(01)
5‐a)Tsy1 faly2 Rabe3 safria4 marary5 Rasoa6.
5‐b)ラソアが6 病気な5 ので4 ラベは3 幸せで2 ない1.
このように、日本語とマラガシ語では文のいろいろな構成要素の配列が全く逆の形をとって現われるが、これは、ことばの線状化の原理がこの2つの言語でちょうど逆方向に働いているからである。
(世界言語への視座―歴史言語学と言語類型論 単行本 – 2006/11/1松本 克己(著)、159頁)
従って、
(01)により、
(02)
① Tsy1 faly2 Rabe3 safria4 marary5 Rasoa6 =
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉.
に於いて、
① Tsy1〈 〉⇒ Tsy1
① faly2{ }⇒ faly2
① Rabe3[ ]⇒ Rabe3
① safria4〔 〕⇒ safria4
① marary5( )⇒ marary5
といふ「移動」を行ふと、
① Tsy1 faly2 Rabe3 safria4 marary5 Rasoa6 =
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉⇒
① 〈{[(Rasoa6)marary5〕safria4]faly2}Rabe3〉Tsy1 =
① 〈{[(ラソアが6)病気な5〕ので4]ラベは3}幸せで2〉ない1。
といふ「マラガシ語・訓読」が、成立する。
従って、
(03)
「言ひ換へ」ると、
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉
に於いて、
①「より内側の括弧の中」を先に読むと、
① 〈{[(ラソアが6)病気な5〕ので4]ラベは3}幸せで2〉ない1。
といふ「マラガシ語・訓読」が、成立する。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉.
① 〈{[(ラソアが6)病気な5〕ので4]ラベは3}幸せで2〉ない1.
といふ「例文」に於いて、「マラガシ語」と「日本語」は、「語順こそ、逆」であるが、「構造自体は、全く同じ」である。
然るに、
(05)
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉.
ではなく、
② safria4(Rasoa6 marary5)Rabe3 Tsy1(faly2).
に於いて、
② safria4( )⇒ safria4
② Tsy1( )⇒ Tsy1
といふ「移動」を行ふと、
② safria4 Rasoa6 marary5 Rabe3 Tsy1 faly2 =
② safria4(Rasoa6 marary5)Rabe3 Tsy1(faly2)⇒
② (Rasoa6 marary5)safria4 Rabe3(faly2)Tsy1=
② (ラソアが6 病気な5)ので4ラベは3(幸せで2)ない1。
といふ「非マラガシ語・訓読」が、成立する。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
「主語‐述語の、語順」は、「日本語と共通」であるが、
「主語‐述語の、語順」以外は「日本語と逆」であるといふ「言語L」が、有るとしても、
「括弧」を用ゐて、その「言語L」を「訓読」することは、「可能」である。
然るに、
(07)
③ marary5 safria4 Rasoa6 =
③ marary5(safria4〔Rasoa6)〕.
に於いて、
③ marary5( )⇒ marary5
③ safria4〔 〕⇒ safria4
といふ「移動」を行ふと、
③ marary5 safria4 Rasoa6 =
③ marary5(safria4〔Rasoa6)〕⇒
③ (〔Rasoa6)marary5〕safria4=
③ (〔ラソアが6)病気な5〕ので4。
といふ「非マラガシ語・訓読」が、成立する。
然るに、
(08)
③ marary5(safria4〔Rasoa6)〕.
に於ける、
③ 5(4〔6)〕.
といふ「括弧」、すなはち、
③ ( 〔 )〕
といふ「それ」は、
③ 〔 ( )〕
ではないが故に、実際には、「括弧」ではない。
従って、
(02)(08)により、
(09)
① Tsy1 faly2 Rabe3 safria4 marary5 Rasoa6.
に対して、
③ Tsy1 faly2 Rabe3 marary5 safria4 Rasoa6.
といふ「非マラガシ語」を、「括弧」を用ゐて、「訓読」することは、「可能」ではない。
加へて、
(10)
④ Who are you?=
④ Who(are〔you)〕?⇒
④ (〔you)Who〕are?=
④ (〔あなた)誰〕ですか。
に於いて、
④ ( 〔 )〕
といふ「それ」は、
④ 〔 ( )〕
ではないが故に、「括弧」ではないし、
(11)
⑤ What are you doing now?=
⑤ What(are[you doing〔now)〕]?⇒
⑤ ([you 〔now)What〕doing]are?=
⑤ ([あなたは〔今)何を〕して]ゐますか。
に於いて、
⑤ ( [ 〔 )〕]
といふ「それ」は。
⑤ [ 〔 ( )〕]
ではないが故に、「括弧」ではない。
然るに、
(12)
④ You are who?=
④ You are(who)?⇒
④ You (who)are?=
④ あなたは(誰)ですか。
であって、
⑤ You are doing what now?=
⑤ You are[doing〔what(now)〕]?⇒
⑤ You [〔(now)what〕doing]are?=
⑤ あなたは[〔(今)何を〕して]ゐますか。
である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
④ You are who?
⑤ You are doing what now?
ではない所の、
④ Who are you?
⑤ What are you doing now?
といふ「英語」を、「括弧」を用ゐて、「訓読」することは、「可能」ではない。
cf.
WH移動(生成文法)。
然るに、
(14)
然るに、
(15)
④ 下[二(上〔一)〕]
⑤ 二(五[三〔一)〕四]
に於いて、
④ [ ( 〔 )〕]
⑤ ( [ 〔 )〕 ]
といふ「それ」は、「括弧」ではない。
従って、
(14)(15)により、
(16)
④ 只管要纏擾我。
⑤ 端的看不出這婆子的本事。
のやうな「白話(中国語)」を、「括弧」を用ゐて、「訓読」することは、「可能」ではない。
(09)(13)(14)により、
(17)
「どのやうな言語」であっても、「括弧」を用ゐて、「訓読」することが、「可能」である。といふ、わけではない。
然るに、
(18)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(06)(18)により、
(19)
「括弧」を用ゐて、「補足構造」だけを、「漢文の語順」と「逆」にするならば、その場合の「漢字の配列」は、「日本語の語順」と「等しい」。
といふ、ことになる。
然るに、
(20)
従って、
(19)(20)により、
(21)
⑥ 我非必不常求以解中文法解漢文者也=
⑥ 我非〈必不{常求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也=
⑥ 我は必ずしも、常には中文を解する法を以って、 漢文を解せんことを求め不る者に非ざるなり=
⑥ 私は必ずしも、常には中国語を理解する方法を用ゐて、漢文を理解しようと、しない者ではない=
⑥ 私は、 時には中国語を理解する方法を用ゐて、漢文を理解しようと、 する者である。
に於ける、
⑥ 〈 { [ 〔 ( ) 〕 ( )]} 〉
といふ「括弧」は、
⑥ 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文」の、「補足構造」を表してゐる。
従って、
(20)(21)により、
(22)
⑥ 我非必不常求以解中文法解漢文者也=
⑥ 我非地必不丁常求丙以下解二中文一法上解乙漢文甲者天也。
に於ける、
⑥ 地 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「返り点」も、
⑥ 我非必不常求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文の補足構造」を表してゐる。
然るに、
(23)
【定義】返り点とは、漢文すなわち古典中国語の語順を、日本語の語順に変換する符号である(古田島洋介、湯城吉信、漢文訓読入門、2011年、45頁)。
といふ【定義】には、「補足構造」といふ「言葉」が無く、それ故、【定義】としては、「一面的」であって、「十分」ではない。
従って、
(24)
【定義】返り点とは、漢文すなわち古典中国語の「補足構造」を表すと同時に、古典中国語の語順を日本語の語順に変換する符号である。
とするのが、「正しい」。
従って、
(24)により、
(25)
例へば、
⑦ 楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。
といふ「漢文」を、
⑦ Chǔ rén yǒu yù dùn yǔ máo zhě. Yù zhī yuē, wú dùn zhī jiān, mò néng xiàn yě. Yòu yù qí máo yuē, wú máo zhī lì, yú wù wú bù xiàn yě. Huò yuē, yǐ zǐ zhī máo, xiàn zǐ zhī dùn hérú. Qí rén fú néng yīng yě(グーグル翻訳).
といふ風に、「音読」しようと、
⑦ 楚人に楯と矛とを鬻ぐ者有り。之を誉曰く、吾が楯の堅きこと、能く陥す莫きなり、と。また其の矛を誉めて曰く、吾が矛の利なること、物に於いて陥さざる無なし、と。或るひと曰く、子の矛を以もって、子の楯を陥さば何如、と。其の人応ふる能はざるなり。
といふ風に、「訓読」しようと、
⑦ 楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。
といふ「漢文」には、
⑦ 楚人有〔鬻(楯與矛)者〕。譽(之)曰、吾楯之堅、莫〔能(陷)〕也。又譽(其矛)曰、吾矛之利、於(物)無〔不(陷)〕也。或曰、以(子之矛)、陷(子之楯)何如。其人弗能弗〔能(應)〕也。
といふ「補足構造」が有る。といふことには、「変り」が無い。
従って、
(25)により、
(26)
⑦ 楚人有[鬻〔楯與(矛)〕者]。譽(之)曰、吾楯之堅、莫〔能(陷)〕也。又譽(其矛)曰、吾矛之利、於(物)無〔不(陷)〕也。或曰、以(子之矛)、陷(子之楯)何如。其人弗能弗〔能(應)〕也。
といふ「補足構造」を、「把握」しない限り、
⑦ 楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。
といふ「漢文」を、
⑦ 楚人に楯と矛とを鬻ぐ者有り。之を誉曰く、吾が楯の堅きこと、能く陥す莫きなり、と。また其の矛を誉めて曰く、吾が矛の利なること、物に於いて陥さざる無なし、と。或るひと曰く、子の矛を以もって、子の楯を陥さば何如、と。其の人応ふる能はざるなり。
といふ風に、「訓読」することは、出来ない。
然るに、
(27)
チュの人々は誰を馬鹿にして槍を投げる。言った、私はケネディの強い、Moの評判は沈むことができます。また、槍として知られている、私は利点の槍、すべてにも陥ると述べた。または、子供の槍で、</ s>の崩壊はどうですか?その人はまたできるはずです(グーグル翻訳)。
といふ「それ」は、「意味不明」である。
従って、
(25)(27)により、
(28)
「グーグルのAI」は、「中国語」は知ってゐても、
⑦ 楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。
のやうな「漢文」に対する「知識(データ)」が無いため、
⑦ Chǔ rén yǒu yù dùn yǔ máo zhě. Yù zhī yuē, wú dùn zhī jiān, mò néng xiàn yě. Yòu yù qí máo yuē, wú máo zhī lì, yú wù wú bù xiàn yě. Huò yuē, yǐ zǐ zhī máo, xiàn zǐ zhī dùn hérú. Qí rén fú néng yīng yě(グーグル翻訳).
といふ風に、「音読」は出来ても、その「意味」を、「理解すること」は、出来ない。
従って、
(28)により、
(29)
少なくとも、「グーグルのAI」にとって、「中国語の知識」は、「漢文を読む」上で、「役に立たない」。
従って、
(30)
そして重野の講演を後れること七年、文化大学の講師を務めていたイギリス人チャンバレン氏も一八八六年『東洋学芸雑誌』第六一号に「支那語読法ノ改良ヲ望ム」を発表し、「疑ハシキハ日本人ノ此支那語ヲ通読スル伝法ナリ、前ヲ後ニ変へ、下ヲ上ニ遡ラシ、本文ニ見へザル語尾ヲ附シ虚辞ヲ黙シ、若クハ再用スル等ハ、漢文ヲ通読スルコトニアランヤ。寧ロ漢文ヲ破砕シテ、其片塊ヲ以テ随意ニ別類ノ一科奇物ヲ増加セリト云フヲ免カレンヤ。」「畢竟日本語ハ日本ノ言序アリ、英語ハ英ノ語次存スルコトは皆々承知セリ、唯支那語ニノミ治外法権ヲ許ルサズシ権内ニ置クハ何ソヤ」(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、50頁)。
といふ「見解」は、すなはち、「マチガイ」である。
(31)
5‐b)ラソアが6 病気な5 ので4 ラベは3 幸せで2 ない1.
5‐a)Tsy1 faly2 Rabe3 safria4 marary5 Rasoa6.
のやうに、「語順」自体は、「真逆」であるが、
① 〈{[(ラソアが6)病気な5〕ので4]ラベは3}幸せで2〉ない1.
① Tsy1〈faly2{Rabe3[safria4〔marary5(Rasoa6)〕]}〉.
のやうに、「構造」自体は、「同一」な「言語」が有ることを、知るべきである。
平成29年11月11日、毛利太。
2017年11月11日土曜日
請以十五城易之
―「一昨日(平成29年11月09日)の記事の、続きです。」―
(29)
① 数請出自致。
② 数出請自致。
③ 請数出自致。
④ 請出数自致。
⑤ 出数請自致。
⑥ 出請数自致。
に於いて、、
① 数請出自致。
② 数出請自致。
③ 請数出自致。
については、「既に、説明した」通りです。
然るに、
(30)
④ 請(出数自致)。
⑤ 出数請(自致)。
⑥ 出請(数自致)。
の「訓読」は、三つとも、
④ (出でて数々自ら致さんことを)請ふ。
⑤ 出でて数々(自ら致さんことを)請ふ。
⑥ 出でて(数々自ら致さんことを)請ふ。
である。
すなはち、
(30)により、
(31)
④ 請出数自致。
⑤ 出数請自致。
⑥ 出請数自致。
の「訓読」は、三つとも、
④ 出でて数々自ら致さんことを請ふ。
⑤ 出でて数々自ら致さんことを請ふ。
⑥ 出でて数々自ら致さんことを請ふ。
である。
然るに、
(30)により、
(32)
④ (出でて数々自ら致さんことを)請ふ。
⑤ (自ら致さんことを)請ふ。
⑥ (数々自ら致さんことを)請ふ。
であるため、それぞれの、「頼む(請ふ)」際の「内容」は、「三つ」とも、「同じ」ではない。
従って、
(30)(32)により、
(33)
④ 請(出数自致)。
⑤ 出数請(自致)。
⑥ 出請(数自致)。
といふ「漢文」も、「三つとも、同じ」ではない。
従って、
(29)(33)により、
(34)
① 数請出自致。
② 数出請自致。
③ 請数出自致。
④ 請出数自致。
⑤ 出数請自致。
⑥ 出請数自致。
といふ「漢文」は、「六つとも、同じ」ではない。
然るに、
(35)
然るに、
(36)
⑦ 請以十五城易之=
⑦ 請〔以(十五城)易(之)〕⇒
⑦ 〔(十五城)以(之)易〕請=
⑦ 〔(十五城を)以て(之に)易へんこと〕請ふ。
に於ける、
⑦ 之
といふのは、すなはち、
⑧ 以十五城請易寡人之璧=
⑧ 以(十五城)請〔易(寡人之璧)〕⇒
⑧ (十五城)以〔(寡人之璧)易〕請=
⑧ (十五城を)以て〔(寡の之璧に)易へんことを〕請ふ。
に於ける、
⑧ 寡人之璧(和氏の璧)
に、他ならない。
cf.
和氏の璧(かしのへき、-たま)とは、中国の春秋時代・戦国時代の故事にあらわれた名玉(ウィキペディア)。
従って、
(35)(36)により、
(37)
⑦ 請以十五城易之(十八史略)。
⑧ 以十五城請易寡人之璧(史記列伝)。
の場合は、両方とも、実質的に、
⑦ 十五城を以て寡人の璧に易へんことを請ふ(十八史略)。
⑧ 十五城を以て寡人の璧に易へんことを請ふ(史記列伝)。
である。
然るに、
(38)
⑧ 以十五城請易寡人之璧(史記列伝)。
の場合は、
⑧ 以十五城請易寡人之璧=
⑧ 以{十‐五‐城[請〔易(寡人之璧)〕]}⇒
⑧ {[〔(寡人之璧)易〕請]十‐五‐城}以=
⑧ {[〔(寡人の璧に)易へんと〕請ふに]十‐五‐城を}以てす。
といふ風にも、「読む」ことが、出来る。
従って、
(37)(38)により、
(39)
⑦ 十五城を以て寡人の璧に易へんことを請ふ(十八史略)。
⑧ 十五城を以て寡人の璧に易へんことを請ふ(史記列伝)。
ではなく、
⑧ に関しては、「新漢文大系(明治書院)」もさうしてゐるやうに、
⑧ 十五城を以て、寡の之璧に易へんことを請ふ(史記列伝)。
のやうに、「、」を打つべきである。
(40)
⑦ 請以十五城易之寡人之璧。
⑧ 以十五城請易之寡人之璧。
に於いて、
⑦「以十五城」といふ「副詞句」は、「易」といふ「動詞」を「修飾」してゐて、
⑧「以十五城」といふ「副詞句」は、「請」といふ「動詞」を「修飾」してゐる。
然るに、
(41)
⑦ 十五城を以て寡の之璧に易へんことを請ふ(十八史略)。
⑧ 十五城を以て、寡の之璧に易へんことを請ふ(史記列伝)。
であるならば、いづれにせよ、
⑦「十五城」と「寡人の璧」の「交換」を望んでゐて、
⑧「十五城」と「寡人の璧」の「交換」を望んでゐる。
従って、
(41)により、
(42)
「命題」としては、
⑦ 請以十五城易之寡人之璧。
⑧ 以十五城請易之寡人之璧。
に於いて、
⑦=⑧ である。
然るに、
(43)
『十八史略』(じゅうはっし りゃく)は、南宋の曾先之によってまとめられた中国の子供向けの歴史読本。三皇五帝の伝説時代から南宋までの十八の正史を要約し、編年体で綴っている。― 中略 ―、中国文学者の高島俊男は、中国では古くから子供向けの書籍であることが正しく認識されていたが、日本人はこれを典拠たりうる歴史書と勘違いしてきたと批判している[4](ウィキペディア)。
然るに、
(44)
「十八史略の漢文」が読めないのであれば、「史記の漢文」は読めないし、「史記の漢文」が読めなければ、「十八史略の漢文」も読めない。
従って、
(45)
『十八史略』が、中国の子供向けの歴史読本である。といふことが、仮に、本当であるにせよ、残念ながら、「十八史略の漢文」が、「史記の漢文」よりも「簡単な漢文」である。といふわけではない。
平成29年11月11日、毛利太。
(29)
① 数請出自致。
② 数出請自致。
③ 請数出自致。
④ 請出数自致。
⑤ 出数請自致。
⑥ 出請数自致。
に於いて、、
① 数請出自致。
② 数出請自致。
③ 請数出自致。
については、「既に、説明した」通りです。
然るに、
(30)
④ 請(出数自致)。
⑤ 出数請(自致)。
⑥ 出請(数自致)。
の「訓読」は、三つとも、
④ (出でて数々自ら致さんことを)請ふ。
⑤ 出でて数々(自ら致さんことを)請ふ。
⑥ 出でて(数々自ら致さんことを)請ふ。
である。
すなはち、
(30)により、
(31)
④ 請出数自致。
⑤ 出数請自致。
⑥ 出請数自致。
の「訓読」は、三つとも、
④ 出でて数々自ら致さんことを請ふ。
⑤ 出でて数々自ら致さんことを請ふ。
⑥ 出でて数々自ら致さんことを請ふ。
である。
然るに、
(30)により、
(32)
④ (出でて数々自ら致さんことを)請ふ。
⑤ (自ら致さんことを)請ふ。
⑥ (数々自ら致さんことを)請ふ。
であるため、それぞれの、「頼む(請ふ)」際の「内容」は、「三つ」とも、「同じ」ではない。
従って、
(30)(32)により、
(33)
④ 請(出数自致)。
⑤ 出数請(自致)。
⑥ 出請(数自致)。
といふ「漢文」も、「三つとも、同じ」ではない。
従って、
(29)(33)により、
(34)
① 数請出自致。
② 数出請自致。
③ 請数出自致。
④ 請出数自致。
⑤ 出数請自致。
⑥ 出請数自致。
といふ「漢文」は、「六つとも、同じ」ではない。
然るに、
(35)
然るに、
(36)
⑦ 請以十五城易之=
⑦ 請〔以(十五城)易(之)〕⇒
⑦ 〔(十五城)以(之)易〕請=
⑦ 〔(十五城を)以て(之に)易へんこと〕請ふ。
に於ける、
⑦ 之
といふのは、すなはち、
⑧ 以十五城請易寡人之璧=
⑧ 以(十五城)請〔易(寡人之璧)〕⇒
⑧ (十五城)以〔(寡人之璧)易〕請=
⑧ (十五城を)以て〔(寡の之璧に)易へんことを〕請ふ。
に於ける、
⑧ 寡人之璧(和氏の璧)
に、他ならない。
cf.
和氏の璧(かしのへき、-たま)とは、中国の春秋時代・戦国時代の故事にあらわれた名玉(ウィキペディア)。
従って、
(35)(36)により、
(37)
⑦ 請以十五城易之(十八史略)。
⑧ 以十五城請易寡人之璧(史記列伝)。
の場合は、両方とも、実質的に、
⑦ 十五城を以て寡人の璧に易へんことを請ふ(十八史略)。
⑧ 十五城を以て寡人の璧に易へんことを請ふ(史記列伝)。
である。
然るに、
(38)
⑧ 以十五城請易寡人之璧(史記列伝)。
の場合は、
⑧ 以十五城請易寡人之璧=
⑧ 以{十‐五‐城[請〔易(寡人之璧)〕]}⇒
⑧ {[〔(寡人之璧)易〕請]十‐五‐城}以=
⑧ {[〔(寡人の璧に)易へんと〕請ふに]十‐五‐城を}以てす。
といふ風にも、「読む」ことが、出来る。
従って、
(37)(38)により、
(39)
⑦ 十五城を以て寡人の璧に易へんことを請ふ(十八史略)。
⑧ 十五城を以て寡人の璧に易へんことを請ふ(史記列伝)。
ではなく、
⑧ に関しては、「新漢文大系(明治書院)」もさうしてゐるやうに、
⑧ 十五城を以て、寡の之璧に易へんことを請ふ(史記列伝)。
のやうに、「、」を打つべきである。
(40)
⑦ 請以十五城易之寡人之璧。
⑧ 以十五城請易之寡人之璧。
に於いて、
⑦「以十五城」といふ「副詞句」は、「易」といふ「動詞」を「修飾」してゐて、
⑧「以十五城」といふ「副詞句」は、「請」といふ「動詞」を「修飾」してゐる。
然るに、
(41)
⑦ 十五城を以て寡の之璧に易へんことを請ふ(十八史略)。
⑧ 十五城を以て、寡の之璧に易へんことを請ふ(史記列伝)。
であるならば、いづれにせよ、
⑦「十五城」と「寡人の璧」の「交換」を望んでゐて、
⑧「十五城」と「寡人の璧」の「交換」を望んでゐる。
従って、
(41)により、
(42)
「命題」としては、
⑦ 請以十五城易之寡人之璧。
⑧ 以十五城請易之寡人之璧。
に於いて、
⑦=⑧ である。
然るに、
(43)
『十八史略』(じゅうはっし りゃく)は、南宋の曾先之によってまとめられた中国の子供向けの歴史読本。三皇五帝の伝説時代から南宋までの十八の正史を要約し、編年体で綴っている。― 中略 ―、中国文学者の高島俊男は、中国では古くから子供向けの書籍であることが正しく認識されていたが、日本人はこれを典拠たりうる歴史書と勘違いしてきたと批判している[4](ウィキペディア)。
然るに、
(44)
「十八史略の漢文」が読めないのであれば、「史記の漢文」は読めないし、「史記の漢文」が読めなければ、「十八史略の漢文」も読めない。
従って、
(45)
『十八史略』が、中国の子供向けの歴史読本である。といふことが、仮に、本当であるにせよ、残念ながら、「十八史略の漢文」が、「史記の漢文」よりも「簡単な漢文」である。といふわけではない。
平成29年11月11日、毛利太。
2017年11月9日木曜日
「ある参考書」の「(微妙な)誤訳」について。
(01)
① 欲数為姉煮粥=
① 欲〔数為(姉)煮(粥)〕⇒
① 〔数(姉)為(粥)煮〕欲=
① 〔数々(姉の)為に(粥を)煮んと〕欲す=
① しばしば姉のために粥を煮てあげようと思った(小学)。
然るに、
(02)
① 欲〔数為(姉)煮(粥)〕。
であれば、
① 数=しばしば
といふ「副詞」は、
① 欲=Want
ではなく、
①「名詞節」の中の、
① 為姉
といふ「副詞句」を「修飾」してゐる。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 欲〔数為(姉)煮(粥)〕。
であれば、
① しばしば姉のために粥を煮てあげようと思った(小学)。
に於ける、
①「欲す」の「回数」は、「数回」ではなく、「一回」である。
然るに、
(04)
② 数欲為姉煮粥=
② 数欲〔為(姉)煮(粥)〕⇒
② 数〔(姉)為(粥)煮〕欲=
② 数々〔(姉の)為に(粥を)煮んと〕欲す=
② しばしば姉のために粥を煮てあげようと思った(作例)。
然るに、
(05)
② 数欲〔為(姉)煮(粥)〕。
の場合は、
② 数=しばしば
といふ「副詞」は、
② 欲=Want
といふ「他動詞」を「修飾」してゐる。
従って、
(04)(05)により、
(06)
② 数欲〔為(姉)煮(粥)〕。
であれば、
② しばしば姉のために粥を煮てあげようと思った(作例)。
に於ける、
②「欲す」の「回数」は、「一回」ではなく、「数回」である。
従って、
(03)(06)により、
(07)
① 欲〔数為(姉)煮(粥)〕。
② 数欲〔為(姉)煮(粥)〕。
といふ「漢文」に対する、
① しばしば姉の為に粥を煮んと欲す。
② しばしば姉の為に粥を煮んと欲す。
といふ「訓読」からは、
①「欲す」の「回数」が、「一回」なのか、
②「欲す」の「回数」が、「数回」なのが、「分からない」。
従って、
(07)により、
(08)
③ 請(数出自致)。
④ 数請(出自致)。
といふ「漢文」に対する、
に対する、
③ しばしば出でて自ら致さんことを請ふ。
④ しばしば出でて自ら致さんことを請ふ。
といふ「訓読」からも、
③「請ふ」の「回数」が、「一回」なのか、
④「請ふ」の「回数」が、「数回」なのかが、「分からない」。
然るに、
(09)
(A)常不レ得レ油 (全部否定)
(B)不二常得一レ油(部分否定)
この例は次のように下から返読してその意味をはっきりさせることができる。
(A)常レ不レ得レ油(油ヲ得ザルコト常ナリ)
(B)不レ常レ得レ油(油ヲ得ルコト常ナラズ)
(原田種成、私の漢文講義、1995年、156頁)
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
② 数欲〔為(姉)煮(粥)〕。
④ 数請(出自致)。
であれば、
② 数[欲〔為(姉)煮(粥)〕]。
④ 数〔請(出自致)〕。
とすることによって、
② 姉の為に粥を煮んと、欲すること、しばしばなり。
④ 出でて自ら致さんと、請ふこと、 しばしばなり。
といふ風に、「読む」ことが出来る。
従って、
(08)(10)により、
(11)
③ 請(数出自致)。
④ 数〔請(出自致)〕。
に対する「訓読」は、
③ (しばしば出でて自ら致さんこと)を請ふ。
④ 〔出でて自ら致さんと、請ふこと〕しばしばなり。
である。
従って、
(11)により、
(12)
③ 請(数出自致)。
④ 数〔請(出自致)〕。
に対する「和訳」は、
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 〔外に出て自分でやりたい〕と、何度も頼んだ。
である。
然るに、
(13)
④ 〔外に出て自分でやりたい〕と、何度も頼んだ。
といふことと、
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
といふことは、「同じ」である。
従って、
(12)(13)により、
(14)
③ 請(数出自致)。
④ 数〔請(出自致)〕。
に対する「和訳」は、
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
である。
然るに、
(15)
⑤ 数出請自致=
⑤ 数出請(自致)⇒
⑤ 数出(自致)請=
⑤ しばしば出でて(自ら致さんと)請ふ。
従って、
(15)により、
(16)
⑤ 数出(請自致)。
に対する「和訳」は、
⑤ 何度も外に出て、(自分でやりたい)と頼んだ。
である。
従って、
(14)(16)により、
(17)
③ 請(数出自致)。
④ 数〔請(出自致)〕。
⑤ 数出(請自致)。
に対する「和訳」は、
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
⑤ 何度も外に出て、(自分でやりたい)と頼んだ。
である。
然るに、
(17)により、
(18)
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
であれば、
③ (外に出て)は、「頼んだ、内容」であって、
④ 〔外に出て〕も、「頼んだ、内容」である。
従って、
(18)により、
(19)
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
であれば、
③ 実際に、(外に出た)わけではないし、
③ 実際に、〔外に出た〕わけではない。
然るに、
(20)
⑤ 何度も外に出て、(自分でやりたい)と頼んだ。
であれば、実際に、
⑤ 何度も外に出て、その上で、(自分でやりたい)と頼んだ。
といふ、ことになる。
従って、
(17)~(20)により、
(21)
③ 請(数出自致)。
④ 数〔請(出自致)〕。
⑤ 数出(請自致)。
に対する、
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
⑤ 何度も外に出て、(自分でやりたい)と頼んだ。
といふ「三つの和訳」は、「三つとも、同じ意味」ではない。
従って、
(22)
④ 数請出自致(宋史列伝)。
⑤ 数出請自致(私の作例)。
に於いて、
④ 何度も、外に出て自分でやりたいと頼んだ。
⑤ 何度も外に出て、自分でやりたいと頼んだ。
といふ「二つの和訳」は、「同じ意味」ではない。
従って、
(22)により、
(23)
④ 数請出自致(宋史列伝)。
に対する、
⑤ 何度も外に出て、自分でやりたいと頼んだ。
といふ「和訳」は、「誤訳」となる。
然るに、
(24)
しかし、あれこれ説明しても「ワカラヘン」奴ばかり。そこでええいと思いきって黒板に大書した。「キンタマケルナ」と。右の文に正しく句読点をつけよ、と前へひっぱり出してチョークを持たせた。ところがどいつもこいつもマチガイ。正解は、「金太、負けるな」であるぞ。句読点の大切さを頭にタタキコメ。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、80頁)
従って、
(22)(23)(24)により、
(25)
④ 数請出自致(宋史列伝)。
に対する、
④ 何度も、外に出て自分でやりたいと頼んだ。
⑤ 何度も外に出て、自分でやりたいと頼んだ。
⑥ 何度も外に出て自分でやりたいと頼んだ。
の場合は、
④ 金太負けるな。
に対する、
④ キンタ、マケルナ。
⑤ キンタマ、ケルナ。
⑥ キンタマケルナ。
に「相当」する。
従って、
(23)(24)(25)により、
(26)
④ 数請出自致(宋史列伝)。
に対する、
④ 何度も、外に出て自分でやりたいと頼んだ。
⑤ 何度も外に出て、自分でやりたいと頼んだ。
⑥ 何度も外に出て自分でやりたいと頼んだ。
といふ「和訳」の中で、「唯一、正しい」のは、
④ 何度も、外に出て自分でやりたいと頼んだ。
でなければ、ならない。
然るに、
(27)
数請二出自致一、輒不レ許。
[よみ]数々出でて致さんことを請うも、輒ち許さず。
[訳]何度も外に出て自分でやりたいと頼んだが、そのたびごとに許さなかった。
(教学社、風呂で覚える漢文、1998年、97頁)
従って、
(13)(26)(27)により、
(28)
[訳]何度も外に出て自分でやりたいと頼んだが
[訳]何度も外に出て、自分でやりたいと頼んだが
ではなく、
[訳]何度も、外に出て自分でやりたいと頼んだが
[訳]外に出て自分でやりたいと、何度も頼んだが
でなければ、ならない。
平成29年11月09日、毛利太。
―「関連記事」―
請以十五城易之(https://kannbunn.blogspot.com/2017/11/blog-post_11.html)。
① 欲数為姉煮粥=
① 欲〔数為(姉)煮(粥)〕⇒
① 〔数(姉)為(粥)煮〕欲=
① 〔数々(姉の)為に(粥を)煮んと〕欲す=
① しばしば姉のために粥を煮てあげようと思った(小学)。
然るに、
(02)
① 欲〔数為(姉)煮(粥)〕。
であれば、
① 数=しばしば
といふ「副詞」は、
① 欲=Want
ではなく、
①「名詞節」の中の、
① 為姉
といふ「副詞句」を「修飾」してゐる。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 欲〔数為(姉)煮(粥)〕。
であれば、
① しばしば姉のために粥を煮てあげようと思った(小学)。
に於ける、
①「欲す」の「回数」は、「数回」ではなく、「一回」である。
然るに、
(04)
② 数欲為姉煮粥=
② 数欲〔為(姉)煮(粥)〕⇒
② 数〔(姉)為(粥)煮〕欲=
② 数々〔(姉の)為に(粥を)煮んと〕欲す=
② しばしば姉のために粥を煮てあげようと思った(作例)。
然るに、
(05)
② 数欲〔為(姉)煮(粥)〕。
の場合は、
② 数=しばしば
といふ「副詞」は、
② 欲=Want
といふ「他動詞」を「修飾」してゐる。
従って、
(04)(05)により、
(06)
② 数欲〔為(姉)煮(粥)〕。
であれば、
② しばしば姉のために粥を煮てあげようと思った(作例)。
に於ける、
②「欲す」の「回数」は、「一回」ではなく、「数回」である。
従って、
(03)(06)により、
(07)
① 欲〔数為(姉)煮(粥)〕。
② 数欲〔為(姉)煮(粥)〕。
といふ「漢文」に対する、
① しばしば姉の為に粥を煮んと欲す。
② しばしば姉の為に粥を煮んと欲す。
といふ「訓読」からは、
①「欲す」の「回数」が、「一回」なのか、
②「欲す」の「回数」が、「数回」なのが、「分からない」。
従って、
(07)により、
(08)
③ 請(数出自致)。
④ 数請(出自致)。
といふ「漢文」に対する、
に対する、
③ しばしば出でて自ら致さんことを請ふ。
④ しばしば出でて自ら致さんことを請ふ。
といふ「訓読」からも、
③「請ふ」の「回数」が、「一回」なのか、
④「請ふ」の「回数」が、「数回」なのかが、「分からない」。
然るに、
(09)
(A)常不レ得レ油 (全部否定)
(B)不二常得一レ油(部分否定)
この例は次のように下から返読してその意味をはっきりさせることができる。
(A)常レ不レ得レ油(油ヲ得ザルコト常ナリ)
(B)不レ常レ得レ油(油ヲ得ルコト常ナラズ)
(原田種成、私の漢文講義、1995年、156頁)
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
② 数欲〔為(姉)煮(粥)〕。
④ 数請(出自致)。
であれば、
② 数[欲〔為(姉)煮(粥)〕]。
④ 数〔請(出自致)〕。
とすることによって、
② 姉の為に粥を煮んと、欲すること、しばしばなり。
④ 出でて自ら致さんと、請ふこと、 しばしばなり。
といふ風に、「読む」ことが出来る。
従って、
(08)(10)により、
(11)
③ 請(数出自致)。
④ 数〔請(出自致)〕。
に対する「訓読」は、
③ (しばしば出でて自ら致さんこと)を請ふ。
④ 〔出でて自ら致さんと、請ふこと〕しばしばなり。
である。
従って、
(11)により、
(12)
③ 請(数出自致)。
④ 数〔請(出自致)〕。
に対する「和訳」は、
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 〔外に出て自分でやりたい〕と、何度も頼んだ。
である。
然るに、
(13)
④ 〔外に出て自分でやりたい〕と、何度も頼んだ。
といふことと、
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
といふことは、「同じ」である。
従って、
(12)(13)により、
(14)
③ 請(数出自致)。
④ 数〔請(出自致)〕。
に対する「和訳」は、
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
である。
然るに、
(15)
⑤ 数出請自致=
⑤ 数出請(自致)⇒
⑤ 数出(自致)請=
⑤ しばしば出でて(自ら致さんと)請ふ。
従って、
(15)により、
(16)
⑤ 数出(請自致)。
に対する「和訳」は、
⑤ 何度も外に出て、(自分でやりたい)と頼んだ。
である。
従って、
(14)(16)により、
(17)
③ 請(数出自致)。
④ 数〔請(出自致)〕。
⑤ 数出(請自致)。
に対する「和訳」は、
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
⑤ 何度も外に出て、(自分でやりたい)と頼んだ。
である。
然るに、
(17)により、
(18)
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
であれば、
③ (外に出て)は、「頼んだ、内容」であって、
④ 〔外に出て〕も、「頼んだ、内容」である。
従って、
(18)により、
(19)
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
であれば、
③ 実際に、(外に出た)わけではないし、
③ 実際に、〔外に出た〕わけではない。
然るに、
(20)
⑤ 何度も外に出て、(自分でやりたい)と頼んだ。
であれば、実際に、
⑤ 何度も外に出て、その上で、(自分でやりたい)と頼んだ。
といふ、ことになる。
従って、
(17)~(20)により、
(21)
③ 請(数出自致)。
④ 数〔請(出自致)〕。
⑤ 数出(請自致)。
に対する、
③ (何度でも外に出て自分でやりたい)と頼んだ。
④ 何度も、〔外に出て自分でやりたい〕と頼んだ。
⑤ 何度も外に出て、(自分でやりたい)と頼んだ。
といふ「三つの和訳」は、「三つとも、同じ意味」ではない。
従って、
(22)
④ 数請出自致(宋史列伝)。
⑤ 数出請自致(私の作例)。
に於いて、
④ 何度も、外に出て自分でやりたいと頼んだ。
⑤ 何度も外に出て、自分でやりたいと頼んだ。
といふ「二つの和訳」は、「同じ意味」ではない。
従って、
(22)により、
(23)
④ 数請出自致(宋史列伝)。
に対する、
⑤ 何度も外に出て、自分でやりたいと頼んだ。
といふ「和訳」は、「誤訳」となる。
然るに、
(24)
しかし、あれこれ説明しても「ワカラヘン」奴ばかり。そこでええいと思いきって黒板に大書した。「キンタマケルナ」と。右の文に正しく句読点をつけよ、と前へひっぱり出してチョークを持たせた。ところがどいつもこいつもマチガイ。正解は、「金太、負けるな」であるぞ。句読点の大切さを頭にタタキコメ。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、80頁)
従って、
(22)(23)(24)により、
(25)
④ 数請出自致(宋史列伝)。
に対する、
④ 何度も、外に出て自分でやりたいと頼んだ。
⑤ 何度も外に出て、自分でやりたいと頼んだ。
⑥ 何度も外に出て自分でやりたいと頼んだ。
の場合は、
④ 金太負けるな。
に対する、
④ キンタ、マケルナ。
⑤ キンタマ、ケルナ。
⑥ キンタマケルナ。
に「相当」する。
従って、
(23)(24)(25)により、
(26)
④ 数請出自致(宋史列伝)。
に対する、
④ 何度も、外に出て自分でやりたいと頼んだ。
⑤ 何度も外に出て、自分でやりたいと頼んだ。
⑥ 何度も外に出て自分でやりたいと頼んだ。
といふ「和訳」の中で、「唯一、正しい」のは、
④ 何度も、外に出て自分でやりたいと頼んだ。
でなければ、ならない。
然るに、
(27)
数請二出自致一、輒不レ許。
[よみ]数々出でて致さんことを請うも、輒ち許さず。
[訳]何度も外に出て自分でやりたいと頼んだが、そのたびごとに許さなかった。
(教学社、風呂で覚える漢文、1998年、97頁)
従って、
(13)(26)(27)により、
(28)
[訳]何度も外に出て自分でやりたいと頼んだが
[訳]何度も外に出て、自分でやりたいと頼んだが
ではなく、
[訳]何度も、外に出て自分でやりたいと頼んだが
[訳]外に出て自分でやりたいと、何度も頼んだが
でなければ、ならない。
平成29年11月09日、毛利太。
―「関連記事」―
請以十五城易之(https://kannbunn.blogspot.com/2017/11/blog-post_11.html)。
2017年11月6日月曜日
「(自然演繹の)仮定の解消」は「理解しやすい(?)」。
(01)
①{P→Q,~Q}├ ~P
②{P→Q}├ ~Q→~P
といふ「それ(sequent)」は、
①{PならばQであるが、Qでない。}従って、Pでない。
②{PならばQである。}従って、QでないならPでない。
といふ「意味」である。
然るに、
(02)
①{PならばQであるが、Qでない。}従って、Pでない。
②{PならばQである。}従って、QでないならPでない。
に於いて、
① といふ「推論」が「妥当(valid)」であって、
② といふ「推論」が「妥当(valid)」ではない。
といふことは、「あり得ない」。
然るに、
(03)
①{PならばQであるが、Qでない。}には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が有るが、
②{PならばQである。} には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が無い。
従って、
(02)(03)により、
(04)
①{PならばQであるが、Qでない。}従って、Pでない。
②{PならばQである。}従って、QでないならPでない。
に於いて、
① が「妥当」であって、
② が「妥当」ではない。
といふことは、「あり得ない」ものの、
①{PならばQであるが、Qでない。}には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が有るが、
②{PならばQである。} には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が無い。
のであって、このことが、「仮定の解消」の、「所以」である。
cf.
1 (1) P→Q A(仮定)
2 (2)~Q A(仮定)
3(3) P A(仮定)
1 3(4) Q 13MPP
123(5)~Q&Q 24&I
① 12 (6)~P 35RAA
② 1 (7)~Q→~P 26CP
然るに、
(05)
P=南半球である。
~P=南半球でない。
Q=12月は夏である。
~Q=12月は冬である。
とするならば、
①{P→Q,~Q}├ ~P
②{P→Q}├ ~Q→~P
といふ「それ」は、それぞれ、
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(06)
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、(東京は)南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、(東京は)南半球ではない。
に於いて、
① が「妥当」であって、
② が「妥当」である。といふことは、「あり得ない」。
従って、
(04)(06)により、
(07)
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
に於いて、
① が「妥当」であって、
② が「妥当」である。といふことは、「あり得ない」。
といふ風に、ある人が、思ふのであれば、その人は、「仮定の解消」といふ「仕組み」を、「理解」してゐることになる。
従って、
(08)
『困難さの第二の理由は、自然演繹には「仮定の解消」(最初に仮定しておいて、あとでなかったことにする)という手続きがあり、それがなかなか理解しづらいことです(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、144頁)。』とのことであるが、私には、「仮定の解消」は、「さほど、理解しづらい」とは、思へない。
然るに、
(09)
自然演繹は、「仮定の解消」のおかげで公理なしに演繹システムとなり得ており、その意味で「仮定の解消」は自然演繹の本質だと言っても過言ではありません(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、144頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
「自然演繹の本質(仮定の解消)」は、それなりに、「理解しやすい」と、すべきである。
(11)
③ P├ P
④ P→ P
は、それぞれ、
③ Pである。故に、Pである。
④ Pであるならば、Pである。
といふ、「意味」である。
従って、
(12)
③ P├ P
であれば、
③ Pである。ことは、「確定」であるが、
④ P→ P
であれば、
④ Pである。ことは、「未定」である。
然るに、
(13)
④ P→ P(同一律)
を、「仮定」した上で、「仮定の解消(自然演繹の本質)」を用ゐると、次の(14)が、それである。
(14)
1 (1) P→P A
2(2) P A
12(3) P 12MPP
1 (4) P→P 23CP
(5) (P→P)→(P→P) 14CP
(6) ~(P→P)∨(P→P) 含意の定義。
(7)~(~P∨P)∨(~P∨P)含意の定義。
(8) (P&~P)∨(~P∨P)ド・モルガンの法則。
然るに、
(15)
(8) (P&~P)∨(~P∨P)
に於いて、 (P&~P)は、「矛盾」である。
従って、
(15)により、
(16)
(8) (P&~P)∨(~P∨P)
(9) (~P∨P)
である。
従って、
(14)(16)により、
(17)
1 (1) P→P A
2(2) P A
12(3) P 12MPP
1 (4) P→P 23CP
(5) (P→P)→(P→P) 14CP
(6) ~(P→P)∨(P→P) 含意の定義。
(7)~(~P∨P)∨(~P∨P)含意の定義。
(8) (P&~P)∨(~P∨P)ド・モルガンの法則。
(9) (~P∨P)選言の真理表で確認。
である。
従って、
(12)(17)により、
(18)
④ P → P(同一律)=Pならば、Pである。
が、「真(本当)」であるならば、
④ ~P∨P(排中律)=Pでないか、Pである。
も、「真(本当)」である。
従って、
(18)により、
(19)
④ Pならば、 Pである。
④ Pでないか、Pである。
は、両方とも、「同時に、常に、真(本当)」である。
従って、
(19)により、
(20)
④ PならばPである(P→P)。
であるからと言って、
④ Pである。
とは限らない。といふことは、「当然」である。
従って、
(20)により、
(21)
⑤ PならばQである(P→Q)。
であるからと言って、
⑤ Pである。
とは限らない。といふことも、「当然」である。
然るに、
(21)により、
(22)
⑤ PならばQである(P→Q)。
に於いて、
⑤ Pである。
とは限らない。のであれば、
⑤ Qである。
とは限らない。
従って、
(22)により、
(23)
⑤ PならばQである(P→Q)。
といふ「仮言命題」は、
⑤ Pであるとも、
⑤ Qであるとも、言ってゐない。
従って、
(23)により、
(24)
⑤ PでないならばQでない(~P→~Q)。
といふ「仮言命題」も、
⑤ Pでないとも、
⑤ Qでないとも、言ってゐない。
従って、
(23)(24)により、
(25)
② 12月が冬であるならば、南半球ではない。
といふ「仮言命題」は、
② 12月は夏でない。とも、
② 南半球でない。とも、言ってゐない。
然るに、
(26)
① 12月は冬である。従って、南半球ではない。
といふ「それ」は、
① 夏でない。と言ってゐるし、
② 南半球でない。言ってゐる。
然るに、
(27)
①(東京の)12月は冬である。従って、(東京は)南半球ではない。
といふ風に、言へるのであれば、
②(東京の)12月が冬であるならば、(東京は)南半球ではない。
といふ「仮言命題」は、「明らかに、真(本当)」である。
平成29年11月06日、毛利太。
①{P→Q,~Q}├ ~P
②{P→Q}├ ~Q→~P
といふ「それ(sequent)」は、
①{PならばQであるが、Qでない。}従って、Pでない。
②{PならばQである。}従って、QでないならPでない。
といふ「意味」である。
然るに、
(02)
①{PならばQであるが、Qでない。}従って、Pでない。
②{PならばQである。}従って、QでないならPでない。
に於いて、
① といふ「推論」が「妥当(valid)」であって、
② といふ「推論」が「妥当(valid)」ではない。
といふことは、「あり得ない」。
然るに、
(03)
①{PならばQであるが、Qでない。}には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が有るが、
②{PならばQである。} には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が無い。
従って、
(02)(03)により、
(04)
①{PならばQであるが、Qでない。}従って、Pでない。
②{PならばQである。}従って、QでないならPでない。
に於いて、
① が「妥当」であって、
② が「妥当」ではない。
といふことは、「あり得ない」ものの、
①{PならばQであるが、Qでない。}には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が有るが、
②{PならばQである。} には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が無い。
のであって、このことが、「仮定の解消」の、「所以」である。
cf.
1 (1) P→Q A(仮定)
2 (2)~Q A(仮定)
3(3) P A(仮定)
1 3(4) Q 13MPP
123(5)~Q&Q 24&I
① 12 (6)~P 35RAA
② 1 (7)~Q→~P 26CP
然るに、
(05)
P=南半球である。
~P=南半球でない。
Q=12月は夏である。
~Q=12月は冬である。
とするならば、
①{P→Q,~Q}├ ~P
②{P→Q}├ ~Q→~P
といふ「それ」は、それぞれ、
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(06)
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、(東京は)南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、(東京は)南半球ではない。
に於いて、
① が「妥当」であって、
② が「妥当」である。といふことは、「あり得ない」。
従って、
(04)(06)により、
(07)
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
に於いて、
① が「妥当」であって、
② が「妥当」である。といふことは、「あり得ない」。
といふ風に、ある人が、思ふのであれば、その人は、「仮定の解消」といふ「仕組み」を、「理解」してゐることになる。
従って、
(08)
『困難さの第二の理由は、自然演繹には「仮定の解消」(最初に仮定しておいて、あとでなかったことにする)という手続きがあり、それがなかなか理解しづらいことです(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、144頁)。』とのことであるが、私には、「仮定の解消」は、「さほど、理解しづらい」とは、思へない。
然るに、
(09)
自然演繹は、「仮定の解消」のおかげで公理なしに演繹システムとなり得ており、その意味で「仮定の解消」は自然演繹の本質だと言っても過言ではありません(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、144頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
「自然演繹の本質(仮定の解消)」は、それなりに、「理解しやすい」と、すべきである。
(11)
③ P├ P
④ P→ P
は、それぞれ、
③ Pである。故に、Pである。
④ Pであるならば、Pである。
といふ、「意味」である。
従って、
(12)
③ P├ P
であれば、
③ Pである。ことは、「確定」であるが、
④ P→ P
であれば、
④ Pである。ことは、「未定」である。
然るに、
(13)
④ P→ P(同一律)
を、「仮定」した上で、「仮定の解消(自然演繹の本質)」を用ゐると、次の(14)が、それである。
(14)
1 (1) P→P A
2(2) P A
12(3) P 12MPP
1 (4) P→P 23CP
(5) (P→P)→(P→P) 14CP
(6) ~(P→P)∨(P→P) 含意の定義。
(7)~(~P∨P)∨(~P∨P)含意の定義。
(8) (P&~P)∨(~P∨P)ド・モルガンの法則。
然るに、
(15)
(8) (P&~P)∨(~P∨P)
に於いて、 (P&~P)は、「矛盾」である。
従って、
(15)により、
(16)
(8) (P&~P)∨(~P∨P)
(9) (~P∨P)
である。
従って、
(14)(16)により、
(17)
1 (1) P→P A
2(2) P A
12(3) P 12MPP
1 (4) P→P 23CP
(5) (P→P)→(P→P) 14CP
(6) ~(P→P)∨(P→P) 含意の定義。
(7)~(~P∨P)∨(~P∨P)含意の定義。
(8) (P&~P)∨(~P∨P)ド・モルガンの法則。
(9) (~P∨P)選言の真理表で確認。
である。
従って、
(12)(17)により、
(18)
④ P → P(同一律)=Pならば、Pである。
が、「真(本当)」であるならば、
④ ~P∨P(排中律)=Pでないか、Pである。
も、「真(本当)」である。
従って、
(18)により、
(19)
④ Pならば、 Pである。
④ Pでないか、Pである。
は、両方とも、「同時に、常に、真(本当)」である。
従って、
(19)により、
(20)
④ PならばPである(P→P)。
であるからと言って、
④ Pである。
とは限らない。といふことは、「当然」である。
従って、
(20)により、
(21)
⑤ PならばQである(P→Q)。
であるからと言って、
⑤ Pである。
とは限らない。といふことも、「当然」である。
然るに、
(21)により、
(22)
⑤ PならばQである(P→Q)。
に於いて、
⑤ Pである。
とは限らない。のであれば、
⑤ Qである。
とは限らない。
従って、
(22)により、
(23)
⑤ PならばQである(P→Q)。
といふ「仮言命題」は、
⑤ Pであるとも、
⑤ Qであるとも、言ってゐない。
従って、
(23)により、
(24)
⑤ PでないならばQでない(~P→~Q)。
といふ「仮言命題」も、
⑤ Pでないとも、
⑤ Qでないとも、言ってゐない。
従って、
(23)(24)により、
(25)
② 12月が冬であるならば、南半球ではない。
といふ「仮言命題」は、
② 12月は夏でない。とも、
② 南半球でない。とも、言ってゐない。
然るに、
(26)
① 12月は冬である。従って、南半球ではない。
といふ「それ」は、
① 夏でない。と言ってゐるし、
② 南半球でない。言ってゐる。
然るに、
(27)
①(東京の)12月は冬である。従って、(東京は)南半球ではない。
といふ風に、言へるのであれば、
②(東京の)12月が冬であるならば、(東京は)南半球ではない。
といふ「仮言命題」は、「明らかに、真(本当)」である。
平成29年11月06日、毛利太。
2017年11月5日日曜日
「二重否定(DN)」について。
(01)
1 (1) ~P→~Q A
2 (2) ~P A
3(3) Q A
12 (4) ~Q 12MPP
123(5) Q&~Q 34&I
1 3(6)~~P 25RAA
1 3(7) P 6DN(二重否定)
1 (8) Q→ P 37CP
(02)
1 (1) Q→ P A
2 (2) Q A
3(3) ~P A
12 (4) P 12MPP
123(5) ~P& P 34&I
1 3(6) ~Q 25RAA
1 (7) ~P→~Q 36CP
従って、
(01)(02)により、
(03)
「PでないならばQでない(~P→~Q)。」といふ「命題」が、「QならばPである(Q→P)。」といふ「命題」に「等しい」といふことが、「本当」であるためには、「Pでない。でない(~~P)。」といふ「命題」が、「Pである(P)。」といふ「命題」に、「等しく」なければ、ならない。
然るに、
(04)
我々は、「普通」は、「本当」のことを言ふ。
従って、
(04)により、
(05)
① Pである。
② Pである。は「本当」である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(06)
② Pである。は「本当」である。
③ Pでない。は「ウソ」である。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(07)
③ Pでない。は「ウソ」である。
④ Pでない。でない。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(08)
④ Pでない。でない。
⑤ Pでない。でない。は「本当」である。
に於いて、
④=⑤ である。
従って、
(04)~(08)により、
(09)
① Pである(は本当である)。
④ Pでない。でない(は本当である)。
に於いて、
①=④ である。
従って、
(09)により、
(10)
「論理学」としても、「日本語」としても、「Pである。」は、「Pでない。でない。」に「等しい」。
然るに、
(11)
"only if P then Q" is equivalent to "if Q then P"(Beginning Logic (英語) ペーパーバック – 1978/6/1,101ページ).
然るに、
(12)
「Pであるときに限ってQである(only if P then Q)。」といふことは、「PでないならばQでない。」といふことに、他ならない。
従って、
(03)(09)~(12)により、
(13)
「論理学・日本語・英語」に於いて、「Pである。」は、「Pでない。でない。」に「等しい」。
然るに、
(14)
「PでないならばQでない(only if P then Q)。」といふ「命題」が、「QならばPである(if Q then P)。」といふ「命題」に「等しい」と言へるためには、「Pである。」は、「Pでない。でない。」に「等しく」なければならない。といふことを、「普通の人」は、気にしない。
従って、
(15)
「Pである。」=「Pでない。でない。」であるにも拘らず、わざわざ、
「Pでない。でない。」といふのであれば、その「場合」は、例へば、
「あなたたちはPでないと、思ふかも知れないが、実際にはPである。」といふやうな「場合」である。
従って、
(15)により、
(16)
「Pでない。でない。」=「Pである。」であるにも拘らず、わざわざ、
「Pでない。でない。」といふのであれば、その「場合」は、例へば、
「おまえたちは、私が、寒さを厭わないと、思ふかも知れないが、実際にはさうではなく、寒さは、厭ふのである。」といふやうな「場合」である。
然るに、
(17)
昔、韓の昭侯が酔って寝てしまった。
冠を管理する職の者が君主が寒そうにしているのを見て、衣服を君主の上に掛けた。
(昭侯が)眠りから覚めると(衣が掛ってゐることを)喜んで、側近の者に尋ねた。
「誰が衣を掛けたのか。」と。
側近の者が答へて言った。
「冠を管理する者です。」と。
君主はこれによって衣を管理する職にある者と冠を管理する職にある者をともに罰した。
衣を管理する職にある者を罰したのは、自分の職責を全うしてゐないと考へたからである。
冠を管理する職にある者を罰したのは、自分の役割を越えたことをしたからである。
寒さを厭はないわけではない。(他人の)職務を侵すことの弊害は寒さのそれよりも重たいのだ。
(韓非子、侵官之害)
(18)
昔者、韓昭候酔而寝。
典冠者見(君之寒)也、故加(衣於君之上)。
覚寝而説、問(左右)曰、
「誰加(衣)者。」
左右対曰、
「典冠。」
君因兼罪(典衣与典冠)。
其罪(典衣)、以為〔失(其事)〕也。
其罪(典冠)、以為〔超(其職)〕也。
非[不〔悪(寒)〕〕也。以為〔侵(官)之害甚(於寒)〕。
(19)
非不悪寒也、以為侵官之害甚於寒=
非[不〔悪(寒)〕〕也、以為〔侵(官)之害甚(於寒)〕⇒
[〔(寒)悪〕不〕非也、以〔(官)侵之害(於寒)甚〕為=
[〔(寒きを)悪ま〕不るに〕非ざるになり。以て〔(官を)侵すの害は(寒きより)甚だしと〕為せばなり。
従って、
(16)~(19)により、
(20)
非不悪寒也、以為侵官之害甚於寒=
非[不〔悪(寒)〕〕也。以為〔侵(官)之害甚(於寒)〕。
といふ「漢文」は、
おまえたちは、私が、寒さを厭はないと、思ふかも知れないが、実際にはさうではなく、寒さは、厭ふのである。
寒さを厭かどうかと、いふことが問題なのではなく、(他人の)職務を侵すことの弊害は寒さのそれよりも重たいといふことが、重要なのである。
といふ、「意味」になる。
平成29年11月05日、毛利太。
1 (1) ~P→~Q A
2 (2) ~P A
3(3) Q A
12 (4) ~Q 12MPP
123(5) Q&~Q 34&I
1 3(6)~~P 25RAA
1 3(7) P 6DN(二重否定)
1 (8) Q→ P 37CP
(02)
1 (1) Q→ P A
2 (2) Q A
3(3) ~P A
12 (4) P 12MPP
123(5) ~P& P 34&I
1 3(6) ~Q 25RAA
1 (7) ~P→~Q 36CP
従って、
(01)(02)により、
(03)
「PでないならばQでない(~P→~Q)。」といふ「命題」が、「QならばPである(Q→P)。」といふ「命題」に「等しい」といふことが、「本当」であるためには、「Pでない。でない(~~P)。」といふ「命題」が、「Pである(P)。」といふ「命題」に、「等しく」なければ、ならない。
然るに、
(04)
我々は、「普通」は、「本当」のことを言ふ。
従って、
(04)により、
(05)
① Pである。
② Pである。は「本当」である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(06)
② Pである。は「本当」である。
③ Pでない。は「ウソ」である。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(07)
③ Pでない。は「ウソ」である。
④ Pでない。でない。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(08)
④ Pでない。でない。
⑤ Pでない。でない。は「本当」である。
に於いて、
④=⑤ である。
従って、
(04)~(08)により、
(09)
① Pである(は本当である)。
④ Pでない。でない(は本当である)。
に於いて、
①=④ である。
従って、
(09)により、
(10)
「論理学」としても、「日本語」としても、「Pである。」は、「Pでない。でない。」に「等しい」。
然るに、
(11)
"only if P then Q" is equivalent to "if Q then P"(Beginning Logic (英語) ペーパーバック – 1978/6/1,101ページ).
然るに、
(12)
「Pであるときに限ってQである(only if P then Q)。」といふことは、「PでないならばQでない。」といふことに、他ならない。
従って、
(03)(09)~(12)により、
(13)
「論理学・日本語・英語」に於いて、「Pである。」は、「Pでない。でない。」に「等しい」。
然るに、
(14)
「PでないならばQでない(only if P then Q)。」といふ「命題」が、「QならばPである(if Q then P)。」といふ「命題」に「等しい」と言へるためには、「Pである。」は、「Pでない。でない。」に「等しく」なければならない。といふことを、「普通の人」は、気にしない。
従って、
(15)
「Pである。」=「Pでない。でない。」であるにも拘らず、わざわざ、
「Pでない。でない。」といふのであれば、その「場合」は、例へば、
「あなたたちはPでないと、思ふかも知れないが、実際にはPである。」といふやうな「場合」である。
従って、
(15)により、
(16)
「Pでない。でない。」=「Pである。」であるにも拘らず、わざわざ、
「Pでない。でない。」といふのであれば、その「場合」は、例へば、
「おまえたちは、私が、寒さを厭わないと、思ふかも知れないが、実際にはさうではなく、寒さは、厭ふのである。」といふやうな「場合」である。
然るに、
(17)
昔、韓の昭侯が酔って寝てしまった。
冠を管理する職の者が君主が寒そうにしているのを見て、衣服を君主の上に掛けた。
(昭侯が)眠りから覚めると(衣が掛ってゐることを)喜んで、側近の者に尋ねた。
「誰が衣を掛けたのか。」と。
側近の者が答へて言った。
「冠を管理する者です。」と。
君主はこれによって衣を管理する職にある者と冠を管理する職にある者をともに罰した。
衣を管理する職にある者を罰したのは、自分の職責を全うしてゐないと考へたからである。
冠を管理する職にある者を罰したのは、自分の役割を越えたことをしたからである。
寒さを厭はないわけではない。(他人の)職務を侵すことの弊害は寒さのそれよりも重たいのだ。
(韓非子、侵官之害)
(18)
昔者、韓昭候酔而寝。
典冠者見(君之寒)也、故加(衣於君之上)。
覚寝而説、問(左右)曰、
「誰加(衣)者。」
左右対曰、
「典冠。」
君因兼罪(典衣与典冠)。
其罪(典衣)、以為〔失(其事)〕也。
其罪(典冠)、以為〔超(其職)〕也。
非[不〔悪(寒)〕〕也。以為〔侵(官)之害甚(於寒)〕。
(19)
非不悪寒也、以為侵官之害甚於寒=
非[不〔悪(寒)〕〕也、以為〔侵(官)之害甚(於寒)〕⇒
[〔(寒)悪〕不〕非也、以〔(官)侵之害(於寒)甚〕為=
[〔(寒きを)悪ま〕不るに〕非ざるになり。以て〔(官を)侵すの害は(寒きより)甚だしと〕為せばなり。
従って、
(16)~(19)により、
(20)
非不悪寒也、以為侵官之害甚於寒=
非[不〔悪(寒)〕〕也。以為〔侵(官)之害甚(於寒)〕。
といふ「漢文」は、
おまえたちは、私が、寒さを厭はないと、思ふかも知れないが、実際にはさうではなく、寒さは、厭ふのである。
寒さを厭かどうかと、いふことが問題なのではなく、(他人の)職務を侵すことの弊害は寒さのそれよりも重たいといふことが、重要なのである。
といふ、「意味」になる。
平成29年11月05日、毛利太。
2017年11月4日土曜日
「鳥吾知其能飛」の「其の」について。
(01)
① その人の日本語の能力はネイティブのそれと同等である=
① その人の〔(日本語)の〕能力は〈{[〔(ネイティブ)の〕それ]と}同等〉である。
に於いて、
① ( )の ⇒ の( )
① 〔 〕能力は ⇒ 能力は〔 〕
① ( )の ⇒ の( )
① 〔 〕それ ⇒ それ〔 〕
① [ ]と ⇒ と[ ]
① { }同等 ⇒ 同等{ }
① 〈 〉である ⇒ である〈 〉
といふ「移動」を行ふと、
① その人の日本語の能力はネイティブのそれと同等である=
① その人の〔(日本語)の〕能力は〈{[〔(ネイティブ)の〕それ]と}同等〉である ⇒
① その人の 能力は〔の(日本語)〕である〈同等{と[それ〔の(ネイティブ)〕]}〉=
① His ability〔of(Japanese)〕is〈equal{to[that〔of(a native speaker)〕]}〉=
① His ability of Japanese is equal to that of a native speaker.
といふ「英訳」が、成立する。
従って、
(01)により、
(02)
① その人の日本語の能力はネイティブのそれと同等である=
① His(her)ability of Japanese is equal to that of a native speaker.
といふ「英文和訳」は、「日本語の、直訳」として「正しい」。
従って、
(02)により、
(03)
① その人の=「彼(彼女)の」である。
然るに、
(04)
そ【其・夫】[代名](中称の指示代名詞)それ。その人。《参考》「その」は現代語では連体詞とするが、古文では「代名詞+格助詞」とする(三省堂、全訳読解古語辞典、2007年、690頁)。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① その=「それの」であって、
① その=「その人の」=「彼(彼女)の」である。
然るに、
(06)
② その竹の中にもと光る竹なむ一筋ありけり(竹取物語)。
であれば、「文脈」からすれば、明らかに、
② その竹(複数)の中に根本が光る竹が一本あった。
といふ、ことになる。
従って、
(05)(06)により、
(07)
② その=「それ(ら)の」であって、
② その=「その人(たち)の」=「彼ら(彼女ら)の」である。
然るに、
(08)
キ其 そノ そレ
[指示形容詞]《人・物・事などを指し、単数・複数のどちらも指す》
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、75頁)
従って、
(07)(08)により、
(09)
③ 其=その=「それ(ら)の」であって、
③ 其=その=「その人(たち)の」=「彼ら(彼女ら)の」である。
然るに、
(10)
【1】[が][の]
① 主語を示す。〈・・・・・・が〉 日が暮れるとき。 日の暮るるとき。 汝が去りし日。
(中村菊一、重点整理 基礎からわかる古典文法、1978年、154頁改)
従って、
(09)(10)により、
(11)
④ 鳥、吾知其能飛=
④ 鳥、吾知(其能飛)⇒
④ 鳥、吾(其能飛)知=
④ 鳥、吾(其の能く飛ぶを)知る=
④ 鳥(について)、私は、彼らが飛べるといふことを知ってゐる。
といふ「漢文訓読」が、成立し、
④ 其=其+の=彼ら+が
である。
cf.
自分は鳥はよく空を飛ぶものであるといふことを知っている。
(林秀一、十八史略・史記 漢書、1966年、70頁)
従って、
(12)
⑤ Birds, I know they can fly=
⑤ Birds, I know〔they can(fly)〕⇒
⑤ Birds, I 〔they (fly)can〕know=
⑤ 鳥, 私は 〔彼らば(飛べ)るといふことを〕知ってゐる=
⑤ 鳥、私は彼らが飛ぶことができることを知っている(グーグル翻訳)。
といふ「英文訓読」が、成立する。
然るに、
(13)
① 名詞節;名詞の働きをする節、文中での要素(主語・目的語・補語)となる。
I know that there was a big church here. 〔目的語〕
(和田稔、シグマ新総合英語、1998年、19頁)
従って、
(12)(13)により、
(14)
⑤ Birds, I know that they can fly.
に於いて、
⑤ they は、「名詞節の主語」である。
然るに、
(15)
「を」は「格助詞」であって、「体言(名詞)」または「体言に準ずる語」にしか付かない。
従って、
(11)(15)により、
(16)
④「其の能く飛ぶ」+「を」
に於いて、
④「其の能く飛ぶ」は、「名詞節」である。
従って、
(16)により、
(17)
④ 其能飛(其の能く飛ぶ)=They can fly
に於いて、
④ 其(They)は、「名詞節の主語」である。
然るに、
(18)
⑥ 秦王恐其破璧=
⑥ 秦王恐〔其破(璧)〕⇒
⑥ 秦王〔其(璧)破〕恐=
⑥ 秦王〔其の(璧を)破らんことを〕恐る=
⑥ 秦王は、相如が、璧を璧を砕いてしまふことを恐れた=
⑥ The king of 秦 was afraid that the man would crush the 璧(史記、廉頗藺相如列傳)。
従って、
(13)~(18)により、
(19)
④ 其能飛(其の能く飛ぶ)=They can fly.
⑥ 其破璧(其の璧を破る)=the man would crush the 璧.
に於いて、
④ 其=其の=they(彼らが) は、「名詞節の主語」である。
⑥ 其=其の=the man(その人が) は、「名詞節の主語」である。
平成29年11月04日、毛利太。
① その人の日本語の能力はネイティブのそれと同等である=
① その人の〔(日本語)の〕能力は〈{[〔(ネイティブ)の〕それ]と}同等〉である。
に於いて、
① ( )の ⇒ の( )
① 〔 〕能力は ⇒ 能力は〔 〕
① ( )の ⇒ の( )
① 〔 〕それ ⇒ それ〔 〕
① [ ]と ⇒ と[ ]
① { }同等 ⇒ 同等{ }
① 〈 〉である ⇒ である〈 〉
といふ「移動」を行ふと、
① その人の日本語の能力はネイティブのそれと同等である=
① その人の〔(日本語)の〕能力は〈{[〔(ネイティブ)の〕それ]と}同等〉である ⇒
① その人の 能力は〔の(日本語)〕である〈同等{と[それ〔の(ネイティブ)〕]}〉=
① His ability〔of(Japanese)〕is〈equal{to[that〔of(a native speaker)〕]}〉=
① His ability of Japanese is equal to that of a native speaker.
といふ「英訳」が、成立する。
従って、
(01)により、
(02)
① その人の日本語の能力はネイティブのそれと同等である=
① His(her)ability of Japanese is equal to that of a native speaker.
といふ「英文和訳」は、「日本語の、直訳」として「正しい」。
従って、
(02)により、
(03)
① その人の=「彼(彼女)の」である。
然るに、
(04)
そ【其・夫】[代名](中称の指示代名詞)それ。その人。《参考》「その」は現代語では連体詞とするが、古文では「代名詞+格助詞」とする(三省堂、全訳読解古語辞典、2007年、690頁)。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① その=「それの」であって、
① その=「その人の」=「彼(彼女)の」である。
然るに、
(06)
② その竹の中にもと光る竹なむ一筋ありけり(竹取物語)。
であれば、「文脈」からすれば、明らかに、
② その竹(複数)の中に根本が光る竹が一本あった。
といふ、ことになる。
従って、
(05)(06)により、
(07)
② その=「それ(ら)の」であって、
② その=「その人(たち)の」=「彼ら(彼女ら)の」である。
然るに、
(08)
キ其 そノ そレ
[指示形容詞]《人・物・事などを指し、単数・複数のどちらも指す》
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、75頁)
従って、
(07)(08)により、
(09)
③ 其=その=「それ(ら)の」であって、
③ 其=その=「その人(たち)の」=「彼ら(彼女ら)の」である。
然るに、
(10)
【1】[が][の]
① 主語を示す。〈・・・・・・が〉 日が暮れるとき。 日の暮るるとき。 汝が去りし日。
(中村菊一、重点整理 基礎からわかる古典文法、1978年、154頁改)
従って、
(09)(10)により、
(11)
④ 鳥、吾知其能飛=
④ 鳥、吾知(其能飛)⇒
④ 鳥、吾(其能飛)知=
④ 鳥、吾(其の能く飛ぶを)知る=
④ 鳥(について)、私は、彼らが飛べるといふことを知ってゐる。
といふ「漢文訓読」が、成立し、
④ 其=其+の=彼ら+が
である。
cf.
自分は鳥はよく空を飛ぶものであるといふことを知っている。
(林秀一、十八史略・史記 漢書、1966年、70頁)
従って、
(12)
⑤ Birds, I know they can fly=
⑤ Birds, I know〔they can(fly)〕⇒
⑤ Birds, I 〔they (fly)can〕know=
⑤ 鳥, 私は 〔彼らば(飛べ)るといふことを〕知ってゐる=
⑤ 鳥、私は彼らが飛ぶことができることを知っている(グーグル翻訳)。
といふ「英文訓読」が、成立する。
然るに、
(13)
① 名詞節;名詞の働きをする節、文中での要素(主語・目的語・補語)となる。
I know that there was a big church here. 〔目的語〕
(和田稔、シグマ新総合英語、1998年、19頁)
従って、
(12)(13)により、
(14)
⑤ Birds, I know that they can fly.
に於いて、
⑤ they は、「名詞節の主語」である。
然るに、
(15)
「を」は「格助詞」であって、「体言(名詞)」または「体言に準ずる語」にしか付かない。
従って、
(11)(15)により、
(16)
④「其の能く飛ぶ」+「を」
に於いて、
④「其の能く飛ぶ」は、「名詞節」である。
従って、
(16)により、
(17)
④ 其能飛(其の能く飛ぶ)=They can fly
に於いて、
④ 其(They)は、「名詞節の主語」である。
然るに、
(18)
⑥ 秦王恐其破璧=
⑥ 秦王恐〔其破(璧)〕⇒
⑥ 秦王〔其(璧)破〕恐=
⑥ 秦王〔其の(璧を)破らんことを〕恐る=
⑥ 秦王は、相如が、璧を璧を砕いてしまふことを恐れた=
⑥ The king of 秦 was afraid that the man would crush the 璧(史記、廉頗藺相如列傳)。
従って、
(13)~(18)により、
(19)
④ 其能飛(其の能く飛ぶ)=They can fly.
⑥ 其破璧(其の璧を破る)=the man would crush the 璧.
に於いて、
④ 其=其の=they(彼らが) は、「名詞節の主語」である。
⑥ 其=其の=the man(その人が) は、「名詞節の主語」である。
平成29年11月04日、毛利太。
2017年11月3日金曜日
「君子不以其所以養人」の「其の」について。
(01)
① 秦王恐其破璧=
① 秦王恐〔其破(璧)〕⇒
① 秦王〔其(璧)破〕恐=
① 秦王〔其の(璧を)破らんことを〕恐る=
① 秦王は、相如が、璧を璧を砕いてしまふことを恐れた(史記、廉頗藺相如列傳)。
然るに、
(02)
そ【其・夫】[代名](中称の指示代名詞)それ。その人。《参考》「その」は現代語では連体詞とするが、古文では「代名詞+格助詞」とする(三省堂、全訳読解古語辞典、2007年、690頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 秦王恐其破璧(秦王、其の璧を破らんことを恐る)。
① 秦王恐其破璧(The king of 秦 was afraid that the man would crush the 璧)。
に於いて、
① 其=其の=その人が(相如が)
は、「(名詞節の)主語」である。
然るに、
(04)
② 相如持其璧睨柱欲以撃柱=
② 相如持(其璧)睨(柱)欲〔以撃(柱)〕⇒
② 相如(其璧)持(柱)睨〔以(柱)撃〕欲=
② 相如(其の璧を)持ち(柱を)睨み〔以て(柱に)撃たんと〕欲す=
② 相如は、其の璧を手に持ち、柱を見据へるとそれを柱に撃ち付けようとした(史記、廉頗藺相如列傳)。
然るに、
(02)により、
(05)
② 相如持其璧=
② 相如はその人の璧を持つ。
とするならば、
② 其の=その人の=相如の
でなければ、ならない。
然るに、
(06)
② その人の=His(Her)
である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
② 相如持其璧=
② 相如 took his 璧。
である。
従って、
(02)(07)により、
(08)
「其」といふ「漢字」には、「彼(ら)の、彼女(ら)の、それ(ら)の」といふ「訳」が有っても、良いことになる。
然るに、
(09)
【1】[が][の]
① 主語を示す。〈・・・・・・が〉 日の暮るるとき。 汝が去りし日。
(中村菊一、重点整理 基礎からわかる古典文法、1978年、154頁)
従って、
(09)により、
(10)
「彼の言ふこと」=「彼が言ふこと」のやうな「名詞節の主語」の場合は、
「彼の・・・・」=「彼が・・・・」である。
然るに、
(11)
③ 君子不以其所以養人者害人=
③ 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
③ 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
③ 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず。
従って、
(08)(10)(11)により、
(12)
③ 君子不以其所以養人者害人=
③ 君子は、彼が、人々を養ふ手段にしてゐる者(土地)のために、人々を害することはやうなことをしない。
といふ、「意味」になる。
(13)
③ 君子は、彼が、
では、「分りにくい」のであれば、
③ 君子は、彼自身が、
といふ風に、「言ひ換へ」ても、良い。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
③ 君子不以其所以養人者害人=
③ 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
③ 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
③ 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず=
③ 君子は、彼自身が、人々を養ふ手段にしてゐる所の、土地のために、人々を害することはやうなことをしない。
といふ、「意味」になる。
平成29年11月03日、毛利太。
① 秦王恐其破璧=
① 秦王恐〔其破(璧)〕⇒
① 秦王〔其(璧)破〕恐=
① 秦王〔其の(璧を)破らんことを〕恐る=
① 秦王は、相如が、璧を璧を砕いてしまふことを恐れた(史記、廉頗藺相如列傳)。
然るに、
(02)
そ【其・夫】[代名](中称の指示代名詞)それ。その人。《参考》「その」は現代語では連体詞とするが、古文では「代名詞+格助詞」とする(三省堂、全訳読解古語辞典、2007年、690頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 秦王恐其破璧(秦王、其の璧を破らんことを恐る)。
① 秦王恐其破璧(The king of 秦 was afraid that the man would crush the 璧)。
に於いて、
① 其=其の=その人が(相如が)
は、「(名詞節の)主語」である。
然るに、
(04)
② 相如持其璧睨柱欲以撃柱=
② 相如持(其璧)睨(柱)欲〔以撃(柱)〕⇒
② 相如(其璧)持(柱)睨〔以(柱)撃〕欲=
② 相如(其の璧を)持ち(柱を)睨み〔以て(柱に)撃たんと〕欲す=
② 相如は、其の璧を手に持ち、柱を見据へるとそれを柱に撃ち付けようとした(史記、廉頗藺相如列傳)。
然るに、
(02)により、
(05)
② 相如持其璧=
② 相如はその人の璧を持つ。
とするならば、
② 其の=その人の=相如の
でなければ、ならない。
然るに、
(06)
② その人の=His(Her)
である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
② 相如持其璧=
② 相如 took his 璧。
である。
従って、
(02)(07)により、
(08)
「其」といふ「漢字」には、「彼(ら)の、彼女(ら)の、それ(ら)の」といふ「訳」が有っても、良いことになる。
然るに、
(09)
【1】[が][の]
① 主語を示す。〈・・・・・・が〉 日の暮るるとき。 汝が去りし日。
(中村菊一、重点整理 基礎からわかる古典文法、1978年、154頁)
従って、
(09)により、
(10)
「彼の言ふこと」=「彼が言ふこと」のやうな「名詞節の主語」の場合は、
「彼の・・・・」=「彼が・・・・」である。
然るに、
(11)
③ 君子不以其所以養人者害人=
③ 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
③ 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
③ 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず。
従って、
(08)(10)(11)により、
(12)
③ 君子不以其所以養人者害人=
③ 君子は、彼が、人々を養ふ手段にしてゐる者(土地)のために、人々を害することはやうなことをしない。
といふ、「意味」になる。
(13)
③ 君子は、彼が、
では、「分りにくい」のであれば、
③ 君子は、彼自身が、
といふ風に、「言ひ換へ」ても、良い。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
③ 君子不以其所以養人者害人=
③ 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
③ 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
③ 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず=
③ 君子は、彼自身が、人々を養ふ手段にしてゐる所の、土地のために、人々を害することはやうなことをしない。
といふ、「意味」になる。
平成29年11月03日、毛利太。
2017年11月2日木曜日
「与其得小人」の「其の」について(Ⅱb)。
(01)
hitomi_taylorさん2013/10/321:19:40
漢文の質問です!
与其得小人 で
其の小人を得んよりは、となるみたいなのですが。なぜその語順になるのか理解出来なくて
与得其小人 ではなぜダメなのでしょうか??教えてください<(_ _)>
ベストアンサーに選ばれた回答
(02)
カテゴリマスター
ohagitodaihukuさん 編集あり2013/10/322:13:31
与其…不如…というのが、~~better than~~ と同じようなイディオムとして使われるのです。だから、この語順と覚えてください。
然るに、
(03)
① 或得其小人=ある人がその(the)小人を得る。
② 或得其小人=ある人がその人の(his)小人を得る。
に於いて、
① ではなく、普通は、② であると、思はれる。
従って、
(03)により、
(04)
① 得其小人=その小人(the)を得る。
② 得其小人=その人の(his)小人を得る。
に於いて、
① であるか、② である。
然るに、
(05)
「与」といふ「漢字(多義語)」には、「くみする(親しくなる)、関係する、賛成する、と、ともにする、あたへる、ゆるす、認める、より」等の、「意味」がある。
従って、
(05)により、
(06)
③ 其与人鋭其去人必速=
③ 其与(人)鋭其去(人)必速⇒
③ 其(人)与鋭其(人)去必速=
③ 其の(人に)与すること鋭ければ其の(人を)去ること必ず速やかならん(蘇武、亡妻王氏墓誌銘)=
③ ある人が人と親しくなることに性急であるならば、その人が人から離れることもきっと速いことでしょう(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、76頁)。
といふ、「意味」になる。
従って、
(05)(06)により、
(07)
③ 其与人=
③ 其親人=その人が他の人と親しくなる。
である。
従って、
(07)により、
(08)
③ 其親_人=その人(主語)が他の人(補語)と親しくなる。
④ 其得小人=その人(主語)が小人(目的語)を得る。
である。
従って、
(08)により、
(09)
④ 与其得小人寧不若得愚人=
④ 与〔其得(小人)〕寧不[若〔得(愚人)〕]⇒
④ 〔其(小人)得〕与寧[〔(愚人)得〕若]不=
④ 〔其の(小人を)得る〕与りは寧ろ[〔(愚人を)得るに〕しか]ず(資治通鑑、周紀)=
④ その人が小人を得ることは、(その人が)愚人を得ることに、及ばない。
といふ、「意味」になる。
従って、
(04)(09)により、
(10)
② 与得其小人、
④ 与其得小人、
に於いて、
② その人の(所有格)小人を得るよりは、
② その(連体詞)人の小人を得るよりは、
④ その人が(主語が)小人を得るよりは、
である。
然るに、
(11)
② その人の(所有格)小人を得るよりは、
② その(連体詞)人の小人を得るよりは、
④ その人が(主語が)小人を得るよりは、
に於いて、
②=④ ではない。
従って、
(01)(10)(11)により、
(12)
与其得小人 で
其の小人を得んよりは、となるみたいなのですが。なぜその語順になるのか理解出来なくて
与得其小人 ではなぜダメなのでしょうか??教えてください<(_ _)>
に対する「答へ」は、
② その人の(所有格)小人を得るよりは、
② その(連体詞)人の小人を得るよりは、
④ その人が(主語が)小人を得るよりは、
に於いて、
②=④ ではない。からである。
然るに、
(13)
④ 与其得小人寧不若得愚人=
④ 徳のないこざかしい小人を得るよりも、むしろ愚かでも徳のある愚人を得る方が良い(教学者、風呂で覚える漢文、1998年、50頁)。
といふのは、飽く迄も、「一般論」である。
従って、
(09)(13)により、
(14)
① 与其得小人寧不若得愚人=
③ その人が小人を得ることは、(その人が)愚人を得ることに、及ばない。
とは言っても、「一般論」である以上、
① 其=その人
といふのは、
① 其=特定の人
といふことには、ならない。
従って、
(06)(14)により、
(15)
④ 与其得小人寧不若得愚人=
④(ある人が)小人を得ることは、(その人が)愚人を得ることに、及ばない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(09)により、
(16)
④ 与其得小人=
④ 其の小人を得るよりは=
④ その人が小人を得ることは、
である。
従って、
(16)により、
(17)
④ 其
といふ「漢字」は、
④ 其の
といふ風に「訓読」され、
④ その人が
といふ「意味」になる。
従って、
(17)により、
(18)
④ 其=その人
④ そ=その人
である。
然るに、
(19)
そ【其・夫】〔代名(指示・人称)〕
① それ。そこ。その人。そのこと。前にある人や事物をさす。[例]そが言ひけらく[その人が言ったことには]〈土佐日記〉
(大修館書店、古語林、1997年、766頁)
(20)
〔ポイント〕現代語では一語の連体詞とするが、古語では「そ(其)」が独立した代名詞として用いられるので、代名詞に格助詞「の」がついた連語として扱う。
(大修館書店、古語林、1997年、778頁)
従って、
(18)(19)(20)により、
(21)
④ そ =その人
④ その=そ+の(が)=その人+の(が)
である。
従って、
(21)により、
(22)
現代語の「この」は連体詞として扱いますが、古文では代名詞「こ」に格助詞「の」がついたものとして扱います。「あの・その」なども同様で、古文と現代文とではこうした違いがあるので注意しましょう(武藤元昭、0からわかる古文、1997年、48頁)。
といふ、ことになる。
従って、
(01)(19)~(20)により、
(23)
「現代文」とは異なり、「古文や漢文」の場合は、「其の=そ+の(が)=その人+の(が)」である。といふことを、知ってゐたならば、hitomi_taylorさんは、
与其得小人 で
其の小人を得んよりは、となるみたいなのですが。なぜその語順になるのか理解出来なくて
与得其小人 ではなぜダメなのでしょうか??教えてください<(_ _)>
といふ「疑問」を持たなかったものと、思はれる。
平成29年11月02日、毛利太。
hitomi_taylorさん2013/10/321:19:40
漢文の質問です!
与其得小人 で
其の小人を得んよりは、となるみたいなのですが。なぜその語順になるのか理解出来なくて
与得其小人 ではなぜダメなのでしょうか??教えてください<(_ _)>
ベストアンサーに選ばれた回答
(02)
カテゴリマスター
ohagitodaihukuさん 編集あり2013/10/322:13:31
与其…不如…というのが、~~better than~~ と同じようなイディオムとして使われるのです。だから、この語順と覚えてください。
然るに、
(03)
① 或得其小人=ある人がその(the)小人を得る。
② 或得其小人=ある人がその人の(his)小人を得る。
に於いて、
① ではなく、普通は、② であると、思はれる。
従って、
(03)により、
(04)
① 得其小人=その小人(the)を得る。
② 得其小人=その人の(his)小人を得る。
に於いて、
① であるか、② である。
然るに、
(05)
「与」といふ「漢字(多義語)」には、「くみする(親しくなる)、関係する、賛成する、と、ともにする、あたへる、ゆるす、認める、より」等の、「意味」がある。
従って、
(05)により、
(06)
③ 其与人鋭其去人必速=
③ 其与(人)鋭其去(人)必速⇒
③ 其(人)与鋭其(人)去必速=
③ 其の(人に)与すること鋭ければ其の(人を)去ること必ず速やかならん(蘇武、亡妻王氏墓誌銘)=
③ ある人が人と親しくなることに性急であるならば、その人が人から離れることもきっと速いことでしょう(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、76頁)。
といふ、「意味」になる。
従って、
(05)(06)により、
(07)
③ 其与人=
③ 其親人=その人が他の人と親しくなる。
である。
従って、
(07)により、
(08)
③ 其親_人=その人(主語)が他の人(補語)と親しくなる。
④ 其得小人=その人(主語)が小人(目的語)を得る。
である。
従って、
(08)により、
(09)
④ 与其得小人寧不若得愚人=
④ 与〔其得(小人)〕寧不[若〔得(愚人)〕]⇒
④ 〔其(小人)得〕与寧[〔(愚人)得〕若]不=
④ 〔其の(小人を)得る〕与りは寧ろ[〔(愚人を)得るに〕しか]ず(資治通鑑、周紀)=
④ その人が小人を得ることは、(その人が)愚人を得ることに、及ばない。
といふ、「意味」になる。
従って、
(04)(09)により、
(10)
② 与得其小人、
④ 与其得小人、
に於いて、
② その人の(所有格)小人を得るよりは、
② その(連体詞)人の小人を得るよりは、
④ その人が(主語が)小人を得るよりは、
である。
然るに、
(11)
② その人の(所有格)小人を得るよりは、
② その(連体詞)人の小人を得るよりは、
④ その人が(主語が)小人を得るよりは、
に於いて、
②=④ ではない。
従って、
(01)(10)(11)により、
(12)
与其得小人 で
其の小人を得んよりは、となるみたいなのですが。なぜその語順になるのか理解出来なくて
与得其小人 ではなぜダメなのでしょうか??教えてください<(_ _)>
に対する「答へ」は、
② その人の(所有格)小人を得るよりは、
② その(連体詞)人の小人を得るよりは、
④ その人が(主語が)小人を得るよりは、
に於いて、
②=④ ではない。からである。
然るに、
(13)
④ 与其得小人寧不若得愚人=
④ 徳のないこざかしい小人を得るよりも、むしろ愚かでも徳のある愚人を得る方が良い(教学者、風呂で覚える漢文、1998年、50頁)。
といふのは、飽く迄も、「一般論」である。
従って、
(09)(13)により、
(14)
① 与其得小人寧不若得愚人=
③ その人が小人を得ることは、(その人が)愚人を得ることに、及ばない。
とは言っても、「一般論」である以上、
① 其=その人
といふのは、
① 其=特定の人
といふことには、ならない。
従って、
(06)(14)により、
(15)
④ 与其得小人寧不若得愚人=
④(ある人が)小人を得ることは、(その人が)愚人を得ることに、及ばない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(09)により、
(16)
④ 与其得小人=
④ 其の小人を得るよりは=
④ その人が小人を得ることは、
である。
従って、
(16)により、
(17)
④ 其
といふ「漢字」は、
④ 其の
といふ風に「訓読」され、
④ その人が
といふ「意味」になる。
従って、
(17)により、
(18)
④ 其=その人
④ そ=その人
である。
然るに、
(19)
そ【其・夫】〔代名(指示・人称)〕
① それ。そこ。その人。そのこと。前にある人や事物をさす。[例]そが言ひけらく[その人が言ったことには]〈土佐日記〉
(大修館書店、古語林、1997年、766頁)
(20)
〔ポイント〕現代語では一語の連体詞とするが、古語では「そ(其)」が独立した代名詞として用いられるので、代名詞に格助詞「の」がついた連語として扱う。
(大修館書店、古語林、1997年、778頁)
従って、
(18)(19)(20)により、
(21)
④ そ =その人
④ その=そ+の(が)=その人+の(が)
である。
従って、
(21)により、
(22)
現代語の「この」は連体詞として扱いますが、古文では代名詞「こ」に格助詞「の」がついたものとして扱います。「あの・その」なども同様で、古文と現代文とではこうした違いがあるので注意しましょう(武藤元昭、0からわかる古文、1997年、48頁)。
といふ、ことになる。
従って、
(01)(19)~(20)により、
(23)
「現代文」とは異なり、「古文や漢文」の場合は、「其の=そ+の(が)=その人+の(が)」である。といふことを、知ってゐたならば、hitomi_taylorさんは、
与其得小人 で
其の小人を得んよりは、となるみたいなのですが。なぜその語順になるのか理解出来なくて
与得其小人 ではなぜダメなのでしょうか??教えてください<(_ _)>
といふ「疑問」を持たなかったものと、思はれる。
平成29年11月02日、毛利太。
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