(01)
①{P→Q,~Q}├ ~P
②{P→Q}├ ~Q→~P
といふ「それ(sequent)」は、
①{PならばQであるが、Qでない。}従って、Pでない。
②{PならばQである。}従って、QでないならPでない。
といふ「意味」である。
然るに、
(02)
①{PならばQであるが、Qでない。}従って、Pでない。
②{PならばQである。}従って、QでないならPでない。
に於いて、
① といふ「推論」が「妥当(valid)」であって、
② といふ「推論」が「妥当(valid)」ではない。
といふことは、「あり得ない」。
然るに、
(03)
①{PならばQであるが、Qでない。}には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が有るが、
②{PならばQである。} には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が無い。
従って、
(02)(03)により、
(04)
①{PならばQであるが、Qでない。}従って、Pでない。
②{PならばQである。}従って、QでないならPでない。
に於いて、
① が「妥当」であって、
② が「妥当」ではない。
といふことは、「あり得ない」ものの、
①{PならばQであるが、Qでない。}には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が有るが、
②{PならばQである。} には、
① {Qでない。}といふ「仮定」が無い。
のであって、このことが、「仮定の解消」の、「所以」である。
cf.
1 (1) P→Q A(仮定)
2 (2)~Q A(仮定)
3(3) P A(仮定)
1 3(4) Q 13MPP
123(5)~Q&Q 24&I
① 12 (6)~P 35RAA
② 1 (7)~Q→~P 26CP
然るに、
(05)
P=南半球である。
~P=南半球でない。
Q=12月は夏である。
~Q=12月は冬である。
とするならば、
①{P→Q,~Q}├ ~P
②{P→Q}├ ~Q→~P
といふ「それ」は、それぞれ、
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(06)
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、(東京は)南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、(東京は)南半球ではない。
に於いて、
① が「妥当」であって、
② が「妥当」である。といふことは、「あり得ない」。
従って、
(04)(06)により、
(07)
①{南半球ならば、12月は夏であるが、12月は冬である。}従って、南半球ではない。
②{南半球ならば、12月は夏である。}従って、12月が冬であるならば、南半球ではない。
に於いて、
① が「妥当」であって、
② が「妥当」である。といふことは、「あり得ない」。
といふ風に、ある人が、思ふのであれば、その人は、「仮定の解消」といふ「仕組み」を、「理解」してゐることになる。
従って、
(08)
『困難さの第二の理由は、自然演繹には「仮定の解消」(最初に仮定しておいて、あとでなかったことにする)という手続きがあり、それがなかなか理解しづらいことです(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、144頁)。』とのことであるが、私には、「仮定の解消」は、「さほど、理解しづらい」とは、思へない。
然るに、
(09)
自然演繹は、「仮定の解消」のおかげで公理なしに演繹システムとなり得ており、その意味で「仮定の解消」は自然演繹の本質だと言っても過言ではありません(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、144頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
「自然演繹の本質(仮定の解消)」は、それなりに、「理解しやすい」と、すべきである。
(11)
③ P├ P
④ P→ P
は、それぞれ、
③ Pである。故に、Pである。
④ Pであるならば、Pである。
といふ、「意味」である。
従って、
(12)
③ P├ P
であれば、
③ Pである。ことは、「確定」であるが、
④ P→ P
であれば、
④ Pである。ことは、「未定」である。
然るに、
(13)
④ P→ P(同一律)
を、「仮定」した上で、「仮定の解消(自然演繹の本質)」を用ゐると、次の(14)が、それである。
(14)
1 (1) P→P A
2(2) P A
12(3) P 12MPP
1 (4) P→P 23CP
(5) (P→P)→(P→P) 14CP
(6) ~(P→P)∨(P→P) 含意の定義。
(7)~(~P∨P)∨(~P∨P)含意の定義。
(8) (P&~P)∨(~P∨P)ド・モルガンの法則。
然るに、
(15)
(8) (P&~P)∨(~P∨P)
に於いて、 (P&~P)は、「矛盾」である。
従って、
(15)により、
(16)
(8) (P&~P)∨(~P∨P)
(9) (~P∨P)
である。
従って、
(14)(16)により、
(17)
1 (1) P→P A
2(2) P A
12(3) P 12MPP
1 (4) P→P 23CP
(5) (P→P)→(P→P) 14CP
(6) ~(P→P)∨(P→P) 含意の定義。
(7)~(~P∨P)∨(~P∨P)含意の定義。
(8) (P&~P)∨(~P∨P)ド・モルガンの法則。
(9) (~P∨P)選言の真理表で確認。
である。
従って、
(12)(17)により、
(18)
④ P → P(同一律)=Pならば、Pである。
が、「真(本当)」であるならば、
④ ~P∨P(排中律)=Pでないか、Pである。
も、「真(本当)」である。
従って、
(18)により、
(19)
④ Pならば、 Pである。
④ Pでないか、Pである。
は、両方とも、「同時に、常に、真(本当)」である。
従って、
(19)により、
(20)
④ PならばPである(P→P)。
であるからと言って、
④ Pである。
とは限らない。といふことは、「当然」である。
従って、
(20)により、
(21)
⑤ PならばQである(P→Q)。
であるからと言って、
⑤ Pである。
とは限らない。といふことも、「当然」である。
然るに、
(21)により、
(22)
⑤ PならばQである(P→Q)。
に於いて、
⑤ Pである。
とは限らない。のであれば、
⑤ Qである。
とは限らない。
従って、
(22)により、
(23)
⑤ PならばQである(P→Q)。
といふ「仮言命題」は、
⑤ Pであるとも、
⑤ Qであるとも、言ってゐない。
従って、
(23)により、
(24)
⑤ PでないならばQでない(~P→~Q)。
といふ「仮言命題」も、
⑤ Pでないとも、
⑤ Qでないとも、言ってゐない。
従って、
(23)(24)により、
(25)
② 12月が冬であるならば、南半球ではない。
といふ「仮言命題」は、
② 12月は夏でない。とも、
② 南半球でない。とも、言ってゐない。
然るに、
(26)
① 12月は冬である。従って、南半球ではない。
といふ「それ」は、
① 夏でない。と言ってゐるし、
② 南半球でない。言ってゐる。
然るに、
(27)
①(東京の)12月は冬である。従って、(東京は)南半球ではない。
といふ風に、言へるのであれば、
②(東京の)12月が冬であるならば、(東京は)南半球ではない。
といふ「仮言命題」は、「明らかに、真(本当)」である。
平成29年11月06日、毛利太。
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