2021年10月28日木曜日

「コンニャクは太らない」の「述語論理」と「提示語」。

(01)
たとえば「こんにゃく文」と呼ばれるものです。「こんにゃくは太りません」という例文には主語があるでしょうか。
主語があるとしたら何であるかが問題になります。主語は述語と対応関係を形成します。述語の主人公が主語です。
主語が「こんにゃく(は)」で述語が「太りません」では、文の意味が[太らないとされる当事者がこんにゃく]ということになってしまいます。例文の文構造を、どう考えるべきでしょうか。
(投稿日: 2017-02-06 作成者: 丸山有彦)
然るに、
(02)
1      (1) ∀x{蒟蒻x→~∃y(人y&食yx&太y)}  A
 2     (2) ∀x{麺麭x→ ∃y(人y&食yx&太y)}  A
  3    (3) ∃x(蒟蒻x&麺麭x)             A
1      (4)    蒟蒻a→~∃y(人y&食ya&太y)   1UE
 2     (5)    蒟蒻a→ ∃y(人y&食ya&太y)   2UE
   6   (6)    蒟蒻a&麺麭a              A
   6   (7)    蒟蒻a                  6&E
   6   (8)        麺麭a              6&E
1  6   (9)        ~∃y(人y&食yx&太y)   47MPP
 2 6   (ア)         ∃y(人y&食yx&太y)   58MPP
12 6   (イ)        ~∃y(人y&食yx&太y)&
                   ∃y(人y&食yx&太y)   9ア&I
123    (ウ)        ~∃y(人y&食yx&太y)&
                   ∃y(人y&食yx&太y)   36イEE
12     (エ)~∃x(蒟蒻x&麺麭x)             3ウRAA
    オ  (オ)    蒟蒻a&麺麭a              A
    オ  (カ) ∃x(蒟蒻x&麺麭x)             オEI
12  オ  (キ)~∃x(蒟蒻x&麺麭x)&∃x(蒟蒻x&麺麭x) オカ&I
12     (ク)  ~(蒟蒻a&麺麭a)             オキRAA
     ケ (ケ)    蒟蒻a                  A
      コ(コ)        麺麭a              A
     ケコ(サ)    蒟蒻a&麺麭a              ケコ&I
12   ケコ(シ)  ~(蒟蒻a&麺麭a)&(蒟蒻a&麺麭a)   クサ&I
12   ケ (ス)       ~麺麭a              コシRAA
12     (セ)   蒟蒻a→~麺麭a              ケスCP
12     (ソ)∀x(蒟蒻x→~麺麭x)             セUI
従って、
(02)により、
(03)
① ∀x{蒟蒻x→~∃y(人y&食yx&太y)}。然るに、
② ∀x{麺麭x→ ∃y(人y&食yx&太y)}。従って、
③ ∀x(蒟蒻x→~麺麭x)。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(03)により、
(04)
① すべてのxについて{xが蒟蒻であるならば、ある(yが人であり、yがxを食べ、yが太る)といふことはない}。然るに、
② すべてのxについて{xが麺麭であるならば、ある(yは人であり、yはxを食べ、yは太る)}。従って、
③ すべてのxについて(xが蒟蒻であるならば、xは麺麭ではない)。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(04)により、
(05)
① コンニャクは、それを食べて、太る者はゐない。然るに、
② パンは、   それを食べて、太る者もゐる。 従って、
③ コンニャクは、パンではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(02)~(05)により、
(06)
① コンニャクは、それを食べて、太る者はゐない。
③ コンニャクは、パンではない。
といふ「日本語」は、
① ∀x{蒟蒻x→~∃y(人y&食yx&太y)}。
③ ∀x(蒟蒻x→~麺麭x)。
といふ「述語論理式」に、「相当」する。
従って、
(06)により、
(07)
① コンニャクは、それを食べて、太る者はゐない。
③ コンニャクは、パンではない。
といふ「日本語」に於ける、
① コンニャクは、
③ コンニャクは、
といふ「日本語」は、両方とも、
① ∀x{蒟蒻x→
③ ∀x(蒟蒻x→
といふ「意味」、すなはち、
① すべてのxについて{xが蒟蒻であるならば、
③ すべてのxについて{xが蒟蒻であるならば、
といふ、「意味」である。
従って、
(07)により、
(08)
① コンニャクは、それを食べて、太る者はゐない。
③ コンニャクは、パンではない。
といふ「日本語」に於ける、
① コンニャクは、
③ コンニャクは、
に於いて、
① =② である。
然るに、
(09)
③ コンニャクはパンではない。
に於ける、
③ コンニャクは
は、「常識的」には、「主語」である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① コンニャクは、それを食べて、太る者はゐない。
③ コンニャクは、パンではない。
といふ「日本語」に於ける、
① コンニャクは、
③ コンニャクは、
に於いて、
① は「主語」であり、
② も「主語」である。
然るに、
(11)
② 蒟蒻無人食之而太者=
② 蒟蒻無〔人食(之)而太者〕⇒
② 蒟蒻〔人(之)食而太者〕無=
② 蒟蒻は〔人にして(之れ)を食して太る者〕無し=
② コンニャクは、これを食べて、太る者は、ゐない。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① コンニャクは、それを食べて、太る者はゐない。
② 蒟蒻は〔人にして(之れ)を食して太る者〕無し。
③ コンニャクは、パンではない。
といふ「日本語」に於ける、
① コンニャクは、
③ コンニャクは、
に於いて、
① は「主語」であり、
② も「主語」であり、
③ も「主語」である。
然るに、
(13)
 第17節 大主語提示
主語・述語の順序で並べられた文章で、述語の上に置かれる語が一つの主語ではなく、主語が重なっている場合がある。
また何かについて述べようとしてその語をまず先に掲げておいて、その次にそれについて具体的に説明する場合がある。
(西田太一郎、漢文の語法、1980年、120頁改)
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
① コンニャクは、それを食べて、太る者はゐない。
② 蒟蒻は〔人にして(之れ)を食して太る者〕無し。
といふ「日本語」に於ける、
① コンニャクは、
② 蒟蒻は、
に於いて、
① は「提示語」であり、
② も「提示語」である。
従って、
(01)~(14)により、
(15)
「述語論理」並びに、「漢文の文法」といふ「観点」からすれば、
① コンニャクは、太らない。
② 蒟蒻は〔人にして(之れ)を食して太る者〕無し。
といふ「日本語」に於ける、
① コンニャクは、
② 蒟蒻は、
に於いて、
① は「主語提示語)」であり、
② も「主語提示語)」である。
従って、
(15)により、
(16)
「述語論理」並びに、「漢文の文法」からすれば、
主語提示語)」といふ「用語」を、「廃止」すべきではない。
然るに、
(17)
学校文法は単純な英語文法からの輸入で、主語・述語関係を単純に当てはめたものだ。そのため、「象は、鼻が長い」という単純な文でさえ、どれが主語だか指摘できず、複数主語だとか、主語の入れ子だとか、奇矯な技を使う。これに対して三上は、日本語には主語はない、とする。「象は」は、テーマを提示する主題であり、これから象についてのことを述べますよというメンタルスペースのセットアップであり、そのメンタルスペースのスコープを形成する働きをもつと主張する(この場合は「長い」までをスコープとする)。また、「鼻が」は主格の補語にすぎなく、数ある補語と同じ格であるとする。基本文は述語である「長い」だけだ。
(三上文法! : wrong, rogue and log)
従って、
(17)により、
(18)
三上先生が所謂、「テーマを提示する主題」といふのは、
西田先生が所謂、「提示語」であるに、違ひない。
然るに、
(19)
主語」を廃止しようというのは、この用語のままでは困るからである。困ることが前提である。だから、まず困ってもらわないと、困るのである。困ったことには、まず困るというところへも行かない人がかなり多いらしい。
(三上章、日本語の論理、1963年、148頁)
従って、
(13)(18)(19)により、
(20)
西田先生は、「主語」と「提示語」を、「矛盾」しないとしてゐるものの、
三上先生は、「主語」と「提示語」を、「矛盾」するものとして、捉えてゐる。
然るに、
(21)
まだ現物を見ていませんが、幻の書と言われた漢文の解説本が復刊されました。
2chの漢文参考書スレには必ずといっていいほど登場する本。
そして古本では必ず1万円以上する!! ―中略―、
知る人ぞ知る、『漢文法基礎』です。久々に「買い」の本が出ましたよ。
(古田島洋介、FC2ブログ、古代中国箚記)
然るに、
(22)
最近、神保町で購入した『漢文の語法』も、YAHOO!ショッピングでは、2万円近くするものの、
『二畳庵主人著、漢文法基礎』も、
『西田太一郎著、漢文の語法』も、
主語」を廃止しようというのは、この用語のままでは困るからである
といふ「立場」を、取ってはいない。
従って、
(19)(22)により、
(23)
三上先生は、「主語」を廃止しようというのは、この用語のままでは困るからである。
といふものの、『漢文の文法(語法)』を学ぼうと、する限り、「主語」といふ「用語」を、「無視」するわけには、行かない。
令和03年10月28日、毛利太。

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