(01)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
従って、
(01)により、
(02)
「横書きの、漢文」に於いて、
「管到」とは、「左の語が、右のことばのどこまで係るか」ということである。
然るに、
(03)
A(B)CD。
に於いて、
A は Bの「一字」に 係ってゐる。
(04)
A(BC)D。
に於いて、
A は BCの「二字」に 係ってゐる。
(05)
A(BCD)。
に於いて、
A は BCDの「三字」に 係ってゐる。
従って、
(02)~(05)により、
(06)
「管到」は、「括弧」で、表すことが出来る。
従って、
(07)
AB(CD)E。
に於いて、
A が、
B(CD)
に係ってゐるとき、
A〔B(CD)〕E。
といふ「管到」は、〔( )〕で表すことが、出来る。
同様に、
(08)
AB(CD)E。
に於いて、
A が、
B(CD)E
に係ってゐるとき、
A〔B(CD)E〕。
といふ「管到」は、〔( )〕で表すことが、出来る。
然るに、
(09)
読漢文=漢文を読む。
に於いて、
読(漢文)=漢文を読む。
といふ「管到」は、有り得ても、
読(漢)文=漢文を読む。
といふ「管到」は、有り得ない。
従って、
(09)により、
(10)
読漢文=漢文を読む。
の「管到」は、
読(漢文)=漢文を読む。
以外に、有り得ない。
然るに、
(11)
読(漢文)=漢文を読む。
の「否定」は、
読(漢文)=漢文を読む。
といふ「文全体」の、「否定」であるため、
不読(漢文)=漢文を読まず。
の「管到」は、
不〔読(漢文)〕=漢文を読まず。
である。
然るに、
(12)
漢文を読まざる者=漢文を読まず(の連体形)+者(体言)。
であるため、
不〔読(漢文)〕者=漢文を読まざる者。
である。
然るに、
(13)
任意の表述の否定は、その表述を’~( )’といふ空所にいれて書くことにしよう(W.O.クワイン、現代論理学入門、1972年、15頁)。
とあるため、
不〔読(漢文)〕者=漢文を読まざる者。
といふ表術(ステートメント)の「否定」は、
~(不〔読(漢文)〕者)=漢文を読まざる者で~。
である。
然るに、
(14)
この場合は、「漢文」であるため、
不〔読(漢文)〕者=漢文を読まざる者。
の「否定」は、
非〔不〔読(漢文)〕者〕=漢文を読まざる者に非ず。
である。
従って、
(15)
非不読漢文者=漢文を読まざる者に非ず。
の「管到」は、
非[不〔読(漢文)〕者]。
である。
然るに、
(16)
① 非[不〔読(漢文)〕者]⇒
① [不〔読(漢文)〕者]非。
② [不〔読(漢文)〕者]非⇒
② [〔読(漢文)〕不者]非。
③ [〔(漢文)読〕不者]非=
③ [〔(漢文を)読ま〕不る者に]非ず。
に於いて、
① 非[不〔読(漢文)〕者]⇔
③ [〔(漢文を)読ま〕不る者に]非ず。
の「語順」は、「括弧」を介して、「反対」である。
然るに、
(17)
1.『主述関係』
2.『修飾関係』
3.『補足構造』
4.『並列関係』
右の四つの文法関係は、漢語文法の基礎となっている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、284頁改)。
漢語における語順は、大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
非[不〔読(漢文)〕者]=漢文を読まざる者に非ず。
に於ける「括弧」は、「管到」を表してゐて、尚且つ、『補足構造』を、表してゐる。
従って、
(19)
非不読漢文者=
漢文を読まざる者に非ず。
といふ「漢文訓読」に、『管到(補足構造)』が在る以上、
非不読漢文者=
漢文を読まざる者に非ず。
といふ「漢文訓読」に、「括弧」は有ります!
平成26年10月04日、毛利太。
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