(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
ある人αが、すべての人に愛される。のであれば、
すべての人は、ある人αを愛す。ことになる。
従って、
(01)により、
(02)
① ∃x∀y愛(yx):ある人はすべての人に愛される。
② ∀y∃x愛(yx):すべての人はある人を愛す。
に於いて、
① ならば、② である。
然るに、
(03)
1 (1)∃x∀y愛(yx) A
2(2) ∀y愛(ya) A
2(3) 愛(ba) 2UE
2(4) ∃x愛(bx) 3EI
1 (5) ∃x愛(bx) 124EE
1 (6)∀y∃x愛(yx) 5UI
従って、
(02)(03)により、
(04)
確かに、
① ∃x∀y愛(yx):ある人はすべての人に愛される。
② ∀y∃x愛(yx):すべての人はある人を愛す。
に於いて、
① ならば、② である。
cf.
(沢田 允茂、現代論理学入門、1962年、146頁、第11図:二項述語における量記号の変換規則)
然るに、
(05)
すべての人が、それぞれに、αや、βや、γと言った、異なる、ある人を愛す。のであれば、
ある人αが、すべての人に愛される。といふことには、ならない。
従って、
(05)により、
(06)
② ∀y∃x愛(yx):すべての人はある人を愛す。
① ∃x∀y愛(yx):ある人はすべての人に愛される。
に於いて、
② ならば、① である。
といふことには、ならない。
然るに、
(07)
1 (1)∀y∃x愛(yx) A
1 (2) ∃x愛(bx) 1UE
3(3) 愛(ba) A
3(4) ∀y愛(ya) 3UI
3(5)∃x∀y愛(yx) 4EI
1 (6)∃x∀y愛(yx) 235EE
然るに、
(08)
3(3) 愛(ba) A
であるため、
3(4) ∀y愛(ya) 3UI
は、「マチガイ」である。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
確かに、
② ∀y∃x愛(yx):すべての人はある人を愛す。
① ∃x∀y愛(yx):ある人はすべての人に愛される。
に於いて、
② ならば、① である。
といふことには、ならない。
cf.
(沢田 允茂、現代論理学入門、1962年、146頁、第11図:二項述語における量記号の変換規則)
従って、
(01)~(09)により、
(10)
① ∃x∀y愛(yx)
② ∀y∃x愛(yx)
といふ「述語論理」に対する、
① ある人はすべての人に愛される。
② すべての人はある人を愛す。
といふ「日本語訳」は、「正確」である。
従って、
(10)により、
(11)
① ∃x∀y愛(yx)
② ∀y∃x愛(yx)
といふ「述語論理」に対する、
① あるxが存在し、すべてのyについて、yはxを愛す。
② すべてのyに対し、あるxが存在し、 yはxを愛す。
といふ「読み方」や、
① yはxを愛する、ということがすべてのyについて成立するようなxが存在する。
② xはyに愛される、というxが存在することが、すべてのyに対して成り立つ。
といふ「読み方」は、要するに、
① ある人はすべての人に愛される。
② すべての人はある人を愛す。
といふ「意味」に、他ならない。
従って、
(12)
① ∀x∃y親(xy)
② ∃y∀x親(xy)
③ ∀x∃y親(yx)
④ ∃y∀x親(yx)
といふ「それ」であれば、
① すべての人はある人の親である。
② ある人はすべての人の子である。
③ すべての人はある人の子である。
④ ある人はすべての人の親である。
といふ「意味」になる。
従って、
(13)
② There is a y such that y is child of all x(すべてのxの、子であるところの、yが存在する).
③ Take any x: then there is a y such that y is parent of x(任意のxを選ぶにせよ、するとxの親であるところのyが存在する).
といふのであれば、
② ∃y∀x親(xy)=ある人はすべての人の子である。
③ ∀x∃y親(yx)=すべての人はある人の子である。
といふ風に、「翻訳」することになる。
平成30年06月08日、毛利太。
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