2014年10月28日火曜日

「括弧」はあります!の「追記」。

この「記事」は、「10月27日の記事」の「追記」です。
(29)
① Pでない。か、Qでない。
② Pである。
とします。
然るに、
(30)
① Pでない。
② Pである。
に於いて、
①と②は、「矛盾」するため、
② Pである。
ならば、
① Pでない。
は、「否定」されます。
従って、
(31)
① Pでない。か、Qでない。
② Pである。
であるならば、
① Pでない。
は、「否定」されるため、「消去法」により、
③ Qでない。
といふことに、なります。
従って、
(31)により、
(32)
① Pでない。か、Qでない。
② Pである。∴
③ Qでない。
といふ「推論(選言三段論法)」は、「正しい」。
然るに、
(33)
① Pであるならば、Qでない。
② Pである。∴
③ Qでない。
といふ「推論(前件肯定式)」は、当然、「正しい」。
従って、
(32)(33)により、
(34)
① Pでない。か、Qでない。
といふ「命題」は、
② Pであるならば、Qでない。
といふ「命題」に等しく、このことを、「含意の定義」といふ。
然るに、
(35)
① Pでない。か、Qでない。
は、「ド・モルガンの法則」により、
③(Pであって、Qである)でない。
に、等しい。
従って、
(34)(35)により、
(36)
① Pでない。か、Qでない。
② Pであるならば、Qでない。
③(Pであって、Qである)でない。
に於いて、
①=②=③
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(37)
例へば、
② Nが偶数であるならば、N+1は偶数でない。
といふ「命題」の「対偶」は、
④ N+1が偶数であるならば、Nは偶数でない。
であって、「対偶」は等しい。
従って、
(37)により、
(38)
② Pであるならば、Qでない。
といふ「命題」は、その、「対偶」である、
④ Qであるならば、Pでない。
といふ「命題」に、等しい。
従って、
(36)(38)により、
(39)
① Pでない。か、Qでない。
② Pであるならば、Qでない。
③(Pであって、Qである)でない。
④ Qであるならば、Pでない。
に於いて、
①=②=③=④
といふ「等式」が、成立し、それ故、
③(Pであって、Qである)でない。
といふ「命題」は、
④ Qであるならば、Pでない。
といふ「命題」に等しい。
従って、
(39)により、
(40)
③(児孫の為に、美田を買ふこと)はない。
といふ「命題」は、
④ 美田を買ふならば、児孫の為ではない。
といふ「命題」に等しい。
従って、
(41)
③ 不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
③〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不。
といふ「命題」は、「論理的」に、
④ 美田を買ふならば、児孫の為ではない。
といふ「命題」に、等しい。
然るに、
(42)
「ド・モルガンの法則」により、
① Pでない。か、Qでない。
といふ「選言」は、
③(Pであって、Qである)でない。
といふ「連言の否定」に等しい。
とする際に、
③(Pであって、Qである)でない。
から「括弧」を除き、
③ Pであって、Qでない。
とすることは、出来ない。
従って、
(41)(42)により、
(43)
③ 不(為児孫買美田)⇒
③(児孫の為に、美田を買ふこと)はない=
④ 美田を買ふならば、児孫の為ではない。
に於いて、
③ (  )。
といふ「括弧」を、「無視」することは、出来ない。
然るに、
(44)
以上の「推論」は、「論理学」として「正しい」ため、「国語(日本語)」を超えて、「正しい」。
従って、
(29)~(43)と、(44)により、
(45)
われわれ日本人が中国の古典を学ぶようになってから、永く久しい。その間、その学び方も時代とともに、さまざまに変遷してきた。中国の古典がはじめてわが国に伝来したころは、われわれの祖先は恐らく、まず当時の中国語を学び、それを基礎にして中国の古典の読み方を覚え、内容を理解したにちがいない(牛島徳次郎、中国古典の学び方、1977年、1頁)。
といふことに、かかわらず、
③ 不(為児孫買美田)=
④(児孫の為に、美田を買ふこと)はない。
といふ「漢文」に、「括弧」はあります!。
平成26年10月28・29日、毛利太。

(29)~(45)により、
(46)
不(為児孫買美田)。
の「括弧」に関しては、「ドモルガンの法則」と、「含意の定義」で「証明」出来ても、
残念なことに、
為(児孫)
買(美田)
といふ「括弧」に関して、そのやうな「証明」は、出来ない。
しかしながら、
(47)
漢語における語順は、大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)といふ「事実」は、
為(児孫)⇒(児孫)為
買(美田)⇒(美田)買
であるとき、
「語順」として見れば、
左側は、「漢文の語順」であって、
右側は、「国語の語順」である。が、
「補足構造」として見れば、
左側は、「漢文の補足構造」であって、
右側は、「国語の補足構造」である。
といふことを、意味してゐる。
従って、
(43)(47)により、
(48)
不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
〔(児孫)為(美田)買〕不。
に於いて、
上は、「漢文の語順」であって、
下は、「国語の語順」である。
と同時に、
上は、「漢文の補足構造」であって、
下は、「国語の補足構造」である。
といふことを、意味してゐる。
従って、
(49)
不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不。
に於いて、
上は、「漢文の補足構造」であって、
下は、「国語の補足構造」である。
といふことについては、「訓読否定派の方たち」も、認めるもののと、思はれる。
従って、
(49)により、
(50)
不為児孫買美田 ⇒
児孫の為に美田を買は不。
といふ「漢文訓読」が、「補足構造」に即した、「(定型的な)訳読」であることについては、「訓読否定派の方たち」も、認めるもののと、思はれる。
然るに、
(51)
不(憤)不(啓)⇒
(憤せ)不んば(啓せ)不。
すなはち、「論語、述而第七、八」の英訳は、例へば、
if you do not agonize trying to understand, I will not enlighten(ゆはず かずより).
となってゐて、「(非定型的な)意訳」であるが、固より、英語には、漢字が無い。
従って、
(52)
「漢文訓読」は、「漢文英訳」とは、全く異なってゐて、ユニークなのは、もちろん、「漢文訓読」である。
然るに、
(53)
漢文教育(かんぶんきょういく)とは、高等学校における国語教育の1領域である。
中国の古典の読解方法(返り点など)を教える。大学入学試験に課されない場合もあるため、教育現場ではあまり重視されていない(ウィキペディア:漢文教育)。
私もそう思います。戦前は漢文教育が盛んだった日本もGHQによる旧制中学精神構造解体の結果、漢文レベルダウン深刻。でも今も共通テストには漢文あったかな?(Twitter/cunqi)。
といふわけで、
(54)
「ユニークな漢文訓読」は、しばらくすると、GHQと日教組のもくろみ通り(?)に、絶滅します。
平成26年10月29日、毛利太。

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