―「昨日と、一昨日の記事」を、書き直します。―
―「返り点」と「括弧」については、『「一二点・上下点」について(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html)』他を、お読み下さい。―
(01)
P=賈島の才能を愛す。
Q=賈島の短命を惜しむ。
とするならば、
① 賈島の才能を愛して、賈島の短命を惜しむ。といふことはない。
② 賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しまない。
といふ「日本語」は、
① ~(P& Q)
② P→~Q
といふ風に、書くことが、出来る。
然るに、
(02)
1 (1)~(P&Q) A
2 (2) P A
3(3) Q A
23(4) P&Q 23&I
123(5)~(P&Q)&(P&Q)24&I
12 (6) ~Q 35RAA
1 (7) P→~Q 26CP
(03)
1 (1) P→~Q A
2 (2) P& Q A
2 (3) P 2&E
2 (4) Q 2&E
12 (5) ~Q 13MPP
12 (6) ~Q&Q 45&I
1 (7)~(P&Q) 26RAA
従って、
(02)(03)により、
(04)
① ~(P& Q)
② P→~Q
に於いて、
①=② である。
従って、
(01)(04)により、
(05)
① 賈島の才能を愛して、賈島の短命を惜しむ。といふことはない。
② 賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しまない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(06)
① 賈島の才能を愛して、賈島の短命を惜しむ。といふことはない。
といふ「日本語」は、
① 其の=賈島
であるとして、
① 不愛其才而惜其命薄=
① 不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① 〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① 〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ず。
といふ風に、書くことが、出来る。
然るに、
(07)
① 不愛其才而惜其命薄。
に対して、
③ 誰不愛其才而惜其命薄。
③ 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
③ 誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
③ 誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
は、「反語」である。
然るに、
(08)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる。
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、45頁、1973年)
従って、
(07)(08)により、
(09)
① 不愛其才而惜其命薄。
③ 誰不愛其才而惜其命薄。
に於いて、
③ は、① の「否定(反語)」である。
従って、
(01)(05)(09)により、
(10)
③ 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
①=② であるところの、
① 賈島の才能を愛して、賈島の短命を惜しむ。といふことはない:~(P&Q)。
② 賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しまない:P→~Q。
に対する、「否定」である。
然るに、
(11)
② 賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しまない:P→~Q。
に対する、「否定」は、
④ 賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しまない。といふことはない:~(P→~Q)。
である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
③ 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
④ 賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しまない。といふことはない:~(P→~Q)。
といふ「意味」になる。
然るに、
(13)
④ 賈島の才能を愛するならば、賈島の短命を惜しまない。といふことはない。
といふことは、
④ 賈島の才能を愛する者であれば、誰もが、賈島の短命を惜しむ。
といふことに、他ならない。
然るに、
(14)
④ 賈島の才能を愛する者であれば、誰もが、賈島の短命を惜しむ。
といふ「命題」と、
⑤ 誰もが賈島の才能を愛し、 誰もが、賈島の短命を惜しむ。
といふ「命題」は、「同じ」ではない。
然るに、
(15)
④ 臨死之日、家無一銭、惟病驢古琴而已。当時誰不愛其才而惜其命薄=
④ 臨(死)之日、家無(一銭)、惟病驢古琴而已。当時誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
④ (死)臨之日臨、家(一銭)無、惟病驢古琴而已。当時誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
④ (死に)臨むの日、家に(一銭)無く、惟だ病驢古琴のみ。当時誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや=
④ 死に臨んだ日、家には一銭もなく、ただ、病気のロバがゐて、古い琴だけがあった。その当時、誰がその(詩人賈島の)才能を愛して、その(賈島の)命の短いことを惜しまないことがあろうか。
(cf.多久弘一、多久の漢文公式110、1988年、85頁)
然るに、
(15)
⑤ 誰もが賈島の才能を愛した。
とするならば、裕福なパトロンがゐても、「をかしく」はないため、
④ 死に臨んだ日、家には一銭もなく、ただ、病気のロバがゐて、古い琴だけがあった。
といふことは、「をかしい」。
加へて、
(16)
⑥ 賈島自題曰、二句三年得、一吟双涙流。知音如不賞、帰-臥故山秋=
⑥ 賈島自題曰、二句三年得、一吟双涙流。知音如不(賞)、帰-臥(故山秋)⇒
⑥ 賈島自題曰、二句三年得、一吟双涙流。知音如(賞)不、(故山秋)帰-臥=
⑥ 賈島自ら題して曰く、二句三年にして得、一吟双涙流る。知音如し(賞せ)ずんば、(故山の秋に)帰-臥せんと=
⑥ 賈島が自ら書いて言った、二句からなる詩を三年も掛けて作り上げ、その詩を吟ずると、涙が流れる。それでも、友人が、この詩を誉めないならば、秋の故郷に隠居してしまおう。
(cf.多久弘一、多久の漢文公式110、1988年、35頁)
従って、
(16)により、
(17)
⑤ 誰もが、賈島の才能を理解し愛した。
といふわけではない。
従って、
(12)~(17)により、
(18)
③ 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
④ 賈島の才能を愛する者であれば、誰もが、賈島の短命を惜しむ(はずであるが、そのやうな者は、あまりにも、少なかった)。
といふ「意味」になる。
然るに、
(19)
⑤ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命の短いことを惜しまないことがあろうか、その才能と短命を愛惜した。
(cf.多久弘一、多久の漢文公式110、1988年、85頁)
といふのであれば、
⑤ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さないことがあろうか、誰が賈島の命の短いことを惜しまないことがあろうか、誰もがその才能と短命を愛惜した。
といふ「意味」に、取れるはずである。
然るに、
(20)
④ 賈島の才能を愛する者であれば、誰もが、賈島の短命を惜しむ(はずであるが、そのやうな者は、あまりにも、少なかった)。
といふ「命題」と、
⑤ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さないことがあろうか、誰が賈島の命の短いことを惜しまないことがあろうか、誰もがその才能と短命を愛惜した。
といふ「命題」は、「同じ」ではない。
従って、
(14)(18)(19)(20)により、
(21)
⑤ 誰がその(詩人賈島の)才能を愛さず、賈島の命の短いことを惜しまないことがあろうか、その才能と短命を愛惜した。
といふ「解釈」は、マチガイである。
平成29年12月31日、毛利太。
0 件のコメント:
コメントを投稿