(01)
「象は鼻が長い」という文が大正年間から専門家を悩ませていた。「象は」も主語、「鼻が」も主語。ひとつのセンテンスに二つも主語があってはならない。しかし、この表現は誤りではない。どう説明、合理化したらよいか、というのである。うまく解決する方法は見つからなかった。戦後になって三上章という人がおもしろい説を出した。「象は」は主語ではなくて主題である。「鼻が長い」は主語と述語だというので、これなら二重主語でなくなる。主題というのは、「についていえば」のように範囲を示す、いわば副詞のようなものだと考える。副詞なら主語になれない。三上章はこの説を『象ハ鼻が長イ』(くろしお出版)という本にしたが、保守的な学会の承認するところとはならなかった。ところが思いがけないところに共鳴者があらわれた。旧ソ連の言語学者が三上説を大発見のようにもてはやした。ソ連から本の注文が来るが、題名が題名だから、輸入業者がてっきり童話の本と勘違いして、ゴタゴタしたというエピソードがある(外山滋比古、日本語の個性)。
然るに、
(02)
1 (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx& 長y)} A
2 (2) ∀x{兎x→∃y(鼻yx&~長y)} A
3 (3) ∃x(象x&兎x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya& 長y) 1UE
1 (5) 象a→∃y(鼻ya& 長y) 4&E
2 (6) 兎a→∃y(鼻ya&~長y) 2UE
7 (7) 象a&兎a A
7 (8) 兎a 7&E
1 7 (9) ∃y(鼻ya& 長y) 58MPP
ア (ア) 鼻ba& 長b A
ア (イ) 長b ア&E
7 (ウ) 兎a 7&E
2 7 (エ) ∃y(鼻ya&~長y) 6ウMPP
オ (オ) 鼻ba&~長b A
オ (カ) ~長b オ&E
アオ (キ) 長b&~長b イカ&I
2 7ア (ク) 長b&~長b エオキEE
12 7 (ケ) 長b&~長b 9アクEE
123 (コ) 長b&~長b 37ケEE
12 (サ)~∃x(象x&兎x) 3コRAA
シ (シ) 象a&兎a A
シ (ス) ∃x(象x&兎x) シEI
12 シ (セ)~∃x(象x&兎x)&∃x(象x&兎x) サス&I
12 (ソ) ~(象a&兎a) シセRAA
タ (タ) 象a A
チ(チ) 兎a A
タチ(ツ) 象a&兎a チツ&I
12 タチ(テ) ~(象a&兎a)&(象a&兎a) ソツ&I
12 タ (ト) ~兎a チテ&I
12 (ナ) 象a→~兎a タトCP
12 (ニ)∀x(象x→~兎x) ナUI
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx& 長y)}。然るに、
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(鼻yx&~長y)}。従って、
(ⅲ)∀x(象x→~兎x)。
と いう「推論(三段論法)」、すなわち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長い }。然るに、
(ⅱ)すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長くない}。従って、
(ⅲ)すべてのxについて(xが象であるならば、xは兎ではない。)
という「推論(三段論法)」は、「(述語論理として)妥当」である。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)象は、鼻は長い。 然るに、
(ⅱ)兎は、鼻は長くない。従って、
(ⅲ)象は、兎ではない。
と いう「推論(三段論法)」は、「(日本語として)妥当」である。
然るに、
(05)
1 (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z )} A
2 (2) ∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z( 耳zx→~鼻zx)} A
3 (3) ∃x(兎x&象x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z ) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z( 耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 兎a&象a A
6 (7) 象a 6&E
1 6 (8) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z ) 46MPP
1 6 (9) ∀z(~鼻za→~長z &E
1 6 (ア) ~鼻ba→~長b 9UE
6 (イ) 兎a 6&E
2 6 (ウ) ∃y(耳ya&長y)&∀z( 耳za→~鼻za) 5イMPP
2 6 (エ) ∃y(耳ya&長y) ウ&E
オ (オ) 耳ba&長b A
オ (カ) 耳ba オ&E
オ (キ) 長b オ&E
2 6 (ク) ∀z( 耳za→~鼻za) ウ&E
2 6 (ケ) 耳ba→~鼻ba クUE
2 6オ (コ) ~鼻ba カケMPP
12 6オ (サ) ~長b アコMPP
12 6オ (シ) 長b&~長b キサ&I
12 6 (ス) 長b&~長b エオシEE
123 (セ) 長b&~長b 36スEE
12 (ソ)~∃x(兎x&象x) 3セRAA
タ (タ) 兎a&象a A
タ (チ) ∃x(兎x&象x) タEI
12 タ (ツ)~∃x(兎x&象x)&∃x(兎x&象x) ソチ&I
12 (テ) ~(兎a&象a) タツRAA
ト (ト) 兎a A
ナ(ナ) 象a A
トナ(ニ) 兎a&象a トナ&I
12 トナ(ヌ) ~(兎a&象a)&(兎a&象a) テ二&I
12 ト (ネ) ~象a ナヌRAA
12 (ノ) 兎a→~象a トネCP
12 (ハ)∀x(兎x→~象x) ノUI
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z )}。然るに、
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z( 耳zx→~鼻zx)}。従って、
(ⅲ)∀x(兎x→~象x)。
と いう「推論(三段論法)」、すなわち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない }。然るに、
(ⅱ)すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyはxの耳であって、長く、すべてのzについて、zがxの耳であるならば、zはxの鼻ではない}。従って、
(ⅲ)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない。)
と いう「推論(三段論法)」は、「(述語論理として)妥当」である。
従って、
(06)により、
(07)
(ⅰ)象は、鼻が長い。 然るに、
(ⅱ)兎は、耳は長い(が耳は鼻ではない)。従って、
(ⅲ)象は、兎ではない。
と いう「推論(三段論法)」は、「(日本語として)妥当」である。
従って、
(03)~(07)により、
(08)
① 象は、鼻は長い。
② 象は、鼻が長い。
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx& 長y)}。
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長い}。
⑥ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
において、
①=③=⑤ であって、
②=③=⑥ である。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
② 象は、鼻が長い。
⑥ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
において、
②=⑥ であるため、
② 象は、鼻が長い。
⑤ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長い}。
において、
②=③ ではない。
然るに、
(10)
⑤ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長い}。
⑦ すべてのxについて{もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い}。
において、
⑤=⑦ である。
従って、
(09)(10)により、
(11)
② 象は、鼻が長い。
⑥ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
において、
②=⑥ であるため、
② 象は、鼻が長い。
⑦ すべてのxについて{もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い}。
において、
②=⑦ ではない。
然るに、
(12)
沢田充茂の『現代論理学入門』(一九六ニ年)には楽しい解説が載っています。
たとえば「象は鼻が長い」というような表現は、象が主語なのか、鼻が主語なのかはっきりしないから、このままではその論理的構造が明示されていない。いわば非論理的な文章である、というひともある。しかしこの文の論理的な構造をはっきりと文章にあらわして「すべてのxについて、もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い」といえばいいかもしれない。しかし日常言語のコミュニケーションでは、たとえば動物園で象をはじめて見た小学生が、父親にむかってこのような文章で話しかけたとすれば、その子供は論理的であるといって感心されるまえに社会人としての常識をうたがわれるにきまっている。常識(すなはち共通にもっている情報)でわかっているものはいちいち言明の中にいれないで、いわば暗黙の了解事項として、省略し、できるだけ短い記号の組み合せで、できるだけ多くの情報を伝えることが日常言語の合理性の一つである。
(山崎紀美子、日本語基礎講座―三上文法入門、2003年、214頁)
従って、
(11)(12)により、
(13)
沢田充茂 先生は、
② 象は、鼻が長い。
⑦ すべてのxについて{もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い}。
において、
②=⑦ ではない。
ということに、「気付いていない」。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
沢田充茂 先生は、
② 象は、鼻が長い。
⑥ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
において、
②=⑥ である。
ということに、「気付いていない」。
然るに、
(15)
「象は鼻が長い」はどれが主辞がわからないから、このままでは非論理的な構造の文である、と言う人がもしあった(沢田『入門』二九ペ)とすれば、その人は旧『論理学』を知らない人であろう、これはこのままで、
象は 鼻が長い。
主辞 賓辞
とはっきりしている。速水式に簡単明リョウである。意味も、主辞賓辞の関係も小学生にもわかるはずの文である。これに文句をつけたり、それを取り次いだりするのは、人々が西洋文法に巻かれていることを語る以外の何物でもない。このまま定理扱いしてもよろしい。そしてこの定理の逆は真でないとして、鼻の長いもの例に、鞍馬山の天狗だの、池の尾の禅珍内供だのを上げるのも一興だろう。それでおしまいである(三上章、日本語の論理、1963年、13・14頁)。
従って、
(01)(12)~(15)により、
(16)
沢田充茂 先生だけでなく、
三上章 先生も、
② 象は、鼻が長い。
⑥ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
において、
②=⑥ である。
ということに、「気付いていない」。
然るに、
(17)
伝統的論理学を速水滉『論理学』(16)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九刷一万部中の一冊で、なお引続き刊行だろうから、前後かなり多く読者を持つ論理学書と考えられる。新興の記号論理学の方は、沢田充茂の『現代論理学入』(62)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
然るに、
(05)(17)により、
(18)
「E.J.レモン著の『論理学初歩』(1973)」ではなく、
「沢田充茂の『現代論理学入門』(1962)」を、読んだとしても、
1 (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z )} A
2 (2) ∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z( 耳zx→~鼻zx)} A
3 (3) ∃x(兎x&象x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z ) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z( 耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 兎a&象a A
6 (7) 象a 6&E
1 6 (8) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z ) 46MPP
1 6 (9) ∀z(~鼻za→~長z &E
1 6 (ア) ~鼻ba→~長b 9UE
6 (イ) 兎a 6&E
2 6 (ウ) ∃y(耳ya&長y)&∀z( 耳za→~鼻za) 5イMPP
2 6 (エ) ∃y(耳ya&長y) ウ&E
オ (オ) 耳ba&長b A
オ (カ) 耳ba オ&E
オ (キ) 長b オ&E
2 6 (ク) ∀z( 耳za→~鼻za) ウ&E
2 6 (ケ) 耳ba→~鼻ba クUE
2 6オ (コ) ~鼻ba カケMPP
12 6オ (サ) ~長b アコMPP
12 6オ (シ) 長b&~長b キサ&I
12 6 (ス) 長b&~長b エオシEE
123 (セ) 長b&~長b 36スEE
12 (ソ)~∃x(兎x&象x) 3セRAA
タ (タ) 兎a&象a A
タ (チ) ∃x(兎x&象x) タEI
12 タ (ツ)~∃x(兎x&象x)&∃x(兎x&象x) ソチ&I
12 (テ) ~(兎a&象a) タツRAA
ト (ト) 兎a A
ナ(ナ) 象a A
トナ(ニ) 兎a&象a トナ&I
12 トナ(ヌ) ~(兎a&象a)&(兎a&象a) テ二&I
12 ト (ネ) ~象a ナヌRAA
12 (ノ) 兎a→~象a トネCP
12 (ハ)∀x(兎x→~象x) ノUI
という「計算」を、「出来るようにはならない」。
cf.
Beginning Logic E.J.Lemmon(1965)
2008年12月31日にアメリカ合衆国でレビュー済み(Jackie Barton)
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
I have got to admit, this is a very difficult book to follow. It is higher order logic--very difficult material for most people to grasp--hard for me and I tutored it. This book may have been impossible for me to learn from on my own--I bought it for use in a class, and used it with assistance from a logician. There are a few out there who will be able to learn it on their own with this book--but not many. For most, this will be torture! But if you love logic and get it, then this book will be great for you!
私は認めなければならない、これは理解が非常に難しい本です。 それは私にとっては難しく、ほとんどの人が把握することは非常に難しい材料であり、私はそれを教えています。 この本は、私が自分で学ぶことは不可能だったかもしれません。私はクラスで使用するためにそれを購入し、ロジシャンの支援を受けて使用しました。 そこには、この本で自分でそれを学ぶことができる人がいくつかありますが、多くはありません。 ほとんどの場合、これは拷問になります! しかし、あなたがロジックを愛し、それを得るなら、この本はあなたのために素晴らしいでしょう!(機械翻訳)
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
「逆(?)に言えば」、
(ⅰ)私としては、
(ⅱ)三上章 先生が、例えば、
(ⅲ)Beginning Logic E.J.Lemmon(1965) 等によって、
(ⅳ)述語論理を、理解していたとするならば、三上章 先生は、
(ⅴ)象は鼻が長い。
という「日本語」を、
(ⅵ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
(〃)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
(〃)象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
という風に、「翻訳(理解)」していたであろう。
という風に、考えたい。
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