2018年7月1日日曜日

「述語論理・日本語」に「人称代名詞」は「不要」である。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
本書は、人称代名詞というどのような言語にも必ず具わっている言語事象を通じて、言語の"遠い親族関係"を探ることを主目的とする。
(松本克己、世界言語の人称代名詞とその系譜、2010年、1頁)
従って、
(01)により、
(02)
日本語を含む、「世界の言語」に於いて、「人称代名詞」を持たない「言語」は存在しない。
然るに、
(03)
日本語の人称代名詞は、英語その他の欧州語のそれとはかなり違った性格を持つ。
(金田一春彦、日本語 新版(下)、1988年、159頁)
(04)
ならば、「日本語に即した文法の樹立を」を目指すわれわれは「日本語で人称代名詞と呼ばれているものは、実は名詞だ」と宣言したい。どうしても区別したいなら「人称名詞」で十分だ。日本語の「人称代名詞」はこれからは「人称名詞」と呼ぼう。
(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、40・41頁)
従って、
(04)により、
(05)
英語やフランス語、その他の欧はともかく、日本語には、「人称名詞」はあっても、「人称代名詞」はない。
然るに、
(06)
第1に、固有名詞をつぎの符号のひとつとして定義する。
   m,n,・・・・・
第2に、任意の名前をつぎの符号のひとつとして定義する。
   a,b,c,・・・・・
第3に、個体変数をつぎの符号のひとつとして定義する。
   x,y,z,・・・・・
第4に、述語文字をつぎの符号のひとつとして定義する。
   F,G,H,・・・・・
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、176頁)
従って、
(05)(06)により、
(07)
日本語だけでなく、述語論理にも、「私」や「あなた」のやうな「人称代名詞」はない。
然るに、
(08)
それでは、狭義の述語論理において究極的な主語となるものは何であろうか。それは「人間」というような一般的なものではない。また「ソクラテス」も述語になりうるし、「これ」すらも「これとは何か」という問に対して「部屋の隅にある机がこれです」ということができる。
そこで私たちは主語を示す変項x、yを文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
 (xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
 SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
 Fx Gx
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田充茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
従って、
(08)により、
(09)
① ソクラテスは理事長である。
といふ「日本語」は、
① ∃x(ソクラテスx&人理事長x)=
① ソクラテスといふ理事長が存在する=
① 或るxはソクラテスであって、そのxは理事長である。
といふ風に、書くことが出来る。
従って、
(09)により、
(10)
① 私は理事長である。
といふ「日本語」は、
① ∃x(私x&理事長x)=
① 私といふ理事長が存在する=
① 或るxは私であって、そのxは理事長である。
といふ風に、書くことが出来る。
然るに、
(11)
1    (1)∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]} A
 2   (2)   私a&理事長a&∀y[~(y=a)→~(理事長y)]  A
 2   (3)   私a&理事長a                     2&E
 2   (4)      理事長a                     2&E
 2   (5)           ∀y[~(y=a)→~(理事長y)]  2&E
 2   (6)              ~(b=a)→~(理事長b)   4UE
  7  (7)∃y(人y&理事長y)                    A
   8 (8)   人b&理事長b                     A
   8 (9)      理事長b                     8&E
    ア(ア) ~(y=x)                        A
    ア(イ) ~(y=a)                        アUE
    ア(ウ) ~(b=a)                        イUE
 2  ア(エ)                     ~(理事長b)   6ウMPP
 2 8ア(オ)      理事長b&          ~(理事長b)   9エ&I
 2 8 (カ)~~(y=x)                        アオRAA
 2 8 (キ)  (y=x)                        カDN
 27  (ケ)  (y=x)                        78キEE
1 7  (コ)  (y=x)                        12ケEE
1    (サ)∃y(人y&理事長y)→(y=x)              7コCP
従って、
(11)により、
(12)
① ∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}
② ∃y(人y&理事長y)→      (y=x)
に於いて、
① ならば、② である。
従って、
(12)により、
(13)
① 或るxは私であって、そのxは理事長であって、いかなるyであっても、yがxと同一人物でないならば、yは理事長ではない。
② 或るyが人であって、そのyが理事長であるならば、yとxは同一人物である。
に於いて、
① ならば、② である。
従って、
(12)により、
(14)
① 私は理事長であって、私以外は理事長ではない。
② 或る人が理事長であるならばその人は私と同じ人物である。
に於いて、
① ならば、② である。
従って、
(07)(14)により、
(15)
「日本語・述語論理」には、「固有名詞」はあっても、「私」や「あなた」のやうな「人称代名詞」はない。ものの、
① 私は理事長であって、私以外が理事長ではない。ならば、
② 或る人が理事長であるならばその人は私と同じ人物である。
といふ「命題」は、
1    (1)∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]} A
  7  (7)∃y(人y&理事長y)                    A
といふ「述語論理」によって、「証明」出来る。
然るに、
(16)
① 私は理事長であって、私以外は理事長ではない。
といふのであれば、
① 私が理事長です。
といふことであり、
② 或る人が理事長であるならばその人は私と同じ人物である。
といふのであれば、
② 理事長は私です。
といふことである。
然るに、
(17)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念館は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
① 私が理事長です。
といふ「日本語」は、
① ∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}
といふ「述語論理」に、訳すことが出来る。
平成30年07月01日、毛利太。

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