(01)
①明日は
②天気に
③なる
④であろう
の「順番」を、「降べきの順」に並び替えると、
④であろう
③なる
②天気に
①明日は
然るに、
(02)
④であろう=will
③なる=be
②天気に=fine
①明日は=tomorrow
従って、
(01)(02)により、
(03)
①明日は②天気に③なる④であろう。=
④will③be②fine①tomorrow.
従って、
(04)
It を加へえると、
①明日は②天気に③なる④であろう。=
It④will③be②fine①tomorrow.
従って、
(05)
(04)から、①~④ を除くと、
明日は天気になるであろう。=
It will be fine tomorrow.
従って、
(06)
It を除くと、
①明日は②天気に③なる④であろう。
という「日本語の語順」と、
④will③be②fine①tomorrow.
という「英語の語順」は、「正反対」である。
(07)
①You
に続けて、
②must
③study
④English
⑤much harder
⑥to become
⑦a good American
⑧like
⑨your father
⑩in the future.
の「順番」を、「降べきの順」に並び替えると、
①You
⑩in the future.
⑨your father
⑧like
⑦a good American
⑥to become
⑤much harder
④English
③study
②must
然るに、
(08)
①You=あなたは
⑩in the future=将来
⑨your father=あなたの父親
⑧like=のような
⑦an good American=立派なアメリカ人に
⑥to become=なるために
⑤much harder=もっと一生懸命
④English=英語を
③study=勉強
②must=しなければならない。
従って、
(07)(08)により、
(09)
①You②must③study④English⑤much harder⑥to become⑦a good American⑧like⑨your father⑩in the future.=
①あなたは⑩将来⑨あなたの父親⑧のような⑦立派なアメリカ人に⑥なるために⑤もっと一生懸命④英語を③勉強②しなければならない。
従って、
(10)
(09)から、①~⑩を除くと、
You must study English much harder to become a good American like your father in the future.=
あなたは将来あなたの父親のような立派なアメリカ人になるためにもっと一生懸命英語を勉強しなければならない。
従って、
(11)
①You=①あなたは
の「順番」を除き、
⑩in the future=将来
⑦an good American=立派なアメリカ人に
という風に「数える」と、
①You②must③study④English⑤much harder⑥to become⑦a good American⑧like⑨your father⑩in the future.
という「英語の語順」と、
①あなたは⑩将来⑨あなたの父親⑧のような⑦立派なアメリカ人に⑥なるために⑤もっと一生懸命④英語を③勉強②しなければならない。
という「日本語の語順」は、「正反対」である。
然るに、
(12)
①⑩{⑨[⑧〔⑦(⑥{⑤[④〔③(②)〕] })〕]}⇒
①{[〔({ [〔(②)③〕④] ⑤}⑥)⑦〕⑧]⑨}⑩
従って、
(09)~(12)により、
(13)
①You②must③study④English⑤much harder⑥to become⑦a good American⑧like⑨your father⑩in the future.
という「英語の語順」は、
①⑩{⑨[⑧〔⑦(⑥{⑤[④〔③(②)〕]})〕]}⇒
①{[〔({ [〔(②)③〕④]⑤}⑥)⑦〕⑧]⑨}⑩
という「括弧」を用いて、
①あなたは⑩将来⑨あなたの父親⑧のような⑦立派なアメリカ人に⑥なるために⑤もっと一生懸命④英語を③勉強②しなければならない。
という「日本語の語順」に、「変換」することが、出来る。
(14)
①It
②is
③true
④that
⑤one
⑥of every three
⑦Japanese Americans
⑧does not
⑨speak
⑩Japanese
⑪at all.
然るに、
(15)
⑦Japanese Americans=日系アメリカ人の
⑥of every three=三人に付き
⑤one=一人は
⑪at all=全く
⑩Japanese=日本語を
⑨speak=話すことが
⑧does not=ない
④that=ということは
③true=本当で
②is=ある。
然るに、
(16)
①It
②(③〈④{⑤〔⑥(⑦)〕⑧[⑨〔⑩(⑪)〕]}〉)⇒
(〈{〔(⑦)⑥〕⑤[〔(⑪)⑩〕⑨]⑧}④〉③)②
従って、
(14)~(16)により、
(17)
①It②is③true④that⑤one⑥of every three⑦Japanese Americans⑧does not⑨speak⑩Japanese⑪at all.
という「英語の語順」は、
①It
②(③〈④{⑤〔⑥(⑦)〕⑧[⑨〔⑩(⑪)〕]}〉)⇒
(〈{〔(⑦)⑥〕⑤[〔(⑪)⑩〕⑨]⑧}④〉③)②
という「括弧」を用いて、
⑦日系アメリカ人の⑥三人に付き⑤一人は⑪全く⑩日本語を⑨話すことが⑧ない④ということは③本当で②ある。
という「日本語の語順」に、「変換」することが、出来るし、いうまでもなく、
①明日は②天気に③なる④であろう。⇒
It④will③be②fine①tomorrow.
の場合も、「括弧」を用いて、「日本語の語順」を、「英語の語順」に、「変換」することが、出来る。
然るに、
(18)
(〈{〔(⑦)⑥〕⑤[〔(⑪)⑩〕⑨]⑧}④〉③)②
の場合は、
⑦ ⑥ ⑤ + ⑪ ⑩ ⑨ ⑧ + ④ ③ ②
であるものの、
⑦>⑥>⑤ は、「左上がり」であり、
⑪>⑩>⑨>⑧ は、「左上がり」であり、
④>③>② は、「左上がり」である。
従って、
(19)
②<③<④ は、「右上がり」であり、
⑤<⑥<⑦ は、「右上がり」であり、
⑧<⑨<⑩<⑪ は、「右上がり」である。
然るに、
(20)
日本語は「左方分枝構造」であり、英語は「右方分枝構造」を特色としている(小松達也、通訳の英語 日本語、2003年、98頁)。
従って、
(14)~(20)により、
(21)
①It②is③true④that⑤one⑥of every three⑦Japanese Americans⑧does not⑨speak⑩Japanese⑪at all.
という「英語」を、
⑦日系アメリカ人の⑥三人に付き⑤一人は⑪全く⑩日本語を⑨話すことが⑧ない④ということは③本当で②ある。
という「日本語」に翻訳する。ということは、
①<②<③<④<⑤<⑥<⑦<⑧<⑨<⑩<⑪
という、「右方分枝構造」を、
⑦>⑥>⑤ + ⑪>⑩>⑨>⑧ + ④>③>②
という、三つの、「左方分枝構造」に、置き換えている。ということに、他ならない。
従って、
(13)(21)により、
(22)
①You②must③study④English⑤much harder⑥to become⑦a good American⑧like⑨your father⑩in the future.
という「英語」を、
①あなたは
⑩将来⑨あなたの父親⑧のような⑦立派なアメリカ人に⑥なるために⑤もっと一生懸命④英語を③勉強②しなければならない。
という「日本語」に翻訳する。ということは、
①<②<③<④<⑤<⑥<⑦<⑧<⑨<⑩
という、「右方分枝構造」を、
①<
⑩>⑨>⑧>⑦>⑥>⑤>④>③>②
という、二つの、「左方分枝構造」に、置き換えている。ということに、他ならない。
然るに、
(23)
『返り点に対する「括弧」の用法3(HP)。www9.ocn.ne.jp/~kannbunn/』で詳しく説明した通り、
①Who②are③you⇒
③あなたは①誰②である。
という「変換」は、「括弧」を用いて、「変換」できない。
従って、
(01)~(23)により、
(24)
①Who②are③you ⇒ ③あなたは①誰②である。
のような「WH移動」を「例外」とすれば、
「括弧」を用いて、「英語(日本語)の語順」を、「日本語(英語)の語順」に「変換」することは、多くの場合に、それは可能である。と、予測される。
平成25年07月07日
― 梅村藷講述、英文法講義(大日本國民中学會)―
(01)
いくつかの「英文」に「括弧」を加えてみて分ることは、とにかく、「漢文」とは様子が異なるということである。
それならば、
(02)「英文」と「漢文」は、どの様に、どの程度、異なるのであろうか。
というわけで、
(03)
取り合えず、中学英語に、「括弧」を付けてみようと、考えたのであるが、そのように思っていた時に、「戦前(大正時代?)の教科書」が有ったことを、思い出した。
そのため、
(04)
今とは異なり、「英語」とともに「漢文」が主要科目であった時代の、「英文法講義、東京府立第一中學校(現日比谷高校)」の中の、「英作文講義」で取り上げられている「英文」に、「括弧」を付けさせて貰うことにした。
その際、
(05)
①「括弧」の付いた「英文」。
②「語順」を「変換」した後の、「括弧」の付いた「英文」。
③「括弧」を付けたままの「和文」。
④「返り点」⇒「レ点」を除いた場合。
⑤「返り点」⇒「レ点」を除かない場合。
とするものの、
①に関して、「前置詞」に続く一語は、「括弧」で括らない。
①に関して、「go to bed」のような、「熟語」は、「一語」と見なす。
③に関して、「直訳」を旨としたいので、必ずしも著者の「和文」は用いない。
(06)
① Summer is(hot),and winter is(cold).
② Summer(hot)is,and winter(cold)is.
③ 夏は(暑く)ある。そして、冬は(寒く)ある。
④ 二 一、二 一。
⑤ レ、 レ。
(07)
① My father reads〔news paper(every morning)〕.
② My father〔(every morning)news paper〕reads.
③ 私の父は〔(毎朝)新聞を〕讀む。
④ 三 二 一。
(08)
① He learns〔English(for tow years)〕.
② He 〔(for tow years)English〕learns.:
③ 彼は〔(二年間)英語を〕學ぶ。
④ 三 二 一。
(09)
① The water(of this river)runs(fast).
② (of this river)The water(fast)runs.
③ (此川の)水は(速やかに)流る。
④ 二 一 二 一。
⑤ 二 一 レ。
(10)
① She goes〔to church(every Sunday)〕.
② She 〔(every Sunday)to church〕goes.
③ 彼女は〔(毎日曜日に)敎會に〕行く。
④ 三 二 一。
(11)
① In summer there are[many persons〔climb(mountains)〕].
② In summer there[〔(mountains)climb〕many persons]are.
③ 夏季には、そこに[〔(山に)登る〕多くの人が]ゐる。
④ 四 三 ニ 一。
(12)
① My younger brother swims〔two or three miles(easily)〕.
② My younger brother〔(easily)two or three miles〕swims.
③ 私の弟は〔(平氣で)二三哩〕泳ぐ.
④ 三 ニ 一。
⑤ 二 一レ。
〔別解〕
① My brother makes nothing of〔swimming(two or three miles)〕.
② My brother〔(two or three miles)swimming〕makes nothing of.
③ 私兄弟は〔(二三哩)泳ぐことを〕物ともしない。
④ 三 ニ 一。
⑤ レ 二 一。
(13)
① In〔what part(of Tokyo)〕do(you live)?
② 〔(of Tokyo)what part〕In(you live)do?
③ 〔(東京の)どの邉〕に(あなたはお住まいです)か。
④ 三 二 一 二 一。
(14)
① The top(of Mt.Fuji)is[covered〔with snow(all year round)〕].
② (of Fuji)The top[〔(all year round)with snow〕covered]is.
③ (富士山の)頂上は[〔(一年中)雪が〕積もつて]ゐる。
④ 二 一 四 三 二 一。
⑤ 二 一 レ 三 二 一。
(15)
① His grandfather gets up〔at five(in the morning)〕,and goes to bed〔at eight(in the e
vening)〕.
② His grandfather〔(in the morning)at five〕gets up,and 〔(in the evening)at eight〕goes
to bed.
③ 彼の祖父は〔(朝の)五時に〕起きて、〔(晩の)八時に〕寝る。
④ 三 二 一、 三 ニ 一。
(16)
① What(is〔your father)〕doing)?
② (〔your father)What〕doing)is?
③ (〔君のお父さんは)何を〕して)ゐるか。
は、「WH移動」であるが、少なくとも、このやうな「WH移動」に、正しく、「括弧」を付けることは、出来ない。
(17)
① Three cavalry are〔ridinng(their horses)〕.
② Three cavalry〔(their horses)ridinng〕are.
③ 三人の騎兵が〔(馬を)馳せて〕ゐる。
④ 三 ニ 一。
⑤ レ ニ 一。
(18)
① That old man is〔taking walk(in the garden)〕.
② That old man 〔(in the garden)taking walk〕is.
③ あの老人は〔(庭を)散歩して〕ゐる。
④ 三 ニ 一。
⑤ レ ニ 一。
(19)
① A baby is〔sleeping(in a hammock)〕.
② A baby〔(in a hammock)sleeping〕is.
③ 赤兒〔(ハンモックの中で)眠つて〕ゐる。
④ 三 ニ 一。
⑤ レ ニ 一。
(20)
① A beggar is[eating〔something(by the roadside)〕].
② A beggar[〔(by the roadside)something〕eating]is.
③ 乞食が[〔(道の側で)何かを〕食べて]ゐる。
④ 四 三 ニ 一。
⑤ レ レ 二 一。
(21)
① Two aeroplanes are〔flying off(at full speed)〕.
② Two aeroplanes〔(at full speed)flying off〕are.
③ 二臺の飛行機が〔(フルスピードで)飛んでいきつつ〕ある。
④ 三 ニ 一。
(22)
①Dr.Ito is{travelling[through〔Manchuria and Korea(at present)〕]}.
②Dr.Ito{[〔(at present)Manchuria and Korea〕through]travelling}is.
③伊藤博士は{[〔(目下)満州朝鮮〕地方を]旅行して}ゐる.
④ 四 三 ニ 一。
⑤ レ 三 二 一。
(23)
① It is said that(Mr.S. is{writing[a novel〔at some hotel(in hakone)〕]}).
② (Mr.S.{[〔(in hakone)at some hotel〕a novel]writing}is)It is said that.
③ (S氏は{[〔(箱根の)或るホテルで〕小説を]書いて}ゐる)さうです。
④ 六 五 四 三 ニ 一。
⑤ レ 五 四 三 二 一。
〔別解〕
① MR.S. is〔said(to be{writing[a novel〔in certain hotel(of hakone)〕]})〕.
② MR.S.〔({[〔(of hakone)in certain hotel〕a novel]writing}to be)said〕is.
③ S氏は〔({[〔(箱根の)あるホテルで〕小説を]書いてゐる}とふことが)言は〕れてゐる。
④ 七 六 五 四 三 ニ 一。
⑤ レ 二 一レ 四 三 ニ 一。
(24)
① My uncle(in London)is[studying〔labour problems(there)〕].
② (in London)My uncle[〔(there)labour problems〕studying]is.
③ (倫敦にゐる)私の叔父は[〔(彼の地で)労働問題を〕研究して]ゐる。
④ 二 一 四 三 ニ 一。
⑤ 二 一 レ 二 一レ。
(25)
① About a company of soldiers are[taking〔rest(in the wood)〕].
② About a company of soldiers [〔(in the wood)rest〕taking]are.
③ 約一個中隊の兵士が[〔(森の中で)休憩を〕取って]ゐる。
④ 四 三 ニ 一。
⑤ レ レ 二 一。
(26)
① I wrote〔three letters(this morning)〕.
② I〔(this morning)three letters〕wrote.
③ 私は〔(今朝)三本の手紙を〕書いた。
④ 三 ニ 一。
(27)
① He left〔San Francisco(last Wednesday)〕and arrived[at New York〔on Tuesday(of this w
eek)〕].
② He〔(last Wednesday)San Francisco〕left and [〔(of this week)on Tuesday〕at New York]a
rrived.
③ 彼は〔(先週の水曜日に)桑港〕を出発して [〔(今週の)火曜日に〕紐育に]到着した。
④ 三 ニ 一、 四 三 ニ 一。
(28)
① There was[a storm〔here(yesterday)〕],and some houses were(blown down).
② [〔(yesterday)here〕a storm]There was,and some houses(blown down)were.
③ [〔(昨日)當地に〕暴風雨が]そこに有り、そして、数件の家が(吹き倒さ)れた。
③ [〔(昨日)當地に〕暴風雨が]有り、数件の家が(吹き倒さ)れた。
④ 四 三 ニ 一、二 一。
⑤ 二 一レ レ、二 一。
(29)
① Where(did〔you) put(my fountain pen)〕? I put(it on the desk).
② (〔you)Where (my fountain pen)put〕did? I (it on the desk)put.
③ (〔あなたは)何処に(私の万年筆を)おきまし〕たか? わたしは(それを、机の上に)置きました。
④ WH移動であるため、正しく、「括弧」を付けることが出来ない。
(30)
① That young man was{given[the first prize〔in marathon race(several time)〕]}.
② That young man{[〔( several time)in marathon race〕the first prize]given}was.
③ 彼の靑年は{[〔(度々)マラソン競争で〕一等賞を]與へら}れた。
④ 五 四 三 ニ 一。
⑤ レ 四 三 二 一。
(31)
① He thought[that〔he was(in the wrong way)〕].
② He[〔he(in the wrong way)was〕that]thought.
③ 彼は[〔彼が(間違った道に)ゐた〕といふ風に]思つた。
④ 四 三 ニ 一。
⑤ レ 三 二 一。
(32)
① The ship met(with heavy storm),and one(of the masts) was(broken).
② The ship(with heavy storm)met,and (of the masts)one(broken)was.
③ 其の船は(非常な暴風雨に)遭遇し、そして(マストの)一本が(折ら)れた。
④ ニ 一 二 一 ニ 一。
⑤ 二 一 二 一 レ。
(33)
① I did(it with good care),and yet I faied.
② I(it with good care)did,and yet I faied.
③ 私は(それを、十分に注意して)行った、だが、それでも、失敗しました。
④ ニ 一
(34)
① The singing(of a lark)was〔heard(in the distance)〕.
② (of a lark)The singing〔(in the distance)heard〕was.
③ (雲雀が)鳴くのが、〔(遠くで)聴え〕た。
④ ニ 一 三 ニ 一。
⑤ 二 一 レ 二 一。
〔別解〕
① We heard〔a lark singing(in the distance)〕.
② We〔a lark (in the distance)singing〕heard.
③ 我々は〔雲雀が(遠くで)啼いているのを〕聞いた。
④ 三 ニ 一。
(35)
① The air-ship took(fire)and fell〔into(the sea)〕.
② The air-ship(fire)took and 〔(the sea)into〕fell.
③ 飛行船は(火を)発して、〔(海中)へ〕墜落した。
④ ニ 一、三 ニ 一。
⑤ レ、 レ 二 一。
(36)
① He drank[all〔the water(in the kettle)〕].
② He[〔(in the kettle)the water〕all]drank.
③ 彼は[〔(鉄瓶の)水を〕全て]飲んだ。
④ 四 三 ニ 一
(37)
① My father travelled{in India[when〔he was(young)〕].
② My father{[〔he(young)was〕when]in India}travelled.
③ 私の父は{[〔彼が(若かつ)た〕時分に]印度を}旅行した。
④ 五 四 三 ニ 一
⑤ 四 三 二 一レ
(38)
① The students put out(the light)and went(to bed).
② The students(the light)put out and (to bed)went.
③ 生徒たちは(燈光を)消して、(床に)就いた。
④ ニ 一、二 一。
(39)
① No(one supposed{that[such a man〔as(he)〕become(so great)]}).
② (one{[such〔(he)as〕a man(so great)become]that}supposed)No.
③ (誰も{[あのやうな〔(彼の)如き〕男が(あれ程偉く)成る]といふ風には}思は)なかった。
④ 丁 丙 三 ニ 一 乙 甲。
⑤ 丁 丙 レ レ 乙 甲。
〔別解〕
① No‐one‐supposed{that[such a man〔as(he)〕become(so great)]}.
② {[such 〔(he)as〕a man(so great)become]that}No‐one‐supposed.
③ {[あのやうな〔(彼の)如き〕男が(あれ程偉く)成る]といふ風には}誰も思わなかった。
④ 下 三 ニ 一 中 上。
⑤ 下 ニ 一レ 中 上。
(40)
① It is{said[that〔his submarine boat sank(about thirty vesels)〕]}.
② It{[〔his submarine boat (about thirty vesels)sank〕that]said}is.
③ It{[〔彼の潜航艇は(約三十隻の船舶を)撃沈した〕という風に]言われて}ゐる。
④ 五 四 三 ニ 一。
⑤ レ レ 三 二 一。
(41)
① I dreamed(a funny dream last nighit).
② I(a funny dream last nighit)dreamed.
③ 私は(面白い夢を昨晩)見た。
④ ニ 一。
cf.
① I dreamed〔a dream(last nighit)〕.
② I〔(last nighit)a dream〕dreamed.
③ 私は〔(昨晩)夢を〕見た。
④ 三 ニ 一。
⑤ レ ニ 一。
(42)
① Got up〔early(this mornig)〕. Gave〔water(to the plants)〕. Took(a cold-bath).
② 〔(this mornig)early〕Got up. 〔(to the plants)water〕Gave. (a cold-bath)Took.
④ 〔(今朝)早く〕起き、〔(植木に)水を〕やって、(冷水を)浴した。
⑤
(43)
① When〔I called on(him)〕he was〔writing(a letter)〕.
② 〔I(him)called on〕When he 〔(a letter)writing〕was.
③ 〔私が(彼を)訪問した〕時 彼は〔(手紙を)書いて〕ゐた。
④ 三 ニ 一 ニ 一。
⑤ ニ 一レ レ レ。
(44)
①When〔he went(to the harbour)〕,the ship was〔just leaving(the pier)〕.
②〔he(to the harbour)went〕When,the ship〔just(the pier)leaving〕was.
③〔彼が(港に)行った〕時、船は〔丁度(桟橋を)離れて行って〕ゐた。
④
⑤
(45)
① Famers were〔working(in the field)〕, and children were〔swimming(in the brook)〕.
② Famers 〔(in the field)working〕were, and children 〔(in the brook)swimming〕.
③ 農夫等は 〔(田畑で)働いて〕ゐた。そして子供らは〔(小川で)泳いで〕ゐた。
④ 三 ニ 一。 三 ニ 一。
⑤ レ ニ 一。 レ ニ 一。
(46)
① By〔the fire(of our artillery)〕 the enemy was〔beginning(to retreat)〕.
② 〔(of our artillery)the fire〕By the enemy 〔(to retreat)beginning〕was.
③ 〔(我々の砲)火〕により敵は〔(退却を)始めて〕ゐた。
④ 三 ニ 一 三 ニ 一。
⑤ 三 ニ 一 レ ニ 一。
(47)
① The express train was{running[at the speed〔of fifty miles(an hour)〕]}.
② The express train{[〔(an hour)of fifty miles〕at the speed]running}was.
③ 急行列車は{[〔(一時間)五十哩の〕速度で]走って}ゐた。
④ 五 四 三 ニ 一。
⑤ レ 四 三 ニ 一。
(48)
① The sun was〔gradually setting(on the western mountains)〕.
② The sun 〔gradually (on the western mountains)setting〕was.
③ 太陽は〔段々と(西の山々に)沈んで行って〕ゐた。
④ 三 ニ 一。
(49)
① As〔the wind was(blowing)〕the ship couldn’t(start).
②〔the wind (blowing)was〕Asthe ship (start)couldn’t.
③〔風が(吹いて)ゐた〕から船が (出帆することが)出来なかった。
④ 三 ニ 一 ニ 一。
⑤ ニ 一レ レ。
(50)
① When{I went[to Niigata〔in March(this year)〕]} snow〔was falling(heavily)〕.
②{I[〔(this year)in March〕to Niigata]went}When snow〔(heavily)falling〕was.
③{私が[〔(今年の)三月に〕新潟へ]行った}時、雪が〔(盛んに)降つて〕ゐました。
④ 五 四 三 ニ 一。
(51)
① They were[preairing〔for a trip(to America)〕].
② They [〔(to America)for a trip〕preairing]were.
③ 彼らは[〔(アメリカへ)の旅行を〕準備して]ゐた。
④ 四 三 ニ 一。
⑤ レ 三 ニ 一。
(52)
① When{I went[to the Zoolpgical Garden〔at Ueno(a few days ago)〕]}the tiger was(sleeping).
② {I[〔(a few days ago)at Ueno〕to the Zoolpgical Garden]went}When the tiger(sleeping)
was.
③{私が[〔(一兩日前)上野の〕動物園へ]行った}時 虎は(眠つて)ゐた。
④ 五 四 三 ニ 一 ニ 一。
⑤ 五 四 三 ニ 一 レ。
(53)
① It has〔begun(to rain)〕.Shall{I send[a jinrikisha〔to fetch(him)〕]}?
② It〔(to rain)begun〕has.{I[〔(him)to fetch〕a jinrikisha]send}Shall?
③それ〔(雨が降ることが)始まつ〕た。{私は[〔(彼を)迎へに〕人力車を]送りま}せうか。
④ 三 ニ 一。五 四 三 ニ 一。
⑤ レ ニ 一。レ 三 ニ 一レ
(54)
① Will[you attend〔the meeting(tomorrow)〕]? I mean〔to go(without fail)〕.
② [you 〔tomorrow)the meeting〕attend]Will? I〔(without fail)to go〕 mean.
③ [あなたは〔(明日の)集会に〕出席する]意志が有るか? 私は〔(必ず)行く〕積もりでゐる。
④ 四 三 ニ 一。三 ニ 一。
⑤ 三 ニ 一 レ。三 ニ 一。
(55)
① As{the low atomospheric pressure has[passed〔toward(the Pacific Ocean)〕]},We shall[have〔continual fair weather(for the present)〕].
②{the low atomospheric pressure[〔(the Pacific Ocean)toward〕passed]has}As,We{〔(for the present)continual fair weather〕have}shall.
③{低氣壓が[〔(太平洋)に〕去つ]た}ので、我々は[〔(當分)継続的な好天を〕持つ]でせう。
④ 五 四 三 ニ 一。四 三 ニ 一。
⑤ 五 四 三 ニ 一。レ 三 ニ 一。
(56)
① Though[the great European War has〔come(to an end)〕],
We shall〔have(continual high prices{of commodities[for〔some time(to come)〕]})〕.
②[the great European War 〔(to an end)come〕has]Though,
We〔({[〔(to come)some time〕for]of commodities}continual high prices)have〕shall.
③[欧州大戦は〔(終)結〕した]が、我々は〔({[〔(来たるべき)しばらく〕の間]物品の}継続的高値を)経験する〕でせう。
④ 四 三 ニ 一、 七 六 五 四 三 ニ 一。
⑤ ニ 一レ ニ 一、 レ 三 ニ 一レ 三 ニ 一。
(57)
① I am[going〔to Tokyo station(to see Mr.Tanaka off)〕],and on my way home I shall[buy〔some cakes(at Meidiya’s)〕].
② I[〔(to see Mr.Tanaka off)to Tokyo station〕going]am,and on my way home I [〔(at Meidiya’s)some cakes〕buy]shall.
③ 私は[〔(田中君を見送りに)東京駅へ〕行きつつt]ある、そして帰宅の途中で私は[〔(明治屋の)ケーキを〕買ふで]せう。
④ 四 三 ニ 一、レ 三 ニ 一。
⑤
(58)
① The cherry-flowers(at arashiyama)are(now at their best).Shall[I go〔with you(to see them)〕]?
②(at arashiyama)The cherry-flowers(now at their best)are.[I〔(to see them)with you〕go
]Shall?
③(嵐山の)桜の花が(今満開で)ある.[わたしは〔(それらを見るために)あなたと〕行きま]せうか。
④ ニ 一 三 ニ 一。四 三 ニ 一。
― 順次、続きます(H25/05/24)。―
― I am reading 「〈意味順〉英作文のすすめ」&「これが正しい!英語学習法」&「英文法を知ってますか」: I am looking for the something best to teach me English(H25/08/02)。―
2013年5月23日木曜日
2013年5月18日土曜日
英文訓読-『菊と刀』-
(01)
いる=ゐる〔ワ行上一段〕 ②ある場所に存在する(大修館書店、古語林)。
be=2.exist;occupy a place or position(旺文社、シニア英英辞典).
to=に(於いて、向けて)、
in=(に住む所)の、
従って、
(02)
① 私は日本にいる。
② 私は〔(日本)に〕いる.
③ I 〔(Japan)in〕am.
④ I am 〔in(Japan)〕.
(03)
① I am writing this blog to my friend in U.S.A
② I am(writing{this blog to[my friend 〔in(U.S.A.)〕]}).
③ I({this blog[〔(U.S.A.)in〕my friend]to}writing)am.
④ 私は({このブログを[〔(アメリカ)の〕友人]に}書いて)いる。
(04)
①日本人は世界のどの国民に対しても、これまでに使われた中では最も途方もない、一連の『だが一方で』の句で以て、描写されてきた。
②日本人は({[〔({[〔(世界)の〕どの国民]に対しても}これまでに使われた中では)最も途方もない、一連の『だが一方で』の句〕で以て]描写}されて)きた。
③The Japanese ({[〔({[〔(the world)of〕any nation]for}ever used)the most fantastic series of ‘but also’s’〕in]described}been) have.⇒
④The Japanese have(been{described[in〔the most fantastic series of ‘but also’s’(ever used{for[any nation 〔of(the world)〕]})〕]}).
従って、
(05)
「be動詞」や、「前置詞」も踏まえて、「括弧」を付けようとすると、
④I am writing this blog to my friend in U.S.S.R.
のような、中学生レベルの英語であっても、
{[〔( )〕]}では、足りずに、
({[〔( )〕]})を、必要とし、
「菊と刀(Ruth Benedict)」の場合は、少なくとも、、
({[〔({[〔( )〕]})〕]})を、必要とする。
従って、
(06)
During the past seventy five years since Japan’s closed doors were opened,the Japanese have been described in the most fantastic series of ‘but also’s’ever used for any nation of the world. When a serious observer is writing about peoples other than the Japanese and says they are unprecedently polite, he isn’t likely to add,‘But also insolent and overbearing.
に対して、「括弧」を加えると、
(07)
During{the past seventy five years[since〔Japan’s closed doors were(opend,)〕]}The Japanese have(been{described[in〔the mos t fantastic series of ‘but also’s’(ever used{for[any nation 〔of(the world)〕]})〕]}). When〔a serious observer is(writing{about[peoples〔other than(the Japanese)〕]})and says〔they are(unprecedently polite)〕〕, he isn’t [likely〔to add,(‘But also insolent and overbearing.’ )〕]
従って、
(08)
「変換」すると、
{[〔Japan’s closed doors(opened,)were〕since]the past seventy five years}During.The Japanese ({[〔({[〔(the world)of〕any nation]for}ever used)the most fantastic series of ‘but also’s’〕in]described}been) have.〔a serious observer({[〔(the Japanese)other than〕peoples]about}writing)is〕When and 〔they (unprecedently polite)are〕says, he [〔(‘But alsoinsolent and overbearing.’ )to add,〕likely]isn’t.
(09)
日本語に置き換えると、
{[〔日本の閉ざされたドアが(開か)れて〕から]過去七十五年の}間、 日本人は({[〔({[〔(世界)の〕どの国民]に対しても}これまでに使われた中では)最も途方もない、一連の『だが一方で』の句〕で以て]描写}されて)きた。〔真剣に観察する人が({[〔(日本人)以外の〕国民に]ついて}書いて)いて、そして〔彼らは(ほかに例を見ないほど礼儀正しい)です〕と書く〕際に、その彼が[〔(『だが、無礼で横暴だ』と)付け加えることは〕有りそうに]ない。
従って、
(10)
「括弧」を除くと、
日本の閉ざされたドアが開かれてから過去七十五年の間、日本人は、世界のどの国民に対しても、これまでに使われた中では最も途方もない、一連の『だが一方で』の句で以て、描写されてきた。真剣に観察する人が日本人以外の国民について書いていて、そして彼らはほかに例を見ないほど礼儀正しいです。と書く際に、その彼が、『だが、無礼で横暴だ』と付け加えることは有りそうにない。
cf.
日本がその閉ざされた扉を開いてから過去七十五年の間、日本人は、かつて世界中のどの国民に対しても使われたことがないような、途方もない一連の『だが同時に』の句によって語られてきた。日本人以外の国民について、それを綿密に観察した上で、ほかに例を見ないほど礼儀正しいと言っておきながら、「だが同時に無礼で横柄である」との表現をつけ加えるなどということはあまり考えられない(斎藤兆史、英文法の論理、2007年、150頁)。
従って、
(06)(10)により、
(11)
During the past seventy five years since Japan’s closed doors were opened,the Japanese have been described in the most fantastic series of ‘but also’s’ever used for any nation of the world. When a serious observer is writing about peoples other than the Japanese and says they are unprecedently polite, he isn’t likely to add,‘But also insolent and overbearing.
は、「括弧」を用いて、
日本の閉ざされたドアが開かれてから過去七十五年の間、日本人は、世界のどの国民に対しても、これまでに使われた中では最も途方もない、一連の『だが一方で』の句で以て、描写されてきた。真剣に観察する人が日本人以外の国民について書いていて、そして彼らはほかに例を見ないほど礼儀正しいです。と書く際に、その彼が、『だが、無礼で横暴だ』と付け加えることは有りそうにない。
という風に、「変換」出来る。
従って、
(12)
①You Are Tom.
①You Are Who.
の場合も、
①You Are(Tom)⇒
②You(Tom)Are =あなたはトムである。
①You Are(Who)⇒
②You(Who)Are =あなたは誰であるか。
のように、「変換」出来る。
加えて、
(13)
①Are You Tom?
①Are You Who.
も、
①Are (You Tom)⇒
②(You Tom)Are =あなたはトムですか。
①Are (You Who)⇒
②(You Who)Are =あなたは誰ですか。
のように、「変換」出来る。
然るに、
(14)
①Who Are You?
は、
②あなたは誰ですか。
という風に、「変換」することは、出来ない。
(15)
①You Who Are =123=あなたは誰です・か。
に対して、
②You Are Who =13(2) ⇒ 1(2)3
③Who You Are =2(1)3 ⇒(1)2 3
④Who Are You =2(3〔1)〕⇒(〔1)2〕3
⑤Are You Who=3(12) ⇒(12)3
⑥Are Who You =3〔2(1)〕⇒〔(1)2〕3
であるものの、
④Who Are You =2(3〔1)〕⇒(〔1)2〕3
のような、「括弧」は無いため、
②You Are Who?
③Who You Are?
④Who Are You?
⑤Are You Who?
⑥Are Who You?
という五つの中にあって、唯一、
④Who Are You?
という「WH疑問文(WH移動)」だけは、
①You Who Are =123=あなたは誰です・か。
に、「変換」できない。
従って、
(16)
During the past seventy five years since Japan’s closed doors were opened,the Japanese have been described in the most fantastic series of ‘but also’s’ever used for any nation of the world. When a serious observer is writing about peoples other than the Japanese and says they are unprecedently polite, he isn’t likely to add,‘But also insolent and overbearing.
のような「英語」は、「変換」出来るにも拘わらず、
Who Are You?
という「WH疑問文(WH移動)」は、「変換」出来ない。
然るに、
(17)
「論語(巻第九、微子第一八、六)には、
①子為(誰)⇒
②子(誰)為=子は誰と為す。
と在って、
【子】シ、 ス ⑥あなた、おんみ、第二人称の敬称。
【為】[爲]イ(ヰ) ⑥なり。 ・・・である。
【誰】スイ ①だれ、たれ、た。疑問や反語に用いる。
(角川新字源、改訂版、1994年)
である。
従って、
(18)
子=You
為=Are
誰=Who?
であるため、「論語」には、
②子 為 誰 ?
②You Are Who ?
という、「WH移動」を起こしていない、「WH疑問文」が、認められる。
従って、
(19)
ある時代の英語も、あるいは、
②You Are Who?
という「語順」で、あったのかも、知れない。
その次の、ある時代には、
⑤Are You Who?
になり、更に、それが、
④Who Are You?
に変わり、その「結果」として、
During the past seventy five years since Japan’s closed doors were opened,the Japanese have been described in the most fantastic series of ‘but also’s’ever used for any nation of the world. When a serious observer is writing about peoples other than the Japanese and says they are unprecedently polite, he isn’t likely to add,‘But also insolent and overbearing.
のような「英語」は、「変換」出来るにも拘わらず、
④Who Are You?
という「WH疑問文(WH移動)」は、「変換」出来ない。のかも、知れない。
然るに、
(20)
いづれにせよ、
④Who Are You =2(3〔1)〕⇒(〔1)2〕3
という「括弧」は、有り得ないし、
④二 三 一
という、「返り点」も、存在しない。
従って、
(21)
「漢文」には、
④誰 為 子 =2(3〔1)〕⇒(〔1)2〕3
のような「語順」が、無いからこそ、
①レ
②一 二 三 四 五 ・・・・・
③上 中 下
④甲 乙 丙 丁 戊 ・・・・・
⑤天 地 人
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
という、「返り点と括弧」で、「漢文」の語順を、「訓読」の語順に、「変換」出来ることになる。
然るに、
(22)
「漢文」が、「返り点と括弧」で、「日本語」の語順に「変換」出来るということは、「漢文の語順」と「訓読の語順」が、「規則正しく、異なっている」ということを、意味している。
然るに、
(23)
「規則正しく、異なっている」ことと、「ランダムに、異なっている」こととは、同じではなく、「規則正しく、異なっている」ということは、ある意味で、「異なっていない」とすることも、可能な、はずである。
従って、
(24)
私が思うに、
「どこに外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だとするのである(中村作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、「訓読」論、2008年、1頁)。
という見解は、皮相である。
(25)
更に言えば、
古英語が、むしろ、古ドイツ語であるならば、ドイツ語は英語ではない。が故に、古中国語(漢文)は、中国語(普通話)ではない。とすることも、出来るのであって、だとすると、漢文を学ぶためには、現代中国語(普通話)の知識が必要である。という言い方は、古英語を学ぶためには、ドイツ語の知識は必要ない。という言い方と同じく、理屈が、通らない。
cf.
文献にはじめて現われた時代、つまり700年頃から1100年頃までの英語を古英語(Old English)と言うが、その古英語の特徴を一口にいえば「一種のドイツ語の方言の文法である」と言ってよい〔渡辺昇一、英語の歴史、1983年、70頁〕。言語学上、英語もドイツ語と同じインド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、2千年ほど前に共通の祖先から分かれたと考えられるため、共通点が多い。しかし、両語がたどった歴史的背景から(とりわけ中世以降)、相違が広がった〔ウィキペディア:ドイツ語〕。北京語の音声系統と同様に、歴史的情勢を考えてみると、北京語の文法構造がの中国系の「方言」と比べて、厳しい変化過程を経て非常に遠ざかっていたと認めざるを得ない〔二十一世紀の漢文-死語の将来、ジャン-ノエル ロベール フランス パリ国立高等研究院 教授〕。
いる=ゐる〔ワ行上一段〕 ②ある場所に存在する(大修館書店、古語林)。
be=2.exist;occupy a place or position(旺文社、シニア英英辞典).
to=に(於いて、向けて)、
in=(に住む所)の、
従って、
(02)
① 私は日本にいる。
② 私は〔(日本)に〕いる.
③ I 〔(Japan)in〕am.
④ I am 〔in(Japan)〕.
(03)
① I am writing this blog to my friend in U.S.A
② I am(writing{this blog to[my friend 〔in(U.S.A.)〕]}).
③ I({this blog[〔(U.S.A.)in〕my friend]to}writing)am.
④ 私は({このブログを[〔(アメリカ)の〕友人]に}書いて)いる。
(04)
①日本人は世界のどの国民に対しても、これまでに使われた中では最も途方もない、一連の『だが一方で』の句で以て、描写されてきた。
②日本人は({[〔({[〔(世界)の〕どの国民]に対しても}これまでに使われた中では)最も途方もない、一連の『だが一方で』の句〕で以て]描写}されて)きた。
③The Japanese ({[〔({[〔(the world)of〕any nation]for}ever used)the most fantastic series of ‘but also’s’〕in]described}been) have.⇒
④The Japanese have(been{described[in〔the most fantastic series of ‘but also’s’(ever used{for[any nation 〔of(the world)〕]})〕]}).
従って、
(05)
「be動詞」や、「前置詞」も踏まえて、「括弧」を付けようとすると、
④I am writing this blog to my friend in U.S.S.R.
のような、中学生レベルの英語であっても、
{[〔( )〕]}では、足りずに、
({[〔( )〕]})を、必要とし、
「菊と刀(Ruth Benedict)」の場合は、少なくとも、、
({[〔({[〔( )〕]})〕]})を、必要とする。
従って、
(06)
During the past seventy five years since Japan’s closed doors were opened,the Japanese have been described in the most fantastic series of ‘but also’s’ever used for any nation of the world. When a serious observer is writing about peoples other than the Japanese and says they are unprecedently polite, he isn’t likely to add,‘But also insolent and overbearing.
に対して、「括弧」を加えると、
(07)
During{the past seventy five years[since〔Japan’s closed doors were(opend,)〕]}The Japanese have(been{described[in〔the mos t fantastic series of ‘but also’s’(ever used{for[any nation 〔of(the world)〕]})〕]}). When〔a serious observer is(writing{about[peoples〔other than(the Japanese)〕]})and says〔they are(unprecedently polite)〕〕, he isn’t [likely〔to add,(‘But also insolent and overbearing.’ )〕]
従って、
(08)
「変換」すると、
{[〔Japan’s closed doors(opened,)were〕since]the past seventy five years}During.The Japanese ({[〔({[〔(the world)of〕any nation]for}ever used)the most fantastic series of ‘but also’s’〕in]described}been) have.〔a serious observer({[〔(the Japanese)other than〕peoples]about}writing)is〕When and 〔they (unprecedently polite)are〕says, he [〔(‘But alsoinsolent and overbearing.’ )to add,〕likely]isn’t.
(09)
日本語に置き換えると、
{[〔日本の閉ざされたドアが(開か)れて〕から]過去七十五年の}間、 日本人は({[〔({[〔(世界)の〕どの国民]に対しても}これまでに使われた中では)最も途方もない、一連の『だが一方で』の句〕で以て]描写}されて)きた。〔真剣に観察する人が({[〔(日本人)以外の〕国民に]ついて}書いて)いて、そして〔彼らは(ほかに例を見ないほど礼儀正しい)です〕と書く〕際に、その彼が[〔(『だが、無礼で横暴だ』と)付け加えることは〕有りそうに]ない。
従って、
(10)
「括弧」を除くと、
日本の閉ざされたドアが開かれてから過去七十五年の間、日本人は、世界のどの国民に対しても、これまでに使われた中では最も途方もない、一連の『だが一方で』の句で以て、描写されてきた。真剣に観察する人が日本人以外の国民について書いていて、そして彼らはほかに例を見ないほど礼儀正しいです。と書く際に、その彼が、『だが、無礼で横暴だ』と付け加えることは有りそうにない。
cf.
日本がその閉ざされた扉を開いてから過去七十五年の間、日本人は、かつて世界中のどの国民に対しても使われたことがないような、途方もない一連の『だが同時に』の句によって語られてきた。日本人以外の国民について、それを綿密に観察した上で、ほかに例を見ないほど礼儀正しいと言っておきながら、「だが同時に無礼で横柄である」との表現をつけ加えるなどということはあまり考えられない(斎藤兆史、英文法の論理、2007年、150頁)。
従って、
(06)(10)により、
(11)
During the past seventy five years since Japan’s closed doors were opened,the Japanese have been described in the most fantastic series of ‘but also’s’ever used for any nation of the world. When a serious observer is writing about peoples other than the Japanese and says they are unprecedently polite, he isn’t likely to add,‘But also insolent and overbearing.
は、「括弧」を用いて、
日本の閉ざされたドアが開かれてから過去七十五年の間、日本人は、世界のどの国民に対しても、これまでに使われた中では最も途方もない、一連の『だが一方で』の句で以て、描写されてきた。真剣に観察する人が日本人以外の国民について書いていて、そして彼らはほかに例を見ないほど礼儀正しいです。と書く際に、その彼が、『だが、無礼で横暴だ』と付け加えることは有りそうにない。
という風に、「変換」出来る。
従って、
(12)
①You Are Tom.
①You Are Who.
の場合も、
①You Are(Tom)⇒
②You(Tom)Are =あなたはトムである。
①You Are(Who)⇒
②You(Who)Are =あなたは誰であるか。
のように、「変換」出来る。
加えて、
(13)
①Are You Tom?
①Are You Who.
も、
①Are (You Tom)⇒
②(You Tom)Are =あなたはトムですか。
①Are (You Who)⇒
②(You Who)Are =あなたは誰ですか。
のように、「変換」出来る。
然るに、
(14)
①Who Are You?
は、
②あなたは誰ですか。
という風に、「変換」することは、出来ない。
(15)
①You Who Are =123=あなたは誰です・か。
に対して、
②You Are Who =13(2) ⇒ 1(2)3
③Who You Are =2(1)3 ⇒(1)2 3
④Who Are You =2(3〔1)〕⇒(〔1)2〕3
⑤Are You Who=3(12) ⇒(12)3
⑥Are Who You =3〔2(1)〕⇒〔(1)2〕3
であるものの、
④Who Are You =2(3〔1)〕⇒(〔1)2〕3
のような、「括弧」は無いため、
②You Are Who?
③Who You Are?
④Who Are You?
⑤Are You Who?
⑥Are Who You?
という五つの中にあって、唯一、
④Who Are You?
という「WH疑問文(WH移動)」だけは、
①You Who Are =123=あなたは誰です・か。
に、「変換」できない。
従って、
(16)
During the past seventy five years since Japan’s closed doors were opened,the Japanese have been described in the most fantastic series of ‘but also’s’ever used for any nation of the world. When a serious observer is writing about peoples other than the Japanese and says they are unprecedently polite, he isn’t likely to add,‘But also insolent and overbearing.
のような「英語」は、「変換」出来るにも拘わらず、
Who Are You?
という「WH疑問文(WH移動)」は、「変換」出来ない。
然るに、
(17)
「論語(巻第九、微子第一八、六)には、
①子為(誰)⇒
②子(誰)為=子は誰と為す。
と在って、
【子】シ、 ス ⑥あなた、おんみ、第二人称の敬称。
【為】[爲]イ(ヰ) ⑥なり。 ・・・である。
【誰】スイ ①だれ、たれ、た。疑問や反語に用いる。
(角川新字源、改訂版、1994年)
である。
従って、
(18)
子=You
為=Are
誰=Who?
であるため、「論語」には、
②子 為 誰 ?
②You Are Who ?
という、「WH移動」を起こしていない、「WH疑問文」が、認められる。
従って、
(19)
ある時代の英語も、あるいは、
②You Are Who?
という「語順」で、あったのかも、知れない。
その次の、ある時代には、
⑤Are You Who?
になり、更に、それが、
④Who Are You?
に変わり、その「結果」として、
During the past seventy five years since Japan’s closed doors were opened,the Japanese have been described in the most fantastic series of ‘but also’s’ever used for any nation of the world. When a serious observer is writing about peoples other than the Japanese and says they are unprecedently polite, he isn’t likely to add,‘But also insolent and overbearing.
のような「英語」は、「変換」出来るにも拘わらず、
④Who Are You?
という「WH疑問文(WH移動)」は、「変換」出来ない。のかも、知れない。
然るに、
(20)
いづれにせよ、
④Who Are You =2(3〔1)〕⇒(〔1)2〕3
という「括弧」は、有り得ないし、
④二 三 一
という、「返り点」も、存在しない。
従って、
(21)
「漢文」には、
④誰 為 子 =2(3〔1)〕⇒(〔1)2〕3
のような「語順」が、無いからこそ、
①レ
②一 二 三 四 五 ・・・・・
③上 中 下
④甲 乙 丙 丁 戊 ・・・・・
⑤天 地 人
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
という、「返り点と括弧」で、「漢文」の語順を、「訓読」の語順に、「変換」出来ることになる。
然るに、
(22)
「漢文」が、「返り点と括弧」で、「日本語」の語順に「変換」出来るということは、「漢文の語順」と「訓読の語順」が、「規則正しく、異なっている」ということを、意味している。
然るに、
(23)
「規則正しく、異なっている」ことと、「ランダムに、異なっている」こととは、同じではなく、「規則正しく、異なっている」ということは、ある意味で、「異なっていない」とすることも、可能な、はずである。
従って、
(24)
私が思うに、
「どこに外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だとするのである(中村作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、「訓読」論、2008年、1頁)。
という見解は、皮相である。
(25)
更に言えば、
古英語が、むしろ、古ドイツ語であるならば、ドイツ語は英語ではない。が故に、古中国語(漢文)は、中国語(普通話)ではない。とすることも、出来るのであって、だとすると、漢文を学ぶためには、現代中国語(普通話)の知識が必要である。という言い方は、古英語を学ぶためには、ドイツ語の知識は必要ない。という言い方と同じく、理屈が、通らない。
cf.
文献にはじめて現われた時代、つまり700年頃から1100年頃までの英語を古英語(Old English)と言うが、その古英語の特徴を一口にいえば「一種のドイツ語の方言の文法である」と言ってよい〔渡辺昇一、英語の歴史、1983年、70頁〕。言語学上、英語もドイツ語と同じインド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、2千年ほど前に共通の祖先から分かれたと考えられるため、共通点が多い。しかし、両語がたどった歴史的背景から(とりわけ中世以降)、相違が広がった〔ウィキペディア:ドイツ語〕。北京語の音声系統と同様に、歴史的情勢を考えてみると、北京語の文法構造がの中国系の「方言」と比べて、厳しい変化過程を経て非常に遠ざかっていたと認めざるを得ない〔二十一世紀の漢文-死語の将来、ジャン-ノエル ロベール フランス パリ国立高等研究院 教授〕。
2013年5月17日金曜日
この漢文の返り点の打ち方が・・・。-Goo知恵袋
2012.04.30.MonCategory:漢文
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0974_convert_20120501144713.jpg
(01)
謂(3)##其知(レ)有(2)礼儀(1)也。
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也。
であるため、「結論」自体は、
「返り点 - Yahoo!知恵袋(1237件中、1~10件の、2)」と、変わりません。
そのため、
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也。
に関して、既に納得されている方は、
(02)~(07)は、読まずに、
(08)~(49)を、お読み下さい。
「質問とベストアンサー」を、引用させて貰うと、次の通りです。
(02)
質問者:noname#100659
投稿日時:2005/11/20 01:10
漢文についてお聞きします。
(数字)は、返り点を表します。レ点はカタカナの(レ)で書きます。
漢文の教科書に次のような文章が出てきます。
例文は有名な朝三暮四です。
恐(2)衆狙之不(1+レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。
(読み下しは、衆狙の己に馴れざらんことを恐るるや、先づこれを誑きて曰く・・です。)
これなのですが、打ち方はこれ一通りと決まっていますか?
次のように打つと何がいけないのでしょうか?
同じように読めてしまうような気がするのですが・・。
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。
上の打ち方だと何が問題でしょうか?
同じにはなりませんでしょうか?
なお、これは学校の宿題等ではありませんのでよろしくおねがいします。
(03)
No.1ベストアンサー20pt
回答者:puni2
回答日時:2005/11/20 01:24
不(レ)馴(2)のところが問題になります。
レ点に従えば,「馴→不」と読むことになりますが,一二点に従えば,「馴→恐」とジャンプしなくてはなりません。
返り点にカッコが使えれば,{不(レ)馴}をひとまとめとして(1文字扱いして),
恐(3)衆狙之{不(レ)馴}(2)於己(1)也
などと書いて,{不(レ)馴}から「恐」に返る,などと表せるのですが,残念ながらそういう書き方はしないんですね。
個人的には,カッコを使った改造版返り点なんてのを発明したら面白いし体系的になるとは思いますが…。
現行のルールでは,不(レ)馴のレ点によって「馴」から「不」に返ってしまった時点で,もう「二」の付いた文字ではなくなってしまっているので,そこから「三」に飛ぶことはできないわけです。
然るに、
(04)
「5番目(05/07)の記事」の中で、
謂(3)##其知(レ)有(2)礼儀(1)也。
に関して書いた「言い方」を、
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也。
の場合に置き換えると、
レ点は、 一二点で表せるため、
不(レ)馴=
不(二) 馴(一)⇒ 不(一)馴(二)
馴(二)於己(一)⇒於己(一)馴(二)
であって、それ故、
不の字はレ点で、 馴の次(下)に行け、とされ、
順の字は一二点で、於己の次(下)に行け、とされる。
従って、
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也。
のように「返り点」を打つと、
「不」が、「馴の下」へ行ったら、「馴」は、「於己の下」へ行った、後であった。ことになる。
従って、
(05)
毛利太:
「不」が、「馴の下」へ行ったら、「馴」は、「於己の下」へ行った、後であった。ことになる。
ベストアンサー:
「馴」から「不」に返ってしまった時点で,もう「二」の付いた文字ではなくなってしまっている。
という両者は、ほぼ、同じ意味です。
従って、
(06)
ベストアンサー:
返り点にカッコが使えれば,{不(レ)馴}をひとまとめとして(1文字扱いして),
恐(3)衆狙之{不(レ)馴}(2)於己(1)也
などと書いて,{不(レ)馴}から「恐」に返る,などと表せるのですが,残念ながらそういう書き方はしないんですね。
個人的には,カッコを使った改造版返り点なんてのを発明したら面白いし体系的になるとは思いますが…。
という「言い方」は、
毛利太:
このままでは、「不」が、「馴の下」へ行ったら、「馴」は、「於己の下」へ行った、後であった。
ということになる。ので、
「馴」は、「不」が、「馴の下」へ来るのを待って、「不と一緒に」、「於己の下」へ行く、必要が有る。
という「言い方」で、譬えることが、できます。
然るに、
(07)
恐(3)衆狙之{不(レ)馴}(2)於己(1)也=
恐(3)衆狙之不(2レ)馴(2) 於己(1)也
であるため、その意味では、
恐(3)衆狙之{不(レ)馴}(2)於己(1)也
などと書いて,{不(レ)馴}から「恐」に返る,などと表す必要は、無い。ということに、なります。
(08)
①聞〔啼(樹)〕⇒
②〔(樹)啼〕聞=樹に啼くを聞く。
③A〔B(C)〕⇒
④〔(C)B〕A=・・・・・。
⑤レ〔レ(0)〕⇒
⑥〔(0)レ〕レ=・・・・・。
∴
①聞〔啼(樹)〕⇒
③A〔B(C)〕⇒
⑤レ〔レ(0)〕⇒
∴
聞=A=レ
啼=B=レ
樹=C=0
∴
レ レ 0
∴
レ レ
然るに、
(09)
①聞〔啼(梅樹)〕⇒
②〔(梅樹)啼〕聞=梅樹に啼くを聞く。
③A〔B(CC)〕⇒
④〔(CC)B〕A=・・・・・。
⑤レ〔二(C一)〕⇒
⑥〔(C一)二〕レ=・・・・・。
∴
①聞〔啼(梅樹)〕⇒
③A〔B (CC)〕⇒
⑤レ〔二(C一)〕⇒
∴
聞=A=レ
啼=B=二
樹=C=一
∴
レ 二 一
(10)
①聞〔鳥啼(樹)〕⇒
②〔鳥(樹)啼〕聞=鳥の樹に啼くを聞く。
③A〔BC(D)〕⇒
④〔B(D)C〕A=・・・・・。
⑤二〔B一レ(0)〕⇒
⑥〔B一(0)レ〕二=・・・・・。
∴
①聞〔鳥啼 (樹)〕⇒
③A 〔BC (D)〕⇒
⑤二〔B一レ(0)〕⇒
∴
聞=A=二 =2
啼=C=一レ ≒1
樹=D =0
∴
二 一レ 0=二 一レ
cf.
三 二 一 :option base 1
二 一 0 :option base 0
二 一 0 ≒ 二 一レ:option base 0
(11)
①聞〔鳥啼(梅樹)〕⇒
②〔鳥(梅樹)啼〕聞=梅樹に啼くを聞く。
③A〔BC(DD)〕⇒
④〔B(DD)C〕A=・・・・・。
⑤三〔B二(D一)〕⇒
⑥〔B(D一)二〕三=・・・・・。
∴
①聞〔鳥啼(梅樹)〕⇒
③A 〔BC (DD)〕⇒
⑤三〔B二 (D一)〕⇒
∴
聞=A=三
啼=C=二
樹=D=一
∴
三 二 一
(12)
①聞〔啼(樹)声〕⇒
②〔(樹)啼声〕聞=樹に啼くを声聞く。
③A〔B(C)D〕⇒
④〔(C)BD〕A=・・・・・。
⑤二〔レ(0)一〕⇒
⑥〔(0)レ一〕二・・・・・。
∴
①聞〔啼(樹)声〕⇒
③A 〔B (C) D〕⇒
⑤二〔レ (0) 一〕⇒
∴
聞=A=二
啼=B=レ
樹=0
声=一
∴
二 レ 0 一=二 レ 一
cf.
二 レ 0 一 :option base 0
三 1 0 二 :option base 0
下 2 1 上 :option base 1
(13)
①聞〔啼(梅樹)声〕⇒
②〔(梅樹)啼声〕聞=樹に啼くを声聞く。
③A〔B(CC)D〕⇒
④〔(CC)BD〕A=・・・・・。
⑤下〔二(C一)上〕⇒
⑥〔(C一)二D〕A=・・・・・。
∴
①聞〔啼(梅樹)声〕⇒
③A 〔 B(CC) D〕⇒
⑤下〔二(C一)上〕⇒
∴
聞=A=下
啼=B=二
樹=C=一
声=D=上
∴
下 二 一 上
(14)
①聞〔鳥啼(樹)声〕⇒
②〔鳥(樹)啼声〕聞=鳥の樹に啼くを声聞く。
③A〔BC(D)E〕⇒
④〔B(D)CE〕A=・・・・・。
⑤二〔Bレ(0)一〕⇒
⑥〔B(0)レ一〕二=・・・・・。
∴
①聞〔鳥啼(樹)声〕⇒
③A 〔 BC (D) E 〕⇒
⑤二〔 Bレ (0) 一〕⇒
∴
聞=A=二
啼=C=レ
樹=D=0
声=E=一
∴
二 レ 0 一=二 レ 一
cf.
二 レ 0 一 :option base 0
三 1 0 二 :option base 0
下 2 1 上 :option base 1
(15)
①聞〔鳥啼(梅樹)声〕⇒
②〔鳥(梅樹)啼声〕聞=鳥樹に啼くを声聞く。
③A〔BC(DD)E〕⇒
④〔B(DD)CE〕A=・・・・・。
⑤下〔B二(D一)上〕⇒
⑥〔B(D一)二上〕下=・・・・・。
∴
①聞〔鳥啼(梅樹)声〕⇒
③A 〔B C (DD) E〕⇒
⑤下〔B二 (D一)上〕⇒
∴
聞=A=下
啼=C=二
樹=D=一
声=E=上
∴
下 二 一 上
従って、
(08)~(15)により、
(16)
① 聞〔 啼( 樹) 〕:レ レ 0 =レ レ
② 聞〔 啼(梅樹) 〕:レ 二 一
③ 聞〔鳥啼( 樹) 〕:二 一レ 0 =二 一レ
④ 聞〔鳥啼(梅樹) 〕:三 二 一
⑤ 聞〔 啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑥ 聞〔 啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑦ 聞〔鳥啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑧ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
然るに、
(17)
①我聞〔 啼( 樹) 〕:レ レ 0 =レ レ
②我聞〔 啼(梅樹) 〕:レ 二 一
③我聞〔鳥啼( 樹) 〕:二 一 0 =二 一レ
④我聞〔鳥啼(梅樹) 〕:三 二 一
⑤我聞〔 啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑥我聞〔 啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑦我聞〔鳥啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑧我聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
であるため、「我(主語)」 が加わっても、「返り点」は、変わらない。
∵ 「我」に返る「返り点」は有り得ない。
cf.
⑦ I hear 〔birds singing(in the trees)〕.
⑧ I hear 〔birds singing(in the 梅trees)〕.
然るに、
(18)
⑤ 聞〔 啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑦ 聞〔鳥啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑥ 聞〔 啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑧ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
であるため、「鳥(主語)」 が無くとも、「返り点」は、変わらない。
∵ 「鳥」に返る「返り点」は有り得ない。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
〔( )〕
という「括弧」は、
① 聞〔 啼( 樹) 〕:レ レ 0 =レ レ
② 聞〔 啼(梅樹) 〕:レ 二 一
③ 聞〔鳥啼( 樹) 〕:二 一 0 =二 一レ
④ 聞〔鳥啼(梅樹) 〕:三 二 一
⑤⑦聞〔#啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑥⑧聞〔#啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
∴
①レ レ
②レ 二 一
⑤二 レ 一
③二 一レ
④三 二 一
⑥下 二 一 上
という、6通りの「返り点」に対応する。
然るに、
(20)
① 聞〔 啼( 樹)〕:レ レ 0 =レ レ
② 聞〔 啼(梅樹)〕:レ 二 一
③ 聞〔鳥啼( 樹)〕:二 一レ 0=二 一レ
④ 聞〔鳥啼(梅樹)〕:三 二 一
に関しては、
① 聞〔#啼(#樹)〕:三 二 一
② 聞〔#啼(梅樹)〕:三 二 一
③ 聞〔鳥啼(#樹)〕:三 二 一
④ 聞〔鳥啼(梅樹)〕:三 二 一
書いた上で、#を消すと、
① 聞〔 啼( 樹)〕:三 二 一
② 聞〔 啼(梅樹)〕:三 二 一
③ 聞〔鳥啼( 樹)〕:三 二 一
④ 聞〔鳥啼(梅樹)〕:三 二 一
従って、
(20)により、
(21)
①レ レ 0 =レ レ
②レ 二 一
③二 一 0 =二 一レ
④三 二 一
は、全て、
①三 二 一
②三 二 一
③三 二 一
④三 二 一
で、表すことが、出来る。
(22)
⑤ 聞〔 啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑥ 聞〔 啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑦ 聞〔鳥啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑧ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
に関しては、
⑤ 聞〔#啼(#樹)声〕:下 二 一 上
⑥ 聞〔#啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑦ 聞〔鳥啼(#樹)声〕:下 二 一 上
⑧ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
と書いた上で、#を消すと、
⑤ 聞〔 啼( 樹)声〕:下 二 一 上
⑥ 聞〔 啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑦ 聞〔鳥啼( 樹)声〕:下 二 一 上
⑧ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
従って、
(22)により、
(23)
⑤二 レ 0 一=二 レ 一
⑥下 二 一 上
⑦二 レ 0 一=二 レ 一
⑧下 二 一 上
は、全て、
⑤下 二 一 上
⑥下 二 一 上
⑦下 二 一 上
⑧下 二 一 上
で、表すことが、出来る。
従って、
(24)
〔 ( )〕
であれば、
①三 二 一
で表すことが、出来、
〔 ( )声〕
であれば、
⑤下 二 一 上
で表すことが、出来る。
然るに、
(25)
①レ
②一 二 三 四 五 ・・・・
③上 中 下
④甲 乙 丙 ・・・・
⑤天 地 人
に於いて、「返り点」を「数値」と見做し、
レ=0。
一=1、 二=2、 三=3、四=4、五=5。
上=6、 中=7、 下=8(7)。
甲=9、 乙=10、丙=11。
天=12、地=13、人=14。
であるとする。
(26)
Kは、「返り点の付いた漢文」。
S(K)は「関数」であって、
S(K)=「数値」としての、「返り点の、合計」。
といふ風に、定義する。
然るに、
(20)(22)により、
(27)
① 聞〔 啼( 樹) 〕:レ レ 0 =レ レ
① 聞〔#啼(#樹) 〕:三 二 一
⑤ 聞〔 啼( 樹) 声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑤ 聞〔#啼(#樹)声〕:下 二 一 上
従って、
(27)より、
(28)
#を消すと、
① 聞〔啼(樹)〕 =レ レ
① 聞〔啼(樹)〕 =三 二 一
⑤ 聞〔啼(樹)声〕=二 レ 一
⑤ 聞〔啼(樹)声〕=下 二 一 上
従って、
(25)~(28)により、
(29)
① S(聞〔啼(樹)〕) =0+0=0
① S(聞〔啼(樹)〕) =3+2+1=6
⑤ S(聞〔啼(樹)声〕)=2+0+1=3
⑤ S(聞〔啼(樹)声〕)=7+2+1+6=16
然るに、
(30)
S(K)の値が「複数」有る場合は、値が最も小さいそれに従って、「返り点」を、振らなければならない。と、する。⇒「規則(30)」
従って、
(29)、「規則(30)」により、
(31)
① S(聞〔啼(樹)〕) =3+2+1=6
⑤ S(聞〔啼(樹)声〕)=7+2+1+6=16
よりも、「値が小さい」、
① S(聞〔啼(樹)〕) =0+0=0
⑤ S(聞〔啼(樹)声〕)=2+0+1=3
に対応する「返り点」が、選ばれる、ことになる。
従って、
(32)
(28)(31)により、
① 聞〔啼(樹)〕 =三 二 一
⑤ 聞〔啼(樹)声〕=下 二 一 上
という「返り点」ではなく、
① 聞〔啼(樹)〕 =レ レ
⑤ 聞〔啼(樹)声〕=二 レ 一
という「返り点」が、選ばれる、ことになる。
然るに、
(33)
①恐[衆狙之不〔馴(於己)〕]⇒
②[衆狙之〔(於己)馴〕不]恐=衆狙の己に馴れ不るを恐る。
③A[BBBC〔D(EE)〕]⇒
④[BBB〔(EE)D〕C]A=・・・・・。
⑤四[BBB三〔二(E一)〕]⇒
⑥[BBB〔(E一)二〕三]四=・・・・・。
∴
①恐[衆狙之不〔馴(於己)〕]⇒
③A [B B B C 〔D (E E)〕]⇒
⑤四[B B B 三〔二(E一)〕]⇒
∴
恐=A=四
不=C=三
馴=D=二
己=E=一
∴
四 三 二 一
然るに、
(34)
S(四 三 二 一)=4+3+ 2+1=10
S(二 一レ 二 一)=2+1+0+2+1= 6
にあって、 6<10.
従って、
(35)
「規則(30)」(33)(34)により、
①恐[衆狙之不〔馴(於己)〕]
の「返り点」は、
二 一レ 二 一
であって、
四 三 二 一
ではない。
然るに、
(36)
二 一レ 二 一
は、「分かりにくく」、だからこそ、
質問者:noname#100659
投稿日時:2005/11/20 01:10
漢文についてお聞きします。
(数字)は、返り点を表します。レ点はカタカナの(レ)で書きます。
漢文の教科書に次のような文章が出てきます。
例文は有名な朝三暮四です。
ということになる。ものの、それでもなお、「規則(30)」には、従っている。
然るに、
(37)
①非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也⇒
②[〔(誉於郷党朋友)要〕所‐以]非也=誉れを郷党朋友に要める所以に非ざる也。
③A[BBB〔C(DEEEE)〕]E⇒
④[〔(DEEEE)C〕BBB]AE=・・・・・。
⑤四[B三B〔二(DEEEE一)〕]E⇒
⑥[〔(DEEEE一)二〕B三B]四E=・・・・・。
∴
①非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也⇒
③A[B B B〔C (D E E E E E)〕]E⇒
⑤四[B三B〔二(D E E E E 一)〕]E⇒
∴
非=A=四
-=B=三
要=C=二
友=E=一
∴
四 三 二 一
然るに、
(38)
①非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也⇒
③A [BBB 〔C (D E E E E E )〕]E⇒
⑤レ[0三B 〔二(D E E E E 一)〕]E⇒
∴
非=A=レ
所=B=0
-=B=三
要=C=二
友=E=一
∴
レ 0 三 二 一
∴
レ 三 二 一
従って、
(37)(38)により、
(39)
①非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也
の「返り点」は、
四 三 二 一
レ 三 二 一
による、二通りが、可能である。
然るに、
(40)
S(四 三 二 一)=4+3+2+1=10
S(レ 三 二 一)=0+3+2+1= 6
であって、 6<10.
従って、
(37)~(40)、「規則(30)」により、
(41)
①非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也
の「返り点」は、
レ 三 二 一
であるべきであるが、
「現行のルール」では、「規則(30)」は、適用されず、
四 三 二 一
が、「正しい」。
(42)
「再読文字」を含むため、
①未嘗不嘆息痛恨於桓霊也=
①未不嘗不嘆息痛恨於桓霊也
とする。
従って、
(43)
①未不[嘗不〔嘆息痛恨(於桓霊)〕]也⇒
②未[嘗〔(於桓霊)嘆息痛恨〕不]不也=未だ嘗て桓霊に嘆息痛恨せ不んば不ざる也。
③AB[CD〔EEEE(FFF)〕]G⇒
④A[C〔(FFF)EEEE〕D]BG=・・・・・。
⑤A四[C三〔E二EE(FF一)〕]G⇒
⑥A[C〔(FF一)E二EEE〕三]四G=・・・・・。
∴
①未不[嘗不〔嘆息痛恨(於桓霊)〕]也⇒
③AB [C D 〔E E E E (F F F)〕]G⇒
⑤A四 [C 三〔E 二 E E (F F 一)〕]G⇒
∴
未=B=四=不 は、再読文字。
不=D=三
-=E=二
霊=F=一
∴
四 三 二 一
然るに、
(44)
①未不[嘗不〔嘆‐息‐痛‐恨(於桓霊)〕]也
の「返り点」は、「現行のルール」では、
①未不[嘗不〔嘆‐息‐痛‐恨(於桓霊)〕]也
③AB [C D 〔EEE E EEE(FFF )〕]G
⑤A五[C 四〔E二EEE三E(FF一)〕]G
であるため、「現行のルール」では、
五 四 二 三 一
が「正しい」。
然るに、
(45)
「規則(30)」に従えば、
五 四 二 三 一
ではなく、
四 三 二 一
が「正しい」。
従って、
(35)(41)(45)により、
(46)
①恐[衆狙之不〔馴(於己)〕]
②非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也
③未[嘗不〔嘆‐息‐痛‐恨(於桓霊)〕]也
の「返り点」は、「規則(30)」によれば、
①二 一レ 二 一
②レ 三 二 一
③四 三 二 一
であるものの、「現行のルール」では、
①二 一レ 二 一
②四 三 二 一
③五 四 二 三 一
が、「正しい」。
従って、
(47)
①二 一レ 二 一
という「返り点」は、
「規則(30)」としても、
「現行のルール」としても、正しい。ものの、その一方で、
この漢文の返り点の打ち方がよくわからない。-Goo知恵袋
次のように打つと何がいけないのでしょうか?
同じように読めてしまうような気がするのですが・・。
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。
上の打ち方だと何が問題でしょうか?
同じにはなりませんでしょうか?
という風に、彼が、言っているように、
①二 一レ 二 一
という「返り点」は、「分かりにくい」。
然るに、
(48)
ちなみに、「返り点」ではなく、「漢字の筆順」に関しては、
但し、文字によっては、二通りあるいは三通りの筆順が行われてきているもののある。そのいずれもが伝統的で能率的であり、文字認識上にも有意差がないというものであれば、一方が正しく、他方が誤りだとするわけにいかないであろう(久米公編著、学習指導要領準拠、漢字指導の手引 第五版、1988年、28頁)。
との、ことである。
従って、
(49)
私としては、
①二 一レ 二 一
②四 三 二 一
による、両方が、正しい。とされることを、望みたい。
平成25年5月17日
(50)「返り点」に関して、何か、無いでせうか。「返り点」については、ネタ切れしさうです。
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0974_convert_20120501144713.jpg
(01)
謂(3)##其知(レ)有(2)礼儀(1)也。
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也。
であるため、「結論」自体は、
「返り点 - Yahoo!知恵袋(1237件中、1~10件の、2)」と、変わりません。
そのため、
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也。
に関して、既に納得されている方は、
(02)~(07)は、読まずに、
(08)~(49)を、お読み下さい。
「質問とベストアンサー」を、引用させて貰うと、次の通りです。
(02)
質問者:noname#100659
投稿日時:2005/11/20 01:10
漢文についてお聞きします。
(数字)は、返り点を表します。レ点はカタカナの(レ)で書きます。
漢文の教科書に次のような文章が出てきます。
例文は有名な朝三暮四です。
恐(2)衆狙之不(1+レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。
(読み下しは、衆狙の己に馴れざらんことを恐るるや、先づこれを誑きて曰く・・です。)
これなのですが、打ち方はこれ一通りと決まっていますか?
次のように打つと何がいけないのでしょうか?
同じように読めてしまうような気がするのですが・・。
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。
上の打ち方だと何が問題でしょうか?
同じにはなりませんでしょうか?
なお、これは学校の宿題等ではありませんのでよろしくおねがいします。
(03)
No.1ベストアンサー20pt
回答者:puni2
回答日時:2005/11/20 01:24
不(レ)馴(2)のところが問題になります。
レ点に従えば,「馴→不」と読むことになりますが,一二点に従えば,「馴→恐」とジャンプしなくてはなりません。
返り点にカッコが使えれば,{不(レ)馴}をひとまとめとして(1文字扱いして),
恐(3)衆狙之{不(レ)馴}(2)於己(1)也
などと書いて,{不(レ)馴}から「恐」に返る,などと表せるのですが,残念ながらそういう書き方はしないんですね。
個人的には,カッコを使った改造版返り点なんてのを発明したら面白いし体系的になるとは思いますが…。
現行のルールでは,不(レ)馴のレ点によって「馴」から「不」に返ってしまった時点で,もう「二」の付いた文字ではなくなってしまっているので,そこから「三」に飛ぶことはできないわけです。
然るに、
(04)
「5番目(05/07)の記事」の中で、
謂(3)##其知(レ)有(2)礼儀(1)也。
に関して書いた「言い方」を、
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也。
の場合に置き換えると、
レ点は、 一二点で表せるため、
不(レ)馴=
不(二) 馴(一)⇒ 不(一)馴(二)
馴(二)於己(一)⇒於己(一)馴(二)
であって、それ故、
不の字はレ点で、 馴の次(下)に行け、とされ、
順の字は一二点で、於己の次(下)に行け、とされる。
従って、
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也。
のように「返り点」を打つと、
「不」が、「馴の下」へ行ったら、「馴」は、「於己の下」へ行った、後であった。ことになる。
従って、
(05)
毛利太:
「不」が、「馴の下」へ行ったら、「馴」は、「於己の下」へ行った、後であった。ことになる。
ベストアンサー:
「馴」から「不」に返ってしまった時点で,もう「二」の付いた文字ではなくなってしまっている。
という両者は、ほぼ、同じ意味です。
従って、
(06)
ベストアンサー:
返り点にカッコが使えれば,{不(レ)馴}をひとまとめとして(1文字扱いして),
恐(3)衆狙之{不(レ)馴}(2)於己(1)也
などと書いて,{不(レ)馴}から「恐」に返る,などと表せるのですが,残念ながらそういう書き方はしないんですね。
個人的には,カッコを使った改造版返り点なんてのを発明したら面白いし体系的になるとは思いますが…。
という「言い方」は、
毛利太:
このままでは、「不」が、「馴の下」へ行ったら、「馴」は、「於己の下」へ行った、後であった。
ということになる。ので、
「馴」は、「不」が、「馴の下」へ来るのを待って、「不と一緒に」、「於己の下」へ行く、必要が有る。
という「言い方」で、譬えることが、できます。
然るに、
(07)
恐(3)衆狙之{不(レ)馴}(2)於己(1)也=
恐(3)衆狙之不(2レ)馴(2) 於己(1)也
であるため、その意味では、
恐(3)衆狙之{不(レ)馴}(2)於己(1)也
などと書いて,{不(レ)馴}から「恐」に返る,などと表す必要は、無い。ということに、なります。
(08)
①聞〔啼(樹)〕⇒
②〔(樹)啼〕聞=樹に啼くを聞く。
③A〔B(C)〕⇒
④〔(C)B〕A=・・・・・。
⑤レ〔レ(0)〕⇒
⑥〔(0)レ〕レ=・・・・・。
∴
①聞〔啼(樹)〕⇒
③A〔B(C)〕⇒
⑤レ〔レ(0)〕⇒
∴
聞=A=レ
啼=B=レ
樹=C=0
∴
レ レ 0
∴
レ レ
然るに、
(09)
①聞〔啼(梅樹)〕⇒
②〔(梅樹)啼〕聞=梅樹に啼くを聞く。
③A〔B(CC)〕⇒
④〔(CC)B〕A=・・・・・。
⑤レ〔二(C一)〕⇒
⑥〔(C一)二〕レ=・・・・・。
∴
①聞〔啼(梅樹)〕⇒
③A〔B (CC)〕⇒
⑤レ〔二(C一)〕⇒
∴
聞=A=レ
啼=B=二
樹=C=一
∴
レ 二 一
(10)
①聞〔鳥啼(樹)〕⇒
②〔鳥(樹)啼〕聞=鳥の樹に啼くを聞く。
③A〔BC(D)〕⇒
④〔B(D)C〕A=・・・・・。
⑤二〔B一レ(0)〕⇒
⑥〔B一(0)レ〕二=・・・・・。
∴
①聞〔鳥啼 (樹)〕⇒
③A 〔BC (D)〕⇒
⑤二〔B一レ(0)〕⇒
∴
聞=A=二 =2
啼=C=一レ ≒1
樹=D =0
∴
二 一レ 0=二 一レ
cf.
三 二 一 :option base 1
二 一 0 :option base 0
二 一 0 ≒ 二 一レ:option base 0
(11)
①聞〔鳥啼(梅樹)〕⇒
②〔鳥(梅樹)啼〕聞=梅樹に啼くを聞く。
③A〔BC(DD)〕⇒
④〔B(DD)C〕A=・・・・・。
⑤三〔B二(D一)〕⇒
⑥〔B(D一)二〕三=・・・・・。
∴
①聞〔鳥啼(梅樹)〕⇒
③A 〔BC (DD)〕⇒
⑤三〔B二 (D一)〕⇒
∴
聞=A=三
啼=C=二
樹=D=一
∴
三 二 一
(12)
①聞〔啼(樹)声〕⇒
②〔(樹)啼声〕聞=樹に啼くを声聞く。
③A〔B(C)D〕⇒
④〔(C)BD〕A=・・・・・。
⑤二〔レ(0)一〕⇒
⑥〔(0)レ一〕二・・・・・。
∴
①聞〔啼(樹)声〕⇒
③A 〔B (C) D〕⇒
⑤二〔レ (0) 一〕⇒
∴
聞=A=二
啼=B=レ
樹=0
声=一
∴
二 レ 0 一=二 レ 一
cf.
二 レ 0 一 :option base 0
三 1 0 二 :option base 0
下 2 1 上 :option base 1
(13)
①聞〔啼(梅樹)声〕⇒
②〔(梅樹)啼声〕聞=樹に啼くを声聞く。
③A〔B(CC)D〕⇒
④〔(CC)BD〕A=・・・・・。
⑤下〔二(C一)上〕⇒
⑥〔(C一)二D〕A=・・・・・。
∴
①聞〔啼(梅樹)声〕⇒
③A 〔 B(CC) D〕⇒
⑤下〔二(C一)上〕⇒
∴
聞=A=下
啼=B=二
樹=C=一
声=D=上
∴
下 二 一 上
(14)
①聞〔鳥啼(樹)声〕⇒
②〔鳥(樹)啼声〕聞=鳥の樹に啼くを声聞く。
③A〔BC(D)E〕⇒
④〔B(D)CE〕A=・・・・・。
⑤二〔Bレ(0)一〕⇒
⑥〔B(0)レ一〕二=・・・・・。
∴
①聞〔鳥啼(樹)声〕⇒
③A 〔 BC (D) E 〕⇒
⑤二〔 Bレ (0) 一〕⇒
∴
聞=A=二
啼=C=レ
樹=D=0
声=E=一
∴
二 レ 0 一=二 レ 一
cf.
二 レ 0 一 :option base 0
三 1 0 二 :option base 0
下 2 1 上 :option base 1
(15)
①聞〔鳥啼(梅樹)声〕⇒
②〔鳥(梅樹)啼声〕聞=鳥樹に啼くを声聞く。
③A〔BC(DD)E〕⇒
④〔B(DD)CE〕A=・・・・・。
⑤下〔B二(D一)上〕⇒
⑥〔B(D一)二上〕下=・・・・・。
∴
①聞〔鳥啼(梅樹)声〕⇒
③A 〔B C (DD) E〕⇒
⑤下〔B二 (D一)上〕⇒
∴
聞=A=下
啼=C=二
樹=D=一
声=E=上
∴
下 二 一 上
従って、
(08)~(15)により、
(16)
① 聞〔 啼( 樹) 〕:レ レ 0 =レ レ
② 聞〔 啼(梅樹) 〕:レ 二 一
③ 聞〔鳥啼( 樹) 〕:二 一レ 0 =二 一レ
④ 聞〔鳥啼(梅樹) 〕:三 二 一
⑤ 聞〔 啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑥ 聞〔 啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑦ 聞〔鳥啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑧ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
然るに、
(17)
①我聞〔 啼( 樹) 〕:レ レ 0 =レ レ
②我聞〔 啼(梅樹) 〕:レ 二 一
③我聞〔鳥啼( 樹) 〕:二 一 0 =二 一レ
④我聞〔鳥啼(梅樹) 〕:三 二 一
⑤我聞〔 啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑥我聞〔 啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑦我聞〔鳥啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑧我聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
であるため、「我(主語)」 が加わっても、「返り点」は、変わらない。
∵ 「我」に返る「返り点」は有り得ない。
cf.
⑦ I hear 〔birds singing(in the trees)〕.
⑧ I hear 〔birds singing(in the 梅trees)〕.
然るに、
(18)
⑤ 聞〔 啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑦ 聞〔鳥啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑥ 聞〔 啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑧ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
であるため、「鳥(主語)」 が無くとも、「返り点」は、変わらない。
∵ 「鳥」に返る「返り点」は有り得ない。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
〔( )〕
という「括弧」は、
① 聞〔 啼( 樹) 〕:レ レ 0 =レ レ
② 聞〔 啼(梅樹) 〕:レ 二 一
③ 聞〔鳥啼( 樹) 〕:二 一 0 =二 一レ
④ 聞〔鳥啼(梅樹) 〕:三 二 一
⑤⑦聞〔#啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑥⑧聞〔#啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
∴
①レ レ
②レ 二 一
⑤二 レ 一
③二 一レ
④三 二 一
⑥下 二 一 上
という、6通りの「返り点」に対応する。
然るに、
(20)
① 聞〔 啼( 樹)〕:レ レ 0 =レ レ
② 聞〔 啼(梅樹)〕:レ 二 一
③ 聞〔鳥啼( 樹)〕:二 一レ 0=二 一レ
④ 聞〔鳥啼(梅樹)〕:三 二 一
に関しては、
① 聞〔#啼(#樹)〕:三 二 一
② 聞〔#啼(梅樹)〕:三 二 一
③ 聞〔鳥啼(#樹)〕:三 二 一
④ 聞〔鳥啼(梅樹)〕:三 二 一
書いた上で、#を消すと、
① 聞〔 啼( 樹)〕:三 二 一
② 聞〔 啼(梅樹)〕:三 二 一
③ 聞〔鳥啼( 樹)〕:三 二 一
④ 聞〔鳥啼(梅樹)〕:三 二 一
従って、
(20)により、
(21)
①レ レ 0 =レ レ
②レ 二 一
③二 一 0 =二 一レ
④三 二 一
は、全て、
①三 二 一
②三 二 一
③三 二 一
④三 二 一
で、表すことが、出来る。
(22)
⑤ 聞〔 啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑥ 聞〔 啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑦ 聞〔鳥啼( 樹)声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑧ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
に関しては、
⑤ 聞〔#啼(#樹)声〕:下 二 一 上
⑥ 聞〔#啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑦ 聞〔鳥啼(#樹)声〕:下 二 一 上
⑧ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
と書いた上で、#を消すと、
⑤ 聞〔 啼( 樹)声〕:下 二 一 上
⑥ 聞〔 啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
⑦ 聞〔鳥啼( 樹)声〕:下 二 一 上
⑧ 聞〔鳥啼(梅樹)声〕:下 二 一 上
従って、
(22)により、
(23)
⑤二 レ 0 一=二 レ 一
⑥下 二 一 上
⑦二 レ 0 一=二 レ 一
⑧下 二 一 上
は、全て、
⑤下 二 一 上
⑥下 二 一 上
⑦下 二 一 上
⑧下 二 一 上
で、表すことが、出来る。
従って、
(24)
〔 ( )〕
であれば、
①三 二 一
で表すことが、出来、
〔 ( )声〕
であれば、
⑤下 二 一 上
で表すことが、出来る。
然るに、
(25)
①レ
②一 二 三 四 五 ・・・・
③上 中 下
④甲 乙 丙 ・・・・
⑤天 地 人
に於いて、「返り点」を「数値」と見做し、
レ=0。
一=1、 二=2、 三=3、四=4、五=5。
上=6、 中=7、 下=8(7)。
甲=9、 乙=10、丙=11。
天=12、地=13、人=14。
であるとする。
(26)
Kは、「返り点の付いた漢文」。
S(K)は「関数」であって、
S(K)=「数値」としての、「返り点の、合計」。
といふ風に、定義する。
然るに、
(20)(22)により、
(27)
① 聞〔 啼( 樹) 〕:レ レ 0 =レ レ
① 聞〔#啼(#樹) 〕:三 二 一
⑤ 聞〔 啼( 樹) 声〕:二 レ 0 一=二 レ 一
⑤ 聞〔#啼(#樹)声〕:下 二 一 上
従って、
(27)より、
(28)
#を消すと、
① 聞〔啼(樹)〕 =レ レ
① 聞〔啼(樹)〕 =三 二 一
⑤ 聞〔啼(樹)声〕=二 レ 一
⑤ 聞〔啼(樹)声〕=下 二 一 上
従って、
(25)~(28)により、
(29)
① S(聞〔啼(樹)〕) =0+0=0
① S(聞〔啼(樹)〕) =3+2+1=6
⑤ S(聞〔啼(樹)声〕)=2+0+1=3
⑤ S(聞〔啼(樹)声〕)=7+2+1+6=16
然るに、
(30)
S(K)の値が「複数」有る場合は、値が最も小さいそれに従って、「返り点」を、振らなければならない。と、する。⇒「規則(30)」
従って、
(29)、「規則(30)」により、
(31)
① S(聞〔啼(樹)〕) =3+2+1=6
⑤ S(聞〔啼(樹)声〕)=7+2+1+6=16
よりも、「値が小さい」、
① S(聞〔啼(樹)〕) =0+0=0
⑤ S(聞〔啼(樹)声〕)=2+0+1=3
に対応する「返り点」が、選ばれる、ことになる。
従って、
(32)
(28)(31)により、
① 聞〔啼(樹)〕 =三 二 一
⑤ 聞〔啼(樹)声〕=下 二 一 上
という「返り点」ではなく、
① 聞〔啼(樹)〕 =レ レ
⑤ 聞〔啼(樹)声〕=二 レ 一
という「返り点」が、選ばれる、ことになる。
然るに、
(33)
①恐[衆狙之不〔馴(於己)〕]⇒
②[衆狙之〔(於己)馴〕不]恐=衆狙の己に馴れ不るを恐る。
③A[BBBC〔D(EE)〕]⇒
④[BBB〔(EE)D〕C]A=・・・・・。
⑤四[BBB三〔二(E一)〕]⇒
⑥[BBB〔(E一)二〕三]四=・・・・・。
∴
①恐[衆狙之不〔馴(於己)〕]⇒
③A [B B B C 〔D (E E)〕]⇒
⑤四[B B B 三〔二(E一)〕]⇒
∴
恐=A=四
不=C=三
馴=D=二
己=E=一
∴
四 三 二 一
然るに、
(34)
S(四 三 二 一)=4+3+ 2+1=10
S(二 一レ 二 一)=2+1+0+2+1= 6
にあって、 6<10.
従って、
(35)
「規則(30)」(33)(34)により、
①恐[衆狙之不〔馴(於己)〕]
の「返り点」は、
二 一レ 二 一
であって、
四 三 二 一
ではない。
然るに、
(36)
二 一レ 二 一
は、「分かりにくく」、だからこそ、
質問者:noname#100659
投稿日時:2005/11/20 01:10
漢文についてお聞きします。
(数字)は、返り点を表します。レ点はカタカナの(レ)で書きます。
漢文の教科書に次のような文章が出てきます。
例文は有名な朝三暮四です。
ということになる。ものの、それでもなお、「規則(30)」には、従っている。
然るに、
(37)
①非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也⇒
②[〔(誉於郷党朋友)要〕所‐以]非也=誉れを郷党朋友に要める所以に非ざる也。
③A[BBB〔C(DEEEE)〕]E⇒
④[〔(DEEEE)C〕BBB]AE=・・・・・。
⑤四[B三B〔二(DEEEE一)〕]E⇒
⑥[〔(DEEEE一)二〕B三B]四E=・・・・・。
∴
①非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也⇒
③A[B B B〔C (D E E E E E)〕]E⇒
⑤四[B三B〔二(D E E E E 一)〕]E⇒
∴
非=A=四
-=B=三
要=C=二
友=E=一
∴
四 三 二 一
然るに、
(38)
①非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也⇒
③A [BBB 〔C (D E E E E E )〕]E⇒
⑤レ[0三B 〔二(D E E E E 一)〕]E⇒
∴
非=A=レ
所=B=0
-=B=三
要=C=二
友=E=一
∴
レ 0 三 二 一
∴
レ 三 二 一
従って、
(37)(38)により、
(39)
①非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也
の「返り点」は、
四 三 二 一
レ 三 二 一
による、二通りが、可能である。
然るに、
(40)
S(四 三 二 一)=4+3+2+1=10
S(レ 三 二 一)=0+3+2+1= 6
であって、 6<10.
従って、
(37)~(40)、「規則(30)」により、
(41)
①非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也
の「返り点」は、
レ 三 二 一
であるべきであるが、
「現行のルール」では、「規則(30)」は、適用されず、
四 三 二 一
が、「正しい」。
(42)
「再読文字」を含むため、
①未嘗不嘆息痛恨於桓霊也=
①未不嘗不嘆息痛恨於桓霊也
とする。
従って、
(43)
①未不[嘗不〔嘆息痛恨(於桓霊)〕]也⇒
②未[嘗〔(於桓霊)嘆息痛恨〕不]不也=未だ嘗て桓霊に嘆息痛恨せ不んば不ざる也。
③AB[CD〔EEEE(FFF)〕]G⇒
④A[C〔(FFF)EEEE〕D]BG=・・・・・。
⑤A四[C三〔E二EE(FF一)〕]G⇒
⑥A[C〔(FF一)E二EEE〕三]四G=・・・・・。
∴
①未不[嘗不〔嘆息痛恨(於桓霊)〕]也⇒
③AB [C D 〔E E E E (F F F)〕]G⇒
⑤A四 [C 三〔E 二 E E (F F 一)〕]G⇒
∴
未=B=四=不 は、再読文字。
不=D=三
-=E=二
霊=F=一
∴
四 三 二 一
然るに、
(44)
①未不[嘗不〔嘆‐息‐痛‐恨(於桓霊)〕]也
の「返り点」は、「現行のルール」では、
①未不[嘗不〔嘆‐息‐痛‐恨(於桓霊)〕]也
③AB [C D 〔EEE E EEE(FFF )〕]G
⑤A五[C 四〔E二EEE三E(FF一)〕]G
であるため、「現行のルール」では、
五 四 二 三 一
が「正しい」。
然るに、
(45)
「規則(30)」に従えば、
五 四 二 三 一
ではなく、
四 三 二 一
が「正しい」。
従って、
(35)(41)(45)により、
(46)
①恐[衆狙之不〔馴(於己)〕]
②非[所‐以〔要(誉於郷党朋友)〕]也
③未[嘗不〔嘆‐息‐痛‐恨(於桓霊)〕]也
の「返り点」は、「規則(30)」によれば、
①二 一レ 二 一
②レ 三 二 一
③四 三 二 一
であるものの、「現行のルール」では、
①二 一レ 二 一
②四 三 二 一
③五 四 二 三 一
が、「正しい」。
従って、
(47)
①二 一レ 二 一
という「返り点」は、
「規則(30)」としても、
「現行のルール」としても、正しい。ものの、その一方で、
この漢文の返り点の打ち方がよくわからない。-Goo知恵袋
次のように打つと何がいけないのでしょうか?
同じように読めてしまうような気がするのですが・・。
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。
上の打ち方だと何が問題でしょうか?
同じにはなりませんでしょうか?
という風に、彼が、言っているように、
①二 一レ 二 一
という「返り点」は、「分かりにくい」。
然るに、
(48)
ちなみに、「返り点」ではなく、「漢字の筆順」に関しては、
但し、文字によっては、二通りあるいは三通りの筆順が行われてきているもののある。そのいずれもが伝統的で能率的であり、文字認識上にも有意差がないというものであれば、一方が正しく、他方が誤りだとするわけにいかないであろう(久米公編著、学習指導要領準拠、漢字指導の手引 第五版、1988年、28頁)。
との、ことである。
従って、
(49)
私としては、
①二 一レ 二 一
②四 三 二 一
による、両方が、正しい。とされることを、望みたい。
平成25年5月17日
(50)「返り点」に関して、何か、無いでせうか。「返り点」については、ネタ切れしさうです。
2013年5月15日水曜日
2012.04.30.MonCategory:漢文・音読
この漢文の返り点の打ち方がよくわからない。-Goo知恵袋
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0974_convert_20120501144713.jpg
(01)~(44):取りあえず、省略。
(01)~(44)は、次の「記事」として、書き換える、予定です。
― 話は、変はります。―
(45)
I=20:
私によって、BASICで書かれたプログラムが在って、例えば、
悪称人之悪者
(といふDATA)を表示したまま、アイドリング(無限ループ)を続けます。
cf.
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0991.jpg
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0994.jpg
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0999.jpg
この時、「訓読」が、
悪・称人・之・悪者=いづくんぞ、人を称する之れ悪は。
である筈がありません。
一方、
悪称・人之悪・者 =
悪称(人之悪)者
といふ形は、
悪称(人之悪)者=人の悪を称する者を悪む。
といふ「正解」を、予測させ、
果たして(、例へば、スペースkeyを押すと、正解が示されて、その「正解(訓読)」は) 、
人の悪を称する者を悪む。
従って、
悪称人之悪者
とい六文字のセットは、
(人之悪)
といふ、サブセットと、
〔称(人之悪)者〕
といふ、サブセットを、Imply(含む・暗示)する。
― 補足(2013/05/16) ―
①悪称人之悪者
という「白文(漢文)」が、
①悪称(人之悪)者
という風に、見えたからこそ、
①悪〔称(人之悪)者〕
という風に見え、その結果として、
①悪〔称(人之悪)者〕⇒
②〔(人之悪)称者〕悪=人の悪を称する者を悪む。
という風に読めた、ことになる。
∴
①悪称(人)之悪者 ⇒
②悪(人)称之悪者=悪くんぞ、人を称する、これ、悪は。
という「訓読」が、可能であるならば、
①悪〔称(人之悪)者〕
という風には、見えなかった、ことになる。
然るに、
「漢字の音」自体は、両方とも、
①悪 称(人)之悪者 =ヲショウジンシアクシャ 。
①悪〔称(人之悪)者〕=ヲショウジンシアクシャ 。
で、変わりが無い。
∴
①悪称人之悪者 =ヲショウジンシアクシャ 。
という「漢字音」が、
②悪称人之悪者 =人の悪を称する者を悪む。
であることを、教えている、わけではない。
従って、
(46)
その「プログラム」、即ち、
1035 KEY 6,”SAVE”+CHR$(34)+”1:B2KBHB”+CHR(34)+CHR$(13)
に於ける「プログラム」、即ち、「B2KBHB」といふ「プログラム」のDATAとして、
1720 DATA ①悪称人之悪者
1725 DATA ②人の悪を称する者を悪む
といふDATAが、在った。ことになる。
cf.
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF1010.jpg
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF1008.jpg
然るに、
(47)
戦前の入試で、復文(書き下し文から原漢文に復元する作業)ということがあったらしいが、今日から見れば、よくいえば高級な、悪くいえばナンセンスなことをしていたものである(二畳庵主人、漢文文法基礎、1984年、84頁)。
従って、
(48)
「復文」とは、要するに、「和文漢訳」、即ち、「英作文」ならぬ、「漢作文」である。
然るに、
(49)
1720 DATA ①悪称人之悪者
1725 DATA ②人の悪を称する者を悪む
の「発音」は、
1720 DATA ①ヲショウジンシアクシャ
1725 DATA ②ヒトノアクヲショスルモノヲ二クム
従って、
(50)
②人の悪を称する者を悪む
を、「口頭」で、「復文」しようとすると、
①ヲショウジンシアクシャ
と、「発音」することになる。
然るに、
(51)
①悪称人之悪者
を、「訓読」する場合は、
②ヒトノアクヲショスウルモノヲ二クム
と、「発音」することになる。
従って、
(52)
(50)(51)により、
②人の悪を称する者を悪む=①ヲショウジンシアクシャ
と「発音」し、
①悪称人之悪者=②ヒトノアクヲショスルモノヲ二クム
と、「発音」することになる。
然るに、
(53)
徂徠は、言語を歴史的に変わるものとして考え、経典に即した文辞の用法を把握することで、経典の背後にある、それが書かれた当時の事実をつかみだそう、として古文辞学というものをとなえた。その立場から、漢文の音読を主張し、中国音、当時のいわゆる「唐音」を学で、漢学の内部に革新の波をおこしたのであった(安藤彦太郎、中国語と日本近代、1988年、64頁)。
従って、
(54)
「唐音」は、どんな音かは判らないものの、假りに、
①ヲショウジンシアクシャ=①アクシヤウニンシアクシヤウ
の右辺を、「唐音」とするならば、
ブロガーは、
②人の悪を称する者を悪む=①ヲショウジンシアクシャ
①悪称人之悪者 =②ヒトノアクヲショスルモノヲ二クム
と「発音」し、
荻生徂徠は、
②人の悪を称する者を悪む=②ヒトノアクヲショスルモノヲ二クム
①悪称人之悪者 =①アクシヤウニンシアクシヤウ
と「発音」したことになる。
従って、
(55)
私と、荻生徂徠は、アベコベであるものの、何故そうなのかと言へば、今も述べた通り、
私のそれは、
②人の悪を称する者を悪む=①ヲショウジンシアクシャ
といふ「復文」であって、
荻生徂徠のそれは、
①悪称人之悪者 =①アクシヤウニンシアクシヤウ
といふ『中国音、当時のいわゆる「唐音」の、音読』であるからである。
従って、
(56)
例へば、
②世に伯楽有り、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間駢死して、千里を以て称せられざるなり。
であれば、
①セイユウハクラク、ゼンコウユウセンリバ、センリバジョウユウ、ジハクラクフツジョウユウ、コスイユウメイバ、ギジョクオドレイジンシシュ、ベンシオソウレキシカン、フツイセンリショヤ。
といふ風に、「音読」出来るのは、そのやうな、「復文」の結果に、他ならないし、
(57)
①世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱於隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
といふ風に、「暗唱」出来るのも、
②世に伯楽有り、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間駢死して、千里を以て称せられざるなり。
といふ「訓読」を、思ひ出してゐる。からである。と言ふことになる。
従って、
(58)
要するに、私は、例えば、
①世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱於隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
といふ「白文」を、「訓読」出来るし、「暗唱」も、出来るものの、
その一方で、
(59)
皆さんが、本書を手に入れるとすぐにする質問は「先生、公式は全部暗記するんですか?」でしょう 。私は即座に答えます。「必要なし。読んで解釈できればそれでよろしい」と(多久の漢文公式110)。
とのことである。
従って、
(60)
受験勉強として漢文を学んでゐる、普通の高校生は、尚のこと、
セイユウハクラク、ゼンコウユウセンリバ、センリバジョウユウ、ジハクラクフツジョウユウ、コスイユウメイバ、ギジョクオドレイジンシシュ、ベンシオソウレキシカン、フツイセンリショウヤ(多久の漢文公式110、20頁)。
を、暗記する必要は、無いことになる。
但し、
(61)
例えば、「多久の漢文公式110」ならば、その、「公式110」に在る、
②世に伯楽有り、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬 有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間駢死して、千里を以て称せられざるなり。
といふ「訓読」を、
セイユウハクラク、ゼンコウユウセンリバ、センリバジョウユウ、ジハクラクフツジョウユウ、コスイユウメイバ、ギジョクオドレイジンシシュ、ベンシオソウレキシカン、フツイセンリショウヤ
といふ風に、「声」を出しながら、
①世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱於隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
といふ風に、「漢字」を、並び変へてゐるならば、しばらくすれば、
セイユウハクラク、ゼンコウユウセンリバ、センリバジョウユウ、ジハクラクフツジョウユウ、コスイユウメイバ、ギジョクオドレイジンシシュ、ベンシオソウレキシカン、フツイセンリショウヤ
といふ風に、大抵の日本人は、「暗唱」できる。のではないでせうか。といふ風に、思はれます。
従って、
(62)
いづれにせよ、
その「プログラム」、即ち、
1035 KEY 6,”SAVE”+CHR$(34)+”1:B2KBHB”+CHR(34)+CHR$(13)
に於ける「プログラム」、即ち、「B2KBHB」といふ「プログラム」のDATAとして、
1720 DATA ①悪称人之悪者
1725 DATA ②人の悪を称する者を悪む
といふDATAが、在った。が故に、
②人の悪を称する者を悪む=①ヲショウジンシアクシャ
と「発音」し、
①悪称人之悪者 =②ヒトノアクヲショスウルモノヲ二クム
と、「発音」する過程で、
①悪〔称(人之悪)者〕=
①悪s称2人之悪1者u=②人の悪を称する者を悪む。
に気付いたものの、実を言ふと、
(63)
「B2KBHB」といふ「プログラム」は、元々は、「古文の助動詞」を覚えるため に書いたものであって、
「訓読・復文」のための、「プログラム」ではない。
従って、
(64)
最初に書いた「プログラム」の、例へば、
1720 DATA ①問ひつめられて、え答へずなりはべりつ。
1725 DATA ②問いつめられて、答えられなくなりました。
といふDATAを、
1720 DATA ①悪s称2人之悪1者u
1725 DATA ②人の悪を称する者を悪む
といふ風に書き換へたとしたら、即ち、DATA文に、「返り点」を、付けてゐたら、
①悪〔称(人之悪)者〕=
①悪s称2人之悪1 者u=②人の悪を称する者を悪む。
といふことに気付くことは無かったし、今のやうに、漢文に興味を持つことも、無かったことになる。
従って、
(65)
私の場合は、飽く迄も、趣味として、漢文に興味を持って、独習してゐるため、中国語は全く知らないものの、次のやうなことは、本で読むで、知ってゐます。
(66)
返り点送り假名は要するに支那語を國語に譯す方法であって決して讀み方ではない。讀み方とはその國の人々が讀む様に讀むのが讀み方である(「図書」 第四年第四二号、一九三九年七月、岩波書店)。
漢音や呉音で直読するというのは、現代中国語の学習とは全く離れてしまうので、ここでは問題外とするが、この青木氏の主張が、当時のいわゆる支那語の学習成果を一直線に中国古典の読み方に結びつけ、これによって古典をいかに早く、多く、正確に理解するか、ということを提唱したことは、きわめて斬新であり、示唆的である(牛島徳次、中国古典の学び方、1977年、14頁)。
専門家と称する人たちの大部分、99.9%は(外国語として扱えという人ももちろん含めて)実は「訓読」すなわち日本語流に理解しているのである。これは厳たる事実である(二畳庵人、漢文法基礎、1984年、62頁)。
さすがに、現在においては、「漢文訓読法」でなければ、日本人だけでなく、中国人も中国の古典は理解できない、などという倒錯した主張をなす者はいなくなった。今から考えてみれば、「漢文訓読法」派は単に現代中国語ができなかっただけのことではなかったか、そのようにさえ思えてくる(勉誠出版、訓読論、2009年、2頁)。
このように、中国語学の専門家の間に音読派と、訓読派という二大別があり、お互いの利点を論じあているのが現状である。それが高校過程における漢文解釈にさまざまな関わりを持っている、というわけである(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、64頁)。
加へて、
(67)
I=36:
エスペラント運動は、来年で百周年を迎へると言はれてゐた頃の、
①「ラジオ番組(外国語への招待、頼惟勤)」の録音 と、
復元された、8世紀の長安の音が聴ける、
②「図書館から借りたVHS(漢詩の鑑賞、石川忠久)」
に触発されて、
漢文の「音読(復文)」は、「漢音」の、歴史的假名遣を、その通りに、読むべきである。
と考へて、漢和辞典の漢音を、一冊分、そのまま暗記しようとして、途中で断念した。 といふ経緯があります。
そのため、
(68)
「漢音・呉音」の「漢音」に、興味はあっても、今は、「漢音・呉音・慣用音」をごちゃまぜにして、思ひ付くままの「漢字音」で、「音読(復文)」してゐます。
平成24年04月30日
(69)
①近(塞上)之人有〔善(術)者〕⇒
②(塞上)近之人〔(術)善者〕有=塞上に近きの人に術を善くする者有り。
③A(BC)DEF〔G(H)I〕⇒
④(BC)ADE〔(H)GI〕F=・・・・・。
⑤二(B一)DE二〔レ(0)一〕⇒
⑥(B一)二DE〔(0)レ一〕二=・・・・・。
∴
①近(塞上)之人有〔善(術)者〕
③A (B C) D E F〔G (H) I 〕
⑤二(B一) D E 二〔レ (0)一〕
∴
近=二
上=一
有=二
善=レ
術=0
者=一
∴
「私の解釈」による「返り点」は、
二 一 二 レ 0 一。
∴
現行の、学校で習う「返り点」は、
二 一 二 レ 一。
∵
二 一 二 レ 0 一 は、
二 一 下 二 一 上
に書き換えられ、
二 一 下 二 一 上 は、
( ) 〔 ( ) 〕
のように、「括弧」と、重なる。
然るに、
(70)
②塞上に近きの人に術を善くする者有り。
という国語に対して、
⑥靠近辺境(住)的人中有个精通朮数的人(青木五郎、現代中国語で読む古典、6頁)。
は、中国語(普通話)。
従って、
(71)
「語彙」に関しては、
国語漢字は中国古典の語彙をかなり残し、現に使用しているが、本場の中国においては、そのことばが死語になっていて、現在では別のいいかたがふつうになっている(鈴木修二、漢語と日本人、1978年、206頁)。
(72)
「発音」に関しては、
また厳格に言えば、北京語に依る音読は他の発音に依る音読と比べると、古典中国語の正しい理解のためには特別な欠点をいくつか示す。その欠点は発音や文法に関するものである。発音上の問題は皆北京語の音声磨滅に依るものである。現在生きている多数の漢字の発音の間では、いちばん 極端な磨滅を被ったのは異論の余地なく北京語である((二十一世紀の漢文-死語の将来- Jean-Noel A. ROBERT ジャン-ノエル ロベール フランス パリ国立高等研究院 教授)。
(73)
「文法」に関しては、
北京語の音声系統と同様に、歴史的情勢を考えてみると、北京語の文法構造が他の中国系の「方言」と比べて、厳しい変化過程を経て非常に遠ざかっていたと認めざるを得ない(同じく、Jean-Noel A. ROBERT 教授)。
との、ことである。
平成25年05月15日
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0974_convert_20120501144713.jpg
(01)~(44):取りあえず、省略。
(01)~(44)は、次の「記事」として、書き換える、予定です。
― 話は、変はります。―
(45)
I=20:
私によって、BASICで書かれたプログラムが在って、例えば、
悪称人之悪者
(といふDATA)を表示したまま、アイドリング(無限ループ)を続けます。
cf.
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0991.jpg
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0994.jpg
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0999.jpg
この時、「訓読」が、
悪・称人・之・悪者=いづくんぞ、人を称する之れ悪は。
である筈がありません。
一方、
悪称・人之悪・者 =
悪称(人之悪)者
といふ形は、
悪称(人之悪)者=人の悪を称する者を悪む。
といふ「正解」を、予測させ、
果たして(、例へば、スペースkeyを押すと、正解が示されて、その「正解(訓読)」は) 、
人の悪を称する者を悪む。
従って、
悪称人之悪者
とい六文字のセットは、
(人之悪)
といふ、サブセットと、
〔称(人之悪)者〕
といふ、サブセットを、Imply(含む・暗示)する。
― 補足(2013/05/16) ―
①悪称人之悪者
という「白文(漢文)」が、
①悪称(人之悪)者
という風に、見えたからこそ、
①悪〔称(人之悪)者〕
という風に見え、その結果として、
①悪〔称(人之悪)者〕⇒
②〔(人之悪)称者〕悪=人の悪を称する者を悪む。
という風に読めた、ことになる。
∴
①悪称(人)之悪者 ⇒
②悪(人)称之悪者=悪くんぞ、人を称する、これ、悪は。
という「訓読」が、可能であるならば、
①悪〔称(人之悪)者〕
という風には、見えなかった、ことになる。
然るに、
「漢字の音」自体は、両方とも、
①悪 称(人)之悪者 =ヲショウジンシアクシャ 。
①悪〔称(人之悪)者〕=ヲショウジンシアクシャ 。
で、変わりが無い。
∴
①悪称人之悪者 =ヲショウジンシアクシャ 。
という「漢字音」が、
②悪称人之悪者 =人の悪を称する者を悪む。
であることを、教えている、わけではない。
従って、
(46)
その「プログラム」、即ち、
1035 KEY 6,”SAVE”+CHR$(34)+”1:B2KBHB”+CHR(34)+CHR$(13)
に於ける「プログラム」、即ち、「B2KBHB」といふ「プログラム」のDATAとして、
1720 DATA ①悪称人之悪者
1725 DATA ②人の悪を称する者を悪む
といふDATAが、在った。ことになる。
cf.
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF1010.jpg
http://blog-imgs-47.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF1008.jpg
然るに、
(47)
戦前の入試で、復文(書き下し文から原漢文に復元する作業)ということがあったらしいが、今日から見れば、よくいえば高級な、悪くいえばナンセンスなことをしていたものである(二畳庵主人、漢文文法基礎、1984年、84頁)。
従って、
(48)
「復文」とは、要するに、「和文漢訳」、即ち、「英作文」ならぬ、「漢作文」である。
然るに、
(49)
1720 DATA ①悪称人之悪者
1725 DATA ②人の悪を称する者を悪む
の「発音」は、
1720 DATA ①ヲショウジンシアクシャ
1725 DATA ②ヒトノアクヲショスルモノヲ二クム
従って、
(50)
②人の悪を称する者を悪む
を、「口頭」で、「復文」しようとすると、
①ヲショウジンシアクシャ
と、「発音」することになる。
然るに、
(51)
①悪称人之悪者
を、「訓読」する場合は、
②ヒトノアクヲショスウルモノヲ二クム
と、「発音」することになる。
従って、
(52)
(50)(51)により、
②人の悪を称する者を悪む=①ヲショウジンシアクシャ
と「発音」し、
①悪称人之悪者=②ヒトノアクヲショスルモノヲ二クム
と、「発音」することになる。
然るに、
(53)
徂徠は、言語を歴史的に変わるものとして考え、経典に即した文辞の用法を把握することで、経典の背後にある、それが書かれた当時の事実をつかみだそう、として古文辞学というものをとなえた。その立場から、漢文の音読を主張し、中国音、当時のいわゆる「唐音」を学で、漢学の内部に革新の波をおこしたのであった(安藤彦太郎、中国語と日本近代、1988年、64頁)。
従って、
(54)
「唐音」は、どんな音かは判らないものの、假りに、
①ヲショウジンシアクシャ=①アクシヤウニンシアクシヤウ
の右辺を、「唐音」とするならば、
ブロガーは、
②人の悪を称する者を悪む=①ヲショウジンシアクシャ
①悪称人之悪者 =②ヒトノアクヲショスルモノヲ二クム
と「発音」し、
荻生徂徠は、
②人の悪を称する者を悪む=②ヒトノアクヲショスルモノヲ二クム
①悪称人之悪者 =①アクシヤウニンシアクシヤウ
と「発音」したことになる。
従って、
(55)
私と、荻生徂徠は、アベコベであるものの、何故そうなのかと言へば、今も述べた通り、
私のそれは、
②人の悪を称する者を悪む=①ヲショウジンシアクシャ
といふ「復文」であって、
荻生徂徠のそれは、
①悪称人之悪者 =①アクシヤウニンシアクシヤウ
といふ『中国音、当時のいわゆる「唐音」の、音読』であるからである。
従って、
(56)
例へば、
②世に伯楽有り、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間駢死して、千里を以て称せられざるなり。
であれば、
①セイユウハクラク、ゼンコウユウセンリバ、センリバジョウユウ、ジハクラクフツジョウユウ、コスイユウメイバ、ギジョクオドレイジンシシュ、ベンシオソウレキシカン、フツイセンリショヤ。
といふ風に、「音読」出来るのは、そのやうな、「復文」の結果に、他ならないし、
(57)
①世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱於隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
といふ風に、「暗唱」出来るのも、
②世に伯楽有り、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間駢死して、千里を以て称せられざるなり。
といふ「訓読」を、思ひ出してゐる。からである。と言ふことになる。
従って、
(58)
要するに、私は、例えば、
①世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱於隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
といふ「白文」を、「訓読」出来るし、「暗唱」も、出来るものの、
その一方で、
(59)
皆さんが、本書を手に入れるとすぐにする質問は「先生、公式は全部暗記するんですか?」でしょう 。私は即座に答えます。「必要なし。読んで解釈できればそれでよろしい」と(多久の漢文公式110)。
とのことである。
従って、
(60)
受験勉強として漢文を学んでゐる、普通の高校生は、尚のこと、
セイユウハクラク、ゼンコウユウセンリバ、センリバジョウユウ、ジハクラクフツジョウユウ、コスイユウメイバ、ギジョクオドレイジンシシュ、ベンシオソウレキシカン、フツイセンリショウヤ(多久の漢文公式110、20頁)。
を、暗記する必要は、無いことになる。
但し、
(61)
例えば、「多久の漢文公式110」ならば、その、「公式110」に在る、
②世に伯楽有り、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬 有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間駢死して、千里を以て称せられざるなり。
といふ「訓読」を、
セイユウハクラク、ゼンコウユウセンリバ、センリバジョウユウ、ジハクラクフツジョウユウ、コスイユウメイバ、ギジョクオドレイジンシシュ、ベンシオソウレキシカン、フツイセンリショウヤ
といふ風に、「声」を出しながら、
①世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱於隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
といふ風に、「漢字」を、並び変へてゐるならば、しばらくすれば、
セイユウハクラク、ゼンコウユウセンリバ、センリバジョウユウ、ジハクラクフツジョウユウ、コスイユウメイバ、ギジョクオドレイジンシシュ、ベンシオソウレキシカン、フツイセンリショウヤ
といふ風に、大抵の日本人は、「暗唱」できる。のではないでせうか。といふ風に、思はれます。
従って、
(62)
いづれにせよ、
その「プログラム」、即ち、
1035 KEY 6,”SAVE”+CHR$(34)+”1:B2KBHB”+CHR(34)+CHR$(13)
に於ける「プログラム」、即ち、「B2KBHB」といふ「プログラム」のDATAとして、
1720 DATA ①悪称人之悪者
1725 DATA ②人の悪を称する者を悪む
といふDATAが、在った。が故に、
②人の悪を称する者を悪む=①ヲショウジンシアクシャ
と「発音」し、
①悪称人之悪者 =②ヒトノアクヲショスウルモノヲ二クム
と、「発音」する過程で、
①悪〔称(人之悪)者〕=
①悪s称2人之悪1者u=②人の悪を称する者を悪む。
に気付いたものの、実を言ふと、
(63)
「B2KBHB」といふ「プログラム」は、元々は、「古文の助動詞」を覚えるため に書いたものであって、
「訓読・復文」のための、「プログラム」ではない。
従って、
(64)
最初に書いた「プログラム」の、例へば、
1720 DATA ①問ひつめられて、え答へずなりはべりつ。
1725 DATA ②問いつめられて、答えられなくなりました。
といふDATAを、
1720 DATA ①悪s称2人之悪1者u
1725 DATA ②人の悪を称する者を悪む
といふ風に書き換へたとしたら、即ち、DATA文に、「返り点」を、付けてゐたら、
①悪〔称(人之悪)者〕=
①悪s称2人之悪1 者u=②人の悪を称する者を悪む。
といふことに気付くことは無かったし、今のやうに、漢文に興味を持つことも、無かったことになる。
従って、
(65)
私の場合は、飽く迄も、趣味として、漢文に興味を持って、独習してゐるため、中国語は全く知らないものの、次のやうなことは、本で読むで、知ってゐます。
(66)
返り点送り假名は要するに支那語を國語に譯す方法であって決して讀み方ではない。讀み方とはその國の人々が讀む様に讀むのが讀み方である(「図書」 第四年第四二号、一九三九年七月、岩波書店)。
漢音や呉音で直読するというのは、現代中国語の学習とは全く離れてしまうので、ここでは問題外とするが、この青木氏の主張が、当時のいわゆる支那語の学習成果を一直線に中国古典の読み方に結びつけ、これによって古典をいかに早く、多く、正確に理解するか、ということを提唱したことは、きわめて斬新であり、示唆的である(牛島徳次、中国古典の学び方、1977年、14頁)。
専門家と称する人たちの大部分、99.9%は(外国語として扱えという人ももちろん含めて)実は「訓読」すなわち日本語流に理解しているのである。これは厳たる事実である(二畳庵人、漢文法基礎、1984年、62頁)。
さすがに、現在においては、「漢文訓読法」でなければ、日本人だけでなく、中国人も中国の古典は理解できない、などという倒錯した主張をなす者はいなくなった。今から考えてみれば、「漢文訓読法」派は単に現代中国語ができなかっただけのことではなかったか、そのようにさえ思えてくる(勉誠出版、訓読論、2009年、2頁)。
このように、中国語学の専門家の間に音読派と、訓読派という二大別があり、お互いの利点を論じあているのが現状である。それが高校過程における漢文解釈にさまざまな関わりを持っている、というわけである(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、64頁)。
加へて、
(67)
I=36:
エスペラント運動は、来年で百周年を迎へると言はれてゐた頃の、
①「ラジオ番組(外国語への招待、頼惟勤)」の録音 と、
復元された、8世紀の長安の音が聴ける、
②「図書館から借りたVHS(漢詩の鑑賞、石川忠久)」
に触発されて、
漢文の「音読(復文)」は、「漢音」の、歴史的假名遣を、その通りに、読むべきである。
と考へて、漢和辞典の漢音を、一冊分、そのまま暗記しようとして、途中で断念した。 といふ経緯があります。
そのため、
(68)
「漢音・呉音」の「漢音」に、興味はあっても、今は、「漢音・呉音・慣用音」をごちゃまぜにして、思ひ付くままの「漢字音」で、「音読(復文)」してゐます。
平成24年04月30日
(69)
①近(塞上)之人有〔善(術)者〕⇒
②(塞上)近之人〔(術)善者〕有=塞上に近きの人に術を善くする者有り。
③A(BC)DEF〔G(H)I〕⇒
④(BC)ADE〔(H)GI〕F=・・・・・。
⑤二(B一)DE二〔レ(0)一〕⇒
⑥(B一)二DE〔(0)レ一〕二=・・・・・。
∴
①近(塞上)之人有〔善(術)者〕
③A (B C) D E F〔G (H) I 〕
⑤二(B一) D E 二〔レ (0)一〕
∴
近=二
上=一
有=二
善=レ
術=0
者=一
∴
「私の解釈」による「返り点」は、
二 一 二 レ 0 一。
∴
現行の、学校で習う「返り点」は、
二 一 二 レ 一。
∵
二 一 二 レ 0 一 は、
二 一 下 二 一 上
に書き換えられ、
二 一 下 二 一 上 は、
( ) 〔 ( ) 〕
のように、「括弧」と、重なる。
然るに、
(70)
②塞上に近きの人に術を善くする者有り。
という国語に対して、
⑥靠近辺境(住)的人中有个精通朮数的人(青木五郎、現代中国語で読む古典、6頁)。
は、中国語(普通話)。
従って、
(71)
「語彙」に関しては、
国語漢字は中国古典の語彙をかなり残し、現に使用しているが、本場の中国においては、そのことばが死語になっていて、現在では別のいいかたがふつうになっている(鈴木修二、漢語と日本人、1978年、206頁)。
(72)
「発音」に関しては、
また厳格に言えば、北京語に依る音読は他の発音に依る音読と比べると、古典中国語の正しい理解のためには特別な欠点をいくつか示す。その欠点は発音や文法に関するものである。発音上の問題は皆北京語の音声磨滅に依るものである。現在生きている多数の漢字の発音の間では、いちばん 極端な磨滅を被ったのは異論の余地なく北京語である((二十一世紀の漢文-死語の将来- Jean-Noel A. ROBERT ジャン-ノエル ロベール フランス パリ国立高等研究院 教授)。
(73)
「文法」に関しては、
北京語の音声系統と同様に、歴史的情勢を考えてみると、北京語の文法構造が他の中国系の「方言」と比べて、厳しい変化過程を経て非常に遠ざかっていたと認めざるを得ない(同じく、Jean-Noel A. ROBERT 教授)。
との、ことである。
平成25年05月15日
2013年5月12日日曜日
漢文・論理・括弧。
(01)
¬=否定(でない)
∧=連言(そして)
∨=選言(または)
⊂=含意(ならば):教科書では、⊃ であって、最初は、さう書いたのですが、・・・・・。
は、論理記号。
然るに、
(02)
A=・・・でない。
BCC=児孫の為に、
DEE=美田を買う。
である。とする。
(03)
①¬〔BCC∧DEE〕
である。とする。
然るに、
(04)
①¬〔BCC∧DEE〕=
① ¬BCC∨¬DCC
(ド・モルガンの定理)
然るに、
(05)
①¬BCC∨¬DCC=
② BCC⊂¬DEE
(含意の定義)
従って、
(01)(02)(05)により、
(06)
①¬〔BCC∧DEE〕⇒
② BCC⊃¬DEE=児孫の為にならば、美田を買わない。
然るに、
(07)
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
③A〔B(CC)D(EE)〕⇒
④〔(CC)B(EE)D〕A=・・・・・・。
⑤下〔二(C一)中(E上)〕⇒
⑥〔(C一)二(EE)中〕下=・・・・・・。
∴
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
従って
(06)(07)により、
(08)
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
①¬〔BCC∧DEE〕 =児孫の為にならば、美田を買わない。
然るに、
(09)
①児孫の為にならば、美田を買わない。
①児孫の為に美田を買はず。
という、二つの日本語の意味は、等しい。
従って、
(08)(09)により、
(10)
①¬〔BCC∧DEE〕=
①不〔為(児孫)買(美田)〕。
然るに、
(01)(02)(10)により、
(11)
①¬〔BCC∧DEE〕=
①でない〔児孫の為に、そして、美田を買う〕。
① 不〔為(児孫)買(美田)〕。
然るに、
(12)
漢文を読み、そして、英語を書く。
という日本語は、
漢文を読み(連用形)、英語を書く。
という日本語に、等しい。
従って、
(01)(11)(12)により、
(13)
①¬〔BCC∧DEE〕=
①¬〔BCC DEE〕=
①でない〔児孫の為に、美田を買う〕=
① 不〔為(児孫)買(美田)〕。
従って、
(14)
①不〔為(児孫)買(美田)〕=
①¬〔B CC D EE〕
従って、
(07)(14)により、
(15)
①不 為 児孫 買 美田
という漢文のシンタックスが、「深層構造?」に於いて、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田
という漢文に関して、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕=
①¬〔B CC D EE〕
という等式が、成立する。
然るに、
(16)
¬=否定
不=否定
従って、
(15)(16)により、
(17)
①不 為 児孫 買 美田
という漢文のシンタックスが、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田
という漢文は、
①¬〔B CC D EE〕=
①不〔B CC D EE〕
という、形をしている。
然るに、
(18)
①為(児孫)⇒
②(児孫)為=児孫の為に、
①買(美田)⇒
②(美田)買=美田を買は
は、単なる、「(日本語と漢文の)語順の違い」であって、「論理的な問題」ではない。
従って、
(17)(18)により、
(19)
①¬〔B CC D EE〕=
①不〔B(CC) D(EE)〕=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
従って、
(07)(17)(19)により、
(20)
漢文のシンタックスとして、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田=
①¬〔B CC D EE〕=
①¬〔B (CC) D (EE)〕=
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
という風に、「訓読」することは、
「漢文訓読」としてだけでなく、「論理(学)的」にも、正しい。
従って、
(21)
①不 為 児孫 買 美田
という漢文のシンタックスが、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
ではない。と仮定すると、
①不為児孫買美田
という漢文は、
①児孫の為に美田を買はず。
①児孫の為にならば、美田を買わない。
という、意味である。とは、限らない。
然るに、
(22)
①不為児孫買美田
という漢文は、
①児孫の為に美田を買はず。
①児孫の為にならば、美田を買わない。
という意味である。
従って、
(01)~(22)により、
(23)
①不為児孫買美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕=
①¬〔B (CC) D (EE)〕
である「蓋然性」は、極めて、大きい。
― Deep Structure & Surface Structure.―
然るに、
(24)
「漢文(白文)」、即ち、
「原文(白文)」は、
①不為児孫買美田
であって、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
ではない。
従って、
(25)
にも拘らず、実質的に、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、「表層」ではなく、
「深層」という、「普段は、見えていない層」に於いて、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
である。という、ことになる。
― 補足(H25/05/25)―
①2× 1+3 =2+3=5
②2×(1+3)=2+6=8
は、二つとも、正しい。∴
①2× 1+3 =2+3=5
であるにもかかわらず、
①2× 1+3 ⇒
②2× (1+3)=2+6=8
であるならば、
①2×1+3=8
に於いて、( )が、省略されている。∴ 同様に、
①¬BCC∧DEE⇒
②¬BCC∨¬DCC=BCC⊃¬DEE
であるならば、
①¬BCC∧DEE
に於いて、〔 〕が、省略されている。∴ 同様に、
①不 為 児孫 買 美田=
②児孫の為にならば、美田を買はない。
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田
に於いて、〔 〕が、省略されている。
従って、
(25)
①不為児孫買美田
という「白文(漢文)」が、何らかの形で、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
という風に、見えるからこそ、
①児孫の為に美田を買はず。
という風に、読めるのであって、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
という風に、見えない場合には、
①児孫の為に美田を買はず。
とは、読めない。ことになる。
従って、
(26)
目で見た、
①不為児孫買美田
という「白文(漢文)」を、心の中で、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
②〔(児孫)為(美田)買〕不
という形に、「変形」した上で、
②児孫の為に美田を買はず。
という風に、読んでいる。ことになる。
すなわち、
(27)
わが国における漢学の発達は、右のように、目による直読式の読法が、その基礎になっていたのであって、訓点による読誦は、この直読による暗記を助けるものであったともいうことができる。このような読み方をしている碩学は、昭和になってからも、なお、少なくはなかった(鈴木直治、中国と漢文、1975年、385頁)。が故に、
①不為児孫買美田
のような、「白文(漢文)」が、
①児孫の為に美田を買はず。
という風に、読まれる。ことになる。
然るに、
(28)
1970年代前半はいわゆる「言語学戦争」の時代であり、変形によって結びつけられる複数の構造のどこに意味を対応させるかということに関して、生成意味論と解釈意味論との間の熾烈な闘いが続いていた時期である(原田信一著 福井直樹編 - SILS top page - 神戸松蔭女子学院大学)。
チョムスキー学派も70年代からは分裂し、当時の対抗文化の影響もあって「生成意味論」や「格文法」など、生成文法を根本から否定する理論が登場した。これらは学派としては消滅したが、「主流派」の側も、拡大標準理論、GB理論、ミニマリスト理論など変化・分裂を繰り返し、何が主流なのかわからなくなった(池田信夫 blog : チョムスキー - ライブドアブログ)。
従って、
(29)
①不 為 児孫 買 美田 ⇒
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
という「変換(漢文訓読)」は、「ド・モルガンの定理」と、「含意の定義」という「変形規則(T-rules)」を用いた、「変形文法(transformational grammar)」である。
という風に、70年代に、漢文の先生(漢学者)が言ったとしたら、面白かった。はずである。
2013年05月15日
(30)
例えば、京都大学において、その中国文化の研究について、大きな基礎を作られた狩野直喜氏(一八六六~一九四七)は、その教えを受けた倉石武四郎(一八九七~)に、かつて、「自分たちが訓読するのは、そういう習慣になっていたから、いちおう訓読するだけで、実は、原文を直読しているのである」と語られたという(鈴木直治、中国と漢文、1975年、385頁)。
こうした状況に対して、これはまちがっている、中国の古典も現代中国の学習を基礎とし、その延長線上で学ぶべきだ、と主張し、その理論と実践を具体的に公開したのが、故倉石武四郎博士であり、その著書『支那語教育の理論と実践』(昭和16.3.岩波書店)である。当然、この主張に対して、賛否両論がはげしく起こった(牛島徳次郎、中国古典の学び方、〈まえがき〉、1976年5月26日)。
倉石博士の影響力はすさまじく、現在ではほとんどの大学において、漢文の講座で中国語(普通話)の音読を用いています(漢文の中国語音読の主張3(倉石武四郎博士) 日本漢文の世界 kambun.jp、2004年11月3日公開)。
さすがに、現在においては、「漢文訓読法」でなければ、日本人だけでなく、中国人も中国の古典は理解できない、などという倒錯した主張をなす者はいなくなった。今から考えてみれば、「漢文訓読法」派は単に現代中国語ができなかっただけのことではなかったか、そのようにさえ思えてくる(勉誠出版、訓読論、2009年、2頁)。
専門家と称する人たちの大部分、99.9%は(外国語として扱えという人ももちろん含めて)実は「訓読」すなわち日本語流に理解しているのである。これは厳たる事実である(二畳庵主人、漢文法基礎、1977年、62頁)。
これは『論語』の中の句で、「学んでゆとりがあったら官吏になる」ということだと、説明した。それから1週間か十日ぐらいたったある夜、わたしは何か所かわからない箇所があった。あとで、みんなで読みあわせ、突き合うわせて読解していくうち、わたしが「次の一句が全然わからなかった。」というと、そばにいた二三人の学生が一斉に笑い出していった。「先生、そこはこの間、先生がぼくたちに教えてくれた、xue er you ze shi ですよ!」これがわたしであり、あとで述べる「A先生」なのである(牛島徳次郎、中国古典の学び方、1977年、59・60頁)。
①学而優則仕⇒
②学而優則仕=学びて優なれば則仕ふ。
③ABCDE⇒
④ABCDE=・・・・・。
⑤ABCDE⇒
⑥ABCDE=・・・・・。
(論語 巻第十 張第十九 一三)
しかし、この一句の意味は、といえば、「マナンデユウナレバスナワチツコウ」であり、「学んでゆとりがあったら
官吏になる」なのだ、と思う。これはまったく「訓読」で得た知識であり、漢字で書かれたものを、目だけに頼り、日本語だけで考えたものである(牛島徳次郎、中国古典の学び方、1977年、60頁)。
(31)
小川 書き言葉の始まりは、いわゆる言語の始まりとはまったく違うものなんですか。
岡ノ谷 違うはずなんですよ。にもかかわらず、人間の言語のシステムっていうのは、もう書き言葉がいつ出てきても困らないようにできているというのかなあ、あたかも書き言葉が将来できるということを前提にできているという感じのシステムなんですね。
小川 あらかじめ偉大な何者かが、「いずれこれを書き写すことになる」という見通しで作り出したかのような感じということですか?
岡ノ谷 脳の左側が言語を制御しています。まん中あたりに聴覚野があって、後ろの方に視覚野があるんです。― 中略 ― 、だから言語は聴覚から始まったことは否定できないんだけれども、視覚の言葉、すなわち書き言葉に対応できるように最初からなっているんですよ。
(小川洋子、岡ノ谷一夫、言葉の誕生を科学する、2011年、118頁)。
¬=否定(でない)
∧=連言(そして)
∨=選言(または)
⊂=含意(ならば):教科書では、⊃ であって、最初は、さう書いたのですが、・・・・・。
は、論理記号。
然るに、
(02)
A=・・・でない。
BCC=児孫の為に、
DEE=美田を買う。
である。とする。
(03)
①¬〔BCC∧DEE〕
である。とする。
然るに、
(04)
①¬〔BCC∧DEE〕=
① ¬BCC∨¬DCC
(ド・モルガンの定理)
然るに、
(05)
①¬BCC∨¬DCC=
② BCC⊂¬DEE
(含意の定義)
従って、
(01)(02)(05)により、
(06)
①¬〔BCC∧DEE〕⇒
② BCC⊃¬DEE=児孫の為にならば、美田を買わない。
然るに、
(07)
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
③A〔B(CC)D(EE)〕⇒
④〔(CC)B(EE)D〕A=・・・・・・。
⑤下〔二(C一)中(E上)〕⇒
⑥〔(C一)二(EE)中〕下=・・・・・・。
∴
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
従って
(06)(07)により、
(08)
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
①¬〔BCC∧DEE〕 =児孫の為にならば、美田を買わない。
然るに、
(09)
①児孫の為にならば、美田を買わない。
①児孫の為に美田を買はず。
という、二つの日本語の意味は、等しい。
従って、
(08)(09)により、
(10)
①¬〔BCC∧DEE〕=
①不〔為(児孫)買(美田)〕。
然るに、
(01)(02)(10)により、
(11)
①¬〔BCC∧DEE〕=
①でない〔児孫の為に、そして、美田を買う〕。
① 不〔為(児孫)買(美田)〕。
然るに、
(12)
漢文を読み、そして、英語を書く。
という日本語は、
漢文を読み(連用形)、英語を書く。
という日本語に、等しい。
従って、
(01)(11)(12)により、
(13)
①¬〔BCC∧DEE〕=
①¬〔BCC DEE〕=
①でない〔児孫の為に、美田を買う〕=
① 不〔為(児孫)買(美田)〕。
従って、
(14)
①不〔為(児孫)買(美田)〕=
①¬〔B CC D EE〕
従って、
(07)(14)により、
(15)
①不 為 児孫 買 美田
という漢文のシンタックスが、「深層構造?」に於いて、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田
という漢文に関して、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕=
①¬〔B CC D EE〕
という等式が、成立する。
然るに、
(16)
¬=否定
不=否定
従って、
(15)(16)により、
(17)
①不 為 児孫 買 美田
という漢文のシンタックスが、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田
という漢文は、
①¬〔B CC D EE〕=
①不〔B CC D EE〕
という、形をしている。
然るに、
(18)
①為(児孫)⇒
②(児孫)為=児孫の為に、
①買(美田)⇒
②(美田)買=美田を買は
は、単なる、「(日本語と漢文の)語順の違い」であって、「論理的な問題」ではない。
従って、
(17)(18)により、
(19)
①¬〔B CC D EE〕=
①不〔B(CC) D(EE)〕=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
従って、
(07)(17)(19)により、
(20)
漢文のシンタックスとして、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田=
①¬〔B CC D EE〕=
①¬〔B (CC) D (EE)〕=
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
という風に、「訓読」することは、
「漢文訓読」としてだけでなく、「論理(学)的」にも、正しい。
従って、
(21)
①不 為 児孫 買 美田
という漢文のシンタックスが、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
ではない。と仮定すると、
①不為児孫買美田
という漢文は、
①児孫の為に美田を買はず。
①児孫の為にならば、美田を買わない。
という、意味である。とは、限らない。
然るに、
(22)
①不為児孫買美田
という漢文は、
①児孫の為に美田を買はず。
①児孫の為にならば、美田を買わない。
という意味である。
従って、
(01)~(22)により、
(23)
①不為児孫買美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕=
①¬〔B (CC) D (EE)〕
である「蓋然性」は、極めて、大きい。
― Deep Structure & Surface Structure.―
然るに、
(24)
「漢文(白文)」、即ち、
「原文(白文)」は、
①不為児孫買美田
であって、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
ではない。
従って、
(25)
にも拘らず、実質的に、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
であるならば、「表層」ではなく、
「深層」という、「普段は、見えていない層」に於いて、
①不 為 児孫 買 美田=
①不〔為(児孫)買(美田)〕
である。という、ことになる。
― 補足(H25/05/25)―
①2× 1+3 =2+3=5
②2×(1+3)=2+6=8
は、二つとも、正しい。∴
①2× 1+3 =2+3=5
であるにもかかわらず、
①2× 1+3 ⇒
②2× (1+3)=2+6=8
であるならば、
①2×1+3=8
に於いて、( )が、省略されている。∴ 同様に、
①¬BCC∧DEE⇒
②¬BCC∨¬DCC=BCC⊃¬DEE
であるならば、
①¬BCC∧DEE
に於いて、〔 〕が、省略されている。∴ 同様に、
①不 為 児孫 買 美田=
②児孫の為にならば、美田を買はない。
であるならば、
①不 為 児孫 買 美田
に於いて、〔 〕が、省略されている。
従って、
(25)
①不為児孫買美田
という「白文(漢文)」が、何らかの形で、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
という風に、見えるからこそ、
①児孫の為に美田を買はず。
という風に、読めるのであって、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
という風に、見えない場合には、
①児孫の為に美田を買はず。
とは、読めない。ことになる。
従って、
(26)
目で見た、
①不為児孫買美田
という「白文(漢文)」を、心の中で、
①不〔為(児孫)買(美田)〕
②〔(児孫)為(美田)買〕不
という形に、「変形」した上で、
②児孫の為に美田を買はず。
という風に、読んでいる。ことになる。
すなわち、
(27)
わが国における漢学の発達は、右のように、目による直読式の読法が、その基礎になっていたのであって、訓点による読誦は、この直読による暗記を助けるものであったともいうことができる。このような読み方をしている碩学は、昭和になってからも、なお、少なくはなかった(鈴木直治、中国と漢文、1975年、385頁)。が故に、
①不為児孫買美田
のような、「白文(漢文)」が、
①児孫の為に美田を買はず。
という風に、読まれる。ことになる。
然るに、
(28)
1970年代前半はいわゆる「言語学戦争」の時代であり、変形によって結びつけられる複数の構造のどこに意味を対応させるかということに関して、生成意味論と解釈意味論との間の熾烈な闘いが続いていた時期である(原田信一著 福井直樹編 - SILS top page - 神戸松蔭女子学院大学)。
チョムスキー学派も70年代からは分裂し、当時の対抗文化の影響もあって「生成意味論」や「格文法」など、生成文法を根本から否定する理論が登場した。これらは学派としては消滅したが、「主流派」の側も、拡大標準理論、GB理論、ミニマリスト理論など変化・分裂を繰り返し、何が主流なのかわからなくなった(池田信夫 blog : チョムスキー - ライブドアブログ)。
従って、
(29)
①不 為 児孫 買 美田 ⇒
①不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
②〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
という「変換(漢文訓読)」は、「ド・モルガンの定理」と、「含意の定義」という「変形規則(T-rules)」を用いた、「変形文法(transformational grammar)」である。
という風に、70年代に、漢文の先生(漢学者)が言ったとしたら、面白かった。はずである。
2013年05月15日
(30)
例えば、京都大学において、その中国文化の研究について、大きな基礎を作られた狩野直喜氏(一八六六~一九四七)は、その教えを受けた倉石武四郎(一八九七~)に、かつて、「自分たちが訓読するのは、そういう習慣になっていたから、いちおう訓読するだけで、実は、原文を直読しているのである」と語られたという(鈴木直治、中国と漢文、1975年、385頁)。
こうした状況に対して、これはまちがっている、中国の古典も現代中国の学習を基礎とし、その延長線上で学ぶべきだ、と主張し、その理論と実践を具体的に公開したのが、故倉石武四郎博士であり、その著書『支那語教育の理論と実践』(昭和16.3.岩波書店)である。当然、この主張に対して、賛否両論がはげしく起こった(牛島徳次郎、中国古典の学び方、〈まえがき〉、1976年5月26日)。
倉石博士の影響力はすさまじく、現在ではほとんどの大学において、漢文の講座で中国語(普通話)の音読を用いています(漢文の中国語音読の主張3(倉石武四郎博士) 日本漢文の世界 kambun.jp、2004年11月3日公開)。
さすがに、現在においては、「漢文訓読法」でなければ、日本人だけでなく、中国人も中国の古典は理解できない、などという倒錯した主張をなす者はいなくなった。今から考えてみれば、「漢文訓読法」派は単に現代中国語ができなかっただけのことではなかったか、そのようにさえ思えてくる(勉誠出版、訓読論、2009年、2頁)。
専門家と称する人たちの大部分、99.9%は(外国語として扱えという人ももちろん含めて)実は「訓読」すなわち日本語流に理解しているのである。これは厳たる事実である(二畳庵主人、漢文法基礎、1977年、62頁)。
これは『論語』の中の句で、「学んでゆとりがあったら官吏になる」ということだと、説明した。それから1週間か十日ぐらいたったある夜、わたしは何か所かわからない箇所があった。あとで、みんなで読みあわせ、突き合うわせて読解していくうち、わたしが「次の一句が全然わからなかった。」というと、そばにいた二三人の学生が一斉に笑い出していった。「先生、そこはこの間、先生がぼくたちに教えてくれた、xue er you ze shi ですよ!」これがわたしであり、あとで述べる「A先生」なのである(牛島徳次郎、中国古典の学び方、1977年、59・60頁)。
①学而優則仕⇒
②学而優則仕=学びて優なれば則仕ふ。
③ABCDE⇒
④ABCDE=・・・・・。
⑤ABCDE⇒
⑥ABCDE=・・・・・。
(論語 巻第十 張第十九 一三)
しかし、この一句の意味は、といえば、「マナンデユウナレバスナワチツコウ」であり、「学んでゆとりがあったら
官吏になる」なのだ、と思う。これはまったく「訓読」で得た知識であり、漢字で書かれたものを、目だけに頼り、日本語だけで考えたものである(牛島徳次郎、中国古典の学び方、1977年、60頁)。
(31)
小川 書き言葉の始まりは、いわゆる言語の始まりとはまったく違うものなんですか。
岡ノ谷 違うはずなんですよ。にもかかわらず、人間の言語のシステムっていうのは、もう書き言葉がいつ出てきても困らないようにできているというのかなあ、あたかも書き言葉が将来できるということを前提にできているという感じのシステムなんですね。
小川 あらかじめ偉大な何者かが、「いずれこれを書き写すことになる」という見通しで作り出したかのような感じということですか?
岡ノ谷 脳の左側が言語を制御しています。まん中あたりに聴覚野があって、後ろの方に視覚野があるんです。― 中略 ― 、だから言語は聴覚から始まったことは否定できないんだけれども、視覚の言葉、すなわち書き言葉に対応できるように最初からなっているんですよ。
(小川洋子、岡ノ谷一夫、言葉の誕生を科学する、2011年、118頁)。
2013年5月10日金曜日
2013.05.10.Fri Category:漢文+数学的
2013.05.10.Fri Category:漢文+数学的
(25)
〔 〕の中には、一個以上の( )が入り、
[ ]の中には、一個以上の〔 〕が入り、
{ }の中には、一個以上の[ ]が入り、
[ ]は、{ }の中に入ることが出来、
〔 〕は、[ ]の中と、{ }の中に入ることが出来、
( )は、{ }の中と、[ ]の中と、〔 〕の中に入ることが出来る。
然るに、
(26)
①〔( )〕
②〔( )( )〕
③[〔( )〕]
④[〔( )( )〕]
⑤[〔( )〕〔( )〕]
⑥[〔( )( )〕〔( )〕]
⑦[〔( )〕〔( )( )〕]
⑧[〔( )( )〕〔( )( )〕]
に於いて、
①3〔2(1)〕
①4〔2(1)3〕
②5〔2(1)4(3)〕
②6〔2(1)4(3)5〕
③4[3〔2(1)〕]
③5[4〔2(1)3〕]
③6[4〔2(1)3〕5]
④6[5〔2(1)4(3)〕]
④7[6〔2(1)4(3)5〕]
④8[7〔2(1)4(3)5〕6]
⑤7[3〔2(1)〕6〔5(4)〕]
⑤8[4〔2(1)3〕7〔6(5)〕]
⑤9[4〔2(1)3〕8〔6(5)7〕]
⑤9[5〔2(1)4(3)〕8〔7(6)〕]
⑥10[4〔2(1)3〕8〔6(5)7〕9]
⑥10[6〔2(1)4(3)5〕9〔8(7)〕]
⑥11[6〔2(1)4(3)5〕10〔8(7)9〕]
⑥12[6〔2(1)4(3)5〕10〔8(7)9〕11]
⑦9[3〔2(1)〕8〔5(4)7(6)〕]
⑦10[4〔2(1)3〕9〔6(5)8(7)〕]
⑦11[4〔2(1)3〕10〔6(5)8(7)9〕]
⑦12[4〔2(1)3〕10〔6(5)8(7)9〕11]
⑧11[5〔2(1)4(3)〕10〔7(6)9(8)〕]
⑧12[6〔2(1)4(3)5〕11〔8(7)10(9)〕]
⑧13[6〔2(1)4(3)5〕12〔8(7)10(9)11〕]
⑧14[6〔2(1)4(3)5〕12〔8(7)10(9)11〕13]
という、「数字の列」が、成立する。
従って、
(25)(26)により、
(27)
〔 〕の中には、一・二個の( )が入り、
[ ]の中には、一・二個の〔 〕が入る。
場合は、以上のような、「数列」が、成立する。
従って、
(28)
数学が得意で、漢文や古文にも興味が有る(?)、
理数科の生徒である、あなたが行う「証明(数学的帰納法)」により、
「N種類の括弧」の中に、「N個の括弧」が有る場合も、
②6〔2(1)4(3)5〕
⑧14[6〔2(1)4(3)5〕12〔8(7)10(9)11〕13]
と、「同じ性質(リカージョン)」を、持っている。
然るに、
(29)
⑧14[6〔2(1)4(3)5〕12〔8(7)10(9)11〕13]
に於いて、
①2(1)⇒(1)2
②4(3)⇒(3)4
③6〔・・・・・5〕⇒〔・・・・・5〕6
④8(7)⇒(7)8
⑤10(9)⇒(9)10
⑥12〔・・・・・11〕⇒〔・・・・・11〕12
⑦14[・・・・・13]⇒[・・・・・13]14下
という、「順番」が、成立する一方で、
⑧14[6〔2(1)4(3)5〕12〔8(7)10(9)11〕13]⇒
⑧[〔(1)2(3)45〕6〔(7)8(9)1011〕1213]14。
という「変換」は、「返り点」と合わせて、
⑧乙[下〔二(一)二(一)上〕下〔二(一)二(一)上〕甲]⇒
⑧[〔(一)二(一)二上〕下〔(一)二(一)二上〕下甲]乙。
という風に、書くことが、出来る。
然るに、
(30)
②6〔2(1)4(3)5〕
②下 二 一 二 一 上
に於いて、これらの、
「返り点」に対して、例えば、
下=如
二=読
一=漢文
二=書
一=英文
下=者
のように、「漢字」を代入すれば、
②下 二 #一 二 #一 上=
②如 読 漢文 書 英文 者=
②漢文を読み英語を書く者の如し。
は、「返り点」が付いた、「漢文」に、相当する。
然るに、
(31)
①レ
②一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・
③上 中 下。
④甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸。
⑤天 地 人。
に於いて、「返り点」は、
②一 二 三 ・・・・
を挟んで返る場合に、
③上 中 下。
を用いる。
従って、
(32)
下 二 一 中 上
下 中 二 一 上
であるものの、
下 二 一 中 上
下 中 二 一 上
は、「括弧」では、
5〔2(1)4(3)〕
5[4〔2(1)3〕]
に、相当する。
従って、
(33)
不=下
為=二
児=#
孫=一
買=中
美=#
田=上
という「返り点」は、
不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
という「変換」に、相当する。
然るに、
(34)
不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
に加えて、
下〔二(#一)中(#上)〕⇒
〔(#一)二(#上)中〕下=#一 #二 #上 中 下
という「変換」が、成立する。
従って、
(35)
下 二 一 中 上
下 中 二 一 上
という「返り点」は、確かに、
5〔2(1)4(3)〕
5[4〔2(1)3〕]
という「括弧」に、相当する。
然るに、
(36)
①レ
の場合は、
二 レ 一
レ 二 一
二 一レ
のように、用いられるため、
二 レ 一
以外は、
①レ
②一 二 三 ・・・・
③上 中 下。
に於いて、
①レ
を挟んで返る場合に、
②一 二 三 ・・・・
を用い、
②一 二 三 ・・・・
を挟んで返る場合に、
③上 中 下。
を用いる。とは、言えない。
然るに、
(37)
二 一レ
下 上レ
乙 甲レ
地 天レ
に対して、
二レ 一
下レ 上
乙レ 甲
地レ 天
は、無いものの、何故、無いのか。
と言うと、
(38)
レ点は、
一二・上下・甲乙・天地でも、表すことが、出来るが故に、
二レ 一=二 一 一
下レ 上=下 上 上
乙レ 甲=乙 甲 甲
地レ 天=地 天 天
となる一方で、
二 一 一
下 上 上
乙 甲 甲
地 天 天
という「返り点」は、有り得ない、からである。
一二点で言えば、
二 一 二 一
は、正しいが、
二 一 一
は、正しくなく、
二 一 一=二レ 一
である、からである。
cf.
一レ 上レ 甲レ 天レ
それぞれ一レ点・上レ点・甲レ点・天レ点と呼び慣わしていますが、複合返り点はこの四つしかありません(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、71頁)。
然るに、
(39)
二 レ 一
であれば、
下 二 一 上
とすることが出来るし、
レ レ
二 一レ
レ 二 一
であれば、三つとも、
レ レ =三 二 一
二 一レ =三 二 一
レ 二 一=三 二 一
である。
従って、
(40)
①レ
は、
②一 二 三 ・・・・
③上 中 下。
でも表せるが故に、
①( )
②〔 〕
は、
①レ
②一 二 三 ・・・・
③上 中 下。
の「役割」を果たすことが、出来る。
従って、
(41)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
を用いれば、概ね、
①レ
②一 二 三 ・・・・
③上 中 下。
④甲 乙 丙 ・・・・
⑤天 地 人。
の「役割」を果たすことが、出来る。
但し、
(42)
場合によっては、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
に加えて、
⑤〈 〉
が、必要になることも有る。
然るに、
(43)
それとは逆に、
①レ
②一 二 三 ・・・・
③上 中 下。
④甲 乙 丙 ・・・・
⑤天 地 人。
では表せない「語順」を、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
は、表すことが、出来る。
(25)
〔 〕の中には、一個以上の( )が入り、
[ ]の中には、一個以上の〔 〕が入り、
{ }の中には、一個以上の[ ]が入り、
[ ]は、{ }の中に入ることが出来、
〔 〕は、[ ]の中と、{ }の中に入ることが出来、
( )は、{ }の中と、[ ]の中と、〔 〕の中に入ることが出来る。
然るに、
(26)
①〔( )〕
②〔( )( )〕
③[〔( )〕]
④[〔( )( )〕]
⑤[〔( )〕〔( )〕]
⑥[〔( )( )〕〔( )〕]
⑦[〔( )〕〔( )( )〕]
⑧[〔( )( )〕〔( )( )〕]
に於いて、
①3〔2(1)〕
①4〔2(1)3〕
②5〔2(1)4(3)〕
②6〔2(1)4(3)5〕
③4[3〔2(1)〕]
③5[4〔2(1)3〕]
③6[4〔2(1)3〕5]
④6[5〔2(1)4(3)〕]
④7[6〔2(1)4(3)5〕]
④8[7〔2(1)4(3)5〕6]
⑤7[3〔2(1)〕6〔5(4)〕]
⑤8[4〔2(1)3〕7〔6(5)〕]
⑤9[4〔2(1)3〕8〔6(5)7〕]
⑤9[5〔2(1)4(3)〕8〔7(6)〕]
⑥10[4〔2(1)3〕8〔6(5)7〕9]
⑥10[6〔2(1)4(3)5〕9〔8(7)〕]
⑥11[6〔2(1)4(3)5〕10〔8(7)9〕]
⑥12[6〔2(1)4(3)5〕10〔8(7)9〕11]
⑦9[3〔2(1)〕8〔5(4)7(6)〕]
⑦10[4〔2(1)3〕9〔6(5)8(7)〕]
⑦11[4〔2(1)3〕10〔6(5)8(7)9〕]
⑦12[4〔2(1)3〕10〔6(5)8(7)9〕11]
⑧11[5〔2(1)4(3)〕10〔7(6)9(8)〕]
⑧12[6〔2(1)4(3)5〕11〔8(7)10(9)〕]
⑧13[6〔2(1)4(3)5〕12〔8(7)10(9)11〕]
⑧14[6〔2(1)4(3)5〕12〔8(7)10(9)11〕13]
という、「数字の列」が、成立する。
従って、
(25)(26)により、
(27)
〔 〕の中には、一・二個の( )が入り、
[ ]の中には、一・二個の〔 〕が入る。
場合は、以上のような、「数列」が、成立する。
従って、
(28)
数学が得意で、漢文や古文にも興味が有る(?)、
理数科の生徒である、あなたが行う「証明(数学的帰納法)」により、
「N種類の括弧」の中に、「N個の括弧」が有る場合も、
②6〔2(1)4(3)5〕
⑧14[6〔2(1)4(3)5〕12〔8(7)10(9)11〕13]
と、「同じ性質(リカージョン)」を、持っている。
然るに、
(29)
⑧14[6〔2(1)4(3)5〕12〔8(7)10(9)11〕13]
に於いて、
①2(1)⇒(1)2
②4(3)⇒(3)4
③6〔・・・・・5〕⇒〔・・・・・5〕6
④8(7)⇒(7)8
⑤10(9)⇒(9)10
⑥12〔・・・・・11〕⇒〔・・・・・11〕12
⑦14[・・・・・13]⇒[・・・・・13]14下
という、「順番」が、成立する一方で、
⑧14[6〔2(1)4(3)5〕12〔8(7)10(9)11〕13]⇒
⑧[〔(1)2(3)45〕6〔(7)8(9)1011〕1213]14。
という「変換」は、「返り点」と合わせて、
⑧乙[下〔二(一)二(一)上〕下〔二(一)二(一)上〕甲]⇒
⑧[〔(一)二(一)二上〕下〔(一)二(一)二上〕下甲]乙。
という風に、書くことが、出来る。
然るに、
(30)
②6〔2(1)4(3)5〕
②下 二 一 二 一 上
に於いて、これらの、
「返り点」に対して、例えば、
下=如
二=読
一=漢文
二=書
一=英文
下=者
のように、「漢字」を代入すれば、
②下 二 #一 二 #一 上=
②如 読 漢文 書 英文 者=
②漢文を読み英語を書く者の如し。
は、「返り点」が付いた、「漢文」に、相当する。
然るに、
(31)
①レ
②一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・
③上 中 下。
④甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸。
⑤天 地 人。
に於いて、「返り点」は、
②一 二 三 ・・・・
を挟んで返る場合に、
③上 中 下。
を用いる。
従って、
(32)
下 二 一 中 上
下 中 二 一 上
であるものの、
下 二 一 中 上
下 中 二 一 上
は、「括弧」では、
5〔2(1)4(3)〕
5[4〔2(1)3〕]
に、相当する。
従って、
(33)
不=下
為=二
児=#
孫=一
買=中
美=#
田=上
という「返り点」は、
不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
という「変換」に、相当する。
然るに、
(34)
不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
〔(児孫)為(美田)買〕不=児孫の為に美田を買はず。
に加えて、
下〔二(#一)中(#上)〕⇒
〔(#一)二(#上)中〕下=#一 #二 #上 中 下
という「変換」が、成立する。
従って、
(35)
下 二 一 中 上
下 中 二 一 上
という「返り点」は、確かに、
5〔2(1)4(3)〕
5[4〔2(1)3〕]
という「括弧」に、相当する。
然るに、
(36)
①レ
の場合は、
二 レ 一
レ 二 一
二 一レ
のように、用いられるため、
二 レ 一
以外は、
①レ
②一 二 三 ・・・・
③上 中 下。
に於いて、
①レ
を挟んで返る場合に、
②一 二 三 ・・・・
を用い、
②一 二 三 ・・・・
を挟んで返る場合に、
③上 中 下。
を用いる。とは、言えない。
然るに、
(37)
二 一レ
下 上レ
乙 甲レ
地 天レ
に対して、
二レ 一
下レ 上
乙レ 甲
地レ 天
は、無いものの、何故、無いのか。
と言うと、
(38)
レ点は、
一二・上下・甲乙・天地でも、表すことが、出来るが故に、
二レ 一=二 一 一
下レ 上=下 上 上
乙レ 甲=乙 甲 甲
地レ 天=地 天 天
となる一方で、
二 一 一
下 上 上
乙 甲 甲
地 天 天
という「返り点」は、有り得ない、からである。
一二点で言えば、
二 一 二 一
は、正しいが、
二 一 一
は、正しくなく、
二 一 一=二レ 一
である、からである。
cf.
一レ 上レ 甲レ 天レ
それぞれ一レ点・上レ点・甲レ点・天レ点と呼び慣わしていますが、複合返り点はこの四つしかありません(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、71頁)。
然るに、
(39)
二 レ 一
であれば、
下 二 一 上
とすることが出来るし、
レ レ
二 一レ
レ 二 一
であれば、三つとも、
レ レ =三 二 一
二 一レ =三 二 一
レ 二 一=三 二 一
である。
従って、
(40)
①レ
は、
②一 二 三 ・・・・
③上 中 下。
でも表せるが故に、
①( )
②〔 〕
は、
①レ
②一 二 三 ・・・・
③上 中 下。
の「役割」を果たすことが、出来る。
従って、
(41)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
を用いれば、概ね、
①レ
②一 二 三 ・・・・
③上 中 下。
④甲 乙 丙 ・・・・
⑤天 地 人。
の「役割」を果たすことが、出来る。
但し、
(42)
場合によっては、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
に加えて、
⑤〈 〉
が、必要になることも有る。
然るに、
(43)
それとは逆に、
①レ
②一 二 三 ・・・・
③上 中 下。
④甲 乙 丙 ・・・・
⑤天 地 人。
では表せない「語順」を、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
は、表すことが、出来る。
2013年5月9日木曜日
2011.12.16.Fri Category:漢文
2011.12.16.FriCategory:漢文、即ち、
平成13年12月16日の「記事」を、書き換えます。
(01)
平成13年04月07日の記事の中で、
すぐにでも、「80枚の写真からなるホームページ」を公開し、そのことによって、ブログの更新に代えさせてもらう。と、書いておきながら、12月16日になっても、02月09日に撮影した、その写真を、ホームページに載せることが出来ないでいる。ことに関して、
2011.12.16.FriCategory:漢文
http://blog-imgs-17.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0005.jpg
http://blog-imgs-17.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0035.jpg
http://blog-imgs-17.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0060.jpg
I=1 I=31 I=56
従って、ウソではなく、
項目の種類:JEPGイメージ
撮影の日時:2011/02/09/ 10:56
大きさ640×480 サイズ158KB
の他にも、画像は存在しますし、ヤル気も有るのですが、能力(適性)が無いため(DigitalDivideのため)、遅れに遅れていて、にも拘わらず、目途も立たないまま、二週間程で、今年も暮れようとしています。そのため、これ以上、待って貰うわけには、行かないので、・・・・・。
(02)
{[〔( は括弧。
)〕]} は括弧。
{[〔( )〕]} も括弧。
では困るので、
{[〔( は 括。
)〕]} は 弧。
{[〔( )〕]} は 括弧とする。
(03)
A{B[C〔D(E)甲〕乙]丙}丁
に於ける、
ABCD の位置を、「括の直上」とし、
E甲乙丙 の位置を、「弧の直上」とし
甲乙丙丁の位置を、「弧の直下」とする。
従って、
(04)
D(E)甲
に於いて、
E)の、Eは、「弧の直上」であるが、その一方で、
)甲の、甲は、「弧の直下」である。
従って、
(05)
D(E)甲 ⇒(E)D 甲
に於いて、
Dは、「弧の直下」に移動した。
と言える一方で、
Dは、「弧の直上のE」の「直下」に移動した。
とすることが、出来る。
従って、
(06)
「括の直上の一語」を、「弧の直下」へ「移すこと」を、「変換」とする。
ということは、換言すれば、
「括の直上の一語」を、「弧の直上の語の、直下」へ「移すこと」である。
そのため、
(07)
「FC2ブログ」に於いて、
「括の直上の一語」を、「弧の直下」へ「移すこと」を、「変換」とする。
とした、その、「変換」を、例えば、
①C〔B(A)〕
②C〔B(A)〕⇒C〔(A)B〕
③C〔B(A)〕⇒C〔(A)B〕⇒〔(A)B〕C
のようなステップで、「括の直上の一語」を、「弧の直上の語の、直下」へ「移すこと」である。と、する。
然るに、
(08)
①我読(日本語)⇒
②我(日本語)読=我、日本語を読む。
③AB(CCC)⇒
④A(CCC)B=・・・・・・・・。
⑤A二(CC一)⇒
⑥A(CC一)二=・・・・・・・・。
∴
①我読(日本語)⇒
③AB(CCC)⇒
⑤A二(CC一)⇒
∴
①読(日本語)
⑤二(CC一)
∴
①読、語。
⑤二、一。
∴
①読=二、⑤語=一。
従って、
(09)
①我読(日本語)⇒
②我(日本語)読=我、日本語を読む。
という「変換」に於いては、
①読=二 という「一語」が、
⑤語=一 という「一字の直下」に、「移動」したことになる。
従って、
(10)
換言すると、
「二」という「返り点」を伴った、「読」という「一語」が、
「一」という「返り点」を伴った、「語」という「一字」の下に、「移動」したことになる。
然るに、
(11)
①我訓読(漢文)⇒
②我(漢文)訓読=我、漢文を訓読す。
③ABB(CC)⇒
④A(CC)BB=・・・・・・・・。
⑤AB二(C一)⇒
⑥A(C一)B二=・・・・・・・・。
∴
①我訓読(漢文)⇒
③ABB(CC)⇒
⑤AB二(C一)⇒
∴
①訓読(漢文)
⑤B二(C一)
∴
①訓読=B二、⑤文=一。
従って、
(12)
①我訓読(漢文)⇒
②我(漢文)訓読=我、漢文を訓読す。
という「変換」に於いては、
①訓読=B二 という「一語」が、
⑤ 文=一 という「一字の直下」に、「移動」したことになる。
従って、
(13)
換言すると、
「二」という「返り点」を伴った、「訓読」という「一語」が、
「一」という「返り点」を伴った、「 語」という「一字」の下に、「移動」したことになる。
然るに、
(14)
①我訓読(漢文)⇒
②我(漢文)訓読=我、漢文を訓読す。
の場合は、ハイフンを用いて、
①我訓‐読(漢文)⇒
②我(漢文)訓‐読=我、漢文を訓-読す。
③AB-B(CC)⇒
④A(CC)B‐B=・・・・・・・・。
⑤AB二B(C一)⇒
⑥A(C一)B二B=・・・・・・・・。
∴
①我訓‐読(漢文)⇒
③AB-B(CC)⇒
⑤AB二B(C一)⇒
∴
①訓‐読(漢文)
⑤B二B(C一)
∴
①訓-読=B二B、⑤文=一。
という風に、することも、出来る。
従って、
(15)
①我訓‐読(漢文)⇒
②我(漢文)訓‐読=我、漢文を訓-読す。
⑤AB二B(C一)⇒
⑥A(C一)B二B=・・・・・・・・。
従って、
(12)(15)により、
(16)
①我訓読(漢文)⇒
②我(漢文)訓読=我、漢文を訓読す。
⑤AB二(C一)⇒
⑥A(C一)B二=・・・・・・・・。
であって、尚且つ、
①我訓‐読(漢文)⇒
②我(漢文)訓‐読=我、漢文を訓-読す。
⑤AB二B(C一)⇒
⑥A(C一)B二B=・・・・・・・・。
である。
従って、
(17)
①我訓読(漢文) =我、漢文を訓読す。
であって、尚且つ、
①我訓‐読(漢文)=我、漢文を訓‐読す。
であるものの、
この場合であれば、敢えて、
①我訓‐読(漢文)=我、漢文を訓‐読す。
とする、必要はない。
cf.
ハイフンに関しては初心者用符号であって、入試問題ではハイフンのついてないこともある(志村和久、漢文早わかり、p15)。
今なほ漢文関係の参考書や問題集には、連符号(ハイフン)は「なくて誤りでない」だの「省略されることが多い」だのと記してゐるものが少なくない。いささか無神経ではあるまいか(古田島洋介、返り点を正しく打つために、CiNii 論文検索)。
〔18〕
訓読、教育、先後生、楚之大夫、嘆息痛恨、
と云った、
「熟語や、n文字の固有名詞」他、
加へて、
「於此(ここに、これを)」、
「於桓霊(桓霊に、桓霊を)」、
等は、それ自体を、「一語」とする。
従って、
(19)
①有〔楚之大夫(於此)〕 ⇒
②〔(於此)楚之大夫〕 有=ここに、楚の大夫有り。
③C〔BBBB(AA)〕 ⇒
④〔(AA)BBBB〕 C。
⑤三〔BBB二(A一)〕 ⇒
⑥〔(A一)BBB二〕三。
∴
①有〔楚之大夫(於此)〕 ⇒
③C 〔B B B B (AA)〕 ⇒
⑤三〔B B B二 (A一)〕 ⇒
∴
①有〔楚之大夫(於此)〕
⑤三〔B B B二 (A一)〕
∴
①有〔夫(此)〕
⑤三〔二 (一)〕
∴
有=三、夫=二、此=一。
従って、
(20)
①有〔夫(於此)〕 ⇒
②〔(於此)夫〕 有=ここに、夫有り。
の「括弧」は、
①有〔楚之大夫(於此)〕 ⇒
②〔(於此)楚之大夫〕 有=ここに、楚の大夫有り。
の「括弧」に、等しく、
①有〔夫(於此)〕
①有〔楚之大夫(於此)〕
に対する、「返り点」は、「三、二、一。」である。
cf.
しかし、すこし問題がある。「楚大夫」を一つの熟語とみなすのはすこし苦しい。「楚」と「大夫」との間の結びつきは熟語というほどのものではない。そこで、
(A) 有(レ)楚二大(-三)夫於此(一)
(B) 有(四)楚(二)大(-三)夫於此(一)
右のような複雑な返り点のつけかたが登場してくる。(A)は、戦前の中等学校の漢文の教科書に載っている例である(二畳庵主人、漢文法基礎、1977年、82頁)。
〔21〕
「何不」と同じで「何不カフ」の二音が「盍カフ(コウ)」の一音につまったもので、「蓋」と同じに用いる(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、558頁)。
∴
盍言=何不言
∴
盍(言)=何+不(言)
の「変換」は、
盍(言)⇒何(言)不=何ぞ言は不る。
∴
将=将+爲
であるならば、
将(行)=将+爲(行)
の「変換」は、
将(行)⇒将(行)爲=将に行かむと爲。
となって、都合がよい。
そのため、
「再読文字」は、便宜上、
未=未+不
且=且+爲
當=當+可
猶=猶+如
のやうに、
A=A+B
であるとする。
〔22〕
( )は、{ }の中と、[ ]の中と、〔 〕の中に入ることが出来、
〔 〕は、[ ]の中と、{ }の中に入ることが出来、
[ ]は、{ }の中に入ることが出来、
{ }の中には、一個以上の[ ]が入り、
[ ]の中には、一個以上の〔 〕が入り、
〔 〕の中には、一個以上の( )が入る。
e.g.
使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}
の場合は、
{ [ 〔 ( ) ( ) 〕 ( ) ] ( ) ( ) }
のやうに、
2つの( )が、〔 〕の中に、
1つの( )が、[ ]の中に、
2つの( )が、{ }の中に、入ってゐる
従って、
〔22〕により、
(23)
〔 〕の中には、一個以上の( )が入り、
[ ]の中には、一個以上の〔 〕が入り、
{ }の中には、一個以上の[ ]が入り、
[ ]は、{ }の中に入ることが出来、
〔 〕は、[ ]の中と、{ }の中に入ることが出来、
( )は、{ }の中と、[ ]の中と、〔 〕の中に入ることが出来る。
然るに、
(24)
①2(1)⇒(1)2
②3〔2(1)〕⇒〔(1)2〕3
④4〔2(1)3〕⇒〔(1)23〕4
⑤5〔2(1)4(3)〕⇒〔(1)2(3)4〕5
⑥6〔2(1)4(3)5〕⇒〔(1)2(3)45〕6
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
従って、
〔22〕(23)(24)に対して、「誰かが行う、数学的帰納法」により、・・・・・。
平成13年12月16日の「記事」を、書き換えます。
(01)
平成13年04月07日の記事の中で、
すぐにでも、「80枚の写真からなるホームページ」を公開し、そのことによって、ブログの更新に代えさせてもらう。と、書いておきながら、12月16日になっても、02月09日に撮影した、その写真を、ホームページに載せることが出来ないでいる。ことに関して、
2011.12.16.FriCategory:漢文
http://blog-imgs-17.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0005.jpg
http://blog-imgs-17.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0035.jpg
http://blog-imgs-17.fc2.com/k/a/n/kannbunn/DSCF0060.jpg
I=1 I=31 I=56
従って、ウソではなく、
項目の種類:JEPGイメージ
撮影の日時:2011/02/09/ 10:56
大きさ640×480 サイズ158KB
の他にも、画像は存在しますし、ヤル気も有るのですが、能力(適性)が無いため(DigitalDivideのため)、遅れに遅れていて、にも拘わらず、目途も立たないまま、二週間程で、今年も暮れようとしています。そのため、これ以上、待って貰うわけには、行かないので、・・・・・。
(02)
{[〔( は括弧。
)〕]} は括弧。
{[〔( )〕]} も括弧。
では困るので、
{[〔( は 括。
)〕]} は 弧。
{[〔( )〕]} は 括弧とする。
(03)
A{B[C〔D(E)甲〕乙]丙}丁
に於ける、
ABCD の位置を、「括の直上」とし、
E甲乙丙 の位置を、「弧の直上」とし
甲乙丙丁の位置を、「弧の直下」とする。
従って、
(04)
D(E)甲
に於いて、
E)の、Eは、「弧の直上」であるが、その一方で、
)甲の、甲は、「弧の直下」である。
従って、
(05)
D(E)甲 ⇒(E)D 甲
に於いて、
Dは、「弧の直下」に移動した。
と言える一方で、
Dは、「弧の直上のE」の「直下」に移動した。
とすることが、出来る。
従って、
(06)
「括の直上の一語」を、「弧の直下」へ「移すこと」を、「変換」とする。
ということは、換言すれば、
「括の直上の一語」を、「弧の直上の語の、直下」へ「移すこと」である。
そのため、
(07)
「FC2ブログ」に於いて、
「括の直上の一語」を、「弧の直下」へ「移すこと」を、「変換」とする。
とした、その、「変換」を、例えば、
①C〔B(A)〕
②C〔B(A)〕⇒C〔(A)B〕
③C〔B(A)〕⇒C〔(A)B〕⇒〔(A)B〕C
のようなステップで、「括の直上の一語」を、「弧の直上の語の、直下」へ「移すこと」である。と、する。
然るに、
(08)
①我読(日本語)⇒
②我(日本語)読=我、日本語を読む。
③AB(CCC)⇒
④A(CCC)B=・・・・・・・・。
⑤A二(CC一)⇒
⑥A(CC一)二=・・・・・・・・。
∴
①我読(日本語)⇒
③AB(CCC)⇒
⑤A二(CC一)⇒
∴
①読(日本語)
⑤二(CC一)
∴
①読、語。
⑤二、一。
∴
①読=二、⑤語=一。
従って、
(09)
①我読(日本語)⇒
②我(日本語)読=我、日本語を読む。
という「変換」に於いては、
①読=二 という「一語」が、
⑤語=一 という「一字の直下」に、「移動」したことになる。
従って、
(10)
換言すると、
「二」という「返り点」を伴った、「読」という「一語」が、
「一」という「返り点」を伴った、「語」という「一字」の下に、「移動」したことになる。
然るに、
(11)
①我訓読(漢文)⇒
②我(漢文)訓読=我、漢文を訓読す。
③ABB(CC)⇒
④A(CC)BB=・・・・・・・・。
⑤AB二(C一)⇒
⑥A(C一)B二=・・・・・・・・。
∴
①我訓読(漢文)⇒
③ABB(CC)⇒
⑤AB二(C一)⇒
∴
①訓読(漢文)
⑤B二(C一)
∴
①訓読=B二、⑤文=一。
従って、
(12)
①我訓読(漢文)⇒
②我(漢文)訓読=我、漢文を訓読す。
という「変換」に於いては、
①訓読=B二 という「一語」が、
⑤ 文=一 という「一字の直下」に、「移動」したことになる。
従って、
(13)
換言すると、
「二」という「返り点」を伴った、「訓読」という「一語」が、
「一」という「返り点」を伴った、「 語」という「一字」の下に、「移動」したことになる。
然るに、
(14)
①我訓読(漢文)⇒
②我(漢文)訓読=我、漢文を訓読す。
の場合は、ハイフンを用いて、
①我訓‐読(漢文)⇒
②我(漢文)訓‐読=我、漢文を訓-読す。
③AB-B(CC)⇒
④A(CC)B‐B=・・・・・・・・。
⑤AB二B(C一)⇒
⑥A(C一)B二B=・・・・・・・・。
∴
①我訓‐読(漢文)⇒
③AB-B(CC)⇒
⑤AB二B(C一)⇒
∴
①訓‐読(漢文)
⑤B二B(C一)
∴
①訓-読=B二B、⑤文=一。
という風に、することも、出来る。
従って、
(15)
①我訓‐読(漢文)⇒
②我(漢文)訓‐読=我、漢文を訓-読す。
⑤AB二B(C一)⇒
⑥A(C一)B二B=・・・・・・・・。
従って、
(12)(15)により、
(16)
①我訓読(漢文)⇒
②我(漢文)訓読=我、漢文を訓読す。
⑤AB二(C一)⇒
⑥A(C一)B二=・・・・・・・・。
であって、尚且つ、
①我訓‐読(漢文)⇒
②我(漢文)訓‐読=我、漢文を訓-読す。
⑤AB二B(C一)⇒
⑥A(C一)B二B=・・・・・・・・。
である。
従って、
(17)
①我訓読(漢文) =我、漢文を訓読す。
であって、尚且つ、
①我訓‐読(漢文)=我、漢文を訓‐読す。
であるものの、
この場合であれば、敢えて、
①我訓‐読(漢文)=我、漢文を訓‐読す。
とする、必要はない。
cf.
ハイフンに関しては初心者用符号であって、入試問題ではハイフンのついてないこともある(志村和久、漢文早わかり、p15)。
今なほ漢文関係の参考書や問題集には、連符号(ハイフン)は「なくて誤りでない」だの「省略されることが多い」だのと記してゐるものが少なくない。いささか無神経ではあるまいか(古田島洋介、返り点を正しく打つために、CiNii 論文検索)。
〔18〕
訓読、教育、先後生、楚之大夫、嘆息痛恨、
と云った、
「熟語や、n文字の固有名詞」他、
加へて、
「於此(ここに、これを)」、
「於桓霊(桓霊に、桓霊を)」、
等は、それ自体を、「一語」とする。
従って、
(19)
①有〔楚之大夫(於此)〕 ⇒
②〔(於此)楚之大夫〕 有=ここに、楚の大夫有り。
③C〔BBBB(AA)〕 ⇒
④〔(AA)BBBB〕 C。
⑤三〔BBB二(A一)〕 ⇒
⑥〔(A一)BBB二〕三。
∴
①有〔楚之大夫(於此)〕 ⇒
③C 〔B B B B (AA)〕 ⇒
⑤三〔B B B二 (A一)〕 ⇒
∴
①有〔楚之大夫(於此)〕
⑤三〔B B B二 (A一)〕
∴
①有〔夫(此)〕
⑤三〔二 (一)〕
∴
有=三、夫=二、此=一。
従って、
(20)
①有〔夫(於此)〕 ⇒
②〔(於此)夫〕 有=ここに、夫有り。
の「括弧」は、
①有〔楚之大夫(於此)〕 ⇒
②〔(於此)楚之大夫〕 有=ここに、楚の大夫有り。
の「括弧」に、等しく、
①有〔夫(於此)〕
①有〔楚之大夫(於此)〕
に対する、「返り点」は、「三、二、一。」である。
cf.
しかし、すこし問題がある。「楚大夫」を一つの熟語とみなすのはすこし苦しい。「楚」と「大夫」との間の結びつきは熟語というほどのものではない。そこで、
(A) 有(レ)楚二大(-三)夫於此(一)
(B) 有(四)楚(二)大(-三)夫於此(一)
右のような複雑な返り点のつけかたが登場してくる。(A)は、戦前の中等学校の漢文の教科書に載っている例である(二畳庵主人、漢文法基礎、1977年、82頁)。
〔21〕
「何不」と同じで「何不カフ」の二音が「盍カフ(コウ)」の一音につまったもので、「蓋」と同じに用いる(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、558頁)。
∴
盍言=何不言
∴
盍(言)=何+不(言)
の「変換」は、
盍(言)⇒何(言)不=何ぞ言は不る。
∴
将=将+爲
であるならば、
将(行)=将+爲(行)
の「変換」は、
将(行)⇒将(行)爲=将に行かむと爲。
となって、都合がよい。
そのため、
「再読文字」は、便宜上、
未=未+不
且=且+爲
當=當+可
猶=猶+如
のやうに、
A=A+B
であるとする。
〔22〕
( )は、{ }の中と、[ ]の中と、〔 〕の中に入ることが出来、
〔 〕は、[ ]の中と、{ }の中に入ることが出来、
[ ]は、{ }の中に入ることが出来、
{ }の中には、一個以上の[ ]が入り、
[ ]の中には、一個以上の〔 〕が入り、
〔 〕の中には、一個以上の( )が入る。
e.g.
使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}
の場合は、
{ [ 〔 ( ) ( ) 〕 ( ) ] ( ) ( ) }
のやうに、
2つの( )が、〔 〕の中に、
1つの( )が、[ ]の中に、
2つの( )が、{ }の中に、入ってゐる
従って、
〔22〕により、
(23)
〔 〕の中には、一個以上の( )が入り、
[ ]の中には、一個以上の〔 〕が入り、
{ }の中には、一個以上の[ ]が入り、
[ ]は、{ }の中に入ることが出来、
〔 〕は、[ ]の中と、{ }の中に入ることが出来、
( )は、{ }の中と、[ ]の中と、〔 〕の中に入ることが出来る。
然るに、
(24)
①2(1)⇒(1)2
②3〔2(1)〕⇒〔(1)2〕3
④4〔2(1)3〕⇒〔(1)23〕4
⑤5〔2(1)4(3)〕⇒〔(1)2(3)4〕5
⑥6〔2(1)4(3)5〕⇒〔(1)2(3)45〕6
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
従って、
〔22〕(23)(24)に対して、「誰かが行う、数学的帰納法」により、・・・・・。
2013年5月7日火曜日
漢文の返り点で混乱です・・
返り点 - Yahoo!知恵袋(1237件中、1~10件の、1)
samusonnissuesnowさん
漢文の返り点で混乱です・・
漢文の返り点で、どっちについてるのかが分からなくなりました。
たとえば、
あ い(レ)う え お
()は分かりやすくするために付けました。
↑なら、あうえおいですよね・・?
でも、この返り点が、「い」にくっつくのか、「う」にくっつくのかが分からないんです。
あうえおいか、もう一つ、あういえお とどっちだかわからなくなります。
漢文の返り点はどっちにつくのでしょうか・・?
質問日時:2011/9/23 17:09:45
解決日時:2011/9/27 18:18:19
回答数:6
御礼:知恵コイン:500
閲覧数:2,369
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ベストアンサーに選ばれた回答
fontomanieさん
返り点のうち「レ点」は下の字に附きます。
それ以外の「一二三」「上中下」などは上の字に附きます。
(01)
①登(竜門)⇒
②(竜門)登=竜門に登る。
③A(BB)⇒
④(BB)A=・・・・・。
⑤二(B一)⇒
⑥(B一)二=・・・・・。
∴
(02)
①登(竜門)⇒
③A(BB)⇒
⑤二(B一)⇒
∴
(03)
①登、門。
⑤二、一。
∴
(04)
登=二
門=一
然るに、
(05)
①登(門)⇒
②(門)登=門に登る。
③A(B)⇒
④(B)A=・・・・。
⑤二(一)⇒
⑥(一)二=・・・・。
∴
(06)
①登(門)⇒
③A(B)⇒
⑤二(一)⇒
∴
(07)
①登、門。
⑤二、一。
∴
(08)
登=二
門=一
然るに、
(09)
①登(門)⇒
③A(B)⇒
⑤レ(0)⇒
∴
(10)
①登、門。
⑤レ、0。
∴
(11)
登=レ
門=
然るに、
(12)
【誤】登レ竜‐門
「登竜門」の二字を連読符号でつなぎ、レ点で「登」に返していますが、これは現行の返り点法では認められません。なぜなら、読み順が「竜→門→登」に返る以上、「門」と「登」は連続した二字ではありませんから、レ点で返すことは原則違反なのです。正しい返り点は次のようになります。
【正】登2竜門1
(これならわかる返り点 ―入門から応用まで― 古田島洋介、2009年、58・9頁)
従って、
(13)
【正】登2竜門1
【誤】登2竜‐門
【誤】登レ竜‐門
然るに、
(14)
【正】登2竜門1
の、「1」を省略すると、
【誤】登2竜門
(15)
【誤】登2竜‐門
の「2」に、「レ」を代入し、「-」を省略すると、
【誤】登レ竜門
従って、
(14)(15)により、
(16)
【誤】登レ竜門
は、
【正】登2竜門1
の、「1」を省略した上で、「2」を、「レ」に変えた形である。
従って、
(16)により、
(17)
【正】登2竜門=【正】登レ竜門
然るに、
ベストアンサーにより、
(18)
「一二三」「上中下」などは上の字に附きます。
然るに、
(19)
縦書きにおいて、「上」とは、横書きにおいて、「左」である。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
【正】登2=【正】登レ
において、
「2」=「レ」 は、「横書き」であれば、「左の字」に、「縦書き」であれば、「上の字」に附く。
従って、
(21)
「レ」を含めて、「一二三」「上中下」などの「返り点」は、「上の字」に附きます。
Q.E.D. ― 「返り点(漢文の読み方)の基本」が知りたい方は、http://www9.ocn.ne.jp/~kannbunn/をクリックされると、
「縦書きのホームページ」が有るので、是非とも、お読み下さい。 ―
samusonnissuesnowさん
漢文の返り点で混乱です・・
漢文の返り点で、どっちについてるのかが分からなくなりました。
たとえば、
あ い(レ)う え お
()は分かりやすくするために付けました。
↑なら、あうえおいですよね・・?
でも、この返り点が、「い」にくっつくのか、「う」にくっつくのかが分からないんです。
あうえおいか、もう一つ、あういえお とどっちだかわからなくなります。
漢文の返り点はどっちにつくのでしょうか・・?
質問日時:2011/9/23 17:09:45
解決日時:2011/9/27 18:18:19
回答数:6
御礼:知恵コイン:500
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ベストアンサーに選ばれた回答
fontomanieさん
返り点のうち「レ点」は下の字に附きます。
それ以外の「一二三」「上中下」などは上の字に附きます。
(01)
①登(竜門)⇒
②(竜門)登=竜門に登る。
③A(BB)⇒
④(BB)A=・・・・・。
⑤二(B一)⇒
⑥(B一)二=・・・・・。
∴
(02)
①登(竜門)⇒
③A(BB)⇒
⑤二(B一)⇒
∴
(03)
①登、門。
⑤二、一。
∴
(04)
登=二
門=一
然るに、
(05)
①登(門)⇒
②(門)登=門に登る。
③A(B)⇒
④(B)A=・・・・。
⑤二(一)⇒
⑥(一)二=・・・・。
∴
(06)
①登(門)⇒
③A(B)⇒
⑤二(一)⇒
∴
(07)
①登、門。
⑤二、一。
∴
(08)
登=二
門=一
然るに、
(09)
①登(門)⇒
③A(B)⇒
⑤レ(0)⇒
∴
(10)
①登、門。
⑤レ、0。
∴
(11)
登=レ
門=
然るに、
(12)
【誤】登レ竜‐門
「登竜門」の二字を連読符号でつなぎ、レ点で「登」に返していますが、これは現行の返り点法では認められません。なぜなら、読み順が「竜→門→登」に返る以上、「門」と「登」は連続した二字ではありませんから、レ点で返すことは原則違反なのです。正しい返り点は次のようになります。
【正】登2竜門1
(これならわかる返り点 ―入門から応用まで― 古田島洋介、2009年、58・9頁)
従って、
(13)
【正】登2竜門1
【誤】登2竜‐門
【誤】登レ竜‐門
然るに、
(14)
【正】登2竜門1
の、「1」を省略すると、
【誤】登2竜門
(15)
【誤】登2竜‐門
の「2」に、「レ」を代入し、「-」を省略すると、
【誤】登レ竜門
従って、
(14)(15)により、
(16)
【誤】登レ竜門
は、
【正】登2竜門1
の、「1」を省略した上で、「2」を、「レ」に変えた形である。
従って、
(16)により、
(17)
【正】登2竜門=【正】登レ竜門
然るに、
ベストアンサーにより、
(18)
「一二三」「上中下」などは上の字に附きます。
然るに、
(19)
縦書きにおいて、「上」とは、横書きにおいて、「左」である。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
【正】登2=【正】登レ
において、
「2」=「レ」 は、「横書き」であれば、「左の字」に、「縦書き」であれば、「上の字」に附く。
従って、
(21)
「レ」を含めて、「一二三」「上中下」などの「返り点」は、「上の字」に附きます。
Q.E.D. ― 「返り点(漢文の読み方)の基本」が知りたい方は、http://www9.ocn.ne.jp/~kannbunn/をクリックされると、
「縦書きのホームページ」が有るので、是非とも、お読み下さい。 ―
漢文の返り点の問題です。
返り点 - Yahoo!知恵袋(1237件中、1~10件の、2)
急ぎで教えていただきたいです! 漢文の返り点の問題です。解答が納得できず、質...
oq8ma_302さん
急ぎで教えていただきたいです!
漢文の返り点の問題です。解答が納得できず、質問します。出典は『名公書判清明集』です。
問題
「所以異禽獣者、謂其知有礼儀也」の書き下し文は、「禽(きん)獣に異なる所以の者は、其の礼儀有るを知るが謂(ため)なり」であるが、これに従って返り点を施せ。
答え
所…三点
異…二点
獣…一点
謂…三点
知…レ点
有…二点
義…一点
ですが、疑問点は2つです。
1.所以はハイフンでつなぎ、その真横に三点ではないのか。「所」の右下だと「以」を一番目に読むことになってしまわないか。
2.「義」→「有」→「知」→「謂」と、「知」のレ点をはさんで、一、二、三点と返ることはありえるのか。
個人的には、「知」には一レ点をふり「謂」に二点をふった方がわかりやすいと思っています。
おわかりの方いらっしゃいましたら、ご回答願います!
補足 「其の懸かり受け」について、一レ点とレ点の場合でどのように違ってくるのか、それぞれご説明いただけないでしょうか。すみませんが、よろしくおねがいします。
質問日時:2012/1/11 05:55:18.
解決日時:2012/1/17 01:58:11.
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kiebine2007さん
所3以異2禽獣1者、謂3其知v有2礼儀1也。
わかりにくいので、上記のように書き換えました。
正解で正解です。あなたの考えは正しくありません。
1. ハイフンは必ず必要というわけではありません。
somalis4さん
1. ハイフンは「返り点の一部」であり、また、あってもなくてもかまわないものです。
古田島洋介、返り点を正しく打つために(CiNii 論文検索):
1. 今なほ漢文関係の参考書や問題集には、連符号(ハイフン)は「なくて誤りでない」だの「省略されることが多い」だのと記してゐるものが少なくない。いささか無神経ではあるまいか。
毛利太の回答〔H25/07/09:補足〕:
1.所以はハイフンでつなぎ、その真横に三点ではないのか。「所」の左下だと「以」を一番目に読むことになってしまわないか。
ということに関しては、
「http://www9.ocn.ne.jp/~kannbunn/」の、(01)~(14)を、お読みください。
『返り点に対する「括弧」の用法3』 の、(14)の中で、
― この場を借りて、ヤフー知恵袋、質問者さんへ。―
という形で、「縦書き」で、「返り点」を用いて、その点について、説明させて、もらっています。
2.「義」→「有」→「知」→「謂」と、「知」のレ点をはさんで、一、二、三点と返ることはありえるのか。
個人的には、「知」には一レ点をふり「謂」に二点をふった方がわかりやすいと思っています。
ということに関しては、すなわち、
「三 レ 二 一」と、
「二 一レ 二 一」という、「返り点(cf.朝三暮四)」に関しては、
『返り点に対する「括弧」の用法3』の、(19)~(30)を、お読みください。
「三 レ 二 一」=
「三 三 二 一」
という観点から、
「三 レ 二 一」という「返り点」を、(19)~(30)に於いて、論じています。
その際には、
①(00)~(99)
②(00)~(25)=(100)~(125)
③(01)~(92)
という風に、「番号」が振られているため、
『返り点に対する「括弧」の用法3』 の 、(19)~(30)を、お読みください。
という場合のそれは、
①(00)~(99)の中の、(19)~(30)である点に、注意してください。
今述べたように、
『返り点に対する「括弧」の用法3(http://www9.ocn.ne.jp/~kannbunn/)』の、
①(01)~(14)、(19)~(30)
に、目を通してもらえる場合は、「以下の部分」は、必ずしも、読む必要は、無いのですが、消してしまう必要も無いため、このまま、残すことに、します。
毛利太:
①所‐以〔異(禽獣)〕者、謂[其知〔有(礼儀)〕]也⇒
②〔(禽獣)異〕所-以者、[其〔(礼儀)有〕知]謂也=禽獣に異なる所以の者は、其の礼儀有るを知るが謂なり。
③A‐A〔B(CC)〕D、E[FG〔H(II)〕]J⇒
④〔(CC)B〕A‐AD、[F〔(II)H〕G]EJ=・・・・・。
⑤A三A〔二(C一)〕D、四[F三〔二(I一)〕]J⇒
⑥〔(C一)二〕A三AD、[F〔(I一)二〕三]四J=・・・・・。
∴
①所‐以〔異(禽獣)〕者、謂[其知〔有(礼儀)〕]也⇒
③A ‐ A〔B (C C)〕 D、 四 [F 三〔二( I 一)〕]J⇒
∴
①所‐以、 異、禽獣、謂、知、有、儀。
⑤A三A、 二、C一、 四、三、二、一。
∴
所‐以…三点
異…二点
獣…一点
謂…四点
知…三点
有…二点
義…一点
然るに、
私が用いた、参考書(旺文社、1973)であれば、
movie0ichiさん のように、
謂(二)其知(一レ)有(二)礼儀(一)也 が正解です。
∴
私が受験生であった、時代であれば、
所‐以…三点
異…二点
獣…一点
謂…二点
知…一レ点
有…二点
義…一点
が、正しい。
∴
文科省的には、
所‐以…三点
異…二点
獣…一点
謂…二点
知…一レ点
有…二点
義…一点
が、今でも正しい。はずである。
謂3其知v有2礼儀1也。
わかりにくいので、上記のように書き換えました。
に関しては、
謂3其知v有2礼儀1也。
を、敢えて、「括弧」で表した場合、
謂〔其知(有( )礼儀)〕也⇒
〔其(( )知礼儀)有〕謂也=其の知る礼儀有るの謂なり。
となるため、
謂3其知v有2礼儀1也=其の礼儀有るを知るが謂なり。
とはならないし、固より、
謂〔其知(有( )礼儀)〕也
のような、「括弧」は、無い。
謂(三)其知(レ)有(二)礼儀(一)也 だと、有 の字は、二点で一点に行けという意味になり、レ点で、知に行け と言うことになり、どっちに行けばいいかわかりません。
に関しては、
レ点は、 一二点で表せるため、
知(レ)有=
知(二) 有(一)⇒ 有(一)知(二)
有(二)礼儀(一)⇒礼儀(一)有(二)
であって、それ故、
知の字はレ点で、 有の次(下)に行け、とされ、
有の字は一二点で、礼儀の次(下)に行け、とされる。
とするのが、正しい。従って、
知が、有の下へ行ったら、有は、儀の下へ行った、後であった。ことになる。
急ぎで教えていただきたいです! 漢文の返り点の問題です。解答が納得できず、質...
oq8ma_302さん
急ぎで教えていただきたいです!
漢文の返り点の問題です。解答が納得できず、質問します。出典は『名公書判清明集』です。
問題
「所以異禽獣者、謂其知有礼儀也」の書き下し文は、「禽(きん)獣に異なる所以の者は、其の礼儀有るを知るが謂(ため)なり」であるが、これに従って返り点を施せ。
答え
所…三点
異…二点
獣…一点
謂…三点
知…レ点
有…二点
義…一点
ですが、疑問点は2つです。
1.所以はハイフンでつなぎ、その真横に三点ではないのか。「所」の右下だと「以」を一番目に読むことになってしまわないか。
2.「義」→「有」→「知」→「謂」と、「知」のレ点をはさんで、一、二、三点と返ることはありえるのか。
個人的には、「知」には一レ点をふり「謂」に二点をふった方がわかりやすいと思っています。
おわかりの方いらっしゃいましたら、ご回答願います!
補足 「其の懸かり受け」について、一レ点とレ点の場合でどのように違ってくるのか、それぞれご説明いただけないでしょうか。すみませんが、よろしくおねがいします。
質問日時:2012/1/11 05:55:18.
解決日時:2012/1/17 01:58:11.
回答数:3.
お礼:知恵コイン250枚.
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kiebine2007さん
所3以異2禽獣1者、謂3其知v有2礼儀1也。
わかりにくいので、上記のように書き換えました。
正解で正解です。あなたの考えは正しくありません。
1. ハイフンは必ず必要というわけではありません。
somalis4さん
1. ハイフンは「返り点の一部」であり、また、あってもなくてもかまわないものです。
古田島洋介、返り点を正しく打つために(CiNii 論文検索):
1. 今なほ漢文関係の参考書や問題集には、連符号(ハイフン)は「なくて誤りでない」だの「省略されることが多い」だのと記してゐるものが少なくない。いささか無神経ではあるまいか。
毛利太の回答〔H25/07/09:補足〕:
1.所以はハイフンでつなぎ、その真横に三点ではないのか。「所」の左下だと「以」を一番目に読むことになってしまわないか。
ということに関しては、
「http://www9.ocn.ne.jp/~kannbunn/」の、(01)~(14)を、お読みください。
『返り点に対する「括弧」の用法3』 の、(14)の中で、
― この場を借りて、ヤフー知恵袋、質問者さんへ。―
という形で、「縦書き」で、「返り点」を用いて、その点について、説明させて、もらっています。
2.「義」→「有」→「知」→「謂」と、「知」のレ点をはさんで、一、二、三点と返ることはありえるのか。
個人的には、「知」には一レ点をふり「謂」に二点をふった方がわかりやすいと思っています。
ということに関しては、すなわち、
「三 レ 二 一」と、
「二 一レ 二 一」という、「返り点(cf.朝三暮四)」に関しては、
『返り点に対する「括弧」の用法3』の、(19)~(30)を、お読みください。
「三 レ 二 一」=
「三 三 二 一」
という観点から、
「三 レ 二 一」という「返り点」を、(19)~(30)に於いて、論じています。
その際には、
①(00)~(99)
②(00)~(25)=(100)~(125)
③(01)~(92)
という風に、「番号」が振られているため、
『返り点に対する「括弧」の用法3』 の 、(19)~(30)を、お読みください。
という場合のそれは、
①(00)~(99)の中の、(19)~(30)である点に、注意してください。
今述べたように、
『返り点に対する「括弧」の用法3(http://www9.ocn.ne.jp/~kannbunn/)』の、
①(01)~(14)、(19)~(30)
に、目を通してもらえる場合は、「以下の部分」は、必ずしも、読む必要は、無いのですが、消してしまう必要も無いため、このまま、残すことに、します。
毛利太:
①所‐以〔異(禽獣)〕者、謂[其知〔有(礼儀)〕]也⇒
②〔(禽獣)異〕所-以者、[其〔(礼儀)有〕知]謂也=禽獣に異なる所以の者は、其の礼儀有るを知るが謂なり。
③A‐A〔B(CC)〕D、E[FG〔H(II)〕]J⇒
④〔(CC)B〕A‐AD、[F〔(II)H〕G]EJ=・・・・・。
⑤A三A〔二(C一)〕D、四[F三〔二(I一)〕]J⇒
⑥〔(C一)二〕A三AD、[F〔(I一)二〕三]四J=・・・・・。
∴
①所‐以〔異(禽獣)〕者、謂[其知〔有(礼儀)〕]也⇒
③A ‐ A〔B (C C)〕 D、 四 [F 三〔二( I 一)〕]J⇒
∴
①所‐以、 異、禽獣、謂、知、有、儀。
⑤A三A、 二、C一、 四、三、二、一。
∴
所‐以…三点
異…二点
獣…一点
謂…四点
知…三点
有…二点
義…一点
然るに、
私が用いた、参考書(旺文社、1973)であれば、
movie0ichiさん のように、
謂(二)其知(一レ)有(二)礼儀(一)也 が正解です。
∴
私が受験生であった、時代であれば、
所‐以…三点
異…二点
獣…一点
謂…二点
知…一レ点
有…二点
義…一点
が、正しい。
∴
文科省的には、
所‐以…三点
異…二点
獣…一点
謂…二点
知…一レ点
有…二点
義…一点
が、今でも正しい。はずである。
謂3其知v有2礼儀1也。
わかりにくいので、上記のように書き換えました。
に関しては、
謂3其知v有2礼儀1也。
を、敢えて、「括弧」で表した場合、
謂〔其知(有( )礼儀)〕也⇒
〔其(( )知礼儀)有〕謂也=其の知る礼儀有るの謂なり。
となるため、
謂3其知v有2礼儀1也=其の礼儀有るを知るが謂なり。
とはならないし、固より、
謂〔其知(有( )礼儀)〕也
のような、「括弧」は、無い。
謂(三)其知(レ)有(二)礼儀(一)也 だと、有 の字は、二点で一点に行けという意味になり、レ点で、知に行け と言うことになり、どっちに行けばいいかわかりません。
に関しては、
レ点は、 一二点で表せるため、
知(レ)有=
知(二) 有(一)⇒ 有(一)知(二)
有(二)礼儀(一)⇒礼儀(一)有(二)
であって、それ故、
知の字はレ点で、 有の次(下)に行け、とされ、
有の字は一二点で、礼儀の次(下)に行け、とされる。
とするのが、正しい。従って、
知が、有の下へ行ったら、有は、儀の下へ行った、後であった。ことになる。
2013年5月5日日曜日
漢文を横書きで表すのは、・・・。Yahoo!知恵袋
(00)
返り点 - Yahoo!知恵袋(1235件中 1~10件の、3)
質問日時:2009/5/4 17:30:34
解決日時:2009/5/5 17:37:20
回答数:3
お礼:知恵コイン50枚
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別ので「1 2二 3 4一」という問題があったんですが
回答者さんの行ったやりかたでやればまず
返り点のついていないのを先に読んでいくので1と3を読み、次に一点がついている4を、その次に二点のついている2を
という事になって
答えは1 3 4 2になります
(02)
けど答えは「1 4 2 3」です・・・
頭が少しこんがらっていますがこれに対する回答もできればお願いしますm(_ _)m
(これらは通信教育Z会の予習篇 国語の中の問題です><)
然るに、
(03)
正しいのは、odenncandy620さんの、
答えは「1 3 4 2」になります。
であって、間違っているのは、
けど答えは「1 4 2 3」です・・・
の「1 4 2 3」です。
何故なら、
(04)
我=1
読=2
二
漢=3
文=4
一
において、
けど答えは「1 4 2 3」です・・・
が正しいとしたら、
我読漢文=我1、文を4、読む2、漢3。=「1 4 2 3」。
となって、意味をなさないし、
我読漢文=我1、文を4、読む2、漢3。
は、「括弧」としても、もちろん、誤りである。
すなわち、
(05)
けど答えは「1 4 2 3」です・・・
という答えは、「括弧」では、
我読(漢〔文)〕⇒
我(〔文)読〕漢=我1、文を4、読む2、漢3。
となるものの、
(〔 )〕
という形の、「括弧」は、有り得ない。
然るに、
(06)
そのように、
「括弧」として、誤りであるが故に、「返り点」としても、誤りである。
としても、そのことを、
odenncandy620さんに納得してもらえるためには、
odenncandy620さんが、『漢文の返り点に対する「括弧」の用法』を、知っている必要がある。
然るに、
(07)
odenncandy620さんは、『漢文の返り点に対する「括弧」の用法』を、知らない。はずである。
(08)
「返り点」で検索した際、以前であれば、私のブログである、『返り点に対する「括弧」の用法について提案』は、ギリギリ、10位以内であったものの、今それを、グーグルで検索した所、少なくとも、50位以内に、それを見付けることは、出来ない。
そのため、
(09)
このままでは、これからは、なおのこと、
odenncandy620さんのような高校生は、『漢文の返り点に対する「括弧」の用法』を、知ることは無い。はずである。
(10)
デジカメによる、撮影自体は、二月の内に、済ませてあります。
高校国語 漢文の並び変えで分からない問題があります;; デジカメでとりました。
という風に、
私や、odenncandy620さんがそうしたように、デジカメで撮らなくとも、
返り点に対する「括弧」の用法3(HP=www9.ocn.ne.jp/~kannbunn/)
を見てもらえれば分かる通り、ホームページであれば、今の私にも、HTMLを用いて、「縦書き」で、「返り点の付いた漢文」を、書くことは、出来る。
然るに、
(11)
ホームページではなく、ブログや「Yahoo!知恵袋」の中で、
「縦書き」で、「返り点の付いた漢文」を、書くことは出来ないし、「縦書きで、読み書き出来る、パソコン(のブラウザ)」は、これからも、出来そうもない。
従って、
(12)
ブログや「Yahoo!知恵袋」の中で、「返り点の付いた漢文」を取り上げる場合は、「横書きで、返り点のフォントも無い」まま、それを、論じなければならない。
そのため、
(13)
「横書きで、返り点のフォントも無い」まま、「返り点の付いた漢文」を論じる必要上、
まず第一に、このブログの、
一番目の記事(FC2ブログ)=(ブロガーの)二番目の記事。
2007.12.12.Wed Category:漢文。
2013.04.21:(FC2からブロガーへ)引っ越し。
は、既に読まれているものとする。
その上で、
(14)
例えば、
①読(漢文)=漢文を読む。
であれば、この一行を、
①読(漢文)⇒
②(漢文)読=漢文を読む。
③B(CC)⇒
④(CC)B=・・・・・。
⑤二(C一)⇒
⑥(C一)二=・・・・・。
という、2行×3=6行で、表す。ことにする。
(15)
(14)を説明すると、
①読(漢文)=漢文を読む。
の右辺は、「書き下し文」である。
①読(漢文)⇒
②(漢文)読=漢文を読む。
は、「漢文訓読」における、『返り点に対する「括弧」の用法』である。
①読(漢文)⇒
③B(CC)⇒
⑤二(C一)⇒
という三つの「奇数行」は、
読=B=二 により、読 に対して、二 という「返り点」が付き、
文=C=一 により、文 に対して、一 という「返り点」が付くこと、並びに、
読= B であることにより、 「読」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
漢文=CC であることにより、「漢文」は、二字 からなる「単語」であることを、表している。
従って、
(16)
①訓読(漢文)⇒
③BB(CC)⇒
⑤B二(C一)⇒
という三つの「奇数行」は、
訓読=BB=B二 により、読 に対して、二 という「返り点」が付き、
漢文=CC=C一 により、文 に対して、一 という「返り点」が付くこと、並びに、
訓読=BB であることにより、「訓読」は、二字 からなる「単語」であることを、表し、
漢文=CC であることにより、「漢文」は、二字 からなる「単語」であることを、表している。
従って、
(17)
①我訓読(漢文)⇒
③ABB(CC)⇒
⑤AB二(C一)⇒
という三つの「奇数行」も、
訓読=BB=B二 により、読 に対して、二 という「返り点」が付き、
漢文=CC=C一 により、文 に対して、一 という「返り点」が付くこと、並びに、
訓読=BB であることにより、「訓読」は、二字 からなる「単語」であることを、表し、
漢文=CC であることにより、「漢文」は、二字 からなる「単語」であることを、表している。
然るに、
(18)
①訓読(漢文)⇒
③BB(CC)⇒
⑤B二(C一)⇒
に対して、
①訓読(漢文)⇒
③AB(CC)⇒
⑤A二(C一)⇒
であるならば、
という三つの「奇数行」は、
読=B=二 により、読 に対して、二 という「返り点」が付き、
文=C=一 により、文 に対して、一 という「返り点」が付くこと、並びに、
読= B であることにより、「 読」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
漢文=CC であることにより、「漢文」は、二字 からなる「単語」であることを、表している。
然るに、
(19)
①訓読(漢文)⇒
③BB(CC)⇒
と、
①訓読(漢文)⇒
③AB(CC)⇒
は、もちろん、同じではない。
(20)
①訓読(漢文)⇒
③BB(CC)⇒
と、
①訓読(漢文)⇒
③AB(CC)⇒
の違いは、例えば、
②訓(漢文)読む=訓、漢文を読む。
②我(漢文)読む=我、漢文を読む。
の場合を、考えて欲しい。
(21)
①訓読(漢文)⇒
②訓(漢文)読む=訓、漢文を読む。
の訓 が、人名 であるならば、
②訓(漢文)読む=訓、漢文を読む。
は、
②我読(漢文)=我 read 漢文。
②訓読(漢文)=訓 reads 漢文。
であるため、英語であれば、両方とも、
SVO=主語+他動詞+目的語。
である。
従って、
(22)
同じく、
①訓読(漢文)⇒
①訓読(漢文)⇒
であっても、
①訓読(漢文)⇒
③BB(CC)⇒(CC)BB=(漢文を)訓読す。
と、
①訓読(漢文)⇒
③AB(CC)⇒A(CC)B=A(漢文を)読む。
は、同じではない。
然るに、
(23)
①私訓読(漢文)⇒
③ABB(CC)⇒
と、
①私訓読(漢文)⇒
③DBB(CC)⇒
も、同じではない。
(24)
①私=わたし=我。
①私=ひそかに。
であるため、実際には、無いにしても、「間違い」としては、
①私訓読(漢文)⇒
②私(漢文)訓読=われ、漢文を訓読す。
であるかも知れないし、
①私訓読(漢文)⇒
②私(漢文)訓読=ひそかに、漢文を訓読す。
であるかも知れないため、
①私訓読(漢文)⇒
③ABB(CC)⇒
と、
①私訓読(漢文)⇒
③DBB(CC)⇒
も、同じではない。としても、かまわないが、
③ABB(CC)⇒
と、
③ABB(CC)⇒
は、等しい。
(25)
①読(文)⇒
③B(C)⇒
⑤二(一)⇒
という三つの「奇数行」は、
読=B=二 により、読 に対して、二 という「返り点」が付き、
文=C=一 により、文 に対して、一 という「返り点」が付くこと、並びに、
読=B であることにより、「読」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
文=C であることにより、「文」は、一字 からなる「単語」であることを、表している。
然るに、
(26)
①読(文)⇒
②(文)読=文を読む。
の場合は、
①読レ文。=文を読む。
であるため、「レ点」の場合は、
①読(文)⇒
②(文)読=文を読む。
③B(C)⇒
④(C)B=・・・・・。
⑤レ(0)⇒
⑥(0)レ=・・・・・。
とする。
従って、
(27)
①読(文)⇒
③B(C)⇒
⑤レ(0)⇒
という三つの「奇数行」は、
読=B=レ により、読 に対して、レ という「返り点」が付き、
文=C=0 により、文 に対して、0 という「返り点」が付くこと、並びに、
読=B であることにより、「読」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
文=C であることにより、「文」は、一字 からなる「単語」であることを、表している。
従って、
(28)
①不〔読(文)〕⇒
②〔(文)読〕不=文を読ま不。
③A〔B(C)〕⇒
④〔(C)B〕A=・・・・・。
⑤レ〔レ(0)〕⇒
⑥〔(0)レ〕レ=・・・・・。
における、
①不〔読(文)〕⇒
③A〔B(C)〕⇒
⑤レ〔レ(0)〕⇒
という三つの「奇数行」は、
不=A=レ により、不 に対して、レ という「返り点」が付き、
読=B=レ により、読 に対して、レ という「返り点」が付き、
文=C=0 により、文 に対して、0 という「返り点」が付くこと、並びに、
不=A であることにより、「不」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
読=B であることにより、「読」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
文=C であることにより、「文」は、一字 からなる「単語」であることを、表している。
― 「返り点(漢文の読み方)の基本」が知りたい方は、http://www9.ocn.ne.jp/~kannbunn/をクリックされると、
「縦書きのホームページ」が有るので、是非とも、お読みください。―
返り点 - Yahoo!知恵袋(1235件中 1~10件の、3)
質問日時:2009/5/4 17:30:34
解決日時:2009/5/5 17:37:20
回答数:3
お礼:知恵コイン50枚
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(01)別ので「1 2二 3 4一」という問題があったんですが
回答者さんの行ったやりかたでやればまず
返り点のついていないのを先に読んでいくので1と3を読み、次に一点がついている4を、その次に二点のついている2を
という事になって
答えは1 3 4 2になります
(02)
けど答えは「1 4 2 3」です・・・
頭が少しこんがらっていますがこれに対する回答もできればお願いしますm(_ _)m
(これらは通信教育Z会の予習篇 国語の中の問題です><)
然るに、
(03)
正しいのは、odenncandy620さんの、
答えは「1 3 4 2」になります。
であって、間違っているのは、
けど答えは「1 4 2 3」です・・・
の「1 4 2 3」です。
何故なら、
(04)
我=1
読=2
二
漢=3
文=4
一
において、
けど答えは「1 4 2 3」です・・・
が正しいとしたら、
我読漢文=我1、文を4、読む2、漢3。=「1 4 2 3」。
となって、意味をなさないし、
我読漢文=我1、文を4、読む2、漢3。
は、「括弧」としても、もちろん、誤りである。
すなわち、
(05)
けど答えは「1 4 2 3」です・・・
という答えは、「括弧」では、
我読(漢〔文)〕⇒
我(〔文)読〕漢=我1、文を4、読む2、漢3。
となるものの、
(〔 )〕
という形の、「括弧」は、有り得ない。
然るに、
(06)
そのように、
「括弧」として、誤りであるが故に、「返り点」としても、誤りである。
としても、そのことを、
odenncandy620さんに納得してもらえるためには、
odenncandy620さんが、『漢文の返り点に対する「括弧」の用法』を、知っている必要がある。
然るに、
(07)
odenncandy620さんは、『漢文の返り点に対する「括弧」の用法』を、知らない。はずである。
(08)
「返り点」で検索した際、以前であれば、私のブログである、『返り点に対する「括弧」の用法について提案』は、ギリギリ、10位以内であったものの、今それを、グーグルで検索した所、少なくとも、50位以内に、それを見付けることは、出来ない。
そのため、
(09)
このままでは、これからは、なおのこと、
odenncandy620さんのような高校生は、『漢文の返り点に対する「括弧」の用法』を、知ることは無い。はずである。
(10)
デジカメによる、撮影自体は、二月の内に、済ませてあります。
高校国語 漢文の並び変えで分からない問題があります;; デジカメでとりました。
という風に、
私や、odenncandy620さんがそうしたように、デジカメで撮らなくとも、
返り点に対する「括弧」の用法3(HP=www9.ocn.ne.jp/~kannbunn/)
を見てもらえれば分かる通り、ホームページであれば、今の私にも、HTMLを用いて、「縦書き」で、「返り点の付いた漢文」を、書くことは、出来る。
然るに、
(11)
ホームページではなく、ブログや「Yahoo!知恵袋」の中で、
「縦書き」で、「返り点の付いた漢文」を、書くことは出来ないし、「縦書きで、読み書き出来る、パソコン(のブラウザ)」は、これからも、出来そうもない。
従って、
(12)
ブログや「Yahoo!知恵袋」の中で、「返り点の付いた漢文」を取り上げる場合は、「横書きで、返り点のフォントも無い」まま、それを、論じなければならない。
そのため、
(13)
「横書きで、返り点のフォントも無い」まま、「返り点の付いた漢文」を論じる必要上、
まず第一に、このブログの、
一番目の記事(FC2ブログ)=(ブロガーの)二番目の記事。
2007.12.12.Wed Category:漢文。
2013.04.21:(FC2からブロガーへ)引っ越し。
は、既に読まれているものとする。
その上で、
(14)
例えば、
①読(漢文)=漢文を読む。
であれば、この一行を、
①読(漢文)⇒
②(漢文)読=漢文を読む。
③B(CC)⇒
④(CC)B=・・・・・。
⑤二(C一)⇒
⑥(C一)二=・・・・・。
という、2行×3=6行で、表す。ことにする。
(15)
(14)を説明すると、
①読(漢文)=漢文を読む。
の右辺は、「書き下し文」である。
①読(漢文)⇒
②(漢文)読=漢文を読む。
は、「漢文訓読」における、『返り点に対する「括弧」の用法』である。
①読(漢文)⇒
③B(CC)⇒
⑤二(C一)⇒
という三つの「奇数行」は、
読=B=二 により、読 に対して、二 という「返り点」が付き、
文=C=一 により、文 に対して、一 という「返り点」が付くこと、並びに、
読= B であることにより、 「読」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
漢文=CC であることにより、「漢文」は、二字 からなる「単語」であることを、表している。
従って、
(16)
①訓読(漢文)⇒
③BB(CC)⇒
⑤B二(C一)⇒
という三つの「奇数行」は、
訓読=BB=B二 により、読 に対して、二 という「返り点」が付き、
漢文=CC=C一 により、文 に対して、一 という「返り点」が付くこと、並びに、
訓読=BB であることにより、「訓読」は、二字 からなる「単語」であることを、表し、
漢文=CC であることにより、「漢文」は、二字 からなる「単語」であることを、表している。
従って、
(17)
①我訓読(漢文)⇒
③ABB(CC)⇒
⑤AB二(C一)⇒
という三つの「奇数行」も、
訓読=BB=B二 により、読 に対して、二 という「返り点」が付き、
漢文=CC=C一 により、文 に対して、一 という「返り点」が付くこと、並びに、
訓読=BB であることにより、「訓読」は、二字 からなる「単語」であることを、表し、
漢文=CC であることにより、「漢文」は、二字 からなる「単語」であることを、表している。
然るに、
(18)
①訓読(漢文)⇒
③BB(CC)⇒
⑤B二(C一)⇒
に対して、
①訓読(漢文)⇒
③AB(CC)⇒
⑤A二(C一)⇒
であるならば、
という三つの「奇数行」は、
読=B=二 により、読 に対して、二 という「返り点」が付き、
文=C=一 により、文 に対して、一 という「返り点」が付くこと、並びに、
読= B であることにより、「 読」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
漢文=CC であることにより、「漢文」は、二字 からなる「単語」であることを、表している。
然るに、
(19)
①訓読(漢文)⇒
③BB(CC)⇒
と、
①訓読(漢文)⇒
③AB(CC)⇒
は、もちろん、同じではない。
(20)
①訓読(漢文)⇒
③BB(CC)⇒
と、
①訓読(漢文)⇒
③AB(CC)⇒
の違いは、例えば、
②訓(漢文)読む=訓、漢文を読む。
②我(漢文)読む=我、漢文を読む。
の場合を、考えて欲しい。
(21)
①訓読(漢文)⇒
②訓(漢文)読む=訓、漢文を読む。
の訓 が、人名 であるならば、
②訓(漢文)読む=訓、漢文を読む。
は、
②我読(漢文)=我 read 漢文。
②訓読(漢文)=訓 reads 漢文。
であるため、英語であれば、両方とも、
SVO=主語+他動詞+目的語。
である。
従って、
(22)
同じく、
①訓読(漢文)⇒
①訓読(漢文)⇒
であっても、
①訓読(漢文)⇒
③BB(CC)⇒(CC)BB=(漢文を)訓読す。
と、
①訓読(漢文)⇒
③AB(CC)⇒A(CC)B=A(漢文を)読む。
は、同じではない。
然るに、
(23)
①私訓読(漢文)⇒
③ABB(CC)⇒
と、
①私訓読(漢文)⇒
③DBB(CC)⇒
も、同じではない。
(24)
①私=わたし=我。
①私=ひそかに。
であるため、実際には、無いにしても、「間違い」としては、
①私訓読(漢文)⇒
②私(漢文)訓読=われ、漢文を訓読す。
であるかも知れないし、
①私訓読(漢文)⇒
②私(漢文)訓読=ひそかに、漢文を訓読す。
であるかも知れないため、
①私訓読(漢文)⇒
③ABB(CC)⇒
と、
①私訓読(漢文)⇒
③DBB(CC)⇒
も、同じではない。としても、かまわないが、
③ABB(CC)⇒
と、
③ABB(CC)⇒
は、等しい。
(25)
①読(文)⇒
③B(C)⇒
⑤二(一)⇒
という三つの「奇数行」は、
読=B=二 により、読 に対して、二 という「返り点」が付き、
文=C=一 により、文 に対して、一 という「返り点」が付くこと、並びに、
読=B であることにより、「読」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
文=C であることにより、「文」は、一字 からなる「単語」であることを、表している。
然るに、
(26)
①読(文)⇒
②(文)読=文を読む。
の場合は、
①読レ文。=文を読む。
であるため、「レ点」の場合は、
①読(文)⇒
②(文)読=文を読む。
③B(C)⇒
④(C)B=・・・・・。
⑤レ(0)⇒
⑥(0)レ=・・・・・。
とする。
従って、
(27)
①読(文)⇒
③B(C)⇒
⑤レ(0)⇒
という三つの「奇数行」は、
読=B=レ により、読 に対して、レ という「返り点」が付き、
文=C=0 により、文 に対して、0 という「返り点」が付くこと、並びに、
読=B であることにより、「読」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
文=C であることにより、「文」は、一字 からなる「単語」であることを、表している。
従って、
(28)
①不〔読(文)〕⇒
②〔(文)読〕不=文を読ま不。
③A〔B(C)〕⇒
④〔(C)B〕A=・・・・・。
⑤レ〔レ(0)〕⇒
⑥〔(0)レ〕レ=・・・・・。
における、
①不〔読(文)〕⇒
③A〔B(C)〕⇒
⑤レ〔レ(0)〕⇒
という三つの「奇数行」は、
不=A=レ により、不 に対して、レ という「返り点」が付き、
読=B=レ により、読 に対して、レ という「返り点」が付き、
文=C=0 により、文 に対して、0 という「返り点」が付くこと、並びに、
不=A であることにより、「不」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
読=B であることにより、「読」は、一字 からなる「単語」であることを、表し、
文=C であることにより、「文」は、一字 からなる「単語」であることを、表している。
― 「返り点(漢文の読み方)の基本」が知りたい方は、http://www9.ocn.ne.jp/~kannbunn/をクリックされると、
「縦書きのホームページ」が有るので、是非とも、お読みください。―
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