2021年4月6日火曜日

「象鼻文」と「述語論理」と「京都大学文学部・矢田部俊介・論理学、第一回(YouTube)」。

―「昨日の記事(令和03年04月05日)」を書き直します。―
(01)
京都大学文学部・矢田部俊介先生、曰く、
(1)「歩く」といふ「人間の行為」を「理解」するためには、「歩行が可能な、ロボット」を作ってみればよく、同様に、
(2)「推論」といふ「人間の行為」を「理解」するためには、「推論が可能な、コンピュータのプログラム」を書いてみればよい。然るに、
(3)「推論をシュミレートするコンピュータのプログラム」は、ゲンツェンに由来する所の、「述語計算(自然演繹)」に基づいて、書かれることになる。
(cf.京都大学文学部・矢田部俊介・論理学、前期第01回授業(YouTube)、開始から約51分後から64分後)
然るに、
(02)
命題計算の規則は、本質的にゲンツェン(G.Gentzen)」に由来するものである。― 中略 ―、述語計算の規則もゲンツェンに由来するものである。
(E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、序ⅲ改)
然るに、
(03)
次の「述語計算」は、「E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳」を学習した人間(私)によって、書かれてゐる。
1     (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx~長z)} A
 2    (2)∀x{兎x→∃y(長y耳yx)&∀z(耳zx~鼻zx)} A
  3   (3)∃x(兎x&象x)                      A
1     (4)   象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  1UE
 2    (5)   兎a→∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za)  2UE
   6  (6)   兎a&象a                       A
   6  (7)      象a                       6&E
   6  (8)   兎a                          6&E
1  6  (9)      ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  48MPP
 2 6  (ア)      ∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za)  57MPP
1  6  (イ)      ∃y(鼻ya&長y)               9&E
    ウ (ウ)         鼻ba&長b                A
 2 6  (エ)      ∃y(長y&耳ya)               ア&E
     オ(オ)         長b耳ba                A
     オ(カ)            耳ba                オ&E
 2 6  (キ)                 ∀z(耳za→~鼻za)  ア&E
 2 6  (ク)                    耳ba~鼻ba   キUE
 2 6 オ(ケ)                        ~鼻ba   カクMPP
1  6  (コ)                 ∀z(~鼻za→~長z)  ア&E
1  6  (サ)                    ~鼻ba~長b   コUE
12 6 オ(シ)                         ~長b   ケサMPP
     オ(ス)         長b                    オ&E
12 6 オ(セ)         長b&~長b                シス&I
12 6  (ソ)         長b&~長b                エオセEE
123   (タ)         長b&~長b                36ソEE
12    (チ)~∃x(兎x&象x)                     3タRAA
12    (ツ)∀x~(兎x&象x)                     チ量化子の関係
12    (テ)  ~(兎a&象a)                     ツUE
12    (ト)  ~兎a∨~象a                      テ、ド・モルガンの法則
12    (ナ)   兎a→~象a                      ト含意の定義
12    (ニ)∀x(兎x→~象x)                     ナUI
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx~長z)}。然るに、
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(長y耳yx)&∀z(耳zx~鼻zx)}。従って、
(ⅲ)∀x(兎x→~象x)。
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。   然るに、
(ⅱ)すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyは長くて、xの耳であり、すべてのzについて、zがxの耳であるならば、zはxの鼻ではない}。従って、
(ⅲ)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない)。
といふ「推論(三段論法)」は、「述語論理」として、「妥当」である。
然るに、
(05)
(ⅰ)象は鼻長い。然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
(ⅰ)象は鼻長い。然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。と、「人間」が「思ひ」、
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。然るに、
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)}。従って、
(ⅲ)∀x(兎x→~象x)。
といふ「推論(三段論法)」を、「コンピュータ」が「計算」するのであれば、
① 象は鼻長い。⇔
① 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
① すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(07)
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
ではなく、
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
とするならば、
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。然るに、
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)}。従って、
(ⅲ)∀x(兎x→~象x)。
といふ「推論」は、成立しない。
然るに、
(08)
次(09)に示す通り、沢田充茂 先生が、所謂、
(ⅰ)象は鼻長い。
といふ「それ」は、
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}⇔
(〃)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長い}。
であって、
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
(〃)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
ではない。
(09)
沢田充茂の『現代論理学入門』(一九六ニ年)には楽しい解説が載っています。
・・・・・・たとえば「象は鼻が長い」というような表現は、象が主語なのか、鼻が主語なのかはっきりしないから、このままではその論理的構造が明示されていない。いわば非論理的な文章である、というひともある。しかしこの文の論理的な構造をはっきりと文章にあらわして「すべてのxについて、もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い」といえば・・・・・・たとえば動物園で象をはじめて見た小学生が、父親にむかってこのような文章で話しかけたとすれば、その子供は論理的であるといって感心されるまえに社会人としての常識をうたがわれるにきまっている。常識(すなはち共通にもっている情報)でわかっているものはいちいち言明の中にいれないで、いわば暗黙の了解事項として、省略し、できるだけ短い記号の組み合せで、できるだけ多くの情報を伝えることが日常言語の合理性の一つである。・・・・・・
(山崎紀美子、日本語基礎講座―三上文法入門、2003年、214頁)
従って、
(08)(09)により、
(10)
山崎紀美子 先生も、
① 象は鼻長い。⇔
① 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
① すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
といふ「等式」を、「是認」しない。
然るに、
(11)
つまり沢田氏によれば、「象は鼻長い」というのは合理的な省略を行った言語表現であり、そこには明確な論理構造がある、ということです。三上はこれを文型として登録すべきであると、主張しています。
象をAに、鼻をBに、長いをCに変え、文型の公式として、
 Aは、BCだ。
を作っておきます。すると、この公式に当てはまる文は、たいてい機械的にパラフレーズできます。
 二辺の平方の和が第三辺の平方の和に等しい三角形は、第三辺に対する角直角である。
(山崎紀美子、日本語基礎講座―三上文法入門、2003年、215頁)
然るに、
(12)
② 二辺の平方の和が第三辺の平方の和に等しい三角形は、第三辺に対する角直角である。
といふことは、
② 二辺の平方の和が第三辺の平方の和に等しい三角形は、第三辺に対する角は直角であり、その角以外の角は、直角ではない
といふことに、他ならない。
cf.
「直角三角形に於ける、直角は、一つしか無い。」
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
「象鼻文」の生みの親である、三上章先生 自身も、
① 象は鼻長い。⇔
① 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
① すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
といふ「等式」を、「是認」しない。
従って、
(06)~(13)により、
(14)
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)}。
ではなく、
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)}。
であるならば、
(ⅲ)∀x(兎x→~象x)。
といふ「結論」にはならない、が故に、
「三上章 先生」が所謂、「象は鼻が長い(象鼻文)。」を「是認」する限り、
(ⅰ)象は鼻長い。然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論」を、「コンピュータ」で、「シュミレート」することは、出来ない
従って、
(01)(14)により、
(15)
(1)「歩く」といふ「人間の行為」を「理解」するためには、「歩行が可能な、ロボット」を作ってみればよく、同様に、
(2)「推論」といふ「人間の行為」を「理解」するためには、「推論が可能な、コンピュータのプログラム」を書いてみればよい。
といふ「立場」からすると、「三上文法」の「象鼻文」は、「正しくはない」。
令和03年04月06日、毛利太。

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