2017年12月9日土曜日

「可以」について。

(01)
もし音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます。
(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(01)により、
(02)
① 何は(清音)
② 何音)
に於いて、
② 何(濁音) は、「音による、強調形」である。
である。
然るに、
(03)
前置による強調
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)
従って、
(03)により、
(04)
① 以(前置でない
以(前置である)
に於いて、
以(前置である) は、「前置による、強調形」である。
従って、
(02)(04)により、
(05)
② 何(濁音) は、「疑問詞であって、強調形」であって、
以(前置) は。「疑問詞であって、強調形」である。
cf.
② 何以(前置)⇒ WH移動(生成文法)。
然るに、
(06)
「前置」とは、「言ひ方」を換へると、「倒置」であり、
「強調」とは、「言ひ方」を換へると、「強意」である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
② 何が は、「疑問詞であって、(濁音による)強意形」であって、
② 何以 は、「疑問詞であって、(倒置による)強意形」である。
(08)
(2)「倒置」により、次の各分は文の成分の位置が変わっている。
① 詠嘆 ・・・ 賢人哉回也(賢なるかな回や)。
強意 ・・・ 何亡国敗家之有(何ぞ国を亡ぼし家を敗ること之有らん)。
提示 ・・・ 古人不可以成敗論也(古人をば成敗を以て論ずべからざるなり)。
(中村幸弘・杉本完治、漢文文型 訓読の語法、2012年、36頁を参照。)
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 何以遂得天下=何を以て遂に天下を得たる(十八史略)。
③ 覇道不可以得天下=覇道は以て天下を得るべからず(作例)。
に於いて、
② は、「(強意のための)倒置」であって、
③ は、「(提示のための)倒置」である。
従って、
(09)により、
(10)
③ 覇道不可以得天下=覇道は以て天下を得るべからず(作例)。
③ 夫興亡治乱之迹、為人君者可以鑒矣=夫れ、興亡治乱之迹、人君たる者以て鑒みるべし(朋党論)。
に於いて、
③ 覇道      は、「(提示のための)倒置」であって、
③ 興亡治乱之迹 も、「(提示のための)倒置」である。
従って、
(10)により、
(11)
③ 夫興亡治乱之迹、為人君者可以鑒矣(朋党論)。
の場合は、
③「(提示のための)倒置」をせずに、
③ 其治世(補語) を、加へて、「作例」するならば、
④ 為人君者可以興亡治乱之迹鑒其治世矣=
④ 為(人君)者可〔以(興亡治乱之迹)鑒(其治世)〕矣⇒
④ (人君)為者〔(興亡治乱之迹)以(其治世)鑒〕可矣=
④ (人君)たる者〔(興亡治乱の迹を)以て(其の治世を)鑑がみる〕べし矣=
④ (人に君主)たる者は〔(国家の興亡治乱の事跡を)以て(自分自身の治世と)照らし合はせる〕べきである!。
といふ、ことになる。
従って、
(11)により、
(12)
③ 夫興亡治乱之迹、為人君者可以鑒矣(朋党論)。
といふ「漢文」は、
③「(提示のための)倒置」を、「元に戻す」と、
③ 為人君者可以興亡治乱之迹鑒矣=人君たる者は、興亡治乱の迹を以て鑑がみるべし!(作例)。
といふ、ことになる。
然るに、
(13)
以Ⅴ」は、可能・許可の「Ⅴできる」意を表し、意味は「」のない「可Ⅴ」(Ⅴすべし)とほとんど同じです。
(古田島洋介、これならわかる復文の要領、2017年、154頁)
従って、
(12)(13)により、
(14)
③ 夫興亡治乱之迹、為人君者可以鑒矣(朋党論)。
といふ「漢文」は、
③「(提示のための)倒置」を、敢へて、「元に戻す」と、
③ 為人君者可以興亡治乱之迹鑒矣=
③ 人君たる者は、興亡治乱の迹を以て鑑がみるべし!(作例)。
といふ、ことになる。といふのは、飽く迄も、「私見」であって、漢文の先生や、中国語の先生が、そのやうに、言ってゐるわけではない。
平成29年12月09日、毛利太。

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