(01)
(参考)
三浦吉明教諭は「「不敢(あへて・・・ず)」の解釈について」(「漢文教室」第一五四号、一九八六・六)において、次のような問題提起をした。
1.市販の問題集・参考書の類、教科書・教師用指導書の類では、「不敢」を「決して・・・ない」と訳している。
2.西田太一郎『漢文の語法』(角川書店)では、これを次のように説明しており、「目からうろこが落ちた気持ちになった。」
以下は、西田氏の説明を三浦教諭が要約したものである。
「敢」の訳しかたは場面に合わせて様々な可能性がある。
仮に「敢」が「勇気を出して~~する」の時は、「不敢~~」はそれの否定であるから「勇気を出して~~することをしない」「~~するだけの勇気がない」となる。
このように「不敢」の形を正しくつかむと、「はばかって~~しない」「決して~~しない」「どうしても~~まい」は誤りである。(江連隆、漢文語法ハンドブック、1997年、81頁)。
然るに、
(02)
私自身は、
① 敢告。
② 敢不告。
③ 不敢告。
④ 不敢不告。
といふ「漢文」を、
①「告げたい気持ち」が、「告げたくない気持ち」を、上回るので、 「告げる」。 ⇒「積極的」。
②「告げたくない気持ち」が、「告げたい気持ち」を、上回るので、 「告げない」。⇒「積極的」。
③「告げたい気持ち」が、「告げたくない気持ち」を、上回らないので、「告げない」。⇒「消極的」。
④「告げたくない気持ち」が、「告げたい気持ち」を、上回らないので、「告げる」。 ⇒「消極的」。
といふ風に、理解したい。
従って、
(03)
① 敢告。
④ 不敢不告。
は、両方とも、「結果」としては、
① 告げる。
④ 告げる。
であるが、ただし、、
① は、「積極的に、告げる」のであって、
④ は、「消極的に、告げる」ことになる。
(04)
② 敢不告。
③ 不敢告。
の場合も、両方とも、「結果」としては、
② 告げない。
③ 告げない。
であるが、ただし、
② は、「積極的に、告げない」のであって、
③ は、「消極的に、告げない」ことになる。
従って、
(02)により、
(05)
③ 不敢視。
であれば、
③「視たい気持ち」が、「視たくない気持ち」を、上回らないので、「視ない」。⇒「消極的」。
であるものの、この時、「視たい気持ち」が、「とても強い」のであれば、
③「視たい気持ち」が、強いのに、「視れない(視ることが出来ない)」。
と、すべきである。
従って、
(05)により、
(06)
昆弟妻嫂側目不敢視=
昆弟妻嫂目を側目めて敢へて視ず(十八史略)。
に於ける、
③ 不敢視=(視たいけれど、)視れない。
といふ「語句」を、
見ることが出来なかった(日英社、要説 十八史略・史記、1970年、147頁)。
と訳してゐることは、「納得がいく」。
加へて、
(02)により、
(07)
④ 不敢不告。
であれば、
④「告げたくない気持ち」が、「告げたい気持ち」を、上回らないので、「告げる」。⇒「消極的」。
であるものの、さうであれば、
④ 不敢不知=(今、この時点で、知らせたくない気持ちが、知らせたい気持ちを上回らない)ので、知らせることを、(やむを得ず)決意した。といふ「文脈」で、
④ 不敢不告。
と言ふことは、「理に適ってゐる」。
従って、
(07)により、
(08)
〔例文〕110
事已至此。不敢不告=事已に此に至る。敢へて告げずんばあらず。
(事態がもはやここまできてしまった。思いきって知らせないではいられない。)[日本外史](昇龍堂、漢文公式と問題正解法、1997年、46版、59頁)。
に於ける、
④ 事已至此。不敢不告.
といふ、書き方は、「理に適ってゐる」。
然るに、
(02)により、
(09)
①「告げたい気持ち」が、「告げたくない気持ち」を、上回るので、 「告げる」。
の「否定」は、
③「告げたい気持ち」が、「告げたくない気持ち」を、上回らないので、「告げない」。
であって、
②「告げたくない気持ち」が、「告げたい気持ち」を、上回るので、 「告げない」。
の「否定」は、
④「告げたくない気持ち」が、「告げたい気持ち」を、上回らないので、「告げる」。
である。
すなはち、
(10)
① 敢告。 の「否定」は、
③ 不敢告。 であって、
② 敢不告。の「否定」は、
④ 不敢不告。である。
然るに、
(11)
任意の表述の否定は、その表述を’~( )’という空所にいれて書くことにしよう(大修館書店、現代論理学入門、1972年、15頁)。
従って、
(10)(11)により、
(12)
③ 不敢言。
に関しては、
③ 不(敢言)。
である。ことに、なる。
従って、
(11)(12)により、
(13)
⑤ 非不敢言。=
⑤ 非〔不(敢言)〕⇒
⑤〔(敢言)不〕非=
⑤〔(敢へて言は)不るに〕非ず。
であるものの、このことは、
③「言たい気持ち」が、「言たくない気持ち」を、上回らないので、「言はない」。⇒「消極的」。
の「否定」が、
⑤ 非〔不(敢言)〕。
である。ことになる。
従って、
(02)(13)により、
(14)
③ 不敢言 = (消極的に、言は)ない。
の「否定」は、
⑤ 非不敢言=((消極的に、言は)ない)のではない。
といふ、ことになる
従って、
(14)により、
(15)
〔問題(笠間書院、漢文の語法と故事成語、2005年、61頁)〕は、
⑥ 我非不敢言、乃不肯言爾=
⑥ 我非〔不〔敢(言)〕、乃不〔肯(言)〕爾⇒
⑥ 我〔〔敢へて(言は)不るに〕非ず、乃ち〔(言ふを)肯ぜ〕不るのみ=
⑥ 私は((消極的に、言は)ない)のではない。すなはち、言ふことを、良しとしないが故に、言はないだけだ。
といふ、「意味」になる。
cf.
【肯】(意味)①(動詞)がえんずる。うなずく。また、承知する。「肯定」→(語法②)
②「不肯」は、「~するをがんぜず」とよみ、「~することを承知しない」と訳す。
(学研、改訂新版 漢字源、2002年、710頁)
(16)
端的に言ふと、
⑥ 我非不敢言、乃不肯言爾≒
⑥ 言ひたいけれど言はないのではなく、言ひたくないから言はないのだ。
といふ、ことになる。
(06)により、
(17)
⑧
不敢背=(背きたくとも、)背けない。
であるものの、
⑧(背きたくとも、)背けない⇒
⑧(決して、)背かない。
である。はずである。
従って、
(17)により、
(18)
⑧
沛公不敢背項王=
⑧ 沛公は(決して、)項王に背かない。
といふ、ことになる。
従って、
(18)により、
(19)
1.市販の問題集・参考書の類、教科書・教師用指導書の類では、「不敢」を「決して・・・ない」と訳している。
としても、「不都合」は、ない。
平成26年11月19日、毛利太。
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