2016年12月3日土曜日

「訓読」の原理。

(01)
(一)主述関係  主語―述語
(二)修飾関係 修飾語―被修飾語
(三)補足関係 叙述語
(四)並列関係 並列語―並列語
漢語の文法は、上述の基本構造における語順が、その重要な基礎になっているのであって、その実詞は、単に語順による結合によって、連語を構成していることが多い。それで、この点からいえば、漢語の文法は、比較的簡単であるともいうことができる。
(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、281~5頁、抜粋)
然るに、
(02)
目的語と補語とはそれほど区別する必要はないので、両方併せて、補足語と呼んだり、単に補語と呼んだりしている。
(江連隆、基礎からの漢文、1993年、26頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
(三)補足関係 叙述語―補足語
に関しては、
(三)補足関係  述語 
とする。
従って、
(04)
「漢文の基本構造」は、
(一)主述関係  主語―述語
(二)修飾関係 修飾語―被修飾語
(三)補足関係  述語補語
(四)並列関係 並列語―並列語
といふ、「四通り」である。
従って、
(05)
① 英文。
に於いて、
① 英= 修飾語
① 文=被修飾語
である。
(06)
② 読英文。
に於いて、
② 読 =述語
② 英文=補語
である。
(07)
③ 常読英文。
に於いて、
③ 常= 修飾語
③ 読=被修飾語
である。
(08)
④ 不常読英文。
に於いて、
④ 不   =述語
④ 常読英文=補語
である。
(09)
⑤ 我不常読英文。
に於いて、
⑤ 我=主語
である。
然るに、
(06)(08)により、
(10)
⑤ 我不〔常読(英文)〕。
に於いて、
⑤ 読 の「補語」は、   (英文) である。
⑤ 不 の「補語」は、〔常読(英文)〕である。
然るに、
(11)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(04)(10)(11)により、
(12)
⑤ 我不常読英文。
といふ「漢文」の「補足構造」が、
⑤ 我不〔常読(英文)〕。
であるならば、
⑤ 我不〔常読(英文)〕。
に対する、「国語(訓読)」の「語順」は、
⑤ 我〔常(英文)読〕不。
でなければ、ならない。
然るに、
(13)
⑤ 我〔常(英文)読〕不。
に対して、
⑤「助詞・助動詞・送り仮名」
を「補ふ」と、
⑤ 我〔常には(英文を)読ま〕ず。
といふ「訓読」になる。
従って、
(12)(13)により、
(14)
⑤ 我不常読英文=
⑤ 我不〔常読(英文)〕⇒
⑤ 我〔常(英文)読〕不=
⑤ 我〔常には(英文を)読ま〕ず。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(15)
②      読(英文 )。
⑤ 我不〔常読(英文 )〕。
従って、
(15)により、
(16)
②   二 一
⑤ 三 二 一
といふ「返り点」は、
⑤     読(英文)。
⑤ 我不〔常読(英文)〕。
といふ「補足構造」に付いてゐる。と、すべきである。
従って、
(17)
⑥ 知我不小節而恥功名不上レ于天下也。
⑥ 知我不小節而恥功名不于天下也。
に於ける、
⑥ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
⑥ 戊 三 二 一 丁 甲  乙 甲
といふ「返り点」も、
⑥ 知我不羞小節而恥功名不顕于天下也=
⑥ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也⇒
⑥ {我〔(小節)羞〕不而[功名〔(于天下)顕〕不]恥}知也=
⑥ {我の〔(小節を)羞ぢ〕ずして[功名の〔(天下に)顕はれ〕ざるを]恥づるを}知ればなり。
に於ける、
⑥ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也。
といふ「補足構造」に付いてゐる。と、すべきである。
従って、
(18)
私自身は、「括弧」が、「返り点」の「代はり」になる。
といふ風に思ってゐて、そのことを「証明」したいワケでは、決してない
(19)
さうではなく、
⑥ 知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
といふ「漢文」であれば、
司馬遷が、紀元前2世紀に書いた、まさにその時点で、
⑥ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也。
といふ「補足構造」をしてゐると、思ってゐる。
従って、
(20)
「返り点」が用ゐられるやうになった奈良時代(?)よりも以前から、
⑥ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也。
といふ「補足構造」をしてゐると、思ってゐるため、必然的に、
⑥ { 〔 ( )〕[ 〔 ( ) 〕 ] }
といふ「括弧」が、
⑥ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
といふ「返り点」の「代用」であるとは、思ってゐない。
(21)
私自身は、「韓国語」を知らないものの、
g3olgさん2013/4/2016:17:56
google翻訳で韓国語精度だけが異常に高いのは何故ですか?
google翻訳を使って日本語を外国語に直し、その外国語の文章を再びgoogle翻訳で日本語にしてみた結果
原文
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
英語
「天皇は、人々の日本のシンボルの日本統一の象徴の場合には、この位置は、主権を常駐誰に日本人のコンセンサスに基づいています」
アラビア語
「天皇は、 日本のコードの人々のための団結の日本のシンボルの場合には、この位置は日本国民の総意に基づいており、誰が主権を常駐」
中国語
「皇帝の場合、日本人の団結日本のシンボルのシンボルは、この位置は、生きるために日本国民の主権の総意に基づいています」
韓国語
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権が存在している日本国民の総意に基づいている」
(22)

itto_rokkenさん 2013/4/2017:36:30
理由は二つでしょう。まず文法がよく似ていて、語順一致することが多い。使われる用語が、もともと明治以降に作られた日本語由来のものが多いことです。たとえば、演説、競争。これらは福沢諭吉が英文を翻訳したときに新しく作った単語です。江戸時代には、主権、国民などと言う用語はなく、西欧の思想を取り入れたとき、その訳語として作られたものです。朝鮮語は、それらの漢字語を取り入れて、発音は朝鮮語読みとしたのです。
従って、
(11)(21)(22)により、
(23)
⑥ 漢語の補足構造における語順は、日本語の補足構造とは全く反対である。
と同時に、
⑥ 漢語の補足構造における語順は、韓国語の補足構造とは全く反対である。
といふことから、
⑥ 知我不羞小節而恥功名不顕于天下也=
⑥ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也。
に於いて、
 知{ }⇒{ }知
 不〔 〕⇒〔 〕不
 羞( )⇒( )羞
 恥[ ]⇒[ ]恥
 不〔 〕⇒〔 〕不
 顕( )⇒( )顕
といふ「移動(返読)」した「結果」である所の、
⑥ {我〔(小節)羞〕不而[功名〔(于天下)顕〕不]恥}知也
といふ「語順」は、漢字が読める韓国の方であれば、「訓読」が可能であると、思はれる。
然るに、
(24)
SOV型(SOVがた)とは、文を作るときに、一般に主語 (Subject) - 目的語 (Object) - 動詞 (Verb)の語順をとる言語のこと。例えば日本語の文の「私は りんごを 食べる。」では、"私は"が主語(S)、"りんごを"が目的語(O)、"食べる"が動詞(V)である。言語類型論による調査では、世界の言語の約45%がSOV型言語である。主な言語[編集]日本語、琉球語、チベット語、ドイツ語、オランダ語、アイヌ語、朝鮮語、アルタイ諸語、インド・イラン語派、アルメニア語、ドラヴィダ語族、チベット・ビルマ語派、アムハラ語、ナバホ語、ケチュア語、アイマラ語、バスク語、シュメール語、アッカド語、エラム語、ヒッタイト語などがこの型をとる(ウィキペディア)。
従って、
(23)(24)により、
(25)
⑥ {我〔(小節)羞〕不而[功名〔(于天下)顕〕不]恥}知也
といふ「語順」は、朝鮮語だけでなく、チベット語や、ドイツ語であっても、ある程度、「訓読」が可能であるのかも知れない。
平成28年12月03日、毛利太。
―「関連記事」―
(a){( )}の方が「読みやすい」(http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post_2.html)。
(b)「レ点」に付いて(http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post.html)。
(b)「返り点(特にレ点)」が苦手な人へ(http://kannbunn.blogspot.com/2016/11/blog-post_30.html)。
(c)「括弧」と『返り点』(http://kannbunn.blogspot.com/2016/11/blog-post.html)。
(d)「漢文の補足構造」としての「括弧」の付け方(http://kannbunn.blogspot.com/2016/09/blog-post_22.html)。

2016年12月2日金曜日

{( )}の方が「読みやすい」。

(01)
① ( )
② ( ))
に於いては、
② ( )
の場合は、
 ) の「個数」が、「一つだけ、余分」であるため、
② (  の「個数」が、「一つだけ、不足」してゐる。
然るに、
(02)
③ (((( )( ))( ))( )( ))
④ (((( )( ))( ))( )( )))
に於いて、
④ (((( )( ))( ))( )( )))
の場合も、
④  ) の「個数」が、「一つだけ、余分」であるため、
④ (  の「個数」が、「一つだけ、不足」してゐる。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ( )
② ( ))
③ (((( )( ))( ))( )( ))
④ (((( )( ))( ))( )( )))
に於いて、
②  は、「括弧として、間違ひ」であって、
④  も、「括弧として、間違ひ」である。
然るに、
(04)
② ( ))
であれば、「一目瞭然」であるが、
④ (((( )( ))( ))( )( )))
であれば、「一目瞭然」ではないし、
④ (((( )( ))( ))(( )( )))))
であれば、なおさら、「一目瞭然」ではない
然るに、
(05)
④ (((( )( ))( ))( )( )))
に対して、
④ {[〔( )( )〕( )]( )( )})
であれば、
④ { }) を見れば、
④       の「個数」が、「一つだけ、余分」である。
といふことが、「一目瞭然」である。
従って、
(05)により、
(06)
① {[〔( )( )〕( )]( )( )}
の方が、
② (((( )( ))( ))( )( ))
よりも、「読みやすい」。
従って、
(06)により、
(07)
①  使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
②  使(籍誠不(以(畜(妻子)憂(飢寒))乱(良心))有(銭財)以済(医薬))。
に於いて、
② (((( )( ))( ))( )( ))
よりも、
① {[〔( )( )〕( )]( )( )}
の方が、はるかに、「読みやすい」。
従って、
(08)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、二九六頁)。
といふことから、
①  使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
といふ「漢文の補足構造」に於いて、
 使{ }⇒{ }使
 不[ ]⇒[ ]不
 以〔 〕⇒〔 〕以
 畜( )⇒( )畜
 憂( )⇒( )憂
 乱( )⇒( )乱
 有( )⇒( )有
 済( )⇒( )済
といふ「移動」を行ふことにより、
①  使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}⇒
①  {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(良心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
①  {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるを〕以て(良心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ「漢文訓読」を行ふ際に、
① {[〔( )( )〕( )]( )( )}
ではない所の、
② (((( )( ))( ))( )( ))
といふ「括弧」は、「役に立たない」。
すなはち、
(09)
①  使{[〔( )( )〕( )]( )( )}。
であれば、
 使{ }⇒{ }使
といふ「移動の結果」が、
①  {[〔( )( )〕( )]( )( )}使。
であることが、「一目瞭然」であるのに対して、
② (((( )( ))( ))( )( ))
の場合は、
 使( )⇒( )使
といふ「移動の結果」が、
②  (((( )( ))( ))使( )( ))。
であるのか、
②  (((( )( ))( ))( )( ))使。
であるのか、といふことが、「すぐには、見えて来ない」。
従って、
(10)
 使{ }⇒{ }使
 不[ ]⇒[ ]不
 以〔 〕⇒〔 〕以
 ではなく、
 使( )⇒( )使
 不( )⇒( )不
 以( )⇒( )以
である場合に、「移動の先」を「見極めよう」とするならば、「時間が係り過ぎる」ため、
① {[〔( )( )〕( )]( )( )}
ではなく、
② (((( )( ))( ))( )( ))
の場合は、「訓読」には、「全く以て、適してゐない」。
加へて、
(11)
①  使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
①  人    丙下二 一中 上乙 甲二 一 地 天
①  籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て良心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
のやうに、
①  人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
であれば、
(Ⅰ)二 一
(Ⅱ)下 中 上
(Ⅲ)丙 乙 甲
(Ⅳ)人 地 天
といふ「各々の、返り点」は、
 二 下 丙 二 人
 ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
 一 中 乙 一 地
    ↑ ↑  ↑
  上 甲  天
といふ具合に、「からへ返る」だけである。
然るに、
(12)
①  使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
①  人    丙下二 一中 上乙 甲二 一 地 天
に対して、
②  使 籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済 医薬。
②  十三    八五二 一四 三七 六十 九 十二十一
のやうに、
②  十三  十 五 二 一 四 三 九 八 七 六 十二 十一
の場合は、
             十三
       十 十     ↑
    五 五 ↑ ↓     ↑
    ↑ ↓ ↑ ↓     ↑
 二 二 四 ↓ ↑ ↓     ↑
 ↑ ↓ ↑ ↓ ↑ ↓     ↑
 一 ↓ ↑ ↓ ↑ ↓     ↑
  三 三 ↓ 九 ↓     ↑
     ↓ ↑ ↓     ↑
     ↓ 八 ↓     ↑
     ↓ ↑ ↓     ↑
     ↓ 七 ↓     ↑
     ↓ ↑ ↓     ↑
     六 六 ↓     ↑
        ↓  十二 十二
        ↓   ↑
        十一 十一
といふ「具合」に、「からに返り、からへ降りる」ことになる。
従って、
(11)(12)により、
(13)
①  人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り点」に対して、
②  十三  十 五 二 一 四 三 九 八 七 六 十二 十一
といふ「一二点」の場合は、「上と下と」を「確認」しない限り、「その次に上に行くのか・下へ降りるのか」が「定まらない」ため、「極めて、読みにくい」。
従って、
(10)(13)により、
(14)
② (((( )( ))( ))( )( ))
②  十三  十 五 二 一 四 三 九 八 七 六 十二 十一
よりも、
① {[〔( )( )〕( )]( )( )}
①  人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
の方が、「格段に、読みやすい」。
従って、
(14)により、
(15)
実際、一二点しか施していないものも過去にはあった(はてなブログ:固窮庵日乗)。
かどうかは、知らないものの、(16)のやうな「言ひ分」は、「正しく」はない。
(16)
すべて一二点に変換すればいいのである。一二点は無限にあるから、どんなに複雑な構文が出現しても対応できる。実際、一二点しか施してい
ないものも過去にはあった。一二点で返ったものを含めて返る必要がある時に上中下点を用いるのは、数学で( )の次に{ }を用いるのと似て
いる。数式は必ずしも{( )}の形にしなくてもよい。( ( ) )の形であってもその機能は同じである。そして{ }の次に用いる括弧がないか
ら、数学の式を危機管理能力のない非論理的な体系だとは誰も言わない。高等数学ではどのようになっているのか私は詳しいことはわからない
が、{ }を用いるのは数式が人間にとって認識しやすく便利だからという理由に過ぎないのではないか。パソコンに計算させるのなら( )を
いくら重ねても問題ないのだから(はてなブログ:固窮庵日乗)。
(17)
①  使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
①  人    丙下二 一中 上乙 甲二 一 地 天
①  使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
①  籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て良心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
といふ「漢文訓読」を行ふのは、「人間」であって、「パソコン」ではないため、
パソコンに計算させるのなら( )をいくら重ねても問題ない(はてなブログ:固窮庵日乗)。
といふことは、この場合、「関係」が無い。
(18)
例へば、「多久弘一、多久の漢文公式110、1988年」の場合であれば、
(Ⅰ)レ
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 
(Ⅴ)天 地 人
に於いて、
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 
(Ⅴ)天 地 人
は、「一度も、使はれていない」。
従って、
(18)により、
(19)
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 
といふ「10個」が「不足」する「可能性」は、「ほとんど、皆無」である。
然るに、
(20)
tmtdpapaさん2014/5/615:32:27
返り点について教えてください!
問題を解いていたら、上下点がないのに、甲乙丙丁点の4つが使われていました。それは、上下点は最大上中下の3つしかないからでしょうか
ベストアンサーに選ばれた回答
aran03_555さん 2014/5/617:08:01
あなたの言うとおりです。返り点は一二点→上下点→甲乙点→天地点の順番で使用します。しかし、一二点を使った後、上中下点でも対応できない場合は、上中下点を使わずに、甲乙丙丁点を使います。
従って、
(19)(20)により、
(21)
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 
といふ「10個」が「不足」する「可能性」は、「ほとんど、皆無」であるものの、その一方で、
(Ⅲ)上 中 下
は、「実際に、不足」する。
従って、
(22)
仮に、「返り点」を「プロデュース」した「特定の人物」が、ゐたとしたら、
(Ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 
(Ⅳ)上 中 下
といふ「順番」にせず、
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
といふ「順番」にした、その「人物」は、「迂闊」である。
(23)
漢文訓読の返り点の、一二点、上中下点、甲乙点、天地人点という順に「論理的な必然性」(33頁)はないという(はてなブログ:固窮庵日乗)。
といふ風に、古田島先生が述べてゐるのは、
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
といふ「順番」にしたことが「迂闊」である。といふ、ことである。
(24)
{( )}ではなく、
【( )】であっても、
[( )]であっても、構はない。
といふことは、もちろん、さうである。
然るに、
(25)
「括弧」の場合、
(Ⅲ)( ) は、「1種類」。
(Ⅳ){ } も、「1種類」。
である。
従って、
(26)
「順番」を「換へた」としても、
(Ⅳ) は、「1種類」。
(Ⅲ) も、「1種類」。
のままである。
然るに、
(27)
「返り点」の場合は、
(Ⅲ)上 中 下 は「3種類」。 
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 は「10種類」。
従って、
(28)
「順番」を「換へた」場合は、
(Ⅲ) は、「 種類 」。
(Ⅳ) は、「10種類」。
から、
(Ⅳ) は、「10種類」。
(Ⅲ) は、「 種類 」。
に、変はらざるを得ない。
然るに、
(29)
③ 下〔二(一)中(上)〕⇒
③ 〔(一)二(上)中〕下=
③ 一 二 上 中 下。
従って、
(30)
④ 囗[下〔二(一)中(上)〕]⇒
④ [〔(一)二(上)中〕下]囗=
④ 一 二 上 中 下 囗。
然るに、
(31)
⑤ 丁(丙〔二[一]乙[甲]〕)⇒
⑤ (〔[一]二[甲]乙〕丙)丁=
⑤ 一 二 甲 乙 丙 丁。
従って、
(30)(31)により、
(32)
④ [〔( )( )〕]
④ (〔[ ][ ]〕)
に対して、
④ 囗 下 二 一 中 上
⑤ 丁 丙 二 一 乙 甲
である。
従って、
(32)により、
(33)
⑤ 丁 丙 二 一 乙 甲 ではなく、
④ 囗 下 二 一 中 上 であれば、
④ 囗 が「不足」する。一方で、
⑤ (〔[ ][ ]〕)
④ [〔( )( )〕]
の場合は、どちらであっても、「不足」しない
従って、
(34)
「 括弧 」の場合、「順番」は「どうでも良い」ものの、
「返り点」の場合、「順番」は「どうでも良い」とは、言へない。
従って、
(35)
漢文訓読の返り点の、一二点、上中下点、甲乙点、天地人点という順に「論理的な必然性」(33頁)はないという。しかし、数学でも( )の次に{ }を使うことに論理的な必然性はない。( )の次に【 】でも[ ]でもかまわないのである。そしてそのことで数学を論理的でないと考える人は誰もいない。
といふ「言ひ分」は、「誤り」である。
平成28年12月02日、毛利太。
―「関連記事」―
(a)「レ点」に付いて(http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post.html)。
(b)「返り点(特にレ点)」が苦手な人へ(http://kannbunn.blogspot.com/2016/11/blog-post_30.html)。
(c)「括弧」と『返り点』(http://kannbunn.blogspot.com/2016/11/blog-post.html)。
(d)「漢文の補足構造」としての「括弧」の付け方(http://kannbunn.blogspot.com/2016/09/blog-post_22.html)。

2016年12月1日木曜日

「レ点」に付いて。

(01)
(02)
① 画数(四+三+二+一)=5+3+2+1=11画。
② 画数(レ+レ+レ+一)=1+1+1+1= 4画。
③ 画数(レ+レ+レ  )=1+1+1  = 3画。
従って、
(03)
① 四 三 二 一
と書くよりも、
③ レ レ レ
と書く方が、「11-3=8画」少なくて済む。
従って、
(04)
① 四 三 二 一
と「書くべき所」を、「手間」を省くために、
③ レ レ レ
と書くといふのであれば、「分からない」でもない。
然るに、
(05)
① 四 三 二 一
と「書くべき所」を、「手間」を省くために、
③ レ レ レ
と書くといふのであれば、
③ レ レ レ
が付けられてる「位置」は、
① 四 三 二
が付けられてる「位置」と、「同じ」でなければ、ならない。
然るに、
(01)により、
(06)
① 四 三 二 一
は、それぞれ、
①「漢字の左」に付いてゐる。
従って、
(05)(06)により、
(07)
③ レ レ レ
も、それぞれ、
③「漢字の左」に付いてゐる。
然るに、
(08)
行が変わる位置に「レ点」を付ける必要が生じた時に、「レ点」はどこに付くのでしょうか。「レ点」は下の文字の返り方を示す記号と考えると、「レ点」は次の行の先頭に来ます(新人教師のための漢文指導入門講座 第5回)。
といふのであれば、



であるため、
③ レ レ レ
は、それぞれ、
③「漢字の左」ではなく、
③「漢字の左」に付いてゐる。
然るに、
(09)
しかし、現在の教科書はすべて行末に「レ点」をぶら下げる形になっています。おそらく行頭の文字の位置を揃えたいという欲求が働いているのでしょう(新人教師のための漢文指導入門講座 第5回)。
といふのであれば、
③ レ レ レ
は、それぞれ、
③「漢字の左」ではなく、
③「漢字の左」に付いてゐる。
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
おそらく行頭の文字の位置を揃えたいという欲求が働いているのでしょう(新人教師のための漢文指導入門講座 第5回)。
といふことは、「抜きにしても」、
現在の教科書はすべて行末に「レ点」をぶら下げる形になっています(新人教師のための漢文指導入門講座 第5回)。
といふことに関して、「現在の教科書の、レ点の位置」は、「正しい」。
然るに、
(01)により、
(11)
④ 三 二 一
に対して、
⑤ 二 一レ
に於ける
⑤       レ
の場合は、
⑤「漢字の左下」ではなく、
⑤「漢字の左」に、付いてゐるやうに、見える。
然るに、
(12)
④ 画数(三+二+一)=3+2+1=6画。
⑤ 画数(二+一+レ)=2+1+1=4画。
であるため、
④ 三 二 一
と書くよりも、
⑤ 二 一レ
と書く方が、僅かに、「6-4=2画」だけ、少なくて済む。
然るに、
(13)
⑤ 二 一レ
のやうな「変則」を「認めた」ことにより、
⑥ 二 一レ 二 一
といふ『返り点』も、「認められる」ことになる。
然るに、
(14)
kirakiraebaさん2010/7/2320:43:43
漢文の朝三暮四で
恐(二) 衆 狙 之 不 (一レ) 馴 (二) 於 己(一) 也、・・・ という文がありました。
この文を帰り点に従って訓読すると「衆狙の馴れざらんことを恐るる己に馴れ也、・・・」となり
「馴」を二回読んでしまうのですがこれは正しいですか。
( )内は返り点です。
従って、
(14)により、
(15)
⑥ 二 一レ 二 一
といふ『返り点』は、kirakiraebaさんにとっては、「分りにくい」。
然るに、
(16)
質問者:noname#100659質問日時:2005/11/20 01:10回答数:1件
漢文についてお聞きします。
(数字)は、返り点を表します。レ点はカタカナの(レ)で書きます。
漢文の教科書に次のような文章が出てきます。
例文は有名な朝三暮四です。
恐(2)衆狙之不(1+レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。
(読み下しは、衆狙の己に馴れざらんことを恐るるや、先づこれを誑きて曰く・・です。)
これなのですが、打ち方はこれ一通りと決まっていますか?
次のように打つと何がいけないのでしょうか? 
同じように読めてしまうような気がするのですが・・。
恐(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。
上の打ち方だと何が問題でしょうか?
同じにはなりませんでしょうか?
なお、これは学校の宿題等ではありませんのでよろしくおねがいします。
従って、
(16)により、
(17)
noname#100659さんにとっては、
⑥ 二 一レ 二 一
よりも、
 レ   
の方が、「分りやすく」、そのため、
⑦ 三 レ  二 一
といふ「返り点」が、「過去には有った」といふのであれば、そのことは、「不自然」ではない。
(18)
明治四十五年三月二十九日の官報に掲載された「漢文の句読・返点・添仮名・読方法」に従って、⑧ に従うのがよい。
とは言ふのであれば、
⑨ レ 二‐ 一
よりも、
⑧ 三 二‐ 一
の方が「良い」のであって、それ故、
 二‐ 一レ
よりも、
 二‐ 一レ
の方が「良い」ことになる。
然るに、
(01)により、
(19)
「中西 清・月洞 譲、漢文公式と問題正解法、昭和四二年、一二頁」の場合は、
 二‐ 一レ
ではなく、
 二‐ 一レ
といふ風に、書かれている。
(01)により、
(20)
⑩ 二 レ 一レ 二 一
⑪ 下 レ 上レ 二 一
に関して、
⑩ ⑪ はそれに記載がないが、「上・下」「上・中・下」は「一・二・三」などをまたいで読むときに用いるものであるから ⑩ を用いるのがよいと決めた。
とあるものの、さうであれば、
⑩ 二 レ 一レ 二 一
の方が、
⑪ 下 レ 上レ 二 一
よりも「読みやすいので、さうした」といふワケでは、ない
加へて、
(21)
⑬           上レ
のやうな『変則的な、返り点』が無ければ、
⑬ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
といふ『返り点』は、
⑬ 戊 レ 二 一 丁 丙  乙 甲
といふ風にしか、「書きやう」が無いし、
⑬ 戊 レ 二 一 丁 丙  乙 甲
といふ「返り点」の方が、
⑬ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
といふ『返り点』よりも、「分りやすい」。
加へて、
(01)により、
(22)
⑬ 知我不羞小節而恥功名不_顕于天下。
に対して、
⑭ 知我不羞小節而恥功名不常顕于天下。
の『返り点』は、
⑬ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
ではなく、「必ず」、
 レ 二 一     
でなければ、ならない。
従って、
(01)~(22により、
(23)
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(Ⅱ)上 中 下
(Ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 
(Ⅳ)天 地 人
といふ「返り点」に、
(Ⅴ)レ
(Ⅵ)一レ 上レ 甲レ 天レ
が加はった『返り点』は、「合理的」であるとは、思はない
然るに、
(24)
「教科書」や、「参考書」の類が、明治四十五年三月二十九日の官報に掲載された「漢文の句読・返点・添仮名・読方法」に従ってゐる以上、「合理的」であらうとなからうと、「漢文」を読まうとする以上、
(Ⅰ)レ
(Ⅱ)一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅲ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(Ⅳ)上 中 下
(Ⅴ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 
(Ⅵ)天 地 人
からなる『返り点』に、「慣れる」しかなく、私自身は、『返り点』に、「慣れて」ゐる。
平成28年12月01日、毛利太。
―「関連記事」―
「返り点(特にレ点)」が苦手な人へ(http://kannbunn.blogspot.com/2016/11/blog-post_30.html)。
「括弧」と『返り点』(http://kannbunn.blogspot.com/2016/11/blog-post.html)。
「漢文の補足構造」としての「括弧」の付け方(http://kannbunn.blogspot.com/2016/09/blog-post_22.html)。

2016年11月30日水曜日

「返り点(特にレ点)」が苦手な人へ。

―「11月28日の記事」を書き直します。―
(01)
【盍】「何不カフ」の二音が「盍カフ・コウ」の一音につまったもので「蓋」と同じに用いる(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、558頁)。
従って、
(01)により、
(02)
【盍】=(副詞)+(否定)
等の「再読文字」は、「一字」で、「二語」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)

然るに、
(04)
或いは「」を用い或いは用いていない。すなはち必ず用いなければならぬことはない。「」はこのような場合は、訓讀では特に讀みをつけず、適當なテニヲハを下の語に送ることになっている(岩波全書、漢文入門、1957年、15頁)。原文にはありながら、訓読に際して読まない
字を「置き字」(捨て字・虚字)という。置き字には、前置詞・接続詞・終尾詞・語気詞があり、文の調子を整えたり、意味を強めたり、補っ
たり、接続などのはたらきがある(鳥羽田重直、漢文の基礎、1985年、14頁)。
従って、
(04)により、
(05)
⑬ 恐衆狙之不馴_己=衆狙の己に馴れざるを恐る。
⑭ 恐衆狙之不馴於己=衆狙の己に馴れざるを恐る。
に於いて、
⑬=⑭ である。
(06)
 (a)「於・于・而」等の「置き字」は「例外」として、
(b)「返り点」が無い「漢字」に関しては、「上から下へ読み」、
(c)「返り点」が有る「漢字」に関しては、「下から上へ返って読む」。
従って、
(03)(06)により、
(07)
「書き下し文」は、次の通りである。
① 何ぞ言はざる。
② 何ぞ言はざる。
③ 快刀を揮って乱麻を断つが如し。
④ 常には快刀を揮って乱麻を断たんと欲せず。
⑤ 漢文を読む。
⑥ 漢文を読まず。
⑦ 文を訓読せず。
⑧ 漢文を訓読せず。
⑨ 我常には漢文を読まず。
⑩ 書を読まざるに非ず。
⑪ 人の欺く所と為る。
⑫ 人の己を知らざるを患ふ。
⑬ 衆狙の己に馴れざるを恐る。
⑭ 衆狙の己に馴れざるを恐る。
⑮ 悪を称する者を悪(ニク)む。
⑯ 人の悪を称する者を悪む(ニク)む。
⑰ 人を治むる所以を知る。
⑱ 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
⑲ 我の小節を羞ぢして功名の天下に顕はれざるを恥づるを知ればなり。
⑳ 籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
然るに、
(08)

従って、
(09)
例へば、
⑯ 下
⑰ 四一レ
⑱ 丙一レ 一 上甲レ
⑲ 戊上レ
⑳ 人甲レ 甲 二
といふ「それ」を、
下 二 一 上
三 二‐ 一
乙 下 二‐ 一 上 甲
下  二 一 中 上 二 一
人 乙 下 二 一 中 上 甲 二 一 地 天
といふ『返り点』に従って、「読む」ならば、
⑯ 一 二 上 下
⑰ 一 二 三 四
⑱ 一 二 三 上 下 甲 乙 丙
⑲ 一 二 三 甲 乙 丙 丁 戊
⑳ 一 二 上 中 下 甲 乙 丙 一 二 天 地 人
といふ風に、「読む」ことになる。
然るに、
(10)
⑯ 下
⑰ 四
⑱ 丙
⑲ 戊
⑳ 人 
といふ「それ」を、
下 二 一 上
四 三‐ 二 一
丙 下 三‐ 二 一 上 乙 甲
戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
いふ「返り点」に従って、「読む」ならば、当然
⑯ 一 二 上 下
⑰ 一 二 三 四
⑱ 一 二 三 上 下 甲 乙 丙
⑲ 一 二 三 甲 乙 丙 丁 戊
⑳ 一 二 上 中 下 甲 乙 丙 一 二 天 地 人
といふ風に、「読む」ことになる。
従って、
(09)(10)により、
(11)
例へば、
⑯ 下 二 一 上
⑰ 三 二‐ 一
⑱ 乙 下 二‐ 一 上 甲レ
⑲ 下  二 一 中 上 二 一
⑳ 人 乙 下 二 一 中 上 甲 二 一 地 天
といふ『返り点』は、
⑯ 下 二 一 上
⑰ 四 三‐ 二 一
⑱ 丙 下 三‐ 二 一 上 乙 甲
⑲ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
⑳ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り点」に、「置き換へ」ることが出来る。
従って、
(03)(11)により、
(12)

然るに、
(13)
「(レ点を含まない)返り点」に対して、「括弧」を加へると、
① 二(一)
② 二(一)
③ 下〔二(一)中(上)〕
④ 丁[丙〔二(一)乙(甲)〕]
⑤ 二(一)
⑥ 三〔二(一)〕
⑦ 三〔二‐(一)〕
⑧ 三〔二‐(一)〕
⑨ 三〔二(一)〕
⑩ 四[三〔二(一)〕]
⑪ 三〔二(一)〕
⑫ 三〔二(一)〕
⑬ 四[三〔二(一)〕]
⑭ 四[三〔二(一)〕]
⑮ 下〔二(一)上
⑯ 下〔二(一)上〕
⑰ 四[三‐〔二(一)〕]
⑱ 丙{下[三‐〔二(一)〕上]乙(甲)}
⑲ 戊{三〔二(一)〕丁[丙〔乙(甲)〕]}
⑳ 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}
然るに、
(14)
例へば、
⑳ 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}=
⑳ D{8[5〔2(1)4(3)〕7(6)]A(9)C(B)}。
に於いて、
D{ }⇒{ }D
8[ ]⇒[ ]8
5〔 〕⇒〔 〕5
2( )⇒( )2
4( )⇒( )4
7( )⇒( )7
A( )⇒( )A
C( )⇒( )C
といふ「移動」を行ふと、
⑳ {[〔(1)2(3)4〕5(6)7]8(9)A(B)C}D=
⑳ 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D.
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
従って、
(14)により、
(15)
⑳ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天。
といふ「返り点」に対して、
⑳{[〔( )( )〕( )]( )( )}
といふ「括弧」を加へることは、
⑳ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天。
といふ「返り点」に対して、
⑳ D 8 5 2 1 4 3 7 6 A 9 C B
といふ「順番」を与へることに、等しい。
然るに、
(16)
⑳ 使 籍誠
使 籍誠
であるため、
⑳「 漢字 」に「返り点」に付くといふことは、
⑳「返り点」に「 漢字 」に付くことに、等しい。
従って、
(15)(16)により、
(17)
⑳ 使 不 以 畜 子 憂 寒 乱 心 有 財 済 薬。
⑳ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天。
といふ「漢字・返り点」に対して、
⑳{[〔( )( )〕( )]( )( )}
⑳{[〔( )( )〕( )]( )( )}
といふ「括弧」を加へることは、
⑳ 使 不 以 畜 子 憂 寒 乱 心 有 財 済 薬。
⑳ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天。
といふ「漢字・返り点」に対して、
⑳ D 8 5 2 1 4 3 7 6 A 9 C B
⑳ D 8 5 2 1 4 3 7 6 A 9 C B
といふ「順番」を与へることに、等しい。
然るに、
(18)
⑳ 使 籍 誠 不 以 畜 妻 子 憂 飢 寒 乱 心 有 銭 財 以 済 医 薬。
にあって、
⑳    籍 誠     妻    飢       銭  以  医
といふ「漢字」には、
⑳「返り点」は付かないため、
⑳    籍 誠     妻    飢       銭  以  医
に関しては、「上(左)から下(右)へ」、「普通に、読む」。
従って、
(03)(12)(17)(18)により、
(19)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
といふ「括弧」は、例へば、
① レ
② 二 一
③ 下 二 一 中 上
④ 丁 丙 二 一 乙 甲
⑤ 二 一
⑥ 三 二 一
⑦ 三 二‐ 一
⑧ 三 二‐ 一
⑨ 三 二 一
⑩ レ レ レ
⑪ 二 一レ
⑫ 三 二 一
⑬ 三 二 一レ
⑭ 二 一レ 二 一
⑮ 二 レ 一
⑯ 下 二 一 上
⑰ 三 二‐ 一レ
⑱ 乙 下 二‐ 一レ 上 甲レ
⑲ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
⑳ 人 乙 下 二 一 中 上 甲レ 二 一 地 天
といふ『返り点』が示してゐる「順番」を、表すことが、出来る。
従って、
(14)(19)により、
(20)
⑲ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也。
に於いて、
 知{ }⇒{ }知
 不〔 〕⇒〔 〕不
 羞( )⇒( )羞
 恥[ ]⇒[ ]恥
 不〔 〕⇒〔 〕不
 顕( )⇒( )顕
といふ「移動」を行ふと、
⑲ {我〔(小節)羞〕不而[功名〔(于天下)顕〕不]恥}知也=
⑲ {我の〔(小節を)羞ぢ〕ずして[功名の〔(天下に)顕れ〕ざるを]恥づるを}知ればなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
cf.
」は「置き字(almost meaningless particle)」である。
然るに、
(21)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、二九六頁)
従って、
(20)(21)により、
(22)
⑲ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也。
に於ける、
⑲  {  〔 (  )〕  [   〔 (   )〕]}
といふ「括弧」は、「漢文の補足構造」に、他ならない。
然るに、
(23)
⑲ 必・常 は、「 修飾語 」であるため、
⑲ 必・常 は、「補足構造」と、「関はり」が無い。
従って、
(22)(23)により、
(24)
⑲ 知 我 不   羞 小 節 而 恥 功 名 不   顕 于 天 下。
に対して、
⑲                   
が「加はった」としても、
⑲  {  〔 (  )〕  [   〔 (   )〕]}
といふ「補足構造」に、「変はり」は無い。
従って、
(24)により、
(25)
⑲ 知{我不〔_羞(小節)〕而恥[功名不〔_顕(于天下)〕]}也。
⑲ 知{我不〔必羞(小節)〕而恥[功名不〔常顕(于天下)〕]}也。
に対する「訓読」は、
⑲ {我の〔    (小節を)羞ぢ〕ずして[功名の〔   (天下に)顕れ〕ざるを]恥づるを}知ればなり。
⑲ {我の〔必ずしも(小節を)羞ぢ〕ずして[功名の〔常には(天下に)顕れ〕ざるを]恥づるを}知ればなり。
である。
然るに、
(26)
⑲ 知{我不〔_羞(小節)〕而恥[功名不〔_顕(于天下)〕]}也。
⑲ 知{我不〔必羞(小節)〕而恥[功名不〔常顕(于天下)〕]}也。
といふ「補足構造」に対する「返り点」は、両方とも、
⑲ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
⑲ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
であるため、「補足構造」&「返り点」に於いて、
⑲ である。
然るに、
(27)

従って、
(25)(27)により、
(28)
⑲ 知{我不〔_羞(小節)〕而恥[功名不〔_顕(于天下)〕]}也。
⑲ 知{我不〔必羞(小節)〕而恥[功名不〔常顕(于天下)〕]}也。
といふ「補足構造」に対する『返り点』は、
⑲ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
⑲ 戊 三 二 一 丁 丙  乙 甲
であるため、『返り点』に於いて、
⑲ である。
従って、
(24)(27)(28)により、
(29)
⑲ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
⑲ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
といふ「返り点」は、兎も角、
⑲ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
⑲ 戊 三 二 一 丁 丙  乙 甲
といふ『返り点』は、
⑲ 知{我不〔_羞(小節)〕而恥[功名不〔_顕(于天下)〕]}也。
⑲ 知{我不〔必羞(小節)〕而恥[功名不〔常顕(于天下)〕]}也。
といふ「漢文の補足構造」を、表してはゐない。
然るに、
(30)
kirakiraebaさん2010/7/2320:43:43
漢文の朝三暮四で
恐(二) 衆 狙 之 不 (一レ) 馴 (二) 於 己(一) 也、・・・ という文がありました。
この文を帰り点に従って訓読すると「衆狙の馴れざらんことを恐るる己に馴れ也、・・・」となり
「馴」を二回読んでしまうのですがこれは正しいですか。
( )内は返り点です。
然るに、
(31)
そのやうに、
⑭ 恐衆狙之不 馴於己。
⑭ 二   一レ二 一
⑭ 衆狙の己に馴れざるを恐る。
といふ『返り点』を、「理解」出来ないのであれば、kirakiraebaさんは、
⑲ 知我不羞小節而恥功名不 顕于天下。
⑲ 下 レ二 一 中  上レ二  一
⑲ 我の小節を羞ぢして功名の天下に顕はれざるを恥づるを知ればなり。
といふ『返り点』も、「理解」出来ない。
従って、
(29)(31)により、
(32)
⑲ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
といふ「返り点」に対して、
⑲ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
といふ『返り点』は、
⑲ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也。
といふ「漢文の補足構造」を、表してはゐない上に、尚且つ、「分かりにくい」。
従って、
(33)
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(Ⅱ)上 中 下
(Ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅳ)天 地 人
といふ「返り点」に、
(Ⅴ)レ
(Ⅵ)一レ 上レ 甲レ 天レ
が加はった『返り点』は、「合理的」であるとは、思はない。
然るに、
(34)
いづれにせよ、
大学生に返り点を打たせると、レ点の原則違反から生じる誤りが大半をしめます(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、60頁)。
といふ、ことである。
然るに、
(35)
「レ点の原則違反から生じる誤りが大半をしめる」といふことは、
1 連続した二字の上下を転倒させる場合は、必ずレ点を用い、他の返り点を用いてはならない。
2 連続した二字の上下を転倒させる以外の場合は、レ点を用いてはならない。
(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、60頁)
といふ「ルール」が無ければ、
⑭ 恐衆狙之不 馴於己。
⑭ 二   一レ二 一
⑭ 衆狙の己に馴れざるを恐る。
といふ『返り点』だけでなく、
⑭ 恐衆狙之不馴於己。
⑭ 四   三二 一
⑭ 衆狙の己に馴れざるを恐る。
といふ「返り点」も、「正しい」といふことに、他ならない。
従って、
(03)(12)(35)により、
(36)
返り点の付け方が分かりません(sannhannennさん2012/7/115:44:52)。
といふのであれば、私としては、そのやうな方に対しては、「最初に」、
① 盍言。
② 何不言。
③ 如揮快刀断乱麻。
④ 不常欲揮快刀断乱麻。
⑤ 読漢文。
⑥ 不読漢文。
⑦ 訓‐読文。
⑧ 訓‐漢文。
⑨ 我不常読漢文。
⑩ 非不読書。
⑪ 為人所欺。
⑫ 患人之不己知。
⑬ 恐衆狙之不馴己。
⑭ 恐衆狙之不馴於己。
⑮ 悪称悪者。
⑯ 悪人之悪者。
⑰ 知所‐以治人。
⑱ 君子不以其所‐以養人者害人。
⑲ 知我不羞小節而恥功名不顕于天下。
⑳ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
に対して、
① 二 一
② 二 一
③ 下 二 一 中 上
④ 丁 丙 二 一 乙 甲
⑤ 二 一
⑥ 三 二 一
⑦ 三 二‐ 一
⑧ 三 二‐ 一
⑨ 三 二 一
⑩ 四 三 二 一
⑪ 三 二 一
⑫ 三 二 一
⑬ 四 三 二 一
⑭ 四 三 二 一
⑮ 下 二 一 上
⑯ 下 二 一 上
⑰ 四 三‐ 二 一
⑱ 丙 下 三‐ 二 一 上 乙 甲
⑲ 戊 三 二 一 丁 丙 乙 甲
⑳ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り点」を付けてみて、「その次に」、
1 連続した二字の上下を転倒させる場合は、必ずレ点を用いる。
2 連続した二字の上下を転倒させる場合でないならば、レ点を用いてはならない。
3 二つの返り点がいっしょになるのは、一とレ、上とレ、甲とレ、天とレの四つだけである。
といふ「ルール」に従って、
① レ
② 二 一
③ 下 二 一 中 上
④ 丁 丙 二 一 乙 甲
⑤ 二 一
⑥ 三 二 一
⑦ 三 二‐ 一
⑧ 三 二‐ 一
⑨ レ 二 一
⑩ レ レ レ
⑪ 二 一レ
⑫ 三 二 一
⑬ 三 二 一レ
⑭ 二 一レ 二 一
⑮ 二 レ 一
⑯ 下 二 一 上
⑰ 三 二‐ 一レ
⑱ 乙 下 二‐ 一レ 上 甲レ
⑲ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一
⑳ 人 乙 下 二 一 中 上 甲レ 二 一 地 天
といふ『返り点』に「書き換へ」ることを、勧めたい。
平成28年11月30日、毛利太。
―「関連記事」―
「括弧」と『返り点』(http://kannbunn.blogspot.com/2016/11/blog-post.html)。
「漢文の補足構造」としての「括弧」の付け方(http://kannbunn.blogspot.com/2016/09/blog-post_22.html)。

2016年11月22日火曜日

「所」について(Ⅲ)。

―「11月21日の記事」を書き直します。―
(01)
格助詞の「の」には、主格とか同格などの働きがあると教わりましたが、どう違いを見分ければいいのか、よくわかりません。見分けるコツがあれば教えてください(高校生の苦手解決Q&A)。
(02)
①  鳥の啼く声=「主語+の」+連体形+体言。
に於いて、
①「鳥の」は、「主格」の「の」である。
(03)
②「白き鳥」の「嘴と足と赤き(鳥)」
に於いて、
②「白き鳥」=「嘴と足と赤き(鳥)」
であるものの、このやうな「の」は、「同格(同一)」の「の」である。
従って、
(04)
③  韓非の著した書=(主語+の)+連体形+体言。
に於いて、
③「韓非の」は、「主格」の「の」である。
然るに、
(05)
17 此韓非子所著之書也。(史記、老荘申韓列伝)これは韓非が著した書物である。
29 食其所愛之肉、以与敵抗。(韓愈、張中丞後伝序)その愛する所の肉を食らひて以て敵と抗す。
17「所著」と書とは同一のものであるが、
29「所愛」と肉とはのものであることに注意。
(西田太一郎、漢文の語法、1980年、156・159頁改)
従って、
(05)により、
(06)
④ 韓非所著之書(韓非の著す所の書)。
に於いて、
④「所著」之「書」
④「所著」の「書」
④「所著」=「書」
である。
從って、
(03)~(05)により、
(07)
④  韓非の著す所の書(韓非所著之書)。
に於いて、
④「韓非の」は、「主格」の「の」であって、
④「所の書」は、「同格」の「の」である。
然るに、
(08)

従って、
(08)により、 (09)
⑤ S(主語)+V(他動詞)+O(目的語)。
に於ける、
⑤ O(目的語)が、
⑤「所」である。
従って、
(09)により、
(10)
⑤ 彼愛牛肉(彼、牛肉を愛す)。
であるならば、
⑤ O=牛肉
であるため、
⑤ 其所愛(其の愛する所)=牛肉
である。
従って、
(10)により、
(11)
⑤ 其所愛之肉=牛肉
⑤ 其所愛の肉=牛肉
⑤ 其所愛肉=牛肉
である。
然るに、
(12)
⑥ 彼愛妻妾(彼、妻妾を愛す)。
であるならば、
⑥ O=妻妾
であるため、
⑥ 其所愛(其の愛する所)=妻妾
である。
従って、
(12)により、
(13)
⑥ 其所愛之肉=妻妾の肉
⑥ 其所愛の肉=妻妾の肉
⑥ 其所愛肉=妻妾の肉
である。
従って、
(14)
⑤ 彼愛牛肉(彼、牛肉を愛す)。であるならば、
⑤ 食其所愛之牛肉(其の愛する所の肉を食らふ)。は、普通の「肉食」であって、
⑥ 彼愛妻妾(彼、妻妾を愛す)。であるならば、
⑥ 食其所愛之牛肉(其の愛する所の肉を食らふ)。は、異常な「食人」である。
従って、
(15)
さらに「所」についての応用問題を出してみよう。次の漢文を訳してみよ。
食其所愛之肉、以与敵抗=其の愛する所の肉を食ひ、以て敵と抗す。
おそらく「一番好きな肉、たとえば牛肉を食って、スタミナをつけ、それで敵とわたりあった」という解答が圧倒的だろうと思う。もちろん牛肉が豚肉であろうと鶏肉であろうとそれはかまわない。要するに「所愛」は、肉に対する好みというわけである。しかし、右のような解釈は残念ながら、この場合ぴったりしない。どこがアウトなのかわかるか。これが分かる人は、漢文の力は高度である(漢文法基礎、二畳庵主人、1984年、151頁)。
とは、言ふものの、
⑥ 食其所愛之肉=自分の好物である肉を食べる。
といふ「意味」であることも、「可能」である。以上、この場合は、「文脈」により、「たまたま、アウトである。」といふことに、過ぎない。
(16)

(17)
「所」は用言を体言化する点において「者」と共通しているが、「者」が行為の主体を指示するのに対し、「所」は行為の対象を指示し、人・物・事などを示す。
従って、
(16)(17)により、
(18)
⑦ 王使人学之(王、人をして之を学ば使む)。
⑧ 王所使学者(王の学ば使むる所の者)。
に於いて、
⑦「人」= ⑧「所」
⑧「所」= ⑧「者」
である。
従って、
(18)により、
(19)
⑧ 王所使学者(王の学ば使むる所の者)。
に於いて、
⑧「所使学」の「者」
⑧「所使学」=「者」
であるため、「同格(同一)」の「の」である。
然るに、
(20)
⑧ 所使学。
の「語順」を、
⑦ 使囗学。
に換へた際に、
⑦ 使囗学。
に於いて、
⑦ 囗=A
であるならば、
⑧ A=所使学
である。
従って、
(21)
⑦ 使学(人をして学ば使む)。
使学(学ば使むる所)、
であれば、
⑦ 人= ⑧ 所使学
といふ、ことになる。
従って、
(16)(19)(21)により、
(22)
⑦ 王使人学之。
⑧ 所使学者、未及学而死。
であれば、
⑦ に於いて、
⑦ 王によって、学ぶように命じられた「人」が、
⑧「所使学者」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(23)
⑦ 王使人学之。
⑧ 所使学者、未及学而死。
であれば、
⑦ に於いて、
⑦「学ばた」のは、すなはち、
⑦「学ぶように、命じた」のは、「王」である。
従って、
(16)(22)(23)により、
(21)
⑧「学ば者(人)」が、「未だ学ぶに及ばずして客死せり。」
であって、
⑧「学者(王)」 が、「未だ学ぶに及ばずして客死せり。」
ではない。
cf.
http://www.kokugobunpou.com/

従って、
(21)により、
(22)
「学ばた者がまだ学び終わらないうちにその人が死んだ(多久弘一、多久の漢文公式110、1988年、13頁)」といふ「解釈」は、マチガイである。
(23)
「日本語」として、
「学ばた者(受身)」「学ばた者(使役)」
であるならば、そのやうに、言はざるを得ないし、少なくとも、私自身は、「学ばた者が」といふ「解釈」を読んで、「混乱」した。
(24)
「学ばた」  のは「王」であり、
「学ばさた」 のは「人」であり、
「教へさせた」のは「客」である。
平成28年11月22日、毛利太。

2016年11月18日金曜日

「括弧(that)」は有ります!

(01)
① His mother doesn't know that her son didn't kill anybody.
② 彼の母親は、息子が誰も殺していないことを知らない(グーグル翻訳)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(02)
② 彼の母親は、息子が誰も殺していないことを知らない。
の「語順」を、
① His mother doesn't know that her son didn't kill anybody.
の「語順」に改めると、
② 彼の母親は、ない、知ら、ことを、息子が、いない、殺して、誰も。
となる。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① His mother doesn't know that her son didn't kill anybody.
② 彼の母親は、息子が誰も殺していないことを知らない。
に於いて、
① 「that」 は、
②「ことを」に、等しい。
従って、
(04)
① His mother doesn't know that her son didn't kill anybody.
といふ「英文」は、
① His mother が、
① that(あること)を知らずに、その、
① that(あること)が、
① her son didn't kill anybody. である。
といふ、「意味」になる。
従って、
(04)により、
(05)
①「that」=(her son)                     ではなく、
①「that」=(her son didn't)              ではなく、
①「that」=(her son didn't kill)     ではなく、
①「that」=(her son didn't kill anybody.)でなければ、ならない。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① His mother doesn't know that her son didn't kill anybody.
といふ「英文」は、
① His mother doesn't know "her son didn't kill anybody" .
① His mother doesn't know(her son didn't kill anybody).
といふ風に、書けないことも、無い。
然るに、
(07)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(06)(07)により、
(08)
① His mother doesn't know(her son didn't kill anybody).
に於いて、
① know の「意味」は、(her son didn't kill anybody)に及んでゐる。
といふ風に、見なすことが、出来る。
然るに、
(09)
① kill        の「意味」は(anybody)に及んでゐて、
① her son didn't   の「意味」は〔kill(anybody)〕に及んでゐて、
① His mother doesn't の「意味」は{know[her son didn't〔kill(anybody)〕]}に及んでゐる。
といふ風に、見なすことが、出来る。
然るに、
(10)
① His mother doesn't{know[her son didn't〔kill(anybody)〕]}=
① 1  2     9     {8  [3  4  7  〔6  (5     )〕]}.
に於いて、
 9{ }⇒{ }9
 8[ ]⇒[ ]8
 7〔 〕⇒〔 〕7
 6( )⇒( )6
といふ「移動」を行ふと、
② 1  2     9     {8  [3  4  7  〔6  (5     )〕]}⇒
② 1  2          {  [3  4    〔  (5     )6〕7]8}9=
② His mother{[her son     〔(anybody)kill〕didn't]know}doesn't=
② 彼の母親は{[彼女の息子が〔(誰も)殺して 〕ゐないことを]知ら}ない。
然るに、
(11)
② 曽子之母非〈不{知[子不〔殺(人)〕]}〉也=
② 1234B〈A{9[58〔7(6)〕]}〉C。
に於いて、
 B〈 〉⇒〈 〉B
 A{ }⇒{ }A
 9[ ]⇒[ ]9
 8〔 〕⇒〔 〕8
 7( )⇒( )7
といふ「移動」を行ふと、
② 1234B〈A{9[58〔7(6)〕]}〉C⇒
② 1234〈{[5〔(6)7〕8]9}A〉BC=
② 曽子之母〈{[子〔(人)殺〕不]知}不〉非也=
② 曽子の母〈{[子の〔(人を)殺さ〕不るを]知ら}不るに〉非ざる也。
cf.

従って、
(12)
「英語」が、「漢文」と、「同じ仕組みの言語」であるならば、
① His mother doesn't know her son didn't kill anybody.
の「否定」は、
③ His mother doesn't know her son didn't kill anybody.
である。といふ、ことになる。
然るに、
(13)
③ His mother  doesn't know her son didn't kill anybody.
③ His mother not doesn't know her son didn't kill anybody.
のやうな「二重否定」は、「英語」にはない。
然るに、
(14)
④ It is not true that his mother doesn't know her son didn't kill anybody.
④ It is not true that his mother doesn't know that her son didn't kill anybody.
④ 彼の母が彼女の息子が誰も殺さなかったということを知らないというのは本当でありません(ヤフー!翻訳)。
従って、
(01)(12)(14)により、
(15)
① His mother doesn't know that her son didn't kill anybody.
の「否定」は、
④ It is not true that his mother doesn't know that her son didn't kill anybody.
である。といふ、ことになる。
然るに、
(16)
④ It is not true that his mother doesn't know that her son didn't kill anybody.
⑤ It was a pleasure to have Prime Minister Shinzo Abe stop by my home and begin a great friendship.
に於ける、
④ It is not true that
⑤ It was a pleasure to have
のやうな「It で始まる構文」は、「日本語」には無い。
従って、
(17)
④ It is not true that
⑤ It was a pleasure to have
のやうな「It で始まる構文」は、「括弧・返り点」を用ゐて、「訓読」することは、出来ない。
(18)
⑥ Many years ago there lived in England a wise and good king whose name was Alfred.
から、there を除くならば、
⑥ Many years ago lived in England a wise and good king whose name was Alfred=
⑥ Many years ago lived〔in(England)a wise and good king〕whose name was(Alfred)⇒
⑥ Many years ago〔(England)in a wise and good king〕lived whose name(Alfred)was=
⑥ 何年もの昔〔(イングランド)に 一人の 賢く そして 立派な 王が〕住んでゐて、その名を(アルフレッドと)言った。
(19)
⑦ Few people in Japan or elsewhere fully realize how great the language barrier is=
⑦ Few{people[in(Japan or elsewhere)fully‐realize〔how‐great(the language barrier)is〕]}⇒
⑦{[(Japan or elsewhere)in〔(the language barrier)how‐great is〕fully‐realize]people}Few=
⑦{[(日本または他国)に於いて〔(言葉の障壁が)如何に大きいものであるか、といふことを〕十分に認識してゐる]人々は}少ない。
(20)
⑧ The English language is spoken or read by the largest number of people in the world=
⑧ The English language is「spoken《or〈read{by[the largest number of people〔in(the world)〕]}〉》」⇒
⑧ The English language 「《〈{[the largest number of〔(the world)in〕people]by}read〉or》spoken」is =
⑧ イングランドの言語は 「《〈{[最も多くの数の〔(世界)の〕人々]によって}読まれ〉または》話されて」ゐる。
平成28年11月18日、毛利太。
―「関連記事」―
「漢文の補足構造」としての「括弧」の付け方(http://kannbunn.blogspot.com/2016/09/blog-post_22.html)。

2016年11月17日木曜日

「漢字音」等について。

(01)
音」で読めば、
① 兄弟=けいてい
② 女性=じょせい
③ 今昔=きんせき
④ 人間=じんかん
⑤ 強力=きょうりょく
である(はずである)。
(02)
音」で読めば、
① 兄弟=きょうだい
② 女性=にょしょう
③ 今昔=こんじゃく
④ 人間=にんげん
⑤ 強力=ごうりき
である(はずである)。
(03)
普通」に読めば、
① 兄弟(呉音)=きょうだい
② 女性(漢音)=じょせい
③ 今昔(呉音)=こんじゃく
④ 人間(呉音)=にんげん
⑤ 強力(漢音)=きょうりょく
である。
(04)
「漢音・呉音」といふのは、
遣唐使たちがかなり体系的にまとまった形のものとして持ち帰った「漢音」、それよりも古く、おそらく仏教の渡来とともに徐々に、そうしておそらく主として個々の語の読みとして蓄積されてきた呉音(貝塚茂樹、小川環樹、日本語の世界3、1981年、112頁)のことを言ふ。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
「日本漢字音」は、「漢音と呉音の、まぜこぜ」である。
従って、
(06)
明経の徒、宜しく漢音に習熟すべし(日本記略)。
といふことから、「漢文の音読」は、「漢音」で「徹底」しようとするならば、「一々、辞書」で調べなければならないものの、そんなのは、「大変」なので、私の場合は、さうしようとして、結局は、挫折した。
然るに、
(07)
「漢音であっても、呉音であっても、慣用音であっても、唐宋音であっても、なんでもよい」ので、とにかく、「音読せよ」といふことであれば、「音読できない漢字」は、「音読できる漢字」よりも、「はるかに、少ない」。
例へば、
(08)
「教学者、風呂で覚える漢文」の、「100個の例文」で言へば、「愆(ケン)」以外の漢字は、「辞書を引かなくとも、音読できる」。
従って、
(09)
「とにかく、日本漢字音で、音読せよ」といふことであれば、例へば、「虎の威を借る(戰國策)」である所の、
① 虎求百獸而食之得狐。
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。
④ 今子食我是逆天帝命也。
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子随我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂与之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
といふ「漢文」を、
① コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
② コエツシムカンショクガヤ。
③ テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④ コンシショクガゼギャクテンテイメイヤ。
⑤ シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
⑥ シズイガコウカン。
⑦ ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧ コイヰゼン。
⑨ コツイヨシコウ。
⑩ ジュウケンシカイソウ。
⑪ コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫ イヰイコヤ。
といふ「日本漢字音」で、「音読」出来、尚且つ、私自身は、「暗誦」出来る。
(10)
① コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
② コエツシムカンショクガヤ。
③ テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④ コンシショクガゼギャクテンテイメイヤ。
といふ「四行」を、「暗誦」出来て、
⑤ シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
といふ「五行目」が「暗誦」出来ないとする。
然るに、
(11)
⑤ シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
は、思ひ出せなくとも、
⑤ 子我を以て信なら不と爲さば、吾子の爲に先行せむ。
といふ「訓読」は、思ひ出せたとする。
然るに、
(12)
⑤ 子我を以て信なら不と爲さば、吾子の爲に先行せむ。
といふ「訓読」を、「復文」すれば、
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
となるし、
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
を、「声に出せ」ば、
⑤ シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
となる。
従って、
(09)~(12)により、
(13)
① 虎百獸を求め而之を食らひ狐を得たり。
② 狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ也。
③ 天帝、我をして百獸に長たら使む。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふ也。
⑤ 子我を以て信なら不と爲さば、吾子の爲に先行せむ。
⑥ 子我が後に随ひて觀よ。
⑦ 百獸之我を見て、而敢へて走ら不らん乎。
⑧ 虎以て然りと爲す。
⑨ 故に遂に之与行く。
⑩ 獸之を見て皆走る。
⑪ 虎獸の己を畏れ而走るを知ら不る也、
⑫ 以て狐を畏るると爲す也。
といふ「訓読」を「暗誦」出来るからこそ、
① コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
② コエツシムカンショクガヤ。
③ テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④ コンシショクガゼギャクテンテイメイヤ。
⑤ シイガヰフシンゴヰシセンコウ。
⑥ シズイガコウカン。
⑦ ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧ コイヰゼン。
⑨ コツイヨシコウ。
⑩ ジュウケンシカイソウ。
⑪ コフツチジュウイキジソウヤ。
⑫ イヰイコヤ。
といふ「漢字音」を「暗誦」出来る。
といふ、ことになるし、

等を「音読(口頭で復文)する」場合も、同様である。
然るに、
(14)
かつて漢文学科だった学科や漢文学専攻は、いま、そのほとんすべてが中国文学科や中国文学専攻になってしまっている。そこでは、当然、中国語も履修することになっていて、そこで学んだ方々は、古代の中国文も現代の中国音で発音できるし、またそういう出身の先生は、得意げにそういうように読んでも聞かせたりするもののようである。そこで、日本文学科出身の国語科の先生や、教育学部の国語専修などの出身の先生は、漢文は嫌いではないのだが、生徒からなにか、偽者のように思われて辛い、と聞くことがあったりするのである(中村幸弘・杉本完治、漢文文型 訓読の語法、2012年、36頁)。との、ことである。
然るに、
(15)
① 虎求百獸而食之得狐。
といふ「漢文」を、「グーグル翻訳」で確認すると、
① 虎求百兽而食之得狐。
の「ピンイン」は、
① Hǔ qiú bǎi shòu ér shí zhī dé hú.
であって、私の耳には、
① フーチョーバイショーアルシーチーデューフー.
のやうに、聞こえる。
然るに、
(16)
わずかに、かの藤堂明保氏による辞典で、藤堂説による古代音と中古音が記載されており、上に書いたような状況なので、藤堂説(一研究者の説)とはいえおおよその音価を知るには唯一といっていいほどの辞典でした(FC2ブログ、古代中国箚記)。とのことである、「学研漢和大辞典、1978年、P(1144,707,879,827,1041,1486,24,447,819)」により、
① 虎求百獸而食之得狐。
に対する、「古代音」を調べてみると、
① hag giog pak thiog nieig diek tieg tek haug(eの逆さは、eで代用した).
との、ことである。
従って、
(13)~(14)により、
(17)
① コ キュウ ヒャク ジュウ ジ ショク シ トク コ。
といふ「日本漢字音」が、
① hag giog pak thiog nieig diek tieg tek haug.
といふ「古代漢語音」に似てゐないのであれば、
① Hǔ qiú bǎi shòu ér shí zhī dé hú.
といふ「普通話の音」も、
① hag giog pak thiog nieig diek tieg tek haug.
といふ「古代漢語(の推定音)」に似てゐない。
加へて、
(18)
中国では昔から、ひとつの語彙を各地域の発音、つまりは「方言」によって自由に、さまざまに読んできたので、規準音の表示のしようがないのであった。その読み方の多様性は、日本における漢音読み、呉音読み、唐音(宋音)読み、慣用音読み、ごちゃまぜ読みの混在による多様性の比ではない。こんにちでこそ、首都北京地方の発音を基準的なものと考えて「普通話」(プートンホワ)という考え方ができ、現代の辞書は「普通話」で示されようになってきたが、そういう習慣が出はじめたのは、民国以後、日本の年代でいえば大正以後、より正確にいえば、昭和の時代になってからのことである(鈴木修次、漢語と日本人、1978年、116頁)。との、ことである。
従って、
(17)(18)により、
(19)
中国文学科の出身である、高校の教師が、日本といふ地域の漢字音を無視して、漢文を、「中国語(北京方言)」で、得意げに読んでも聞かせたりする。
といふことは、ずいぶんと、ヲカシイ
加へて、
(20)
通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない。白話文は直接口語訳するのがよく、より原文の語気に近い訳となる(ウィキペディア)。
然るに、
(21)
「 漢文 (文言)」と、「中国語(白話)」が、「同じやうな仕組みの、言語」であって、尚且つ、
「 漢文 (文言)」は、「訓読」に適してゐて、
「中国語(白話)」は、「訓読」に適してゐない。
といふことは、有り得ない。
従って、
(22)
「白話」が、「中国語(普通話)」であるならば、「 文言 (漢文)」は、「中国語」ではない。と、すべきであって、
「漢文」が、「中国語( 文言 )」であるならば、「普通話(白話)」は、「中国語」ではない。と、すべきである。
加へて、
(23)
文法が不確定で略語の多い漢文を読みこなせる人はめったにいない。もちろん中国人だからといって誰でもが読めるわけではない。漢文の解釈については日本語の読み下し文のほうがわかりやすい。これは漢語を母語とする留学生たちの体験としてよく聞いている話だ(黄文雄、漢字文明にひそむ中華思想の呪縛、2001年、226・7頁)。との、ことである。
然るに、
(24)
漢文の解釈については日本語の読み下し文のほうがわかりやすい。これは漢語を母語とする留学生たちの体験としてよく聞いている話だ。
といふのであれば、「漢文」を学ぶ上で、「中国語(北京語)の知識が、必須でない。」といふことは、言ふまでもない。
(25)
漢文とは世界で最も難解な文章体系である。しかし日本人が開発した訓読、音読と、カナを混入させる文章体系によって、蓄積された漢字の知恵が体系化された。日本人は和文によって漢文のあいまいさと神秘性を是正し、神学的あるいはスコラ的な士大夫に独占されてきた中国語の伝統的な知識を広く大衆化してくれた。それは漢字文明圏において最大の出来事ではないだろうか(黄文雄、漢字文明にひそむ中華思想の呪縛、2001年、227頁)。とのことである。
(26)
魏源の『海国図志』も、すぐに日本に輸入されました。漢文の本ですから、当時の日本人には簡単に読めます。これを読んだ幕末の日本人は、西洋文明の実力を認識し、日本が西洋の植民地にされるという深刻な危機意識を抱きました。幕末の日本が攘夷から開国に転じたのも、明治政府が殖産興業や富国強兵に力を入れたのも、魏源の「夷の長技を師として以て夷を制す」という主張の影響がありました。もし、江戸時代の日本人が、漢文を読めなかったら。もし日本でも科挙の受験勉強のような詰め込み式漢文教育が行われていたら、たぶん日本の近代化への歩みは、ずっと困難のものになっていたことでしょう。西郷隆盛、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、勝海舟といった幕末のヒーローたちは、いずれも漢詩を書き残しています。彼らは、いわば「中流実務階級」の出身者でした(加藤徹、NHK知るを楽しむ 歴史に好奇心、日中二千年漢字のつきあい、2008年、60・61頁)。との、ことである。
従って、
(25)(26)により、
(27)
日本とは異なり、中国が、列強に屈したのは、「漢文訓読法」が無かったが故に、ごく一部の特権階級だけしか、「漢文」が出来なかったからである。
といふ、「理屈」になる。
(28)
例へば、
① 我英語を学ばず。
といふ「訓読(書下し文)」を、
① 我不学英語。
といふ「漢文(白文)」に戻すことを、「復文」といふ。
然るに、
(29)
漢文の組織を理解せざれば、漢文を讀み、漢文を作ること能はず。その組織を理解する練習の一大捷逕としては復文が其の至上法なることは、先儒伊藤東涯以来の説く所にして、今更喋々を要せざるなり(山下賤夫、復文の系統的練習、1926年、序文)。との、ことである。
平成28年11月17日、毛利太。
―「関連記事」―
「漢文の、勉強の仕方」(http://kannbunn.blogspot.com/2016/11/blog-post_10.html)。
「漢文の補足構造」としての「括弧」の付け方(http://kannbunn.blogspot.com/2016/09/blog-post_22.html)。

2016年11月15日火曜日

「返り点」は「上」にしか「返へれない」。

(01)
① 曽子之母非〈不{知[子不〔殺(人)〕]}〉也=
① 1234B〈A{9[58〔7(6)〕]}〉C。
に於いて、
B〈 〉⇒〈 〉B
A{ }⇒{ }A
9[ ]⇒[ ]9
8〔 〕⇒〔 〕8
7( )⇒( )7
といふ「移動」を行ふと、
① 1234B〈A{9[58〔7(6)〕]}〉C⇒
① 1234〈{[5〔(6)7〕8]9}A〉BC=
① 曽子之母〈{[子〔(人)殺〕不]知}不〉非也=
① 曽子の母〈{[子の〔(人を)殺さ〕不るを]知ら}不るに〉非ざる也。
然るに、
(02)
 非〈 〉⇒〈 〉非
 不{ }⇒{ }不
 子[ ]⇒[ ]不
 不( )⇒( )子
 殺( )⇒( )殺
といふ「移動」を行ふことによって、
① 曽子之母非〈不{知[子不〔殺(人)〕]}〉也。
といふ「語順」を、
① 曽子之母〈{[子〔(人)殺〕不]知}不〉非也。
といふ「語順」で「読む」といふことは、
①「括弧」を用ゐて、「右から左へ、辺読する」といふことに、他ならない。
(03)
② 我非{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也=
② 1E{2C[8〔6(345)7〕B(9A)]D}F。
に於いて、
E{ }⇒{ }E
C[ ]⇒[ ]C
8〔 〕⇒〔 〕8
6( )⇒( )6
B( )⇒( )B
といふ「移動」を行ふと、
② 1E{2C[8〔6(345)7〕B(9A)]D}F⇒
② 1{2[〔(345)67〕8(9A)B]CD}EF=
② 我{必[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
② 我は{必ずしも[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざる也。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(04)
 非{ }⇒{ }非
 求[ ]⇒[ ]求
 以〔 〕⇒〔 〕以
 解( )⇒( )解
 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふことによって、
② 我非{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也。
といふ「語順」を、
② 我{必[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求者}非也。
といふ「語順」で「読む」といふことは、
②「括弧」を用ゐて、「右から左へ、辺読する」といふことに、他ならない。
然るに、
(05)
「括弧」を用ゐて、「右から左へ、辺読する」といふことは、「縦書き」であれば、
「括弧」を用ゐて、「からへ、辺読する」といふことに、他ならない。
従って、
(02)(04)(05)により、
(06)
(a)「括弧」は、「下から上にしか、返へらない」。
然るに、
(07)

然るに、
(07)により、
(08)
① レ レ 二 一レ レ
① 六 五 四 三  二 一
であれば、
 六
 ↑
 五
 ↑
 四
 ↑
 三
 ↑
 二
 ↑
 一
であって、
② 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
であれば、
 二 下 丙 地
 ↑ ↑ ↑ ↑
 一 上 乙 天
    ↑
    甲
である。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
(a)「 括弧 」は、「からにしか、返へらない」。
(b)「返り点」も、「からにしか、返へらない」。
然るに、
(10)
③ 二(三〔一)〕
に於いて、
 二( )⇒( )二
 三〔 〕⇒〔 〕三
といふ「移動」を行ふと、
③ 二(三〔一)〕⇒
③ (〔一)二〕三=
③   一 二 三。
然るに、
(11)
③〔( )〕
ではない所の、
(〔 )
といふ「それ」は、「括弧」ではない。
然るに、
(12)
 二 二
 ↑ ↓
 一 ↓
    三
であれば、「下から上に返へり、からに返ってゐる」。
従って、
(09)~(12)により、
(13)
例へば、
返り点のサンプル(http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/~yasuoka/kyodokenkyu/2007-06-19/kaeriten.html
の中に、
③ 二 三 一
④ 二 レ 三 レ 一
⑤ 中 下 二 三 一 上
のやうな「からに返へる、返り点」が見付かるのであれば、そのやうな「返り点」は、「括弧」で以て、「置き換へ」ることが、出来ない。
cf.
(〔 )
( )( )〕
[{(〔 )〕
然るに、
(14)
中国語の文章は文言と白話に大別されるが、漢文とは文章語の文言のことであり、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは呼ばない。通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない。白話文は直接口語訳するのがよく、より原文の語気に近い訳となる(ウィキペディア)。
従って、
(15)
「白話文(中国語)」は、「漢文」ではないため、仮に、「サンプル」の中に、「白話文(中国語)」が混ざってゐる場合は、
  一
 レ  レ 一
    一 上
のやうな「それ」が有ったとしても、その限りではなく、
「返り点」とは、飽くまでも、「下から上へ、返へる点」である。といふ、ことになる。
平成28年11月15日、毛利太。
―「関連記事」―
「漢文の補足構造」としての「括弧」の付け方(http://kannbunn.blogspot.com/2016/09/blog-post_22.html)。