(01)
¬=否定(でない)
∧=連言(そして)
∨=選言(または)
⊂=含意(ならば):教科書では、⊃ であって、最初は、さう書いたのですが、・・・・・。
は、論理記号。
然るに、
(02)
A=・・・でない。
BCC=児孫の為に、
DEE=美田を買う。
である。とする。
(03)
①¬〔BCC∧DEE〕
である。とする。
然るに、
(04)
①¬〔BCC∧DEE〕=
① ¬BCC∨¬DCC
(ド・モルガンの定理)
然るに、
(05)
①¬BCC∨¬DCC=
② BCC⊂¬DEE
(含意の定義)
従って、
(01)(02)(05)により、
(06)
①¬〔BCC∧DEE〕⇒
② BCC⊃¬DEE=児孫の為にならば、美田を買わない。
然るに、
(07)
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
③A〔B(CC)D(EE)〕⇒
④〔(CC)B(EE)D〕A=・・・・・・。
⑤下〔二(C一)中(E上)〕⇒
⑥〔(C一)二(EE)中〕下=・・・・・・。
∴
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
従って
(06)(07)により、
(08)
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
①¬〔BCC∧DEE〕 =児孫の為にならば、美田を買わない。
然るに、
(09)
①児孫の為にならば、美田を買わない。
①児孫の為に美田を買はず。
という、二つの日本語の意味は、等しい。
従って、
(08)(09)により、
(10)
①¬〔BCC∧DEE〕=
①不〔為(児孫)買(美田)〕。
然るに、
(01)(02)(10)により、
(11)
①¬〔BCC∧DEE〕=
①でない〔児孫の為に、そして、美田を買う〕。
① 不〔為(児孫)買(美田)〕。
然るに、
(12)
漢文を読み、そして、英語を書く。
という日本語は、
漢文を読み(連用形)、英語を書く。
という日本語に、等しい。
従って、
(01)(11)(12)により、
(13)
①¬〔BCC∧DEE〕=
①¬〔BCC DEE〕=
①でない〔児孫の為に、美田を買う〕=
① 不〔為(児孫)買(美田)〕。
従って、
(14)
①不〔為(児孫)買(美田)〕=
①¬〔B CC D EE〕
従って、
(07)(14)により、
(15)
①不 為 児孫 買 美田
という漢文のシンタックスが、「深層構造?」に於いて、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田
という漢文に関して、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕=
①¬〔B CC D EE〕
という等式が、成立する。
然るに、
(16)
¬=否定
不=否定
従って、
(15)(16)により、
(17)
①不 為 児孫 買 美田
という漢文のシンタックスが、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田
という漢文は、
①¬〔B CC D EE〕=
①不〔B CC D EE〕
という、形をしている。
然るに、
(18)
①為(児孫)⇒
②(児孫)為=児孫の為に、
①買(美田)⇒
②(美田)買=美田を買は
は、単なる、「(日本語と漢文の)語順の違い」であって、「論理的な問題」ではない。
従って、
(17)(18)により、
(19)
①¬〔B CC D EE〕=
①不〔B(CC) D(EE)〕=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
従って、
(07)(17)(19)により、
(20)
漢文のシンタックスとして、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田=
①¬〔B CC D EE〕=
①¬〔B (CC) D (EE)〕=
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
という風に、「訓読」することは、
「漢文訓読」としてだけでなく、「論理(学)的」にも、正しい。
従って、
(21)
①不 為 児孫 買 美田
という漢文のシンタックスが、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
ではない。と仮定すると、
①不為児孫買美田
という漢文は、
①児孫の為に美田を買はず。
①児孫の為にならば、美田を買わない。
という、意味である。とは、限らない。
然るに、
(22)
①不為児孫買美田
という漢文は、
①児孫の為に美田を買はず。
①児孫の為にならば、美田を買わない。
という意味である。
従って、
(01)~(22)により、
(23)
①不為児孫買美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕=
①¬〔B (CC) D (EE)〕
である「蓋然性」は、極めて、大きい。
― Deep Structure & Surface Structure.―
然るに、
(24)
「漢文(白文)」、即ち、
「原文(白文)」は、
①不為児孫買美田
であって、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
ではない。
従って、
(25)
にも拘らず、実質的に、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、「表層」ではなく、
「深層」という、「普段は、見えていない層」に於いて、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
である。という、ことになる。
― 補足(H25/05/25)―
①2× 1+3 =2+3=5
②2×(1+3)=2+6=8
は、二つとも、正しい。∴
①2× 1+3 =2+3=5
であるにもかかわらず、
①2× 1+3 ⇒
②2× (1+3)=2+6=8
であるならば、
①2×1+3=8
に於いて、( )が、省略されている。∴ 同様に、
①¬BCC∧DEE⇒
②¬BCC∨¬DCC=BCC⊃¬DEE
であるならば、
①¬BCC∧DEE
に於いて、〔 〕が、省略されている。∴ 同様に、
①不 為 児孫 買 美田=
②児孫の為にならば、美田を買はない。
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田
に於いて、〔 〕が、省略されている。
従って、
(25)
①不為児孫買美田
という「白文(漢文)」が、何らかの形で、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
という風に、見えるからこそ、
①児孫の為に美田を買はず。
という風に、読めるのであって、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
という風に、見えない場合には、
①児孫の為に美田を買はず。
とは、読めない。ことになる。
従って、
(26)
目で見た、
①不為児孫買美田
という「白文(漢文)」を、心の中で、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
②〔(児孫)為(美田)買〕不
という形に、「変形」した上で、
②児孫の為に美田を買はず。
という風に、読んでいる。ことになる。
すなわち、
(27)
わが国における漢学の発達は、右のように、目による直読式の読法が、その基礎になっていたのであって、訓点による読誦は、この直読による暗記を助けるものであったともいうことができる。このような読み方をしている碩学は、昭和になってからも、なお、少なくはなかった(鈴木直治、中国と漢文、1975年、385頁)。が故に、
①不為児孫買美田
のような、「白文(漢文)」が、
①児孫の為に美田を買はず。
という風に、読まれる。ことになる。
然るに、
(28)
1970年代前半はいわゆる「言語学戦争」の時代であり、変形によって結びつけられる複数の構造のどこに意味を対応させるかということに関して、生成意味論と解釈意味論との間の熾烈な闘いが続いていた時期である(原田信一著 福井直樹編 - SILS top page - 神戸松蔭女子学院大学)。
チョムスキー学派も70年代からは分裂し、当時の対抗文化の影響もあって「生成意味論」や「格文法」など、生成文法を根本から否定する理論が登場した。これらは学派としては消滅したが、「主流派」の側も、拡大標準理論、GB理論、ミニマリスト理論など変化・分裂を繰り返し、何が主流なのかわからなくなった(池田信夫 blog : チョムスキー - ライブドアブログ)。
従って、
(29)
①不 為 児孫 買 美田 ⇒
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
という「変換(漢文訓読)」は、「ド・モルガンの定理」と、「含意の定義」という「変形規則(T-rules)」を用いた、「変形文法(transformational grammar)」である。
という風に、70年代に、漢文の先生(漢学者)が言ったとしたら、面白かった。はずである。
2013年05月15日
(30)
例えば、京都大学において、その中国文化の研究について、大きな基礎を作られた狩野直喜氏(一八六六~一九四七)は、その教えを受けた倉石武四郎(一八九七~)に、かつて、「自分たちが訓読するのは、そういう習慣になっていたから、いちおう訓読するだけで、実は、原文を直読しているのである」と語られたという(鈴木直治、中国と漢文、1975年、385頁)。
こうした状況に対して、これはまちがっている、中国の古典も現代中国の学習を基礎とし、その延長線上で学ぶべきだ、と主張し、その理論と実践を具体的に公開したのが、故倉石武四郎博士であり、その著書『支那語教育の理論と実践』(昭和16.3.岩波書店)である。当然、この主張に対して、賛否両論がはげしく起こった(牛島徳次郎、中国古典の学び方、〈まえがき〉、1976年5月26日)。
倉石博士の影響力はすさまじく、現在ではほとんどの大学において、漢文の講座で中国語(普通話)の音読を用いています(漢文の中国語音読の主張3(倉石武四郎博士) 日本漢文の世界 kambun.jp、2004年11月3日公開)。
さすがに、現在においては、「漢文訓読法」でなければ、日本人だけでなく、中国人も中国の古典は理解できない、などという倒錯した主張をなす者はいなくなった。今から考えてみれば、「漢文訓読法」派は単に現代中国語ができなかっただけのことではなかったか、そのようにさえ思えてくる(勉誠出版、訓読論、2009年、2頁)。
専門家と称する人たちの大部分、99.9%は(外国語として扱えという人ももちろん含めて)実は「訓読」すなわち日本語流に理解しているのである。これは厳たる事実である(二畳庵主人、漢文法基礎、1977年、62頁)。
これは『論語』の中の句で、「学んでゆとりがあったら官吏になる」ということだと、説明した。それから1週間か十日ぐらいたったある夜、わたしは何か所かわからない箇所があった。あとで、みんなで読みあわせ、突き合うわせて読解していくうち、わたしが「次の一句が全然わからなかった。」というと、そばにいた二三人の学生が一斉に笑い出していった。「先生、そこはこの間、先生がぼくたちに教えてくれた、xue er you ze shi ですよ!」これがわたしであり、あとで述べる「A先生」なのである(牛島徳次郎、中国古典の学び方、1977年、59・60頁)。
①学而優則仕⇒
②学而優則仕=学びて優なれば則仕ふ。
③ABCDE⇒
④ABCDE=・・・・・。
⑤ABCDE⇒
⑥ABCDE=・・・・・。
(論語 巻第十 張第十九 一三)
しかし、この一句の意味は、といえば、「マナンデユウナレバスナワチツコウ」であり、「学んでゆとりがあったら
官吏になる」なのだ、と思う。これはまったく「訓読」で得た知識であり、漢字で書かれたものを、目だけに頼り、日本語だけで考えたものである(牛島徳次郎、中国古典の学び方、1977年、60頁)。
(31)
小川 書き言葉の始まりは、いわゆる言語の始まりとはまったく違うものなんですか。
岡ノ谷 違うはずなんですよ。にもかかわらず、人間の言語のシステムっていうのは、もう書き言葉がいつ出てきても困らないようにできているというのかなあ、あたかも書き言葉が将来できるということを前提にできているという感じのシステムなんですね。
小川 あらかじめ偉大な何者かが、「いずれこれを書き写すことになる」という見通しで作り出したかのような感じということですか?
岡ノ谷 脳の左側が言語を制御しています。まん中あたりに聴覚野があって、後ろの方に視覚野があるんです。― 中略 ― 、だから言語は聴覚から始まったことは否定できないんだけれども、視覚の言葉、すなわち書き言葉に対応できるように最初からなっているんですよ。
(小川洋子、岡ノ谷一夫、言葉の誕生を科学する、2011年、118頁)。
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