2014年2月3日月曜日

漢文・括弧・論理(其の弐)。

「2013/05/12」の記事を、書き換へます。
(01)
①   捨義而取命。
② 義不捨而取命。
③ 不捨義而取命。
に於いて、
①と、②の「訓読」は、
① 義を捨てて命を取る。
② 義は捨てずして命を取る。
然るに、
(02)
これに対して、
③ 不捨義而取命。
の「訓読」は、
④ 不〔捨(義)〕而取(命)⇒
④ 〔(義)捨〕不而(命)取=
④ 義を捨てずして、命を取る。
だけでなく、
⑤ 不〔捨(義)而取(命)〕⇒
⑤ 〔(義)捨而(命)取〕不。
⑤ 義を捨てて命を取らず。
といふ「訓読」も、可能である。
然るに、
(01)(02)により、
(03)
③ 不捨義而取命=
④ 義を捨てずして、命を取る。
の場合は、
② 義不捨而取命=
② 義は捨てずして、命を取る。
に等しい。
従って、
(04)
③ 不捨義而取命=
④ 義を捨てずして、命を取る。
であるならば、初めから、
② 義不捨而取命=
② 義は捨てずして、命を取る。
といふ風に、書けば良い。はずである。
従って、
(02)(04)により、
(05)
③ 不捨義而取命。
といふ「漢文」は、
⑤ 不〔捨(義)而取(命)〕⇒
⑤ 〔(義)捨而(命)取〕不。
⑤ 義を捨てて命を取らず。
である。とする。
然るに、
(06)
⑤ 義を捨てて命を取らず。
といふ日本語は、普通は、
⑤ 義を捨てるならば、命を取らない=
⑤ 義を捨てるくらいならば、命は要らない。
といふ、意味である。
従って、
(07)
余談であるが、
「永遠の0」の主人公は、最初は、
④ 義は捨てずして、命を取る。
であって、最後は、
⑤ 義を捨てて命を取らず。
であった。といふ風に、言へないことも、ない。
然るに、
(08)
不=¬(否定)
而=∧(連語)
∨=∨(選言)
⊃=⊃(含意)
P=義を捨てる。
Q=命を取る。
従って、
(08)により、
(09)
⑤ 不〔捨(義)而取(命)〕=
⑤ ¬(P∧Q)
然るに、
(10)
「ド・モルガンの法則」により、
⑤ ¬(P∧Q)=
⑤ ¬P∨¬Q
加へて、
(11)
「含意の定義」により、
⑤ P⊃¬Q
従って、
(08)(11)により、
(12)
⑤ P⊃¬Q=
⑤ 義を捨てる⊃¬命を取る=
⑤ 義を捨てるならば、命を取らない。
然るに、
(13)
⑥ 如捨義則不取命=
⑥ 如し義を捨てなば則ち命を取ら不=
⑤ 義を捨てるならば、命を取らない。
従って、
(05)(06)(08)~(13)により、
(14)
③ 不捨義而取命=
⑤ 不〔捨(義)而取(命)〕=
⑤ 義を捨てて命を取らず=
⑤ 義を捨てるならば、命を取らない。
⑥ 如捨義則不取命=
⑥ 如し義を捨てなば則ち命を取ら不。
従って、
(14)により、
(15)
日本語に於いて、
⑤ 義を捨てるならば、命を取らない(口語)=
⑥ もし義を捨てなば則ち命を取らず(文語)。
といふ「等式」が成り立つ以上、
③ 不捨義而取命=
⑥ 如捨義則不取命=
⑤ 不〔捨(義)而取(命)〕。
といふ「等式」が成り立つ。ことになる。
従って、
(08)~(15)により、
(16)
③ 不捨義而取命。
といふ「漢文」は、「論理学的」には、
⑤ 不〔捨(義)而取(命)〕。
といふ「構造(シンタックス)」をしてゐる。ことになる。
従って、
(16)により、
(17)
③ 不捨義而取命。
といふ「漢文」を、
⑤ 義を捨てて命を取らず。
といふ風に「訓読」する。といふことは、
⑤ 不〔捨(義)而取(命)〕。
といふ「構造(シンタックス)」である所の「漢文」を、
⑤ 不〔捨(義)而取(命)〕。
といふ「構造(シンタックス)」の通りに、読んでゐる。といふことに、なる。
従って、
(17)により、
(18)
⑤ 二 レ 一レ
といふ「返り点」を加へる。ことによって、
③ 不捨義而取命。
といふ「漢文」を、
⑤ 義を捨てて命を取らず。
と「訓読」する。といふことは、
⑤ 不〔捨(正義)而取(我命)〕。
といふ「構造(シンタックス)」に対して、
⑤ 二 レ 一レ
といふ「返り点」を加へてゐる。といふ、ことになる。
従って、
(19)
③ 不捨正義而取我命。
であれば、
⑤ 不〔捨(正義)而取(我命)〕。
といふ「構造(シンタックス)」に対して、
⑤ 下 二 一 中 上
といふ「返り点」を加へてゐる。といふ、ことになる。
平成26年02月03日、毛利太。

2014年1月22日水曜日

矣・焉について、

(01)
「貴方と私は一心同体である。」
とすることは、物理的には、不可能である。
然るに、
(02)
「私と貴方は一心一体である。」
とすることは、心理的には、可能である。
従って、
(03)
君主=人民
とすることは、心理的には、可能である。
従って、
(04)
文公=宋の人民
とすることは、心理的には、可能である。
従って、
(05)
文公自身が、
文公=宋の人民
と思ふことは、可能である。
従って、
(06)
人民 に既に起こったことは、
自分 にも起こってゐる。
と、文公が思ふことは、可能である。
然るに、
(07)
例へば、日本語の古文では、
[たり・り]
① 完了
日没し・たり=日が沈んだ。
火は既に我が家に移れ・り=火は既にわが家に移ってしまった。
② 存続
白う咲き・たるは夕顔なるべし=白く咲いてゐるのは夕顔であらう。
雪いと白う降れ・り=雪がたいそう白く降り積もってゐる。
接続
「たり」は、活用語の連用形に付く。
「り」は、四段動詞の已然形(命令形)とサ変動詞の未然形に付く。
e.g.
曰、聖人在乎=曰く、聖人在りや。
公曰、=公曰く、に死せ(サ変動詞、未然形)り(完了)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
人民 に既に起こったこと(完了)は、
自分 にも起こってゐる(存続)。
と、文公が思ふことは、可能である。
然るに、
(09)
② 白う咲き・たり(存続)=白く咲いてゐる。
は、「進行形」とすることが、可能である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
人民 に既に起こったこと(完了)は、
自分 にも起こってゐる(進行形)。
と、文公が思ふことは、可能である。
然るに、
(11)
には継続・進行を表わす作用がある。これは完了を表わすのと対照的である(布施郁三、中国古典に於ける矣・焉の解釈、第二版、昭和57年、13頁)。
cf.
完了形と進行形は意味的に対立するように考えられるが、いずれも基本的には基準時点での状態を表現するものだから、必ずしも対立するわけではない(例:英語の完了進行形、日本語の「ている」)。:完了形(Wikipedia).
然るに、
(12)
〔仮定〕
[例]民既利、孤必与
[読み]民既に利あらば、孤必ず与からん。
[訳]人民に利益があるなら、(君主である)私もきっと利益を受けるだろう。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、18ページ)
然るに、
(10)(11)により、
(13)
=完了、=進行形。
であるため、
民既利、孤必与
は、
民既に利あれ(已然形)ば、孤必ず与かれ・り(進行形)=
民に既に利益が有るので、私も、必然的にその利益を得てゐる。
と、すべきである。
従って、
(12)(13)により、
(14)
民既に利あら(未然形)ば、孤必ず与から・む(推量)。
は、誤りである。と、思はれる。ものの、今はまだ、
「本文(春秋左氏伝・文公十三年)」を、読んではゐない。
加へて、
(15)
更に言ふと、
まず、「」であるが、一番カッコヨクいいきる感じで、大阪弁でいえば、「テナモンヤ」と意気高揚した感じである。私は関西人であるので、大阪弁以外の方言はよくわからない。各地に、こういう高揚したときのいいかたがあるに違いない。自分でそういう語に翻訳して考えてほしい。「」は「」と違って、キッとなっていいきる感じである(二畳庵主人、漢文法基礎、昭和59年、新版、157頁)。
といふ説明は、
民既利、孤必与
の解釈には、役に立たない。と、思はれる。
平成26年01月22日、毛利太。

(16)
漢文と雖も、もし文脈が新たになってテンスを表わす必要があれば、必ずこれをする。「今生」「荘公通」の如くである(中国古典に於ける矣・焉の解釈、第二版、昭和57年、14頁)。
(17)
矣という文字は、と矢の合字で、矢を射て、それが一点に至って止るという意味を表わすとされている。これが文章の中で用いられたのを見ると三つの意味を持つようである(中国古典に於ける矣・焉の解釈、第二版、
昭和57年、13頁)。
 (一) 或る運動の結末=完了を表わす。
 (二) 或る判断の結末=断定を表わす。
 (三) 意欲の結末=決意を表す。
(18)
漢字は、どの字も本義から多くの派生を有している。そのうえに同音または近似音による通仮がしきりに行われているが、概して本義転義の同形同音で示されている(中沢希男、同訓異字辞典、1980年、10頁)。
従って、
(13)、(15)~(16)により、
(19)
民既利
の、矣 は、「完了」を表はし、本義に近く、
「キッとなっていいきる感じ」
の、矣 は、「確信・決意」を表はす、転義である。と、思はれる。
(20)
「三省堂、明解古典学習シリーズ16 論語 孟子、昭和48年、71頁」の場合は、
不幸短命死。 
不幸短命にして死せ。 
不幸にも短命で死んでしまった。
に対して、
*  完了の助字。「~てしてしまった」
といふ説明が、されてゐる。
(21)
「仁田峠公人、センター試験対策 漢文キーワード200、平成17年、207頁」の場合は、
矣(置き字)かな (文末に置かれ、断定の意などを添える)
― だなあ。 ― なことよ。
といふ説明しか、してゐない。
(22)
英語であれば、
現在完了、過去完了、未来完了。
現在進行形、過去進行形、未来進行形。
の別が有ることからも判るやうに、
=完了。
=進行形。
であっても、
「意識」の上で、
現在、括弧、未来。
の別が有っても、良いはず、である。
平成26年01月25日、毛利太。

2013年12月23日月曜日

「返り点」について、

(01)
このブログは、昨日(12月22日)に書いたFCブログの「記事(返り点について、)」のダイジェストであり、
FCブログの「記事(返り点について、)」は、一昨日(12月21日)迄に書いた、
ホームページ、(〇一)~(七二)」のダイジェストです。
従って、
(02)
このブロガーは、「ダイジェストの、ダイジェスト」であるため、「厳密」であるよりも、「簡潔」に書くつもりです。
(03)
学校で習ふ「返り点」は、
① レ
② 一 二 三 四 五 ・・・・・
③ 上 中 下
④ 甲 乙 丙 丁 戊 ・・・・・ 
⑤ 天 地 人
然るに、
(03)
この場合、
⑤ 天 地 人
の「三つ」では足りないため、以下では、
⑤ 天 地 人
を「六つ」に増やし、
① レ
② 一 二 三 四 五 ・・・・・
③ 上 中 下
④ 甲 乙 丙 丁 戊 ・・・・・
⑤ 天 地 人
⑤ 天 地 人間 界 極
とする。
然るに、
(04)

何不令人謂韓叔曰秦之
敢絶周而伐韓者信東周
也公何不与周地発質使
之楚秦必疑楚不信周是
韓不伐也又謂秦曰韓彊
与周地将以疑周於秦也
周不敢不受。
といふ、65個字の「白文」の「訓読」は、
(05)
⑮ 何ぞ人をして韓の公叔に謂ひて「秦の敢へて周を絶つて韓を伐たんとするは東周を信ずればなり、公何ぞ周に地を与へ、質使を発して楚に之かしめざる、秦必ず楚を疑ひ、周を信ぜざらん、是れ韓伐たれざらん、」と曰ひ、又秦に謂ひて「韓彊ひて周に地を与ふるは、将に以て周を秦に疑はしめんとするなり、周敢へて受けずんばあらず」と曰は令めざる(これならわかる返り点 ― 入門から応用まで ― 古田島洋介、九一頁)。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
⑮ 何不令人謂韓叔曰、秦之敢絶周而伐韓者、信東周也、公何不与周地発質使之楚、秦必疑楚不信周、是韓不伐也、又謂秦曰、韓彊与周地、将以疑周於秦也、周不敢不受。
といふ「漢文」には、
⑮ レ 間 二 一 乙 レ レ 二 一 下 二 一 二 一 上レ レ レ レ 甲レ 人 二 一 三 二 一 地 天レ。
といふ「返り点」が、付くことになる。
然るに、
(07)
① レ
② 一 二 三 四 五 ・・・・・
③ 上 中 下
④ 甲 乙 丙 丁 戊 ・・・・・
⑤ 天 地 人
⑤ 天 地 人間 界 極
から、
① レ
を除いて、
② 一 二 三 四 五 ・・・・・
③ 上 中 下
④ 甲 乙 丙 丁 戊 ・・・・・
⑤ 天 地 人
⑤ 天 地 人間 界 極
とした場合の「返り点」も、「返り点」の「役割」を果たすことが出来、その場合の「返り点」は、
⑮ 極 界 二 一 丙 二 一 二 一 二 一 下 二 一 二 一 中 上 二 一 三 二 一 乙 甲 二 一 間 二 一 三 二 一 人 地 天。
である。
然るに、
(08)
一二点は無限にあるから、どんなに複雑な構文が出現しても対応できる。実際、一二点しか施していないものも過去にはあった(新稲法子:はてなブログ、2013-03-15)。
従って、
(07)(08)により、
(09)
⑮ 極 界 二 一 丙 二 一 二 一 二 一 下 二 一 二 一 中 上 二 一 三 二 一 乙 甲 二 一 間 二 一 三 二 一 人 地 天。
といふ「返り点」は、
⑮ 三六 三五 二 一 二三 四 三 六 五 八 七 一五 一〇 九 一二 一一 一四 一三 一七 一六 二〇 一九 一八 二二 二一 二五 二四 三四 二七 
二 六 三〇 二九 二八 三三 三二 三一。
といふ「返り点」に、対応する。
然るに、
(10)
⑮ 三六 三五 二 一 二三 四 三 六 五 八 七 一五 一〇 九 一二 一一 一四 一三 一七 一六 二〇 一九 一八 二二 二一 二五 二四 三四 二七 二 六 三〇 二九 二八 三三 三二 三一。
は、「一 ~ 三六」であるため、「36個」。
然るに、
(11)

極 界 二 一 丙 
二 一 二 一 二 
一 下 二 一 二 
一 中 上 二 一 
三 二 一 乙 甲 
二 一 間 二 一 
三 二 一 人 地 天。
であるため、
⑮ 極 界 二 一 丙 二 一 二 一 二 一 下 二 一 二 一 中 上 二 一 三 二 一 乙 甲 二 一 間 二 一 三 二 一 人 地 天。
も、「36個」である。
然るに、
(12)
複数の要素からなるデータの列を、ある特定の規則に従って並べ替えること。整列とも言う。数値を大きい順(小さい順)で並べ替えたり、文字列を五十音順で並べ替えるのがソートである(e-Words)。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
⑮ 三六 三五 二 一 二三 四 三 六 五 八 七 一五 一〇 九 一二 一一 一四 一三 一七 一六 二〇 一九 一八 二二 二一 二五 二四 三四 二七 二 六 三〇 二九 二八 三三 三二 三一。
といふ「36個の要素」を、
⑮ 一 二 三 四 五 六 七 八 九 一〇 一一 一二 一三 一四 一五 一六 一七 一八 一九 二〇 二一 ニニ 二三 二四 二五 二六 二七 二八 二九 三〇 三一 三二 三三 三四 三五 三六。
といふ「順番」に「並び替へる」ことを、「ソート」とするならば、
⑮ 極 界 二 一 丙 二 一 二 一 二 一 下 二 一 二 一 中 上 二 一 三 二 一 乙 甲 二 一 間 二 一 三 二 一 人 地 天。といふ「36個の要素」を、
⑮ 一 二 一 二 一 二 一 二 一 二 一 二 上 中 下 一 二 一 二 三 甲 乙 丙 一 二 一 二 一 二 三 天 地 人 間 界 極。
といふ「順番」に「並び替へる」ことも、「ソート」である。
然るに、
(14)

レ 間 二 一 乙 
レ レ 二 一 下 
二 一 二 一 上レ 
レ レ レ 甲レ 人 
二 一 三 二 一 
地 天レ。
は、「計27個」。
従って、
(04)(10)(11)(14)により、
(15)
⑮ 三六 三五 二 一 二三 四 三 六 五 八 七 一五 一〇 九 一二 一一 一四 一三 一七 一六 二〇 一九 一八 二二 二一 二五 二四 三四 二七 二 六 三〇 二九 二八 三三 三二 三一。
⑮ 極 界 二 一 丙 二 一 二 一 二 一 下 二 一 二 一 中 上 二 一 三 二 一 乙 甲 二 一 間 二 一 三 二 一 人 地 天。
による、「二通りの、返り点」が、
「65個中、36個の要素(漢字)」を「ソート」する際に、
「36個の、返り点」を用ゐている。のに対して、
⑮ レ 間 二 一 乙 レ レ 二 一 下 二 一 二 一 上レ レ レ レ 甲レ 人 二 一 三 二 一 地 天レ。
といふ「返り点」の場合は、
「65個中、36個の要素(漢字)」を「ソート」する際に、
「27個の、返り点」を用ゐている。ことになる。
従って、
(15)により、
(16)
⑮ レ 間 二 一 乙 レ レ 二 一 下 二 一 二 一 上レ レ レ レ 甲レ 人 二 一 三 二 一 地 天レ。
といふ「返り点」が、「ソート」であるならば、
(36-27)個=9個の、
「返り点」が、「不足」する。
然るに、
(17)
例へば、
① 非r不r読r書  =書を読ま不るに非ず:  レ  レ  レ。
といふ「返り点」が、
② 非4不3読2書1=書を読ま不るに非ず: 四 三 二 一。
といふ「返り点」の「略号」であるならば、
であるならば、
① の「返り点」の個数=3
② の「返り点」の個数=4
に於ける、
(3-4)個=-1個。
は、「矛盾」しない。
cf.
米国=2字。
亜米利加合衆国=7字。
に於いて、
(2-7)字=-5字。
は、「矛盾」しない。
従って、
(16)(17)により、
(18)
⑮ レ 間 二 一 乙 レ レ 二 一 下 二 一 二 一 上レ レ レ レ 甲レ 人 二 一 三 二 一 地 天レ。
といふ「返り点」が、
⑮ 極 界 二 一 丙 二 一 二 一 二 一 下 二 一 二 一 中 上 二 一 三 二 一 乙 甲 二 一 間 二 一 三 二 一 人 地 天。
といふ「返り点」の、「略号」であるならば、
(27-36)個=-9個。
は、「矛盾」しない。
従って、
(01)~(18)により、
(19)
① レ点
は、
② 一 二 三 四 五 ・・・・
③ 上 中 下
④ 甲 乙 丙 丁 戊 ・・・・
⑤ 天 地 人
に対する、「略号」である。
Q.E.D.
平成25年12月23日、毛利太。

2013年12月12日木曜日

算数の括弧と、返り点の括弧(Ⅱ)。

(01)
① -2+3×4
② -2+3×4=+10
③ -2+3×4=-20
に於いて、
(02)
左辺である、
② -2+3×4
③ -2+3×4
を、「文」とする。
(03)
右辺である。
② +10
③ -20
を、「意味」とする。
然るに、
(04)
② -    2+3  ×4  =+10
③ -{(2+3)×4}=-20
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① -2+3×4
といふ「文」の「意味」が、
② +10
であるならば、
① -2+3×4
といふ「文」は、
② -    2+3  ×4  =+10
といふ「形(構造)」を、してゐて、
① -2+3×4
といふ「文」の「意味」が、
③ -20
であるならば、
① -2+3×4
といふ「文」は、
③ -{(2+3)×4}=-20
といふ「形(構造)」を、してゐる。
然るに、
(06)
① 不為劉氏左袒。
に於いて、
不=否定詞
為=前置詞
劉氏=名詞
左袒=動詞
であることについては、おおむね、誰もが、否定しない。
従って、
(07)
① 不為劉氏左袒。
は、
③ 不・為・劉氏・左袒。
といふ風に、「区切る」ことが、出来る。
然るに、
(08)
為+劉氏=前置詞+名詞。
であるため、
為(劉氏)
と書くことに、「無理」は無い。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① 不・為・劉氏・左袒。
は、
③ 不・為(劉氏)左袒。
といふ風に、「区切る」ことが、出来る。
然るに、
(10)
「命題A」の「否定」を、
~A=不A
と書いて、
  Aに、
④     為劉氏左袒(劉氏に対して味方をする)。
を代入した「形」が、
③ 不{為劉氏左袒}。
とするならば、
③ 不{為劉氏左袒}= 劉氏に対して味方をしない。
といふことに、なるものの、
③ 不為劉氏左袒    = 劉氏に対して味方をしない。
であることに関しては、「間違ひ」無い。
従って、
(07)(09)(10)により、
(11)
① 不為劉氏左袒。
は、
③ 不・為・劉氏・左袒。
といふ風に、「区切る」ことが、出来き、
③ 不・為・劉氏・左袒。
は、
③ 不・為(劉氏)左袒。
といふ風に、「区切る」ことが、出来き、
③ 不・為(劉氏)左袒。
は、
③ 不{為(劉氏)左袒}。
といふ風に、「区切る」ことが、出来る。
然るに、
(12)
漢文は「ヲ・ニ・ト・ヨリ・ヨリモ」の送りがなをつけて返る場合が多いが、これらにかかわらず、訓読の際に下から必ず返って読む特別の文字がある。これを「返読文字」という(漢文の基礎、鳥羽田重直、1985年、22頁)。これらはいつでも返読するのではないことも留意する必要がある(漢文早わかり、志村和久、1982年、42頁)。
とのことであるが、
③ 不{為(劉氏)左袒}。
に於いて、
③ 不  為
は、「返読文字」である。
従って、
(13)
③ 不{為(劉氏)左袒}。
ではなく、仮に、
③ 不{為(劉氏)}左袒。
であるならば、
① 不 為 劉氏 左袒 =
③ 不{為(劉氏)}左袒 ⇒
③ {(劉氏)為}不左袒 =
③ 劉氏の為なら不、左袒す(劉氏に対してではなく、味方をする)。
といふ風に、「返読」される。
従って、
(14)
③ 不  為
が、「返読文字」であって、尚且つ、
④ 不為劉氏而左袒。
ではなく、
① 不為劉氏左袒。
の「意味」が、
① 不為劉氏左袒 =
③ 劉氏の為に左袒せ不(劉氏に対して味方をしない)。
である以上、
① 不  為  劉氏  左袒 =
③ 不{為(劉氏)左袒}⇒
③ {(劉氏)為左袒}不=
③ 劉氏の為に左袒せ不(劉氏に対して味方をしない)。
でなければ、ならない。
(15)
このことは、
① -2+3×4
の「意味」が
① -2+3×4=-20
である以上、
① -2+3×4
といふ「文」は、
③ -{(2+3)×4}=-20
でなければならない。といふことに、似てゐて、アナロジーが、成立する。
従って、
(16)
① 不為劉氏左袒。
といふ「白文」が、
① 不為劉氏左袒 = 劉氏に対して味方をしない。
といふ「意味」であるならば、
① 不  為  劉氏 左袒 =
③ 不{為(劉氏)左袒}⇒
③ {(劉氏)為左袒}不=
③ 劉氏の為に左袒せ不(劉氏に対して味方をしない)。
でなければ、ならない。
然るに、
(17)
「翻訳サイト」によると、
③ 劉氏に対して味方をしない。
といふ日本語は、
③ 對劉先生不夥伴。
といふ「意味」であるとのことであるが、実際に、さうであるとする。
従って、
(16)(17)により、
(18)
① 不為劉氏左袒。
といふ「白文」が、
③ 不為劉氏左袒 = 劉氏の為に左袒せ不(對劉先生不夥伴)。
といふ「意味」であるならば、
③ 不  為
が、「返読文字」であるが故に、
① 不為劉氏左袒。
といふ「白文」は、
③ 不{為(劉氏)左袒}
といふ「構造」をしてゐることになり、さうでなければ、
③ 不  為
が、「返読文字」である。といふ事実と、「矛盾」する。
然るに、
(19)
③ 不{為(劉氏)左袒}
といふことは、
③ 不為劉氏左袒。
に付く「返り点」が、
③ 下 二 一 上。
である。といふこと、他ならない。
従って、
(18)(19)により、
(20)
訓読とは「文法構造の把握」であり、訓点はそうした施訓者の理解をそのまま示すものである(続訓読論、川島優子 他、2010年、334頁)。
といふ、ことになる。
平成25年12月12日、毛利太。

2013年12月11日水曜日

数学の括弧と、返り点の括弧。

(01)
「掛け算が先」であるため、「括弧」が無い場合は、
-2+3×4=
-2+12=
10
然るに、
(02)
-{(2+3)×4}=
-{5×4}=
-{20}=
-20
従って、
(03)
-{(2+3)×4}=-20
といふ「数式」は、
① 2+3=5
② 5×4=20
③ -1×20
④ -20
といふ「順番」で、「括弧の中が先」に、「計算」される。
従って、
(04)
-2+3×4=+10
ではなく、
-2+3×4=-20
であるならば、
-2+3×4=-20
に於いて、
 {(   )  }
といふ「括弧」が、「省略」されてゐる。
然るに、
(05)
不  為  劉氏  左袒 =
不{為(劉氏)左袒}⇒
{(劉氏)為左袒}不=
劉氏の為に左袒せ不(劉氏の為に左の片肌を脱がない)。
従って、
(06)
不{為(劉氏)左袒}=
劉氏の為に左袒せ不(劉氏の為に左の片肌を脱がない)。
といふ「漢文」は、
① 劉氏の
② 為に、
③ 左袒せ
④ 不。
といふ「順番」で、「括弧の中が先」に、「訓読」される。
従って、
(07)
不 為 劉氏 左袒。
といふ「漢文」が、
不 為 劉氏 左袒 =
劉氏の為に左の片肌を脱がない(劉氏に対して、味方をしない)。
といふ「意味」であるならば、
不 為 劉氏 左袒。 
に於いて、
   {   (       )      }
といふ「括弧」が、「省略」されてゐる。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
「括弧の中が先」に、・・・・・。
といふ点に於いて、
-{(2+3)×4}
不{為(劉氏)左袒}
に於ける、
 { (  ) }
といふ「括弧」は、基本的に、「同じ括弧」である。
然るに、
(09)
訓読とは「文法構造の把握」であり、訓点はそうした施訓者の理解をそのまま示すものである(続訓読論、
川島優子 他、2010年、334頁)。
従って、
(05)(07)(09)により、
(10)
不 為 劉氏 左袒 = 劉氏に対して、味方をしない。
といふ「解釈」が、「誤り」ではなく、尚且つ、
訓読とは「文法構造の把握」である。
といふ「理解」が、「正しい」。のであれば、
「文法構造」として、
不  為  劉氏  左袒 =
不{為(劉氏)左袒}。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(10)により、
(11)
不  為  劉氏  左袒。
といふ「漢文」には、「目には見えない形」で、
不{為(劉氏)左袒}。
といふ「構造」が有る。といふことに、なる。
(12)
不 為 劉氏 左袒。
といふ「漢文」が、
   為 劉氏 左袒 =
「劉氏の為に左の片肌を脱ぐ(劉氏に対して、味方をする)」。
といふ「文の全体」を、「否定」してゐる。のであれば、
少なくとも、
不{為 劉氏 左袒}。
といふ「構造」は、有る。はずである。
従って、
(13)
「目には見えない形」を、「深層構造(deep structure )」と呼ぶならば、
不  為  劉氏  左袒。
といふ「漢文」には、
不{為(劉氏)左袒}。
といふ「深層構造(deep structure )」が有る。といふ、ことになる?
cf.
1.深層構造
 《 deep structure 》チョムスキーによって設定された変形生成文法理論の基本概念の一。現実の発話の基底にあって文の意味を規定すると想定され、表層構造よりいっそう抽象的な構
造。変形規則を適用することによって表層構造が導き出され、異 ...
 デジタル大辞泉
平成25年12月11日、毛利太。

2013年12月8日日曜日

白話文(口語)と、「返り点(括弧)」

(01)
AB{の[前〔に(在り)〕]}⇒
A{[〔(在り)に〕前]の}B。
然るに、
(02)
 A=A
 B=B
 の=of
 前=front
 に=in
在り=is
従って、
(01)(02)により、
(03)
AB{の[前〔に(在り)〕]}⇒
A{[〔(在り)に〕前]の}B=
A{[〔(is)in〕front]of}B.
従って、
(03)により、
(04)
{[〔( )〕]}
といふ「括弧」を介して、
① A、Bの前に在り。
といふ日本語の「語順」と、
② A is in front of B.
といふ英語の「語順」は、「等しい」。
(05)
悪〔称(人之悪)者〕⇒
〔(人之悪)称者〕悪。
然るに、
(06)
悪=悪む   (終止形)
称=称する(連体形)
人=人(名詞)
之=の(助詞)
悪=悪(名詞)
者=者(名詞)
を= を(助詞)
従って、
(05)(06)により、
(07)
悪〔称(人之悪)者〕⇒
〔(人之悪)称者〕悪=
〔(人の悪を)称する者を〕悪む。
従って、
(04)(07)により、
(08)
{[〔( )〕]}
といふ「括弧」を介して、
① A、Bの前に在り。
といふ日本語の「語順」と、
② A is in front of B.
といふ、英語の「語順」が、「等しい」やうに、
〔( )〕
といふ「括弧」を介して、
③ 悪称人之悪者。
といふ「論語」の「語順」と、
④ 人の悪を称する者を悪む。
といふ「訓読」の「語順」は、「等しい」。
然るに、
(09)
「返り点に対する括弧の用法3(www9.ocn.ne.jp/~kannbunn)」に於いて確認した通り、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
といふ「括弧」で「変換」出来る、「漢文・訓読」は、
① レ
② 一 二 三 四 ・・・・
③ 上 下 中
④ 甲 乙 丙 丁 ・・・・
⑤ 天 地 人
といふ「返り点」であっても、「変換可能」であり、逆も、正しい。
然るに、
(10)
寡聞にして、「返り点」を打つことが出来ない「漢文(文言文)」を知らない。
従って、
(01)~(10)により、
(11)
「漢文」の「語順」と、
「訓読」の「語順」は、
「括弧(返り点)」を介して、「等しい」。
然るに、
(12)
「続訓読論(川島優子 他)、2010年、312頁」によると、
只菅要纏騒擾我 ヒタスラ 我ガ ヤツカイニナル 『唐話纂要』
といふ「白話文(18世紀?の口語)」の「返り点」は、
下 二 上 一
であるものの、この場合は、
「一二点」の間に、「上点」が在るため、
下 二 上 一 =〔( 〕)
といふ「返り点(括弧)」は、有り得ない。
加へて、
(14)
「続訓読論(川島優子 他)、2010年、330頁」によると、
端的看不出這婆子的本事来(端的に這の婆子の本事を看出し来たらず)
といふ「白話文」の「返り点(括弧)」は、
端的看2不5出這3婆子的本事1来4
すなはち、
二 五 三 一 四
であるものの、「返り点に対する括弧の用法」に於いて確認した通り、
2 五 三 1 四
といふ「返り点(括弧)」は、有り得ない。
すなはち、
(15)
端的看2不5出3這婆子的本事1来4 =
端的看(不[出〔這婆子的本事)来〕]⇒
端的([〔這婆子的本事)看来〕出]不=
端的に這の婆子の本事を看出し来たら不。
に於いて、
2 五 三 1 四 =([〔 )〕]
といふ「返り点(括弧)」は、有り得ない。
然るに、
(16)
「2013/05/18」の記事でも書いたやうに、
     {[〔( )〕]}を、
({[〔({[〔( )〕]})〕]})といふ風に「拡張」した上で、
During  the  past  seventy  five  years  since  Japan’s  closed  doors  were  opened,the Japanese  have been  described  in  the  most  fantastic  series  of ‘but also’s’ever used  for any  nation  of  the  world.  When  a  serious  observer  is  writing  about  peoples other  than  the Japanese  and   says  they  are  unprecedently polite, he isn’t  likely  to  add,‘But  also  insolent  and  overbearing.
に対して、
{[〔( )〕]}
({[〔({[〔( )〕]})〕]})
〔({[〔( )〕]})〔( )〕
 [〔( )〕]
といふ「括弧」を、加へると、
(17)
During{the  past  seventy  five  years[since〔Japan’s  closed  doors  were(opend,)〕]}The Japanese  have(been{described[in〔the   mos t fantastic  series  of ‘but also’s’(ever  used{for[any   nation 〔of(the  world)〕]})〕]}). When〔a  serious  observer  is(writing{about[peoples〔other  than(the  Japanese)〕]})and  says〔they are(unprecedently polite)〕〕, he isn’t [likely〔to add,(‘But also insolent  and  overbearing.’ )〕]
を、「変換」すると、
(18)
{[〔Japan’s  closed  doors(opened,)were〕since]the  past  seventy  five  years}During.The Japanese ({[〔({[〔(the world)of〕any  nation]for}ever  used)the  most  fantastic  series of ‘but also’s’〕in]described}been) have.〔a  serious  observer({[〔(the  Japanese)other  than〕peoples]about}writing)is〕and  〔they (unprecedently polite)are〕says〕When, he [〔(‘But alsoinsolent  and  overbearing.’ )to add,〕likely]isn’t.
を、「日本語」に置き換えると、
(19)
{[〔日本の閉ざされたドアが(開か)れて〕から]過去七十五年の}間、 日本人は({[〔({[〔(世界)の〕どの国民]に対しても}これまでに使われた中では)最も途方もない、一連の『だが一方で』の句〕で以て]描写}されて)きた。〔真剣に観察する人が({[〔(日本人)以外の〕国民に]ついて}書いて)いて〕、そして〔彼らは(ほかに例を見ないほどど礼儀正しい)です〕と書く〕際に、その彼が[〔(『だが、無礼で横暴だ』と)付け加えることは〕有りそうに]ない。
の「括弧」を除くと、
(20)
日本の閉ざされたドアが開かれてから過去七十五年の間、日本人は、世界のどの国民に対しても、これまでに使われた中では最も途方もない、一連の『だが一方で』の句で以て、描写されてきた。真剣に観察する人が日本人以外の国民について書いていて、そして彼らはほかに例を見ないほど礼儀正しいです。と書く際に、その彼が、『だが、無礼で横暴だ』と付け加えることは有りそうにない。
という風に、「変換」出来る。
然るに、
(21)
その一方で、
Who(Are〔You)〕      ⇒(〔You) Who〕Are.
誰(である〔あなたは)〕⇒(〔あなたは)誰〕である。
の場合は、
2(3〔1)〕⇒(〔1)2〕3
であるため、
二 三 一 = (〔 )〕
といふ「返り点(括弧)」は、有り得ない。
従って、
(16)(21)により、
(22)
During  the  past  seventy  five  years  since  Japan’s  closed  doors  were  opened,the Japanese  have been  described  in  the  most  fantastic  series  of ‘but also’s’ever used  for any  nation  of  the  world.  When  a  serious  observer  is  writing  about  peoples other  than  the Japanese  and   says  they  are  unprecedently polite, he isn’t  likely  to  add,‘But  also  insolent  and  overbearing.
のやうな「複雑な英文」に対しては、「括弧(返り点)」を、付けることが出来る一方で、
Who Are You ?
のやうな「単純な英文」に対しては、「括弧(返り点)」を、付けることが出来ない。
従って、
(22)により、
(23)
「単純な文」であれば、「括弧(返り点)」を、付けることが出来、
「複雑な文」には、「括弧(返り点)」を、付けることが出来ない。
といふわけではなく、
During  the  past  seventy  five  years  since  Japan’s  closed  doors  were  opened,the Japanese  have been  described  in  the  most  fantastic  series  of ‘but also’s’ever used  for any  nation  of  the  world.  When  a  serious  observer  is  writing  about  peoples other  than  the Japanese  and   says  they  are  unprecedently polite, he isn’t  likely  to  add,‘But  also  insolent  and  overbearing.
日本の閉ざされたドアが開かれてから過去七十五年の間、日本人は、世界のどの国民に対しても、これまでに使われた中では最も途方もない、一連の『だが一方で』の句で以て、描写されてきた。真剣に観察する人が日本人以外の国民について書いていて、そして彼らはほかに例を見ないほど礼儀正しいです。と書く際に、その彼が、『だが、無礼で横暴だ』と付け加えることは有りそうにない。
のやうな「複雑な文」であっても、
「語順A」と、
「語順B」が、
「括弧(返り点)」を介して、「等しい」。のであれば、その時に限って、
「括弧(返り点)」を介して、
「語順A」 ⇔ 「語順B」
といふ「変換」が、可能になる。と、すべきである。
従って、
(24)
「白話」と、
「訓読」が、
「括弧(返り点)」を介して、「等しい」。のであれば、
「括弧(返り点)」を介して、
「白話」 ⇔ 「訓読」
といふ「変換」が、可能になり、
「括弧(返り点)」を介して、「等しくない」。のであれば、
「括弧(返り点)」を介して、
「白話」 ⇔ 「訓読」
といふ「変換」が、可能にはならない。と、すべきである。
従って、
(25)
簡潔を旨とした文言文とは異なり、話し言葉に基づく白話文は、本来訓読には適していない(続訓読論、
川島優子 他、2010年、330頁)。
といふ場合も、「簡潔・複雑」といふことではなく、
「白話」と、
「訓読」が、
「括弧(返り点)」を介して、「等しくない」。が故に、
端的看2不5出3這婆子的本事1来4(二 五 三 一 四)
のやうな、「返り点」とは言へない「点」しか打てず、その「結果」として、
端的看2不5出3這婆子的本事1来4(二 五 三 一 四)
では「読みにくい」ため、勢ひ、「点」を打つことが無くなって行った。
といふ風に、思はれる。
(26)
さて、こうした「中国の小説」のほとんどは、「白話」つまり当時の口語体で書かれている。白話体の文章は、当時の日本人にとってはなじみのないものであった。伝統的な文言文とはことなり、白話で書かれた文章は訓読にも適さない。―中略、― しかし、江戸時代の日本人たちは、この新しい文体の小説に夢中になった(続訓読論、川島優子 他、2010年、311・12頁)。
(27)
孝莫大於厳父、厳父莫大於配天⇒
孝莫{大[於〔厳(父)〕]}、厳(父)莫{大[於〔配(天)〕]}⇒
孝{[〔(父)厳〕於]大}莫、(父)厳{[〔(天)配〕於]大}莫=
孝は父を厳ぶ於り大は莫く、父を厳ぶは天に配する於りも大なるは莫し。
(28)
というところが、白話訳では「孝的勾當都無大似父親的、敬父親的勾當便似敬天一般」となっている。両者の違いは一目瞭然であろう(続訓読論、川島優子 他、2010年、311・12頁)。
然るに、
(29)
孝莫大於厳父、厳父莫大於配天(文言文)。
に対する、
孝的勾當都無大似父親的、敬父親的勾當便似敬天一般(白話)。
は、文字通り、「完全に、異なっている」。
(30)
孝的勾當都無大似父親的、敬父親的勾當便似敬天一般(白話)。
は、100%、「漢文」ではない。
(31)
孝的勾當都無大似父親的、敬父親的勾當便似敬天一般(白話)。
が「漢文」であれば、
孝莫大於厳父、厳父莫大於配天(文言文)。
は、「日本語」である。

平成25年12月08日、毛利太。

2013年10月24日木曜日

「暗誦」について、

―  おとといの「記事」を補足します。―
(01)
しかも、語法的には、訓読の送り仮名に従うわけであるから、日本文語文といってよいのである。だから、この書き下し文から原文をある程度推測することは可能であるが、完全な復元は困難である。たとえば、「書ヲ読ム」という簡単な文の場合は別として、すこし複雑な文になると、よほどの学力がないとできない(二畳庵主人、漢文法入門、昭和59年、84頁)。
然るに、
(02)
次のやうな「書き下し文」であれば、「(原文の)復文」は、難しくはない。
すなはち、
①而
②也 
③使 
④也 


⑦之 而 不 乎

⑨与

⑪不 而 也 
⑫也 
を補った、
①虎百獣を求め而之を食らひ狐を得たり。
②狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ也。
③天帝、我をして百獣に長たら使む。
④今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふ也。
⑤子我を以て信なら不と為さば、吾子の為に先行せむ。
⑥子我が後に随ひて観よ。
⑦百獣之我を見、而敢へて走ら不らん乎。と。
⑧虎以て然りと為す。
⑨故に遂に之与行く。
⑩獣之を見て皆走る。
⑪虎獣の己を畏れ而走るを知ら不る也、
⑫以て狐を畏るると為す也。と。
といふ「書き下し文」であれば、
①虎求百獣而食之得狐。
②狐曰子無敢食我也。
③天帝使我長百獣。
④今子食我是逆天帝命也。
⑤子以我為不信吾為子先行。
⑥子随我後観。
⑦百獣之見我而敢不走乎。
⑧虎以為然。
⑨故遂与之行。
⑩獣見之皆走。
⑪虎不知獣畏己而走也。
⑫以為畏狐也。
といふ風に「復文」することは、難しくはない。
加へて、
(03)
「漢音」でも、「呉音」でも、「慣用音」でも、何でもよいのであれば、
①虎求百獣而食之得狐。
②狐曰子無敢食我也。
③天帝使我長百獣。
④今子食我是逆天帝命也。
⑤子以我為不信吾為子先行。
⑥子随我後観。
⑦百獣之見我而敢不走乎。
⑧虎以為然。
⑨故遂与之行。
⑩獣見之皆走。
⑪虎不知獣畏己而走也。
⑫以為畏狐也。
といふ「白文」を、例へば、
①コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
②コエツシムカンショクガヤ。
③テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④コンシショクガゼギャク。
⑤シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
⑥シズイガコウカン。
⑦ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧コイヰゼン。
⑨コツイヨシコウ。
⑩ジュウケンシカイソウ。
⑪コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫イヰイコヤ。
と「音読」することは、簡単である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
「(声を出して行ふ)復文」に慣れてゐる人物が、
①虎百獣を求め而之を食らひ狐を得たり。
②狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ也。
③天帝、我をして百獣に長たら使む。
④今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふ也。
⑤子我を以て信なら不と為さば、吾子の為に先行せむ。
⑥子我が後に随ひて観よ。
⑦百獣之我を見、而敢へて走ら不らん乎。と。
⑧虎以て然りと為す。
⑨故に遂に之与行く。
⑩獣之を見て皆走る。
⑪虎獣の己を畏れ而走るを知ら不る也、
⑫以て狐を畏るると為す也。と。
を「暗記」出来れば、
①コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
②コエツシムカンショクガヤ。
③テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④コンシショクガゼギャク。
⑤シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
⑥シズイガコウカン。
⑦ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧コイヰゼン。
⑨コツイヨシコウ。
⑩ジュウケンシカイソウ。
⑪コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫イヰイコヤ。
といふ風に「暗誦」することは、簡単である。といふ、ことになる。
然るに、
(05)
私は、「(声を出して行ふ)復文」に慣れてゐて、尚且つ、
①虎百獣を求め而之を食らひ狐を得たり。
②狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ也。
③天帝、我をして百獣に長たら使む。
④今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふ也。
⑤子我を以て信なら不と為さば、吾子の為に先行せむ。
⑥子我が後に随ひて観よ。
⑦百獣之我を見、而敢へて走ら不らん乎。と。
⑧虎以て然りと為す。
⑨故に遂に之与行く。
⑩獣之を見て皆走る。
⑪虎獣の己を畏れ而走るを知ら不る也、
⑫以て狐を畏るると為す也。と。
を、覚えてゐる。
従って、
(04)(05)により、
(06)
私は、
①コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
②コエツシムカンショクガヤ。
③テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④コンシショクガゼギャク。
⑤シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
⑥シズイガコウカン。
⑦ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧コイヰゼン。
⑨コツイヨシコウ。
⑩ジュウケンシカイソウ。
⑪コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫イヰイコヤ。
といふ風に、「暗誦」出来る。
然るに、
(05)(06)により、
(07)
この場合は、
①虎求百獣而食之得狐。
②狐曰子無敢食我也。
③天帝使我長百獣。
④今子食我是逆天帝命也。
⑤子以我為不信吾為子先行。
⑥子随我後観。
⑦百獣之見我而敢不走乎。
⑧虎以為然。
⑨故遂与之行。
⑩獣見之皆走。
⑪虎不知獣畏己而走也。
⑫以為畏狐也。
といふ「復文」の結果としての、
①コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
②コエツシムカンショクガヤ。
③テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④コンシショクガゼギャク。
⑤シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
⑥シズイガコウカン。
⑦ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧コイヰゼン。
⑨コツイヨシコウ。
⑩ジュウケンシカイソウ。
⑪コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫イヰイコヤ。
といふ、「暗誦」であるため、「紙と鉛筆」が有れば、
①虎求百獣而食之得狐。
②狐曰子無敢食我也。
③天帝使我長百獣。
④今子食我是逆天帝命也。
⑤子以我為不信吾為子先行。
⑥子随我後観。
⑦百獣之見我而敢不走乎。
⑧虎以為然。
⑨故遂与之行。
⑩獣見之皆走。
⑪虎不知獣畏己而走也。
⑫以為畏狐也。
といふ「白文」を、書くことが、出来る。
従って、
(02)~(07)により、
(08)
私は、
①虎求百獣而食之得狐。
②狐曰子無敢食我也。
③天帝使我長百獣。
④今子食我是逆天帝命也。
⑤子以我為不信吾為子先行。
⑥子随我後観。
⑦百獣之見我而敢不走乎。
⑧虎以為然。
⑨故遂与之行。
⑩獣見之皆走。
⑪虎不知獣畏己而走也。
⑫以為畏狐也。
といふ風に、自分で書いて、その「白文」を、
①虎百獣を求め而之を食らひ狐を得たり。
②狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ也。
③天帝、我をして百獣に長たら使む。
④今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふ也。
⑤子我を以て信なら不と為さば、吾子の為に先行せむ。
⑥子我が後に随ひて観よ。
⑦百獣之我を見、而敢へて走ら不らん乎。と。
⑧虎以て然りと為す。
⑨故に遂に之与行く。
⑩獣之を見て皆走る。
⑪虎獣の己を畏れ而走るを知ら不る也、
⑫以て狐を畏るると為す也。と。
といふ風に、「訓読」出来るし、単なる「音読」であれば、「漢文」を一切知らない小中学生でも、出来ないことは、無い。
(09)
①虎百獣を求め而之を食らひ狐を得たり。
から「ひらがな」を除くと、
①虎百獣求而之食狐得。
然るに、
(10)
 SOV ⇒ SVO
により、
①虎百獣求而之食狐得。
を並び替へると、
①虎求百獣而食之得狐。
といふ、「原文(白文)」を、得ることに、なる。
然るに、
(11)
その一方で、
『漢文から中国語への道(田中秀、燈影舎、昭和56年、110頁)』によると、
①虎求百獣而食之得狐。
に対する、「中国語(中華人民共和国語)」は、
①老虎找各種野獣做食物、有一天找到一隻狐狸。
①lau hu zhao ge zhong ye shou zou shi wu you yi tian zhao dau yi zhi hu li.
との、ことであるが、この場合、
①老虎找各種野獣做食物、有一天找到一隻狐狸。
といふ現代文の中から、「漢字」を選択して、並び変へても、
①虎求百獣而食之得狐。
といふ「漢文」には、ならない。
従って、
(09)~(11)により、
(12)
少なくとも、
①虎求百獣而食之得狐。
を「暗誦」する上では、
①虎百獣求而之食狐得。
の方が、
①老虎找各種野獣做食物、有一天找到一隻狐狸。
に対して、アドバンテージが有る。はずである。
平成25年10月24日、毛利太。

(13)
国語漢語と現代中国語のくいちがいを示すひとつのパターンは、国語漢語は中国古典の語彙をかなり残し、現に使用しているが、本場の中国においては、そのことばが死語になっていて、現在では別のいいかたがふつうになっているという場合である(鈴木修次、漢語と日本人、1978年、207頁)。
(14)
古今の漢語を比べると、語彙の変化が最も大きく、これは確かに難点である(洪誠、訓詁学講義、2003年、73頁)。
(15)
大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという(古田島洋介、日本近代史を学ぶための文語文入門、2013年、iv)。
(16)
では『論語』を現代中国語の発音で読めばよいか、というと、そう単純には言えない。過去二千数百年のあいだに中国語の発音は大きく変化してしまったからだ。―中略―、一方、日本漢字音では、「学」「我」はガク、ガ、などと堅固な擬音感が残っている。―中略―、日本人が『論語』を読むとき、擬音感に留意すれば、より深く含意を味わえる(加藤徹、本当は危ない『論語』、2011年、144頁)。
(17)
是以我不求以解中華人民共和国語法学漢文也=
是以我不{求[以〔解(中華人民共和国語)法〕学(漢文)]}也⇒
是以我{[〔(中華人民共和国語)解法〕以(漢文)学]求}不也=
是を以て、我、中華人民共和国語を解する法を以て、漢文を学ぶことを求め不るなり。
(18)
独学漢文、無如以声復文矣=
独学(漢文)、無[如〔以(声)復文〕]矣⇒
独(漢文)学、[〔(声)以復文〕如]無矣=
独り漢文を学ぶは、声を以て復文するに如くは無し。

2013年10月22日火曜日

本当は漢文は読めないんです 。

(01)
Q.
借虎威(虎の威を借る狐) の書き下し文を最初から最後まで教えてください。
A.
【借虎威(虎求百獣而食之)/原文】得狐。狐曰、「子無敢食我也。 天帝使我長百獣。
今...
解決済み-回答数:2-質問日時:2008年12月23日
といふ質問は、解決済みであるとして、
(02)
①虎百獣を求めて之を食らひ狐を得たり。
②狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ。
③天帝、我をして百獣に長たらしむ。
④今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。
⑤子我を以て信ならずと為さば、吾子の為に先行せむ。
⑥子我が後に随ひて観よ。
⑦百獣の我を見て、敢へて走らざらんや。と。
⑧虎以て然りと為す。
⑨故に遂に之と行く。
⑩獣之を見て皆走る。
⑪虎獣の己を畏れて走るを知らざるなり、
⑫以て狐を畏るると為すなり。と。
といふ「書下し文」は、右のやうには書かず、出来れば、
①虎、百獣を求め而之を食らひ狐を得たり。
②狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ也。
③天帝、我をして百獣に長たら使む。
④今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふ也。
⑤子我を以て信なら不と為さば、吾、子の為に先行せむ。
⑥子我が後に随ひて観よ。
⑦百獣之我を見、而敢へて走ら不らん乎。と。
⑧虎以て然りと為す。
⑨故に遂に之与行く。
⑩獣之を見て皆走る。
⑪虎獣の己を畏れ而走るを知ら不る也、
⑫以て狐を畏るると為す也。と。
のやうに、書いて欲しい。
(03)
さうすれば、例へば
②子敢へて我を食らふこと無かれ也。
であれば、
②「あなたは、無理に私を食べてはなら」無いのだ。
といふ「意味」であるため、
②シムカンショクガヤ(子無敢食我也)。
といふ風に、「音読(復文)」することは、難しくはない。
従って、
(04)
①虎百獣を求め而之を食らひ狐を得たり。
②狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ也。
③天帝、我をして百獣に長たら使む。
④今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふ也。
⑤子我を以て信なら不と為さば、吾子の為に先行せむ。
⑥子我が後に随ひて観よ。
⑦百獣之我を見、而敢へて走ら不らん乎。と。
⑧虎以て然りと為す。
⑨故に遂に之与行く。
⑩獣之を見て皆走る。
⑪虎獣の己を畏れ而走るを知ら不る也、
⑫以て狐を畏るると為す也。と。
を、
①コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
②コエツシムカンショクガヤ。
③テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④コンシショクガゼギャクテンテイメイヤ。
⑤シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
⑥シズイガコウカン。
⑦ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧コイヰゼン。
⑨コツイヨシコウ。
⑩ジュウケンシカイソウ。
⑪コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫イヰイコヤ。
と「音読(復文)」することは、難しくはない。
従って、
(05)
①而
②也 
③使 
④也 


⑦之 而 不 乎

⑨与

⑪不 而 也 
⑫也 
に、「注意」して、
①虎百獣を求め而之を食らひ狐を得たり。
②狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ也。
③天帝、我をして百獣に長たら使む。
④今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふ也。
⑤子我を以て信なら不と為さば、吾子の為に先行せむ。
⑥子我が後に随ひて観よ。
⑦百獣之我を見、而敢へて走ら不らん乎。と。
⑧虎以て然りと為す。
⑨故に遂に之与行く。
⑩獣之を見て皆走る。
⑪虎獣の己を畏れ而走るを知ら不る也、
⑫以て狐を畏るると為す也。と。
を、何回か、
①コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
②コエツシムカンショクガヤ。
③テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④コンシショクガゼギャクテンテイメイヤ。
⑤シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
⑥シズイガコウカン。
⑦ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧コイヰゼン。
⑨コツイヨシコウ。
⑩ジュウケンシカイソウ。
⑪コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫イヰイコヤ。
といふ風に、読めば、
①虎求百獣而食之得狐。
②狐曰子無敢食我也。
③天帝使我長百獣。
④今子食我是逆天帝命也。
⑤子以我為不信吾為子先行。
⑥子随我後観。
⑦百獣之見我而敢不走乎。
⑧虎以為然。
⑨故遂与之行。
⑩獣見之皆走。
⑪虎不知獣畏己而走也。
⑫以為畏弧也。
といふ「原文(白文)」を、覚えることが、出来るはずである。
(06)
明日になったら、書けないかも知れないものの、少なくとも、今の私は、
①虎求百獣而食之得狐。
②狐曰子無敢食我也。
③天帝使我長百獣。
④今子食我是逆天帝命也。
⑤子以我為不信吾為子先行。
⑥子随我後観。
⑦百獣之見我而敢不走乎。
⑧虎以為然。
⑨故遂与之行。
⑩獣見之皆走。
⑪虎不知獣畏己而走也。
⑫以為畏狐也。
といふ「白文」を、「暗唱」出来て、それを、「手書き」することが出来る。
然るに、
(07)
①虎求百獣而食之得狐。
②狐曰子無敢食我也。
③天帝使我長百獣。
④今子食我是逆天帝命也。
⑤子以我為不信吾為子先行。
⑥子随我後観。
⑦百獣之見我而敢不走乎。
⑧虎以為然。
⑨故遂与之行。
⑩獣見之皆走。
⑪虎不知獣畏己而走也。
⑫以為畏狐也。
といふ「白文」を、
①コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
②コエツシムカンショクガヤ。
③テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④コンシショクガゼギャク。
⑤シイガイフシンゴイシセンコウ。
⑥シズイガコウカン。
⑦ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧コイヰゼン。
⑨コツイヨシコウ。
⑩ジュウケンシカイソウ。
⑪コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫イヰイコヤ。
と読むことであれば、小学生でも、出来ないことは、無い。
然るに、
(08)
website曰く、
現代中国語がしゃべれないような人は本当は漢文は読めないんです ...
従って、
(08)により、
(09)
①虎百獣を求めて之を食らひ狐を得たり。
②狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ。
③天帝、我をして百獣に長たらしむ。
④今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。
⑤子我を以て信ならずと為さば、吾、子の為に先行せむ。
⑥子我が後に随ひて観よ。
⑦百獣の我を見て、敢へて走らざらんや。と。
⑧虎以て然りと為す。
⑨故に遂に之と行く。
⑩獣之を見て皆走る。
⑪虎獣の己を畏れて走るを知らざるなり、
⑫以て狐を畏るると為すなり。と。
といふ「訓読(日本語)」を、
①虎求百獣而食之得狐。
②狐曰子無敢食我也。
③天帝使我長百獣。
④今子食我是逆天帝命也。
⑤子以我為不信吾為子先行。
⑥子随我後観。
⑦百獣之見我而敢不走乎。
⑧虎以為然。
⑨故遂与之行。
⑩獣見之皆走。
⑪虎不知獣畏己而走也。
⑫以為畏狐也。
といふ「原文(漢文)」に、「復文」出来ても、出来なくとも、
①コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
②コエツシムカンショクガヤ。
③テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④コンシショクガゼギャク。
⑤シイガイフシンゴイシセンコウ。
⑥シズイガコウカン。
⑦ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧コイイゼン。
⑨コツイヨシコウ。
⑩ジュウケンシカイソウ。
⑪コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫イヰイコヤ。
といふ風に、「暗唱」出来ても、出来なくとも、
中華人民共和国語がしゃべれない以上、本当は漢文が読めないんです・・・。

平成25年10月22日、毛利太。