2021年4月24日土曜日

「白文訓読」と「(副詞としての)主語」。

(01)
漢語文法の基礎となっている文法的関係として、次の四つの関係(構造)をあげることができる。
(一)主述構造  主語―述語
(二)修飾構造 修飾語―被修飾語
(三)補足構造 叙述語―補足語
(四)並列構造 並列語―並列語
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、281・282頁改)
従って、
(01)により、
(02)
① 我不常読漢文。
であるならば、
① 我=主語
① 常=修飾語
① 不=叙述語
① 読=叙述語
① 漢=修飾語
① 文=補足語
である。
然るに、
(03)
① 我=主語
ではなく、
① 我=連用修飾語
であるとし、
① 我=連用修飾語
① 常=連用修飾語
① 不=叙述語
① 読=叙述語
① 漢=連体修飾語
① 文=補足語
であるとする。
然るに、
(04)
連用修飾語」を「 副詞 」とし、
「連体修飾語」を「形容詞」とする。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 我=副詞
① 常=副詞
① 不=叙述語
① 読=叙述語
① 漢=形容詞
① 文=補足語
であるとする。
然るに、
(06)
① 我不〔常読(中文)〕。
に於いて、
不〔 〕⇒〔 〕不
読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
① 我不〔常読(漢文)〕⇒
① 我〔常(漢文)読〕不=
① 我〔常には(漢文を)読ま〕ず。
といふ「訓読の語順」を、得ることになる。
然るに、
(07)
管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、143頁)。
然るに、
(08)
副詞」は、「叙述語」を介して、「補足語」に「管到する(掛かってゐる)」とする。
従って、
(05)~(08)により、
(09)
① 我不〔常読(漢文)〕。
に於いて、
① 我( 副詞 ) は、「不(叙述語)」を介して、〔常読(漢文)〕に、「管到する(掛かってゐる)」。
① 不(叙述語) は、「不(叙述語)」として、 〔常読(漢文)〕に、「管到する(掛かってゐる)」。
① 常( 副詞 ) は、「読(叙述語)」を介して、  読(漢文) に、「管到する(掛かってゐる)」。
① 読(叙述語) は、「読(叙述語)」として、   読(漢文) に、「管到する(掛かってゐる)」。
然るに、
(10)
② 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
□( )⇒( )□
□〔 〕⇒〔 〕□
□[ ]⇒[ ]□
□{ }⇒{ }□
□〈 〉⇒〈 〉□
といふ「移動」を、行ふと、
② 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也⇒
② 我〈必{[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也=
② 我は〈必ずしも{[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
といふ「訓読の語順」を、得ることになる。
従って、
(07)(08)(10)により、
(11)
② 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
② 我(副詞) は、「非(叙述語)」を介して、〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉に、「管到する(掛かってゐる)」。
従って、
(09)(11)により、
(12)
① 我不〔常読(漢文)〕。
② 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
「我」は「副詞」であって、「叙述語」を介して、「補足語」に「管到する(掛かってゐる)」。
従って、
(07)(12)により、
(13)
「白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない。」
といふことが、あるものの、その場合は、
「我」は「副詞」であって、「叙述語」を介して、「補足語」に「管到する(掛かってゐる)」。
といふことを、「確認」する、「必要」がある。
従って、
(14)
例へば、
① 読書。
② 我読書。
③ 我不読書。
④ 我不常読書。
⑤ 我解漢文者也。
⑥ 我非解漢文者也。
⑦ 以解中文法解漢文。
⑧ 求以解中文法解漢文。
⑨ 不求以解中文法解漢文。
⑩ 不求以解中文法解漢文者。
⑪ 非不求以解中文法解漢文者。
⑫ 我非不求以解中文法解漢文者。
⑬ 我非不求以解中文法解漢文者也。
⑭ 我非必不求以解中文法解漢文者也。
といふ「白文」を「訓読」する際に於いて、
② 我
③ 我
④ 我
⑤ 我
⑥ 我
⑬ 我
⑭ 我
は、すべて「副詞」である。
然るに、
(01)により、
(15)
⑮ 我日本人也(I am a japanese)。
の場合は、
(一)主述構造  主語―述語
である。
従って、
(15)により、
(16)
⑮ 我日本人也(I am a japanese)。
であれば、
⑮ 我 は「名詞」であって、「副詞」ではない。
従って、
(01)~(16)により、
(17)
「白文訓読」といふ「観点」からすると、
「我」は、時に、「副詞」であって、時に、「名詞」である。
然るに、
(18)
修辞法でも、自分のことをわざと気取って第三者的に「人」と呼んだり、身分面では、天子は「朕」、諸侯は「寡人」、臣下は「」と称するなど、漢文における一人称および一人称的に使われる語彙はきわめて豊富である。この感覚は日本人にもわかりやすい(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、36頁)。
(19)
「日本語に即した文法の樹立を」を目指すわれわれは「日本語人称代名詞と呼ばれているものは、実は名詞だ」と宣言したい。どうしても区別したいなら「人称名詞」で十分だ。日本語の「人称代名詞」はこれからは「人称名詞」と呼ぼう(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、40・41頁)。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
「白文訓読」といふ「観点」からすると、
「我」は、「副詞」であって、「名詞」であるとしても、「(英文法でいふやうな)人称代名詞」といふ、わけではない。
令和03年04月24日、毛利太。

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