(01)
命題論理では、命題が個々の対象として扱われ、それに基づいて論理式や真理条件が定義された。述語論理では、この命題の内部構造までに立ち入って、より複雑な論理式を扱う。具体的には、例えば(1)―(3)のような論理式を対象とする。
(1) run(john)
(2) love(john,mary)∧ ¬love(mary,john)
(3) ∃ⅹlove(john,x)
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、56頁:述語論理、今仁生美)
然るに、
(02)
P=love(mary,john) に於いて、
P の「否定」が、
¬P ならば、
¬P=¬(love(mary,john))
でない。といふことは、有り得ないし、
(03)
省略できるものはすべて省略するというのではなく、省略するかしないかは「わかりやすい表現かどうか」を基準に判断してください。表現が複雑にならない限り、省略せずに丁寧に書くことをお勧めします(内中伸光、論理の練習帳、2002年、71頁)。との、ことである。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
(2) love(john,mary)∧ ¬love(mary,john)
(3) ∃ⅹlove(john,x)
といふ「述語論理」も、「括弧は省略せず」に、
(2) love(john,mary)∧ ¬(love(mary,john))
(3) ∃ⅹ(love(john,x))
といふ風に、書くべきである。
従って、
(04)により、
(05)
(2) ¬(love(mary,john))=
(2) Mary does not love john.
然るに、
(06)
¬=ΟΥ
love=ΦΙΛΕΕΙ
mary=ΜΑΡΙΑ
john=ΙΩΑΝΝΗΝ
従って、
(05)(06)により、
(07)
(2) ¬(love(mary,john))=
(2) ΟΥ(ΦΙΛΕΕΙ(ΜΑΡΙΑ,ΙΩΑΝΝΗΝ)).
然るに、
(08)
ない=ΟΥ
愛さ=ΦΙΛΕΕΙ
マリアは=ΜΑΡΙΑ
ヨハネを=ΙΩΑΝΝΗΝ
従って、
(07)(08)により、
(09)
(2) ¬(love(mary,john))=
(2) ΟΥ(ΦΙΛΕΕΙ(ΜΑΡΙΑ,ΙΩΑΝΝΗΝ))=
(2)ない(愛さ(マリアはヨハネを))。
従って、
(05)(09)により、
(10)
(2) ¬(love(mary,john))=
(2) ΟΥ(ΦΙΛΕΕΙ(ΜΑΡΙΑ,ΙΩΑΝΝΗΝ))⇒
(2) ((ΜΑΡΙΑ,ΙΩΑΝΝΗΝ)ΦΙΛΕΕΙ)ΟΥ=
(2) ((マリアはヨハネを)愛さ)ない。
然るに、
(11)
例 2.1.3 次はすべて命題関数である.
(a) p(x):xは女である.
(b) q(x):x+2=1.
(c) r(x,y):x と y は友人である。
(d) s(x,y):2x+y=√3.
(内中伸光、論理の練習帳、2002年、71頁)。
従って、
(11)より、
(12)
(2) ¬(L(x,y)):x は y を愛さない。
は、「命題関数」である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
(2) ¬(L(x,y))=
(2) ΟΥ(ΦΙΛΕΕΙ(ΜΑΡΙΑ,ΙΩΑΝΝΗΝ))⇒
(2) ((マリアはヨハネを)愛さ)ない。
といふ「ギリシャ語訓読」は、「述語論理(命題関数)」である。
然るに、
(14)
信長をa、秀吉をb、「・・・は・・・の主君である」をFとすると、
「信長は秀吉の主君である」⇒ Fab
それぞれの多項述語は個体を置く順序が決まっている。
Fba とすると、「秀吉は信長の主君である」と読まれる。
(昭和堂、論理学の基礎、1994年、161頁)。
従って、
(13)(14)により、
(15)
(2) ¬(L(x,y)) は、
(2) ¬Lxy と書いても、かまわない。
加へて、
(16)
「自然言語」であれば、例へば、
「天下の英雄は、唯君と我のみ」といふ場合に
「∃x∃y(Fx&Fy&(x≠y)&∀z(Fz→((z=x)∨(z=y))))」=
「或るxと或るyについて、xは英雄であり、yも英雄であり、xとyは同一ではなく、全てのzについて、そのzが英雄ならば、zは、xであるか、yである。」
といった、「持って回った言ひ方」はしない。
従って、
(17)
その意味では、「日本語や漢文やギリシャ語」と、「述語論理」は、同列には、論じられない。
しかしながら、
(18)
(2) ¬(L(x,y))=
(2) ΟΥ(ΦΙΛΕΕΙ(ΜΑΡΙΑ,ΙΩΑΝΝΗΝ))⇒
(2) ((マリアはヨハネを)愛さ)ない。
といふ「ギリシャ語訓読」が可能であって、尚且つ、
(2) ¬Lxy
といふ「述語論理」が、「正確」には、
(2) ¬(L(x,y))
である以上、
(2) ΟΥ ΦΙΛΕΕΙ ΜΑΡΙΑ ΙΩΑΝΝΗΝ.
(2) マリアは ヨハネを 愛さ ない。
といふ「ギリシャ語と日本語」が、
(2)ΟΥ(ΦΙΛΕΕΙ(ΜΑΡΙΑ ΙΩΑΝΝΗΝ))⇔
(2)((マリアはヨハネを)愛さ)ない。
といふ「形」を、してゐない。はずがない。
従って、
(19)
「括弧」は、有るべし。
平成26年12月25日、毛利太。
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