが、「漢文訓読法」は、さうではない。
平成26年05月27日、毛利太。

(27)
「牛島徳次、中国古典の学び方、1977年、59・60頁」に、
わたしが「次の一句が全然わからなかった。」というと、そばにいた二三人の学生が一斉に笑い出して、いった。「先生、そこはこの間、先生がぼくたちに教えてくれた”xue er you shi”ですよ!」とあるやうに、
倉石博士の薫陶を受けられた、牛島博士は、「学而優則仕(論語)」のやうに、「返り点」も付かない、これ以上簡単なそれがないくらゐ簡単な、たった五字しかない「漢文」の意味を、「訓読」としては、学生に対して、即答出来たにも拘わらず、中国語としては、「全然わからなかった。」との、ことである。
従って、
(27)により、
(28)
現代中国語がしゃべれないような人は本当は漢文は読めないんです(Webサイト)。
といふ言ひ方は、たぶん、「錯覚(思ひ込み)」である。
(29)
今から約11世紀昔にさかのぼると現代英語とはおよそ似てもつかない言語の段階に行きつきます。これは今の欧米人にとってさえ全くの異国語です(永野芳郎、英語学説、1978年、102頁)。
といふことからすれば、
現代アメリカ語がしゃべれないような人は本当は「アングロ・サクソン語」は読めないんです。
といふことには、ならない。
従って、
(30)
現代アメリカ語がしゃべれないPETERや、URSULAに対して、
現代アメリカ語がしゃべれないような人は本当は「アングロ・サクソン語」は読めないんです。
といふ風に、述べることはない。
平成26年05月30日、毛利太。

2015年5月24日日曜日

「返り点」に対する「括弧」のアルゴリズム(Ⅱ)。

(01)
ASCII.jpデジタル用語辞典の解説
16進数
 数値の表し方のひとつ。0~9の数字のほかにA~Fのアルファベットを用いて数値の大きさを表す。10進数でいう10、11、12、13、14、15がA、B、C、D、E、Fとなり、Fの次に1桁上がる。
従って、
(01)により、
(02)
F>E>D>C>B>A>9>8>7>6>5>4>3>2>1
といふ「不等式」が、成立する。
(03)
Nは、任意の一桁の16進数であって、
Nの右側に、Nよりも小さい数字が有れば、
その時に限って、それらの数字を、内側から順番に、
( )
〔 〕
[ ]
{ }
で括ることを、「括弧」で括る。
とする。
従って、
(04)
N=1
である際に、
1D264433355BA79988CE。
を「括弧」で括ると、
1D264433355BA79988CE。
のままで、変はらない。
(05)
N=D
である際に、
1D264433355BA79988CE。
を「括弧」で括ると、
1D(264433355BA79988C)E。
(06)
N=2
である際に、
1D(264433355BA79988C)E。
を「括弧」で括ると、
1D(264433355BA79988C)E。
のままで、変はらない。
(07)
N=6
である際に、
1D(264433355BA79988C)E。
を「括弧」で括ると、
1D〔26(4433355)BA79988C〕E。
(08)
N=4
である際に、
1D〔26(4433355)BA79988C〕E。
を「括弧」で括ると、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
(09)
N=5
である際に、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
を「括弧」で括ると、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
のままで、変はらない。
(10)
N=B
である際に、
1D[26〔44(333)55〕BA79988C]E。
を「括弧」で括ると、
1D[26〔44(333)55〕B(A79988)C]E。
(11)
N=A
である際に、
1D[26〔44(333)55〕B(A79988)C]E。
を「括弧」で括ると、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
を「括弧」で括ると、
(12)
N=7
である際に、
を「括弧」で括ると、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
のままで、変はらない。
(13)
N=9
である際に、
1D[26〔44(333)55〕B〔A(79988)〕C]E。
を「括弧」で括ると、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
(14)
N=C
である際に、
C の右側は、}であって、
N=E
である際に、
E の右側は、。であるため、
これ以上、「括弧」で括れない。
従って、
(04)~(14)により、
(15)
 FOR I=1 TO 15-1
  N=N(I)
  Nの右側にある、
  Nよりも小さい数字を「括弧」で括る。
 NEXT I
といふ「プログラム」を実行すると、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
といふ「結果」が、出力される。
とする。
然るに、
(16)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。(産業図書、数理言語学辞典、2013年、47頁:命題論理、
今仁生美)。
従って、
(15)(16)により、
(17)
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
を、何らかの「演算」とするならば、例へば、
D{ }
のスコープは、
26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C
であって、
6〔 〕
のスコープは、
〔44(333)55〕
であって、
44( )
のスコープは、
333
である。
従って、
(18)
例へば、
1+4×(2+3)=
1+(2+3)×4。
にならって、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E ⇒
1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE。
といふ「ソート(並び替へ)」が、可能となる。
然るに、
(19)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置き換えて読むことが、その大きな原則となっている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(18)(19)により、
(20)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」に、
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E。
といふ「補足構造」がある。ならば、
我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
といふ「訓読」には、
1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE。
といふ「語順と、補足構造」がある。はずである。
然るに、
(21)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也=
1 D 2 6 4 4 3 3 3 5 5 B A 7 9 9 8 8 C E=
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也=
1D{26〔44(333)55〕B[A〔799(88)〕]C}E⇒
1{2〔(333)4455〕6[〔7(88)99〕A]BC}DE=
我{必〔(中国語)理解方法〕以[〔人(漢文)理解〕使]欲者}非也=
我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざる也。
cf.

従って、
(20)(21)により、
(22)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」には、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「補足構造」がある。ことになる。
然るに、
(23)
「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を、人の国にて見えたまいてけれ」の部分の構文を、文節・連文節の係り受けがわかるように図示せよ(新明解古典シリーズ10、徒然草、1990年、142頁)。
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんのことはない。諸君が古文英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
然るに、
(24)
漢文にも、古文にも、英語にも、「管到(スコープ)」があって、
日本人から見た際の、
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」の「管到(スコープ)」が、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
である際に、
中国人から見た際の、
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」の「管到(スコープ)」が、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
ではない。といふことは、有り得ない。
従って、
(22)(24)により、
(25)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文(作例)」が、正しいのであれば、
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」自体に、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「構造(シンタックス)」がある。ことになる。
従って、
(21)(25)により、
(26)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」が、
我は必ずしも、中国語を理解する方法を以て、人をして漢文を理解せ使めんと欲する者に非ざ也。
といふ風に「訓読」出来る。といふこと自体が、
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
といふ「漢文」が、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「構造(シンタックス)」をしてゐる。といふことを、示してゐる。
然るに、
(27)
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
の「返り点」が、
乙 下 ‐二‐ 一 上 レ 三 ‐二‐ 一 甲
であるのに対して、
我非{必以〔解(語)法〕欲[使〔人解(文)〕]者}也。
の「返り点」は、
下 二 レ 一 レ 二 レ 一 上
である。
然るに、
(28)
我非{必以〔解(語)法〕欲[使〔人解(文)〕]者}也。
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
の「構造(シンタックス)」が、異なるはずがない。
従って、
(27)(28)により、
(29)
{〔( )〕[〔( )〕]}
{〔( )〕[〔( )〕]}
に対して、
下 二 レ 一 レ 二 レ 一 上
乙 下 ‐二‐ 一 上 レ 三 ‐二‐ 一 甲
の場合は、「構造(シンタックス)」をしてゐる。とは言へない。
従って、
(29)により、
(30)
「括弧」は、「漢文の構造(シンタックス)」を示すための「ツール」であって、単なる「返り点」の、代用ではない。
加へて、
(31)
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也。
を、「音読」しても、
我非{必以〔理解(中国語)方法〕欲[使〔人理解(漢文)〕]者}也。
といふ「構造(シンタックス)」を、把握できるはずもなく、
我非必以理解中国語方法欲使人理解漢文者也=
ガヒヒツイリカイチュウゴクゴホウホウヨクシジンリカイカンブンシャヤ。
と「音読」するだけであれば、小学生にも、可能である。
従って、
(32)
倉石武四郎博士が戦前に中国留学した際に「訓読は玄界灘に捨ててきた」と言ったことは音読派の決めぜりふとして有名である(土田健次郎、大学における訓読教育の必要性)。
とのことであっても、「括弧」に関しては、それを捨てるべきではない。
平成27年05月24日、毛利太。

2015年5月17日日曜日

「括弧」の、アルゴリズム。

(01)
① 四三二一。
に於いて、
四 の右側にあって、四 よりも小さな数字を( )で括ると、
① 四(三二一)。
(02)
① 四(三二一)。
に於いて、
三 の右側にあって、三 よりも小さな数字を( )で括ると、
① 四(三(二一))。
(03)
① 四(三(二一))。
に於いて、
二 の右側にあって、二 よりも小さな数字を( )で括ると、
① 四(三(二(一)))。
(04)
③ 一七二五三四六。
に於いて、
七 の右側にあって、七 よりも小さな数字を( )で括ると、
③ 一七(二五三四六)。
(05)
③ 一七(二五三四六)。
に於いて、
五 の右側にあって、五 よりも小さな数字を( )で括ると、
③ 一七(二五(三四)六)。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① 四(三(二(一)))。
③ 一七(二五(三四)六)。
であるものの、
① 四(三(二(一)))=
① 不(可(不(知)))。
③ 一七(二五(三四)六)=
③ 我聞(鳥鳴(梅樹)声)。
とする。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
① 不(可(不(知)))=
① 四(三(二(一)))。
に対しては、
② 非(不(可(不(知))))=
② 五(四(三(二(一))))。
であって、
③ 我聞(鳥鳴(梅樹)声)=
③ 一七(二五(三四)六)。
に対しては、
④ 我不(常聞(鳥鳴(梅樹)声))=
④ 一九(二八(三六(四五)七))。
でなければ、ならない。
従って、
(07)により、
(08)
④ 我不常聞鳥鳴梅樹声。
であれば、その「訓読」は、
④ 我不(常聞(鳥鳴(梅樹)声))=
④ 一九(二八(三六(四五)七))⇒
④ 一(二(三(四五)六七)八)九=
④ 我(常には(鳥の(梅樹)鳴く声を)聞か)不。
である。
平成27年05月17日、毛利太。
「括弧」のアルゴリズムと「返り点」。
http://kaeriten.blogspot.com/2015/05/blog-post.html
平成27年05月19日、毛利太。

2015年5月14日木曜日

あります。括弧は、

(01
従って、
(01)により、
(02)
① 所読。
② 所不読。
③ 為所不読。
④ 不為所不読。
⑤ 非不為所不読。
といふ「漢文」と、
① 読む所。
② 読ま不る所。
③ 読ま不る所と為る。
④ 読ま不る所と為ら不。
⑤ 読ま不る所と為ら不に非ず。
といふ「訓読」では、「語順が、逆」になる。
然るに、
(03)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語と全く反対である(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 所読。
② 所不読。
③ 為所不読。
④ 不為所不読。
⑤ 非不為所不読。
といふ「漢文」と、
① 読まれるモノ。
② 読まれないモノ。
③ 読まれないモノとなる。
④ 読まれないモノとならない。
⑤ 読まれないモノとならないのではない。
といふ意味である、その「訓読」は、「補足構造」自体は、同じであるが、「語順が、逆」になる。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 所(読)。
② 所〔不(読)〕。
③ 為[所〔不(読)〕]。
④ 不{為[所〔不(読)〕]}。
⑤ 非〈不{為[所〔不(読)〕]}〉。
に於ける、
①( )
②〔( )〕
③[〔( )〕]
④{[〔( )〕]}
⑤〈{[〔( )〕]}〉
といふ「括弧」は、普通に考へれば、
① 所読。
② 所不読。
③ 為所不読。
④ 不為所不読。
⑤ 非不為所不読。
といふ「漢文」に於ける「補足構造」を表してゐると、すべきである。
(05)
の[一]〔格助詞〕①主格(主語を示す。ふつう従属句の中で主格を示すのに用いて、述語は平安時代まで多く連体形で結ぶ)(古語林、1997年、1036頁)。
従って、
(05)により、
(06)
① 彼の読む所。
② 彼の読ま不る所。
③ 彼の読ま不る所と為る。
④ 彼の読ま不る所と為ら不。
⑤ 彼の読ま不る所と為ら不るに非ず。
に於いて、
彼の=主語(主格)
である。
然るに、
(07)

(08)
の[一]〔格助詞〕②連体修飾語(前の体言が後ろの体言を修飾することを示す)(古語林、1997年、1036頁)。
従って、
(08)により、
(09)
① 彼の読む所の本。
② 彼の読ま不る所の本。
③ 彼の読ま不る所の本と為る。
④ 彼の読ま不る所の本と為ら不。
⑤ 彼の読ま不る所の本と為ら不るに非ず。
に於いて、
の本=被修飾語
である。
然るに、
(10)
従って、
(01)(07)(10)により、
(11)
① 所読。
② 所不読。
③ 為所不読。
④ 不為所不読。
⑤ 非不為所不読。
の「返り点」は、
① レ
② レ レ
③ レ レ レ
④ レ レ レ レ
⑤ レ レ レ レ レ
であって、
① 彼所読。
② 彼所不読。
③ 彼為所不読。
④ 不為彼所不読。
⑤ 非不為彼所不読。
の「返り点」は、
① レ
② レ レ
③ 二 一レ レ
④ レ 二 一レ レ
⑤ レ レ 二 一レ レ
であって、
① 彼所読本。
② 彼所不読本。
③ 彼為所不読本。
④ 不為彼所不読本。
⑤ 非不為彼所不読本。
の「返り点」は、
① レ
② レ レ
③ 二 レ レ 一
④ レ 二 レ レ 一
⑤ レ レ 二 レ レ 一
であるが、「括弧」に関しては、
①( )
②〔( )〕
③[〔( )〕]
④{[〔( )〕]}
⑤〈{[〔( )〕]}〉
といふ、「一通り」だけである。
従って、
(04)(06)(09)(11)により、
(12)
①( )
②〔( )〕
③[〔( )〕]
④{[〔( )〕]}
⑤〈{[〔( )〕]}〉
といふ「括弧」は、例へば、
① 所読。
② 所不読。
③ 為所不読。
④ 不為所不読。
⑤ 非不為所不読。
⑥ 彼所読。
⑦ 彼所不読。
⑧ 彼為所不読。
⑨ 不為彼所不読。
⑩ 非不為彼所不読。
⑪ 彼所読本。
⑫ 彼所不読本。
⑬ 彼為所不読本。
⑭ 不為彼所不読本。
⑮ 非不為彼所不読本。
といふ「漢文」に於ける、「補足構造」だけを表してゐる。と、すべきである。
従って、
(13)
①( )
②〔( )〕
③[〔( )〕]
④{[〔( )〕]}
⑤〈{[〔( )〕]}〉
は、単なる、
① レ
② レ レ
③ レ レ レ
④ レ レ レ レ
⑤ レ レ レ レ レ
③ 二 一レ レ
④ レ 二 一レ レ
⑤ レ レ 二 一レ レ
③ 二 レ レ 一
④ レ 二 レ レ 一
⑤ レ レ 二 レ レ 一
の、代用ではない。
従って、
(14)
① 彼所読本。
② 彼所不読本。
③ 彼為所不読本。
④ 不為彼所不読本。
⑤ 非不為彼所不読本。
であれば、
① 彼の読む所の本。
② 彼の読ま不る所の本。
③ 彼の読ま不る所の本と為る。
④ 彼の読ま不る所の本と為ら不。
⑤ 彼の読ま不る所の本と為ら不るに非ず。
といふ風に、読もうと、読むまいと、
① 彼所(読)本。
② 彼所〔不(読)〕本。
③ 為[彼所〔不(読)〕本]。
④ 不{為[彼所〔不(読)〕本]}。
⑤ 非〈不{為[彼所〔不(読)〕本]}〉。
といふ「括弧」は、あります。
平成27年05月14日、毛利太。

2015年5月12日火曜日

「返り点」が付けられない。

(01)
(02)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① レ 
② レ レ 
③ レ レ レ
④ レ  レ レ レ
⑤ レ
⑥ 二 一レ
⑦ レ 二 一レ
⑧ レ レ 二 一レ
⑨ レ
⑩ 二 レ 一
⑪ レ 二 レ 一
⑫ レ レ 二 レ 一
といふ「返り点」は、
① 二 一 
② 三 二 一
③ 四 三 二 一
④ 五 四 三 二 一
⑤ 二 一 
⑥ 三 二 一
⑦ 四 三 二 一
⑧ 五 四 三 二 一
⑨ 二 一
⑩ 下 二 一 上
⑪ 下 中 二 一 上
⑫ 丁 丙 乙 二 一 甲
といふ「返り点」に、「置き換へ」ることが出来る。
然るに、
(04)
従って、
(03)(04)により、
(05)
① レ 
② レ レ 
③ レ レ レ
④ レ  レ レ レ
⑤ レ
⑥ 二 一レ
⑦ レ 二 一レ
⑧ レ レ 二 一レ
⑨ レ
⑩ 二 レ 一
⑪ レ 二 レ 一
⑫ レ レ 二 レ 一
① 二 一 
② 三 二 一
③ 四 三 二 一
④ 五 四 三 二 一
⑤ 二 一 
⑥ 三 二 一
⑦ 四 三 二 一
⑧ 五 四 三 二 一
⑨ 二 一
⑩ 下 二 一 上
⑪ 下 中 二 一 上
⑫ 丁 丙 乙 二 一 甲
といふ「返り点」は、
①( )
②〔( )〕
③[〔( )〕]
④{[〔( )〕]}
といふ「括弧」に、「置き換へ」ることが出来る。
然るに、
(06)
例へば、
⑩ 下 二(一)上
⑪ 下[中〔二(一)上〕]
⑫ 丁{丙[乙〔二(一)甲〕]}
に対して、
⑩ 下[二(上〔一)〕]
⑪ 下[二(中〔一)上〕]
⑫ 丁{乙〔丙[二(一)甲〕]}
に於ける、
⑩ 下 二 上 一 
⑪ 下 二 中 一 上
⑫ 丁 乙 丙 二 一 甲
といふ「返り点」は、有り得ず、
⑩[(〔 )〕]
⑪[(〔 )〕]
⑫{〔[( )〕]}
といふ「括弧」も、有り得ない。
cf.
「縦書きのホームページ(https://sites.google.com/site/kaeriten/)」の中の、
「7番目の記事」=「返り点」と「括弧」2.0
http://kaeriten.blogspot.jp/2015/02/blog-post_11.html)。 然るに、
(07)
⑩ 下 二 上 一 
⑪ 下 二 中 一 上
⑫ 丁 乙 丙 二 一 甲
は、「一二点」では、
⑩ 四 二 三 一 
⑪ 五 二 四 一 三
⑫ 六 四 五 二 一 三
であるものの、このやうな、「一二点」は、有り得ない。
加へて、
(08)
固より、「レ点」は、
⑩ 四 二 三 一 
⑪ 五 二 四 一 三
⑫ 六 四 五 二 一 三
といふ「順番」に、付くことは無い。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
⑩ 四 二 三 一 
⑪ 五 二 四 一 三
⑫ 六 四 五 二 一 三
といふ「順番」に付く、「返り点・括弧」は、無い。
従って、
(09)により、
(10)
⑩ 為彼所読本。 
⑪ 不為彼所読本。
⑫ 無不為彼所読本。
ではなく、
⑩ 為彼所本読。 
⑪ 不彼所為読本。
⑫ 無為不彼所読本。
である際に、「返り点・括弧」を用ゐて、
⑩ 彼の読む所の本となる。
⑪ 彼の読む所の本とならず。
⑫ 彼の読む所の本とならざる無し。
といふ風に、「訓読」することは、出来ない。
従って、
(10)により、
(11)
次の「数字」に対して、「数字の順番」で読めるやうに、「返り点」を付けよ。
⑩ 5 1 3 4 2 
⑪ 6 1 3 5 2 4
⑫ 7 5 6 1 3 2 4
といふ「問題」は、「不可能」であるが故に、有り得ない。
平成27年05月12日、毛利太。