2018年7月8日日曜日

∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=象は鼻が長い。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
1    (1)∃x{花子x&象x&∃z(耳zx&~鼻zx)}        A
 2   (2)   花子a&象a&∃z(耳za&~鼻za)         A
  3  (3)   花子a&象a&   耳ca&~鼻ca          A  
   4 (4)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A   
   4 (5)   象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  4UE
  3  (6)   象a                          3&E
  34 (7)      ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  56MPP
  34 (8)      ∃y(鼻ya&長y)               7&E
    9(9)         鼻ba&長b                A
  34 (ア)                 ∀z(~鼻za→~長z)  7&E
  34 (イ)                    ~鼻ca→~長c   アUE
  3  (ウ)                    ~鼻ca       3&E
  34 (エ)                         ~長c   イウMPP
  3  (オ)   花子a                         3&E
  3 9(カ)   花子a&鼻ba&長b                  9オ&I
  3  (キ)             耳ca               3&E
  3 9(ク)   花子a&鼻ba&長b&耳ca              カキ&I
  349(ケ)   花子a&鼻ba&長b&耳ca&~長c          エク&I
  349(コ)∃z(花子a&鼻ba&長b&耳za&~長z)         ケEI
  349(サ)∃y∃z(花子a&鼻ya&長y&耳za&~長z)       コEI
  349(シ)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z)     サEI
  34 (ス)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z)     89シEE
 2 4 (セ)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z)     23スEE
1    (ソ)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z)     12セEE
従って、
(01)により、
(02)
∃x{花子x&象x&∃z(耳zx&~鼻zx)},∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}├
∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z)
cf.
日常言語の文から述語計算の文への翻訳のためには、一般にあたまが柔軟なことが必要である。なんら確定的な規則があるわけではなく、量記号に十分に馴れるまでは、練習を積むことが必要である(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、130頁)。
従って、
(02)により、
(03)
或るxは花子であり、そのxは象であり、或るzはxの耳であり、そのzはxの鼻ではない。全てのxについてxが象であるならば、或るyはxの鼻であり、そのxは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。故に、或るxは花子であり、或るyはxの鼻であり、そのyは長く、或るzはxの耳であって、そのzは長くない。
cf.
変数という記号を採用することがいかに有効であるかは、進むにつれて次第に明らかになって行くだろう。さしあたりは、それは、代名詞「それ」(it)に似たようなはたらきをするものと考えておけば十分であろう(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、204頁)。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
花子は象であって、花子の耳は鼻ではない。然るに、象は鼻が長い。故に、花子は鼻が長く、耳は長くない。
然るに、
(05)
花子は象であって、花子の耳は鼻ではない。然るに、象は鼻が長い。故に、花子は鼻が長く、耳は長くない。
といふ「推論」は、「正しい」。
従って、
(02)(05)により、
(06)
∃x{花子x&象x&∃z(耳zx&~鼻zx)},∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}├
∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z)
といふ「推論」は、「正しい」。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 象は鼻が長い。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(08)              
「日本語(だけ)の論理」や「英語(だけ)の論理」のやうな、「特別な論理」といふものは、有り得ない。
従って、
(09)
逆に言へば、
① 象は鼻が長い。
② An elephant has a long nose.
③ L'éléphant a un long nez.
④ Der Elefant hat eine lange Nase.
⑤ La elefanto havas longan nazon(機械翻訳).
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}.
に於いて、
①~⑤ は、「同等」であって、⑥だけが、「特別」である。
cf.
その言語の長所は、その記法上の制限にもかかわらず、非常に広範な表現能力を持っていることである(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、130頁)。
The chief merit of the language is that, despite its notational limitation, it has a very wide expressive power(E.J.Lemmon, Beginning Logic).
従って、
(10)
① 象は鼻が長い。
② An elephant has a long nose.
③ L'éléphant a un long nez.
④ Der Elefant hat eine lange Nase.
⑤ La elefanto havas longan nazon.
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}.
に於いて、
① の「主語」と、②~⑤ の「主語」を「比較する」ことは、
① の「主語」と、⑥   を「比較する」こととは、「同等」ではない。
然るに、
(11)
日本語などの東アジアの言語には必要のない「主語」は、明治維新以降は「脱亜入欧」の掛け声のもと、英文法を真似て導入されたものだった。大野晋も『日本語の世界』付録の丸谷才一との対談、その事情をあっさり認めてゐる。 明治以降、要するに英文法をもとにして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。その時に、ヨーロッパでは文を作る時に必ず主語を立てる。そこで『文には主語が必要』と決めた。そこで日本語では主語を示すのに『は』を使う、と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものを当てはめた。 ここまで言い切る大野なら、なぜ「日本語に主語はない」と文部科学省に断固抗議し、学校文法改正の音頭を取らないのだろう。言語学的に何ら根拠のない「ハとガの違い」の説明に拘泥し、三上章の「主語廃止論」を一蹴した国語学会の大御所である大野晋も、学問的に正しく批判さる日がやがて来るだろう。
(金谷武洋、英語にも主語はなかった、2004年、11頁)
従って、
(10)(11)により、
(12)
① 象は鼻が長い。
② An elephant has a long nose.
③ L'éléphant a un long nez.
④ Der Elefant hat eine lange Nase.
⑤ La elefanto havas longan nazon.
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}.
に於ける、
① と ⑥ を「比較」した「結果」として、
① 象は鼻が長い。
といふ「日本語」には、「(すくなくとも)二つの主語」が有る。
といふ風に、考へたとしても、「ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いはずである」といふ「態度」が、そのやうな「結論」へ「誘導」してゐる。
といふことには、ならない。
平成30年07月08日、毛利太。

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