(01)
ブログを始めた当初から、これまでに、何度も示してゐる通り、
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
3 (3)∃x(兎x&象x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 兎a&象a A
6 (7) 象a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 48MPP
2 6 (ア) ∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za) 57MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
2 6 (エ) ∃y(耳ya&長y) ア&E
オ(オ) 耳ba&長b A
オ(カ) 耳ba オ&E
2 6 (キ) ∀z(耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ク) 耳ba→~鼻ba キUE
2 6 オ(ケ) ~鼻ba カクMPP
1 6 (コ) ∀z(~鼻za→~長z) ア&E
1 6 (サ) ~鼻ba→~長b コUE
12 6 オ(シ) ~長b ケサMPP
オ(ス) 長b オ&E
12 6 オ(セ) 長b&~長b シス&I
12 6 (ソ) 長b&~長b エオセEE
123 (タ) 長b&~長b 36ソEE
12 (チ)~∃x(兎x&象x) 3タRAA
12 (ツ)∀x~(兎x&象x) チ量化子の関係
12 (テ) ~(兎a&象a) ツUE
12 (ト) ~兎a∨~象a テ、ド・モルガンの法則
12 (ナ) 兎a→~象a ト含意の定義
12 (ニ)∀x(兎x→~象x) ナUI
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。然るに、
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)}。従って、
(ⅲ)∀x(兎x→~象x)。
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
然るに、
(03)
アメリカの論理学者パースはレーマという概念を導入した。例をあげると、「・・・は善良である」、「・・・は―――を愛する」、「・・・は―――に与える」といったものである。つまりレーマとは、いくつかの空白的部分をもつ文のことである。ところでこのレーマは現在の論理学のことばでいえば、明らかに命題関数である。
つまり、f(x)、f(x、y)、f(x,y)といったものである(山下正雄、論理学史、1983年、95頁)。
従って、
(02)(03)により、
(04)
兎(x) は、「命題関数(レーマ)」であって、
象(x) も、「命題関数(レーマ)」である。
然るに、
(05)
~象(x) は、
象(x) の、「全体の、否定」であるため、
~〔象(x)〕 でなければ、ならない。
従って、
(04)(05)により、
(06)
∀x(兎x→~象x)
という「論理式(wff)」は、
∀x[兎(x)→~〔象(x)〕]
といふ風に、書くならば、「括弧の省略」は無い。
従って、
(02)(06)により、
(07)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
といふ「論理式(wff)」は、
1 (1)∀x{象(x)→∃y〔鼻(yx)&長(y)〕&∀z[~〔鼻(zx)〕→~〔長(z)〕]} A
2 (2)∀x{兎(x)→∃y〔耳(yx)&長(y)〕&∀z[ 耳(zx) →~〔鼻(zx)〕} A
といふ風に、書くならば、「括弧の省略」は無い。
然るに、
(08)
① ∀x{象(x)→∃y〔鼻(yx)&長(y)〕&∀z[~〔鼻(zx)〕→~〔長(z)〕]}
② ∀x{兎(x)→∃y〔耳(yx)&長(y)〕&∀z[ 耳(zx) →~〔鼻(zx)〕}
に於ける、「命題関数(レーマ)」に於いて、
□( )⇒□
□〔 〕⇒□
といふ「移動」を行ふと、
① ∀x{(x)象→∃y〔(yx)鼻&(y)長〕&∀z[〔(zx)鼻〕~→〔(z)長〕~]}
② ∀x{(x)兎→∃y〔(yx)耳&(y)長〕&∀z[ (zx)耳 →〔(zx)鼻〕~}
となって、「左から右へ」、
① すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて[zがxの鼻でないならば、zは長くない]}。
② すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyはxの耳であって、長く、すべてのzについて[zがxの耳であるならば、zはxの鼻ではない]}」。
という「語順」になる。
然るに、
(09)
記号論理学は、英語などヨーロッパ語を母国語とする文化圏でもっぱら開発された学門であるにもかかわらず、論理学者の母語よりも日本語のような外国語の文法に合致している部分が少なくない(もちろん逆もある)。このことは、論理学が、ローカルな日常言語ではなく言語的な普遍論理をかなり再現しおおせている証しと言えるだろう(三浦俊彦、ラッセルのパラドックス、2005年、105頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)}
といふ「人工言語」は、日本人の我々であれば、初めから、
① ∀x{x象→∃y(yx鼻&y長)&∀z(zx鼻~→z長~)}
② ∀x{x兎→∃y(yx耳&y長)&∀z(zx耳→zx鼻~)}
といふ「語順」で書いて、
① すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
② すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの耳であって、長く、すべてのzについて、zがxの耳であるならば、zはxの鼻ではない}。
という風に「訓読」しても、「何らの問題」も無い。
然るに、
(11)
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
従って、
(10)(11)により、
(12)
「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く西洋文化研究者は、
「述語論理とは異なり、漢文は、自然言語であって、人工言語などでは、決してない。」と思っている、ことになる。
然るに、
(13)
文語体と口語体の区別は、もし簡便な基準を探すとなれば、それは耳で聞いてわかるのが口語体で、目で見なければわからないのが文語体だ、といえる。(「開明文言読本」開明書店、1948、導言)呂叔湘氏は人も知る「中國文法要略」(商務印書館、1942)の著者であり、解放後は中國科学院言語研究所長を勤めている超一流の言語学者であり、文化人である。
(牛島徳次、中國語の学び方、1977年、60頁)
然るに、
(14)
「耳で聞いてもわからず、目で見なければわからない自然言語が、母国語である国など、世界中のどこにも、無い。」
従って、
(11)~(14)により、
(15)
「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く西洋文化研究者は、
「述語論理とは異なり、漢文は、自然言語であって、人工言語などでは、決してない。」と思っているものの、
「耳で聞いてもわからず、目で見なければわからない漢文が、自然言語であるはずがない」ため、
「どこの国に、漢文を、母国語の語順で読む国があろう」かと嘆くこと自体が、「間違ひである。」と、すべきである。
(16)
シナや極東の王国では、一般に文字をも語を表わすのではなく、事物あるいは観念を表わすような、実物符号で書くのがならいになっている。そしてそれゆえに、たがいに相手の言語を理解しない国々と地方が、それにもかかわらず、たがいに相手の書き物を読むことができるのであるが、それは符号のほうが言語の及ばぬほど広い範囲に了解されるからである。そしてそれゆえに、語根語と(おそらく)同じほどばく大な数の符号があるのである(服部英次郎、多田英次、ベーコン、学問の進歩 他、2005年、124頁)。
然るに、
(17)
「たがいに相手の言語を理解しない国々と地方が、それにもかかわらず、たがいに相手の書き物を読むことができる。」
ということは、「素晴らしいこと」であるに、違ひない。
従って、
(18)
「漢文」は、むしろ、「日本語」としても、「理解できる」からこそ、その点に於いては、例へば、「ラテン語よりも、優れてゐる」とすべきである。
然るに、
(19)
少数の天才的なひとたちあるいは秀才たちは、返り点・送り仮名をつけなくとも正確な漢文の理解に至るであろう。李氏朝鮮の儒学のレベルの高さはそういう少数の秀才や天才に負うものである。・・・・・・しかし大多数のコリア人にとって、シナの古典は近づき難い高峰であった」(渡辺昇一、『英文法を撫でる』PHP新書、頁は不明)。
然るに、
(20)
日本のような漢文訓読法がなかった朝鮮では、純正漢文を読めたのは上流知識人に限られた。読書層は日本にくらべると薄く、朝鮮の対日認識は限定的なものにとどまった。極論すれば、漢文訓読法をもてなかったことが、朝鮮が近代において日本に圧倒されるようになった遠因の一つとなった(加藤徹、漢文の素養、2006年、199頁)。
従って、
(16)~(20)により、
(21)
「漢文」は、例へば、「朝鮮語」としても、「理解できた」はずであるが、「日本人」とは異なり、「朝鮮人」は、それをしなかった、ということになる。
令和03年04月22日、毛利太。
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