(01)
(02)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 二 二 一 一。
②
二 二 一 二 一 一。
では、「順番」が分からず、
① 四 二 一 三。
②
六 二 一 四 三 五。
であっても、分かりやすくはないため、
① 下 二 一 上。
②
下 二 一 二 一 上。
とした「結果」が、
① 下 二 一 上。
②
下 二 一 二 一 上。
である。といふ、ことになる。
従って、
(03)により、
(04)
① 四 二 一 三。
②
六 二 一 四 三 五。
といふ「番号」を、「読みやすくしたもの」が、
① 下 二 一 上。
② 下 二 一 二 一 上。
といふ「返り点」である。といふことに、なる。
然るに、
(05)
それでは、何故、「漢文訓読」に於いて、「番号」が必要なのか。といふと、
漢語における語順は、大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)からである。
従って、
(03)
有〔為(児孫)買(美田)者〕⇒
〔(児孫)為(美田)買者〕有=
〔(児孫の)為に(美田を)買ふ者〕有り。
といふ風に、「括弧」が、「返り点の役割」を果たす「理由」は、
有為児孫買美田者。
ごいふ「漢文」が、
有〔為(児孫)買(美田)者〕。
といふ「補足構造」をしてゐるからである。といふ、ことになる。
然るに、
(04)
有為児孫買美田者。
といふ「漢文」に、
有〔為(児孫)買(美田)者〕。
といふ「補足構造」が在る。
ことを、「証明」せよ。と言はれても、
〔( )( )〕。
は、顕微鏡を使っても、見えないため、
〔( )( )〕。
を、写真に撮ることは、出来ない。
ただし、
(05)
有為児孫買美田者=
児孫の為に美田を買ふ者有り。
といふのであれば、
児孫の為に。
が、有る。わけでも、
美田を買ふ。
が、有る。わけでも、なく、
児孫の為に美田を買ふ者。
が、有る。ことだけは、間違ひない。
従って、
(05)により、
(06)
有(為児孫)買美田者。
有為児孫(買美田)者。
とすることは、出来ないが、
有(為児孫買美田者)。
とすることに、「問題」は無い。
(07)
不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
〔(児孫)為(美田)買〕不=
〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不。
といふ「命題」が、
〔為(児孫)・買(美田)〕。
といふ「連言」の「否定」であるならば、
〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不=
〔(児孫の)為ならば、(美田を)買はない〕。
といふ「等式」が、成立する。
cf.
「ド・モルガンの法則」、「含意の定義」。
然るに、
(08)
〔(児孫の)為ならば、(美田を)買はない〕。
の「対偶」は、
〔(美田を)買ふならば、(児孫の)為でない〕。
である。
cf.
命題「AならばB」の真偽とその対偶「BでないならAでない」の真偽とは必ず一致する(ウィキペディア)。
従って、
(07)(08)により、
(09)
不〔為(児孫)買(美田)〕=
〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不。
といふ「否定文」が、
為(児孫)・買(美田)=
(児孫)の為に・(美田を)買ふ。
といふ「命題」の「否定」であれば、
〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不。
といふ「命題」は、
〔(美田を)買ふならば、(児孫の)為でない〕。
といふ「命題」に等しい。
然るに、
(10)
〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不。
といふ風に、西郷隆盛が言ってゐて、その西郷が、
〔(美田を)買ふ〕のであれば、
西郷が、「ウソつき」でない限り、西郷は、
〔(児孫以外の)為に、(美田を)買ふ〕ことになる。
cf.
「不為児孫買美田」は、西郷隆盛の「偶感」といふ詩の一句。
然るに、
(11)
〔(美田を)買ふ〕のであれば、
〔児孫以外の為に、美田を買ふ〕ことになる。
といふことは、
〔(美田を)買ふならば、(児孫の)為でない〕。
といふことに、他ならない。
従って、
(07)~(11)により、
(12)
不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不。
といふことから、
〔(美田を)買ふならば、(児孫の)為でない〕。
といふ風に、言へる。といふことは、
不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不。
に於いて、「ド・モルガンの法則」が、成り立つ。
といふことに、他ならない。
然るに、
(13)
「ド・モルガンの法則」とは、
¬(P∧Q)=¬P∨¬Q
であるため、「括弧の存在」を、必要とする。
cf.
C言語などプログラミング言語の記号を使って書けば、P, Q がどんな式であろうと
!(P || Q) == !P && !Q !(P && Q) == !P || !Q (ウィキペディア)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
不為児孫買美田=
児孫の為に、美田を買はず。
といふ「漢文訓読」から、
「美田を買ふならば、児孫の為でない。」
といふ「意味」が、「読み取れる」のであれば、少なくとも、
不(為児孫買美田)=
(児孫の為に、美田を買は)ず。
といふ「括弧」だけは、認めざるを、得ない。
従って、
(07)~(14)により、
(15)
不(為児孫買美田)⇒
(児孫の為に、美田を買は)ず。
といふ「括弧」を、認めないのであれば、
¬(P∧Q)=¬P∨¬Q
といふ、「ド・モルガンの法則」が、成り立たないか、「我々の直観」が、誤りである。
といふ、少なくとも、どちらか、一方である。
然るに、
(16)
「西郷隆盛が、自分の児孫の為に、美田を買はない。」のであれば、
「西郷隆盛が、美田を買ふならば、自分の児孫の為でない。」と、せざるを得ないし、
尚且つ、「ド・モルガンの法則」は、「論理学」として、「正しい」ため、以上の推論は、「日本語」を超えて、「正しい」。
従って、
(15)(16)により、
(17)
不(為児孫買美田)=
(児孫の為に、美田を買は)ず。
といふ「括弧」に関しては、顕微鏡では見えず、写真には取れなくとも、その「存在」を、認めてもらえる、はずである。
従って、
(06)(17)により、
(18)
①
不(為児孫買美田)。
②
有(為児孫買美田者)。
に関しては、「括弧」の「存在」を、認めてもらえる、はずである。
然るに、
(19)
私自身は、
①
不(為(児孫)買(美田))。
②
有(為(児孫)買(美田)者)。
だけなく、「返り点」を付けることが出来る「漢文」であれば、その「漢文」には、「括弧」で表せる所の「補足構造」が必ず有る。と、考へます。
従って、
(20)
例へば、
虎求百獣而食之得狐。
狐曰子無敢食我也。
天帝使我長百獣。
今子食我是逆天帝命也。
子以我爲不信吾爲子先行。
子随我後観。
百獣之見我而敢不走乎。
虎以爲然。
故遂与之行。
獣見之皆走。
虎不知獣畏己而走也。
以爲畏狐也。
といふ「虎の威を借る(戦国策)」であれば、
(21)
それが書かれた「時点(紀元前)」に於いて、
虎求(百獣)而食(之)得(狐)。
狐曰子無〔敢食(我)〕也。
天帝使〔我長(百獣)〕。
今子食(我)是逆(天帝命)也。
子以(我)爲〔不(信)〕吾爲(子)先行。
子随(我後)観。
百獣之見(我)而敢不(走)乎。
虎以爲(然)。
故遂与(之)行。
獣見(之)皆走。
虎不[知〔獣畏(己)而走〕]也。
以爲〔畏(狐)〕也。
といふ「補足構造」をしてゐる。と、考へます。
従って、
(20)(21)により、
(22)
そのやうな、「補足構造」が有るからこそ、
虎(百獣を)求めて(之を)食らひ(狐を)得たり。
狐曰く子〔敢へて(我を)食らふこと〕無かれ。
天帝〔我をして(百獣に)長たら〕使む。
今子(我を)食らはば是れ(天帝の命に)逆らふなり。
子(我を)以て〔(信なら)不と〕爲さば吾(子の)爲に先行せむ。
子(我が後に)随ひて観よ。
百獣の(我を)見て敢へて(走ら)不らむや。と。
虎以て(然りと)爲す。
故に遂に(之)与行く。
獣(之を)見て皆走る。
虎[〔獣の(己を)畏れて走るを〕知ら]不るなり。
以て〔(狐を)畏るると〕爲すなり。
といふ「漢文訓読」が可能になる。と、考へます。
従って、
(21)(22)により、
(23)
例へば、
③
虎不知獣畏己而走也=
③ 虎不[知〔獣畏(己)而走〕]也。
であるからこそ、
#=虎=1
レ=不=7
二=知=6
#=獣=2
レ=畏=4
_=己=3
#=而
一=走=5
#=也
といふ「返り点」が成立する。と、考へます。
従って、
(21)~(24)により、
(25)、
③
虎不知獣畏己而走也=
③ 虎不[知〔獣畏(己)而走〕]也。
が有って、然る後に、
③
レ 二 レ 一。
といふ「返り点」が成立する。と、考へます。
従って、
(25)により、
(26)
③
レ 二 レ 一。
といふ「返り点」が、日本に於いて、生まれなかったとしても、
③ 虎不知獣畏己而走也=
③ 虎不[知〔獣畏(己)而走〕]也。
といふ「補足構造」は存在する。と、考へます。
従って、
(27)
漢文よみを止めて中国語(その当時は支那語でしたが)でもってよまなければならない。それは徳川時代にも荻生徂徠がいっぺんやったことだが、今はもっとやりよい時代だから大いにやらなければならない(倉石武四郎、中国語五十年、1973年、21頁)。
とする、「漢文音読派」の方たちであっても、例へば、
① 不〔為(児孫)買(美田)〕。
② 有〔為(児孫)買(美田)者〕。
③
虎不[知〔獣畏(己)而走〕]也。
といふ「括弧の存在」だけは、認めるべきである。と、考へます。
それ故、
(28)
『返り点に対する「括弧」の用法』は、単なる「漢文訓読」の問題ではない。と、考へます。
平成26年10月27日、毛利太。
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