2015年2月19日木曜日

不敢不勉。

(01)
① 敢勉  =葛藤が有っても、努力することを、 選択する。
② 敢不勉=葛藤が有っても、努力しないことを、選択する。
然るに、
(02)
① 敢勉  =葛藤が有っても、努力することを、選択する。
の「否定」は、
③ 不敢勉=葛藤が有っても、努力することを、選択しない。
然るに、
(03)
③ 不敢勉=葛藤が有っても、努力することを、選択しない。
といふことは、
③ 不敢勉=決して、努力することを、しない。
といふことに、他ならない。
(04)
② 敢不勉 =葛藤が有っても、努力しないことを、選択する。
の「否定」は、
④ 不敢不勉=葛藤が有っても、努力しないことを、選択する。といふことはない。
然るに、
(05)
④ 葛藤が有っても、努力しないことを、選択する。といふことはない。
といふことは、
④ 葛藤が有っても、必ず努力する。
といふことに、他ならない。
従って、
(05)により、
(06)
④ 喪事不敢不勉(論語、子罕、一六)。は、
④ 葬ひ事に際しては、どのやうな場合も、「必ず努力する」。
といふ、意味である。
然るに、
(07)
孔子がいうに「宮廷へ出ては、公卿に仕え、家庭にあっては、父兄に仕える。葬式のことがあればどうしても努力しないではいられない、できるだけ努力する(多久弘一、多久の漢文公式110、1988年、24頁)。
然るに、
(08)
「必ず努力する」=「どうしても努力しないではいられない、できるだけ努力する」
従って、
(09)
(06)と(07)に、「矛盾」は無い。
然るに、
(10)
④ 必ず努力する。
といふことは、
④ 努力しないことを、決してしない。
といふことに、他ならない。
従って、
(03)(04)(10)により、
(11)
③ 不敢勉 =決して、努力することを、しない。
④ 不敢不勉=努力しないことを、決してしない。
従って、
(12)
③ 不敢=決して、・・・しない。
④ 不敢=決して、・・・しない。
然るに、
(13)
1 市販の問題集・参考書の類、教科書・教師用指導書の類では、「不敢」を「決して・・・ない」と訳している(江連隆、漢文語法ハンドブック、1997年、81頁)。
従って、
(14)
(12)と(13)に、「矛盾」は無い。
(15)
② 敢不勉=葛藤が有っても、努力しないことを、選択する。
③ 不敢勉=決して、努力することを、しない。
の「訓読」は、両方とも、
② 敢へて勉めず。
③ 敢へて勉めず。
である。
従って、
(15)により、
(16)
② 敢へて勉めず。
③ 敢へて勉めず。
といふ「書き下し文」だけからは、
② 敢不勉。
③ 不敢勉。
の「区別」が付かない。
然るに、
(16)
同音異義語(どうおんいぎご)とは、発音は同じだが、互いに区別される語。
従って、
(15)(16)により、
(17)
② 敢不勉=敢へて勉めず。
③ 不敢勉=敢へて勉めず。
は、「同音異義語」に、似てゐる。
平成27年02月19日、毛利太。

2015年2月9日月曜日

新しいブログ。

 
 既にご案内させていただきました通り、誠に勝手ながら、「Page ON」の
 サービスを、2015年2月28日をもちまして終了させていただきます。
 ご利用のお客さまにはご迷惑をおかけし、申し訳ございません
。

といふことから、「縦書き専用のブロガー」として、「返り点と括弧(http://kaeriten.blogspot.com)。」
を始めました。


「横書き」をやめたわけではないので、これからも、宜しく、お願いします。

1:「返り点」の基本(2)。
2:「ソート」としての「返り点」。
 

3:「返り点」と「括弧」(2)。
4:「括弧」はあります!
5:漢文の基本構造。
6:「連続符号」について。
7:「括弧」と「返り点」。
8:「レ点」について。
9:「返り点」の基本(1)。
10:「括弧(補足構造)」はあります!
11:訓読vs音読。
12:例外(WH移動)。
13:「返り点」と「括弧」(1)。
14:「返り点」と「括弧」(1.5)。
15:「返り点」と「括弧」(2.5)。
16:返り点、括弧、漢文、白話。

平成27年02月09~28日、03月02.・15・20・22・25日、毛利太。

2015年2月7日土曜日

¬(A→B)

(01)
① AならばBならず。
② AなればBならず。
に於いて、
① Aなら(未然形)
② Aなれ(已然形)
である。
然るに、
(02)
已然形
(a)「ば」「ども」に続いて確定条件を表す。
風吹けば、舟出ださず。〈風ガ吹クノデ、舟を出サナイ〉
*已然―前の「未然」の反対で「已に然り」、すなわち、「スデニソウナッテイル」の意である(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、24頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① Aなら(未然形)ばBならず。
といふ「命題」は、
① もしもAでならば、Bでない。
といふ意味であって、
② Aなれ(已然形)ばBならず。
といふ「命題」は、
② 既にAであって、Bでない。
といふ意味である。
従って、
(03)により、
(04)
② Aなれ(已然形)ばBならず=
② 既にAであって、Bでない。
といふ「命題」は、
② A∧¬B=Aであって、尚且つ、Bでない。
といふ、意味になる。
然るに、
(05)
「二重否定律」、「ド・モルガンの法則」、「含意の定義」により、
② A∧¬B=¬(¬(A∧¬B))=¬(¬A∨B)=¬(A→B)
である。
従って、
(04)(05)により、
(06)
② Aなれ(已然形)ばBならず=
② ¬(A→B)
である。
然るに、
(07)
① Aなら(未然形)ばBならず=
① もしもAならば、Bでない。
は、もちろん、
① A→¬B。
である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① Aなら(未然形)ばBならず=
① A→¬B。
であって、
② Aなれ(已然形)ばBならず=
② ¬(A→B)=
② A∧¬B
といふ、ことになる。
加へて、
(09)
「理屈」としではなく、私自身の感覚として、飽く迄も、
① Aなら(未然形)ばBならず=
① A→¬B。
であって、
① Aなら(未然形)ばBならず=
② ¬(A→B)。
には、ならない。
然るに、
(10)
数学を和文で表現するときに、最初にトラブルに陥るのはが、否定をどのように表現するか、という問題です。次の和文を読んでみてください。
 AならばBではない。
この文は、2つの解釈があります。ひとつは「(AならばB)ではない」。数文であらわすと、¬(A→B)です。もう一つは「Aならば(Bではない)」。数文であらわすと、A→¬Bとなります。この2つはまったく異なる意味をもちますが、和文であらわそうとすると、どちらも同じ文になってしまうのです(新井紀子、数学は言葉、2009年、123頁)。
従って、
(09)(10)により、
(11)
新井先生の感覚からすれば、
① Aなら(未然形)ばBならず。
といふ「命題」が、
② Aなれ(已然形)ばBならず。
といふ「命題」を、兼ねてゐることになり、
私の感覚からすれば、
① Aなら(未然形)ばBならず。
は、飽く迄も、
① Aなら(未然形)ばBならず。
である。といふ、「理屈」になる。
従って、
(12)
① AならばBでない。
といふ「言ひ方」に対する捉え方(感じ方)は、同じ日本人であっても、同じではない。
ものの、因みに、「未然形:已然形」に係はる問題としては、次のやうな「議論」が、有名である。
(13)
教育勅語に文法の誤用があるという説がある。すなわち、原文「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」部分の「アレバ」は、条件節を導くための仮定条件でなくてはならず、和文の古典文法では「未然形+バ」、つまり「アラバ」が正しく、「アレバ」は誤用である、とする説である。1910年代に中学生だった大宅壮一が国語の授業中に教育勅語の誤用説を主張したところ教師に諭された、と後に回想している[6](ウィキペディア:教育勅語)。
然るに、
(14)
この場合は、
② 緩急あれ(已然形)ば=仮定条件。
① 緩急あら(未然形)ば=仮定条件。
といふことなので、
② 緩急あれ(已然形)
が、
① 緩急あら(未然形)
を兼ねてゐる。といふ、ことになる。
平成27年02月07日、毛利太。

2015年2月6日金曜日

「返り点」について(縦書き)。

このブログは、PC上では「縦書き」で表示され、マウスポインタが、「縦書きの部分」にある時に、マウスのホイールを回すと、左右にスクロールし、「縦書きの外」では、上下にスクロールします。下に見えてゐる「スクロールノブ」を動かしても、左右のスクロールします。
(〇一)
「返り点」とは、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
④ 天 地 人
⑤ レ
⑥ ‐(ハイフン)
を、言ふ。
(〇二)
読教科書=教科書を読む。
の「返り点」を、
読四教一科二書三=教一科二書三を読四む。
とするのは、「マチガイ」であって、
読二教科書一=教科書一を読二む。
が、「正しい」。
(〇三)
読教科書学漢文=教科書を読み漢文を学ぶ。
の「返り点」を、
読二教科書一学四漢文三=教科書一を読二み漢文三を学四ぶ。
とするは、「マチガイ」であって、
読二教科書一学二漢文一=教科書一を読二み漢文一を学二ぶ。
が、「正しい」。
従って、
(〇二)(〇三)により、
(〇四)
四 一 二 三。
二 一 四 三。
は「マチガイ」であって、
二 一。
二 一 二 一。
が「正しく」、このことは、「基本中の基本」である。
(〇五)
鳥啼梅樹聞=鳥、梅樹に啼く。
聞鳥啼梅樹=鳥の梅樹に啼くを聞く。
の「返り点」は、当然、
鳥啼二梅樹一聞三=鳥、梅樹一に啼二く。
聞三鳥啼二梅樹一=鳥の梅樹一に啼二くを聞三く。
が、「正しい」。
然るに、
(〇六)
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
④ 天 地 人
に於いて、
① を挟んで返る場合には、
② を用ゐ、
② を挟んで返る場合には、
③ を用ゐ、
③ を挟んで返る場合には、
④ を用ゐる。
従って、
(〇六)により、
(〇七)
四 二 一 三。
五 四 二 一 三。
五 二 一 四 三。
は、「マチガイ」であって、
下 二 一 上。
下 中 二 一 上。
下 二 一 中 上。
が、「正しい」。
従って、
(〇六)により、
(〇七)
聞四鳥啼二梅樹一声三=
鳥の梅樹一に啼二く声三を聞四く。
不五常聞四鳥啼二梅樹一声 三=
常には鳥の梅樹一に啼二く声三を聞四か不五。
如五揮二快刀一断四乱麻三 =
快刀一を揮二つて乱麻上を断中つが如下し。
は、「マチガイ」であって、
聞下鳥啼二梅樹一声上=
鳥の梅樹一に啼二く声上を聞下く。
不下常聞中鳥啼二梅樹一声 上=
常には鳥の梅樹一に啼二く声上を聞中か不下。
如下揮二快刀一断中乱麻上 =
快刀一を揮二つて乱麻上を断中つが如下し。
が、「正しい」。
従って、
(〇七)により、
(〇八)
不欲揮快刀断乱麻=
快刀を揮って乱麻を断たんと欲せず。
の「返り点」として、
不レ欲下揮二快刀一断中乱麻上=
快刀一を揮二って乱麻上を断中たんと欲下不レ。
は、「正しい」。
然るに、
(〇九)
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
とは異なり、
② 上 中 下
④ 天 地 人
は、三つしかない。
従って、
(〇八)(〇九)により、
(一〇)
不欲揮快刀断乱麻=
快刀を揮って乱麻を断たんと欲せず。
に対して、
不必欲揮快刀断乱麻=
必ずしも、快刀を揮って乱麻を断たんと欲せず。
の場合は、已むを得ず、
② 上 中 下
ではなく、
③ 甲 乙 丙 丁 戊 ・ ・ ・ ・ ・
を、用ゐて、
不丁必欲丙揮二快刀一断乙 乱麻甲=
必ずしも快刀一を揮二って乱麻甲を断乙たんと 欲丙せ不丁
とする。
従って、
(〇七)(一〇)により、
(一一)
下 二 一 上。
下 中 二 一 上。
下 二 一 中 上。
丁 丙 二 一 乙 甲。
が、正しい。
然るに、
(一二)
例へば、
四 二 一 三。
ではなく、
二 四 一 三。
であったとする。
然るに、
(一三)
(3)上中下点(上・下、上・中・下)
レ点・一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中点に相当しりものと考えるとわかりやすい)。〔原 田種成、私の漢文講義、1995年、43頁〕
従って、
(一二)(一三)により、
(一四)
二 四 一 三。
は、
二 下 一 上。
でなければ、ならない。
然るに、
(一五)
{( )}
に対して、
({ )}
といふ形の「括弧」が、有り得ないやうに、
二 下 一 上。
といふ形の「返り点」も、存在しない。
従って、
(一二)~(一五)により、
(一六)
二 四 一 三。
といふ「順番」を表す「返り点」は、存在せず、
更に言へば、
二 3 一。
二 4 一 3。
二 5 一 4。
二 6 一 5。
・・・・・・。
といふ「順番」を表す「返り点」も、存在しない。
従って、
(一七)
例へば、
2 3 1。
といふ「数字の順番」になるやうに、「返り点」を付けよ。
といふ「問題」がある場合には、実際には、
2‐3 1。
といふ、
2‐3(ハイフン有り)と、
1 に対して、
二 一。
といふ「返り点」を、付けることになる。
然るに、
(一八)
2 3 1=
2‐3 1。
ではなく、
2 4 1 3。
等の「順番」は、固より、
⑥ ‐(ハイフン)
を、用ゐることが、出来ないため、
二 下 一 上。
といふ、「反則」を用ゐない限り、
2 4 1 3。
といふ「数字の順番」を、表すことは、出来ない。
従って、
(一八)により、
(一九)
2 4 1 3。
2 5 1 3 4。
2 6 1 4 3 5。
・・・・・・。
等の「順番」に対しては、
原理的に、「返り点」を付けることが、出来ない。
(二〇)
不レ欲下揮二快刀一断中 乱麻上=
快刀を揮って乱麻を断たんと欲せず。
に対して、
不レ欲二揮レ刀断一レ麻=
刀を揮って麻を断たんと欲せず。
である。
従って、
(二〇)により、
(二一)
① 一 二・点
② 上 下・点
③ 甲 乙・点
④ 天 地・点
⑤ レ点
に於いて、
⑤ レ点
は、
① 一二 の下にも、
① 一二 の中にも、
① 二二 の上にも、
② 下二 の上にも、
置くことが、出来るし、
加へて、
(二二)
まレほ地あと丙いて乙うえた下おそ中かしレさ二くレきこ一レけせ上レすつ甲レちは三なの二ぬレにね一へ天レふレひ=
あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひへほま。
等は、「返り点」として、「正しい」。
従って、
(二二)により、
(二三)
二 一レ
だけでなく、
中 上レ
乙 甲レ
地 天レ
といふ「返り点」は、有る。
然るに、
(二四)
二 一レ
中 上レ
乙 甲レ
地 天レ
に対して、
三 二レ 一
下 中レ 上
丙 乙レ 甲
人 地レ 天
であるが故に、
「始点が二つ、終点が一つ」である、
三 二レ
下 中レ
丙 乙レ
人 地レ
といふ「返り点」は、有り得ない。
(二四)
非レ不レ読二漢文一=漢文を読まざるに非ず。
といふ「返り点」は、
非四不三読二漢文一=漢文 一を読二ま不三るに非四ず。
といふ「返り点」に、等しい。
従って、
(二五)
非レ不レ読二漢文一=
非四不三読二漢文一=漢文を読まざるに非ず。
のやうな、「使い方」だけを、してゐる限り、
「レ点」は、少しも、難しくはない。
(二六)
恐四衆狙之不三馴二於己一=
衆狙の己一に馴二れ不三るを恐一る。
ではなく、
恐二衆狙之不二レ馴二於己一=
衆狙の己に馴れ不るを恐る(朝三暮四)。
が、「正しい」。
然るに、
(二七)
二 一レ
といふ「返り点」が無ければ、
恐二衆狙之不一レ馴二於己一。
といふ「分りにくい、返り点」は、
恐四衆狙之不三馴二於己一。
といふ風に、書かざるを得ないし、固より、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
② 上 中 下 松 竹 梅
④ 天 地 人 間
くらいの「返り点」が有れば、
⑤ レ点
は、不要である。
然るに、
(二八)
数式に於いて、
( )の他に、
{ }を使ふのは、
( )だけでは、「読みにくい」からであるが、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
の他に、
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
を使ふ「理由」も、例へば、
使一三籍誠不八以五畜二妻子一憂四飢寒三乱七心六 而有一〇銭財九以済一二医薬一一 =
籍をして誠に妻子一を畜二ひ飢寒三を憂四ふる を以五て心六を乱七不八銭財九 有一〇りて以て医薬一一を済一二さ使一三 む。
のやうに、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
だけを用ゐると、「読みにくい」からである。
然るに、
(二九)
「読みにくい」のとは逆に、
「付けやすさ」から言へば、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
よりも、「付けやすい」それは、有り得ない。
従って、
(二七)(二九)により、
(三〇)
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
② 上 中 下 松 竹 梅
④ 天 地 人 間
⑤ レ点
に於いて、
「付けやすい返り点」といふことから言へば、
①
だけの「返り点(番号)」が、「最も簡単」であり、
①+③+②+④
からなる「返り点」が、「その次に簡単」であり、
⑤ レ点
を含む、
①+③+②+④+⑤
からなる、「フルセットの返り点」が、「最も難しい」。
従って、
(三一)
「返り点」が、メチャクチャ苦手な、受験生に対しては、
最初に、
使一三籍誠不八以五畜二妻子一憂四飢寒三乱七心六 而有一〇銭財九以済一二医薬一一=
籍をして誠に妻子一を畜二ひ飢寒三を憂四ふる を以五て心六を乱七不八銭財九 有一〇りて以て医薬一一を済一二さ使一三む。
といふ風に、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
だけからなる、「返り点(番号)」を付けることを、勧めたい。
(三二)
その上で、
使一三籍誠不八以五畜二妻子一憂四飢寒三乱七心六 而有一〇銭財九以済一二医薬一一 。
に対して、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
② 上 中 下
④ 天 地 人
からなら「返り点」を用ゐて、
使人籍誠不丙以下畜二妻子 一憂中飢寒上乱乙心甲而有二銭財一以済地医薬天=
籍をして誠に妻子一を畜二ひ飢寒上を憂中ふる を以下て心甲を乱乙不乙銭財二有一りて以て医薬天を済地さ使人む。
とすることを、勧めたい。
(三三)
その次に、
① 一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
② 上 中 下
④ 天 地 人
に加へて、
⑤ レ点
を用ゐて、
使人籍誠不乙以下畜二妻子 一憂中飢寒上乱甲レ心而有二銭財一以済地医薬天。
とすることを、勧めたい。
(三四)
言沛公不敢背項王=
沛公敢へて項王に背かずと言はん。
であれば、もちろん、
言四沛公不三敢背二項王一=
沛公敢へて項王一に背二か不三と言四はん。
である。
然るに、
(三五)
言沛公不背項王=
沛公項王に背かずと言はん。
の場合は、
言四沛公不三背二項王一=
沛公項王一に背二か不三と言四はん。
は、「マチガイ」であって、
言二沛公不一レ背二項王一=
沛公項王に背かずと言はん。
が、「正しい」。
と決めたのは、多分、明治時代の、文部省である。
平成二七年〇二月〇六日、毛利太。

2015年2月2日月曜日

縦書のHPについて。













ブラウザによっては、下の「画像(PNG)」が、表示されない場合が、有ります。
平成27年02月03日、毛利太。
不可戻

戻れず

 既にご案内させていただきました通り、誠に勝手ながら、「Page ON」の
 サービスを、2015年2月28日をもちまして終了させていただきます。
 ご利用のお客さまにはご迷惑をおかけし、申し訳ございません
。

といふことで、
「縦書きのホームページ(Page ON)」を、
https://sites.google.com/site/kaeriten/
へ引っ越してはみたものの、うまく行かず、困ってゐます。

平成27年02月02日、毛利太。

2015年1月31日土曜日

「英語」の多重否定。

(01)
人而不仁、如礼何。
人にして仁ならずんば礼を如何せん。
人として人間らしさ(仁)がないならば、礼があっても何になろう。
(明解古典学習シリーズ16、1973年、40頁)
(02)
人之性悪。其善者偽也。
人の性は悪なり。その善なる者は偽りなり。
人の天性は悪である。人間の善を作り上げているのは(後天的な)人為なのである。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、349頁)
従って、
(01)(02)により、
(02)
人の性は悪なり。
に対するアンチテーゼとして、
① 不有人而不善=人にして善なら不るは有らず。
とする。
然るに、
(04)
① ~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ))=
① ~[∃ⅹ〔人ⅹ&~(善ⅹ)〕]⇒
① [〔人ⅹ&(善ⅹ)~〕∃ⅹ]~=
① [〔人であって(善で)ないといった〕そのやうなⅹは存在し]ない。
といふ「述語論理」は、
① 不有人而不善=
① 不[有〔人而不(善)〕]⇒
① [〔人而(善)不〕有]不=
① [〔人にして(善なら)不るは〕有ら]不。
といふ「漢文」の、「直訳」である。
然るに、
(05)
言ふまでもなく、
① 不有人而不善(人にして善なら不るは有らず)。
といふ「漢文」は、
① 無人不善(人にして善なら不るは無し)。
といふ風に、書くことが出来る。
然るに、
(06)
① 無人不善(人にして善ならざるは無し)。
を、「英語」に置き換へると、
① No man is not good.
といふ、ことになる。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① 無人不善(人にして善ならざるは無し)=
① No man is not good=
① ~∃ⅹ(MANⅹ&~(GOODⅹ))=
① ∀ⅹ(MANⅹ → GOODⅹ)=Every man is good.
である、はずである?
然るに、
(08)
任意の表述の否定は、その表述を’~(  )’という空所にいれて書くことにしよう(W.O.クワイン、現代論理学入門、1972年、15頁)。
従って、
(08)により、
(09)
① No man is not good.
の「否定」は、
② ~(No man is not good).
であるが、
② ~(No man is not good).
といふ「英語」はない。
然るに、
(10)
「・・・・・でない。」ではない=
「・・・・・でない。」といふこと、それは、ウソである=
「・・・・・でない。」といふこと、それは、本当ではない。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① No man is not good.
の「否定」、すなはち、
② ~(No man is not good).
は、例へば、
② It is not true that no man is not good.
である。
然るに、
(12)
どの言語をみても、一般に否定文は肯定文にはないなんらかの要素(日本語のナイ、英語のnot、仏語の
ne・・・pasなど)をもち、その逆ではない(大修館、『言語』セレクション、第一巻、2012年、321頁)。
といふ場合の、
ナイ
not
ne・・・pas
といふ「否定詞」に対して、
It is not true that
は、「否定詞」とは、言ひにくい。
然るに、
(13)
① ~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ)).
① 無人不善(人にして善ならざるは無し)。
① 不有人而不善(人にして善なら不るは有らず)。
といふ「二重否定」の「否定(三重否定)」は、
② ~(~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ)))
② 非無人不善(人にして善ならざるは無きに非ず)。
② 非不有人而不善(人にして善なら不るは有らずんば非ず)。
であって、つまりは、
② 人であって善でない者は、ゐないわけではない。⇔
② 善でない人もゐる=∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ))。
といふ、ことである。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
① ~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ)).
① 無人不善(人にして善ならざるは無し)。
① 不有人而不善(人にして善なら不るは有らず)。
① No man is not good.
といふ「二重否定」にあって、
① No man is not good.
だけは、「否定詞」を用ゐて、「三重否定」にすることが、出来ない。
然るに、
(15)
よくスラム街などを舞台にした映画で、
 I don't know nothing! とか I didn't say nothing!
などと言っている人を見かけますが、
文にnotとnothingという2つの否定詞が入ってしまっていますから、
文法的にはとんでもない×。
ではなぜネイティブが使っているのでしょう?
それは「この人はちゃんとした教育を受けていませんよ」
ということを脚本で表そうとしているから。こわいですね~。
ネイティブだからって、真似すればいいってもんじゃないんですね。
「私は何も知らない」と言いたいときの正しい文法は、
 I don't know anything または I know nothing。
それぞれ否定詞を1つずつしか使っていませんね。
あ、「おらー何も知っちゃいねーよ!」と言いたいときには
 I don't know nothingで良いかもしれません。
いや、やめましょう(笑)。
(Webサイト: ジョルダンスクール)
従って、
(14)(15)により、
(16)
① ~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ)).
といふ「意味」で、
① No man is not good.
といふ風に、言はんとすると、
① No man is good.
① Man is not good.
といふ風に、英語の先生によって、直されてしまふ。
従って、
(16)により、
(17)
① ~∃ⅹ(人ⅹ&~(善ⅹ)).
① 無人不善(人にして善ならざるは無し)。
① 不有人而不善(人にして善なら不るは有らず)。
といふ「述語論理・漢文」に対応する、「英語」は、存在しない。
加へて、
(14)により、
(18)
① No man is not good.
といふ「英語」が存在したとしても、
① No man is not good.
といふ「英語」を、「否定詞」を用ゐて、「否定」することは、出来ない。
従って、
(17)(18)により、
(19)
「英語」は、「二重否定」や「三重否定」が、得意ではないが故に、「漢文・訓読」に比べて、「非論理(学)的」である。
平成27年01月31日、毛利太。

2015年1月24日土曜日

「所」について(Ⅱc)。

(01)
① 我汝所生也=我は汝の生みし所なり。
に於いて、「の」は、
a.「主語」を示す。
(02)
② 我汝所生之子也=我は汝の生みし所の子なり(私はあなたが生んだ子供である)。
に於いて、「の、の」は、順番に、
a.「主語」を示す。
b.「同格(同一)」を示す。
(03)
③ 我汝所生之太郎友也=我は汝の生みし所の太郎の友なり(私はあなたが生んだ太郎の友人である)。
に於いて、「の、の、の」は、順番に、
a.「主語」を示す。
b.「同格(同一)」を示す。
c.「連体修飾語」を作る。
従って、
(02)により、
(04)
② 我汝所生之子也=我は汝の生みし所の子なり。
に於いて、
② 我=所生。
② 所生=子。
といふ「等式」が、成立する。
(03)により、
(05)
③ 我汝所生之太郎友也=我は汝の生みし所の太郎の友なり。
に於いて、
③ 我=太郎の友。
③ 所生=太郎。
といふ「等式」が、成立する。
である。
然るに、
(06)
③ 我汝所生之太郎友也。
に於いて、
③ 所生=太郎。
であるならば、
③ 我汝所生之太郎友也。
は、
④ 我汝所生之友也=我は汝の生みし所の友なり(私はあなたが生んだ太郎の友人である)。
に、等しい。
然るに、
(07)
③ 我汝所生之太郎友也=
④ 我汝所生之友也=我は汝の生みし所の友なり(私はあなたが生んだ子供の、すなはち、太郎の、友人である)。
である以上、
④ 我汝所生之友也。
に於いて、
④ 我=友。
④ 所生=太郎。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(04)(07)により、
(08)
② 我は汝の生みし所の子なり(私はあなたが生んだ子供である)。
の場合は、
② 所生=子。
であって、尚且つ、
④ 我は汝の生みし所の友なり(私はあなたが生んだ太郎の友人である)。
の場合は、
④ 所生 ≠ 友。
である。
従って、
(08)により、
(09)
② 我汝所生之子也。
④ 我汝所生之友也。
に於いて、
② 所生=子。
④ 所生 ≠ 友。
である。
従って、
(09)により、
(10)
A所B之C。
に於いて、
所B は、Cと「同一である」ことも、
所B は、Cと「同一でない」ことも、両方とも、「可能」である。
cf.
16「所当過之橋」17「韓非所著之書」では「所当過」と橋、「所著」と書とは同一のものであるが、28「所崇」と子孫、29「所愛」と肉とは別のものであることに注意(西田太一郎、漢文の語法、1980年、152頁)。
従って、
(11)
⑤ 其所愛之肉。
の場合も、
⑤ 所愛=肉。
であることも、
⑥ 所愛 ≠ 肉。
であることも、両方とも、「可能」である。
(12)
⑤ 所愛=肉。
であるならば、
⑤ 肉=好物。
であるため、
⑤ 食其所愛之肉=好物の肉を食べる(普通である)。
となり、
⑥ 所愛 ≠ 肉。
⑥ 所愛=妻や妾。
であるならば、
⑥ 食其所愛之肉=妻や妾を殺してその肉を食べる(異常である)。
といふ、ことになる。
従って、
(13)
⑤ 食其所愛之肉(肉食)。
⑥ 食其所愛之肉(カニバリズム)。
は、「文脈」に、依存する。
然るに、
(14)
さらに「所」についての応用問題を出してみよう。次の漢文を訳してみよ。
食其所愛之肉、以与敵抗=其の愛する所の肉を食ひ、以て敵と抗す。
おそらく「一番好きな肉、たとえば牛肉を食って、スタミナをつけ、それで敵とわたりあった」という解答が圧倒的だろうと思う。もちろん牛肉が豚肉であろうと鶏肉であろうとそれはかまわない。要するに「所愛」は、肉に対する好みというわけである。しかし、右のような解釈は残念ながら、この場合ぴったりしない。どこがアウトなのかわかるか。これが分かる人は、漢文の力は高度である。
まず、原因から考えて行こう。以前に説明したように、「所」というのは、あくまでも対象化する働きを持つ語なのである。だから、くり返していえば、「所愛」というのは、愛する行為の対象者であり、愛する相手のことなのである。すると、前記の文の場合、愛する対称とはなにか、肉か。否、肉ではない。「所愛」の二字自体が、愛する相手なのである。それを仮にⅹとしよう。すると次のようになる。
ⅹの肉を食らひ、以て敵と抗す。
それではⅹとは何か。ごくすなおに考えてみよう。ⅹの内容は、「愛するところ」すなわち「愛する人」である。「愛する人」って誰のこと?決まってるじゃないか、愛人だよ。ま、一般的にいえば、妻や第二夫人、つまり妻妾である。すると次のようになる。
食2其妻妾之肉1、以与ㇾ敵抗 : 二 一 レ。
其の妻妾の肉を食らひ、以て敵に抗す。
と、こういうわけだ(漢文法基礎、二畳庵主人、1984年、151頁)。
従って、
(14)により、
(15)
二畳庵主人の「説明」を読む限り、
⑤ 食其所愛之肉(肉食)。
⑥ 食其所愛之肉(カニバリズム)。
とはならず、常に、
⑥ 食其所愛之肉(カニバリズム)。
といふ「解釈」しか、成り立たない。
従って、
(10)~(15)により、
(16)
A所B之C。
に於いて、
所B は、Cと「同一である」ことも、
所B は、Cと「同一でない」ことも、両方とも、「可能」である。
といふ「解釈」は、「二畳庵主人の説」に従ふ限り、
⑤ 食其所愛之肉。
に関しては、成り立たない。
平成27年01月24日、毛利太。

2015年1月16日金曜日

不敢不勉。

(01)
(02)~(08)に於いて、
① 敢不走乎。 は、「反語」である。
② 敢不走乎。 は、不敢不走。に、等しい。
③ 不敢不走。 は、「必ず逃げる。」といふ意味である。
といふ三点を、説明します。
(02)
敢不走乎 「敢不~乎」は「あへテ~ざランや」と読む反語形。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、40頁)。
従って、
(02)により、
(03)
① 敢不走乎。は、「反語」である。
然るに、
(04)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、日本語でも、「そんなこと誰が知ろうか」と言う場合、「誰が知っているか」とたずねているのではなく、逆に「誰も知ってはいない」ということを言っているのである。けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、45頁)。
然るに、
(05)
① 敢不走乎。 の「否定」は、
② 不敢不走。 である。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
① 敢不走乎。 は、「反語」であるが故に、
① 敢不走乎。 は、「その否定」である、
② 不敢不走。 に、等しい。
然るに、
(07)
敢不走乎。
敢へて走らざらんや。
どうして逃げないでしょうか(いや、必ず逃げるのです)。
(数研出版、基礎からの漢文、1982年、95頁)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 敢不走乎=
② 不敢不走=必ず逃げる。
(09)
(10)~(14)に於いて、
② 必ず逃げる=逃げないことを、決してしない。
であることを、説明します。
(10)
② 逃げないことを、しない。
といふことは、要するに、
② 逃げる。
といふ、ことである。
然るに、
(11)
② 逃げる。
といふ「意味(意志)」を、「強める」と、
② 必ず、逃げる。
(12)
② 逃げないことを、しない。
の「意味(意志)」を、「強める」と、
② 逃げないことを、決して、しない。
従って、
(11)(12)により、
(13)
② 必ず、逃げる=
② 逃げないことを、決して、しない。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(08)(13)により、
(14)
② 不敢不走=
② 逃げないことを、決して、しない。
従って、
(14)により、
(15)
③ 不敢不勉=
③ 勉めないことを、決して、しない。
cf.
24囗否定形10 不敢不 ―
(読)アエテ ―ズンバアラズ
(意)どうしても(進んで)―しないではいられない。―しないということは決してしない。〔二重否定〕
敢へて勉めずんばあらず。
どうしても努力しないではいられない、できるだけ努力する。
(多久高弘一、多久の漢文公式110、1988年、24頁)
然るに、
(16)
③ 不敢不勉=
③ 勉めないことを、決して、しない。
であるならば、
④ 不敢視=
④ 視ることを、決して、しない。
cf.
23囗否定形9 不敢 ―
(読)アエテ ―(セ)ズ
(意)決して ―しない。進んで―しない。
昆弟妻嫂、目を側めて敢へて視不。
兄弟、妻、兄嫁は目をそらして、進んでまともに蘇秦を視ようとしなかった(蘇秦の威光を恐れたので)。
(多久高弘一、多久の漢文公式110、1988年、23頁)
従って、
(15)(16)により、
(17)
不敢 ―   =決して ―しない。
不敢不 ― =決して ―しないことを、しない。
従って、
(18)
1 市販の問題集・参考書の類、教科書・教師用指導書の類では、「不敢」を「決して・・・ない」と訳している(江連隆、漢文語法ハンドブック、1997年、81頁)。
としても、特に、「不都合」は無い。
平成26年01月16日、毛利太。
(19)
① 背きたい気持ち。
② 背きたくない気持ち。
が、有って、
   ①>②  = 敢背。
   ①<②  = 敢不背。
~(①>②)= 不敢背。
~(①<②)= 不敢不背。
然るに、
(20)
~(①>②)={①≦②}≒①<②
従って、
(17)(19)(20)により、
(24)
言沛公不敢背項王=沛公敢へて項王に背かずと、言はん。
に於ける、
~(①>②)=
不敢背=敢へて背かず。 は、
      ①<② =
敢不背=敢へて背かず。 
といふ「意志」を、強調した、言ひ方である。
平成26年01月17日、毛利太。