2015年10月11日日曜日

返り点に対する「括弧」の用法(ver5.0b)。

― 10月08日の記事を、書き換へます。―
(01)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
は、「括弧」である。
(02)
① ( )は    「小さな函」。
② 〔 〕は    「中位の函」。
③ [ ]は    「大きな函」。
④ { }は  「より大きな函」。
⑤ 〈 〉は「さらに大きな函」。
に譬へることが、出来る。
(03)
①「小さな函」が、
②「中位の函」の中に、入ってゐる「状態」を、
② 〔 ( ) 〕
とする。
然るに、
(04)
②「Mサイズの箱」が、
①「Sサイズの箱」の中に、入ることは、物理的に、有り得ない。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
② 〔 ( ) 〕
は、「函(括弧)」である。一方で、
① ( 〔 〕 )
① ( 〔 ) 〕
① 〔 ( 〕 )
のやうな「函(括弧)」は、有り得ない。
但し、
(06)
②  〔 ( ) 〕
だけでなく、
②  〔 ( )( ) 〕
②  〔 ( )( )( ) 〕
であっても、
①「小さな箱」が、
②「中位の箱」の中に、入ることには、変はりがない。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
に於いて、
② の中に、一つ以上の ① が有って、
③ の中に、一つ以上の ② が有って、
④ の中に、一つ以上の ③ が有って、
⑤ の中に、一つ以上の ④ が有る。
ならば、「括弧」とする.
(08)
⑤ 〈 〉
で「不足」する場合は、
⑥ 《 》
⑦ 「 」
とする。
(09)
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
⑥ 一レ 上レ 甲レ 上レ
は、「返り点」である。
然るに、
(10)
例へば、
⑤ レ
⑤ レ レ
⑥ 二 一レ 二 一
⑥ 二 レ 一レ
であれば、
⑤ 二 一
⑤ 三 二 一
⑥ 四 三 二 一
⑥ 下  二 一 中 上
と、「同じこと」である。
cf.

従って、
(09)(10)により、
(11)
以下では、
⑤ レ
⑥ 一レ 上レ 甲レ 上レ
を除いて、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
を、「返り点」とする。
(12)
一・二点をはさんで返る時は上・中・下点。
上・中・下点をはさんで返る時は甲・乙点。
甲・乙点をはさんで返る時は天・地(天・地・人)点である。
(志村和久、漢文早わかり、1982年、20頁)
従って、
(12)により、
(13)
① 地 乙 下 二 一 上 甲 天
② 二 下 乙 地 天 甲 上 一
に於いて、
① は、「返り点」であるが、
② は、「返り点」ではない。
然るに、
(14)
① 地 乙 下 二 一 上 甲 天
② 二 下 乙 地 天 甲 上 一
を、「一二点」だけで表すと、
① 八 六 四 二 一 三 五 七
② 二 四 六 八 七 五 三 一
(15)
① 八 六 四 二 一 三 五 七
② 二 四 六 八 七 五 三 一
を、「数字」に置き換へると、
① 8 6 4 2 1 3 5 7
② 2 4 6 8 7 5 3 1
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
① 地 乙 下 二 一 上 甲 天
は、「返り点」であるが故に、「返り点」は、
① 8 6 4 2 1 3 5 7
といふ「順番」を、表すことが出来る。一方で、
② 二 下 乙 地 天 甲 上 一
は、「返り点」はないが故に、「返り点」は、
② 2 4 6 8 7 5 3 1
といふ「順番」を、表すことが、出来ない。
然るに、
(17)
① 八{六[四〔二(一)三〕五]七}
に於いて、
① 二( )⇒( )二
① 四〔 〕⇒〔 〕四
① 六[ ]⇒[ ]六
① 八{ }⇒{ }八
とすると、
① 八{六[四〔二(一)三〕五]七}⇒
① {[〔(一)二三〕四五]六七}八。
従って、
(17)により、
(18)
① { [ 〔 ( ) 〕 ] }
といふ「括弧」も、
① 八 六 四 二 一 三 五 七
① 8 6 4 2 1 3 5 7
といふ「順番」を、表すことが出来る。
然るに、
(19)
② 二(四[六〈八「七《五{三〔一)〕]}〉》」
に於いて、
② 二( )⇒( )二
② 三〔 〕⇒〔 〕三
② 四[ ]⇒[ ]四
② 五{ }⇒{ }五
② 六〈 〉⇒〈 〉六
② 七《 》⇒《 》七
② 八「 」⇒「 」八
とすると、
② 二(四[六〈八「七《五{三〔一)〕]}〉》」⇒
②([〈「《{〔一)二〕三]四}五〉六》七」八。
従って、
(19)により、
(20)
② ( [ 〈 「 《 { 〔  ) 〕 ] } 〉 》 」
といふ「それ」は、
② 二 四 六 八 七 五 三 一
② 2 4 6 8 7 5 3 1
といふ「順番」を、表すことが出来る。
然るに、
(07)(08)により、
(21)
① { [ 〔 ( ) 〕 ] }
② ( [ 〈 「 《 { 〔  ) 〕 ] } 〉 》 」
に於いて、
① は、「括弧」であるが、
② は、「括弧」ではない。
従って、
(18)(20)(21)により、
(22)
① { [ 〔 ( ) 〕 ] }
は、「括弧」であるが故に、「括弧」は、
① 8 6 4 2 1 3 5 7
といふ「順番」を、表すことが出来る。一方で、
② ( [ 〈 「 《 { 〔  ) 〕 ] } 〉 》 」
は、「括弧」はないが故に、「括弧」は、
② 2 4 6 8 7 5 3 1
といふ「順番」を、表すことが、出来ない。
従って、
(16)(22)により、
(23)
「返り点・括弧」は、
① 8>6>4>2>1<3<5<7
といふ「順番」を、
① 1<2<3<4<5<6<7<8
といふ、「昇べき順」に、「並び替へる(ソート)」することは、可能である、一方で、
② 2<4<6<8>7>5>3>1
といふ「順番」を、
① 1<2<3<4<5<6<7<8
といふ、「昇べき順」に、「並び替へる(ソート)」することは、可能ではない。
(24)
③ 2(3〔1)〕
に於いて、
③ 2( )⇒( )2
③ 3〔 〕⇒〔 〕3
とすると、
③ 2(3〔1)〕⇒
③ (〔1)2〕3。
然るに、
(07)により、
(25)
③ ( 〔 ) 〕
は、「括弧」ではない。
従って、
(24)(25)により、
(26)
「括弧」は、
③ 2<3>1
といふ「順番」を、表すことが出来ない。
然るに、
(27)
③ 二 三 一
といふ「返り点」は、見たことがない。
言ひ換へると、
(28)
③ 注不意。
と書いて、
③ フチュウイ。
と読むやうな「漢文」は、見たことがない。

従って、
(24)~(28)により、
(29)
「返り点・括弧」は、
③ 2<3>1
といふ「順番」を、表すことが出来ない。
従って、
(23)(29)により、
(30)
「返り点・括弧」は、
③ 2<3>1
② 2<4<6<8>7>5>3>1
といふ「順番」を、
① 1<2<3
① 1<2<3<4<5<6<7<8
といふ、「昇べき順」に、「並び替へる(ソート)」することが、出来ない。
従って、
(30)により、
(31)
「返り点・括弧」は、
② L<M>N & L=N+1
といふ「順番」を、
② N<L<M
といふ「順番」に、「並び替へる(ソートする)」ことが、出来ない。
従って、
(01)~(31)により、
(32)
「返り点」であれば、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
⑥ 一レ 上レ 甲レ 上レ
といふ「6種類」の中の、
② 上 中 下
④ 天 地 人
に於いて、「不足」が生じない限り、
「括弧」であれば、
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
の次の、
⑥ 《 》
を「必要」としない限り、「返り点」と「括弧」は、「同じ順番」だけを、示すことが、出来る。
従って、
(32)により、
(33)
「返り点」が表すことが出来る「順番」の「集合」と、「括弧」が表すことが出来る「順番」の「集合」は、原理的に、等しい。
然るに、
(34)
④ 下 二 上 一
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 三レ 一
といふ「それ」は、
④ 4>2<3>1
⑤ 2<5>3>1<4
⑥ 2<4 3>1
であるため、
④ 2<3>1 & 2=1+1
⑤ 2<5>1 & 2=1+1
⑥ 2<4>1 & 2=1+1
といふ「順番」を、
④ 1<2<3
⑤ 1<2<5
⑥ 1<2<4
といふ「順番」に、「並び替へる(ソートする)」ことが、出来る。
従って、
(31)(34)により、
(35)
④ 下 二 上 一
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 三レ 一
といふ、これらが、「返り点」であるとすると、「矛盾」する。
従って、
(35)により、
(36)
④ 下 二 上 一
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 三レ 一
は、「返り点」ではない。
従って、
(37)
④ 只‐管要纏我。
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑤ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑥ 吃了不多酒。
に付く、
④ 下 二 上 一
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 三レ 一
といふ「それ」は、「返り点」ではない。
然るに、
(38)
「返読」をするにも拘はらず、「返り点」を付けることが出来ない「漢文」は、存在しない。
従って、
(37)(38)により、
(39)
④ 只‐管要纏我。
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑤ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑥ 吃了不多酒。
は、「漢文」ではない。
cf.


加へて、
(40)
「原文(文言文)」で「曾子曰、敢問聖人之徳、無以加於孝乎(曾子曰く、敢えて問う 聖人の徳、以て孝に加うること無きか)」というところが、当時の口語訳(白話文)では「曾子問、孔子道聖人行的事、莫不更有強如孝道的勾當麽」となり、「孝莫大於厳父、厳父莫大於配天(孝は父を厳ぶより大なるは莫く、父を厳ぶは天に配するるよりは大なるは莫し)」というところが、白話訳では、 「孝的勾當都無大似的父親的、敬父親的勾當便似敬天一般」となっている。両者の違いは一目瞭然であろう(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、312頁)。
然るに、
(41)
⑦ ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(方丈記、冒頭)。
⑧ ゆく河の流れは絶えることがなく、しかももとの水ではない(現代語)。
に於いて、
⑦が分れば、
⑧が分からない。といふことは、有り得ない。
然るに、
(42)
⑦ 孝莫大於厳父、厳父莫大於配天。
⑧ 孝的勾當都無大似的父親的、敬父親的勾當便似敬天一般。
の場合は、
⑦は、分るのに、
⑧は、全く、分らない。
加へて、
(43)
しかし私が専門にしている中国明清の白話小説は必ずしも漢文訓読の方法では読めません。「白話」というのは話し言葉をもとにした書面語で、それを読むためには現代中国語の知識が必要になります。皆さんがよく知っているでしょう『三国志演義』・『水滸伝』・『西遊記』・『封神演義』などはみな白話で書かれている長編小説です。これらの小説を読むためには、まず現代中国語をしっかり学ばなければなりません(Webサイト:中川諭|大東文化大学)。簡潔を旨として作られた文言文とは異なり、話し言葉に基づく白話文は、本来訓読には適していない(実際、現在では白話文の訓読はほとんど行われていない)。しかし江戸時代、白話文は訓読されていた(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、330頁)
従って、
(37)~(43)により、
(44)
④ 只‐管要纏我。
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑤ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑥ 吃了不多酒。
⑦ 孝的勾當都無大似的父親的、敬父親的勾當便似敬天一般。
といふ「白話(中国語)」は、「返り点」を付けることさへ「不可能」な、「漢文」とは、「全く異なる言語」である。と、せざるを得ない。
(45)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
然るに、
(46)
① 見〔釣(於濮水)〕⇔
① 〔(濮水に)釣るを〕見る。
の「語順」は、「全く反対」である。
従って、
(45)(46)により、
(47)
① 見〔釣(於濮水)〕⇔
① 〔(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、
① 〔 ( ) 〕
① 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、「補足構造(シンタックス)」を、表してゐる。
従って、
(47)により、
(48)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕⇒
① 我〔荘子(於濮水)釣〕見=
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、
① 〔 ( ) 〕
① 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、「補足構造(シンタックス)」を、表してゐる。
然るに、
(49)
① 〔 ( ) 〕は、
① 〔 ( ) 〕に、等しい。
従って、
(48)(49)により、
(50)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕。
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、「シンタックス(括弧)」は、等しい。
然るに、
(51)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕。
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、「語順」は、等しくない。
従って、
(50)(51)により、
(52)
「シンタックス」が等しければ「語順」も等しい。とは、言へない。
従って、
(52)により、
(53)
「語順が等しい」ことは、「シンタックスが等しい」ための、「十分条件」ではあっても、「必要条件」ではない。
(54)
Wh移動 :意味を導くための深層構造が必要だという説明の時に、一番最初に取り上げられたのは疑問詞が文頭にある疑問文でした。主語はともかく、目的語が動詞の直後ではなく、動詞の前しかも文の先頭にあるという事実を説明するためには、目的語である疑問詞がちゃんと動詞の直後にある深層構造を設定すればよいわけです(町田健、チョムスキー入門、2006年、117頁)。
然るに、
(55)
目的語である疑問詞(What)が、
ちゃんと動詞(doing)の直後に在る。
とすれば、
② are you doing What here=
② are[you doing〔What(here)〕]⇒
③ [you 〔(here)What〕doing]are=
② [あなたは〔(ここで)何を〕して]ゐる。
に於ける、「括弧(シンタックス)」は、
② [ 〔 ( ) 〕 ]
② [ 〔 ( ) 〕 ]
である。
従って、
(55)により、
(56)
② are you doing What here ?
② あなたはここで何をしてゐる。
に於いて、「語順」は異なるが、「括弧(シンタックス)」は、等しい。
然るに、
(57)
② are you doing What here ?
に於いて、
目的語である疑問詞(What)が、「Wh移動」をすると、
③ What(are[you doing〔here)〕]⇒
③ ([you〔here)What〕doing]are =
③ ([あなたは〔ここで)何を〕して]ゐる。
然るに、
(07)により、
(58)
③ ( [ 〔 ) 〕 ]
③ ( [ 〔 ) 〕 ]
は「括弧」ではない。
従って、
(55)~(58)により、
(59)
③ What are you doing  here ?
③ あなたはここで何をしてゐる。
の場合は、「語順」と「シンタックス」の、両方が、等しくない。
従って、
(54)~(59)により、
(60)
③ Wha are you doing here ?
③ あなたはここで何をしてゐる。
のいふ「英語」と「日本語」は、「深層構造」に於いて、「シンタックス」が、等しい?
(61)
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本的構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、その通例であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が、疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前に置かれる。このように漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に「強調」したものにちがいない(鈴木直治、中国語と漢文、334・335頁)。「排他的命題」を主張する「目的」が、「強調」に繋がり、「強調」しようといふ「意識」が、「疑問詞」の「前置」をプロモートする。
従って、
(61)により、
(62)
③ are you doing What here ?
に於ける、
③ What
が、「強調」を「目的」として「前置」され、尚且つ、その「前置」が、「固定」された「結果」が、
② What are you doing here ?
であると、思はれる。
(63)
今の日本の中学・中学では英語・数学・国語を主要3教科と呼んでいますが、戦前、旧制の中学では英語・数学・国語・漢文が主要4教科でした。漢文は国語とは独立した教科だったんですね。読解はもとより、復文(書き下し文から原文を復元)や作文もやるし、これだけ高度な学習内容でしたから、白文の読解もなんのそのでした。しかし戦後、漢文は国語の一部である古典分野の、そのまた片隅に追いやられてしまいました。漢文の得意な教師は少なく、漢文に興味を持つ生徒も少なく、おまけに最近は大学入試科目から漢文が消えつつあるので、みんないやいやながら学んでいます。内容もたいしたことはなく、学者先生が返り点と送り仮名をつけた文章をえっちらおっちら読む程度です(Webサイト:漢文入門)。
(64)
受験の際に、暗誦した、
① 欲は人の無き能はざる所なりと雖も、然れども多くして節せざれば未だ其の本心を失はざる者有らざるなり。
といふ「日本語」を思い出して、①を、
② 欲雖人之所不能無、然多而不節未有不失其本心者也。
といふ「漢文」に「復文」して、③のやうに、「括弧」で括ったとする。
③ 欲雖[人之所[不〔能(無)〕]、然多而不(節)未{有[不〔失(其本心)〕者]}也。
然るに、
(65)
③ 欲雖[人之所[不〔能(無)〕]、然多而不(節)未{有[不〔失(其本心)〕者]}也 ⇒
③ 欲は{人の[〔(無き)能は〕不る]所なりと雖へども、然れども多くし而(節せ)不れば未だ{[〔(其の本心を)失は〕不る者]有ら}ざるなり。
に対応する「返り点」は、
③ 二 一レ レ レ、レ レ 下 レ 二 一 上
である。
(66)
① 若し日本の中学生に必ず能く漢文を読まんと欲する者有らば則ち宜しく括弧を以て其の管到を学ぶ可し。
といふ「日本語」を思ひ浮かべて、①を、
② 若日本之中学生有必欲能読漢文者則宜以括弧学其管到。
といふ「漢文」に「復文」して、③のやうに、「括弧」で括ったとする。
③ 若日本之中学生有[必欲〔能読(漢文)〕者]則宜〔以(括弧)学(其管到)〕。
然るに、
(67)
③ 若日本之中学生有[必欲〔能読(漢文)〕者]則宜〔以(括弧)学(其管到)〕⇒
③ 若し日本の中学生に[必ず〔能く(漢文を)読まんと〕欲する者]有らば則ち宜しく〔(括弧を)以て(其の管到を)学〕可し。
に対応する「返り点」は、
③ 下 三 二 一 上 下 二 一 中 上
である。
然るに、
(68)
日本人が漢文を書く場合、漢文直訳体の日本語である漢文訓読は、有力な道具となり得る。まず頭のなかで漢文訓読体の日本語を思ひ浮かべ、それを漢文の語序にしたがって書く。次に、そうして書きあがった漢文を自分で訓読し、定型的な「句法」で訓読できない箇所はないか、返り点に無理はないか、などをチェックする。実際に漢詩・漢文を自分で書いてみればわかることだが、日本人が音読直読だけで純正漢文を書くことは、なかなかに難しい(そもそも漢文の音読直読ができる現代中国人でも、純正漢文が書ける者は少ない)。― 中略、― しかし専門家ではない一般知識人がそのレベルに達するには、大変な修練を必要とする。一方、漢文訓読を介して漢詩文を書くというメソッドならば、一般人でも修得が可能である(勉誠出版、「訓読」論、2008年、265・6頁)。
従って、
(63)~(68)により、
(69)
出来るだけ多くの「訓読」を暗誦して、その「暗誦」した「訓読」を、「復文」出来るやうにしてゐれば、その内に、平成の日本人であっても、江戸時代の日本人(一般の知識人)のやうに、「漢文」が書けるやうに、なるはずである。
然るに、
(70)
(青木)二百年前、正徳の昔に於て荻生徂徠は夙に道破した。漢学の授業法はまず支那語から取りかからねばならぬ。教うるに俗語を以てし、誦するに支那音を以てし、訳するに日本の俗語を以てし、決して和訓廻環の読み方をしてはならぬ。先ず零細な二字三字の短句から始めて、後には纏った書物を読ませる、斯くて支那語が熟達して支那人と同様になつてから、而る後段々と経子史集四部の書を読ませると云う風にすれば破竹の如しだ、是が最良の策だ(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
(倉石)徂徠は、単に唐音を操るといふ様なことに満足せず、漢文を学ぶには先ず支那語からとりかり、支那の俗語をば支那語で暗誦させ、これを日本語の俗語に訳し、決して和訓の顚倒読みをしてはならない、始めは零細な二字三字の句から始めて、遂に纏った書物を読ます、支那語が支那人ほど熟達してから、古い書物を読ませば、破竹の勢いで進歩すると説いた(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
(71)
予嘗為(蒙生)定(学問之方法)、先為(崎陽之学)、教以(俗語)、誦以(華音)、訳以(此方俚語)、絶不〔作(和訓廻環之読)〕、始以(零細者)、二字三字為(句)、後使[読〔成(書)者〕]}、崎陽之学既成、乃始得〔為(中華人)〕、而後稍稍読(経子史集四部書)、勢如(破竹)、是最上乗也 ⇒
予嘗(蒙生)為(学問之方法)定、先(崎陽之学)為、教(俗語)以、誦(華音)以、訳(此方俚語)以、絶〔(和訓廻環之読〕作〕不、始(零細者)以、二字三字(句)為、後[〔(書)成者〕読]使、崎陽之学既成、乃始〔(中華人)為〕得、而後稍稍(経子史集四部書)読、勢(破竹)如、是最上乗也 =
予嘗て(蒙生の)為に(学問の方法を)定め、先ず(崎陽の学を)為し、教ふるに(俗語を)以てし、誦ずるに(華音を)以てし、訳するに(此の方の俚語を)以てし、絶へて〔(和訓廻環の読みを〕作さ〕ず、始めは(零細なる者を)以て、二字三字(句と)為し、後に[〔(書を)成す者を〕読ま]使めば、崎陽の学既に成り、乃ち始めて〔(中華の人)為る〕得、而る後に稍稍(経子史集四部書を)読まば、勢ひ(破竹の)如く、是れ最上の乗なり。
と読むのかどうかは、別にして、荻生徂徠自身は、この方法で、漢文を書くやうになったわけではない。はずである。
(72)
江戸に生まれる。幼くして学問に優れ、林春斎・林鳳岡に学んだ。しかし延宝7年(1679年)、当時館林藩主だった徳川綱吉の怒りにふれた父が江戸から放逐され、それによる蟄居にともない、14歳にして家族で母の故郷である上総国長柄郡本納村(現・茂原市)に移った[1]。 ここで主要な漢籍・和書・仏典を13年あまり独学し、のちの学問の基礎をつくったとされる(ウィキペディア)。
といふのであれば、荻生徂徠自身は、「漢文を学ぶ際に先ず支那語からとりかかってはゐない」。
加へて、
(73)
『漢語文法論(古代編)、1967年』、『漢語文法論(中古編)、1971年』の著者である、牛島徳次郎氏は、『中国古典の学び方、1977年、59・60頁』の中で、「学而優則仕(学びて優なれば則使ふ)」といふ、「返り点」さへ付かない、「これ以上簡単なそれが無いくらひに簡単の漢文(論語)」を、「中国語の知識」では、読めなかった。といふ風に、書かれてゐる。
cf.
学部の2年生でこの学習会に参加していた者たち二三人が、あるとき連れ立ってわたしの所に来、「学而優則仕」と書いた紙切れを示して、これはどういう意味ですかと、たずねた。どうしたのか、と聞くと、数日前の”記録新聞”に出て来て、そのときの「注釈」を聞きながら書くことは書いたが、意味がわからないので、という。そうか、これは『論語』の中の句で、「学んでゆとりがあったら官吏になる」ということだと説明した。それから1週間か十日ぐらいたったある夜、わたしは何か所かわからない箇所があった。あとで、みんなで読み合わせ、突き合わせて解読して行くうち、わたしが「次の一句が全然わからなかった。」というと、そばにいた二三人の学生が一斉に笑い出して、いった。「先生、そこはこの間、先生がぼくたちに教えてくれた”xue er you ze shi”ですよ!」これが私であり、あとで述べる「A先生」なのである。漢字で書かれた”学而優則仕”を見ると、一応”xue er you ze shi”と発音することはする。
従って、
(72)(73)により、
(74)
「支那の言語や文字を研究するのに、漢文と支那語の様な区別を設けてゐるのは、世界中、日本だけで、支那はもとより、ヨーロッパやアメリカで支那学を研究するにも、そんな意味のない
区別など夢にも考へてゐない。西洋人が支那のことを研究するには、何よりも先き、支那の現代の言葉を学び、現代人の書く文章を読み、それから次第に順序を追うて、古い言葉で書いた書物を読んで、支那民族の文化の深淵を理解する。アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである(勉誠出版、「訓読」論、2008年、57頁)。
といふ「主張」が、必ずしも、正しいとは、思へない。
(75)
先に示した、
④ 只‐管要纏我。
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑤ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑥ 吃了不多酒。
⑦ 孝的勾當都無大似的父親的、敬父親的勾當便似敬天一般。
を見る限り、「漢文」と「白話(中国語)」は、「英語」と「ラテン語」と同じくらひ、異なってゐるやうに思へるが、「ラテン語」を学ぶには、先ず、「英会話」を学ぶべきであると、考へる人は、ゐないはずである。
(76)
いづれにせよ、
アイヌ語や、ゲール語や、ピダハン語が、「消滅」してはならないのであれば、たとへ、「話し言葉」ではなくとも、明らかに、ユニークな「漢文訓読」は、「消滅」すべきではない。
(77)
漢字はことばではない、文字である。多くの文化人はそのことにふれずして、日本語論を語る。その結果、「訓読みは日本人の発明だ!」などという論調が蔓延してしまっているが、そ
んな日本と日本人の漢字礼讃傾向に、著者は真っ向から反論する書である(田中克彦、漢字が日本語をほろぼす、2011年、Amazonの書評?)。
(78)
このやうに、
During the past 160 years since Japan's chained doors were forced to open,
「漢字(漢文)」を亡ぼしたい人々が、常にゐる。
願はくは、彼等こそ、日本から、ゐなくならむ。
平成27年10月11日、毛利太。

2015年10月3日土曜日

返り点に対する「括弧(函)」の用法Ⅲ。

(01)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕⇒
① 我〔荘子(於濮水)釣〕見=
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
然るに、
(02)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕。
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於ける、
① 〔 ( ) 〕
① 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、
① といふ「漢文の補足構造」を表してゐて、
① といふ「訓読の補足構造」を表してゐる。
然るに、
(04)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕。
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於いて、
① 〔 ( ) 〕と、
① 〔 ( ) 〕は、等しい。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 我見〔荘子釣(於濮水)〕。
① 我〔荘子の(濮水に)釣るを〕見る。
に於いて、「語順」は異なるが、「補足構造(シンタックス)」は、等しい。
然るに、
(06)
② I saw〔her standing(there)〕⇒
② I 〔her(there)standing〕saw =
② 私は〔彼女が(そこに)立ってゐるのを〕見た。
(07)
③ You are[doing〔what(here)〕]⇒
③ You [〔(here)what〕doing]are=
③ あなたは[〔(ここで)何を〕して]ゐる。
従って、
(04)~(07)により、
(08)
① 我見荘子釣於濮水。
② I saw her standing there.
③ You are doing what here?
といふ「補足構造」は、それぞれ、
①    〔 ( ) 〕
②    〔 ( ) 〕
③ [ 〔 ( ) 〕 ]
を介して、
① 我荘子の濮水に釣るを見る。
② 私は彼女がそこに立ってゐるのを見た。
③ あなたは、ここで何をしてゐる。
といふ「補足構造」に、等しい。
然るに、
(09)
④ What(are[you doing〔here)〕]⇒
④ ([you〔here)What〕doing]are =
④ ([あなたは〔ここで)何を〕して]ゐる。
に於ける、
④ ( [ 〔 ) 〕 ]
④ ( [ 〔 ) 〕 ]
は、「括弧」とは、言へない。
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
③ You are doing what here? ⇒
③ あなたは、ここで何をしてゐる。
④ What are you doing here? ⇒
④ あなたは、ここで何をしてゐる。
に於いて、
③ であれば、「語順」は異なるが、「補足構造(シンタックス)」は、等しい。
④ であれば、「語順」は異なるし、「補足構造(シンタックス)」も、等しくない。
cf.
英語はWH句を義務的に移動しなくてはいけない言語である。このWH句の移動を制限する制約がある。その制約を一般にWHの島の制約と呼んでいる。島となるのは複合名詞句と文主語
と等位構造である(Webサイト:英語は - nifty)。
然るに、
(11)
③ 四[三〔二(一)〕]⇒
③[〔(一)二〕三]四。
④ 三(五[一四〔二)〕]⇒
④ ([一〔二)三〕四]五。
従って、
(10)(11)により、
(12)
③ You are doing what here? ⇒
③ あなたは、ここで何をしてゐる。
に付く「返り点」は、
③ 四 三 二 一
であって、
④ What are you doing here? ⇒
④ あなたは、ここで何をしてゐる。
に付く「返り点」は、
④ 三 五 一 四 二
であるものの、
④ 三 五 一 四 二
といった、「ユニークなそれ」は、「漢文訓読」では有り得ない。
然るに、
(13)
「漢文訓読」ではなく、「白話(中国語)訓読」であれば、(14)で示す通り、
⑤ 下 二 上 一
⑥ 二 五 三 一 四
⑦ 二 三レ 一
といふ、「ユニークなそれ」を、見ることが、出来る。
(14)

cf.
訓読法の限界は、白話文、つまり口語の文章には適用できないことだといわれます。つまり、文語(文言)の文章だけしか訓読法で読むことができないのです。中国語の文語文(つまり漢文)は、漢字の表意文字たる性質を十二分に生かして、簡潔な表現になっておりますから、訓に非常に適しています。これに対し、白話(口語)の文章は、熟語や助字が多く、冗長です。そのため訓読には不向きなのです(Webサイト:日本漢文の世界)。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)

What are you doing here? ⇒
④ あなたは、ここで何をしてゐる。
⑤ 只‐管要纏我 ⇒
⑤ ヒタスラ 我ガ ヤツカイニナル。
⑥ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来 ⇒
⑥ 端的に這の婆子の本事を看出だし来たらず。
⑥ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来 ⇒
⑥ 西門慶促忙促急に床を儧造し出し来たらず。
⑦ 吃了不多酒 ⇒
⑦ 吃むこと多からず。
に付く「それは」は、
④ 三 五 一 四 二
⑤ 下 二 上 一
⑥ 二 五 三 一 四
⑦ 二 三レ 一
であるものの、
⑤ 下 二 上 一
⑦ 二 三レ 一
の場合は、このやうな「それ」が「返り点」でないことについての、「明言」が有る。
すなはち、
(16)
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。(原田種成、私の漢文講義、1995年、41・43頁)
とある以上、
 二 一 
ではない、
 二  一
は、「返り点」ではない。
加へて、
(17)
三・四点も同じくレ点といっしょにはならない(江連隆、総合新漢文、1968年、15頁)。
とある以上、
⑦ 三レ 
は、有り得ないため、
⑦ 二 三レ 一
は、「返り点」ではない。
(09)により、
(18)
④ 三 五 一 四 二
⑤ 下 二 上 一
⑥ 二 五 三 一 四
⑦ 二 三レ 一
といふ四つの内の、
④ 三 五 一 四 二
に対する「括弧」
④ ( [ 〔 ) 〕 ]
である。
(19)
⑤ 下 二 上 一
⑥ 二 五 三 一 四
⑦ 二 三レ 一
の場合、
⑤ 四 二 三 一
⑥ 二 五 三 一 四
⑦ 二 四 三 一
と「同じこと」であるが、
⑤ 四[二(三〔一)〕]
⑥ 二(五[三〔一)〕四]
⑦ 二(四[三〔一)〕]
である。
従って、
(18)(19)により、
(20)
④ ( [ 〔 ) 〕 ]
⑤ [ ( 〔 ) 〕 ]
⑥ ( [ 〔 ) 〕 ]
⑦ ( [ 〔 ) 〕 ]
であって、
④ 三 五 一 四 二
⑤ 四 二 三 一
⑥ 二 五 三 一 四
⑦ 二 四 三 一
であって、それ故、
④ 3<5 1 4>2
⑤ 4 2<3>1
⑥ 2<5 3 1>4
⑦ 2<4 3>1
であるものの、「結論」だけを、書くならば、
④ L<M>N & L=N+1
といふ「語順」を含まない限り、「括弧」と「返り点」が、成立する。
従って、
(21)
④ 3<5 1 4>2
⑤ 4 2<3>1
⑥ 2<5 3 1>4
⑦ 2<4 3>1
といふ「順番」を、
④ 5>3 1 2<4
⑤ 4 3>2>1
⑥ 5>3 2 1<4
⑦ 4>2 1<3
といふ「順番」に換へれば、「括弧」と「返り点」は、成立する。
すなはち、
(22)
④ 5>3 1 2<4
⑤ 4 3>2>1
⑥ 5>3 2 1<4
⑦ 4>2 1<3
であれば、
④ 5〔3(12)4〕
⑤ 4[3〔2(1)〕]
⑥ 5[3〔2(1)〕4]
⑦ 4〔2(1)3〕
であるため、
④ 〔 ( ) 〕
⑤ [ 〔 ( ) 〕 ]
⑥ [ 〔 ( ) 〕 ]
⑦ 〔 ( ) 〕
は、「括弧」であり、
④ 5>3 1 2<4
⑤ 4 3>2>1
⑥ 5>3 2 1<4
⑦ 4>2 1<3
といふ「順番」は、
④ 下 二 一 上
⑤ レ レ レ
⑥ 二 レ レ 一
⑦ 二 レ 一
といふ「返り点」に、相当する。
cf.

平成27年10月03日、毛利太。

2015年10月1日木曜日

返り点に対する「括弧(函)」の用法Ⅱb。

(01)
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
は、「返り点」である。
(02)
(03)~(21)に於いて、
① 二 三 一
② 下 二 上 一
③ 二 下 三 一 上
④ 三 二レ 一
といふ「順番」は、「返り点」ではない。といふことを、説明します。
(03)
① 不注意=意を注がず。
の「返り点」は、
① レ レ
である。
(04)
① 注不意=意を注がず。
の「返り点」は、敢へて、さうするのであれば、
① 二 三 一
である。
cf.


然るに、
(05)
注意=意を注がず。
に対して、
① 注意=意を注がず。
といふ「漢文」は、有り得ないし、
① レ レ
① 三 二 一
に対して、
① 二 三 一
といふ「返り点」は、見たことが無い。
(06)
一・二点をはさんで返る時は上・中・下点。上・中・下点をはさんで返る時は甲・乙点。甲・乙点をはさんで返る時は天・地(天・地・人)点である(志村和久、漢文早わかり、1982年、20頁)。
然るに、
(07)
② 四 二 三 一
の場合は、
② 二 をはさんで、
② 三 から
② 四 へ返ってゐる。
従って、
(06)(07)により、
(08)
② 四 二 三 一
の場合は、
② 下 二 上 一
でなければ、ならない。
然るに、
(09)
② 下 二 上 一
であれば、
 二  
であって、尚且つ。
② 二  一
である。
然るに、
(10)
 二  
であれば、「上下点」が、「一二点」を挟んゐて、
② 二  一
であれば、「一二点」が、「上下点」を挟んゐる。
然るに、
(11)
一二点(一・二・三・・・・・・)二字以上を隔てて返る場合。
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。(原田種成、私の漢文講義、1995年、41・43頁)
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
② 下 二 上 一
といふ「それ」は、「返り点」ではない。
(13)
③ 二 五 三 一 四
の場合は、
③ 三 一 をはさんで、
③ 四 から
③ 五 へ返ってゐる。
従って、
(02)(13)により、
(14)
② 二 五 三 一 四
の場合は、
② 二 下 三 一 上
でなければ、ならない。
然るに、
(15)
② 二 下 三 一 上
であれば、
② 下 三 一 上
であって、尚且つ、
② 二 下 三 一
である。
然るに、
(16)
 三 一 
であれば、「上下点」が、「一二点」を挟んゐて、
② 二  三 一
であれば、「一二点」が、「上下点」を挟んゐる。
従って、
(11)(15)(16)により、
(17)
② 二 下 三 一 上
といふ「それ」は、「返り点」ではない。
(18)
③ 三 二レ 一
であれば、
③ 三 二 一 一
となって、
③ 一 一
となるため、
③ 二レ
といふ「返り点」は、有り得ない。
(19)
③ 四 三レ 二 一
であれば、
③ 四 三 二 二 一
となって、
③ 二 二
となるため、
③ 三レ
といふ「返り点」も、有り得ない。
従って、
(18)(19)により、
(20)
(1)一とレ点とはいっしょになって「一レ」となる。
(2)二とレ点とはいっしょになって「二レ」にはならない。
(3)三・四点も同じくレ点といっしょにならない。
(江連隆、総合 新漢文、1968年、15頁改)
従って、
(20)により、
(21)
いづれにせよ、
③ 三レ
を含む、
③ 二 三レ 一
といふ「返り点」は、有り得ない。
従って、
(03)~(21)により、
(22)
① 二 三 一
② 下 二 上 一
③ 二 下 三 一 上
④ 三 二レ 一
といふ「順番」は、「返り点」ではない。
然るに、
(23)
その一方で、
② 只‐管要纏我 ⇒
② ヒタスラ 我ガ ヤツカイニナル。
③ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来 ⇒
③ 端的に這の婆子の本事を看出だし来たらず。
③ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来 ⇒
③ 西門慶促忙促急に床を儧造し出し来たらず。
④ 吃了不多酒 ⇒
④ 吃むこと多からず。
といふ「白話文(中国語)」に於ける「順番」は、(24)で示す通り、
② 下 二 上 一
③ 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
④ 二 三レ 一
である。
(24)

従って、
(22)(23)(24)により、
(25)
① 只‐管要纏我。
② 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
② 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
③ 吃了不多酒。
のやうな「中国語(白話文)」の場合は、「返り点」を加へることが、出来ない。
cf.
しかし私が専門にしている中国明清の白話小説は必ずしも漢文訓読の方法では読めません。「白話」というのは話し言葉をもとにした書面語で、それを読むためには現代中国語の知識が必要になります。皆さんがよく知っているでしょう『三国志演義』・『水滸伝』・『西遊記』・『封神演義』などはみな白話で書かれている長編小説です。これらの小説を読むためには、まず現代中国語をしっかり学ばなければなりません(Webサイト:中川諭|大東文化大学)。簡潔を旨として作られた文言文とは異なり、話し言葉に基づく白話文は、本来訓読には適していない(実際、現在では白話文の訓読はほとんど行われていない)。しかし江戸時代、白話文は訓読されていた(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、330頁)。
従って、
(05)(23)(25)により、
(26)
① 二 三 一
② 下 二 上 一
③ 二 下 三 一 上
④ 二 三レ 一
すなはち、
① 2<3>1
② 4 2<3>1
③ 2<5 3>1 4
④ 2<4 3>1
といふ「順番」には、「返り点」を加へることが、出来ない。
然るに、
(27)
① 3>2>1
② 4 3>2>1
③ 5>2 1<3 4
④ 4>2 1<3
に対する「返り点」は、
① レ レ
② レ レ レ
③ 二 レ 一
④ 二 レ 一
である。
従って、
(26)(27)により、
(28)
① 2<3>1
② 4 2<3>1
③ 2<5 3>1 4
④ 2<4 3>1
といふ「順番」には、「返り点」を加へることが、出来ないものの、
① 3>2>1
② 4 3>2>1
③ 5>2 1<3 4
④ 4>2 1<3
といふ「順番」には、「返り点」を加へることが、出来るであって、このことが、ここ迄の、「結論」である。
(29)
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
は、「返り点」であって、
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
は、「括弧」である。
(30)
(31)~(51)に於いて、
① 3>2>1
② 4 3>2>1
③ 5>2 1<3 4
④ 4>2 1<3
といふ「順番」には、「返り点」だけでなく、「括弧」を加へることが、出来るものの、
① 2<3>1
② 4 2<3>1
③ 2<5 3>1 4
④ 2<4 3>1
といふ「順番」には、「返り点」だけでなく、「括弧」を加へることが、出来ない。
といふことを、説明します。
(31)
① ( )は    「小さな函」。
② 〔 〕は   「中位の函」。
③ [ ]は    「大きな函」。
④ { }は 「より大きな函」。
⑤ 〈 〉は「もっと大きな函」。
に譬へることが、出来る。
(32)
①「小さな函」が、
②「中位の函」の中に、入ってゐる「状態」を、
② 〔 ( ) 〕
とする。
(33)
②「中位の函」が、
①「小さな函」の中に、入ってゐる「状態」を、
① ( 〔 〕 )
とする。
然るに、
(34)
②「Mサイズの箱」が、
①「Sサイズの箱」の中に、入ることは、物理的に、有り得ない。
従って、
(32)(33)(34)により、
(35)
① ( 〔 〕 )
① ( 〔 ) 〕
① 〔 ( 〕 )
といふ「函」は有り得ない。
但し、
(36)
② 〔( )〕
だけでなく、
② 〔( )( )〕
② 〔( )( )( )〕
であっても、
①「小さな箱」が、
②「中位の箱」の中に、入ることには、変はりがない。
従って、
(31)~(36)により、
(37)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
に於いて、
② の中には、一つ以上の ① が有って、
③ の中には、一つ以上の ② が有って、
④ の中には、一つ以上の ③ が有って、
⑤ の中には、一つ以上の ④ が有る。
ならば、その時に限って、「括弧(函)」とする。
(38)
① 3>2>1
である時、
① 3〔2(1)〕
とする。
(39)
① 3〔2(1)〕。
に於いて、
① 2( )⇒(1)2
① 3〔 〕⇒〔 〕3
とするならば、
① 3〔2(1)〕⇒
① 〔(1)2〕3。
といふ「並び替へ(ソート)」が、成立する。
然るに、
(40)
① 2<3>1
である時、
① 2(3〔1)〕
とする。
(41)
① 2(3〔1)〕
に於いて、
① 2( )⇒(1)2
① 3〔 〕⇒〔 〕3
とするならば、
① 2(3〔1)〕⇒
① (〔1)2〕3。
といふ「並び替へ(ソート)」が、成立する。
然るに、
(35)により、
(42)
① 〔 ( ) 〕
に対して、
① ( 〔 ) 〕
は、「括弧」ではない。
従って、
(40)(41)(42)により、
(43)
① 3〔2(1)〕⇒
① 〔(1)2〕3。
といふ「並び替へ(ソート)」に於ける、
① 〔 ( ) 〕
は、「括弧」であるが、
① 2(3〔1)〕⇒
① (〔1)2〕3。
といふ「並び替へ(ソート)」に於ける、
① ( 〔 ) 〕
は、「括弧」ではない。
従って、
(38)~(43)により、
(44)
① 3>2>1
といふ「順番」に対しては、「括弧」を用ゐて行ふ、
① 1<2<3
といふ「並び替へ(ソート)」が、可能である一方で、
① 2<3>1
といふ「順番」に対しては、「括弧」を用ゐて行ふ、
① 1<2<3
といふ「並び替へ(ソート)」は、可能ではない。
従って、
(45)
2<3>1
のやうに、
L<M>N
に於いて、
L=N+1
であるならば、「それら順番」は、「返り点」では表すことが出来ず、尚且つ、「函(括弧)」に、入らない。
(46)
L<M>N & L=N+1
といふことは、
N<L<M
といふ、ことである。
然るに、
(47)
L<M>N
を、
N<L<M
といふ「順番」に「並び替へる(ソートする)」ためには、
L(MN)
とした上で、
L(M〔N)〕
としなければならない。
然るに、
(48)
L(M〔N)〕
であれば、
( 〔 ) 〕
であるが、(29)により、
( 〔 ) 〕
は、「括弧」ではない。
然るに、
(49)
① 2<3>1
② 4 2<3>1
③ 2<5 3>1 4
④ 2<4 3>1
の場合は、全て、
L<M>N & L=N+1
といふ「順番」を含んでゐて、尚且つ、(37)により、
① 2(3〔1)〕⇒
① (〔1)2〕3。
② 4[2(3〔1)〕]⇒
② [(〔1)2〕3]4。
③ 2(5[3〔1)〕4]⇒
③ ([〔1)2〕34]5。
④ 2(4[3〔1)〕]⇒
④ ([〔1)2〕3]4。
に於ける、
① ( 〔 ) 〕
② [ ( 〔 ) 〕 ]
③ ( [ 〔 ) 〕 ]
④ ( [ 〔 ) 〕 ]
は、「括弧」ではない。
然るに、
(50)  
① 3>2>1
② 4 3>2>1
③ 5>2 1<3 4
④ 4>2 1<3
の場合は、全て、
L<M>N & L=N+1
といふ「順番」を含んでゐないし、尚且つ、(37)により、
① 3〔2(1)〕
② 4[3〔2(1)〕]
③ 5〔2(1)34〕
④ 4〔2(1)3〕
に於ける、
① 〔 ( ) 〕
② [ 〔 ( ) 〕 ]
③ 〔 ( ) 〕
④ 〔 ( ) 〕
は、「括弧」である。
従って、
(26)(27)(49)(50)により、
(51)
① 3>2>1
② 4 3>2>1
③ 5>2 1<3 4
④ 4>2 1<3
といふ「順番」には、「返り点」だけでなく、「括弧」を加へることが、出来るものの、
① 2<3>1
② 4 2<3>1
③ 2<5 3>1 4
④ 2<4 3>1
といふ「順番」には、「返り点」だけでなく、「括弧」を加へることが、出来ないのであって、このことが、ここ迄の、「結論」である。
(37)により、
(52)
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
は、「括弧(箱)」である。
然るに、
(53)
① 1F〈2E{3D[9〔7(456)8〕C(AB)]}〉。
に於いて、
F〈 〉⇒〈 〉F
E{ }⇒{ }E
D[ ]⇒[ ]D
9〔 〕⇒〔 〕9
7( )⇒( )7
C( )⇒( )C
とするならば、
① 1〈2{3[〔(456)78〕9(AB)C]D}E〉F。
従って、
(52)(53)により、
(54)
① 1<F>2<E>3<D>9>7>4<5<6<8<C>A<B
といふ「16進数」は、
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
といふ「括弧」を介して、
① 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F
といふ「昇べき順」に、「並び替へること(ソート)」が、可能である。
従って、
(54)により、
(55)
1=我
F=不
2=必
E=使
3=人
D=求
9=以
7=解
4=中
5=国
6=語
8=法
C=解
A=漢
B=文
であるならば、
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
といふ「括弧」を介して、
① 我不必使人求以解中国語法解漢文=
① 我不〈必使{人求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}〉=
① 1F〈2E{3D[9〔7(456)8〕C(AB)]}〉⇒
① 1〈2{3[〔(456)78〕9(AB)C]D}E〉F=
① 我〈必{人[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}使〉不=
① 我〈必ずしも{人をして[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}使め〉不=
① 私は必ずしも、人に対して、中国語を理解する方法を用ゐて、漢文を理解することを、求めさせない。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
(56)
① 我不必使人求以解中国語法解漢文
から、「返り点」が付かない「それ」を除くと、
F=不
E=使
D=求
9=以
7=解
6=語
8=法
C=解
B=文
然るに、
(57)
F=不 ⇒ 九=不
E=使 ⇒ 八=使
D=求 ⇒ 七=求
9=以 ⇒ 四=以
7=解 ⇒ 二=解
6=語 ⇒ 一=語
8=法 ⇒ 三=法
C=解 ⇒ 六=解
B=文 ⇒ 五=文
従って、
(06)(57)により、
(58)
九=不 ⇒ 戊=不
八=使 ⇒ 丁=使
七=求 ⇒ 丙=求
四=以 ⇒ 下=以
二=解 ⇒ 二=解
一=語 ⇒ 一=語
三=法 ⇒ 上=法
六=解 ⇒ 乙=解
五=文 ⇒ 甲=文
従って、
(58)により、
(59)
② 不使求以解語法解文=
② 不〈使{求[以〔解(語)法〕解(文)]}〉=
② 戊〈丁{丙[下〔二(一)上〕乙(甲)]}〉⇒
② 〈{[〔(一)二上下〕(甲)乙]丙}丁〉戊=
② 〈{[〔(語)解法〕以(文)解]求}使〉不=
② 〈{[〔(語を)解する法を〕以て(文を)解せんことを]求め}使め〉不。
従って、
(54)~(59)により、
(60)
① 我不必使人求以解中国語法解漢文。
② 不使求以解語法解文。
が入る「括弧(箱)」は、
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
② 〈{[〔( )〕( )]}〉
であって、「返り点」は、
① 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
② 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
である。
然るに、
(61)

従って、
(60)(61)により、
(62)
① 我不必使人求以解中国語法解漢文。
② 不使求以解語法解文。
に付く「返り点」は、両方とも、
① 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
② 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
であるものの、
② 不使求以解語法解文。
の場合は、「レ点」を用ゐる。といふ「規則」により、
② レ レ 下 二 レ 一 上レ 
としなければ、ならない。
(63)
③ 恐衆狙之不馴於己=
③ 恐[衆狙之不〔馴(於己)〕]⇒
③[衆狙之〔(於己)馴〕不] 恐=
③[衆狙の〔(己に)馴れ〕不るを] 恐る。
の「返り点」は、
③ 四 三  二 一
③ 二 一レ 二 一
の内の、
③ 二 一レ 二 一
である。
(64)
④ 非不読書=
④ 非[不〔読(書)〕]⇒
④ [〔(書)読〕不]非=
④ [〔(書を)読ま〕不る]非ず。
の「返り点」は、
④ 四 三 二 一
ではなく、
④ レ レ レ
である。
cf.
映像: 非不読書
然るに、
(65)
② レ レ 下 二 レ 一 上レ 
③ 二 一レ 二 一
④ レ レ レ
は、「レ点の使い方」の全てを、網羅する。
従って、
(01)~(65)により、
(66)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
といふ「括弧」は、「括弧の種類」が、「不足」しない限り、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
といふ「返り点」の「役割」を担ひ、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
は、「上 中 下」や「天 地 人」で、「不足」が生じない限り。
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
といふ「括弧」の「役割」を、担ふことになる。
(67)
「支那の言語や文字を研究するのに、漢文と支那語の様な区別を設けてゐるのは、世界中、日本だけで、支那はもとより、ヨーロッパやアメリカで支那学を研究するにも、そんな意味のない
区別など夢にも考へてゐない。西洋人が支那のことを研究するには、何よりも先き、支那の現代の言葉を学び、現代人の書く文章を読み、それから次第に順序を追うて、古い言葉で書いた書物を読んで、支那民族の文化の深淵を理解する。アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである(勉誠出版、「訓読」論、2008年、57頁)。
然るに、
(68)
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
といふ「括弧」を介して、
① 我〈必ずしも{人をして[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}使め〉不=
① 我〈必{人[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}使〉不⇒
① 我不〈必使{人求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}〉=
① 我不必使人求以解中国語法解漢文。
といふ「漢作文」が、可能であるといふことは、「漢文」と「訓読」に於いて、
A:「語順」は異なるが、
B:「括弧(シンタックス)」は等しい。
といふことを、意味してゐる。
従って、
(69)
既に確認したやうに、「中国語(白話)」に対して、しばしば、「返り点・括弧」が付けられないのであれば、その場合は、「和文」と「中国語(白文)」に於いて、
A:「語順」だけでなく、
B:「括弧(シンタックス)」等しくない
といふことを、意味してゐる。
加へて、
(70)
日本人が漢文を書く場合、漢文直訳体の日本語である漢文訓読は、有力な道具となり得る。まず頭のなかで漢文訓読体の日本語を思ひ浮かべ、それを漢文の語序にしたがって書く。次に、そうして書きあがった漢文を自分で訓読し、定型的な「句法」訓読できない箇所はないか、返り点に無理はないか、などをチェックする。実際に漢詩・漢文を自分で書いてみればわかることだが、日本人が音読直読だけで純正漢文を書くことは、なかなかに難しい(そもそも漢文の音読直読ができる現代中国人でも、純正漢文が書ける者は少ない)。
(勉誠出版、「訓読」論、2008年、265頁)
(71)
今の日本の中学・高校では英語・数学・国語を主要3教科と呼んでいますが、戦前、旧制の中学では英語・数学・国語・漢文が主要4教科でした。漢文は国語とは独立した教科だったんですね。読解はもとより、復文(書き下し文から原文を復元)や作文もやるし、これだけ高度な学習内容でしたから、白文の読解もなんのそのでした。しかし戦後、漢文は国語の一部である古典分野の、そのまた片隅に追いやられてしまいました。漢文の得意な教師は少なく、漢文に興味を持つ生徒も少なく、おまけに最近は大学入試科目から漢文が消えつつあるので、みんないやいやながら学んでいます。内容もたいしたことはなく、学者先生が返り点と送り仮名をつけた文章をえっちらおっちら読む程度です(Webサイト:漢文入門)。
従って、
(67)~(71)により、
(72)
ヨーロッパ人やアメリカ人にとってはともかく、日本人にとって、「音読直読」が、「漢文訓読」よりも、殊更に優れた「方法」であるとは、思へない。
(73)
仮に、「劣った方法」であらうとなからうと、アイヌ語や、ゲール語や、ピダハン語が、「消滅」してはならないのであれば、たとへ、「話し言葉」ではなくとも、明らかに、ユニークな「漢文訓読」は、「消滅」すべきではない。
平成27年10月01日、毛利太。

2015年9月28日月曜日

返り点に対する「括弧(箱)」の用法Ⅱ。

― 「昨日の記事」を、書き直します。―
(01)
① ( )は   「小さな函」。
② 〔 〕は   「中位の函」。
③ [ ]は   「大きな函」。
④ { }は 「より大きな函」。
⑤ 〈 〉は「もっと大きな函」。
に譬へることが、出来る。
(02)
①「小さな函」が、
②「中位の函」の中に、入ってゐる「状態」を、
② 〔 ( ) 〕
とする。
(03)
②「中位の函」が、
①「小さな函」の中に、入ってゐる「状態」を、
① ( 〔 〕 )
とする。
然るに、
(04)
②「Mサイズの箱」が、
①「Sサイズの箱」の中に、入ることは、物理的に、有り得ない。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① ( 〔 〕
① (  ) 〕
① 〔 ( 
といふ「函」は有り得ない。
但し、
(06)
② 〔( )〕
だけでなく、
② 〔( )( )〕
② 〔( )( )( )〕
であっても、
①「小さな箱」が、
②「中位の箱」の中に、入ることには、変はりがない。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
に於いて、
② の中には、一つ以上の ① が有って、
③ の中には、一つ以上の ② が有って、
④ の中には、一つ以上の ③ が有って、
⑤ の中には、一つ以上の ④ が有る。
ならば、その時に限って、「括弧(函)」とする。
(08)
② 3〔2(1)〕
に於いて、
② 2( )⇒( )2
② 3〔 〕⇒〔 〕3
とするならば、
② 〔(1)2〕3
といふ「並び替へ(ソート)」が、実現し、尚且つ、
② 〔 ( ) 〕
は、「括弧(函)」である。
従って、
(09)
② 不読書=
② 不〔読(書)〕=
② 3〔2(1)〕⇒
② 〔(1)2〕3=
② 〔(書)読〕不=
② 〔(書を)読ま〕不。
といふ「並び替へ(ソート)」が、成立する。
然るに、
(10)
③ 2 3 1
であれば、
③ 2(3 1)⇒
③(3 1)2
であって、
③(3 1)2
であれば、
③(3〔1)2〕⇒
③(〔1)2〕3
であるが、
③ (  ) 〕
である。
従って、
(11)
③ 2 3 1
であれば、
③ ( ) 〕
であるが、(05)により、
③ (  ) 〕
は、「括弧(函)」ではない。
(12)
④ 2 4 1 3
であれば、
④ 2(4 1)3⇒
④ (4 1)23
であって、
④ (4 1)23
であれば、
④ (4〔1)23〕⇒
④ (〔1)23〕4
であるが、
④ ( ) 〕
である。
従って、
(12)により、
(13)
④ 2 4 1 3
であれば、
④ ( ) 〕
であるが、(05)により、
④ ( 〔 ) 〕
は、「括弧(函)」ではない。
(14)
⑤ 4 2 1 3
であれば、
⑤ 4 2(1)3⇒
⑤ 4 (1)23
であって、
⑤ 4 (1)23
であれば、
⑤ 4〔(1)23〕⇒
⑤ 〔(1)23〕4。
であるが、
⑤ 〔 ( ) 〕
は、「括弧(函)」である。
従って、
(08)(11)(13)(14)により、
(15)
② 3>2>1
であれば、
② 〔 ( ) 〕
は、「括弧(函)」であるが、
③ 2<3>1
④ 2<4>1 3
であれば、
③ (  ) 〕
④ (  ) 〕
は、「括弧(函)」ではなく、
⑤ 4>2 1<3
であれば、
⑤ 〔 ( ) 〕
は、「括弧(函)」である。
従って、
(15)により、
(16)
③ 2<3>1
④ 2<4>1 3
のやうに、
③ L<M>N
に於いて、
③ L=N+1
であるならば、
③ L<M>N
といふ「順番」は、「函(括弧)」に、入らない。
(17)
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
に於いて、
一・二点をはさんで返る時は上・中・下点。上・中・下点をはさんで返る時は甲・乙点。甲・乙点をはさんで返る時は天・地(天・地・人)点である(志村和久、漢文早わかり、1982年、20頁)とする。
従って、
(18)
④ 2<4>1 3
であれば、
④ 二 四 一 三
であって、
④ 二 四 一 三
であれば、(17)により、
④ 二 下 一 上
である。
然るに、
(19)
④ 二 下 一 上
であれば、
④ 二 下 一 
④ 下 一 上
である。
然るに、
(20)
④ 二 下 一 
であれば、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
の間に、
② 上 中 下
が有って、
④ 下 一 上
であれば、
② 上 中 下
の間に、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
が有る。
然るに、
(21)
一二点(一・二・三・・・・・・)二字以上を隔てて返る場合。
上中下点(上・下、上・中・下)
必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。(原田種成、私の漢文講義、1995年、41・43頁)
従って、
(18)~(21)により、
(22)
④ 2<4>1 3
であれば、
④ 二 下 一 上
であるが、
④ 二 下 一 上
は、「返り点」ではない。
従って、
(16)(22)により、
(23)
④ 二 下 一 上
は、「返り点」ではなく、尚且つ、
④ 二 下 一 上
④ 2<4>1 3
といふ「順番」は、「函(括弧)」に、入らない。
然るに、
(24)
⑥ 四 二 三 一
⑦ 二 五 三 一 四
であれば、(17)により、
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 下 三 一 上
であるが、(21)により、
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 下 三 一 上
は、両方とも、「返り点」ではない。
加へて、
(16)により、
(25)
⑥ 下 二 上 一
⑥ 4 2<3>1
といふ「順番」は、「函(括弧)」に、入らず、
⑦ 二 下 三 一 上
⑦ 2<5 3>1 4
といふ「順番」も、「函(括弧)」に、入らない。
従って、
(24)(25)により、
(26)
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 下 三 一 上
といふ「それ」は、二つとも、「返り点」ではなく、尚且つ、
⑥ 下 二 上 一
⑥ 4 2<3>1
といふ「順番」と、
⑦ 二 下 三 一 上
⑦ 2<5 3>1 4
といふ「順番」は、二つとも、「函(括弧)」に、入らない。
(27)
⑧ 二 三レ 一
であれば、
⑧ 二 四 三 一
⑧ 2<4 3>1
であるが、(16)により、
⑧ 2<4 3>1
は、「函(括弧)」に、入らない。
然るに、
(28)
(1)一とレ点とはいっしょになって「一レ」となる。
(2)二とレ点とはいっしょになって「二レ」にはならない。
(3)三・四点も同じくレ点といっしょにならない。
(江連隆、総合 新漢文、1968年、15頁改)
すなはち、
(29)
⑧ 四 三レ 二 一
であれば、
⑧ 四 三 二 二 一
となって、
⑧ 二 二
となるため、
⑧ 三レ
は、有り得ないし、固より、
⑧ 二 三レ 一
などといふ「それ」が、「返り点」であるはずがないため、
⑧ 三レ
といふ「返り点」は、有り得ない。
従って、
(27)(29)により、
(30)
⑧ 二 三レ 一
⑧ 二 四 三 一
は、「返り点」ではなく、尚且つ、「函(括弧)」に、入らない。
従って、
(23)(26)(30)により、
(31)
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 五 三 一 四
⑧ 二 三レ 一
は、三つとも、「返り点」ではなく、尚且つ、「函(括弧)」に、入らない。
然るに、
(32)
その一方で、
⑥ 只‐管要纏我 ⇒
⑥ ヒタスラ 我ガ ヤツカイニナル。
⑦ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来 ⇒
⑦ 端的に這の婆子の本事を看出だし来たらず。
⑦ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来 ⇒
⑦ 西門慶促忙促急に床を儧造し出し来たらず。
⑧ 吃了不多酒 ⇒
⑧ 吃むこと多からず。
といふ「白話(中国)」に於ける「順番」は、(33)で示す通り、
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 五 三 一 四
⑦ 二 五 三 一 四
⑧ 二 三レ 一
である。
(33)

従って、
(31)(32)(33)により、
(34)
⑥ 只‐管要纏我。
⑦ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑦ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑧ 吃了不多酒。
といふ「白話文(中国語)」には、「返り点・括弧」を加へることが、出来ない。
然るに、
(35)
しかし私が専門にしている中国明清の白話小説は必ずしも漢文訓読の方法では読めません。「白話」というのは話し言葉をもとにした書面語で、それを読むためには現代中国語の知識が必要になります。皆さんがよく知っているでしょう『三国志演義』・『水滸伝』・『西遊記』・『封神演義』などはみな白話で書かれている長編小説です。これらの小説を読むためには、まず現代中国語をしっかり学ばなければなりません(Webサイト:中川諭|大東文化大学)。簡潔を旨として作られた文言文とは異なり、話し言葉に基づく白話文は、本来訓読には適していない(実際、現在では白話文の訓読はほとんど行われていない)。しかし江戸時代、白話文は訓読されていた(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、330頁)。
従って、
(31)(35)により、
(36)
仮に、
⑥ 下 二 上 一
⑦ 二 五 三 一 四
⑧ 二 三レ 一
のやうな、一見、「返り点」には見えても、実際にはさうではない「デタラメ」を用ゐたとしても、「白話訓読」には「無理」があったが故に、実際、現在では「白話文の訓読」はほとんど行はれていない。といふ、ことになる。
従って、
(37)
逆に言へば、「中国語訓読」は「無理」であっても、「漢文訓読」は、「有理」であったからこそ、それは、大正期以降、たえず繰り返されてきた話題であった。「訓読」の是非をめぐる議論は、文章理解の効率上の利・不利を言う議論から復古主義的な議論まで、多様に繰り返しなされてきた(勉誠出版、「訓読」論、2008年、2頁)にも拘はらず、「漢文訓読」は、少なくとも、今の時点では、からうじて、『消滅』はしてゐない。とすべきである。
cf.
今の日本の中学・高校では英語・数学・国語を主要3教科と呼んでいますが、戦前、旧制の中学では英語・数学・国語・漢文が主要4教科でした。漢文は国語とは独立した教科だったんですね。読解はもとより、復文(書き下し文から原文を復元)や作文もやるし、これだけ高度な学習内容でしたから、白文の読解もなんのそのでした。しかし戦後、漢文は国語の一部である古典分野の、そのまた片隅に追いやられてしまいました。漢文の得意な教師は少なく、漢文に興味を持つ生徒も少なく、おまけに最近は大学入試科目から漢文が消えつつあるので、みんないやいやながら学んでいます。内容もたいしたことはなく、学者先生が返り点と送り仮名をつけた文章をえっちらおっちら読む程度です(Webサイト:漢文入門)。
(07)により、
(38)
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
は、「括弧(箱)」である。
然るに、
(39)
① 1F〈2E{3D[9〔7(456)8〕C(AB)]}〉。
に於いて、
F〈 〉⇒〈 〉F
E{ }⇒{ }E
D[ ]⇒[ ]D
9〔 〕⇒〔 〕9
7( )⇒( )7
C( )⇒( )C
とするならば、
① 1〈2{3[〔(456)78〕9(AB)C]D}E〉F。
従って、
(38)(39)により、
(40)
① 1<F>2<E>3<D>9>7>4<5<6<8<C>A<B
といふ「16進数」は、
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
といふ「括弧」を介して、
① 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F
といふ「昇べき順」に、「並び替へること(ソート)」が、可能である。
従って、
(40)により、
(41)
1=我
F=不
2=必
E=使
3=人
D=求
9=以
7=解
4=中
5=国
6=語
8=法
C=解
A=漢
B=文
であるならば、
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
といふ「括弧」を介して、
① 我不必使人求以解中国語法解漢文=
① 我不〈必使{人求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}〉=
① 1F〈2E{3D[9〔7(456)8〕C(AB)]}〉⇒
① 1〈2{3[〔(456)78〕9(AB)C]D}E〉F=
① 我〈必{人[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}使〉不=
① 我〈必ずしも{人をして[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}使め〉不=
① 私は必ずしも、人に対して、中国語を理解する方法を用ゐて、漢文を理解することを、求めさせない。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
(42)
① 我不必使人求以解中国語法解漢文
から、「返り点」が付かない「それ」を除くと、
F=不
E=使
D=求
9=以
7=解
6=語
8=法
C=解
B=文
然るに、
(43)
F=不 ⇒ 九=不
E=使 ⇒ 八=使
D=求 ⇒ 七=求
9=以 ⇒ 四=以
7=解 ⇒ 二=解
6=語 ⇒ 一=語
8=法 ⇒ 三=法
C=解 ⇒ 六=解
B=文 ⇒ 五=文
従って、
(17)(43)により、
(44)
九=不 ⇒ 戊=不
八=使 ⇒ 丁=使
七=求 ⇒ 丙=求
四=以 ⇒ 下=以
二=解 ⇒ 二=解
一=語 ⇒ 一=語
三=法 ⇒ 上=法
六=解 ⇒ 乙=解
五=文 ⇒ 甲=文
従って、
(44)により、
(45)
② 不使求以解語法解文=
② 不〈使{求[以〔解(語)法〕解(文)]}〉=
② 戊〈丁{丙[下〔二(一)上〕乙(甲)]}〉⇒
② 〈{[〔(一)二上下〕(甲)乙]丙}丁〉戊=
② 〈{[〔(語)解法〕以(文)解]求}使〉不=
② 〈{[〔(語を)解する法を〕以て(文を)解せんことを]求め}使め〉不。
従って、
(41)~(45)により、
(46)
① 我不必使人求以解中国語法解漢文。
② 不使求以解語法解文。
が入る「括弧(箱)」は、
① 〈{[〔( )〕( )]}〉
② 〈{[〔( )〕( )]}〉
であって、「返り点」は、
① 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
② 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
である。
然るに、
(47)

従って、
(46)(47)により、
(48)
① 我不必使人求以解中国語法解漢文。
② 不使求以解語法解文。
に付く「返り点」は、両方とも、
① 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
② 戊 丁 丙 下 二 一 上 乙 甲
であるものの、
② 不使求以解語法解文。
の場合は、「レ点」を用ゐる。といふ「規則(強制)」により、
② レ レ 下 二 レ 一 上レ 
としなければ、ならない。
(49)
③ 恐衆狙之不馴於己=
③ 恐[衆狙之不〔馴(於己)〕]⇒
③[衆狙之〔(於己)馴〕不] 恐=
③[衆狙の〔(己に)馴れ〕不るを] 恐る。
の「返り点」は、
③ 四 三  二 一
③ 二 一レ 二 一
の内の、
③ 二 一レ 二 一
(50)
④ 非不読書=
④ 非[不〔読(書)〕]⇒
④ [〔(書)読〕不]非=
④ [〔(書を)読ま〕不る]非ず。
の「返り点」は、
④ 四 三 二 一
ではなく、
④ レ レ レ
である。
cf.

然るに、
(51)
② レ レ 下 二 レ 一 上レ 
③ 二 一レ 二 一
④ レ レ レ
は、「レ点の使い方」の全てを、網羅する。
従って、
(01)~(51)により、
(52)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
は、「括弧」が「不足」しない限り、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
といふ「返り点」の「役割」を担ひ、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
は、「上 中 下」が、「不足」しない限り。
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
といふ「括弧」の「役割」を、担ふことになる。
(53)
② 不使求以解語法解文。
③ 恐衆狙之不馴於己。
④ 非不読書。
がさうであるやうに、
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
⑤ レ
から、
⑤ レ
を除いても、「返り点」は、成立するし、
⑤ レ
を除くと、「返り点」は、極めて、簡単になる。
(54)
一・二点をはさんで返る時は上・中・下点。
上・中・下点をはさんで返る時は甲・乙点。
甲・乙点をはさんで返る時は天・地点である。
といふ「ルール」だけであれば、
(55)
[中学国語]漢文の返り点の付け方を教えてください.
明後日実力テストで,
国語の範囲では漢文の返り点をつける問題が出るのですが,
どのサイトを見てもイマイチ分かりづらく困っています(;>_<;)
私は国語だけが得意なので
国語で点数を取っておかないと大変なんです. 何方か分かりやすく解説をお願いします.
補足一・二点 , レ点 のみです.
といふ「質問」をする中学生など、ゐるはずがないし、
(56)
大学生に返り点を打たせると、レ点の原則違反から生じる誤りが大半をしめます(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、60頁)。
との、ことである。
平成27年09月28日、毛利太。

2015年9月24日木曜日

「鏡の中 上下左右(FAQ)」Ⅱ

― 9月22日の「記事」を書き換へます。―
(01)
IE9のInPrivateブラウザで、「鏡の中 上下左右」を、グーグル検索すると、
(02)
同じく、「鏡 上下左右」で、ヤフー検索すると、1ページ目の4番目は、次の通りです。
(03)
Q. (01) 鏡の中の「上下左右」について、もう一度、逆に質問させて下さい。
Q. (01) 鏡の上下左右について、もう一度、逆に質問させて下さい。
に於ける「質問者(onomameus)」は、両方とも、私なのですが、
Q. (01) 鏡の上下左右について、もう一度、逆に質問させて下さい。
の場合は、「BA(ベストアンサー)」が確定してゐないことを、確認して下さい。
cf.
カテゴリマスター big_shibainuさん2015/4/2915:31:56(ベストアンサー確定しないからと言って)詰まらない質問とは限りません。投票数0が多いと言うことは回答や質問に専念するユーザーが多すぎて投票までしないユーザーが沢山います。かなり気にもされず流れていると考えられます。
(04)
Q. 物理学に疎い私の素朴な疑問です。 鏡って なぜ左右のみが逆に映り、上下は逆ににな...
A. この質問は過去に頻繁になされています。時間があれば検索なされてみてください。中には正...
に於ける、「BA(ベストアンサー)」は、ryu_tanokamiさん であるものの、
この「質問」に対しては、私(onomameus)も、回答してゐます。
(05)
Q. (01) 鏡の中の「上下左右」について、もう一度、逆に質問させて下さい。
Q. (01) 鏡の上下左右について、もう一度、逆に質問させて下さい。
といふ「質問(onomameus)」と、
Q. 物理学に疎い私の素朴な疑問です。 鏡って なぜ左右のみが逆に映り、上下は逆ににな...
に対する「回答(onomameus)」を、一つにしたいと、考へます。
(06)
ベストアンサーに選ばれた回答
ryu_tanokamiさん  2015/9/2006:08:33
この質問は過去に頻繁になされています。時間があれば検索なされてみてください。中には正しくない回答も含まれており、それがベストアンサーになっている例もあります。正しい回
答であっても質問者がなるほどわかったという気分になってもらうにはかなり難しい質問であるとも思います。蛇足かもしれませんが、私も一つの解答例を示してみます。
質問した人からのコメント
ks_crystal_lakeさん 2015/09/2009:18:32
回答ありがとうございます。私は心理学カテにも顔を出している質問者ですが認知心理学、目から鱗の気分になりました。物理学に疎い私のような質問者がいると、やはり正しくない回
答がBAになることは多々あるのでしょうね。
に対して、
ベストアンサーに選ばれなかった回答
onomameusさん 2015/8/2123:00:02 2015/9/2109:13:09
を、示すと、次のやうに、なります。
(07)
鏡の中の「上下左右」について、もう一度、逆に質問させて下さい。
次のやうに考へることは、マチガイですか?
答への正否を質問してゐるため、FAQでは、ありません。
(08)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着て、「鏡」に向かへば、「鏡の中」で、「ΑΕの文字」は、
① ∃Α に見える。
(09)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を、「自分」に向ければ、「鏡の外」で、「ΑΕの文字」は、
② ΑΕ に見える。
(10)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を、「逆さ」して「自分」に向ければ、「鏡の外」で、「ΑΕの文字」は、
③ ∃∀ に見える。
従って、
(11)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
②「回れ右」をして、「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
② ΑΕ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見える。
(12)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
③「逆立ち」して「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
③ ∃∀ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見える。
然るに、
(13)
① ∃Α を、「基準」にすると、
② ΑΕ は、「上下が等しく・左右が逆」であり、
③ ∃∀ は、「左右が等しく・上下が逆」である。
従って、
(11)(13)により、
(14)
② 鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか ... - Yahoo!知恵袋
といふ「質問」は、
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
②「回れ右」をして、「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
② ΑΕ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見えるのは、何故か?
といふ「質問」に、他ならない。
従って、
(12)(13)により、
(15)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
③「逆立ち」して「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
③ ∃∀ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見えるのは、何故か?
といふことを、「疑問」に思ふのであれば、
③ 鏡が左右でなく上下を反対にするのはなぜでしょうか ...?
といふ「質問」を、行ふことになる。
然るに、
(16)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
②「回れ右」をして、「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
② ΑΕ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見えるのは、何故か?
といふ「質問」の「答へ」は、
①「鏡の中の人物」は、②「回れ右」をしてゐないからである。
(17)
② ΑΕ と書かれた「Tシャツ」を着た人物が、
③「逆立ち」して「こちらを向いてゐる」のであれば、
② ΑΕ の文字は、
③ ∃∀ に見えなければならないものの、「鏡の中」では、
① ∃Α に見えるのは、何故か?
といふ「質問」の「答へ」は、
①「鏡の中の人物」は、③「逆立ち」をしてゐないからである。
従って、
(16)(17)により、
(18)
①「鏡の中の人物」は、
②「回れ右」をしてゐないし、
③「逆立ち」もしてゐない。
のであって、このことが、「鏡像問題の核心」である。
何となれば、
(19)
①「実際」には、
③「逆立ち」をしてゐないし、
②「回れ右」もしてゐない
にも拘はらず、
③「逆立ち」はしてゐないが、
②「回れ右」をしてゐる
といふ風に、思ふのであれば、必然的に、
③ 上下は逆に映らないのに、② 左右のみがに映るのは何故か?
といふことに、ならざるを得ない。からである。
従って、
(19)により、
(20)
①「鏡の中の人物」は、
③「逆立ち」はしてゐないが、
②「回れ右」をしてゐる。
といふ風に、思はなければ、
③ 鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか ...?
といふ「疑問」は、固より、成立しない。
従って、
(21)
③ 鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか ...?
といふ「疑問」を「解消」するために、
①「鏡の中の人物」は、
②「回れ右」もしてゐない
にも拘はらず、
②「回れ右」をしてゐる
と思ってしまふ、その「理由」を、確認する必要がある。
(22)
③「逆立ち」はしてゐないが、
②「回れ右」をしてゐる。
といふ風に、思ふ「理由1」は、
③「∀(頭を下)」をして「振り返る人」≒  0%
②「Α(頭を上)」にして「振り返る人」≒100%
だからである。
然るに、
(23)
lo96969olさん(2014/4/20 2:29:22)曰く、
私たちがもし、友人に後ろから声をかけられたとき肩越しに振り向くのではなく、逆立ちして後ろを向き会話を始めるような生物であれば、(誰かと対面するときに常に自分の頭は相手
の足側、相手の足は自分の顔の前にあるわけですから)、鏡に写った自分を見て「上下が反転している」と感じるでしょう。
竹下雅敏さん(2014/01/01 10:00 PM)曰く、
あなたは後ろを振り返る時、体を捻じって振り返るのであり、決して子供がやるように頭を股の下にくぐらせて後ろを振り返るということがないからです。
永井俊哉さん(2002年6月28日に)曰く、
もし人間が、振り返りよりも逆立ちのほうが得意な動物ならば、友人に「やあ、こんにちは」と後ろから声をかけると、友人は逆立ちをして顔をこちらに向けるのが普通となるに違いな
い。そのように二人の人間が対面する時、両者は、左右の方向は同じで、上下の方向は逆となる。
従って、
(23)により、
(24)
③「∀(頭を下)」をして「振り返る人」≒  0%
②「Α(頭を上)」にして「振り返る人」≒100%
といふ「事実」は、「人間の習慣」であって、「鏡の物理的な性質」とは、関係が無い。
(25)
③「逆立ち(∀)」はしてゐないが、
②「回れ右(Α)」をしてゐる。
といふ風に、思ふ「理由2」は、
②「人間の体」は、「左右」には、「対称」であるが、
③「人間の体」は、「上下」には、「対称」ではないからである。
(26)
②「Α」の文字を、「ベランダの窓ガラス」の書いた際に、「Α」の文字は、「部屋の中」から見ても、「ベランダ(部屋の外)」から見ても、「Α」にしか、見えない。
従って、
(26)により、
(27)
②「Α」の文字が、「回れ右」をしても、「Α」の文字は、「Α」にしか、見えない。
然るに、
(28)
③「Α」の文字が、「逆立ち」をすれば、「∀」となるため、
③「Α」の文字が、「逆立ち」をしてゐないのであれば、そのことは、「一目瞭然」である。
従って、
(29)
②「人間の体」も、「上下」には、「対称」ではないが故に、
①「鏡の中の自分」は、
③「逆立ち」をしてゐない。といふことは、「一目瞭然」であるが、
②「回れ右」をしてゐない。といふことは、「一目瞭然」ではない。
従って、
(30)
①「鏡の中の自分」が、
③「逆立ち」をしてゐない場合に、
③「逆立ち」をしてゐない。といふことを「否定」するよりも、
②「回れ右」をしてゐない場合に、
②「回れ右」をしてゐない。といふことを「否定」することの方が、「抵抗」が少ない。
従って、
(31)
言ひ換へると、
①「鏡の中の自分」が、
③「逆立ち」をしてゐない。といふことを「否定」するよりも、
②「回れ右」をしてゐる。  といふことを「肯定」することの方が、「抵抗」が少ない。
加へて、
(32)
③「∀(頭を下)」をして「振り返る人」≒  0%
②「Α(頭を上)」にして「振り返る人」≒100%
といふ「習慣」が有るため、なほのこと、
①「鏡の中の自分」が、
③「逆立ち」をしてゐない。といふことを「否定」するよりも、
②「回れ右」をしてゐる。  といふことを「肯定」することの方が、「抵抗」が少ない。
それ故、
(33)
①「普通の人」は、
②「回れ右」して 「振り返る人」≒100%
③「逆立ち」をして「振り返る人」≒  0%
といふ「事実」は、「人間の習慣」であって、「鏡の物理的な性質」とは、関係が無い。
といふことには、気が付かずに、
①「鏡の中の自分」が、
③「逆立ち」をしてゐない。といふことを「肯定」する一方、
②「回れ右」をしてゐる。  といふことも「肯定」することになる。
従って、
(11)(12)(13)(33)により、
(34)
①「実際」には、
①「鏡の中の自分」は、
③「逆立ち」をしてゐないし、
②「回れ右」もしてゐない。
にも拘はらず、
③「逆立ち」はしてゐないが、
②「回れ右」をしてゐる。
といふ風に、思ふことになる。
然るに、
(35)
①「実際」には、
③「逆立ち」をしてゐないし、
②「回れ右」もしてゐない
にも拘はらず、
③「逆立ち」はしてゐないが、
②「回れ右」をしてゐる
といふ風に、思ふのであれば、必然的に、
③ 上下は逆に映らないのに、② 左右のみがに映るのは何故か?
といふことに、ならざるを得ない。
従って、
(07)~(35)により、
(36)
② 鏡が上下でなく左右を反対にするのはなぜでしょうか ... - Yahoo!知恵袋
といふ「質問(FΑQ)」が、繰り返し、行はれることになる。
(37)
英語を聞いて理解出来る方(If  you can distinguish the difference)には、
Why Do Mirrors Reverse Left and Right but Not Up and Down? - Slate-
といふサイトを、お勧めします。
(38)
はるか昔に、大学に合格すると同時に、「英語の学習」を放棄した(受験勉強から解放された)私の場合、
Why Do Mirrors Reverse Left and Right but Not Up and Down? - Slate-
の中の、彼女が話してゐる内容は、半分の半分も、理解出来ないのですが、「動画」から判断すると、彼女の場合も、私と同じやうに、考へてゐるやうです。
平成27年09月24日、毛利太。

2015年9月20日日曜日

「白話(中国語)」と「返り点」。

(01)
① ( )
② 〔 〕
③ [ ]
④ { }
⑤ 〈 〉
に於いて、
⑤ の中には、一つ以上の ④ が有り、
④ の中には、一つ以上の ③ が有り、
③ の中には、一つ以上の ② が有り、
② の中には、一つ以上の ① が有り、
① の中には、一つも、① が 無い。
ならば、その時に限って、「括弧」とする。
従って、
(01)により、
(02)
① {[〔( )〕]( )}
は「括弧」である。
従って、
(02)により、
(03)
① 八{五[三‐三〔二(一)〕四]七(六)}⇒
① {[〔(一)二〕三‐三四]五(六)七}八=
① 一 二 三‐三 四 五 六 七 八。
は、「括弧」による「ソート(並び替へ)」である。
(04)
① 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
② 上 中 下
③ 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
④ 天 地 人
に於いて、
① を挟んで返る場合に、
② を用ゐ、
② を挟んで返る場合に、
③ を用ゐ、
③ を挟んで返る場合に、
④ を用ゐる。
ならば、その時に限って、「返り点(レ点を除く)」とする。
従って、
(02)(04)により、
(05)
① 丙 下 三 二 一 上 乙 甲
は、「返り点」であって、
① 丙{下[三‐三〔二(一)〕上]乙(甲)}⇒
① {[〔(一)二〕三‐三上]下(甲)乙}丙=
① 一 二 三‐三 上 下 甲 乙 丙。
は、「括弧」による、「返り点」の「ソート(並び替へ)」である。
然るに、
(06)
① 君子丙{下[其三‐三〔二(邑一)〕上]乙(邑甲)}。
に於いて、
一=人
二=養
三=所‐
三=以
上=者
下=以
甲=人
乙=害
丙=不
とするならば、
① 君子丙{下[其三‐三〔二(邑一)〕上]乙(邑甲)}⇒
① 君子{[其〔(邑一)二〕三‐三上]下(邑甲)乙}丙=
① 君子 其 邑人 養 所‐以 者 以 邑人 害 不 =
① 君子は其の邑人を養ふ所以の者を以て邑人を害せ不。 
然るに、
(07)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 君子不以其所以養邑人者害邑人=
① 君子不{以[其所‐以〔養(邑人)〕者]害(邑人)}⇒
① 君子{[其〔(邑人)養〕所‐以者]以(邑人)害}不=
① 君子は{[其の〔(邑人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(邑人を)害せ}不。
といふ「漢文訓読」は、
① 君子不以其所以養邑人者害邑人。
に於ける、
①「補足構造」ではない部分をそのままにして、
①「補足構造」の部分の「左右」を「入れ換へる」。
といふことに、他ならない。
然るに、
(09)
① 君子不以其所以養邑人者害邑人。
の「返り点」が、
① 丙 下 三 二 一 上 乙 甲
であるのに対して、
② 君子不以其所以養人者害人。
の「返り点」は、
② 乙 下 二 一レ 上 甲レ
である。
然るに、
(10)

従って、
(11)
② 乙 下 二 一レ 上 甲レ
といふ「返り点(レ点 有り)」は、
① 丙 下 三 二 一 上 乙 甲
といふ「返り点(レ点 無し)」に等しい。
従って、
(08)(11)により、
(12)
② 君子不以其所以養人者害人=
② 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
② 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
② 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}不。
といふ「漢文訓読」は、
② 君子不以其所以養人者害人(孟子)。
に於ける、
②「補足構造」ではない部分をそのままにして、
②「補足構造」の部分の「左右」を「入れ換へる」。
といふことに、他ならない。
然るに、
(13)

従って、
(13)により、
(14)
③ 有読漢文者=
③ 有〔読(漢文)者〕⇒
③ 〔(漢文を)読む者〕有り。
の「返り点」は、
③ 下 二 一 上
であって、
③ 下 二 一 上
に対する「括弧」は、
③ 〔( )〕
である。
従って、
(14)により、
(15)
④ 有読者漢文=
④ 有[読(者〔漢文)〕]⇒
④ [(〔漢文を)読む〕者]有り。
の「返り点」は、
④ 下 二 上 一
であって、
④ 下 二 上 一
に対する「括弧」は、
④ [(〔 )〕]
である。
然るに、
(01)(04)により、
(16)
④   二 上 一
を含む、
④ 下 二 上 一
は、「返り点」ではなく、
④  (〔 )
を含む、
④ [(〔 )〕]
は、「括弧」ではない。
然るに、
(17)
③ 有読漢文者=
③ 漢文を読む者有り。
に対して、
④ 有読者漢文=
④ 読者有り。漢文。
であるため、
④ 有読者漢文=
④ 漢文を読む者有り。
といふ「漢文」は、固より、有り得ない。
然るに、
(18)

従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
「漢文」では、有り得ない、
④ 下 二 上 一
④ (〔 )〕
といふ「返り点・括弧」が、「白話(中国語)」では、「普通」に有る。やうである。
加へて、
(20)

然るに、
(21)
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来 ⇒
⑤ 端的に這の婆子の本事を看出だし来たらず。
並びに、
⑥ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来 ⇒
⑥ 西門慶促忙促急に床を儧造し出し来たらず。
といふ「白話文(中国語)」の、
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 五 三 一 四
といふ「返り点」は、
⑤ 二 下 上 一 中
⑥ 二 下 上 一 中
であるが、
⑤ 二 下 上 一 中
⑥ 二 下 上 一 中
といふ「返り点」は、「返り点の規則(04)」に、違反し、
⑤ 二 下 上 一 中
⑥ 二 下 上 一 中
に対する、
⑤ ([〔 )〕]
⑥ ([〔 )〕]
といふ「括弧」は、「括弧の規則(01)」に、違反する。
加へて、
(22)
「勉誠出版、続「訓読」論、2010年、332頁」により、
⑦ 吃了不多酒(吃むこと多からず)。
の「返り点」は、
⑦ 二 三レ 一
とのことであるが、
⑦ 二 三レ 一
の場合は、
⑦ 二 下 上 一
に相当し、
⑦ 二 下 上 一
に対する、「括弧」は、
⑦ ([〔 )〕]
であるため、
⑦ 二 三レ 一
は、「返り点の規則(04)」に、違反し、
⑦ ([〔 )〕]
は、「括弧の規則(01)」に、違反する。
従って、
(19)(21)(22)により、
(23)
④ 只‐管要纏擾我。
⑤ 端‐的看不出這婆‐子的本‐事来。
⑥ 西門慶促‐忙促-急儧‐造不出床来。
⑦ 吃了不多酒。
といふ「白話(中国語)」に付く、
④ 下 二 上 一
⑤ 二 五 三 一 四
⑥ 二 五 三 一 四
⑦ 二 三レ 一
といふ「返り点・括弧」は、「漢文訓読」から見れば、デタラメである。
〔注〕
与えられた「順番」が、
N+1<M>N
といふ「順番」を含む場合は、その「順番」を、「返り点・括弧」で表すことは、出来ない。⇒(28)
然るに、
(24)
② 君子不以其所以養人者害人=
② 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
② 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
② 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}不。
といふ「漢文訓読」が可能である。といふことは、
② 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}。
といふ「漢文」と、
② 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}不。
といふ「和文」に於いて、その両方が、
② {[〔( )〕]( )}。
といふ「補足構造」をしてゐる。といふことを、意味してゐる。
従って、
(23)(24)により、
(25)
「白話(中国語)」の「補足構造」は、「漢文」の「補足構造」と比較する限り、デタラメである。
(26)
いづれにせよ、「漢文」を読めたとしても、「白話文(中国語)」は、全く、読めない。
従って、
(25)(26)により、
(27)
「白話文(中国語)」は、「漢文」ではない。
平成27年09月20日、毛利太。
(28)
① N+1<M>N
を満たす「順番」は、
① 丙 下 三 二 一 上 乙 甲
① 8>5<3>2>1<4<7>6
の中には無い。
然るに、
(29)
 丙 三 二 一 乙  甲
<8<3>2>1<7><6
であれば、
<8>
<7>
であるため、
① N+1<M>N
を満たす「順番」が、二つある。
然るに、
(29)
 下 三 二 一 上  甲
に対して、
② 下  三 二 一  上 甲
の場合は、
 丙 乙 
を含むため、
下 丙 三 二 一 乙 上 甲
は、「返り点」ではない。
加へて、
(30)
{5[3〔2(1)〕4](6)}
② 5[〈3〔2(1)〕{4]6}〉
であるものの、
① { [ 〔 (  )〕 ](  )}
に対して、
② [ 〈 〔 (  )〕{  ] }〉
は、「括弧」ではない。
加へて、
(31)
① 君子以其所以養邑人者邑人。
に対して、
② 君子以其所以養邑人者邑人。
といふ「漢文」は、存在しない。
平成27年09月20日、毛利太。

2015年9月11日金曜日

「返り点」を「横書き」で表現すると、

(01)
(02)
(03)
(04)
「横書き(01)」を基に、
「縦書き(02)」を書くことは、比較的、「簡単」である。
然るに、
(05)
「レ点」は、「レ点の下の漢字」の「上」に付いている(原田先生、古田島先生、湯城先生)。
とすると、
①、③、⑥、⑦ は、次のやうに、改める必要が有る。
(06)
然るに、
(07)
「縦書き(06)」を基に、
「縦書き(02)」を書くよりも、
「横書き(01)」を基に、
「縦書き(02)」を書く方が、「簡単」である。と、思はれる。
平成27年09月11日、毛利太。

2015年9月7日月曜日

「管到(スコープ、返り点)」。

(01)
「管到」を、「スコープ(scope)」と呼ぶことにする。
(02)
① 2×(1)+2+3=7
② 2×(1+2)+3=9
③ 2×(1+2+3)=12
に於いて。
① 2× のスコープは(1)であり、
② 2× のスコープは(1+2)であり、
③ 2× のスコープは(1+2+3)である。
とする。
(03)
① 2×(1)+2+3=7
② 2×(1+2)+3=9
③ 2×(1+2+3)=12
に於いて、
① 7
② 9
③ 12
を、「意味」とする。
従って、
(02)(03)により、
(04)
④ 2×1+2+3.
に於いて、
④ の「意味」が、
④ 12
であるならば、その時に限って、
④ 2×1+2+3=
④ 2×(1+2+3)=12
である。
従って、
(04)により、
(05)
④ 2×1+2+3.
に於いて、
④ の「意味」が、  「確定」すれば、
④ の「スコープ」も、「確定」する。
従って、
(06)
同様に、
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文。
に於いて、
⑤ の「意味」が、  「確定」すれば、
⑤ の「スコープ」も、「確定」する。
然るに、
(07)
補足・認定の両関係は、日本語とまったく逆の語順になる。したがって、ここに返り点を用いて、語順を日本式に入れ換える必要が起こってくる(角川漢和中辞典、1959年、1292頁)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文。
といふ「漢文」が、
⑤ 私は必ずしも中国語を理解する方法を用ゐて漢文を理解することを求めない。
といふ「意味」であるならば、
⑤ 補足・認定の両関係は、日本語とまったく逆の語順になる。
といふことから、
⑤ 不(認定) のスコープは、
⑤{必求以解中国語法解漢文}
であって、
⑤ 求(補足) のスコープは、
⑤[以解中国語法解漢文]
であって、
⑤ 以(補足) のスコープは、
⑤〔解中国語法〕
であって、
⑤ 解(補足) のスコープは、
⑤(中国語)
であって、
⑤ 解(補足) のスコープは、
⑤(漢文)
である。
然るに、
(09)
⑤ 私は必ずしも中国語を理解する方法を用いて漢文を理解することを求めない。
に対する、「グーグル翻訳」は、
⑤ 我並不要求你理解了中國經典的搭配方式來了解中國。
である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文。
といふ「漢文」が、
⑤ 我並不要求你理解了中國經典的搭配方式來了解中國。
といふ「意味」であると、仮定して、
⑤ 我並不要求你理解了中國經典的搭配方式來了解中國。
といふ「中国語」が、
⑤ 私は必ずしも中国語を理解する方法を用いて漢文を理解することを求めない。
といふ「意味」であると、仮定するならば、
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文。
の「スコープ」は、
⑤ 我不{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
であって、それ故、
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文=
⑤ 我不{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}⇒
⑤ 我{必[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不=
⑤ 我{必ずしも[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
従って、
(06)(09)(10)により、
(11)
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文=
⑤ 我不{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}。
といふ「スコープ」に関しては、
⑤ 我必ずしも中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求めず。
といふ「漢文訓読」とは、「独立」に、成立する。
従って、
(10)(11)により、
(12)
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文=
⑤ 我不{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}=
⑤ 我並不要求你理解了中國經典的搭配方式來了解中國。
に付く、
⑤  丁 丙 下 二 一 上 乙 甲=
⑤〈丁 丙{下〔二(一)上〕乙(甲)}〉⇒
⑤〈{〔(一)二 上〕下(甲)乙}丙〉丁=
⑤ 一 二 上 下 甲 乙 丙 丁。
といふ「返り点と括弧」は、
⑤ 我不必求以解中国語法解漢文=
⑤ 我必ずしも中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求めず。
といふ「漢文訓読」とは、「独立」に、成立する。
(13)
青木は『本邦支那学革新の第一歩』で、訓読の弊害を3つ挙げている。
1.訓読は読書に手間取って、中国人同様に早く読むことが出来ない。
2.訓読は中国語固有の文法を了解するには害がある。
3.訓読は意味の了解を不正確にする。
これらについていちいち解説する必要は無いだろう。訓読により意味が取れていると感じるのは錯覚であって、ニュアンスが失われており、辞義もすり替えられている可能性があるのだ。倉石は『支那語教育の理論と実際』において、訓読では異なる字を同一の訓で読んだり、読まない字が生じたりすることで、中国人が考えていることが却ってわからなくなっていると指摘する。さらに「論語でも孟子でも、訓読をしないと気分が出ないというのは、信州に育った者が新鮮な生きの良い魚よりも塩鮭がうまいと言うようなものだ」と断言し、このくだりは「漢文訓読塩鮭論」として有名だそうだ(阿部和也の人生のまとめブログ)。
(14)
シナや極東の王国では、一般に文字をも語を表わすのではなく、事物あるいは観念を表わすような、実物符号で書くのがならいになっている。そしてそれゆえに、たがいに相手の言語を理解しない国々と地方が、それにもかかわらず、たがいに相手の書き物を読むことができるのであるが、それは符号のほうが言語の及ばぬほど広い範囲に了解されるからである。そしてそれゆえに、語根語と(おそらく)同じほどばく大な数の符号があるのである(フランシス・ベーコン、学問の進歩、124頁、ISBN不明)。
従って、
(15)
「漢文」は、成立した時点で、「学習」を必要とする「書き言葉」であったため、それが成立した当時から、「漢文」には、「ネイティブスピーカー」がゐない。
然るに、
(16)
All horses are animals; therefore all horses’ heads are animals’ heads.
といふ「英語」には、「ネイティブスピーカー」がゐる一方で、
(x)(Fx→Gx) ∴  (x)((∃y)(Fy&Hxy)→(∃y)(Gy&Hxy))
といふ「論理式」に、「ネイティブスピーカー」はいないし、「E.J.レモン、論理学初歩、1973年、167頁」等で、学ばなければ、それを理解することは、出来ない。
従って、
(17)
馬皆動物也。故、馬之頭皆動物之頭也。
といふ「漢文」に、近いのは、
(x)(Fx→Gx) ∴  (x)((∃y)(Fy&Hxy)→(∃y)(Gy&Hxy))
といふ「論理式」であって、
All horses are animals; therefore all horses’ heads are animals’ heads.
といふ「英語」ではない。
平成27年09月07日、毛利太。