(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
① ソクラテスは人間である。
といふことは、すなはち、
① ソクラテスといふ人間がゐる。
といふ、ことである。
然るに、
(02)
伝統的な論理学では、「である」を主語と述語を結びつける語と解釈すると共に、それが存在を現わす「がある」の意味も同時にもっているところから、「である」も「がある」も共に、より根本的な存在の二つのあり方であると、解釈する。
(沢田充茂、現代論理学入門、1962年、114頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ソクラテスは人間である。⇔
① ソクラテスといふ人間がゐる。
といふ「解釈」は「普通」であって、尚且つ、「伝統的な論理学」による「解釈」である。
然るに、
(04)
① ソクラテスといふ人間がゐる。
といふことは、
① ソクラテスといふ何者か(x)がゐて、その何者か(x)が人間である。
といふことである。
然るに、
(05)
① ∃x(ソクラテスx&人間x)
といふ「述語論理」は、
① 或るxはソクラテスであって、そのxは人間である。
といふ、「意味」である。
cf.
或[二]① 有る。② あるいは。③ あるひと。
(角川 新字源 改定版、365頁)
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① ソクラテスは人間である。
といふ「日本語」は、
① ∃x(ソクラテスx&人間x)。
といふ「述語論理」に相当する。
従って、
(06)により、
(07)
① 私は理事長です。
といふ「日本語」は、
① ∃x(私x&理事長x)。
といふ「述語論理」に相当し、
① 或るxは私であって、そのxは理事長である。
といふ「意味」である。
然るに、
(08)
① ∃x(私x&理事長x)。
② ∃x{私x&理事長x& ∀y[(理事長y)→ (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x& ∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
④ ∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
⑤ ∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)& (理事長y)]}。
といふ「述語論理」は、それぞれ、
① 有るxは私であって、そのxは理事長である。
② 有るxは私であって、そのxは理事長であって、すべてのyについて、 yが理事長であるならば、yは、xと同一人物である。
③ 有るxは私であって、そのxは理事長であって、いかなるyであっても、yがxと同一人物でないならば、yは理事長ではない。
④ 有るxは私であって、そのxは理事長であるが、いかなるyであっても、yがxと同一人物でないならば、yは理事長ではない。といふわけではない。
⑤ 有るxは私であって、そのxは理事長であって、有るyはxとは別人であって、yもまた、理事長である。
といふ「意味」である。
然るに、
(09)
(a)
1 (1)∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→(y=x)]} A
2 (2) 私a&理事長a&∀y[(理事長y)→(y=a)] A
2 (3) 私a&理事長a 2&E
2 (4) ∀y[(理事長y)→(y=a)] 2&E
2 (5) 理事長b →(b=a) 4UE
6 (6) ~(b=a) A
7(7) 理事長b A
2 7(8) (b=a) 57MPP
267(9) ~(b=a)&(b=a) 68&I
26 (ア) ~(理事長b) 79RAA
2 (イ) ~(b=a)→~(理事長b) 6アCP
2 (ウ) ∀y[~(y=a)→~(理事長y)] イUI
2 (エ) 私a&理事長a&∀y[~(y=a)→~(理事長y)] 3ウ&I
2 (オ)∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]} エEI
1 (カ)∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]} 12オEE
(b)
1 (1)∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]} A
2 (2) 私a&理事長a&∀y[~(y=a)→~(理事長y)] A
2 (3) 私a&理事長a 2&E
2 (4) ∀y[~(y=a)→~(理事長y)] 2&E
2 (5) ~(b=a)→~(理事長b) 4UE
6 (6) (理事長b) A
7(7) ~(b=a) A
2 7(8) ~(理事長b) 57MPP
268(9) (理事長b)&~(理事長b) 68&I
26 (ア) ~~(b=a) 8アRAA
26 (イ) (b=a) アDN
2 (ウ) (理事長b)→(b=a) 6イCP
2 (エ) ∀y[(理事長y)→(y=a) ウUI
1 (オ) ∀y[(理事長y)→(y=a) 12エEE
12 (カ) 私a&理事長a&∀y[(理事長y)→ ( y=a )] 3オ&I
12 (キ)∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ ( y=x )]} カEI
1 (ク)∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ ( y=x )]} 12キEE
cf.
1 (1)∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ (y=x) ]} A
1 (1)∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]} A
に於いて、
∀y[(理事長y)→ (x=y) ]
∀y[~(y=x)→~(理事長y)]
は「対偶(Contraposition)」である。
(10)
(a)
1 (1)∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→ ~(理事長y)]} A
2 (2) 私a&理事長a&~∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)] A
2 (3) 私a&理事長a 2&E
2 (4) ~∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)] 2&E
2 (5) ~[~(b=a)→ ~(理事長b)] 4UE
2 (6) ~[~~(b=a)∨ ~(理事長b)] 5含意の定義
2 (7) ~[(b=a)∨ ~(理事長b)] 6DN
2 (8) [~(b=a)&~~(理事長b)] 7ド・モルガンの法則
2 (9) [~(b=a)& (理事長b)] 8DN
2 (ア) ∃y[~(y=a)& (理事長y)] 9EI
2 (イ) 私a&理事長a& ∃y[~(y=a)& (理事長y)] 3ア&I
2 (ウ)∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)& (理事長y)]} イEI
1 (エ)∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)& (理事長y)]} 12ウEE
(b)
1 (1)∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)& (理事長y)]} A
2 (2) 私a&理事長a& ∃y[~(y=a)& (理事長y)] A
2 (3) 私a&理事長a 2&E
2 (4) ∃y[~(y=a)& (理事長y)] 2&E
5 (5) [~(b=a)& (理事長b)] A
5 (6) ~~[~(b=a)& (理事長b)] 5DN
5 (7) ~[~~(b=a)∨ ~(理事長b)] 6ド・モルガンの法則
5 (8) ~[~(b=a)→ ~(理事長b)] 7含意の定義
9(9) ∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)] A
9(ア) [~(b=a)→ ~(理事長b)] 9UE
59(イ) ~[~(b=a)→ ~(理事長b)]&
[~(b=a)→ ~(理事長b)] 8ア&I
5 (エ) ~∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)] 9イRAA
2 (オ) ~∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)] 45EE
2 (カ) 私a&理事長a&~∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)] 3オ&I
2 (キ)∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→ ~(理事長y)]} カEI
1 (ク)∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→ ~(理事長y)]} 12キEE
従って、
(09)(10)により、
(11)
② ∃x{私x&理事長x& ∀y[(理事長y)→ (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x& ∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
④ ∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
⑤ ∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)& (理事長y)]}。
に於いて、
②=③ であって、
③=④ ではなく、
④=⑤ である。
従って、
(08)(11)により、
(12)
① 或るxは私であって、そのxは理事長である。
② 或るxは私であって、そのxは理事長であって、すべてのyについて、 yが理事長であるならば、yは、xと同一人物である。
③ 或るxは私であって、そのxは理事長であって、いかなるyであっても、yがxと同一人物でないならば、yは理事長ではない。
④ 或るxは私であって、そのxは理事長であるが、いかなるyであっても、yがxと同一人物でないならば、yは理事長ではない。といふわけではない。
⑤ 或るxは私であって、そのxは理事長であって、或るyはxとは別人であって、yもまた、理事長である。
といふ「日本語」は、要するに、
① 私は理事長です。
② 私は理事長であって、理事長は私です。
③ 私は理事長であって、私以外は理事長ではありません。
④ 私は理事長ですが、 理事長は私ですとは、言へません。
⑤ 私は理事長ですが、 私以外にも、理事長はゐます。
といふ「意味」である。
従って、
(08)(12)により、
(13)
① 私は理事長です。
② 私は理事長であって、理事長は私です。
③ 私は理事長であって、私以外は理事長ではありません。
④ 私は理事長ですが、 理事長は私ですとは、言へません。
⑤ 私は理事長ですが、 私以外にも、理事長はゐます。
といふ「日本語」は、
① ∃x(私x&理事長x)。
② ∃x{私x&理事長x& ∀y[(理事長y)→ (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x& ∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
④ ∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
⑤ ∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)& (理事長y)]}。
といふ「述語論理」に相当する。
然るに、
(14)
② 理事長は私です。
といふのであれば、
② 理事長は一人しかゐない。
従って、
(14)により、
(15)
② 理事長は私です。
といふのであれば、
② 私は理事長である。
従って、
(11)(13)(15)、
(16)
② 理事長は私です。
といふ「日本語」、すなはち、
② 私は理事長であって、理事長は私です。
といふ「日本語」は、
②=③ であるところの、
② ∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(17)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念館は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(16)(17)により、
(18)
③ 私が理事長です。
といふ「日本語」は、
②=③ であるところの、
② ∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(08)(18)により、
(19)
① 私は理事長です。
② 理事長は私です。
③ 私が理事長です。
といふ「日本語」は、
① ∃x(私x&理事長x)。
② ∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(20)
それでは、狭義の述語論理において究極的な主語となるものは何であろうか。それは「人間」というような一般的なものではない。また「ソクラテス」も述語になりうるし、「これ」すらも「これとは何か」という問に対して「部屋の隅にある机がこれです」ということができる。
そこで私たちは主語を示す変項x、yを文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
(xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
Fx Gx
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田充茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
従って、
(19)(20)により、
(21)
① 私は理事長です。
という一般的な 主語-述語文は、
① ∃x(私x&理事長x)。
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、私x はもとの文の主語に対応し、理事長x は述語に対応していることがわかる。
従って、
(19)(21)により、
(22)
① ∃x(私x&理事長x)。
② ∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
であるところの、少なくとも、
① 私は理事長です。
② 理事長は私です。
③ 私が理事長です。
といふ「日本語」には、「述語論理」で言ふところの、「主語」が有ることになる。
然るに、
(23)
⑥ この世の人は、男は、女にあふことをする(世の中の男の人は、女と結婚をする:竹取物語)。
のやうな場合に、
⑥ 男は が、「主語」で、
⑥ 女と結婚する。が、「述語」であるとすると、
⑥ この世の人は は、「主語」ではないのか、といふことになる。
従って、
(24)
日本語の「主語」と、英語のやうな「西洋語の主語」が、「全く同じ」である。
といふ風に、言ふつもりはない。
然るに、
(25)
① ソクラテスは人間である(Socrates is a human being)。
⑦ 中将はいづこよりものしつるぞ(Where did 中将 come from?:源氏物語)。
に於ける、
① ソクラテスは は、「西洋語」で言ふ所の「主語」であって、
⑦ 中将は も、「西洋語」で言ふ所の「主語」である、はずである。
従って、
(24)(25)により、
(26)
私自身は、三上章先生や、金谷武洋先生が言ふやうに、「日本語に主語はない」といふ風には、思はない。
(27)
⑧ こんにゃくは太らない。
もちろん、この文が問題となるのは、「太らない」のが「こんにゃく」ではなく、それを食べる人間様の場合である。
(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、84頁改)
然るに、
(28)
⑧ こんにゃくは太らない。
といふのであれば、
⑧ こんにゃくが存在し、ある人が存在して、その人はこんにゃくを食べ、その人は太らない。
然るに、
(29)
1 (1)∀x{蒟蒻x→ ∃y(人y&食yx&~太y)} A
1 (2) 蒟蒻a→ ∃y(人y&食ya&~太y)} 1UE
3 (3)∃x(蒟蒻x) A
4(4) 蒟蒻a A
1 4(5) ∃y(人y&食ya&~太y) 24MPP
1 4(6) 蒟蒻a&〔∃y(人y&食ya&~太y)〕 45&I
13 (7) 蒟蒻a&〔∃y(人y&食ya&~太y)〕 346EE
13 (8)∃x{蒟蒻x&〔∃y(人y&食yx&~太y)〕} 7EI
13 (9)或るxは蒟蒻であって、或るyは人であって、yは蒟蒻であるところのxを食べ、yは太らない。
従って、
(28)(29)により、
(30)
⑧ こんにゃくは太らない。
といふ「日本語」は、
⑧ ∃x{蒟蒻x&〔∃y(人y&食yx&~太y)〕}。
⑧ 或るxは蒟蒻であって、或るyは人であって、yは蒟蒻であるところのxを食べ、yは太らない。
といふ「述語論理」に相当する。
従って、
(05)(06)(30)により、
(31)
① ソクラテスは人間である。
⑧ こんにゃくは太らない。
といふ「日本語」は、
① ∃x(ソクラテスx&人間x)。
⑧ ∃x{蒟蒻x&〔∃y(人y&食yx&~太y)〕}。
といふ「述語論理」に相当する。
然るに、
(20)により、
(32)
① ソクラテスは人間である。
① ∃x(ソクラテスx&人間x)。
に於ける「主語」は、
① ソクラテスx
である。
従って、
(31)(32)により、
(33)
⑧ こんにゃくは太らない。
⑧ ∃x{蒟蒻x&〔∃y(人y&食yx&~太y)〕}。
に於ける「主語」は、
⑧ 蒟蒻x
である。
(34)
「論理」は「論理」なのであって、それ故、「日本語(だけ)の論理」や「英語(だけ)の論理」のやうな、「特別な論理」といふものは、有り得ない。
平成30年07月03日、毛利太。
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