2017年8月27日日曜日

「自然演繹」の「日本語訳」。

(01)
1  (1)P→Q           A
2  (2) ~Q           A
3  (3)P             A
13 (4)  Q           13MPP
123(5)~Q&Q          24&I
13 (6)~P            35RAA
然るに、
(02)
右の「自然演繹」を、「日本語」で行ふと、
(1)Pならば、Qである。
(2)ところが、Qでない。
(3)従って、Pである。と「仮定」すると、
(4)Qである。となって、そのため、
(5)Qでないのに、Qである。といふことになり、「矛盾」する。
(6)従って、Pである、はずがない。
といふ、ことになる。
従って、
(01)(02)により、
(03)
1  (1)P→Q           A
2  (2) ~Q           A
3  (3)P             A
13 (4)  Q           13MPP
123(5)~Q&Q          24&I
13 (6)~P            35RAA
といふ「自然演繹」は、「具体的」には、例へば、
(1)天気が良ければ、運動会は行はれる。
(2)ところが、運動会は行はれなかった。従って、
(3)天気が良かった。と「仮定」すると、
(4)運動会は行はれた。ことになり、そのため、
(5)運動会は行はれなかったのに、運動会は行はれた。といふ風に、「矛盾」する。
(6)従って、天気が良かった、はずがない。
といふ「推論」が、「それ」に当る。
然るに、
(04)
(1)天気が良ければ、運動会は行はれる。
といふ「言ひ方」は、
(1)天気が悪ければ、運動会は中止される。
といふ風に、「言ひ換へ」ることが、出来る。
然るに、
(05)
自然演繹は、私たちの認識の根底に近い
私たちは、生まれたときから、誰から教わったわけでもなく、いろいろな推論ができるようになっています。例えば、
雨が降ったら、運動会は中止」と「去年は、運動会が実施された」から、「去年の運動会の日は、雨じゃなかったはず」という推論が自然に出来ます。
これは、そういう思考を訓練した、というより、私たちの自然な認識能力なのでしょう。
(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、137頁)
従って、
(01)~(05)により、
(06)
1  (1)P→Q           A
2  (2) ~Q           A
3  (3)P             A
13 (4)  Q           13MPP
123(5)~Q&Q          24&I
13 (6)~P            35RAA
といふ「推論(自然演繹)」を行ふのは、私たちの「自然な認識能力」なのでせう。
といふ風に、小島寛之先生は、述べてゐる。
然るに、
(07)

1  (1)P→Q           A
2  (2) ~Q           A
3  (3)P             A
13 (4)  Q           13MPP
123(5)~Q&Q          24&I
12 (6)~P            35RAA
1  (7)~Q→~P         26CP
   (08)(P→Q)→(~Q→~P) 17CP 
(08)
1  (1)~Q→~P         A
2  (2) P            A
3  (3)~Q            A
13 (4)~P            13MPP
123(5)~P&P          24&I
12 (6)~~Q           35RAA
12 (7)  Q           6DN
1  (8) P→Q          27CP
   (9)(~Q→~P)→(P→Q) 18CP
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
自然演繹」により、
① PであるならばQである( P→ Q)。
② QでないならばPでない(~Q→~P)。
に於いて、
①=② である。
cf.
対偶(Contraposition)。
然るに、
(10)
① PであるならばQである。
といふ「言ひ方」は、
② Pである場合は、Qである場合に、「含まれる」。
といふ風に、「解する」ことが、出来る。
然るに、
(11)
① PであるならばQである(P→Q)。
② PはQに含まれる。
③ Q以内にPは在る
④ Q以外にPは無い
⑤ QだけがPである。
⑥ QでないならばPでない(~Q→~P)。
(12)
① QでないならばPでない(~Q→~P)。
② QだけがPである。
③ Q以外にPは無い
④ Q以内にPは在る
⑤ PはQに含まれる。
⑥ PであるならばQである(P→Q)。
従って、
(11)(12)により、
(13)
日本語の論理」により、
① PであるならばQである( P→ Q)。
② QでないならばPでない(~Q→~P)。
に於いて、
①=② である。
従って、
(09)(13)により、
(14)
自然演繹の論理・日本語の論理」により、いづれにしても、
① PであるならばQである( P→ Q)。
② QでないならばPでない(~Q→~P)。
に於いて、
①=② である。
(15)
1(1)P A
 (2)P→P 11CP
(E.J.レモン、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、64頁)
を、「日本語」に「翻訳」すると、
(1)Pであると、仮定すると、Pである。
 といふことは、
(2)もしも、Pであるならば、Pである。
 といふことに、他ならない。
といふ、ことになる。
然るに、
(16)
1 (1) ~(P∨~P)        A
2 (2)   P            A
2 (3)   P∨~P         2VI
12(4) ~(P∨~P)&(P∨~P) 13&I
1 (5)     ~P         24RAA
1 (6)   P∨~P         5VI
1 (7) ~(P∨~P)&(P∨~P) 16&I
  (8)~~(P∨~P)        17RAA
  (9)   P∨~P         8DN
(E.J.レモン、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、67頁)
といふ「定理(排中律)」を、「日本語」に「翻訳」すると、
(1)(PであるかPでない)が、「偽」であると、「仮定」する。
(2)(Pである)が、「真」であると「仮定」する。然るに、
(3)(Pである)が、「真」であるならば、(PであるかPでない)は、「真」である。従って、
(4)(PであるかPでない)が、「偽」であって「真」である。となって、「矛盾」する。従って、
(5)(Pである)が、「真」であるといふ「仮定」は、否定され、それ故、(Pでない)が、「真」である。然るに、
(6)(Pでない)が、「真」であるならば、(PであるかPでない)は、「真」である。従って、
(7)(PであるかPでない)が、「偽」であって「真」である。となって、「矛盾」する。従って、
(8)(PであるかPでない)が、「偽」であるといふ「仮定」は、「否定」され、それ故、
(9)(PであるかPでない)が、「偽」ではなく、「真」である。
といふ、ことになる。
平成29年08月27日、毛利太。

「含意の定義(一昨日の記事)」の補足。

―「08月25日の記事」を補足します。―
(01)
自然演繹論理のあるバージョンには、公理が存在しない。ジョン・レモンが開発した体系 L は、証明の構文規則に関する次のような10個の基本的規則だけを持つ。
 1.A  (仮定の規則)
 2.MPP(肯定肯定式)
 3.MTT(否定否定式)
 4.DN (二重否定 )
 5.CP (条件的証明)
 6.&I (&‐導入)
 7.&E (&‐除去)
 8.∨I  (V‐導入)
 9.∨E  (V‐除去)
10.RAA(背理法)
(ウィキペディア改)
然るに、
(02)
1 (1)P→Q          A
2 (2) ~Q          A
12(3)~P           12MTT
1 (4)~Q→~P        23CP
  (5)(P→Q)→(~Q→~P)14CP
(03)
1 (1) ~Q→~P        A
2 (2)     P        A
2 (3)   ~~P        2DN
12(4)~~Q           12MTT
12(5)  Q           4DN
1 (6)  P→Q         15CP
  (7)(~Q→~P)→(P→Q) 16CP
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
自然演繹論理L」により、
① PであるならばQである( P→ Q)。
② QでないならばPでない(~Q→~P)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
① PであるならばQである(P→Q)。
② PはQに含まれる。
③ Q以内にPは在る。
④ Q以外にPは無い。
⑤ QだけがPである。
⑥ QでないならばPでない(~Q→~P)。
(06)
① QでないならばPでない(~Q→~P)。
② QだけがPである。
③ Q以外にPは無い。
④ Q以内にPは在る。
⑤ PはQに含まれる。
⑥ PであるならばQである(P→Q)。
従って、
(05)(06)により、
(07)
日本語の論理」により、
① PであるならばQである( P→ Q)。
② QでないならばPでない(~Q→~P)。
に於いて、
①=② である。
従って、
(05)(07)により、
(08)
日本語の論理・自然演繹の論理」により、
① PであるならばQである( P→ Q)。
② QでないならばPでない(~Q→~P)。
③ QであるならばPである( Q→ P)。
④ PでないならばQでない(~P→~Q)。
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
従って、
(08)により、
(09)
①&③=(P→Q)&( Q→ P)。
①&④=(P→Q)&(~P→~Q)。
に於いて、
①&③=①&④ である。
然るに、
(10)
①&③=(P→Q)&( Q→ P)。
といふことは、「PとQは等しい。」といふことに、他ならない。
従って、
(09)(10)により、
(11)
①&④=(P→Q)&(~P→~Q)。
といふことは、「PとQは等しい。」といふことに、他ならない。
従って、
(11)により、
(12)
①&④=(P→Q)     &(~P→~Q)。
①&④=(PならばQである)&(PでないならばQでない)。
といふことは、「PとQは等しい。」といふことに、他ならない。
然るに、
(13)
① PならばQであって、④ PでないならばQでない。
といふことは、
⑤ Pならば、その時に限ってQである。
といふことに、他ならない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
「一昨日の記事」でも書いたやうに、
⑤ (P→Q)&(~P→~Q),~Q ├ ~Q
⑤ Pならば、その時に限ってQである。Pでない。故に、Qでない。
といふ「推論」は、「妥当(Valid)」である。
(15)
【ば】(接続助詞)
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
已然形に付き、順接の確定条件を示す。
そして次の三つ用法がある。
(1)原因・理由を示す。
 いと幼ければ、籠に入れて養ふ(竹取物語)。
(2)偶然条件を示す。
 柿食へば鐘がなるなり法隆寺(正岡子規)。
(3)恒常条件を示す。
 水清ければ、魚住まず(ことわざ)。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、167頁改)
然るに、
(16)
〔苟・・・・・〕(仮定)「いやしくモ・・・・・(バ)」と読み「かりにも・・・・・すれば」「もしも・・・・・であれば」の意。
「苟能充之、足以保四海〔苟も能く之を充たば、以て四海を保んずるに足る〕(=もしかりにこれを拡充させたならば、それによって天下を安定させることができる。)」〈孟子・公孫丑〉
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、651頁)
然るに、
(15)(16)により、
(17)
この場合は、
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルール」により、
① 之を充た(サ行四段・未然形)ば、
と、なってゐる。
然るに、
(18)
〔若・・・・・〕(仮定)「もシ・・・・・(バ)」と読み「かりにも・・・・・すれば」「もしも・・・・・であれば」の意。「如」と同じに用いる。「若掘地而及泉〔若し地を掘りて泉に及ば〕(=もしかりに地面を掘って泉に達すれば)」〈左伝・隠元〉
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、651頁)
然るに、
(15)(18)により、
(19)
この場合は、
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルール」を「無視」して、
② 泉に及(バ行四段・已然形)ば、
と、なってゐる。
cf.
泉に及び(連用形)(完了の助動詞・未然形)ば=泉に及んだとしたら、
従って、
(15)(17)(19)により、
(20)
【ば】(接続助詞)
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルール」は、「漢文訓読」に於いては、「必ずしも、順守」されない
然るに、
(21)
【ば】(接続助詞)
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルールに従ふ限り
① 充た(サ行四段・然形)ば、
② 及べ (バ行四段・然形)ば、
に於いて、
① は、「正しく」、
② は、「正しく」はない
然るに、
(22)
】[意味]① あした(
(角川新字源、1968年、459頁)
然るに、
(23)
一朝】③ 事件などがおこることを仮定するときのことば。いったん
(学研、漢和大辞典、1978年、4頁)
従って、
(22)(23)により、
(24)
一旦】=仮定するときのことば(もし・IF)
である。
従って、
(24)により、
(25)
もし緩急あ然形)ば、
一旦緩急あ然形)ば、
の場合は、両方とも、
①〈仮定条件〉であって、
③〈仮定条件〉である。
従って、
(21)(25)により、
(26)
【ば】(接続助詞)
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルール」に従ふ限り、
① 充た(サ行四段・然形)ば、
② 及 (バ行四段・然形)ば、
③ あ (ラ行変格・然形)ば、
に於いて、
① は、「正しく」、
② は、「間違ひ」であって、
③ も、「間違ひ」である。
然るに、
(27)
大阪大名誉教授の加地伸行さん曰く、
老生きの答えかたは、二種類あった、一つは古文の立場からである。すなわち、助詞「ば」には、三のつながりかたがある。例えば、「あり」の場合、
①「あり」の未然形である「あら」につながって「あらば」となると仮定となり、「もし・・・・・であるならば」となる。池上某もそのようにのべている。
②「あり」の已然形「あれ」につながり「あれば」となると、「・・・・・ので」(理由)とか「・・・・・たところ」(継起)を表わす。
さらに「ば」が「已然形」に接続する、
③の場合がある。それは〈或ることが有ると、いつでもそれに伴って、後のことが起こることを「ば」が示す〉という〈一般条件〉の場合である。
例えば、「勝てば官軍」「住めば都」、漢文調なら「三人寄れば文殊の知恵」「命長ければ、恥じ多し」・・・・・。
教育勅語の「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ」は、近代国家の国民として、外国軍と戦うこと(危急)が起こったときは、当然、戦うという意味であるから、
③に相当する。文法として誤りどころか正しいのである(月刊ウィル 2017年6月号、26・27頁)
従って、
(27)により、
(28)
加地伸行先生の場合は、
【一朝】③ 事件などがおこることを仮定するときのことば。いったん
(学研、漢和大辞典、1978年、4頁)
に於ける、【一旦】を、「仮定するときのことば」ではない
といふ風に、されてゐる。
従って、
(26)(27)(28)により、
(29)
「 苟 」は、「仮定するときのことば」であって、
「 若 」は、「仮定するときのことば」であって、
「一旦」も、「仮定するときのことば」であるならば、
教育勅語の「一旦緩急あば、義勇公に奉じ」は、近代国家の国民として、外国軍と戦うこと(危急)が起こったときは、当然、戦うという意味であるから、
③に相当する。文法として誤りどころか正しいのである(月刊ウィル 2017年6月号、26頁)
といふ「説明」は、「正しくはない」。
然るに、
(30)
井上、元田ともに漢詩漢文の造詣の深さで超一流の人物である。その成果としての名文、教育勅語に対する文法の誤りを指摘とは、身の程知らずのチンピラである。
(月刊ウィル 2017年6月号、26頁)
然るに、
(31)
もう一度、確認するものの、
【ば】(接続助詞)
未然形に付き、順接の仮定条件を示す。
といふ「ルール」に従ふ限り、
① 充た(サ行四段・形)ば、
② 及ば(バ行四段・形)ば、
③ あ (ラ行変格・形)ば、
に於いて、
① は、「正しく」、
② は、「間違ひ」であって、
③ も、「間違ひ」である。
といふことに関しては、「間違ひ」は無い
従って、
(32)
「一旦緩急あ(ラ行変格・然形)ば、」とはせずに、
「一旦緩急あ(ラ行変格・然形)ば、」としていたならば、
「之を充た(サ行四段・然形)ば、」といふ「それ」が、さうであるやうに、
古文としても訓読としても正しかった」ことになるため、固より、
「教育勅語に対する文法の誤りを指摘とは、身の程知らずのチンピラである」といふ所の、その「チンビラ」自体が、有り得なかった、ことになる。
平成29年08月27日、毛利太。

2017年8月25日金曜日

「P→Q(含意)」の「定義(ⅠとⅡ)」。

(01)
①   P→Q  (含意)
②  ~P∨Q  (含意の定義Ⅰ)
③ ~(P&~Q)(含意の定義Ⅱ)
といふ「論理式」は、それぞれ、
① PならばQである。
② PでないかQである。
③ PであってQでない。といふことはない。
といふ「意味」である。
然るに、次に示す
(03)(04)により、
(02)
②  ~P∨Q  (含意の定義Ⅰ)
③ ~(P&~Q)(含意の定義Ⅱ)
に於いて、
② からは、③ が「演繹」され、
③ からは、② が「演繹」される。
(03)
1 (1) ~P∨ Q          A
2 (2)  P&~Q          A
3 (3) ~P             A
2 (4)  P             2&E
23(5) ~P& P          34&I
3 (6)~(P&~Q)         25RAA
7 (7)               A
2 (8)    ~Q          2&E
27(9)  Q&~Q          78&I
7 (ア)~(P&~Q)         29RAA
1 (イ)~(P&~Q)         1367アVE
  (ウ)(~P∨Q)→ ~(P&~Q) 1イCP 
(04)
1 (1)~( P&~Q)       A
2 (2)~(~P∨ )       A
3 (3)  ~P           A
3 (4)  ~P∨Q         3VI
23(5)~(~P∨Q)&(~P∨Q) 24&I
2 (6) ~~P           35RAA
2 (7)              6DN
8 (8)              A
8 (9)  ~P∨Q         8VI
28(ア)~(~P∨Q)&(~P∨Q) 29&I
2 (イ)  ~Q           8アRAA
2 (ウ)         P&~Q  7イ&I
12(エ)~(P&~Q)&(P&~Q) 1ウ&I
1 (オ)~~(~P∨Q)       2エRAA
1 (カ)  (~P∨Q)       オDN
  (キ)~(P&~Q)→(~P∨Q) 1カCP
然るに、次に示す、
(06)(07)により、
(05)
①   P→Q  (含意)
②  ~P∨Q  (含意の定義Ⅰ)
③ ~(P&~Q)(含意の定義Ⅱ)
に於いて、
① からは、② が、「演繹」され、
③ からは、① が、「演繹」される。
(06)
1 (1)P→Q          A
2 (2)P&~Q         A
2 (3)            2&E
2 (4)  ~Q         2&E
12(5)Q            13MPP
12(6)Q&~Q         45&I
1 (7)~P           25RAA
1 (8)~P∨Q         7VI
  (9)(P→Q)→(~P∨Q) 18CP
(07)
1  (1)~(P&~Q)        A
2  (2)              A
3  (3)    ~Q         A
23 (4)  P&~Q         23&I
123(5)~(P&~Q)&(P&~Q) 14&I
12 (6)~~Q            35RAA
12 (7)              6DN
1  (8)P→Q            27CP
   (9)~(P&~Q)→(P→Q)  18CP
従って、
(02)(05)により、
(08)
①   P→Q  (含意)
②  ~P∨Q  (含意の定義Ⅰ)
③ ~(P&~Q)(含意の定義Ⅱ)
に於いて、
① からは、② が、「演繹」され、
② に「等しい」所の、
③ からも、① が、「演繹」される。
従って、
(01)(08)により、
(09)
①   P→Q  (含意)
②  ~P∨Q  (含意の定義Ⅰ)
③ ~(P&~Q)(含意の定義Ⅱ)
すなはち、
① PならばQである。
② PでないかQである。
③ PであってQでない。といふことはない
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(09)により、
(10)
①=②=③
である以上、
① PならばQである。
② PでないかQである。
③ PであってQでない。といふことはない
に於いて、
③ が、「(本当)」であるならば、
必然的に
② も、「(本当)」であって、
① も、「(本当)」である。
然るに、
(11)
③ ~(P&~Q)
③ PであってQでない。といふことはない
といふ、
③(含意の定義Ⅱ)が、「真(本当)」であるならば、
(Ⅰ)PであってQである。
)PであってQでない
(Ⅲ)PでなくてQである。
(Ⅳ)PでなくてQでない。
に於いて、明らかに、
)の場合だけが、「(ウソ)」になる。
従って、
(10)(11)により、
(12)
②  ~P∨Q
② PでないかQである。
である所の、
②(含意の定義Ⅰ)が、「真(本当)」であるならば、
(Ⅰ)PであってQである。
)PであってQでない
(Ⅲ)PでなくてQである。
(Ⅳ)PでなくてQでない。
に於いて、
)の場合だけが、「(ウソ)」になる。
cf.
~P∨Q は、両立的選言(弱選言)。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① P→Q
① PならばQである。
である所の、
①(含意)が、「真(本当)」であるならば、
(Ⅰ)PであってQである。
)PであってQでない
(Ⅲ)PでなくてQである。
(Ⅳ)PでなくてQでない。
に於いて、
)の場合だけが、「(ウソ)」になる。
従って、
(13)により、
(14)
① P→Q
① PならばQである。
である所の、
①(含意)が、「真(本当)」であるならば、
(Ⅰ)は「(本当)」てあって、
)は「偽(ウソ)」であって
(Ⅲ)は「(本当)」てあって、
(Ⅳ)も「(本当)」てある。
従って、
(14)により、
(15)
① P→Q
① PならばQである。
である所の、
①(含意)が、「真(本当)」であるならば、
)PであってQでない
ではない所の、
(Ⅰ)PであってQである。
(Ⅲ)PでなくてQである。
(Ⅳ)PでなくてQでない。
といふ「三通り」は、「三つ」とも、「(本当)」である。
従って、
(15)により、
(16)
① P→Q
① PならばQである。
である所の、
①(含意)が、「(本当)」であるならば、
(Ⅰ)PであってQである。
だけでなく、
(Ⅲ)PでなくてQである
(Ⅳ)PでなくてQでない
といふ「二通り」は、「二つ」とも、「(本当)」である。
然るに、
(16)により、
(17)
(Ⅲ)PでなくてQである
(Ⅳ)PでなくてQでない
といふ「これら」が、「両方」とも、「(本当)」である以上、
(Ⅲ)PならばQである。Pでない。故に、Qでない
(Ⅳ)PならばQである。Pでない。故に、Qである
といふ「推論」は、「両方」とも、「妥当(Valid)」ではなく、特に、
(Ⅲ)を、「前件否定の誤謬(Fallacy of denying the antecedent)」といふ。
然るに、
(18)
(Ⅲ)P→Q,~Q ├ ~Q
(Ⅲ)PならばQである。Pでない。故に、Qでない
ではなく
(Ⅴ)(P→Q)&(P→Q),Q ├
(Ⅴ)Pならば、その時に限ってQである。Pでない。故に、Qでない
といふ「推論」は、当然、「妥当(Valid)」である
従って、
(17)(18)により、
(19)
(Ⅲ)PならばQである。Pでない。故に、Qでない
といふ「誤謬」が、「誤謬」でないのであれば、
(Ⅲ)PならばQである。Pでない。故に、Qでない
といふ「言ひ方」は、
(Ⅴ)Pならば、その時に限ってQである。Pでない。故に、Qでない
といふ風に、「改める必要」がある。
従って、
(19)により、
(20)
実際には、
(Ⅴ)Pならば、その時に限ってQである。Pでない。故に、Qでない
ではないにも拘はらず、
(Ⅲ)PならばQである。Pでない。故に、Qでない
といふ風に「主張」することこそが、「前件否定の誤謬」である。
従って、
(21)
(Ⅲ)PならばQである。Pでない。故に、Qでない
と「言へ」のか、「言へない」のかは、ひとへに、
(Ⅴ)(P→Q)&(P→Q)
(Ⅴ)Pならば、その時に限ってQである。
と「言へ」のか、「言へない」のかといふことに、「掛ってゐる」。
然るに、
(22)
① PならばQである。
といふ「日本語」は、
① Pなら未然形)ばQである。
であって、尚且つ、
未然 ―「未だ然ら」、 すなわち、「マダソウナッテイナイ」の意である。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、23頁)
従って、
(22)により、
(23)
① Pなら(未然形)ばQである。
といふ「日本語」は、
① Pなら(未然形)ばQである(が、Pであるかは未定である)。
といふ「意味」、すなはち、
① Pなら(未然形)ばQである(が、Pであるとは限らない)。
といふ「意味」になる。
従って、
(16)(23)により、
(24)
① Pなら(未然形)ばQである。
といふ「日本語」は、
① Pなら(未然形)ばQである(が、Pであるとは限らないので、Qとは限らない)。
といふ、「意味」である。
従って、
(24)により、
(25)
例へば、
① 水濁ら(未然形)ば、釣りをせん〔作例〕。
① 悪人のまねとて人を殺さ(未然形)悪人なり〔徒然草〕。
① 月の都の人もうで来(未然形)ば、捕らへさせん〔竹取物語〕。
といふ「日本語」は、
① 水がに濁るならば釣りをする(が、水が濁るとは限らないので、釣りをするとは限らない)。
① 人を殺すならば悪人である(が、人を殺すとは限らないので、悪人であるとは限らない)。
① 月の都の人が来るならば捕へさせる(が、月の都の人が来るとは限らないので、捕へさせるとは限らない)。
といふ、「意味」である。
(26)
】[意味]① あした(
(角川新字源、1968年、459頁)
然るに、
(27)
一朝】③ 事件などがおこることを仮定するときのことばいったん
(学研、漢和大辞典、1978年、4頁)
従って、
(26)(27)により、
(28)
一旦】=仮定するときのことばもし・IF)
である。
従って、
(28)により、
(29)
もし緩急あ然形)ば、
一旦緩急あ然形)ば、
の場合は、両方とも、
①〈仮定条件〉であって、
③〈仮定条件〉である。
従って、
(29)により、
(30)
一旦緩急あ然形)ば、
の場合は、
①〈仮定条件〉であって、
③〈一般条件〉ではない
然るに、
(31)
大阪大名誉教授の加地伸行さん曰く、
老生きの答えかたは、二種類あった、一つは古文の立場からである。すなわち、助詞「ば」には、三のつながりかたがある。例えば、「あり」の場合、
①「あり」の然形である「あ」につながって「あば」となると仮となり、「もし・・・・・であるならば」となる。池上某もそのようにのべている。
②「あり」の然形「あ」につながり「あば」となると、「・・・・・ので」(理由)とか「・・・・・たところ」(継起)を表わす。
さらに「ば」が「然形」に接続する、
③の場合がある。それは〈或ることが有ると、いつでもそれに伴って、後のことが起こることを「ば」が示す〉という〈一般条件〉の場合である。
例えば、「勝てば官軍」「住めば都」、漢文調なら「三人寄れば文殊の知恵」「命長ければ、恥じ多し」・・・・・。
教育勅語の「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ」は、近代国家の国民として、外国軍と戦うこと(危急)が起こったときは、当然、戦うという意味であるから、
③に相当する。文法として誤りどころか正しいのである(月刊ウィル 2017年6月号、26・27頁)
従って、
(31)により、
(32)
加地伸行先生の「説明」によると、
一旦緩急あ然形)ば、
の場合は、
③〈一般条件〉であって、
①〈仮定条件〉ではない
然るに、
(33)
もう一度、確認するものの、
【一朝】③ 事件などがおこることを仮定するときのことば一旦
(学研、漢和大辞典、1978年、4頁)
である。
従って、
(34)
もう一度、確認するものの、
もし緩急あ然形)ば、
一旦緩急あ然形)ば、
の場合は、明らかに、両方とも、
①〈仮定条件〉であって、
③〈仮定条件〉である。
従って、
(26)~(34)により、
(35)
教育勅語の「一旦緩急あば、義勇公に奉じ」に関する、加地伸行先生の「説明」は、「正しくない」。
従って、
(31)(35)により、
(36)
教育勅語の「一旦緩急あば、義勇公に奉じ」の場合は、少なくとも、「古典文法」としては、「間違ひ」である。
然るに、
(37)
平安中古文法では、順接仮定条件を〈然形+「ば」〉順接確定条件を、〈然形+「ば」〉として、明確に使い分けていた。けれども、江戸近世文法では、〈已然形+「ば」〉が、現代口語文法の〈仮定形+「ば」〉に大きく接近し、順接仮定条件をも表すようになった。現行の訓読は、直接には近世後期訓読を引き継いでいるため、順接仮定条件・順接確定条件のいずれをも〈已然形+「ば」〉で表すことが許容される。
(古田島洋介・湯城吉信、漢文訓読入門、2011年、80頁)
(31)(37)により、
(38)
教育勅語の「一旦緩急あば、義勇公に奉じ」の場合は、「訓読」としては、「許容できることになる。
然るに、
(39)
学校で習ふ所の「古典文法」は、戦前も、戦後も「平安中古文法」であって、「江戸近世文法」ではない。
従って、
(40)
「アバ」は誤用である、とする説である。1910年代に中学生だった大宅壮一が国語の授業中に教育勅語の誤用説を主張したところ教師に諭された、と後に回想している。
といふエピソードは、「有り得べきこと」であって、「意外なこと」ではない。
平成29年08月26日、毛利太。

2017年8月23日水曜日

「仮言命題(P→Q:~Q→~P)」の「意味」。

(01)
① PであるならばQである。
② PであってQでない。といふことはない。
③ PでないかQである。
といふ「日本語」は、それぞれ、
① P→Q
② ~(P&~Q)
③ ~P∨Q
といふ「論理式」に、相当する。
然るに、次に示す
(03)~(06)により、
(02)
① P→Q
② ~(P&~Q)
③ ~P∨Q
に於いて、
①=② であって、
②=③ である。
(03)
1 (1)P→Q           A
2 (2)P&~Q          A
2 (3)P             2&E
2 (4)  ~Q          2&E
12(5)Q             13MPP
12(6)Q&~Q          45&I
1 (7)~(P&~Q)       26RAA
  (8)(P→Q)→~(P&~Q) 17CP
(04)
1  (1)~(P&~Q)        A
2  (2)  P            A
3  (3)    ~Q         A
23 (4)  P&~Q         23&I
123(5)~(P&~Q)&(P&~Q) 14&I
12 (6)~~Q            35RAA
12 (7)  Q            6DN
1  (8)P→Q            27CP
   (9)~(P&~Q)→(P→Q)  18CP
(05)
1 (1)~( P&~Q)       A
2 (2)~(~P∨ Q)       A
3 (3)  ~P           A
3 (4)  ~P∨Q         3VI
23(5)~(~P∨Q)&(~P∨Q) 24&I
2 (6) ~~P           35RAA
2 (7)   P           6DN
8 (8)   Q           A
8 (9)  ~P∨Q         8VI
28(ア)~(~P∨Q)&(~P∨Q) 29&I
2 (イ)  ~Q           8アRAA
2 (ウ)         P&~Q  7イ&I
12(エ)~(P&~Q)&(P&~Q) 1ウ&I
1 (オ)~~(~P∨Q)       2エRAA
1 (カ)  (~P∨Q)       オDN
  (キ)~(P&~Q)→(~P∨Q) 1カCP
(06)
1 (1) ~P∨ Q         A
2 (2)  P&~Q         A
3 (3) ~P            A
2 (4)  P            2&E
23(5) ~P& P         34&I
3 (6)~(P&~Q)        25RAA
7 (7)  Q            A
2 (8)    ~Q         2&E
27(9)  Q&~Q         78&I
7 (ア)~(P&~Q)        29RAA
1 (イ)~(P&~Q)        1367アVE
  (ウ)(~P∨Q)→~(P&~Q) 1イCP
従って、
(01)(02)により、
(07)
① P→Q
② ~(P&~Q)
③ ~P∨Q
すなはち、
① PであるならばQである。
② PであってQでない。といふことはない。
③ PでないQである。
に於いて、
①=② であって、
②=③ である。
然るに、
(08)
1(1)P&~Q          A
1(2)P             1&E
1(3)  ~Q          A
1(4)~Q&P          23&I
 (5)(P&~Q)→(~Q&P) 14CP
(09)
1(1)~Q&P          A
1(2)~Q            1&E
1(3)   P          1&E
1(4)P&~Q          23&I
 (5)(~Q&P)→(~Q&P) 14CP
従って、
(08)(09)により、
(10)
② P&~Q
④ ~Q&P
② PであってQでない。
④ QでなくてPである。
に於いて、
②=④ である。
cf.
交換法則(Commutative law)。
従って、
(10)により、
(11)
② ~(P&~Q)
④ ~(~Q&P)
② PであってQでない。といふことはない。
④ QでなくてPである。といふことはない。
に於いて、
②=④ である。
然るに、
(04)により、
(12)
1  (1)~(~Q&P)         A
2  (2)  ~Q            A
3  (3)     P          A
23 (4)  ~Q&P          23&I
123(5)~(~Q&P)&(~QP&P) 14&I 
12 (6)  ~P            35RAA
1  (7)~Q→~P           26CP
   (8)~(~Q&P)→(~Q→~P) 17CP
然るに、
(03)により、
(13)
1 (1)~Q→~P           A
2 (2)~Q& P           A
2 (3)~Q              2&E
2 (4)    P           2&E
12(5)   ~P                     13MPP
12(6)P&~P            45&I
1 (7)~(~Q&P)         26RAA
  (8)(~Q→~P)→~(~Q&P) 17CP
従って、
(12)(13)により、
(14)
④ ~(~Q&P)
⑤ ~Q→~P  
すなはち、
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ QでないならばPでない。
に於いて、
④=⑤ である。
然るに、
(05)により、
(15)
1 (1)~(~Q& P)       A
2 (2)~( Q∨~P)       A
3 (3)   Q           A
3 (4)   Q∨~P        3VI
23(5)~(Q∨~P)&(Q∨~P) 24&I
2 (6)  ~Q           35RAA
7 (7)  ~P           A
7 (8)   Q∨~P        7VI
27(9)~(Q∨~P)&(Q∨~P) 28&I
2 (ア) ~~P           79RAA
2 (イ)   P           アDN
2 (ウ)         ~Q&P  6イ&I
12(エ)~(~Q&P)&(~Q&P) 1ウ&I
1 (オ)~~(Q∨~P)       2エRAA
1 (カ)  (Q∨~P)       オDN
  (キ)~(~Q&P)→(Q∨~P) 1カCP
然るに、
(06)により、
(16)
1 (1) Q∨~P          A
2 (2)~Q& P          A
3 (3) Q             A
2 (4)~Q             2&E
23(5) Q&~Q          34&I
3 (6)~(~Q&P)        25RAA
7 (7)   ~P          A
2 (8) P             2&E
27(9) P&~P          78&I
7 (ア)~(~Q&P)        29RAA
1 (イ)~(~Q&P)        1367ア
  (ウ)(Q∨~P)→~(~Q&P) 1イCP
従って、
(15)(16)により、
(17)
④ ~(~Q&P)
⑥ Q∨~P
すなはち、
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑥ QであるPでない。
に於いて、
④=⑥ である。
従って、
(07)(11)(14)(17)により、
(18)
① P→Q
② ~(P&~Q)
③ ~P∨Q
④ ~(~Q&P)
⑤ ~Q→~P 
⑥ Q∨~P 
すなはち、
① PであるならばQである。
② PであってQでない。といふことはない。
③ PでないQである。
④ QでなくてPである。といふことはない。
⑤ QでないならばPでない。
⑥ QであるPでない。
に於いて、
①=②
  ②=③(ド・モルガンの法則)
  ②=④
    ④=⑤
    ④=⑥(ド・モルガンの法則)

①=②=③=④=⑤=⑥ である。
cf.
自然演繹法については、次の書物が勧められる。
□ E.J.レモン(竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳)『論理学初歩』(世界思想社、1973年)
(昭和堂入門選書、論理学の基礎、1994年、186頁)
自然演繹は、できるだけ私たちの日常の議論や数学の証明で行われる推論に近いようなシステムとして、ゲンツェンが編み出したものなのです。
(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、137頁)
然るに、
(19)
① P→Q
⑤ ~Q→~P
に於いて、
① は、⑤ の「対偶(Contraposition)」であって、
⑤ は、① の「対偶(Contraposition)」である。
(20)
① P→Q
③ ~P∨Q
⑤ ~Q→~P 
⑥ Q∨~P 
に於いて、
③と⑥ は、「含意定義(Definition of implication)」である。
然るに、
(21)
③ 男性日本人は、無料です。
といふのであれば、例へば、
③ チャーリー・ブラウン(男性)は、無料である。
従って、
(21)により、
(22)
③ 女性でない日本人は、無料です。
といふのであれば、
③ チャーリー・ブラウン(男性であって女性ではない)は、無料である。
然るに、
(23)
③ 女性でない日本人は、無料です。
といふのであれば、
③ チャーリー・ブラウンが、日本に帰化してゐたとしても、
③ チャーリー・ブラウンが、アメリカ人のままであったとしても、
いづれにせよ
③ 女性ではない、
③ チャーリー・ブラウンは、無料である。
従って、
(21)(22)(23)により、
(24)
③ 女性でない日本人は、無料です。
といふ場合に、
③ 女性でなければ、日本人であっても、日本人でなくても、無料である。
従って、
(24)により、
(25)
③ PでないQである。
に於いて、
③ Pでない
のであれば、
③ Qである。にせよ、
③ Qでない。にせよ、
いづれにしても
③ PでないQである。
といふ「命題」は、「正しい」。
然るに、
(18)により、
(26)
① PであるならばQである。
③ PでないQである。
に於いて、
①=③ である。
従って、
(25)(26)により、
(27)
① PであるならばQである(PでないQである)。
に於いて、
① Pでない
のであれば、
① Qである。にせよ、
① Qでない。にせよ、
いづれにしても
① PであるならばQである(PでないQである)。
といふ「仮言命題」は、「正しい」。
従って、
(27)により、
(28)
① PであるならばQである(PでないQである)。
といふことが、「真(本当)」であって、尚且つ、
① Pでない
といふことが、「真(本当)」である場合には、
① Qである。ことは、「可能」であって、
① Qでない。ことも、「可能」である。
従って、
(28)により、
(29)
① PであるならばQである(PでないQである)。
といふことが、「真(本当)」であって、尚且つ、
① Pでない
といふことが、「真(本当)」である場合に、
① Qでない
といふ風には、「断定」は、出来ない
従って、
(29)により、
(30)
① PならばQである。Pでない。故に、Qでない
といふ「推論」は、「正しくない」。
cf.
前件否定の誤謬(Fallacy of denying the antecedent)。
然るに、
(31)
⑥ QであるPでない。
に於いて、
⑥ Qである
といふのであれば、
⑥ Pでない。 にせよ、
⑥ Pである。 にせよ、
いづれにしても
⑥ QであるPでない。
といふ「命題」は、「正しい」。
cf.
「強選言」ではなく、「選言」。
然るに、
(18)により、
(32)
① PであるならばQである。
⑥ QであるPでない。
に於いて、
①=⑥ である。
従って、
(31)(32)により、
(33)
① PであるならばQである(QであるPでない)。
に於いて、
① Qである
といふのであれば、
① Pでない。にせよ、
① Pである。にせよ
いづれにしても
① PであるならばQである(QであるPでない)。
といふ「仮言命題」は、「正しい」。
従って、
(33)により、
(34)
① PであるならばQである(QであるPでない)。
といふことが、「真(本当)」であって、尚且つ、
① Qである
といふことが、「真(本当)」である場合には、
① Pでない。ことは、「可能」であって、
① Pである。ことも、「可能」である。
従って、
(34)により、
(35)
① PであるならばQである(QであるPでない)。
といふことが、「真(本当)」であって、尚且つ、
① Qである
といふことが、「真(本当)」である場合に、
① Pである
といふ風に、「断定」は、出来ない
従って、
(35)により、
(36)
① PならばQである。Qである。故に、Pである
といふ「推論」は、「正しくない」。
cf.
後件肯定の誤謬(Affirming the consequent fallacy)。
従って、
(18)(30)(36)により、
(37)
① P→Q
③ ~P∨Q
⑥ Q∨~P 
すなはち、
① PであるならばQである。
③ PでないQである。
⑥ QであるかPでない。
に於いて、
①=③=⑥
といふ「等式」が、「正しい」が故に、
③ PならばQである。Pでない。故に、Qでない。
⑥ PならばQである。Qである。故に、Pである。
といふ「推論」は、「正しくない」。
然るに、
(38)
⑦(P→Q)&(~P→~Q)
⑧(P→Q)&( Q→ P)
に於いて、
⑦=⑧ である。
然るに、
(39)
⑦(P→Q)&(~P→~Q)
といふ「論理式」は、
⑦ Pならば、その時に限ってQである。
といふ風に、「読むこと」が出来る。
従って、
(38)(39)により、
(40)
⑦ Pならば、その時に限ってQである。Pでない。故に、Qでない。
⑧ Pならば、その時に限ってQである。Qである。故に、Pである。
といふ「推論」は、「正しい」。
平成29年08月23日、毛利太。

2017年8月21日月曜日

「教育勅語」に於ける「已然形+ば」。

(01)
① PならばQである。
② PであってQでない。といふことはない。
③ PでないかQである。
といふ「日本語」は、それぞれ、
① P→Q
② ~(P&~Q)
③ ~P∨Q
といふ風に、「記号化」される。
然るに、次に示す
(03)~(06)により、
(02)
① P→Q
② ~(P&~Q)
③ ~P∨Q
に於いて、
①=②=③ である。
(03)
1 (1)P→Q            A
2 (2)P&~Q           A
2 (3)P              2&E
2 (4)  ~Q           2&E
12(5)Q              13MPP
12(6)Q&~Q           45&I
1 (7)~(P&~Q)        26RAA
  (8)(P→Q)→~(P&~Q)  17CP
(04)
1  (1)~(P&~Q)        A
2  (2)  P            A
3  (3)    ~Q         A
23 (4)  P&~Q         23&I
123(5)~(P&~Q)&(P&~Q) 14&I  
12 (6)~~Q            35RAA
12 (7)  Q            6DN
1  (8)P→Q            27CP
   (9)~(P&~Q)→(P→Q)  18CP
(05)
1 (1)~( P&~Q)       A
2 (2)~(~P∨ Q)       A
3 (3)  ~P           A
3 (4)  ~P∨Q         3VI
23(5)~(~P∨Q)&(~P∨Q) 24&I
2 (6) ~~P           35RAA
2 (7)   P           6DN
8 (8)   Q           A
8 (9)  ~P∨Q         8VI
29(ア)~(~P∨Q)&(~P∨Q) 29&I
2 (イ)  ~Q           8アRAA
2 (ウ)         P&~Q  7イ&I
12(エ)~(P&~Q)&(P&~Q) 1ウ&I
1 (オ)~~(~P∨Q)       2エRAA
1 (カ)  (~P∨Q)       オDN
  (キ)~(P&~Q)→(~P∨Q) 1カCP
(06)
1 (1) ~P∨ Q         A
2 (2)  P&~Q         A
3 (3) ~P            A
2 (4)  P            2&E
23(5) ~P& P         34&I
3 (6)~(P&~Q)        25RAA
7 (7)  Q            A
2 (8)    ~Q         2&E
27(9)  Q&~Q         78&I
7 (ア)~(P&~Q)        29RAA
1 (イ)~(P&~Q)        1367アVE
  (ウ)(~P∨Q)→~(P&~Q) 1イCP
従って、
(01)(02)により、
(07)
① PならばQである。
② PであってQでない。といふことはない
③ PでないQである。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(08)
③ Pでない、Qである。
といふ「命題」は、
③ Pでない。ならば、それだけで、「真(本当)」であり、
③ Qである。ならば、それだけで、「真(本当)」である。
従って、
(08)により、
(09)
③ Pでない、Qである。
といふ「命題」は、
③ Pでない。ならば、それだけで、「真(本当)」である。
然るに、
(10)
③ Pでない。ならば、それだけで、「真(本当)」である。
といふことは、
③ Pでなくて、Qである
としても、「真(本当)」であり、
③ Pでなくて、Qでない
としても、「真(本当)」である。
といふことに、他ならない。
然るに、
(11)
③ Pでなくて、Qである
としても、「真(本当)」であり、
③ Pでなくて、Qでない
としても、「真(本当)」である。
といふことは、
③ Pでないならば、Qであるとは、限らない
といふことをに、他ならない。
従って、
(07)~(11)により、
(12)
①=②=③ である所の、
① PならばQである。
② PであってQでない。といふことはない
③ PでないQである。
といふ「命題」が、「真(本当)」である場合には、
③ Pでないならば、Qであるとは、限らない
従って、
(12)により、
(13)
① PならばQである。
といふ「命題」が、「真(本当)」である場合には、
③ Pでないならば、Qであるとは、限らない
然るに、
(14)
① 水濁ら(未然形)ば、釣りをせん〔作例〕。
① 悪人のまねとて人を殺さ(未然形)悪人なり〔徒然草〕。
① 月の都の人もうで来(未然形)ば、捕らへさせん〔竹取物語〕。
の場合は、
① 水が濁るとは限らないので、釣りをするとは限らない
① 人を殺すとは限らないので、悪人であるとは限らない
① 月の都の人が来るとは限らないので、捕へさせるとは限らない
従って、
(01)(13)(14)により、
(15)
① 水濁ら(未然形)ば、釣りをせん〔作例〕。
① 悪人のまねとて人を殺さ(未然形)悪人なり〔徒然草〕。
① 月の都の人もうで来(未然形)ば、捕らへさせん〔竹取物語〕。
といふ「古文」は、
① P→Q
① Pな然形)ばQである。
に、相当する。
然るに、
(16)
② Pであって、PならばQである。
といふ「日本語」は、
&(P→Q)
といふ「論理式」に、相当する。
然るに、
(17)
1(1) &(P→Q)    A
1(2) P          1&E
 (3){&(P→Q)}→ 12CP
(18)
1(1) &(P→Q)    A
1(2) P          1&E
1(3) P→Q        1&E
1(4) Q          23MPP
 (5){&(P→Q)}→ 14CP
従って、
(17)(18)により、
(19)
② {&(P→Q)}ならば、必ず、である。
② {P&(P→)}ならば、必ず、である。
従って、
(16)(19)により、
(20)
&(P→Q)
② Pであって、PならばQである。
といふのであれば、
であってである。
然るに、
(21)
* 未然 ―「未だ然ら」、 すなわち、「マダソウナッテイナイ」の意である。
* 已然 ―「未然」の反対で、すなわち、「スデニソウナッテイル」の意である。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、23・24頁)
(22)
平安中古文法では、
順接仮定条件を〈然形+「ば」〉
順接確定条件を〈然形+「ば」〉として、明確に使い分けていた
(古田島洋介・湯城吉信、漢文訓読入門、2011年、80頁)。
従って、
(20)(21)(22)により、
(23)
① P→Q
① Pな然形)ばQである。
に対して、
&(P→Q)
② Pな然形)ばQである。
であるに、違ひない。
cf.
然 連用 終止 連体 然 命令
 に  なり なる なれ な
然るに、
(24)
② 二十七日、風吹き波荒けれ(已然形)ば、舟出さず〔土佐日記〕。
② 二十七日は、風が吹いて波が荒かったので、船出をあきらめた。
といふのは、紀貫之の「経験」である。
(25)
② 瓜食め(已然形)ば、子ども思うほゆ。栗食め(已然形)ば、まして偲はゆ〔万葉集〕。
② 瓜を食べると、自然と子どもことが思はれる。栗を食べると、いっそう恋しく思はれる。
といふのも、山上憶良の、「経験」である。
(26)
② 翁心地あしく、苦しき時も、この子を見れ(已然形)ば、苦しきこともやみぬ〔竹取物語〕。
② 翁は気分が悪く、苦しいときも、この子(かぐや姫)を見ると、苦しいこともおさまりました。
といふのも、竹取の翁の、「経験」である。
従って、
(23)~(26)により、
(27)
② 二十七日、風吹き波荒けれ(已然形)ば、舟出さず〔土佐日記〕。
② 瓜食め(已然形)ば、子ども思うほゆ。栗食め(已然形)ば、まして偲はゆ〔万葉集〕。
② 翁心地あしく、苦しき時も、この子を見れ(已然形)ば、苦しきこともやみぬ〔竹取物語〕。
の場合は、
② 波が荒かったので、船出をあきらめ
② 瓜を食べたら、自然と子どもことが思はれ
② この子を見たら、苦しいこともおさまっ
といふ、ことになる。
従って、
(23)(27)により、
(28)
② 二十七日、風吹き波荒けれ(已然形)ば、舟出さず〔土佐日記〕。
② 瓜食め(已然形)ば、子ども思うほゆ。栗食め(已然形)ば、まして偲はゆ〔万葉集〕。
② 翁心地あしく、苦しき時も、この子を見れ(已然形)ば、苦しきこともやみぬ〔竹取物語〕。
といふ「古文」に関しては、
&(P→Q)
② Pな然形)ばQである。
に相当する。
従って、
(15)(28)により、
(29)
① 水濁ら(未然形)ば、釣りをせん〔作例〕。
① 悪人のまねとて人を殺さ(未然形)悪人なり〔徒然草〕。
① 月の都の人もうで来(未然形)ば、捕らへさせん〔竹取物語〕。
といふ「古文」は、
① P→Q
① Pな然形)ばQである。
に、相当し、
② 二十七日、風吹き波荒けれ(已然形)ば、舟出さず〔土佐日記〕。
② 瓜食め(已然形)ば、子ども思うほゆ。栗食め(已然形)ば、まして偲はゆ〔万葉集〕。
② 翁心地あしく、苦しき時も、この子を見れ(已然形)ば、苦しきこともやみぬ〔竹取物語〕。
といふ「古文」に関しては、
&(P→Q)
② Pな然形)ばQである。
に、相当する。
然るに、
(30)
なお、恒常条件、
花咲ば、散る。
は、花が咲クトイツモ
の意味だが、条件を想定するといふ点で、仮定条件によく似ている
(代々木ゼミ方式、土屋古文文法88、1990年、121頁)
従って、
(22)(30)により、
(31)
① 花咲然形)ば、散る。
② 花咲然形)ば、散る。
に於いて、
① 花が咲くならば
② 花が咲クトイツモ
である。
従って、
(31)により、
(32)
① 花咲か(未然形)ば、
の場合は、
① 花が咲くかどうかは、分らない
従って、
(31)(32)により、
(33)
① 花が咲くかどうかは、分らない
といふ風に、「言ひたい」場合は、
② 花咲然形)ば、
とは言はずに、
①   花咲然形)ば、
もし花咲然形)ば、
といふ風に、言ふことになる。
従って、
(22)(33)により、
(34)
「平安中古文法」では、
順接仮定条件を〈然形+「ば」〉
順接確定条件を〈然形+「ば」〉
として、明確に使い分けていた
といふことから、
もし花咲然形)ば、
といふ「仮定条件」に対して、
もし花咲然形)ば、
といふ「仮定条件」は、「平安中古文」では、有り得ない
従って、
(34)により、
(35)
① もし花咲か(未然形)ば、
① もし緩急あら(未然形)ば、
といふ「古文」に対して、
もし花咲然形)ば、
もし緩急あ然形)ば、
といふ「用例」は、平安中古文」では、有り得ない
然るに、
(36)
】[意味]① あした(
(角川新字源、1968年、459頁)
然るに、
(37)
一朝】③ 事件などがおこることを仮定するときのことばいったん
(学研、漢和大辞典、1978年、4頁)
従って、
(36)(37)により、
(38)
一旦】=仮定するときのことば(もし・IF)
である。
従って、
(38)により、
(39)
一旦、緩急あ然形)ば、
といふ「それ」は、
もし、緩急あれ(然形)ば、
といふ、「意味」になる。
従って、
(35)(39)により、
(40)
① もし花咲か(未然形)ば、
① もし緩急あら(未然形)ば、
① 一旦緩急あれ(未然形)ば、
といふ「古文」に対して、
もし花咲然形)ば、
もし緩急あ然形)ば、
一旦緩急あ然形)ば、
といふ「古文」は、有り得ない
然るに、
(41)
平安中古文法では、順接仮定条件を〈未然形+「ば」〉順接確定条件を、〈已然形+「ば」〉として、明確に使い分けていた。けれども、江戸近世文法では、〈已然形+「ば」〉が、現代口語文法の〈仮定形+「ば」〉に大きく接近し、順接仮定条件をも表すようになった。現行の訓読は、直接には近世後期訓読を引き継いでいるため、順接仮定条件・順接確定条件のいずれをも〈已然形+「ば」〉で表すことが許容される。
(古田島洋介・湯城吉信、漢文訓読入門、2011年、80頁)
従って、
(40)(41)により、
(42)
①「平安中古文法」としては、
② もし花咲け(已然形)ば、
② もし緩急あれ(已然形)ば、
② 一旦緩急あれ(已然形)ば、
といふ「用法」は、「間違ひ」であるが、
②「江戸近世文法」としては、
② もし花咲け(已然形)ば、
② もし緩急あれ(已然形)ば、
② 一旦緩急あれ(已然形)ば、
といふ「用法」は、「間違ひ」ではない
然るに、
(43)
『週刊文春』(3月30日号)ではジャーナリストの池上彰さんが、文法の間違いがあるとの指摘も紹介しておくと断った上で、「もしも国家に危機があるとするならば」の意では〈「あり」の然形+ば〉の「あば」が当時の文法では正しく、「一旦緩急あば」では「危機は必ず来るから、そのときには」の意になってしまい、誤用である-と書いていた。
(2017.6.28 10:01【国語逍遥】)
然るに、
(44)
当時の文法」といふのは、「(教育勅語が書かれた)明治時代の文法」であって、「平安時代の文法」では有り得ない。
従って、
(42)(43)(44)により、
(45)
「あ然形)ば」ではなく、「あ然形)ば」だけが「明治時代の文法」では「正しい」。
とする「主張(ジャーナリストの池上彰さん)」は、「正しくない」。
然るに、
(46)
反論したのが大阪大名誉教授の加地伸行さんである。
月刊誌『WiLL』(6月号)で、まこと懇切丁寧に「あれば」の正当性を主張した。
全文を引けないのは残念だが、概略を以下に示したい。
古文の立場からは、助詞「ば」には3種のつながり方がある。
(1)「あらば」(未然形+ば)は「もし~であるならば」(仮定)を表す。
(2)「あれば」(已然(いぜん)形+ば)は「~ので」(理由)や「~したところ」(契機)を表す。
(3)「あれば」(已然形+ば)は(2)の意味のほかにも、「或(あ)ることが有るいつでもそれに伴って後(あと)のことが起こる」という〈一般条件〉を表す。
「一旦緩急あれば…」も「国民として、危急が起きたときには当然、戦う」の意だから(3)に相当し、文法として正しい。
(2017.6.28 10:01【国語逍遥】)
然るに、
(47)
C 恒常条件(~トイツモ
(代々木ゼミ方式、土屋古文文法88、1990年、121頁)
従って、
(43)(46)(47)により、
(48)
大阪大名誉教授の加地伸行さんは、
② 一旦緩急あ然形)ば、
といふ「条件」を、
恒常条件(~トイツモ
であると、されてゐる。
然るに、
(49)
もう一度、確認すると、
【一朝】③ 事件などがおこることを仮定するときのことば一旦
(学研、漢和大辞典、1978年、4頁)
従って、
(49)により、
(50)
一旦もし仮定するときのことば
である。
従って、
(50)により、
(51)
もし緩急あ然形)ば、
である所の、
一旦緩急あれ(然形)ば、
の場合は、
②「仮定条件」である。
従って、
(48)(51)により、
(52)
大阪大名誉教授の加地伸行さんは、
一旦緩急あれ(已然形)ば、
もし緩急あれ(已然形)ば、
といふ「条件」を、
恒常条件(~トイツモ)
であると、されてゐるものの、
一旦緩急あれ(已然形)ば、
もし緩急あれ(已然形)ば、
の場合は、
②「仮定条件」である。
cf.
そして、もし危急の事態が生じたら(Webサイト:教育勅語と現代語訳)、
従って、
(52)により、
(53)
一旦緩急あれ(已然形)ば、
もし緩急あれ(已然形)ば、
といふ「条件」を、
仮定条件
ではなく
恒常条件(~トイツモ)
あると、された「時点」で、
大阪大名誉教授の加地伸行さんの「主張」は、「正しくない」。
従って、
(45)(53)により、
(54)
ジャーナリストの、池上彰さんの「主張」は、「間違ひ」であって、
大阪大名誉教授の加地伸行さんの「主張」も、「間違ひ」である。
平成29年08月21日、毛利太。

2017年8月16日水曜日

一般論(と已然形)、仮言命題(と未然形)。

(01)
1 (1) P→Q           A
 2(2) P             A
12(3) Q             12MPP
12(4) P&Q           23&I
1 (5) P→(P&Q)       24CP
  (6)(P→Q)→{P→(P&Q)}15CP
(02)
1 (1) P→(P&Q)       A
 2(2) P             A
12(3) P&Q           12MPP
12(4) Q             3&E
1 (5) P→Q           24CP
  (6){P→(P&Q)}→(P→Q)15CP
従って、
(01)(02)により、
(03)
① Pであると仮定するならば、Qである(P→Q)。
といふ「仮言命題」は、
① Pであると仮定するならば、Pであって、Qである{P→(P&Q)}。
といふ、「意味」である。
従って、
(04)
① Pな然形)ばQである。
といふ「仮言命題」自体は、
① Pである
① Qである
とは、「言ってゐない」し、
① Pでない
① Qでない
とも、「言ってゐない」。
然るに、
(05)
② Pな然形)ばQである。
といふ「古文」は、
② PなのでQである。
といふ「意味」である。
然るに、
(06)
② PなのでQである。
といふのであれば、
② Pである
② Qである
と、「言ってゐる」。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① Pな然形)ばQである。
② Pな然形)ばQである。
に於いて、
① は、「仮言命題」であるが、
② は、「仮言命題」ではない
然るに、
(08)
① Pな然形)ばQである。
② Pな然形)ばQである。
に於ける、
① Pな然形)ば、
② Pな然形)ば、
に於いて、
① を、「定条件」と言ひ、
② を、「定条件」と言ふ。
然るに、
(09)
① Pな然形)ばQである。
に於いて、
① Pな然形)ば、
を、「前件(前提)」と言ひ、
② Qである。
を、「後件(結論)」と言ふ。
従って、
(08)(09)により、
(10)
①「仮定条件」とは、
①「 論理学 」でいふ、
①「前件・前提」に、他ならない。
然るに、
(11)
「古文・漢文」に於ける、
①「仮定条件」
に関しては、
① Pな然形)ばQである。
といふ「用法」しか無い。
すなはち、
(12)
① 虎求百獣而食之得狐。狐曰、子無敢食我也。天帝使我長百獣。今子食我、是逆天帝命也(戦国策)。
① 虎、百獣を求めて之を食らひ、狐を得たり。狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ。天帝、我をして百獣に長たらしむ。今、子、我を食らば、是れ天帝の命に逆らふなり。
等が、さうであるやうに、
① 我を食ら然形)ば、是れ天帝の命に逆らふなり。
のやうな、
① Pな然形)ばQである。
といふ「用法」しか無い。
然るに、
(13)
【ば】(接続助詞)
然形に付き、順接の定条件を示す。
然形に付き、順接の定条件を示す。そして次の三つ用法がある。
(1)原因・理由を示す。
 いと幼ければ、籠に入れて養ふ(竹取物語)。
(2)偶然条件を示す。
 柿食へば鐘がなるなり法隆寺(正岡子規)。
(3)恒常条件を示す。
 水清ければ、魚住まず(ことわざ)。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、167頁改)
従って、
(12)(13)により、
(14)
① Pな然形)ばQである。
の場合が、
(1)「定条件」を示す。
といふ「一通り」しかないのに対して、
② Pなれ(已然形)ばQである。
の場合は、
(1)「原因・理由」を示す。
(2)「 偶然条件 」を示す。
(3)「 恒常条件 」を示す。
といふ「三通り」の「用法」がある。
然るに、
(15)
* 未然 ―「未だ然らず」、 すなわち、「マダソウナッテイナイ」の意である。
* 已然 ―「未然」の反対で、すなわち、「スデニソウナッテイル」の意である。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、23・24頁)
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
(1)いと幼けは(原因)、籠に入れて養ふ(結果)。
(2)柿食ば(その直後に、)鐘がなるなり法隆寺。
(3)(これまでの例からすれば、)水清けば、魚住まず。
といふ風に、解することが、出来る。
然るに、
(17)
(3)(これまでの例からすれば、)水清けば、魚住まず。
といふのであれば、
② 水清け然形)ば、魚住まず。
といふ「言ひ方」は、「一般論」である。
然るに、
(18)
貧すば鈍す
読み方:ひんすればどんす
別表記:貧すば鈍する
貧しいと、生活苦に煩わされることが多くなり、才気や高潔さが失われてしまうものである。瀕すれば鈍する。
(日本語表現辞典 Weblio辞書)
cf.
「鈍する(サ変・連体形)」であるため、「古典文法」としては、「鈍す(サ変・終止形)」が、「正しい」。
従って、
(18)により、
(19)
② 水清け然形)ば、魚住まず。
③ 貧す然形)ば、鈍す。
といふ「ことわざ」は、「一般論」である。
然るに、
(20)
① 水にご然形)ば、釣りをせん。
① 水が濁るな然形)ば、釣りをしよう。
といふ「それ」は、「 一般論 」ではない所の、「仮言命題」であって、
① 水にご然形)ば、
といふ「それ」は、「定条件」ではない所の、「定条件」である。
従って、
(19)(20)により、
(21)
① 水にご然形)ば、釣りをせん。
② 水清け然形)ば、魚住まず。
に於いて、
① は、「仮言命題」であって、
② は、「 一般論 」である。
従って、
(10)(20)(21)により、
(22)
① 水にご然形)ば、
② 水清け然形)ば、
に於いては、
① だけが、「定条件」である。
然るに、
(23)
古典語では順接の仮定条件は「行ば(行クナバ)」のように「然形+ば(接続助詞)」の形であらわした。後期江戸からは、「已然形+ば」はもっぱら仮定条件の意味を表わすようになった。そうなると、「已然形」はもはや「已然形」ではなくなってしまい、「仮定形」と呼ぶべき意味用法を備えるようになった。ここに古典語の「已然形」が消滅し、現代語の「仮定形」によって取って代わられたことになる(浅川哲也・竹部歩美、歴史的変化から理解する現代日本語文法、2014年、97・149頁)。
従って、
(22)(23)により、
(24)
古典語の「已然形」が消滅し、現代語の「仮定形」によって取って代わられた。が故に、
① 水にご然形)ば、
② 水清け然形)ば、
は、本来は、さうではないにも拘らず、両方とも、
①「仮定条件+ば」
②「仮定条件+ば」
として、受け止められる、「可能性」がある。
然るに、
(25)
批判は、勅語の中の「一旦(いったん)緩急あば義勇公に奉じ…」の「あば」は文法的に誤っているといった方向にまで及んだので、さすがに小欄も取り上げないわけにはいかなくなった(産経ニュース、【国語逍遥】2017.6.28 10:01)。
(24)(25)により、
(26)
古典語の「已然形」が消滅し、現代語の「仮定形」によって取って代わられた。が故に、
① 一旦緩急あ然形)ば、
② 一旦緩急あ然形)ば、
は、本来は、さうではないにも拘らず、両方とも、
①「仮定条件+ば」
②「仮定条件+ば」
として、受け止められてゐる(ものと、思はれる)。
然るに、
(27)
】[意味]① あした(
(角川新字源、1968年、459頁)
然るに、
(28)
一朝】③ 事件などがおこることを仮定するときのことば。いったん。
(学研、漢和大辞典、1978年、4頁)
従って、
(27)(28)により、
(29)
一旦仮定するときのことば(もしも・IF)
である。
従って、
(29)により、
(30)
② 一旦緩急あ然形)ば、
といふ「それ」は、
もしもPな然形)ば、
ではなく、
もしもPな然形)ば、
といふ「それ」に、相当する。
然るに、
(31)
もしもPなば、
に対して、
もしもPなば、
といふ「それ」は、明らかに、「ヲカシイ」。
従って、
(30)(31)により、
(32)
② 一旦緩急あ然形)ば、
といふ「それ」は、「読む人が読ま(め)」ば、「ヲカシイ」。
従って、
(32)により、
(33)
④ 行ないて余力あ然形)ば、
といふ「それ」も、「読む人が読ま(め)」ば、「ヲカシイ」。
然るに、
(34)
③ 行なひて余力有然形)ば、則ち以て文を学ぶ(論語、三省堂、 1973年)。
④ 行ないて余力あ然形)ば、則ち以て文を学ぶ(論語、岩波書店、1963年)。
従って、
(33)(34)により、
(35)
③ 行なひて余力有然形)ば、
④ 行ないて余力あ然形)ば、
に於いて、
④ 行ないて余力あ然形)ば、「古典文法」としては、「ヲカシイ」ものの、
実際には、
④ 行ないて余力あ然形)ば、
といふ「それ」も、「通用」する。
然るに、
(36)
高校生が、「古文漢文」を、「並行して学ぶ」以上、
③ 行なひて余力有然形)ば、
④ 行ないて余力あ然形)ば、
に於いて、どちらでも良いのであれば、「古典文法」として「正しいそれ」である、
③ 行なひて余力有然形)ば、
の方を、高校生に対しては、教へるべきである。
加へて、
(37)
③ 行な(ハ行四段・連用形)
が、「正しい」のであって、
④ 行な(ハ行四段・連用形)
は、「間違ひ」である。
従って、
(38)
高校生に対して、ある程度、「古文漢文」の両方が、読めるようになることを「期待」するのであれば、
④ 行なて余力あ然形)ば、則ち以て文を学ぶ(論語、岩波書店、1963年)。
といふ「書き下し文」は、
③ 行なて余力有然形)ば、則ち以て文を学ぶ(論語、三省堂、 1973年)。
といふ「書き下し文」に、改める、べきである。
平成29年08月16日、毛利太。

2017年8月10日木曜日

再読文字(叙述の副詞)

(01)
副詞の種類 副詞は次の三種類に分けることができる。
(一)状態の副詞 用言(主として動詞)を修飾して動作・作用などの状態を示すもの。
(二)程度の副詞 用言(主として形容詞・形容動詞)およびある種の体言を修飾して、その語の表す意味の程度を示すもの。
(三)叙述副詞副詞呼応あるきまった語と呼応して意味の述べ方を助けるもの。
(代々木ゼミ方式 受験国文法、1980年、16・17頁抜粋)
然るに、
(02)
① 彼の行方は、今だに分からない
② 彼は決して、ウソをつかない
に対して、
① 彼の行方は、今だに分かる。
② 彼は決して、ウソをつく。
といふ「日本語」は、存在しない。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 今だに
② 決して
といふ「副詞」は、両方とも、
① 否定(ない
② 否定(ない
に「呼応」する所の、「叙述副詞」である。
然るに、
(04)
①〔未・・・・・〕(再読文字)「いまダ・・・・・」と読み、「まだ・・・・・ない」の意。
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、429頁)
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 未
といふ「漢字」は、「日本語」に、「翻訳」する限り、
① 叙述の副詞+否定。
に、「対応」する。
然るに、
(06)
(否定文で)けっして(・・・しない)、今まで一度も・・・したことがない)/
I haven't ever spoken to him.[≒ I have never spoken to him.]彼には今まで話しかけたことがありません。/
Nobady had ever noticed her absence. だれも彼女がいないことに気つかなかった。
[語法](1)evernot や hardly などの否定の意味を含む語と共に用いられ、never と同じ意味になる。
(フェイバリット英和辞典、2001年、513頁)
従って、
(03)~(06)により、
(07)
② He never lies.
② He never lies.
② 彼は決して、ウソを付かない
に於いて、
② never
といふ「単語」は、「日本語」に、「翻訳」する限り、
② 叙述の副詞+否定。
に、「対応」する。
従って、
(04)(05)(07)により、
(08)
② He never lies.
といふ「英語」を、
② ヒィ ネバー ライズ.
とは「読まず」に、
② 彼は決して、ウソを付かない
といふ風に「読む」のであれば、その場合の、
② never は、
① 未  と「同様」に、
再読文字 である。
平成29年08月10日、毛利太。

2017年8月8日火曜日

再読文字(副詞+助動詞・サ変動詞)。

(01)
① よも行くまじ。
② まさか行かないだろう。
に於いて、
① は、「 古文 」であって、
② は、「口語訳」である。
然るに、
(02)
① よも +行く+まじ   =副詞+動詞+助動詞。
② まさか+行か+ないだろう=副詞+動詞+助動詞。
である。
従って、
(03)
① 副詞+動詞+助動詞。
② 副詞+動詞+助動詞。
といふ「語順」が、「日本語の語順」である。
従って、
(04)
① 副詞+動詞+助動詞
③ 副詞+助動詞+動詞。
に於いて、
① は、「日本語の語順」であるが、
③ は、「日本語の語順」ではない
然るに、
(05)
③ ○△□。
に於いて、
③ ○=副詞
③ △=助動詞
③ □=動詞
であるとする。
然るに、
(06)
③ ○△□=
③ ○△(□)。
に於いて、
③ △( )⇒( )△
といふ「移動」を行ふと、
③ ○△□=
③ ○△(□)⇒
③ ○(□)△。
である。
従って、
(04)(06)により、
(07)
③ ○△□=
③ ○△(□)⇒
③ ○(□)△=
③ 副詞(動詞)助動詞。
に於いて、
③ 副詞(動詞)助動詞。
は、「日本語の語順」である。
然るに、
(08)
③ ◇=○△
であるとする。
従って、
(07)(08)により、
(09)
③ ◇□=
③ ○△□=
③ ○△(□)⇒
③ ○(□)△=
③ 副詞(動詞)助動詞。
に於いて、
③ 副詞(動詞)助動詞。
は、「日本語の語順」である。
然るに、
(10)
③ ◇□=
③ ○△□=
③ ○△(□)⇒
③ ○(□)△=
③ 副詞(動詞)助動詞。
に於いて、
③ ◇=○△
であるといふことは、
③ ◇ といふ「一」を、
③ ○ といふ「一( 副詞 )」と、
③ △ といふ「一(助動詞)」に分けて、
③ ○ については、「最初に読み」、
③ △ については、「最後に読む」。
といふことに、他ならない。
従って、
(10)により、
(11)
③ ◇=○△
に於いて、
③ ○=副詞
③ △=助動詞
であるやうな「一字の漢字」が有るならば、
③ ◇□。
に於いて、
③ ○ については、「最初に訓読して」、
③ △ については、「最後に訓読する」。
といふ、ことになる。
然るに、
(12)
漢字一字で、日本語副詞動詞または助動詞とに相当する意味を兼ね備えているものがある。そこで訓読に際して、その文字が出てきた所でまず副詞として読んでしまい、後でもう一度返り点に従って戻り、動詞または助動詞として読む、という工夫がなされた。こうして、一字二度訓読するものを再読文字という。
(江連隆、漢文ハンドブック、1997年、195頁)
従って、
(11)(12)により、
(13)
③ ◇=○△
に於いて、
③ ○=副詞
③ △=助動詞
であるやうな「一字の漢字」といふ「漢字◇」こそが、「再読文字」に、他ならない。
(14)
例へば、
④ 未=いまだ(副詞)+ず(助動詞)
⑤ 将=まさに(副詞)+す(サ変動詞
であるため、
④ 未 は、「副詞と 動詞 」の意味を兼ね備へてゐて、
⑤ 将 は、「副詞と助動詞」の意味を兼ね備へてゐる。
(15)
⑤ 将=まさに(副詞)+す(サ変動詞)
⑥ 且=まさに(副詞)+す(サ変動詞)
に於いて、
⑤=⑥ であって、
⑤=⑥ 以外の「再読文字」は、「副詞と助動詞」の意味を兼ね備へてゐる。
然るに、
(16)
【16】まじ
意味 「じ」が「む」の打消であったように、「まじ」は「べし」の打消しである。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、131頁改)
然るに、
(17)
「べし」は「助動詞」であって、「打消し(ず)」も「助動詞」である。
従って、
(18)
「余談」ではあるが、
⑦ まじ=べし(助動詞)+ず(助動詞)
である。
従って、
(14)(18)により、
(19)
④ 未 =いまだ(副詞)+ず(助動詞
⑦ まじ=べし(助動詞)+ず(助動詞
である。
平成29年08月08日、毛利太。

2017年8月7日月曜日

「ハイフン」及び「複合返り点」について。

(01)
国語=国(National)+語(Language)
英語=英(English) +語(Language)
である。
然るに、
(02)
国語=国(National)+語(Language)
英語=英(English) +語(Language)
であるならば、
国語(Japanese) は、「二語(Two words)」であって、
英語(English) も、「二語(Two words)」である。
然るに、
(03)
普通の「感覚」からすれば、
国語 は、「一語(One word)」であって、
英語 も、「一語(One word)」である。
(04)
音読=声に出して +読む。
黙読=声に出さずに+読む。
であるならば、
音読 は、「二語(Two words)」であって、
黙読 も、「二語(Two words)」である。
然るに、
(05)
普通の「感覚」からすれば、
音読 は、「一語(One word)」であって、
黙読 も、「一語(One word)」である。
然るに、
(06)
じゅくご【熟語】① 二つ以上の単語を合わせて一つの意味を表すことば。複合語。
(旺文社、英訳つき国語総合辞典、1990年)
従って、
(03)(05)(06)により、
(07)
国語 は、「二字熟語(One word)」である。
英語 は、「二字熟語(One word)」である。
音読 は、「二字熟語(One word)」である。
黙読 は、「二字熟語(One word)」である。
従って、
(07)により、
(08)
叱咤 は、「二字熟語(One word)」である。
激励 は、「二字熟語(One word)」である。
収蔵 は、「二字熟語(One word)」である。
哀惜 は、「二字熟語(One word)」である。
然るに、
(09)
しった-げきれい【叱咤激励】の意味 新明解四字熟語辞典
大声で励まして、奮い立たせること。「叱咤」は大声で励ますこと。また、大声でしかること。「激励」は励まし、元気づけること。
従って、
(06)(09)により、
(10)
叱咤激励=叱+咤+激+励 は、「四字熟語(One word)」である。
cf.
叱=しかる
咤=どなる
激=はげしく
励=はげます
従って、
(08)(10)により、
(11)
叱咤激励=叱+咤+激+励 が、「四字熟語(One word)」である以上、
収蔵哀惜=収+蔵+哀+惜 が、「四字熟語(One word)」であっても、「不都合」は無い。
cf.
収=をさめる
蔵=たくわえる
愛=いつくしむ
惜=をしむ
然るに、
(12)
収蔵哀惜 といふ「四字熟語」は、少なくとも、「新明解四字熟語辞典」には、「記載」が無い
然るに、
(13)
全ての四字熟語 が、「四字熟語辞典」に載ってゐる。といふことは、有り得ない
従って、
(11)(13)により、
(14)
叱咤激励 が、「四字熟語(One word)」であるやうに、
収蔵哀惜 も、「四字熟語(One word)」であると、すべきである。
然るに、
(15)
(16)で示す通り、古田島先生、湯城先生は、
収蔵哀惜 を、「四字熟語(一語)」ではないといふ風に、されてゐる。
(16)

然るに、
(17)
収蔵哀惜之=収蔵+哀惜+之
であるならば、
収蔵哀惜之=副詞+動詞+目的語
でなければ、ならない。
然るに、
(18)
音読之=これを音読す。
ではなく、
音読之=これを音にて読む。
とするならば、
音読之=副詞+動詞+目的語
であるものの、
収蔵哀惜之=これを収蔵哀惜す。
に関しては、
収蔵哀惜之=副詞+動詞+目的語
といふことには、ならない。
従って、
(15)~(18)により、
(19)
「収蔵哀惜」を一語のように扱っている点は。語構成の面で些細の無理を伴う
といふ風に、私自身は、思はない
然るに、
(20)

然るに、
(21)

従って、
(20)(21)により、
(22)
① 患以 立(立つ所以を患ふ)。
② 患以 立(立つ所以を患ふ)。
といふ「返り点」は、以前であれば、
③ 患 所‐以 立(立つ所以を患ふ)。
といふ風にも、書けたことになる。
然るに、
(23)
① 患以 立(立つ所以を患ふ)。
② 患以 立(立つ所以を患ふ)。
③ 患 所‐以 立(立つ所以を患ふ)。
に於いて、「一番分り易い、返り点」は、
③ 患 所‐以 立(立つ所以を患ふ)。
であると、思はれる。
然るに、
(24)
「返り点」ではなく、「括弧」であれば、
④ 患〔所‐以(之)〕。
以外には、「書きよう」が無い。
(25)
 一レ 上レ 甲レ 天レ
複合返り点は、右の四種だけある。二レ・下レ などは存在しない。
(古田島洋介・湯城吉信、漢文訓読入門、2011年、49頁)
(26)
二レ
といふ「返り点」が存在する。といふことは、すなはち、
二レ 一
といふ「返り点」が存在する。といふことに、他ならなない。
然るに、
(27)
二レ 一
であれば、
レ から、二 へ「返り」、
一 から、二 へ「返る」。
従って、
(28)
レ から、二 へ「返り」、
一 から、二 へ「返る」。
といった、そのやうな「読み方」をする場合には、
二レ
といふ「返り点」も、有り得ることになる。
然るに、
(29)
【8】して(口語でこれにあたる語はない)
① 手段・方法を示す。
② 使役の対象を示す。
かぢ取して、幣を奉らす(土佐日記)。
[訳]船頭に命じて、幣を奉らせる。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、161・162頁改)。
従って、
(29)により、
(30)
「平安古典文法」に従ふ限り、
② 子路使門人為臣=
② 子路使〔門人為(臣)〕⇒
② 子路〔門人(臣)為〕使=
② 子路〔門人して(臣)為ら〕使む。
である。
(31)
「現代語の文法」に従ふ限り、
① 子路使門人為臣⇒
① 子路は門人家臣にした。
である。
従って、
(32)
① 門人をして臣為ら使む。
であるならば、
①  を(格助詞)
② して(格助詞)
が、「二回、使はれてゐる」。
然るに、
(33)

従って、
(34)
① 子路使下二 門‐人 上レ 臣。(石斎点・後藤点)
② 子路使二レ 門‐人 為 一レ 臣。(建武点・道春点)
の場合は、
① 使=して(格助詞)
と読み、その一方で、
② 使=しむ(助動詞)
と読み、その「結果」として、

といふ「複合返り点」どころか、

といふ「複合返り点」が、見られることになる。
然るに、
(35)
格助詞は、体言と、体言に準ずる語とに付く。「体言に準ずる語」とは、活用語の連体形のことである(例、「負くるが勝ち。」)
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、153頁)。
従って、
(35)により、
(36)
①  を(格助詞)
に対して、
② して(格助詞)
が付くといふことは、「有り得ない」。
従って、
(36)により、
(37)
① 子路使門人為臣=
① 子路使〔門人為(臣)〕⇒
① 子路〔門人(臣)為〕使=
① 子路〔門人をして(臣)為ら〕使む。
に於ける、
① をして
といふ、「漢文に、特有日本語」は、
① をして=「一つの格助詞」
と、すべきである。
従って、
(33)(34)(37)により、
(38)
① 子路使下二 門‐人 上レ 臣。(石斎点・後藤点)
② 子路使二レ 門‐人 為 一レ 臣。(建武点・道春点)
といふ「返り点」は、「マチガイ」であって、
③ 子路使 門人 為 一レ 臣。
といふ「返り点」が、「正しい」。
それ故、
(39)
「現行の返り点」としては、
 一レ 上レ 甲レ 天レ
複合返り点は、右の四種だけある。二レ・下レ などは存在ない
然るに、
(40)
 一レ 上レ 甲レ 天レ
といふ「返り点」は、例へば、
 一レ
であれば、
 三 二 一
と、「同じ」である。
従って、
(41)
 一レ 上レ 甲レ 天レ
といふ複合返り点は、固より、「不要」である。
平成29年08月07日、毛利太。