2018年10月22日月曜日

鏡の中の「前後・上下・左右」について。

(a)「一昨日(10月20日)の記事」を補足します。
(b)『返り点と括弧』については、『「返り点」と「括弧」(略8)(https://kannbunn.blogspot.com/2018/09/blog-post_17.html)』他もお読み下さい。
(c)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
「チコちゃんに叱られる!(NHK、10月20日)」を視聴した上で、書いています。
(02)
「番組の中」で曰く、
①「前後の方向」と「上下の方向」が定まらなければ、「左右の方向」は定まらない。
②「上下の方向」と「左右の方向」が定まらなければ、「前後の方向」は定まらない。
③「左右の方向」と「前後の方向」が定まらなければ、「上下の方向」は定まらない。
④「鏡の中で逆転する」のは、実際には「前後」である。
⑤「鏡は何故、上下ではなく、左右を反転させる」のか、その「理由」は、未だ「謎」である。
(03)
紙にも表裏があります。
どちらが表か分からなくなった時はまず紙の表面を触ってみると良いでしょう。
一般的に、スベスベしたなめらかな方が表、ちょっとザラザラしたほうが裏です。
(紙の表裏・上下 - 書遊)
従って、
(03)により、
(04)
(α)「AE」と書いた「紙の表」を、「 鏡 」に向けて「鏡の中を見る」ことが出来、
(β)「AE」と書いた「紙の表」を、「照明」に向けて「裏側から透かして見る」ことが出来る。
然るに、
(05)
(α)の場合は、「AE」は「∃A」という風に、見え、
(β)の場合も、「AE」は「∃A」という風に、見える。
従って、
(04)(05)により、
(06)
「鏡面に映っている文字(のイメージ)の上下左右」は、
「裏側から見ている文字(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
然るに、
(07)
「人間」の場合は、
「背中の側」が「裏側」であって、
「お腹の側」が「表側」である。とする。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「鏡面に映っている文字(のイメージ)の上下左右」は、
「裏側から見ている文字(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
ということからすれば、必然的に、
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
「背中を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
然るに、
(09)
「背中を向けている人物β」が「回れ右」をすれば、
「人物βの上下」は「変わらず」、
「人物βの左右」が「逆転する」。
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
「背中を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
ということからすれば、必然的に、
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
「お腹を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」と「逆」になる。
従って、
(10)により、
(11)
「鏡に正対する、鏡の中の人物α(のイメージ)」を、
「背中を向けていた人物β」が「回れ右」した場合の「イメージ」と、「同一視」するならば、
「αの左右」と「βの左右」が、「逆」になるのは、「当然」である。
然るに、
(12)
「背中」を向けている人物βが、「こちらを向く」ためには、
(ⅰ)「回れ右」をするか、
(ⅱ)「逆立ち」をするかの、どちらかです。
然るに、
(13)
「背中を向けている人物β」が「回れ右」ではなく、「逆立ち」をすれば、
「人物βの左右」は「変わらず」、
「人物βの上下」が「逆転する」。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
「鏡に正対する、鏡の中の人物α(のイメージ)」を、
「背中を向けていた人物β」が「逆立ち」した場合の「イメージ」と、「同一視」するならば、
「αの上下」と「βの上下」が、「逆」になるのは、「当然」である。
従って、
(11)(14)により、
(15)
鏡に映った像は、なぜ左右だけ反転して見えるのか(kju********さん、2018/9/1918:59:03)?
という「質問(ヤフー知恵袋)」に対しては、
私たちがもし、友人に後ろから声をかけられたとき肩越しに振り向くのではなく、逆立ちして後ろを向き会話を始めるような生物であれば、(誰かと対面するときに常に自分の頭は相手の足側、相手の足は自分の顔の前にあるわけですから)、鏡に写った自分を見て「上下が反転している」と感じるでしょう(lo96969olさん、2014/4/20 2:29:22)。
という「回答(ヤフー知恵袋)」が、「正解」です。
平成20年10月22日、毛利太。

2018年10月12日金曜日

同一律・矛盾律・排中律(Ⅱ)。

(a)『返り点と括弧』については、『「返り点」と「括弧」(略8)(https://kannbunn.blogspot.com/2018/09/blog-post_17.html)』他もお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
①  P→ Q
② ~Q→~P
といふ「論理式」は、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
といふ「意味」である。
然るに、
(02)
③ ~(P&~Q)
といふ「論理式」は、
③(PであってQでない。)といふことはない。
といふ「意味」である。
然るに、
(03)
③(PであってQでない。)といふことはない。
といふ「日本語」は、
③「Pである。」と「Qでない。」の、「両方ともが、本当であることはない。」
といふ「意味」である。
然るに、
(04)
③「Pである。」と「Qでない。」の、「両方ともが、本当であることはない。」
といふことは、
③「Pである。」と「Qでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
といふことである。
然るに、
(05)
③「Pである。」と「Qでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
といふことは、
③「Pである。が本当である」ならば「Qでない。はウソである」。
③「Qでない。が本当である」ならば「Pである。はウソである」。
といふことである。
然るに、
(06)
③「Qでない。はウソである」。
③「Pである。はウソである」。
といふことは、
③「Qである。が本当である」。
③「Pでない。が本当である」。
といふことである。
従って、
(05)(06)により、
(07)
③「Pである。」と「Qでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
といふことは、
③「Pである。が本当である」ならば「Qである。は本当である」。
③「Qでない。が本当である」ならば「Pでない。は本当である」。
といふことである。
然るに、
(08)
③「Pである。が本当である」ならば「Qである。は本当である」。
③「Qでない。が本当である」ならば「Pでない。は本当である」。
といふことは、要するに、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
といふことである。
従って、
(03)~(08)により、
(09)
③(PであってQでない。)といふことはない。
といふ「日本語」は、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
といふ「意味」である。
従って、
(01)(02)(09)により、
(10)
①  P→ Q
① ~Q→~P
といふ「論理式」は、
③ ~(P&~Q)
といふ「論理式」に「等しい」。
(11)
④ ~P∨Q
といふ「論理式」は、
④ Pでないか、Qである。
といふ「意味」である。
然るに、
(12)
④ Pでないか、Qである。
といふ「日本語」は、
④「Pでない。」と「Qである。」の、「両方ともが、ウソであることはない。」
といふ「意味」である。
然るに、
(13)
④「Pでない。」と「Qである。」の、「両方ともが、ウソであることはない。」
といふことは、
④「Pでない。」と「Qである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
といふことである。
然るに、
(14)
④「Pでない。」と「Qである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
といふことは、
④「Pでない。がウソである」ならば「Qである。はウソではなく本当である」。
④「Qである。がウソである」ならば「Pでない。はウソではなく本当である」。
といふことである。
然るに、
(15)
④「Pでない。はウソである」。
④「Qである。はウソである」。
といふことは、
④「Pである。が本当である」。
④「Qでない。が本当である」。
といふことである。
従って、
(14)(15)により、
(16)
④「Pでない。」と「Qである。」の、「両方ともが、ウソであることはない。」
といふことは、
④「Pである。が本当である」ならば「Qである。はウソではなく本当である」。
④「Qでない。が本当である」ならば「Pでない。はウソではなく本当である」。
といふことである。
然るに、
(17)
④「Pである。が本当である」ならば「Qである。は本当である」。
④「Qでない。が本当である」ならば「Pでない。は本当である」。
といふことは、要するに、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
といふことである。
従って、
(12)~(17)により、
(18)
④ Pでないか、Qである。
といふ「日本語」は、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
といふ「意味」である。
従って、
(01)(02)(18)により、
(19)
①  P→ Q
② ~Q→~P
といふ「論理式」は、
④ ~P∨Q
といふ「論理式」に「等しい」。
従って、
(01)~(19)により、
(20)
「日本語」に「翻訳」するならば、
①  PであるならばQである。
②  QでないならばPでない。
③(PであってQでない。)といふことはない。
④  Pでないか、Qである。
といふ「意味」であるが故に、
①   P→ Q
②  ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④  ~P∨ Q
といふ「論理式」に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(21)
(a)
1  (1) P→ Q A
 2 (2)   ~Q A
  3(3) P    A
1 3(4)    Q 13MPP
123(5) ~Q&Q 24&I
12 (6)~P    35RAA
1  (7)~Q→~P 26CP
(b)
1  (1)~Q→~P A
 2 (2)    P A
  3(3)~Q    A
1 3(4)   ~P 13MPP
123(5) P&~P 24&I
12 (6)~~Q   35RAA
12 (7)  Q   5DN
1  (8) P→ Q 27CP
(c)
1 (1)  P→ Q  A
 2(2)  P&~Q  A
 2(3)  P     2&E
 2(4)    ~Q  2&E
12(5)     Q  12MPP
12(6)  ~Q&Q  45&I
1 (7)~(P&~Q) 26RAA
(d)
1  (1)~(P&~Q)  A
 2 (2)  P      A
  3(3)    ~Q   A
 23(4)  P&~Q   23&E
123(5)~(P&~Q)&
       (P&~Q)  14&I
12 (6)   ~~Q   45RAA
12 (7)     Q   6DN
1  (8)  P→ Q   27CP
(e)
1 (1)P→ Q A
 2(2)P&~Q A
 2(3)P    2&E
 2(4)  ~Q 2&E
12(5)   Q 14MPP
12(6)~Q&Q 45&I
1 (7) ~~Q 46RAA
1 (8)   Q 7DN
1 (9)~P∨Q 8&I
(f)
1     (1) ~P∨ Q   A
 2    (2)  P&~Q   A
  3   (3) ~P      A
 2    (4)  P      2&E
 23   (5) ~P& P   34&I
  3   (6)~(P&~Q)  25RAA
   7  (7)     Q   A
 2    (8)    ~Q   2&E
 2 7  (9)  Q&~Q   78&I
   7  (ア)~(P&~Q)  29RAA
1     (イ)~(P&~Q)  1367ア∨E
    ウ (ウ)  P      A
     エ(エ)    ~Q   A
    ウエ(オ)  P&~Q   エオ&I
1   ウエ(カ)~(P&~Q)&
          (P&~Q)  イオ&I
1   ウ (キ)   ~~Q   7カRAA
1   ウ (ク)     Q   キDN
1     (ケ)  P→ Q   ウクCP
従って、
(21)により、
(22)
「自然演繹の規則」により、
①   P→ Q
②  ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④  ~P∨ Q
といふ「論理式」に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(20)(22)により、
(23)
「日本國語(自然言語)」で考へても、
「自然演繹(人工言語)」で考へても、
①   P→ Q
②  ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④  ~P∨ Q
といふ「論理式」に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(04)(13)により、
(24)
③「Pである。」と「Qでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
④「Pでない。」と「Qである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
然るに、
(25)
①    P→ Q
②   ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④   ~P∨ Q
に於いて、「Q=P」といふ「代入」を行ふと、
①    P→ P
②   ~P→~P
③ ~(P&~P)
④   ~P∨ P
に於いて、すなはち、
① PならばPである(同一律)。
② PでないならばPでない(同一律の対偶)。
③ PであってPでない。といふことはない(矛盾律)。
④ PでないかPである(排中律)。
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(24)(25)により、
(26)
③「Pである。」と「Pでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
④「Pでない。」と「Pである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
然るに、
(27)
 ブロムウエルの疑問 ― 排中律は無限集合でも成立するか? ― 中略、―
ここで、排中律とは。「Pであるか、Pでないか、そのどちらかが成り立つ」というものです。

(吉永良正、ゲーデル・不完全性定理、1992年、159頁)
従って、
(26)(27)により、
(28)
③「Pである。」と「Pでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
④「Pでない。」と「Pである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
⑤「Pである。」と「Pでない。」の、「そのどちらか一方が、成り立つ。」
然るに、
(29)
③「どちらかが、本当なら(未然形)ば、もう一方はウソである。」
④「どちらかが、ウソなら(未然形)ば、もう一方は本当である。」
⑤「そのどちらか一方が、成り立つ(終止形)。」
に於いて、
③と④は、「同じこと」であるが、
④と⑤は、「同じこと」であるとは、思へない。
従って、
(27)(28)(29)により、
(30)
排中律とは。「Pであるか、Pでないか、そのどちらかが成り立つ」というものです。
といふ「言ひ方」は、「正しくはない」のでは、といふ風に、思はれる。
然るに、
(31)
いづれにせよ、
③「Pである。」と「Pでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
④「Pでない。」と「Pである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
に於いて、
③と④は、「同じこと」に、違いない。
従って、
(25)(27)(31)により、
(32)
「排中律」は「無限集合」では、必ずしも成立しない。
といふのであれば、
「矛盾律」も「無限集合」では、必ずしも成立しない。
といふことになる。
平成30年10月12日、毛利太。

2018年10月9日火曜日

同一律・矛盾律・排中律。

―「10月04日の記事」を書き直します。―
(a)『返り点と括弧』については、『「返り点」と「括弧」(略8)(https://kannbunn.blogspot.com/2018/09/blog-post_17.html)』他もお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
(02)で示す通り、
①    P→ Q
②   ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④   ~P∨ Q
に於いて、すなはち、
① PならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ PでないかQである。
に於いて、
①=②=③=④ である。
(02)
(a)
1  (1) P→ Q A
 2 (2)   ~Q A
  3(3) P    A
1 3(4)    Q 13MPP
123(5) ~Q&Q 24&I
12 (6)~P    35RAA
1  (7)~Q→~P 26CP
(b)
1  (1)~Q→~P A
 2 (2)    P A
  3(3)~Q    A
1 3(4)   ~P 13MPP
123(5) P&~P 24&I
12 (6)~~Q   35RAA
12 (7)  Q   5DN
1  (8) P→ Q 27CP
(c)
1 (1)  P→ Q  A
 2(2)  P&~Q  A
 2(3)  P     2&E
 2(4)    ~Q  2&E
12(5)     Q  12MPP
12(6)  ~Q&Q  45&I
1 (7)~(P&~Q) 26RAA
(d)
1  (1)~(P&~Q)  A
 2 (2)  P      A
  3(3)    ~Q   A
 23(4)  P&~Q   23&E
123(5)~(P&~Q)&
       (P&~Q)  14&I
12 (6)   ~~Q   45RAA
12 (7)     Q   6DN
1  (8)  P→ Q   27CP
(e)
1 (1)P→ Q A
 2(2)P&~Q A
 2(3)P    2&E
 2(4)  ~Q 2&E
12(5)   Q 14MPP
12(6)~Q&Q 45&I
1 (7) ~~Q 46RAA
1 (8)   Q 7DN
1 (9)~P∨Q 8&I
(f)
1     (1) ~P∨ Q   A
 2    (2)  P&~Q   A
  3   (3) ~P      A
 2    (4)  P      2&E
 23   (5) ~P& P   34&I
  3   (6)~(P&~Q)  25RAA
   7  (7)     Q   A
 2    (8)    ~Q   2&E
 2 7  (9)  Q&~Q   78&I
   7  (ア)~(P&~Q)  29RAA
1     (イ)~(P&~Q)  1367ア∨E
    ウ (ウ)  P      A
     エ(エ)    ~Q   A
    ウエ(オ)  P&~Q   エオ&I
1   ウエ(カ)~(P&~Q)&
          (P&~Q)  イオ&I
1   ウ (キ)   ~~Q   7カRAA
1   ウ (ク)     Q   キDN
1     (ケ)  P→ Q   ウクCP
従って、
(03)
①    P→ Q
②   ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④   ~P∨ Q
に於いて、「Q=P」といふ「代入」を行ふと、
①    P→ P
②   ~P→~P
③ ~(P&~P)
④   ~P∨ P
に於いて、すなはち、
① PならばPである。
② PでないならばPでない。
③ PであってPでない。といふことはない。
④ PでないかPである。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(04)
①    P→ P
②   ~P→~P
③ ~(P&~P)
④   ~P∨ P
に於いて、すなはち、
① PならばPである。
② PでないならばPでない。
③ PであってPでない。といふことはない。
④ PでないかPである。
に於いて、
① は「同一律」であって、
② は「 対偶 」であって、
③ は「矛盾律」であって、
④ は「排中律」である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
①    P→ P
②   ~P→~P
③ ~(P&~P)
④   ~P∨ P
に於いて、すなはち、
① PならばPである。
② PでないならばPでない。
③ PであってPでない。といふことはない。
④ PでないかPである。
に於いて、
①=②=③=④ であって、尚且つ、「これらの四つの式」は、「恒真式(恒に真)」である。
然るに、
(06)
① Pなら(未然形)ばPであり(、PでないならばPでない)。
② Pでないなら(未然形)ばPでなく(、PならばPである)。
といふ「言ひ方」は、
① Pである。とは言ってゐないし、
② Pでない。とも言ってゐない。
然るに、
(07)
① Pである。とは言ってゐないし、
② Pでない。とも言ってゐない。
と言ふのであれば、
④ Pであるか、Pでないか、そのどちらか一方が成り立つ。
とまでは、言ってゐないのでは(?)といふ風に、思はれる。
従って、
(04)~(07)により、
(08)
① PならばPである。
② PでないならばPでない。
③ PであってPでない。といふことはない。
④ PでないかPである。
に於ける、
④ PでないかPである。
の場合は、飽くまでも、
④ PでないかPである。
であって、
④ Pであるか、Pでないか、そのどちらか一方が成り立つ。
といふことではない。といふ風に、思はれる。
従って、
(05)(06)(08)により、
(09)
① PならばPであり(、PでないならばPでない)。
② PでないならばPでなく(、PならばPである)。
③ PであってPでない。といふことはない。
④ PでないかPである。
⑤ Pであるか、Pでないか、そのどちらか一方が成り立つ。
に於いて、
①=②=③=④   であって、
            ④=⑤ ではない。といふ風に、思はれる。
然るに、
(10)
 ブロムウエルの疑問―排中律は無限集合でも成立するか? ― 中略、―
ここで、排中律とは。「Pであるか、Pでないか、そのどちらかが成り立つ」というものです(吉永良正、ゲーデル・不完全性定理、1992年、159頁)。
との、ことである。
平成20年10月09日、毛利太。

2018年10月2日火曜日

「Pならば(QならばPである)。」は「当然(公理)」である(Ⅱ)。

(a)『返り点と括弧』については、『「返り点」と「括弧」(略8)(https://kannbunn.blogspot.com/2018/09/blog-post_17.html)』他もお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
ヒルベルトの演繹システムは、公理が多く、推論規則が少ないものです。そして、公理も、わけのわからない論理式となっています。例えば、
  P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
という論理式が公理として設定されています。つまり、この論理式を出発点として演繹を行って良い。ということです、多くの人は、この論理式の意味が飲み込めないでしょう(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、136頁)。
然るに、
(02)
(a)
  1 (1)  P→(Q→ P)   A
   2(2)  P&(Q&~P)   A
   2(3)  P          2&E
   2(4)     Q&~P    2&E
   2(5)     Q       2&E
   2(6)       ~P    4&E
  12(7)     Q→ P    13MPP
  12(8)        P    57MPP
  12(9)     ~P&P    68&I
  1 (ア)~{P&(Q&~P)}  29RAA
(b)
1   (1)~{P&(Q&~P)}  A
 2  (2)  P          A
  3 (3)    (Q&~P)   A
 23 (4)  P&(Q&~P)   34&I
123 (5)~{P&(Q&~P)}& 
        {P&(Q&~P)}  14&I
12  (6)   ~(Q&~P)   35RAA
  7 (7)     Q       A
   8(8)       ~P    A
  78(9)     Q&~P    78&I
1278(ア)   ~(Q&~P)&
           (Q&~P)   69&I
127 (イ)      ~~P    8アRAA
127 (ウ)        P    イDN
12  (エ)     Q→ P    7ウCP
1   (オ)  P→(Q→ P)   2エCP
従って、
(02)により、
(03)
①     P→(Q→  P) 
② ~{P&(Q&~P)}
に於いて、すなはち、
①  Pならば、(Qならば、Pである)。
② {Pであって(QであってPでない)。}といふことはない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
(c)
1(1) P&(Q&~P) A
1(2) P        1&E
1(3)    Q&~P  1&E
1(4)    Q     3&E
1(5)      ~P  3&E
1(6) P&~P     25&I
1(7)(P&~P)&Q  46&I
1(〃)(PであってPでなくて)Qである。
従って、
(03)(04)により、
(05)
①      P→(Q→  P) 
② ~{(P&~P)&Q}
に於いて、すなはち、
①   Pならば、(Qならば、Pである)。
② {(PであってPでなくて)Qである)。}といふことはない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(06)
② {(PであってPでない)。}といふことはない。
といふこと(矛盾律)は、「常に、本当」である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
①   Pならば、(Qならば、Pである)。
② {(PであってPでなくて)Qである)。}といふことはない。
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
② は、「常に、本当」である。
従って、
(07)により、
(08)
① Pならば(QならばPである)。
といふことは、「常に、本当」である。
従って、
(01)(08)により、
(09)
ヒルベルトの演繹システムは、公理が多く、推論規則が少ないものです。そして、公理も、わけのわからない論理式となっています。例えば、
  P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
という論理式が公理として設定されています。つまり、この論理式を出発点として演繹を行って良い。ということです、多くの人は、この論理式の意味が飲み込めないでしょう。
とは、言ふものの、
① P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
といふことは、「常に、本当」である。
従って、
(01)~(09)により、
(10)
(a)
  1 (1)  P→(Q→ P)   A
   2(2)  P&(Q&~P)   A
   2(3)  P          2&E
   2(4)     Q&~P    2&E
   2(5)     Q       2&E
   2(6)       ~P    4&E
  12(7)     Q→ P    13MPP
  12(8)        P    57MPP
  12(9)     ~P&P    68&I
  1 (ア)~{P&(Q&~P)}  29RAA
    (〃){Pであって(QであってPでない)。}といふことはない。
(b)
1   (1)~{P&(Q&~P)}  A
 2  (2)  P          A
  3 (3)    (Q&~P)   A
 23 (4)  P&(Q&~P)   34&I
123 (5)~{P&(Q&~P)}& 
        {P&(Q&~P)}  14&I
12  (6)   ~(Q&~P)   35RAA
  7 (7)     Q       A
   8(8)       ~P    A
  78(9)     Q&~P    78&I
1278(ア)   ~(Q&~P)&
           (Q&~P)   69&I
127 (イ)      ~~P    8アRAA
127 (ウ)        P    イDN
12  (エ)     Q→ P    7ウCP
1   (オ)  P→(Q→ P)   2エCP
    (〃)Pならば(QならばPである)。
(c)
   1(1) P&(Q&~P) A
   1(2) P        1&E
   1(3)    Q&~P  1&E
   1(4)    Q     3&E
   1(5)      ~P  3&E
   1(6) P&~P     25&I
   1(7)(P&~P)&Q  46&I
   1(〃)(PであってPでなくて)Qである。
といふ「自然演繹」が、「理解」出来れば、
  P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
に関して、多くの人は、この論理式の意味が飲み込めないでしょう。
といふことには、ならない。
然るに、
(11)
ヒルベルトの演繹システムや、ゲンツェンのシークエント計算は、数理論理学者になるためには不可欠ですが、私たちが論理式の演算システムを初めて勉強するには全く不向きです。そこで本書は、ゲンツェンの「自然演繹」を解説することにします。「自然演繹」は、できるだけ私たちの日常の議論や数学の証明で行われる推論として、ゲンツェンが編み出したものです(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、136・137頁改)。命題計算の規則は、本質的にゲンツェン(G.Gentzen)に由来するものである(E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・
浅野楢英 訳、1973年、序文ⅲ)。
従って、
(10)(11)により、
(12)
数理論理学者になるつもりがない人が、仮に、
  P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
といふ「公理」を、理解したいのであれば、「自然演繹」の「教科書」を、読むことを、勧めたい。
平成30年10月02日、毛利太。

2018年9月29日土曜日

「PならばPである。」は「定理」である。

(a)『返り点と括弧』については、『「返り点」と「括弧」(略8)(https://kannbunn.blogspot.com/2018/09/blog-post_17.html)』他もお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
   ルカジェヴィッツによる命題論理の公理
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
(c)(~P→~Q)→(Q→P)
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、173頁改)
然るに、
(02)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
に於いて、
(b)R=P
といふ「代入」を行ふと、
(b)[P→(Q→P)]→[(P→Q)→(P→P)]
従って、
(01)(02)により、
(03)
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→P)]→[(P→Q)→(P→P)]
然るに、
(04)
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→P)]→[(P→Q)→(P→P)]
(d)           (P→Q)→(P→P)
に於いて、
(a)が「真」で、
(b)も「真」であるならば、
(d)も「真」である。
然るに、
(05)
(d)(P→Q)→(P→P)
に於いて、
(d) Q=Q→P
といふ「代入」を行ふと、
(d)[P→(Q→P)]→(P→P)
従って、
(01)(05)により、
(06)
(a) P→(Q→P)
(d)[P→(Q→P)]→(P→P)
然るに、
(07)
(a) P→(Q→P)
(d)[P→(Q→P)]→(P→P)
(e)          (P→P)
に於いて、
(a)が「真」で、
(d)も「真」であるならば、
(e)も「真」である。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
といふ「公理」により、
(e) P→P(PならばPである)。
といふ「定理」が「演繹」される。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、175頁改)
然るに、
(09)
1 (1)Pである。       と仮定する。
 2(2)Pでない。       と仮定する。
12(3)Pであって、Pでない。 1と2による連言導入。
1 (4)Pでない。でない。   2と3による背理法。
1 (5)Pである。       4の二重否定。
  (6)PならばPである。   1と5による条件法。
従って、
(10)
1 (1)P    A
 2(2)  ~P A
12(3)P&~P 12&I
1 (4) ~~P 23RAA
1 (5)   P 4DN
  (6)P→ P 15CP
  (〃)PならばPである。
従って、
(09)(10)により、
(11)
「仮定(A)、連言導入(&I)、背理法(RAA)、二重否定(DN)、条件法(CP)」といふ「(自然演繹の)規則」は、
(e) P→P(PならばPである)。
といふ「定理」を、「演繹」出来る。
(12)
(a)
1     (1)     P   A
1     (2) ~Q∨ P   1∨I 
 3    (3)  Q&~P   A
  4   (4) ~Q      A
 3    (5)  Q      3&E
 34   (6) ~Q& Q   34&I
  4   (7)~(Q&~P)  36RAA
   8  (8)     P   A
 3    (9)    ~P   3&E
 3 8  (ア)  P&~P   78&I
   8  (イ)~(Q&~P)  3アRAA
1     (ウ)~(Q&~P)  2478イ∨E
    エ (エ)  Q      A
     オ(オ)    ~P   A
    エオ(カ)  Q&~P   エオ&I
1   エオ(キ)~(Q&~P)&
          (Q&~P)  ウキ&I
1   エ (ク)   ~~P   オキ
1   エ (ケ)     P   クDN
1     (コ)  Q→ P   エケCP
      (サ)P→(Q→P)  1コCP
(b)
1  (1)  P→(Q→R)     A
 2 (2)  P→ Q        A
  3(3)  P           A
1 3(4)     Q→R      12MPP
 23(5)     Q        23MPP
123(6)       R      45MPP
12 (7)  P→   R      36CP
1  (8) (P→Q)→(P→R)  27CP
   (9) [P→(Q→R)]→
      [(P→Q)→(P→R)] 19CP
(c)
1 (1) ~P→~Q   A
 2(2)     Q   A
 2(3)   ~~Q   2DN
12(4)~~P      13MTT
12(5)  P      4DN
1 (6)  Q→ P   25CP
  (7)(~P→~Q)→
     ( Q→ P)  16CP
従って、
(01)(12)により、
(13)
「A(仮定)、∨I(選言導入)、&E(連言除去)、&I(連言導入)、RAA(背理法)、∨E(選言除去)、DN(二重否定)、CP(条件法)、MPP(前件肯定)、MTT(後件否定)」
といふ「(自然演繹の10個の)規則」は、
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
(c)(~P→~Q)→(Q→P)
といふ「公理」、すなはち、
(a) Pならば(QならばPである)。
(b)(Pならば(QならばRである))ならば[(PならばQである)ならば(PならばRである)]。
(c)(PでないならばQでない。)ならば(QならばPである)。
といふ「(公理」を、「演繹」出来る。
然るに、
(14)
1(1)  P&~P  A
 (2)~(P&~P) 11RAA
 (〃)PであってPでない。といふことはない。
(15)
1 (1) ~(P∨~P)  A
 2(2)   P      A
 2(3)   P∨~P   2∨I
12(4) ~(P∨~P)&
       (P∨~P)  13&I
1 (5)     ~P   24RAA
1 (6)   P∨~P   5∨I
1 (7) ~(P∨~P)&
       (P∨~P)  16&I
  (8)~~(P∨~P)  17RAA
  (9)   P∨~P   8DN
  (〃)Pであるか、Pではない。
従って、
(01)(13)(14)(15)により、
(16)
「(自然演繹の)規則」は、
(a)Pならば、QならばPである。
(b)Pならば、QならばRである。ならば、PならばQである。ならば、PならばRである。
(c)PでないならばQでない。ならば、QならばPである。
といふ「(命題論理の)公理」に加へて、
(e)PならばPである。
(f)PであってPでない。といふことはない。
(g)Pであるか、Pではない。
といふ、「同一律・矛盾律・排中律」を、「演繹」出来る。
然るに、
(17)
公理(こうり、英: axiom)とは、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。一つの形式体系における議論の前提として置かれる一連の公理の集まりを公理系(英語版) (axiomatic system) という(ウィキペディア)。
従って、
(16)(17)により、
(18)
いづれにせよ、
(e)PならばPである。
(f)PであってPでない。といふことはない。
(g)Pであるか、Pではない。
といふ、「同一律・矛盾律・排中律」は、「(自然演繹の)公理」には、なり得ない。
cf.
同一律【どういつりつ】 論理学で矛盾律,排中律とともに三大原理と呼ばれるものの一つ。〈 自同律〉,〈同一原理〉ともいい,英語ではlaw of identity。 この原理は,主語と述語の関係を基軸にした伝統的論理学では〈AはAである〉と定式化され,自明な命題の代表例(コトバンク)。
従って、
(19)
「自然演繹」の場合は、面白いことに、「公理」は1つもありません。ここに自然演繹の大きな特徴があります(小島博之、証明と論理に強くなる、2017年、141頁改)。
といふ、ことになる。
平成30年09月29日、毛利太。

2018年9月26日水曜日

「Pならば、QならPである。」は「公理」である。

(a)『返り点と括弧』については、『「返り点」と「括弧」(略8)(https://kannbunn.blogspot.com/2018/09/blog-post_17.html)』他もお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
   ルカジェヴィッツによる公理
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
(c)(~P→~Q)→(Q→P)
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、173頁)
然るに、
(02)
公理(こうり、英: axiom)とは、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。一つの形式体系における議論の前提として置かれる一連の公理の集まりを公理系(英語版) (axiomatic system) という(ウィキペディア)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
(c)(~P→~Q)→(Q→P)
といふ「式」は、「公理」であるため、「普通」は、「証明すべき対象」ではない。
然るに、
(04)
命題論理の「自然演繹」の場合は、面白いことに、「公理」は1つもありません。ここに自然演繹の大きな特徴があります。「出発点になる公理が何もないのに、いったいどうやって演繹するんだ」という疑問が湧いてくるでしょう(小島博之、証明と論理に強くなる、2017年、141頁改)。
然るに、
(05)
(a)
1     (1)     P   A
1     (2) ~Q∨ P   1∨I 
 3    (3)  Q&~P   A
  4   (4) ~Q      A
 3    (5)  Q      3&E
 34   (6) ~Q& Q   34&I
  4   (7)~(Q&~P)  36RAA
   8  (8)     P   A
 3    (9)    ~P   3&E
 3 8  (ア)  P&~P   78&I
   8  (イ)~(Q&~P)  3アRAA
1     (ウ)~(Q&~P)  2478イ∨E
    エ (エ)  Q      A
     オ(オ)    ~P   A
    エオ(カ)  Q&~P   エオ&I
1   エオ(キ)~(Q&~P)&
          (Q&~P)  ウキ&I
1   エ (ク)   ~~P   オキ
1   エ (ケ)     P   クDN
1     (コ)  Q→ P   エケCP
      (サ)P→(Q→P)  1コCP
(b)
   1  (1)  P→(Q→R)     A
    2 (2)  P→ Q        A
     3(3)  P           A
   1 3(4)     Q→R      12MPP
    23(5)     Q        23MPP
   123(6)       R      45MPP
   12 (7)  P→   R      36CP
   1  (8) (P→Q)→(P→R)  27CP
      (9) (P→(Q→R))→
         [(P→Q)→(P→R)] 19CP
(c)
    1 (1) ~P→~Q   A
     2(2)     Q   A
     2(3)   ~~Q   2DN
    12(4)~~P      13MTT
    12(5)  P      4DN
    1 (6)  Q→ P   25CP
      (7)(~P→~Q)→
         ( Q→ P)  16CP
従って、
(01)~(05)により、
(06)
「自然演繹」は、「公理」を持たないものの、その一方で、「自然演繹(の規則)」は、
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
(c)(~P→~Q)→(Q→P)
といふ、「ルカジェヴィッツの公理」を、「演繹」出来る。
従って、
(06)により、
(07)
(a)P→(Q→P)
といふ「公理」は、すなはち、
(a)Pならば(QならばPである)。
といふ「公理」は、「自然演繹」としても、「常に、真(本当)」である。
然るに、
(08)
(a)
 1 (1)  Q→ P  A
  2(2)  Q&~P  A
  2(3)  Q     2&E
  2(4)    ~P  2&E
 12(5)     P  13MQQ
 12(6)  ~P&P  45&I
 1 (7)~(Q&~P) 26PAA
(b)
1  (1)~(Q&~P)  A
 2 (2)  Q      A
  3(3)    ~P   A
 23(4)  Q&~P   23&I
123(5)~(Q&~P)&
       (Q&~P)  14&I
12 (6)   ~~P   35PAA
12 (7)     P   6DN
1  (8)  Q→ P   27CP
従って、
(08)により、
(09)
(a)  Q→ P
(b)~(Q&~P)
に於いて、
(a) QならばPである。
(b)(QであってPでない。)といふことはない。
に於いて、
(a)=(b) である。
従って、
(09)により、
(10)
(a)  P→ (Q→P)
(b)~{P&~(Q→P)}
に於いて、すなはち、
(a) Pならば(QならばPである)。
(b){Pであって(QならばPである。)ではない。}といふことはない。
に於いて、
(a)=(b) である。
然るに、
(11)
(c)
1(1)~( Q→P) A
1(2)~(~Q∨P) 1含意の定義
1(3)~~Q&~P  ド・モルガンの法則
1(4)  Q&~P  3DN
1(5)  Q     4&E
1(6)    ~P  4&E
1(7)  ~P&Q  65&I
従って、
(10)(11)により、
(12)
(a)  P→ (Q→P)
(b)~{P&~(Q→P)}
(c)~{P&(~P&Q)}
に於いて、すなはち、
(a) Pならば(QならばPである)。
(b){Pであって(QならばPである。)ではない。}といふことはない。
(c){Pであって(PでなくてQである。)}といふことはない。
(〃){Pで有って(Pで無くてQである。)}といふことは無い。
に於いて、
(a)=(b)=(c) である。
然るに、
(13)
(〃)Pであって、PでなくてQである。
といふこと(矛盾)は、「有り得ない」。
従って、
(13)により、
(14)
(c){Pであって(PでなくてQである。)}といふことはない。
といふことは、「当然」である。
従って、
(12)(14)により、
(15)
(a) Pならば(QならばPである)。
(b){Pであって(QならばPである。)ではない。}といふことはない。
(c){Pであって(PでなくてQである。)}といふことはない。
(〃){Pで有って(Pで無くてQである。)}といふことは無い。
に於いて、
(a)=(b)=(c) であって、尚且つ、
(c){Pであって(PでなくてQである。)}といふことはない。
といふことは、「当然」である以上、
(a) Pならば(QならばPである)。
といふことも、「常に、真(本当)」である。
といふ風に、せざるを得ない。
然るに、
(16)
(c){Pであって(PでなくてQである。)}といふことはない。
であるならば、兎も角、
(a) Pならば(QならばPである)。
は、「公理(常に真)」である。と言はれても、「わけが分からない」のが、「普通」であると思はれる。
平成30年09月26日、毛利太。

2018年9月20日木曜日

「而(て)」と復文。

(a)『返り点と括弧』については、『「返り点」と「括弧」(略8)(https://kannbunn.blogspot.com/2018/09/blog-post_17.html)』他もお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
漢文には、しばしば置き字として接続詞「而」が現れるため、「而」の扱いに慣れておくことは、必須です。とはいえ、実のところ、「而」を含む文は、復文の方針が立てやすい。なぜなら、「而」があると、たいてい直前の送り仮名に接続詞「て」を付けて訓読することになっているからです(古田島洋介、こらならわから復文の要領、2017年、137頁)。
従って、
(01)により、
(02)
「復文の方針」がたてやすいやうに、ほとんどの場合に、例へば、
① 読書、学漢字。
② 読書而学漢字。
であることが、すなはち、
① 書を読み、漢字を学ぶ。
② 書を読み而漢字を学ぶ。
であることが「期待」される。
然るに、
(03)
従って、
(03)により、
(04)
① 舟に刻みて
② 劍の從りて
③ 水に入りて
であって、
① 舟に刻み而
② 劍の從り而
③ 水に入り而
ではないし、加へて、
④ 兎走りて
⑤ 竊かに語りて
⑥ 韓馬を立つること良や久しうして
⑦ 王韶之は少くして
⑧ 今臣不肖にして
⑨ 吏の賕を受けて、
⑩ 己に克ちて
⑪ 莊氏山於り出て
⑫ 蓋し民の役にして
⑬ 行きて
⑭ 馮婦臂を攘げて
⑮ 則ち請ふ余代りて
⑯ 晏子之を數めて
⑰ 蓋し民の役にして
⑱ 獨り學びて
⑲ 其の子を愛して
⑳ 三世より逓にして
等に於いても、
④ 兎走り而
⑤ 竊かに語り而
⑥ 韓馬を立つること良や久しうし而
⑦ 王韶之は少くし而
⑧ 今臣不肖にし而
⑨ 吏の賕を受け而
⑩ 己に克ち而
⑪ 莊氏山於り出而
⑫ 蓋し民の役にし而
⑬ 行き而
⑭ 馮婦臂を攘げ而
⑮ 則ち請ふ余代り而
⑯ 晏子之を數め而
⑰ 蓋し民の役にし而
⑱ 獨り學び而
⑲ 其の子を愛し而
⑳ 三世より逓にし而
ではない。
cf.
例文の訓点は出題者の意図を尊重し著者において手を加えなかった。従って、書き下し文もそれに応じている。
小林信明 監修、重要漢文単語文例精解―入試文例数1000、1968年、まえがき)
従って、
(05)により、
(06)
「而」があると、たいてい直前の送り仮名に接続詞「て」を付けて訓読することになっている。が故に、「而」を含む文は、復文の方針が立てやすい。
とは、言へないはずである。
平成30年09月20日、毛利太。

2018年9月17日月曜日

「括弧」と「返り点」の用法(略8)。

(a)『返り点と括弧』については、『「返り点」と「括弧」(略7)(https://kannbunn.blogspot.com/2018/09/blog-post_10.html)』他もお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
① 冀復得兎=
① 冀〔復得(兎)〕⇒
① 〔復(兎)得〕冀=
① 〔復た(兎を)得んことを〕冀ふ=
① 〔もう一度(兎を)得ることを〕願ふ。
(02)
② 復冀得兎=
② 復冀〔得(兎)〕⇒
② 復〔(兎)得〕冀=
② 復た〔(兎を)得んことを〕冀ふ=
② もう一度〔(兎を)得ることを〕願ふ。
従って、
(01)(02)により、
(03)
原文の「冀」と「復」を入れ替へて、「復冀得兎」としても、
① 復た兎を得んことを冀ふ。
② 復た兎を得んことを冀ふ。
といふ風に、「読み方(訓読)」自体は、変わらない(旺文社、漢文の基礎、1973年、36頁改)。
然るに、
(04)
① 〔もう一度(兎を)得ること〕を願ふ。
② もう一度〔(兎を)得ることを〕願ふ。
に於いて、
① ならば、「願ふ回数」は、「1回」であって、
② ならば、「願ふ回数」は、「2回」である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 冀復得兎。
② 復冀得兎。
に対する、
① 復た兎を得んことを冀ふ。
② 復た兎を得んことを冀ふ。
といふ「訓読」は「同じ」であっても、「意味内容」のうえでは大きな違いがあるので注意を要する(旺文社、漢文の基礎、1973年、36頁改)。
然るに、
(06)
例へば、
① 宋人に田を耕す者有り。
② 田中に株有あり、兎走りて株に觸れ、頸を折り而死す。
③ 因りて其の耒を釈て而株を守り、復た兎を得んと冀ふ。
④ 兎復た得可から不し而、身は宋國の笑ひと爲れり。
といふ「訓読」を、
① 宋人有耕田者。
② 田中有株、兎走觸株、折頸而死。
③ 因釋其耒而守株、冀復得兎。
④ 兎不可復得、而身爲宋國笑。
といふ「原文」に戻すことを、「復文」といふ。
従って、
(05)(06)により、
(07)
復文の効果は、漢文の語順に対して敏感になることです(古田島洋介、これならわかる復文の要領、2017年、22頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(08)
私の場合は、
① 宋人有耕田者。
② 田中有株、兎走觸株、折頸而死。
③ 因釋其耒而守株、冀復得兎。
④ 兎不可復得、而身爲宋國笑。
といふ「白文」を、
① 宋人に田を耕す者有り。
② 田中に株有あり、兎走りて株に觸れ、頸を折り而死す。
③ 因りて其の耒を釈て而株を守り、復た兎を得んと冀ふ。
④ 兎復た得可から不し而、身は宋國の笑ひと爲れり。
といふ風に「読み」、その一方で、
① 宋人に田を耕す者有り。
② 田中に株有あり、兎走りて株に觸れ、頸を折り而死す。
③ 因りて其の耒を釈て而株を守り、復た兎を得んと冀ふ。
④ 兎復た得可から不し而、身は宋國の笑ひと爲れり。
といふ「訓読」を、
① ソウジンイウ、コウデンシャ。
② デンチュウイウシュ、トソウショクシュ、セッケイジシ。
③ インシャクキライジシュシュ、キフクトクト。
④ ト、フツカ、フクトク、ジシンヰ、ソウコクショウ。
といふ風に、「日本漢字音」で「読む」ように、してゐる(た)。
従って、
(06)(08)により、
(09)
私の場合は、「口頭」で、「復文」を行ってゐる(た)のであって、その「結果」として、例へば、
 [一] 矛盾(韓非子)
① 楚人有鬻盾與矛者。
② 譽之曰、吾盾之堅、莫能陷也。
③ 又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。
④ 或曰、以子之矛、陷子之盾、何如。
⑤ 其人弗能應也。
 [二] 守株(韓非子)
① 宋人有 耕田者。
② 田中有株、兎走觸株、折頸而死。
③ 因釋其耒而守株、冀復得兎。
④ 兎不可復得、而身爲宋國笑。
 [三] 借虎威(戦國策)
① 虎求百獸而食之得狐。
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。
④ 今子食我是逆天帝命也。
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
といふ「原文」を、今でも、「日本漢字音」で、「暗唱」することが、出来る。
然るに、
(10)
「中国語(北京語)」に関しては、全く、分からないため、
① 宋人有 耕田者。
② 田中有株、兎走觸株、折頸而死。
③ 因釋其耒而守株、冀復得兎。
④ 兎不可復得、而身爲宋國笑。
⑤ 今欲以先王之政、治當世之民、皆守株之類也。
といふ「漢文」を、
① Sòng rén yǒu gēng tián zhě.
② Tiánzhōng yǒu zhū, tù zǒu chù zhū, zhé jǐng ér sǐ.
③ Yīn shì qí lěi ér shǒuzhū, jì fù dé tù.
④ Tù bùkě fù dé, ér shēn wèi sòng guó xiào.
といふ風に、読むことは、出来ない。
(11)
「漢音」で読めば、
① 兄弟=けいてい
② 女性=じょせい
③ 今昔=きんせき
④ 人間=じんかん
⑤ 強力=きょうりょく
である(はずである)。
(12)
「呉音」で読めば、
① 兄弟=きょうだい
② 女性=にょしょう
③ 今昔=こんじゃく
④ 人間=にんげん
⑤ 強力=ごうりき
である(はずである)。
(13)
「普通」に読めば、
① 兄弟(呉音)=きょうだい
② 女性(漢音)=じょせい
③ 今昔(呉音)=こんじゃく
④ 人間(呉音)=にんげん
⑤ 強力(漢音)=きょうりょく
である。
然るに、
(14)
平安時代がさうであったやうに、
明経の徒、宜しく漢音に習熟すべし(日本記略)。
といふことから、「漢文の音読」は、「漢音」で「徹底」しようとするならば、「一々、辞書」で調べなければならないものの、そんなのは、「大変」なので、私の場合は、一時は、「漢音」だけて「音読」しようとして、結局は、挫折した。
従って、
(15)
例へば、「人皆有兄弟」であれば、「ジンカイイウケイテイ。」と読みたければ、そのやうに読み、「ニンカイウキョウダイ。」と読みたければ、そのやうに、読むことになる。
平成30年09月17日、毛利太。