―「01月06日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2017/01/blog-post_6.html)」の補足です。―
(79)
従って、
(80)
① 博士が愛した数式
② 博士の愛した数式
③ 天才たちが愛した数式
④ 天才たちの愛した数式
に於いて、
①~④ は全て、「日本語」として「正しい」。
(81)
⑤ E=mc2 。これが、アインシュタインが愛した数式である。
⑥ E=mc2 。これは、アインシュタインの愛した数式である。
に於いて、
⑤と⑥ は二つとも、「日本語」として「正しい」。
然るに、
(82)
⑦ E=mc2 。(他ならぬ)これが、(あの)アインシュタインが愛した数式である。
⑧ E=mc2 。(他ならぬ)これは、(あの)アインシュタインの愛した数式である。
に於いて、
⑦ ではあるが、
⑧ ではない。
従って、
(82)により、
(83)
⑦ 「他ならぬ・あの」に「呼応」するのは、「_が」であって、
⑧ 「他ならぬ・あの」に「呼応」するのは、「_は」ではない。
(84)
のび太「でもさあ、どうしてあのパイロットだけ年をとらないの?」
スネ夫「物体の運動が光の速さに近づくほど、時間のたち方はおそくなるんだ。相対性理論ていうんだ」
きょとんとするのび太。
スネ夫「つまりだな、ロケットの中ではゆっくり時間が流れるんだ」
のび太「うそだあ・・・・・・」
スネ夫「うたぐり深いやつだなあ。アインシュタインというえらい学者がそういっているんだよ」
(『竜宮城の八日間』小学館てんとう虫コミック27巻所収)
(「天才たちが愛した美しい数式 単行本 – 2007/12/18 桜井 進 (著), 中村 義作 (監修)、119頁」)
然るに、
(84)により、
(85)
スネ夫が言ふ、
⑨ アインシュタインというえらい学者がそういっているんだよ。
といふ「日本語」は、
⑨ (スネ夫自身ではなく、他ならぬ)アインシュタインというえらい学者がそういっているんだよ。
といふ、「意味」である。
然るに、
(86)
⑨ (他ならぬ)アインシュタインというえらい学者がそういっているんだよ。
⑩ (他ならぬ)アインシュタインというえらい学者はそういっているんだよ。
に於いて、
⑨ は、「日本語」として「正しく」、
⑩ は、「日本語」として「正しく」ない。
(87)
⑪ A君がさう言ってゐるのであれば、ボクは信じます。
といふ「言ひ方」は、「仮言命題」である。
然るに、
(88)
⑪ A君がさう言ってゐるのであれば、ボクは信じます。
に対して、
⑫ A君はさう言ってゐるのであれば、ボクは信じます。
といふ「日本語」は、無い。
然るに、
(89)
⑪ A君がさう言ってゐるのであれば、ボクは信じます。
といふ「日本語」は、
⑪ (他ならぬ)A君がさう言ってゐるのであれば、ボクは信じます。
といふ、「意味」である。
平成29年01月15日、毛利太。
2017年1月15日日曜日
2017年1月13日金曜日
(今、そこに)人がゐる。
―「前回の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2017/01/blog-post_8.html)」の続きです。―
(63)
注文の多い料理店 (角川文庫クラシックス) 文庫 – 1995/6/22
従って、
(64)
① 注文が多い料理店は、好きではない。
に対して、
② 注文の多い料理店は、好きではない。
といふ「日本語」は、存在する。
然るに、
(65)
③ 人がそこにゐる理由を、私は知らない。
に対して、
④ 人のそこにゐる理由を、私は知らない。
といふ「日本語」は、存在しない。
然るに、
(66)
【1】[が][の]
(a)主語を示す。
(b)連体修飾語を作る。
(c)体言の代用をする。
(d)同格を示す。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、154頁改)
従って、
(64)(65)(66)により、
(67)
【1】[が][の]
(b)連体修飾語を作る。
といふ「働き」からすれば、
① 注文が多い料理店は、好きではない。
② 注文の多い料理店は、好きではない。
③ 人がそこにゐる理由を、私は知らない。
④ 人のそこにゐる理由を、私は知らない。
に於いて、
④ だけが「不可」であるのは、「ヲカシイ」。
然るに、
(68)
⑤ 人がゐる。
といふ「日本語(排他的命題)」は、
⑤ 人はゐて(、人以外はゐない)。
といふ、「意味」である。
然るに、
(69)
⑤ 地球上には、人間以外の動物も存在する。
従って、
(68)(69)により、
(70)
⑤ (今、そこに、)人がゐて(、人以外はゐない)。
といふ場合以外は、
⑤ 人がゐる(人以外はゐない)。
とは、言へないことになる。
然るに、
(71)
たとえば「人間の集合」のメンバーはすべて個々の人間である。しかし「人間の集合」は個々の人間ではないからそれ自身をメンバーには含まない(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、155頁)。
従って、
(70)(71)により、
(72)
例へば、
⑤ 人がゐる。
⑥ 人は動物である。
⑦ 人は考へる葦である。
に於いて、
⑤ 人=個々の人間
⑥ 人=人間の集合
⑦ 人=人間の集合
である。
然るに、
(73)
③ 人がそこにゐる理由を、私は知らない。
に於いても、
③ 人=個々の人間。
である。
(72)(73)により、
(74)
⑤ 人がゐる。
③ 人がそこにゐる理由を、私は知らない。
に於いて、
⑤ 人が=個々の人間(人間といふ集合の一員)
③ 人が=個々の人間(人間といふ集合の一員)
である。
従って、
(67)(74)により、
(75)
② 注文の多い料理店は、好きではない。
④ 人のそこにゐる理由を、私は知らない。
に於いて、
④ だけが「不可」である「理由」は、
⑤ 人がゐる。
③ 人がそこにゐる理由を、私は知らない。
に於ける、
⑤ 人が=個々の人間(人間といふ集合の一員)
③ 人が=個々の人間(人間といふ集合の一員)
といふ「事情」が、「影響」してゐるものと、思はれる。
(76)
そこでたとえば「象は鼻がない」というような表現は、象が主語なのか鼻が主語なのはっきりしないから、このままではその論理的構造が明示されていない、いわば非論理的な文章である、という人もある。しかしこの文の論理的構造をはっきり文章に表して、「すべてのxについて、もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しておりおり、このyは長い」といえばいいかもしれない。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、29頁)。
cf.
∀x(象x→∃y(鼻y&有xy&長y))
The elephant has a long trunk(ヤフー!翻訳).
然るに、
(77)
⑧ ∃y=yなるものが存在し、そのyは鼻である。
於いて、
⑧ yが=個々の鼻(鼻といふ集合の要素)
である。
従って、
(75)(77)により、
(78)
⑤ 人がゐる。
⑧ yがある。
に於いて、少なくとも、
⑤ 人が=個々の人(人といふ集合の一員)
⑧ yが=個々の鼻(鼻といふ集合の要素)
である。
平成29年01月13日、毛利太。
(63)
注文の多い料理店 (角川文庫クラシックス) 文庫 – 1995/6/22
従って、
(64)
① 注文が多い料理店は、好きではない。
に対して、
② 注文の多い料理店は、好きではない。
といふ「日本語」は、存在する。
然るに、
(65)
③ 人がそこにゐる理由を、私は知らない。
に対して、
④ 人のそこにゐる理由を、私は知らない。
といふ「日本語」は、存在しない。
然るに、
(66)
【1】[が][の]
(a)主語を示す。
(b)連体修飾語を作る。
(c)体言の代用をする。
(d)同格を示す。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、154頁改)
従って、
(64)(65)(66)により、
(67)
【1】[が][の]
(b)連体修飾語を作る。
といふ「働き」からすれば、
① 注文が多い料理店は、好きではない。
② 注文の多い料理店は、好きではない。
③ 人がそこにゐる理由を、私は知らない。
④ 人のそこにゐる理由を、私は知らない。
に於いて、
④ だけが「不可」であるのは、「ヲカシイ」。
然るに、
(68)
⑤ 人がゐる。
といふ「日本語(排他的命題)」は、
⑤ 人はゐて(、人以外はゐない)。
といふ、「意味」である。
然るに、
(69)
⑤ 地球上には、人間以外の動物も存在する。
従って、
(68)(69)により、
(70)
⑤ (今、そこに、)人がゐて(、人以外はゐない)。
といふ場合以外は、
⑤ 人がゐる(人以外はゐない)。
とは、言へないことになる。
然るに、
(71)
たとえば「人間の集合」のメンバーはすべて個々の人間である。しかし「人間の集合」は個々の人間ではないからそれ自身をメンバーには含まない(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、155頁)。
従って、
(70)(71)により、
(72)
例へば、
⑤ 人がゐる。
⑥ 人は動物である。
⑦ 人は考へる葦である。
に於いて、
⑤ 人=個々の人間
⑥ 人=人間の集合
⑦ 人=人間の集合
である。
然るに、
(73)
③ 人がそこにゐる理由を、私は知らない。
に於いても、
③ 人=個々の人間。
である。
(72)(73)により、
(74)
⑤ 人がゐる。
③ 人がそこにゐる理由を、私は知らない。
に於いて、
⑤ 人が=個々の人間(人間といふ集合の一員)
③ 人が=個々の人間(人間といふ集合の一員)
である。
従って、
(67)(74)により、
(75)
② 注文の多い料理店は、好きではない。
④ 人のそこにゐる理由を、私は知らない。
に於いて、
④ だけが「不可」である「理由」は、
⑤ 人がゐる。
③ 人がそこにゐる理由を、私は知らない。
に於ける、
⑤ 人が=個々の人間(人間といふ集合の一員)
③ 人が=個々の人間(人間といふ集合の一員)
といふ「事情」が、「影響」してゐるものと、思はれる。
(76)
そこでたとえば「象は鼻がない」というような表現は、象が主語なのか鼻が主語なのはっきりしないから、このままではその論理的構造が明示されていない、いわば非論理的な文章である、という人もある。しかしこの文の論理的構造をはっきり文章に表して、「すべてのxについて、もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しておりおり、このyは長い」といえばいいかもしれない。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、29頁)。
cf.
∀x(象x→∃y(鼻y&有xy&長y))
The elephant has a long trunk(ヤフー!翻訳).
然るに、
(77)
⑧ ∃y=yなるものが存在し、そのyは鼻である。
於いて、
⑧ yが=個々の鼻(鼻といふ集合の要素)
である。
従って、
(75)(77)により、
(78)
⑤ 人がゐる。
⑧ yがある。
に於いて、少なくとも、
⑤ 人が=個々の人(人といふ集合の一員)
⑧ yが=個々の鼻(鼻といふ集合の要素)
である。
平成29年01月13日、毛利太。
2017年1月8日日曜日
「仮言命題」の「前件」としての「~が」。
―「前回の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2017/01/blog-post_6.html)」の続きです。―
(41)
博士の愛した数式 (新潮文庫) 文庫 – 2005/11/26 小川 洋子(著)
然るに、
(42)
① 博士の数式(口語文)
② 博士が数式(文語文)
③ 博士は数式(口語文)
④ 博士の愛した数式(口語文)
⑤ 博士が愛した数式(口語文)
⑥ 博士は愛した数式(口語文)
に於いて、
③「博士は」は「日本語」ではなく、
⑥「博士は」も「日本語」ではない。
従って、
(42)により、
(43)
④ 博士の愛した数式(口語文)
⑤ 博士が愛した数式(口語文)
といふ「日本語」を、
⑥ 博士は愛した数式(口語文)
といふ「日本語」に「置き換へ」ることは、出来ない。
(44)
⑦ 明日は休日なれば、家に居む(文語文)。
⑧ 明日は休日なので、家に居ます(口語文)。
⑨ 明日が休日なれば、明日、来るべし(文語文)。
⑩ 明日が休日なので、明日、来て下さい(口語文)。
に於ける、
⑦ 明日は休日なれば、
⑧ 明日は休日なので、
⑨ 明日が休日なれば、
⑩ 明日が休日なので、
のやうな「条件」を、「確定条件」と言ふ。
従って、
(44)により、
(45)
⑨ 明日が休日なれば、
⑩ 明日が休日なので、
のやうな「確定条件」は、
⑦ 明日は休日なれば、
⑧ 明日は休日なので、
といふ風に、「言ひ換へ」ることも、可能である。
(46)
⑪ 明日が晴れならば、釣りに行きます(口語文)。
に於ける、
⑪ 明日が晴れならば、
のやうな「条件」を、「仮定条件」と言ふ。
然るに、
(47)
⑪ 明日が晴れならば、釣りに行きます(口語文)
⑫ 明日は晴れならば、釣りに行きます(口語文)。
に於いて、
⑫「明日は」は「日本語」ではない。
従って、
(46)(47)により、
(48)
⑪ 明日が晴れならば、
のやうな「仮定条件」を、
⑫ 明日は晴れならば、
といふ風に、「言ひ換へ」ることは、出来ない。
従って、
(45)(48)により、
(49)
⑩ 明日が休日なので(確定条件)
⑧ 明日は休日なので(確定条件)
⑪ 明日が晴れならば(仮定条件)
⑫ 明日は晴れならば(仮定条件)
に於いて、
⑫ 明日は晴れならば(仮定条件)
といふ「日本語」は、存在しない。
然るに、
(50)
⑪ 明日が晴れならば、釣りに行きます。
のやうな、
⑪ AがBならば、Cである。
を、「仮言命題」と言ふ。
従って、
(49)(50)により、
(51)
⑪ AがBならば、Cである。
に対して、
⑫ AはBならば、Cである。
といふ「日本語(仮言命題)」は、存在しない。
然るに、
(52)
⑪ PならばQである。
といふ「仮言命題」は、
⑪ PであってQでない。といふことはない。
といふ、「意味」である。
cf.
(P⇒Q)=(~P∨Q)=~(P&~Q)
従って、
(53)
⑪ AがBならば、Cである。
といふ「仮言命題」は、
⑪ AがBであってCでない。といふことはない。
といふ、「意味」である。
従って、
(54)
⑪ AがBならば、Cである。
といふ「仮言命題」は、
⑪ A以外がBであるならば、
⑪ Cである。かも知れないし、
⑪ Cでない。かも知れない。
といふ、「意味」である。
従って、
(54)により、
(55)
⑪ AがBならば、Cである。
⑪ DがBならば、Cである。
に於いて、
⑪ Cである。
といふ「一つの事柄」が、「実現」するためには、
⑪ A=D である「必要」がある。
従って、
(56)
⑪ AがBならば、Cである。
⑪ DがBならば、Cである。
に於いて、
⑪ Cである。
といふ「一つの事柄」が、「実現」するためには、
⑪ A≠D でない「必要」がある。
cf.
(A=D)={~(A≠D)}
従って、
(55)(56)により、
(57)
⑪ AがBならば、Cである。
に於いて、
⑪ Cである。
といふことが、「実現」するためには、
⑪ Aが
⑪「A以外ではない所のA」である「必要」がある。
然るに、
(58)
⑪「A以外ではない所のA」
といふことは、要するに、
⑪「(他ならぬ)A」
である。
従って、
(54)(58)により、
(59)
⑪ AがBならば、Cである。
といふ「仮言命題」は、
⑪「(他ならぬ)AがBである。」ならば、Cである。
といふ、「意味」になる。
従って、
(60)
⑪ 明日が晴れならば、釣りに行きます。
といふ「仮言命題」は、
⑪「(他の日ならぬ)明日が晴れである。」ならば、釣りに行きます。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(61)
⑪ (他ならぬ)あのチャップリンが大往生!
に対して、
⑪ (他ならぬ)あのチャップリンは大往生!
といふ「日本語」は、存在しない。
従って、
(60)(61)により、
(62)
⑪ (他ならぬ)明日が晴れであるならば、
⑪ (他ならぬ)あのチャップリンが大往生!
に於ける、
⑪ (他ならぬ)
⑪ (他ならぬ)
に「呼応」した「形」で、
⑪ 明日が
⑪ チャップリンが
といふ、
⑪ 主語が
⑪ 主語が
であって、それ故、
⑪ 明日が晴れならば、釣りに行きます。
に対して、
⑫ 明日は晴れならば、釣りに行きます。
といふ「仮言命題」は、存在しない。
平成29年01月08日、毛利太。
(41)
博士の愛した数式 (新潮文庫) 文庫 – 2005/11/26 小川 洋子(著)
然るに、
(42)
① 博士の数式(口語文)
② 博士が数式(文語文)
③ 博士は数式(口語文)
④ 博士の愛した数式(口語文)
⑤ 博士が愛した数式(口語文)
⑥ 博士は愛した数式(口語文)
に於いて、
③「博士は」は「日本語」ではなく、
⑥「博士は」も「日本語」ではない。
従って、
(42)により、
(43)
④ 博士の愛した数式(口語文)
⑤ 博士が愛した数式(口語文)
といふ「日本語」を、
⑥ 博士は愛した数式(口語文)
といふ「日本語」に「置き換へ」ることは、出来ない。
(44)
⑦ 明日は休日なれば、家に居む(文語文)。
⑧ 明日は休日なので、家に居ます(口語文)。
⑨ 明日が休日なれば、明日、来るべし(文語文)。
⑩ 明日が休日なので、明日、来て下さい(口語文)。
に於ける、
⑦ 明日は休日なれば、
⑧ 明日は休日なので、
⑨ 明日が休日なれば、
⑩ 明日が休日なので、
のやうな「条件」を、「確定条件」と言ふ。
従って、
(44)により、
(45)
⑨ 明日が休日なれば、
⑩ 明日が休日なので、
のやうな「確定条件」は、
⑦ 明日は休日なれば、
⑧ 明日は休日なので、
といふ風に、「言ひ換へ」ることも、可能である。
(46)
⑪ 明日が晴れならば、釣りに行きます(口語文)。
に於ける、
⑪ 明日が晴れならば、
のやうな「条件」を、「仮定条件」と言ふ。
然るに、
(47)
⑪ 明日が晴れならば、釣りに行きます(口語文)
⑫ 明日は晴れならば、釣りに行きます(口語文)。
に於いて、
⑫「明日は」は「日本語」ではない。
従って、
(46)(47)により、
(48)
⑪ 明日が晴れならば、
のやうな「仮定条件」を、
⑫ 明日は晴れならば、
といふ風に、「言ひ換へ」ることは、出来ない。
従って、
(45)(48)により、
(49)
⑩ 明日が休日なので(確定条件)
⑧ 明日は休日なので(確定条件)
⑪ 明日が晴れならば(仮定条件)
⑫ 明日は晴れならば(仮定条件)
に於いて、
⑫ 明日は晴れならば(仮定条件)
といふ「日本語」は、存在しない。
然るに、
(50)
⑪ 明日が晴れならば、釣りに行きます。
のやうな、
⑪ AがBならば、Cである。
を、「仮言命題」と言ふ。
従って、
(49)(50)により、
(51)
⑪ AがBならば、Cである。
に対して、
⑫ AはBならば、Cである。
といふ「日本語(仮言命題)」は、存在しない。
然るに、
(52)
⑪ PならばQである。
といふ「仮言命題」は、
⑪ PであってQでない。といふことはない。
といふ、「意味」である。
cf.
(P⇒Q)=(~P∨Q)=~(P&~Q)
従って、
(53)
⑪ AがBならば、Cである。
といふ「仮言命題」は、
⑪ AがBであってCでない。といふことはない。
といふ、「意味」である。
従って、
(54)
⑪ AがBならば、Cである。
といふ「仮言命題」は、
⑪ A以外がBであるならば、
⑪ Cである。かも知れないし、
⑪ Cでない。かも知れない。
といふ、「意味」である。
従って、
(54)により、
(55)
⑪ AがBならば、Cである。
⑪ DがBならば、Cである。
に於いて、
⑪ Cである。
といふ「一つの事柄」が、「実現」するためには、
⑪ A=D である「必要」がある。
従って、
(56)
⑪ AがBならば、Cである。
⑪ DがBならば、Cである。
に於いて、
⑪ Cである。
といふ「一つの事柄」が、「実現」するためには、
⑪ A≠D でない「必要」がある。
cf.
(A=D)={~(A≠D)}
従って、
(55)(56)により、
(57)
⑪ AがBならば、Cである。
に於いて、
⑪ Cである。
といふことが、「実現」するためには、
⑪ Aが
⑪「A以外ではない所のA」である「必要」がある。
然るに、
(58)
⑪「A以外ではない所のA」
といふことは、要するに、
⑪「(他ならぬ)A」
である。
従って、
(54)(58)により、
(59)
⑪ AがBならば、Cである。
といふ「仮言命題」は、
⑪「(他ならぬ)AがBである。」ならば、Cである。
といふ、「意味」になる。
従って、
(60)
⑪ 明日が晴れならば、釣りに行きます。
といふ「仮言命題」は、
⑪「(他の日ならぬ)明日が晴れである。」ならば、釣りに行きます。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(61)
⑪ (他ならぬ)あのチャップリンが大往生!
に対して、
⑪ (他ならぬ)あのチャップリンは大往生!
といふ「日本語」は、存在しない。
従って、
(60)(61)により、
(62)
⑪ (他ならぬ)明日が晴れであるならば、
⑪ (他ならぬ)あのチャップリンが大往生!
に於ける、
⑪ (他ならぬ)
⑪ (他ならぬ)
に「呼応」した「形」で、
⑪ 明日が
⑪ チャップリンが
といふ、
⑪ 主語が
⑪ 主語が
であって、それ故、
⑪ 明日が晴れならば、釣りに行きます。
に対して、
⑫ 明日は晴れならば、釣りに行きます。
といふ「仮言命題」は、存在しない。
平成29年01月08日、毛利太。
2017年1月6日金曜日
AがBである(排他的命題・同一命題)。
(01)
① AはBである。
に関して、昔から言はれてゐるやうに、
① 逆は必ずしも真ではない(The reverse is not necessarily true)。
従って、
(01)により、
(02)
① AはBである。
であるならば、
① AはBであって(、BはAでない)。か、
② AはBであって(、BはAである)。か、
の、いづれかである。
然るに、
(03)
② AはBであって(、BはAである)。
といふことは、
② BはAであって(、AはBである)。
といふことに、他ならない。
然るに、
(04)
② AはBであって(、BはAである)。
② BはAであって(、AはBである)
といふことは、
② A=B
といふこと、すなはち、
② AとBは「同一」である。
といふことに、他ならない。
従って、
(04)により、
(05)
② AはBであって(、BはAである)。
といふ「日本語」を、
②「同一命題(identical proposition)」とする。
然るに、
(06)
② A=B
といふことは、
② CがAである。ならば、CはBであり、
② CがAでない。ならば、CはBでない。
といふことに、他ならない。
従って、
(06)により、
(07)
② A=B
といふことは、
② Aでない。ならば、Bでない。
といふことに、他ならない。
然るに、
(08)
② Aでない。ならば、Bでない。
といふことは、
② A以外はBでない。
といふことに、他ならない。
従って、
(03)~(08)により、
(09)
② AはBであって(、BはAである)。
といふ「日本語」は、
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
といふことに、他ならない。
cf.
(A=B)⇔{(A⇒B)&(B⇒A)}
(A⇒B)=(~A∨B)=(B∨~A)={~(~B)∨~A}=(~B⇒~A)
(B⇒A)=(~B∨A)=(A∨~B)={~(~A)∨~B}=(~A⇒~B)
従って、
(02)(09)により、
(10)
① AはBである。
といふ「日本語」には、
① AはBであって(、BはAでない)。
② AはBであって(、BはAである)。
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
といふ「三通り」があって、
①≠② であって、
②=③ である。
然るに、
(11)
② AはBであって(、BはAである)。
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
に於いて、
③ を「排他的命題(exclusive proposition)」といふ。
従って、
(05)(10)(11)により、
(12)
② AはBであって(、BはAである)。
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
に於いて、
②「 同一命題 (identical proposition)」は、
③「排他的命題(exclusive proposition)」に、等しい。
然るに、
(13)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
b.Ton SENT Mary flowers.
c.Tom sent MARY flowers.
d.Tom sent Mary FLOWERS.
”Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を強調して発音すれば、「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、「トム」という人間が他の人間と対比されているということです。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
然るに、
(14)
「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」といふのであれば、
「トムはメアリーに花を送った(が、トム以外は、メアリーに、花を送ってゐない)」といふ、ことになる。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
a.TOM sent Mary flowers.
といふ「強調形」は、「排他的命題(同一命題)」である。
cf.
然るに、
(16)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます。
然るに、
(17)
①「トムは(清音)」であって、
④「トムが(濁音)」である。
従って、
(16)(17)により、
(18)
①「トムは(清音)」に対する、
④「トムが(濁音)」は、「濁音」による、「強調形」である。
従って、
(15)(18)により、
(19)
① トムはメアリーに花を送った。
① Tom sent Mary flowers.
に対する、
④ トムがメアリーに花を送った。
④ TOM sent Mary flowers.
に於いて、
④ は、両方とも、「排他的命題(同一命題)」である。
従って、
(10)(19)により、
(20)
① AはBであって(、BはAでない)。
② AはBであって(、BはAである)。
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
④ AがBである。
に於いて、
①≠② であって、
②=③ であって、
③=④ である。
従って、
(20)により、
(21)
① AはBである。
といふ「日本語」を、
④ AがBである。
といふ「日本語」に「置き換へる」ことが出来るのであれば、その時に限って、
① AはBである。
といふ「日本語」は、
② AはBであって(、BはAである)。
② BはAであって(、AはBである)。
といふ「日本語」に「置き換へる」ことが出来る。
従って、
(01)(02)(21)により、
(22)
① AはBである。
といふ「日本語」に於いて、
② BはAである。
といふ「逆」も亦「真」であるならば、その時に限って、
④ AがBである。
といふ「日本語」も「真」である。
従って、
(22)により、
(23)
{人間、犬、猫}
といふ「集合」を「念頭」に於いてゐる場合は、
{人間は動物。犬も動物。猫も動物。}
といふ、ことから、
② 動物は人間である。
④ 人間が動物である。
とといふ「日本語」は、「ウソ」になる。
然るに、
(24)
{人間、電車、三角形}
といふ「集合(?)」を「念頭」に於いてゐる場合は、
{人間以外(電車、三角形)は動物ではない。}
といふ、ことから、
② 動物は人間である。
④ 人間が動物である。
といふ「日本語」は、「本当」である。
従って、
(25)
{大野(私)、山田(彼)、鈴木(彼女)}
といふ「集合」を「念頭」に於いてゐる場合は、
{私以外(山田、鈴木)は大野ではない。}
といふ、ことから、
④ 私が大野です。
② 大野は私です。
といふ「日本語」も、「本当」である。
然るに、
(26)
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(25)(26)により、
(27)
「既知は・未知が」
といふことは、言はなくとも、
「大野さんはどちらですか。」
「大野は私です( 同一命題 )。」
「私が大野です(排他的命題)。」
に於ける、「~は・~が」を説明することは、「可能」である。
然るに、
(28)
「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」といふのであれば、
「トムはメアリーに花を送った(が、トム以外は、メアリーに花を送ってゐない)」といふことになる。ものの、
「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」といふのであれば、その一方で、
「(他ならぬ、)トムがメアリーに花を送った」といふ、ことになる。
従って、
(13)(28)により、
(29)
④ トムがメアリーに花を送った(のであって、トム以外は送ってゐない)。
⑤ (他ならぬ、あの)トムがメアリーに花を送った。
に於いて、
④と⑤は、「両立」する。
従って、
(29)により、
(30)
⑤ あのチャップリンが大往生。
といふ「日本語」は、
⑤ (他ならぬ、誰でもが知ってゐる)あのチャップリンが大往生。
といふ風に、解することが、「可能」である。
然るに、
(31)
金銀が大暴騰!
マリリンモンローがディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
あのチャップリンが大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
従って、
(30)(31)により、
(32)
「ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。」
といふ風に、言はなくとも、
⑤ (他ならぬ)あのチャップリンが大往生。
に於ける、「~が」を説明することは、「可能」である。
(33)
{ゾウ、キリン}
といふ「集合」を「念頭」に置くならば、
① ゾウ以外(キリン)の鼻は長くない。ため、
② 鼻が長いのはゾウである。
③ ゾウが鼻が長い。
(34)
{ゾウ}
といふ「集合」を「念頭」に置くならば、
⑤ ゾウは鼻が長い。
⑥ ゾウは鼻は長い。
然るに、
(35)
⑤ ゾウは鼻が長い。
と言ふのであれば、
⑤ ゾウは鼻は長く(、鼻以外は長くない)。
然るに、
(36)
⑥ ゾウは鼻は長い。
と言ふのであれば、
⑥ ゾウは鼻は長く(、鼻以外は長くない)。
とは、言へない。
従って、
(37)
⑤{ゾウ}だけを見た時に、
⑤ 鼻以外は長くない。
といふ風に、思ふのであれば、
⑤ ゾウは鼻が長い。
と言ふべきである。
(38)
そこでたとえば「象は鼻がない」というような表現は、象が主語なのか鼻が主語なのはっきりしないから、このままではその論理的構造が明示されていない、いわば非論理的な文章である、という人もある。しかしこの文の論理的構造をはっきり文章に表して、「すべてのxについて、もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い」といえばいいかもしれない。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、29頁)
cf.
∀x(象x→∃y(鼻y&有xy&長y))
The elephant has a long trunk(ヤフー!翻訳).
(39)
「もしそのxが象であるならば、」に関しては、「理由」は省略するものの、
「もし、(他ならぬ)そのxが象であるならば、」といふ「意味」であると、思はれる。
(40)
「yなるものが存在し、」に関しても、「理由」は省略するものの、
「yなるものは存在し(、yなるもの以外は存在しない)」といふ「意味」であると、思はれる。
平成29年01月06日、毛利太。
―「関連記事」―
(a)
「(お婆さんではなく、)お爺さんが川へ洗濯に行きました。」に於ける「が」と「は」に関しては、
「07月12日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_12.html)」をお読み下さい。
(b)
「(他ならぬ)あのチャップリンが大往生」に於ける「が」に関しては、
「07月14日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_14.html)」をお読み下さい。
(c)
「鼻はゾウが長く、首はキリンが長い。東京には空が無い。」に於ける「が」と「は」に関しては、
「07月17日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_17.html)」をお読み下さい。
(d)
① AはBである。
に関して、昔から言はれてゐるやうに、
① 逆は必ずしも真ではない(The reverse is not necessarily true)。
従って、
(01)により、
(02)
① AはBである。
であるならば、
① AはBであって(、BはAでない)。か、
② AはBであって(、BはAである)。か、
の、いづれかである。
然るに、
(03)
② AはBであって(、BはAである)。
といふことは、
② BはAであって(、AはBである)。
といふことに、他ならない。
然るに、
(04)
② AはBであって(、BはAである)。
② BはAであって(、AはBである)
といふことは、
② A=B
といふこと、すなはち、
② AとBは「同一」である。
といふことに、他ならない。
従って、
(04)により、
(05)
② AはBであって(、BはAである)。
といふ「日本語」を、
②「同一命題(identical proposition)」とする。
然るに、
(06)
② A=B
といふことは、
② CがAである。ならば、CはBであり、
② CがAでない。ならば、CはBでない。
といふことに、他ならない。
従って、
(06)により、
(07)
② A=B
といふことは、
② Aでない。ならば、Bでない。
といふことに、他ならない。
然るに、
(08)
② Aでない。ならば、Bでない。
といふことは、
② A以外はBでない。
といふことに、他ならない。
従って、
(03)~(08)により、
(09)
② AはBであって(、BはAである)。
といふ「日本語」は、
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
といふことに、他ならない。
cf.
(A=B)⇔{(A⇒B)&(B⇒A)}
(A⇒B)=(~A∨B)=(B∨~A)={~(~B)∨~A}=(~B⇒~A)
(B⇒A)=(~B∨A)=(A∨~B)={~(~A)∨~B}=(~A⇒~B)
従って、
(02)(09)により、
(10)
① AはBである。
といふ「日本語」には、
① AはBであって(、BはAでない)。
② AはBであって(、BはAである)。
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
といふ「三通り」があって、
①≠② であって、
②=③ である。
然るに、
(11)
② AはBであって(、BはAである)。
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
に於いて、
③ を「排他的命題(exclusive proposition)」といふ。
従って、
(05)(10)(11)により、
(12)
② AはBであって(、BはAである)。
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
に於いて、
②「 同一命題 (identical proposition)」は、
③「排他的命題(exclusive proposition)」に、等しい。
然るに、
(13)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
b.Ton SENT Mary flowers.
c.Tom sent MARY flowers.
d.Tom sent Mary FLOWERS.
”Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を強調して発音すれば、「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、「トム」という人間が他の人間と対比されているということです。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
然るに、
(14)
「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」といふのであれば、
「トムはメアリーに花を送った(が、トム以外は、メアリーに、花を送ってゐない)」といふ、ことになる。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
a.TOM sent Mary flowers.
といふ「強調形」は、「排他的命題(同一命題)」である。
cf.
然るに、
(16)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます。
然るに、
(17)
①「トムは(清音)」であって、
④「トムが(濁音)」である。
従って、
(16)(17)により、
(18)
①「トムは(清音)」に対する、
④「トムが(濁音)」は、「濁音」による、「強調形」である。
従って、
(15)(18)により、
(19)
① トムはメアリーに花を送った。
① Tom sent Mary flowers.
に対する、
④ トムがメアリーに花を送った。
④ TOM sent Mary flowers.
に於いて、
④ は、両方とも、「排他的命題(同一命題)」である。
従って、
(10)(19)により、
(20)
① AはBであって(、BはAでない)。
② AはBであって(、BはAである)。
③ AはBであって(、A以外はBでない)。
④ AがBである。
に於いて、
①≠② であって、
②=③ であって、
③=④ である。
従って、
(20)により、
(21)
① AはBである。
といふ「日本語」を、
④ AがBである。
といふ「日本語」に「置き換へる」ことが出来るのであれば、その時に限って、
① AはBである。
といふ「日本語」は、
② AはBであって(、BはAである)。
② BはAであって(、AはBである)。
といふ「日本語」に「置き換へる」ことが出来る。
従って、
(01)(02)(21)により、
(22)
① AはBである。
といふ「日本語」に於いて、
② BはAである。
といふ「逆」も亦「真」であるならば、その時に限って、
④ AがBである。
といふ「日本語」も「真」である。
従って、
(22)により、
(23)
{人間、犬、猫}
といふ「集合」を「念頭」に於いてゐる場合は、
{人間は動物。犬も動物。猫も動物。}
といふ、ことから、
② 動物は人間である。
④ 人間が動物である。
とといふ「日本語」は、「ウソ」になる。
然るに、
(24)
{人間、電車、三角形}
といふ「集合(?)」を「念頭」に於いてゐる場合は、
{人間以外(電車、三角形)は動物ではない。}
といふ、ことから、
② 動物は人間である。
④ 人間が動物である。
といふ「日本語」は、「本当」である。
従って、
(25)
{大野(私)、山田(彼)、鈴木(彼女)}
といふ「集合」を「念頭」に於いてゐる場合は、
{私以外(山田、鈴木)は大野ではない。}
といふ、ことから、
④ 私が大野です。
② 大野は私です。
といふ「日本語」も、「本当」である。
然るに、
(26)
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(25)(26)により、
(27)
「既知は・未知が」
といふことは、言はなくとも、
「大野さんはどちらですか。」
「大野は私です( 同一命題 )。」
「私が大野です(排他的命題)。」
に於ける、「~は・~が」を説明することは、「可能」である。
然るに、
(28)
「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」といふのであれば、
「トムはメアリーに花を送った(が、トム以外は、メアリーに花を送ってゐない)」といふことになる。ものの、
「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」といふのであれば、その一方で、
「(他ならぬ、)トムがメアリーに花を送った」といふ、ことになる。
従って、
(13)(28)により、
(29)
④ トムがメアリーに花を送った(のであって、トム以外は送ってゐない)。
⑤ (他ならぬ、あの)トムがメアリーに花を送った。
に於いて、
④と⑤は、「両立」する。
従って、
(29)により、
(30)
⑤ あのチャップリンが大往生。
といふ「日本語」は、
⑤ (他ならぬ、誰でもが知ってゐる)あのチャップリンが大往生。
といふ風に、解することが、「可能」である。
然るに、
(31)
金銀が大暴騰!
マリリンモンローがディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
あのチャップリンが大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
従って、
(30)(31)により、
(32)
「ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。」
といふ風に、言はなくとも、
⑤ (他ならぬ)あのチャップリンが大往生。
に於ける、「~が」を説明することは、「可能」である。
(33)
{ゾウ、キリン}
といふ「集合」を「念頭」に置くならば、
① ゾウ以外(キリン)の鼻は長くない。ため、
② 鼻が長いのはゾウである。
③ ゾウが鼻が長い。
(34)
{ゾウ}
といふ「集合」を「念頭」に置くならば、
⑤ ゾウは鼻が長い。
⑥ ゾウは鼻は長い。
然るに、
(35)
⑤ ゾウは鼻が長い。
と言ふのであれば、
⑤ ゾウは鼻は長く(、鼻以外は長くない)。
然るに、
(36)
⑥ ゾウは鼻は長い。
と言ふのであれば、
⑥ ゾウは鼻は長く(、鼻以外は長くない)。
とは、言へない。
従って、
(37)
⑤{ゾウ}だけを見た時に、
⑤ 鼻以外は長くない。
といふ風に、思ふのであれば、
⑤ ゾウは鼻が長い。
と言ふべきである。
(38)
そこでたとえば「象は鼻がない」というような表現は、象が主語なのか鼻が主語なのはっきりしないから、このままではその論理的構造が明示されていない、いわば非論理的な文章である、という人もある。しかしこの文の論理的構造をはっきり文章に表して、「すべてのxについて、もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い」といえばいいかもしれない。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、29頁)
cf.
∀x(象x→∃y(鼻y&有xy&長y))
The elephant has a long trunk(ヤフー!翻訳).
(39)
「もしそのxが象であるならば、」に関しては、「理由」は省略するものの、
「もし、(他ならぬ)そのxが象であるならば、」といふ「意味」であると、思はれる。
(40)
「yなるものが存在し、」に関しても、「理由」は省略するものの、
「yなるものは存在し(、yなるもの以外は存在しない)」といふ「意味」であると、思はれる。
平成29年01月06日、毛利太。
―「関連記事」―
(a)
「(お婆さんではなく、)お爺さんが川へ洗濯に行きました。」に於ける「が」と「は」に関しては、
「07月12日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_12.html)」をお読み下さい。
(b)
「(他ならぬ)あのチャップリンが大往生」に於ける「が」に関しては、
「07月14日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_14.html)」をお読み下さい。
(c)
「鼻はゾウが長く、首はキリンが長い。東京には空が無い。」に於ける「が」と「は」に関しては、
「07月17日の記事(http://kannbunn.blogspot.com/2016/07/blog-post_17.html)」をお読み下さい。
(d)
2016年12月31日土曜日
「強調形」と「疑問詞」と「排他的命題」(12月30日の補足の、補足)。
―「一昨日の記事」を補足します。―
(01)
① AはBであり(、A以外はBでない)。
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
然るに、
(02)
① A以外はBでない。
② AでないならばBでない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
「対偶」は「等しい」ため、
② AでないならばBでない。
③ BならばAである。
に於いて、
②=③ である。
cf.
(~A⇒~B)=(~~A∨~B)=(A∨~B)=(~B∨A)=(B⇒A)
然るに、
(04)
③ BならばAである。
④ BはAである。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① A以外はBでない。
② AでないならばBでない。
③ BならばAである。
④ BはAである。
に於いて、
①=② であって、
②=③ であって、
③=④ である。
従って、
(05)により、
(06)
① A以外はBでない。
④ BはAである。
に於いて、
①=④ である。
従って、
(06)により、
(07)
① AはBであり(、A以外はBでない)。
といふ「命題」は、
① AはBであり(、BはAである)。
といふ「命題」に、等しい。
従って、
(01)(07)により、
(08)
① AはBであり(、A以外はBでない)。
① AはBであり(、BはAである)。
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
然るに、
(09)
① 誰が好きですか。
に対して、
② 誰は好きですか。
といふ「日本語」は存在しない。
然るに、
(10)
① 誰が好きですか。
② あなたは好きです。
といふ場合は、
② あなた以外にも好きな人がゐる。
然るに、
(11)
① 誰が好きですか。
① あなたが好きです。
といふ場合は、
① 好きなのは、あなたであって、
① あなた以外に好きな人はゐない。
(08)~(11)により、
(12)
① 誰が好きですか。
① あなたが好きです(好きなのはあなたです)。
は、「排他的命題」である。
従って、
(12)により、
(13)
① 誰が好きですか。
① 好きなのは誰ですか。
といふ「日本語」は、「排他的命題」である。
従って、
(13)により、
(14)
② 汝何読=汝、何をか読む。
② 汝之所読書為何=汝の読む所の書を何と為す。
といふ「漢文」は、「排他的命題」である。
従って、
(14)により、
(15)
③ What do you read?
③ What is the book that you read?
といふ「英語(Wh移動)」は、「排他的命題」である。
平成28年12月31日、毛利太。
―「関連記事」―
「強調形」と「疑問詞」と「排他的命題」(12月30日)〔http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post_30.html〕。
(01)
① AはBであり(、A以外はBでない)。
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
然るに、
(02)
① A以外はBでない。
② AでないならばBでない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
「対偶」は「等しい」ため、
② AでないならばBでない。
③ BならばAである。
に於いて、
②=③ である。
cf.
(~A⇒~B)=(~~A∨~B)=(A∨~B)=(~B∨A)=(B⇒A)
然るに、
(04)
③ BならばAである。
④ BはAである。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① A以外はBでない。
② AでないならばBでない。
③ BならばAである。
④ BはAである。
に於いて、
①=② であって、
②=③ であって、
③=④ である。
従って、
(05)により、
(06)
① A以外はBでない。
④ BはAである。
に於いて、
①=④ である。
従って、
(06)により、
(07)
① AはBであり(、A以外はBでない)。
といふ「命題」は、
① AはBであり(、BはAである)。
といふ「命題」に、等しい。
従って、
(01)(07)により、
(08)
① AはBであり(、A以外はBでない)。
① AはBであり(、BはAである)。
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
然るに、
(09)
① 誰が好きですか。
に対して、
② 誰は好きですか。
といふ「日本語」は存在しない。
然るに、
(10)
① 誰が好きですか。
② あなたは好きです。
といふ場合は、
② あなた以外にも好きな人がゐる。
然るに、
(11)
① 誰が好きですか。
① あなたが好きです。
といふ場合は、
① 好きなのは、あなたであって、
① あなた以外に好きな人はゐない。
(08)~(11)により、
(12)
① 誰が好きですか。
① あなたが好きです(好きなのはあなたです)。
は、「排他的命題」である。
従って、
(12)により、
(13)
① 誰が好きですか。
① 好きなのは誰ですか。
といふ「日本語」は、「排他的命題」である。
従って、
(13)により、
(14)
② 汝何読=汝、何をか読む。
② 汝之所読書為何=汝の読む所の書を何と為す。
といふ「漢文」は、「排他的命題」である。
従って、
(14)により、
(15)
③ What do you read?
③ What is the book that you read?
といふ「英語(Wh移動)」は、「排他的命題」である。
平成28年12月31日、毛利太。
―「関連記事」―
「強調形」と「疑問詞」と「排他的命題」(12月30日)〔http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post_30.html〕。
2016年12月30日金曜日
「強調形」と「疑問詞」と「排他的命題」(12月30日の補足)。
―「先ほどの記事」を補足します。―
(01)
① 郷人長於伯兄一歳、則誰敬。曰敬兄。=
① 郷人長レ於二伯父一一歳、則誰敬。曰敬レ兄。=
① 郷人長〔於(伯兄)〕一歳、則誰敬。曰敬(兄)。⇒
① 郷人〔(伯兄)於〕長一歳、則誰敬。曰(兄)敬。=
① 郷人〔(伯兄)より〕長ずること一歳ならば、則ち誰をか敬せん。曰く(兄を)敬せん。
(02)
「では、同じ村人で君の長兄より一つ年上の人があったとしたら、君はどちらを敬いますか。」公都子がいった。「それは兄の方だ。」
(小林勝人訳注、孟子(下)、1972年、227・229頁)
然るに、
(03)
「村人と兄、二人の内の、誰を敬ふか。」といふ「質問」に対して、
「それは兄の方だ。」と言ふのであれば、
「兄を敬い(、兄以外は敬はない)。」といふ、ことになる。
(04)
② 子貢問政。子曰、足食足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。=
② 子貢問レ政。子曰、足レ食足レ兵、民信レ之矣。子貢曰、必不レ得レ已而去、於二斯三者一何先。曰、去レ兵。=
② 子貢問(政)。子曰、足(食)足(兵)、民信(之)矣。子貢曰、必不〔得(已)〕而去、於(斯三者)何先。曰、去(兵)。⇒
子貢(政を)問ふ。子曰はく、(食を)足し(兵を)足し、民(之を)信ぜしむ。子貢曰はく、必ず〔(已むを)得〕不し而去らば、(斯の三者に)於いて何をか先にせん。曰く、(兵を)去らん。
(05)
子貢が政治のことをおたずねした。先生はいわれた、「食糧を十分にし軍備を十分にして、人民には信を持たせることだ。」子貢が「どうしてもやむををえずに捨てるなら、この三つの中でどれを先にしますか。」というと、先生は「軍備を捨てる。」といわれた。
(金谷治・訳注、論語、1963年、230頁)
然るに、
(06)
「この三つの中でどれを先に捨てますか。」といふ「質問」に対して、
「軍備を捨てる。」と言ふのであれば、
「軍備は捨てる(が、軍備以外は捨てない)。」といふ、ことになる。
然るに、
(07)
AはBであり(A以外はBでない)。
A以外はBでない(BはAである)。
といふ「命題」を「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
① 誰敬=誰をか敬せん。
② 何先=何をか先にせん。
といふ「疑問文」は、「排他的命題」である。
従って、
(08)により、
(09)
例へば、
③ 吾之於人誰毀誰誉=吾の人に於けるや、誰をか毀り誰をか誉めん。
といふ「疑問文(反語)」も、「排他的命題」である。
cf.
わたしはひとに対して、むやみにホメたり、みだりにケナしたりはしない。
(山田史生、全訳論語、2014年、465頁)
然るに、
(10)
③ 誰誉=誰をか誉めん。
に対して、
④ 我誉=我、誉めん。
であれば、
④ 我 は、「主語」である。
従って、
(11)
「英語」で言へば、
③ Who praise. の、
③ Who が、「主語」ではなく、「目的語」である。
といふ、ことになる。
従って、
(12)
④ 我誉=我、誉めん。
に対して、
③ 誰誉=誰をか誉めん。
といふ「語順」は、「漢語」としても、「異例」なのであって、次の(13)は、そのことを、述べてゐる。
(13)
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置きすることは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)
従って、
(08)(12)(13)により、
(14)
④ 誰誉=誰をか誉めん。
は、「排他的命題」であって、尚且つ、「(前置による)強調形」である。
然るに、
(15)
⑤ 誰が好きですか、
⑤ あなたは好きです。
といふ場合は、
⑤ あなた以外にも好きな人がゐる。
然るに、
(16)
⑥ 誰が好きですか。
⑥ あなたが好きです。
といふ場合は、
⑥ あなた以外に好きな人はゐない。
従って、
(07)(15)(16)により、
(17)
⑤ あなたは好きです。
に対する、
⑥ あなたが好きです。
は、「排他的命題」である。
然るに、
(18)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
然るに、
(19)
⑤「は」は、「清音」であって、
⑥「が」は、「濁音」である。
従って、
(18)(19)により、
(20)
⑤ あなたは
に対する、
⑥ あなたが
は、「心理的な音量」による「強調形」である。
従って、
(17)(20)により、
(21)
⑥ あなたが好きです。
は、「排他的命題」であって、尚且つ、「(心理的な音量による)強調形」である。
従って、
(14)(21)により、
(22)
④ 誰誉=誰をか誉めん。
⑥ あなたが好きです。
に於いて、
④ は、「強調形」であって、「排他的命題」である。
⑥ も、「強調形」であって、「排他的命題」である。
平成28年12月30日、毛利太。
―「関連記事」―
「強調形」と「疑問詞」と「排他的命題」(12月30日)〔http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post_30.html〕。
(01)
① 郷人長於伯兄一歳、則誰敬。曰敬兄。=
① 郷人長レ於二伯父一一歳、則誰敬。曰敬レ兄。=
① 郷人長〔於(伯兄)〕一歳、則誰敬。曰敬(兄)。⇒
① 郷人〔(伯兄)於〕長一歳、則誰敬。曰(兄)敬。=
① 郷人〔(伯兄)より〕長ずること一歳ならば、則ち誰をか敬せん。曰く(兄を)敬せん。
(02)
「では、同じ村人で君の長兄より一つ年上の人があったとしたら、君はどちらを敬いますか。」公都子がいった。「それは兄の方だ。」
(小林勝人訳注、孟子(下)、1972年、227・229頁)
然るに、
(03)
「村人と兄、二人の内の、誰を敬ふか。」といふ「質問」に対して、
「それは兄の方だ。」と言ふのであれば、
「兄を敬い(、兄以外は敬はない)。」といふ、ことになる。
(04)
② 子貢問政。子曰、足食足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。=
② 子貢問レ政。子曰、足レ食足レ兵、民信レ之矣。子貢曰、必不レ得レ已而去、於二斯三者一何先。曰、去レ兵。=
② 子貢問(政)。子曰、足(食)足(兵)、民信(之)矣。子貢曰、必不〔得(已)〕而去、於(斯三者)何先。曰、去(兵)。⇒
子貢(政を)問ふ。子曰はく、(食を)足し(兵を)足し、民(之を)信ぜしむ。子貢曰はく、必ず〔(已むを)得〕不し而去らば、(斯の三者に)於いて何をか先にせん。曰く、(兵を)去らん。
(05)
子貢が政治のことをおたずねした。先生はいわれた、「食糧を十分にし軍備を十分にして、人民には信を持たせることだ。」子貢が「どうしてもやむををえずに捨てるなら、この三つの中でどれを先にしますか。」というと、先生は「軍備を捨てる。」といわれた。
(金谷治・訳注、論語、1963年、230頁)
然るに、
(06)
「この三つの中でどれを先に捨てますか。」といふ「質問」に対して、
「軍備を捨てる。」と言ふのであれば、
「軍備は捨てる(が、軍備以外は捨てない)。」といふ、ことになる。
然るに、
(07)
AはBであり(A以外はBでない)。
A以外はBでない(BはAである)。
といふ「命題」を「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
① 誰敬=誰をか敬せん。
② 何先=何をか先にせん。
といふ「疑問文」は、「排他的命題」である。
従って、
(08)により、
(09)
例へば、
③ 吾之於人誰毀誰誉=吾の人に於けるや、誰をか毀り誰をか誉めん。
といふ「疑問文(反語)」も、「排他的命題」である。
cf.
わたしはひとに対して、むやみにホメたり、みだりにケナしたりはしない。
(山田史生、全訳論語、2014年、465頁)
然るに、
(10)
③ 誰誉=誰をか誉めん。
に対して、
④ 我誉=我、誉めん。
であれば、
④ 我 は、「主語」である。
従って、
(11)
「英語」で言へば、
③ Who praise. の、
③ Who が、「主語」ではなく、「目的語」である。
といふ、ことになる。
従って、
(12)
④ 我誉=我、誉めん。
に対して、
③ 誰誉=誰をか誉めん。
といふ「語順」は、「漢語」としても、「異例」なのであって、次の(13)は、そのことを、述べてゐる。
(13)
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置きすることは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)
従って、
(08)(12)(13)により、
(14)
④ 誰誉=誰をか誉めん。
は、「排他的命題」であって、尚且つ、「(前置による)強調形」である。
然るに、
(15)
⑤ 誰が好きですか、
⑤ あなたは好きです。
といふ場合は、
⑤ あなた以外にも好きな人がゐる。
然るに、
(16)
⑥ 誰が好きですか。
⑥ あなたが好きです。
といふ場合は、
⑥ あなた以外に好きな人はゐない。
従って、
(07)(15)(16)により、
(17)
⑤ あなたは好きです。
に対する、
⑥ あなたが好きです。
は、「排他的命題」である。
然るに、
(18)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
然るに、
(19)
⑤「は」は、「清音」であって、
⑥「が」は、「濁音」である。
従って、
(18)(19)により、
(20)
⑤ あなたは
に対する、
⑥ あなたが
は、「心理的な音量」による「強調形」である。
従って、
(17)(20)により、
(21)
⑥ あなたが好きです。
は、「排他的命題」であって、尚且つ、「(心理的な音量による)強調形」である。
従って、
(14)(21)により、
(22)
④ 誰誉=誰をか誉めん。
⑥ あなたが好きです。
に於いて、
④ は、「強調形」であって、「排他的命題」である。
⑥ も、「強調形」であって、「排他的命題」である。
平成28年12月30日、毛利太。
―「関連記事」―
「強調形」と「疑問詞」と「排他的命題」(12月30日)〔http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post_30.html〕。
「強調形」と「疑問詞」と「排他的命題」(12月30日)。
(01)
「強調」とは、「その部分」を「他の部分」よりも、「目立たせる」ことに、他ならない。
(02)
AはBであり(A以外はBでない)。
A以外はBでない(BはAである)。
といふ「命題」を「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
(03)
「強調形」は、「排他的命題」を主張する。
(04)
「強調形」には、
① 心理的な音量差による「強調形」。
② 物理的な音量差による「強調形」。
③ 語順を変へる事による「強調形」。
等が、有る。
然るに、
(05)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。
(06)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① あなたは好きです。
ではなく、
① あなたが好きです。
等に於ける、
「~は(清音)・・・・・。」に対する、
「~が(濁音)・・・・・。」は、
① 心理的な音量差による「強調形(排他的命題)」である。
然るに、
(08)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
b.Ton SENT Mary flowers.
c.Tom sent MARY flowers.
d.Tom sent Mary FLOWERS.
”Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を強調して発音すれば、「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、「トム」という人間が他の人間と対比されているということです。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
従って、
(04)(08)により、
(09)
a.TOM sent Mary flowers. 等は、
② 物理的な音量差による「強調形(排他的命題)」である。
然るに、
(10)
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置きすることは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)
従って、
(04)(10)により、
(11)
③ 汝欲誰見。
④ 汝欲見誰。
に於いて、
③ 汝欲誰見。 は、
③ 語順を変へる事による「強調形(排他的命題)」である。
従って、
(12)
③ 汝欲誰見=汝、誰にか会はんと欲す。
と「同様」に、
③ Do you want to see who?
ではない所の、
③ Who do you want to see?
の場合も、
③ 語順を変へる事による「強調形(排他的命題)」である。
と、すべきである。
然るに、
(13)
「漢文」の場合は、「英語」とは異なり、「主語」や「目的語」が、しばしば、「省略」される。
従って、
(12)(13)により、
(14)
③ 汝誰敬=
であれば、
③ 誰敬=誰をか敬ふ。
とすることが、可能である。
然るに、
(15)
③ 誰敬=誰を(目的語)か敬ふ。
に対して、
④ 誰が敬ふ。
の場合も、
④ 誰敬=誰が(主語)か敬ふ。
である。
従って、
(01)(11)(15)により、
(16)
③ 誰敬=誰をか敬ふ。
に於いて、
③「排他的命題」を主張するために、「前置」といふ「強調形」が、用ゐられる。
といふ「理解」が、得られなくなれば、
③ 誰敬=誰を(目的語)か敬ふ。
④ 誰敬=誰が( 主語 )敬ふか。
に於ける、「識別」が「不能」となる。
然るに、
(17)
賓語が疑問代名詞であるばあい、上古漢語では倒置して動詞の前におく。現代語ではこのように倒置せず、動詞の後におくことは言うまでもない。このように倒置しなくなった時期について、筆者は明言を避けておいたのであるが(歴 p.130-131)、以下に中古の用例を補足する(ここ
では介詞も動詞にふくめて述べておく)。
曰、郷人長於伯兄一歳、則誰敬。〔趙注、季子曰、敬誰也〕曰、敬兄。酌則誰先。〔趙注、季子曰、酌酒則先酌誰〕曰、先酌郷人(孟子、告子、上、第5章)
曰く、郷人伯兄より長ずること一歳なれば、すなわち誰をか敬う。酌まばすなわち誰をか先にする。曰く、まず郷人に酌まん。
『孟子』の原文と趙岐の注を比較すると、上古の語序は後漢時代すでに変化して現代語式なっていたことがわかる。すなわち『孟子』では「誰敬」「誰先」と賓語の誰が動詞の前に来ている。
(太田辰夫、中国語通史考、1988年、28頁)
cf.
趙岐(ちょう き、?[1] - 201年)は、後漢末の政治家、学者。『孟子』の注釈で知られる(ウィキペディア)。
従って、
(17)により、
(18)
『孟子』の原文では、
③ 誰敬=誰(目的語)+敬(動詞)
③ 誰先=誰(目的語)+先(動詞)
となってゐる。のに対して、
「趙岐」は、彼が書いた「注」に於いて、
③ 敬誰=敬(動詞)+誰(目的語)
③ 先誰=先(動詞)+誰(目的語)
といふ風に、「語順」を、変へてゐる。
然るに、
(19)
正岡子規による、
雲水絶塵緑
懶加弓馬列
斯心可比何
富士千秋雪
に関して、
第三行の「可比何」は、文法的に誤りであって、かく「何」の字が下に来る習慣は、漢文にはない。「何可比」といふべきところを、ついうっかりしたのであろう。
(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、24頁)
従って、
(19)により、
(20)
「目的語」が「疑問代名詞」であるばあいは、2世紀であらうと、20世紀であらうと、「漢文(文言)」である限り、倒置をして「動詞・助動詞」の前に置く。
従って、
(16)~(20)により、
(21)
③ 誰敬=誰をか敬ふ。
に於いて、
③「排他的命題」を主張するために、「前置」といふ「強調形」が、用ゐられる。
といふ「理解」が、得られなくなったとしても、
③ 漢文(文言) であれば、
③ 汝誰敬=汝、誰(目的語)をか敬ふ。
といふ「語順」が「正しく」、
④ 口語(白話) であれば、
④ 汝敬誰=汝、誰(目的語)をか敬ふ。
といふ「語順」が「正しい」。
然るに、
(22)
3.3 wh移動
次に、wh疑問文について考えてみましょう。第8章の(32)で見たように、Who does she loveのWhoは、D構造では、
loveの目的語の位置にあり、S構造では、CPの指定部の位置にあると考えられます〔言語研究入門―生成文法を学ぶ人のために 単行本 – 2002/5大津 由紀雄 (編集), 今西 典子 (編集), 池内 正幸 (編集), 水光 雅則 (編集)、130頁〕。
(17)(21)(22)により、
(23)
チョムスキーを始めとする、「理論言語学者」の方たちは、後漢時代の、趙岐(ちょう き、?[1] - 201年)と同じく、
⑤ Who does she love?
⑥ Does she love who?
であれば、本来は、
⑥ Does she love who?
といふ「語順」の方が「正しい」。といふ風に、思ってゐる。
従って、
(03)(04)(18)(23)により、
(24)
① 心理的な音量差による「強調形」。
② 物理的な音量差による「強調形」。
③ 語順を変へる事による「強調形」。
等が有って、「強調形」は、「排他的命題」を主張する。
といふ風には、趙岐も、チョムスキーも、思ってはゐない。
(25)
「排他的命題」を主張しようとする目的が、「強調」につながり、強調しようとする意識が、「疑問詞(目的語)」の「前置」を「プロモート」する。
といふ風には、趙岐も、チョムスキーも、思ってはゐない。
平成28年12月30日、毛利太。
―「関連記事」―
「強調形」と「疑問詞」と「排他的命題」(12月30日の補足)〔http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post_89.html〕。
「強調」とは、「その部分」を「他の部分」よりも、「目立たせる」ことに、他ならない。
(02)
AはBであり(A以外はBでない)。
A以外はBでない(BはAである)。
といふ「命題」を「排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
(03)
「強調形」は、「排他的命題」を主張する。
(04)
「強調形」には、
① 心理的な音量差による「強調形」。
② 物理的な音量差による「強調形」。
③ 語順を変へる事による「強調形」。
等が、有る。
然るに、
(05)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。
(06)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① あなたは好きです。
ではなく、
① あなたが好きです。
等に於ける、
「~は(清音)・・・・・。」に対する、
「~が(濁音)・・・・・。」は、
① 心理的な音量差による「強調形(排他的命題)」である。
然るに、
(08)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
b.Ton SENT Mary flowers.
c.Tom sent MARY flowers.
d.Tom sent Mary FLOWERS.
”Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を強調して発音すれば、「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、「トム」という人間が他の人間と対比されているということです。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
従って、
(04)(08)により、
(09)
a.TOM sent Mary flowers. 等は、
② 物理的な音量差による「強調形(排他的命題)」である。
然るに、
(10)
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置きすることは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)
従って、
(04)(10)により、
(11)
③ 汝欲誰見。
④ 汝欲見誰。
に於いて、
③ 汝欲誰見。 は、
③ 語順を変へる事による「強調形(排他的命題)」である。
従って、
(12)
③ 汝欲誰見=汝、誰にか会はんと欲す。
と「同様」に、
③ Do you want to see who?
ではない所の、
③ Who do you want to see?
の場合も、
③ 語順を変へる事による「強調形(排他的命題)」である。
と、すべきである。
然るに、
(13)
「漢文」の場合は、「英語」とは異なり、「主語」や「目的語」が、しばしば、「省略」される。
従って、
(12)(13)により、
(14)
③ 汝誰敬=
であれば、
③ 誰敬=誰をか敬ふ。
とすることが、可能である。
然るに、
(15)
③ 誰敬=誰を(目的語)か敬ふ。
に対して、
④ 誰が敬ふ。
の場合も、
④ 誰敬=誰が(主語)か敬ふ。
である。
従って、
(01)(11)(15)により、
(16)
③ 誰敬=誰をか敬ふ。
に於いて、
③「排他的命題」を主張するために、「前置」といふ「強調形」が、用ゐられる。
といふ「理解」が、得られなくなれば、
③ 誰敬=誰を(目的語)か敬ふ。
④ 誰敬=誰が( 主語 )敬ふか。
に於ける、「識別」が「不能」となる。
然るに、
(17)
賓語が疑問代名詞であるばあい、上古漢語では倒置して動詞の前におく。現代語ではこのように倒置せず、動詞の後におくことは言うまでもない。このように倒置しなくなった時期について、筆者は明言を避けておいたのであるが(歴 p.130-131)、以下に中古の用例を補足する(ここ
では介詞も動詞にふくめて述べておく)。
曰、郷人長於伯兄一歳、則誰敬。〔趙注、季子曰、敬誰也〕曰、敬兄。酌則誰先。〔趙注、季子曰、酌酒則先酌誰〕曰、先酌郷人(孟子、告子、上、第5章)
曰く、郷人伯兄より長ずること一歳なれば、すなわち誰をか敬う。酌まばすなわち誰をか先にする。曰く、まず郷人に酌まん。
『孟子』の原文と趙岐の注を比較すると、上古の語序は後漢時代すでに変化して現代語式なっていたことがわかる。すなわち『孟子』では「誰敬」「誰先」と賓語の誰が動詞の前に来ている。
(太田辰夫、中国語通史考、1988年、28頁)
cf.
趙岐(ちょう き、?[1] - 201年)は、後漢末の政治家、学者。『孟子』の注釈で知られる(ウィキペディア)。
従って、
(17)により、
(18)
『孟子』の原文では、
③ 誰敬=誰(目的語)+敬(動詞)
③ 誰先=誰(目的語)+先(動詞)
となってゐる。のに対して、
「趙岐」は、彼が書いた「注」に於いて、
③ 敬誰=敬(動詞)+誰(目的語)
③ 先誰=先(動詞)+誰(目的語)
といふ風に、「語順」を、変へてゐる。
然るに、
(19)
正岡子規による、
雲水絶塵緑
懶加弓馬列
斯心可比何
富士千秋雪
に関して、
第三行の「可比何」は、文法的に誤りであって、かく「何」の字が下に来る習慣は、漢文にはない。「何可比」といふべきところを、ついうっかりしたのであろう。
(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、24頁)
従って、
(19)により、
(20)
「目的語」が「疑問代名詞」であるばあいは、2世紀であらうと、20世紀であらうと、「漢文(文言)」である限り、倒置をして「動詞・助動詞」の前に置く。
従って、
(16)~(20)により、
(21)
③ 誰敬=誰をか敬ふ。
に於いて、
③「排他的命題」を主張するために、「前置」といふ「強調形」が、用ゐられる。
といふ「理解」が、得られなくなったとしても、
③ 漢文(文言) であれば、
③ 汝誰敬=汝、誰(目的語)をか敬ふ。
といふ「語順」が「正しく」、
④ 口語(白話) であれば、
④ 汝敬誰=汝、誰(目的語)をか敬ふ。
といふ「語順」が「正しい」。
然るに、
(22)
3.3 wh移動
次に、wh疑問文について考えてみましょう。第8章の(32)で見たように、Who does she loveのWhoは、D構造では、
loveの目的語の位置にあり、S構造では、CPの指定部の位置にあると考えられます〔言語研究入門―生成文法を学ぶ人のために 単行本 – 2002/5大津 由紀雄 (編集), 今西 典子 (編集), 池内 正幸 (編集), 水光 雅則 (編集)、130頁〕。
(17)(21)(22)により、
(23)
チョムスキーを始めとする、「理論言語学者」の方たちは、後漢時代の、趙岐(ちょう き、?[1] - 201年)と同じく、
⑤ Who does she love?
⑥ Does she love who?
であれば、本来は、
⑥ Does she love who?
といふ「語順」の方が「正しい」。といふ風に、思ってゐる。
従って、
(03)(04)(18)(23)により、
(24)
① 心理的な音量差による「強調形」。
② 物理的な音量差による「強調形」。
③ 語順を変へる事による「強調形」。
等が有って、「強調形」は、「排他的命題」を主張する。
といふ風には、趙岐も、チョムスキーも、思ってはゐない。
(25)
「排他的命題」を主張しようとする目的が、「強調」につながり、強調しようとする意識が、「疑問詞(目的語)」の「前置」を「プロモート」する。
といふ風には、趙岐も、チョムスキーも、思ってはゐない。
平成28年12月30日、毛利太。
―「関連記事」―
「強調形」と「疑問詞」と「排他的命題」(12月30日の補足)〔http://kannbunn.blogspot.com/2016/12/blog-post_89.html〕。
2016年12月25日日曜日
「リカージョン(Recursion、再帰)」としての「多重否定」。
(01)
最大の論争を巻き起こしたのはピダハン語に全ての言語にあるとされる文法上の法則がないとする主張でした。その法則とはリカージョン。文章を際限なく伸ばしていく法則のことです。例えば「ビルがメアリーに会った。」という文を伸ばすと「ビルがメアリーに会ったとジョンが言った。」文はさらに伸ばことが出来ます。例えば「アービングが家を買ったとピーターが言ったとメアリーが言ったとジョンが言った。」というように、1つの文章を永遠に伸ばしていく文法です。もし文章を伸ばすことが出来ないとしたら、その言語にはリカージョンがないということです。ピダハン語にはリカージョンがないのだと言います。しかし、ノーム・チョムスキーはリカージョンはあらゆる言語に存在するとしています。これはチョムスキーが唱え言語学界の定説となっている理論、普遍文法の最も重要なルールなのです。チョムスキーが唱える普遍文法とは文法は生まれつき人間の遺伝子の中にそなわっているとする理論です。この理論によると人間の言語は表面的な違いに関わらず、全て同じ構造を持っていると言います。普遍文法は言語学界で50年以上に渡って支持されてきました。もし、ダニエルが言うようにピダハン語にリカージョンがないとすれば普遍文法の理論が間違っているということになります(ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民|NHK 地球ドラマチック)。
従って、
(01)により、
(02)
① 地球は温暖化してゐる。と太郎が言った。
② 地球は温暖化してゐる。と太郎が言った。と次郎が言った。
③ 地球は温暖化してゐる。と太郎が言った。と次郎が言った。と三郎が言った。
④ 地球は温暖化してゐる。と太郎が言った。と次郎が言った。と三郎が言った。と四朗が言った。
⑤ 地球は温暖化してゐる。と太郎が言った。と次郎が言った。と三郎が言った。と四朗が言った。と五郎が言った。
は、「recursion(再帰)」である。
然るに、
(03)
① 太郎は、ウソつきである。
② 次郎は、ウソつきである。
③ 三郎は、ウソつきである。
④ 四郎は、ウソつきである。
⑤ 五郎は、ウソつきである。
とする。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 地球が温暖化してゐる。といふことはウソである。
② 地球が温暖化してゐる。といふことはウソである。といふことはウソである。
③ 地球が温暖化してゐる。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。
④ 地球が温暖化してゐる。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。
⑤ 地球が温暖化してゐる。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。
cf.
① 地球は の「は」は「係助詞」。
① 地球が の「が」は「格助詞」。
従って、
(04)により、
(05)
① 地球が温暖化してゐる。といふことはない。
② 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。
③ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
④ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
⑤ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
従って、
(05)により、
(06)
① 地球は温暖化してゐない。
② 地球は温暖化してゐる。
③ 地球は温暖化してゐない。
④ 地球は温暖化してゐる。
④ 地球は温暖化してゐない。
然るに、
(07)
P = 地球は温暖化してゐる。
( )= といふことは
~ = ない
とする。
従って、
(05)(07)により、
(08)
① 地球が温暖化してゐる。といふことはない。
② 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。
③ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
④ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
⑤ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
といふ「語順(日本語)」は、「命題論理」として、
① (P)~
② ((P)~)~
③ (((P)~)~)~
④ ((((P)~)~)~)~
⑤ (((((P)~)~)~)~)~
といふ風に、書くことが出来る。
(09)
① 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
② 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
③ 三郎 said that 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
④ 四朗 said that 三郎 said that 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
⑤ 五郎 said that 四朗 said that 三郎 said that 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
然るに、
(10)
① 太郎 is a liar.
② 次郎 is a liar.
③ 三郎 is a liar.
④ 四郎 is a liar.
⑤ 五郎 is a liar.
であるとする。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① It is a lie that the earth is getting warmer every year.
② It is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
③ It is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
④ It is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
⑤ It is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
然るに、
(12)
~ = it is a lie
( )= that
P = the earth is getting warmer every year.
とする。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① ~(P)
② ~(~(P))
③ ~(~(~(P)))
④ ~(~(~(~(P))))
⑤ ~(~(~(~(~(P)))))
である。
従って、
(11)(13)により、
(14)
① It is a lie that the earth is getting warmer every year.
② It is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
③ It is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
④ It is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
⑤ It is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
といふ「語順(英語)」は、「命題論理」として、
① ~(P)
② ~(~(P))
③ ~(~(~(P)))
④ ~(~(~(~(P))))
⑤ ~(~(~(~(~(P)))))
といふ風に、書くことが出来る。
然るに、
(15)
⑤ 地球は年々暖かくなって来ている。と太郎が言った。と次郎が言った。と三郎が言った。と四朗が言った。と五郎が言った。
と言ふことが、「事実」であると、「仮定」すると、
① 太郎
② 次郎
③ 三郎
④ 四朗
⑤ 五郎
の「順番」で「さう言った。」といふ、ことになる。
(16)
⑤ 五郎 said that 四朗 said that 三郎 said that 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
といふ「英語」の場合も、「事実」であると、「仮定」すれば、
① 太郎
② 次郎
③ 三郎
④ 四朗
⑤ 五郎
の「順番」で「さう言った。」といふ、ことになる。
従って、
(15)(16)により、
(17)
⑤ 五郎 said that 四朗 said that 三郎 said that 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
に於ける、
⑤ 五郎 ⇒ 四朗 ⇒ 三郎 ⇒ 次郎 ⇒ 太郎
といふ「順番」は、「実際の順番」と、「逆」になってゐる。
然るに、
(18)
テーブルの上に在る「コイン」を、「二回裏返す」場合は、「一度裏返した」上で、「もう一度裏返す」以外に「方法」はない。
然るに、
(19)
(表)~ =表の反対=裏
((表)~)~=表の反対の反対=表
であって、
(真)~ =真の反対=偽
((真)~)~=真の反対の反対=真
である。
従って、
(18)(19)により、
(20)
「否定」に対しては、「裏返す」といふ「アナロジー」が、成立し、それ故、
① P =The earth is getting warmer every year.
といふ「命題」を「否定」した「後」でなければ、
② ~(P)=The earth is not getting warmer every year.
といふ「命題」を「否定」することは、出来ない。
従って、
(10)(14)(17)(20)により、
(21)
① ~(P)
② ~(~(P))
③ ~(~(~(P)))
④ ~(~(~(~(P))))
⑤ ~(~(~(~(~(P)))))
といふ「論理式」は、(右から左へ、読まなければ、ならない)。
従って、
(21)により、
(22)
必ず、(左から右へ、読まなければ、ならない)のであれば、
① ~(P)
② ~(~(P))
③ ~(~(~(P)))
④ ~(~(~(~(P))))
⑤ ~(~(~(~(~(P)))))
といふ「論理式」は、
① (P)~
② ((P)~)~
③ (((P)~)~)~
④ ((((P)~)~)~)~
⑤ (((((P)~)~)~)~)~
といふ「語順」に、「書き換へ」なければ、ならない。
平成28年12月25日、毛利太。
最大の論争を巻き起こしたのはピダハン語に全ての言語にあるとされる文法上の法則がないとする主張でした。その法則とはリカージョン。文章を際限なく伸ばしていく法則のことです。例えば「ビルがメアリーに会った。」という文を伸ばすと「ビルがメアリーに会ったとジョンが言った。」文はさらに伸ばことが出来ます。例えば「アービングが家を買ったとピーターが言ったとメアリーが言ったとジョンが言った。」というように、1つの文章を永遠に伸ばしていく文法です。もし文章を伸ばすことが出来ないとしたら、その言語にはリカージョンがないということです。ピダハン語にはリカージョンがないのだと言います。しかし、ノーム・チョムスキーはリカージョンはあらゆる言語に存在するとしています。これはチョムスキーが唱え言語学界の定説となっている理論、普遍文法の最も重要なルールなのです。チョムスキーが唱える普遍文法とは文法は生まれつき人間の遺伝子の中にそなわっているとする理論です。この理論によると人間の言語は表面的な違いに関わらず、全て同じ構造を持っていると言います。普遍文法は言語学界で50年以上に渡って支持されてきました。もし、ダニエルが言うようにピダハン語にリカージョンがないとすれば普遍文法の理論が間違っているということになります(ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民|NHK 地球ドラマチック)。
従って、
(01)により、
(02)
① 地球は温暖化してゐる。と太郎が言った。
② 地球は温暖化してゐる。と太郎が言った。と次郎が言った。
③ 地球は温暖化してゐる。と太郎が言った。と次郎が言った。と三郎が言った。
④ 地球は温暖化してゐる。と太郎が言った。と次郎が言った。と三郎が言った。と四朗が言った。
⑤ 地球は温暖化してゐる。と太郎が言った。と次郎が言った。と三郎が言った。と四朗が言った。と五郎が言った。
は、「recursion(再帰)」である。
然るに、
(03)
① 太郎は、ウソつきである。
② 次郎は、ウソつきである。
③ 三郎は、ウソつきである。
④ 四郎は、ウソつきである。
⑤ 五郎は、ウソつきである。
とする。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 地球が温暖化してゐる。といふことはウソである。
② 地球が温暖化してゐる。といふことはウソである。といふことはウソである。
③ 地球が温暖化してゐる。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。
④ 地球が温暖化してゐる。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。
⑤ 地球が温暖化してゐる。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。といふことはウソである。
cf.
① 地球は の「は」は「係助詞」。
① 地球が の「が」は「格助詞」。
従って、
(04)により、
(05)
① 地球が温暖化してゐる。といふことはない。
② 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。
③ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
④ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
⑤ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
従って、
(05)により、
(06)
① 地球は温暖化してゐない。
② 地球は温暖化してゐる。
③ 地球は温暖化してゐない。
④ 地球は温暖化してゐる。
④ 地球は温暖化してゐない。
然るに、
(07)
P = 地球は温暖化してゐる。
( )= といふことは
~ = ない
とする。
従って、
(05)(07)により、
(08)
① 地球が温暖化してゐる。といふことはない。
② 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。
③ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
④ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
⑤ 地球が温暖化してゐる。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。といふことはない。
といふ「語順(日本語)」は、「命題論理」として、
① (P)~
② ((P)~)~
③ (((P)~)~)~
④ ((((P)~)~)~)~
⑤ (((((P)~)~)~)~)~
といふ風に、書くことが出来る。
(09)
① 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
② 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
③ 三郎 said that 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
④ 四朗 said that 三郎 said that 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
⑤ 五郎 said that 四朗 said that 三郎 said that 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
然るに、
(10)
① 太郎 is a liar.
② 次郎 is a liar.
③ 三郎 is a liar.
④ 四郎 is a liar.
⑤ 五郎 is a liar.
であるとする。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① It is a lie that the earth is getting warmer every year.
② It is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
③ It is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
④ It is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
⑤ It is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
然るに、
(12)
~ = it is a lie
( )= that
P = the earth is getting warmer every year.
とする。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① ~(P)
② ~(~(P))
③ ~(~(~(P)))
④ ~(~(~(~(P))))
⑤ ~(~(~(~(~(P)))))
である。
従って、
(11)(13)により、
(14)
① It is a lie that the earth is getting warmer every year.
② It is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
③ It is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
④ It is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
⑤ It is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that it is a lie that the earth is getting warmer every year.
といふ「語順(英語)」は、「命題論理」として、
① ~(P)
② ~(~(P))
③ ~(~(~(P)))
④ ~(~(~(~(P))))
⑤ ~(~(~(~(~(P)))))
といふ風に、書くことが出来る。
然るに、
(15)
⑤ 地球は年々暖かくなって来ている。と太郎が言った。と次郎が言った。と三郎が言った。と四朗が言った。と五郎が言った。
と言ふことが、「事実」であると、「仮定」すると、
① 太郎
② 次郎
③ 三郎
④ 四朗
⑤ 五郎
の「順番」で「さう言った。」といふ、ことになる。
(16)
⑤ 五郎 said that 四朗 said that 三郎 said that 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
といふ「英語」の場合も、「事実」であると、「仮定」すれば、
① 太郎
② 次郎
③ 三郎
④ 四朗
⑤ 五郎
の「順番」で「さう言った。」といふ、ことになる。
従って、
(15)(16)により、
(17)
⑤ 五郎 said that 四朗 said that 三郎 said that 次郎 said that 太郎 said that the earth is getting warmer every year.
に於ける、
⑤ 五郎 ⇒ 四朗 ⇒ 三郎 ⇒ 次郎 ⇒ 太郎
といふ「順番」は、「実際の順番」と、「逆」になってゐる。
然るに、
(18)
テーブルの上に在る「コイン」を、「二回裏返す」場合は、「一度裏返した」上で、「もう一度裏返す」以外に「方法」はない。
然るに、
(19)
(表)~ =表の反対=裏
((表)~)~=表の反対の反対=表
であって、
(真)~ =真の反対=偽
((真)~)~=真の反対の反対=真
である。
従って、
(18)(19)により、
(20)
「否定」に対しては、「裏返す」といふ「アナロジー」が、成立し、それ故、
① P =The earth is getting warmer every year.
といふ「命題」を「否定」した「後」でなければ、
② ~(P)=The earth is not getting warmer every year.
といふ「命題」を「否定」することは、出来ない。
従って、
(10)(14)(17)(20)により、
(21)
① ~(P)
② ~(~(P))
③ ~(~(~(P)))
④ ~(~(~(~(P))))
⑤ ~(~(~(~(~(P)))))
といふ「論理式」は、(右から左へ、読まなければ、ならない)。
従って、
(21)により、
(22)
必ず、(左から右へ、読まなければ、ならない)のであれば、
① ~(P)
② ~(~(P))
③ ~(~(~(P)))
④ ~(~(~(~(P))))
⑤ ~(~(~(~(~(P)))))
といふ「論理式」は、
① (P)~
② ((P)~)~
③ (((P)~)~)~
④ ((((P)~)~)~)~
⑤ (((((P)~)~)~)~)~
といふ「語順」に、「書き換へ」なければ、ならない。
平成28年12月25日、毛利太。
登録:
投稿 (Atom)