(01)
一言で、「括弧」では分からないため、「左側のそれ」を、
( =「括」
〔 =「括」
[ =「括」
{ =「括」
とする。
(02
「右側のそれ」を、
)=「弧」
〕=「弧」
]=「弧」
}=「弧」
とする。
従って、
(01)(02)により、
(03)
「左右のそれ」を、
( )=「括 弧」
〔 〕=「括 弧」
[ ]=「括 弧」
{ }=「括 弧」
とする。
従って、
(03)により、
(04)
( ) = 「括 弧」
〔( )〕 = 「括括 弧弧」
[〔( )〕] = 「括括括 弧弧弧」
{[〔( )〕]}=「括括括括 弧弧弧弧」
とする。
(05)
①( )=「括 弧」
②〔 〕=「括 弧」
③[ ]=「括 弧」
④{ }=「括 弧」
に於いて、
①の中に、「括
弧」は、無い。
②の中には、一つ以上の①が有る。
③の中には、一つ以上の②が有る。
④の中には、一つ以上の③が有る。
とする。
従って、
(05)により、
(06)
例へば、
(〔 〕)=「1:括括 弧弧」
(〔 )〕=「2:括括 弧弧」
〔( 〕)=「3:括括 弧弧」
であるが、これらは、
〔( )〕とは、逆に、
①の中に、②が有る。が故に、
このやうな「括括 弧弧」等は、認めない。
(07)
①(B)AC。
は、「不可」とする。
(08)
②B(A)C。
であるとき、
②Aは「Bを補足する」。
(09)
③AC(B)。
であるとき、
③Bは「Cを補足」する。
(10)
④B‐C(A)。
であるとき、
④Aは「B‐Cを補足」し、このときの、
④B‐Cは、「熟語」以外は、「不可」とする。
(11)
⑤AHD(BC)GEF。
に於いて、
⑤BCは「Dを補足」する。
(12)
⑥AHD(BC)G(EF)。
に於いて、
⑤BCは「Dを補足」し、
⑥EFは「Gを補足」する。
(14)
⑦AH〔D(BC)G(EF)〕。
に於いて、
⑤BCは「Dを補足」し、
⑥EFは「Gを補足」し、
⑦DBCGEFは「Hを補足」する。
(15)
このやうにして、「無限」に「補足」を続けることが出来るため、この辺で止めるものの、(05)を逆に言ふと、
①( )=「括 弧」
②〔 〕=「括 弧」
③[ ]=「括 弧」
④{ }=「括 弧」
に於いて、
④の中には、一つ以上の③が有り、
③の中には、一つ以上の②が有り、
②の中には、一つ以上の①が有り、
①の中に、「括 弧」が、無い。
のであれば、『括弧』である。とする。
従って、
(16)
⑦ AH〔D(BC)G(EF)〕。
が、『括弧』であるため、
⑦ 我不〔為(児孫)買(美田)〕。
も、『括弧』である。
従って、
(14)(16)により、
(17)
⑦ 我不〔為(児孫)買(美田)〕。
に於いて、
⑤ 児孫は「為を補足」する。
⑥ 美田は「買を補足」する。
⑦ 為児孫買美田は「不を補足」する。
然るに、
(18)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置き換えて読むことが、その大きな原則となっている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
⑦ 我不〔為(児孫)買(美田)〕⇔
⑧ 我〔(児孫)為(美田)買〕不。
に於いて、
⑦ は、「漢文の語順」であり、
⑧ は、「国語の語順」である。
従って、
(19)により、
(20)
⑦ 我不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
⑧ 我〔(児孫)為(美田)買〕不=
⑧ 我は〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不。
は、「漢文訓読」である。
従って、
(01)~(20)により、
(21)
⑨ 我非[不〔為(児孫)買(美田)〕者]也⇒
⑨ 我[〔(児孫)為(美田)買〕不者]非也=
⑨ 我は[〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不る者に]非ざるなり。
も、「漢文訓読」であり、
⑩ 我買(田)⇒
⑩ 我(田)買=
⑩ 我(田を)買ふ。
も、「漢文訓読」である。
従って、
(22)
(ア)『括弧』は、「補足構造」を表すことが出来、尚且つ、
(イ)「漢文」と「国語」の「補足構造」における「語順」は、全く反対である。
といふ「二つの条件」が揃っているが故に、
例へば、
① 我買(田)⇒
① 我(田を)買ふ。
② 我不〔買(美田)〕⇒
② 我は〔(美田を)買は〕不。
③ 我不〔為(児孫)買(美田)〕⇒
③ 我は〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不。
④ 我非[不〔為(児孫)買(美田)〕者]也⇒
④ 我は[〔(児孫の)為に(美田を)買は〕不る者に]非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、「可能」になる。
従って、
(23)
(ウ)「漢文」だけでなく、「英語」と「国語」の「補足構造」における「語順」も、全く反対である。
といふ「条件」が有るのであれば、例へば、
⑤ Who are you?
⑥ What are you doing?
⑦ I know that he is a good student.
⑧ I have no doubt that he is a good student.
といふ「英語」に於いても、「英文訓読」が、「可能」になる。
然るに、
(24)
「結論」から言ふと、この場合、
⑦ I know[that〔he is(a good student)〕]⇒
⑦ I [〔he(a good student) is〕that]know=
⑦ 私は[〔彼が(良い生徒)である〕といふことを]知ってゐる。
以外は、『括弧(返り点)』による「英文訓読」は、「不可能」である。
(25)
⑤と⑧に関しては、
⑤ Who‐are
であれば、
⑤ Who‐are(you)?⇒
⑤ (you)Who‐are?=
⑤ (あなたは)誰‐であるか。
のやうに、「倒置」が、「可能」であるものの、
⑤ Who‐are=誰‐である。
⑧ have‐no=持ってゐ‐ない。
は、「熟語」ではないため、「ハイフン(‐)」を付けることが、出来ない。
cf.
熟語2.二つまたはそれ以上の単語が合わさって、一つの単語として用いられるようになったも(デジタル大辞泉)。
従って、
(10)(25)により、
(26)
⑤ Who‐are=誰-である。
⑧ have‐no=持ってゐ-ない。
に関しては、「一つの単語(熟語)」ではない。が故に、
『括弧(返り点)』による「英文訓読」は、「不可能」である。
(27)
⑨ You are doing what?
に対して、『括弧』を加へると、
⑨ You are〔doing(what)〕?⇒
⑨ You 〔(what)doing〕are?=
⑨ あなたは〔(何を)して〕ゐるか。
然るに、
(28)
⑥ What are you doing?
に対して、「括弧」を加へると、
⑥ What(are〔you)doing〕?⇒
⑥ (〔you)Whatdoing〕are?=
⑥ (〔あなたは)何をして〕ゐるか。
然るに、
(06)(15)により、
(29)
⑥ 二(四〔一)三〕⇒
⑥ (〔一)二三〕四=
⑥ 一 二 三 四。
のやうな、「2:括括 弧弧」は、『括弧』ではない。
従って、
(23)~(29)により、
(30)
⑤ Who are you?
⑥ What are you doing?
⑦ I know that he is a good student.
⑧ I have no doubt that he is a good student.
に於いて、
⑦ I know that he is a good student.
以外の三つに関しては、『括弧(返り点)』による「英文訓読」は、「不可能」である。
従って、
(22)(30)により、
(31)
(ア)『括弧』は、「補足構造」を表すことが出来る。といふ「必然」と、
(イ)「漢文」と「国語」の「補足構造」における「語順」は、全く反対である。といふ「偶然」により、
(ウ)『括弧』による「漢文訓読」は、「可能」となる。
(32)
「括弧」が、「返り点」よりも「優れてゐる点」は、
(一)「返り点」は、「横書き」では、表せない。
(二)「括弧」は、「論理構造(シンタックス)」を表現してゐる。
(三)「返り点」は、「合理的」には、出来てゐない。が故に、
(四)「返り点」は、それなりに難しい(が、「括弧」は簡単である)。
(33)
(一)に関しては、仮に、「返り点のフォント」を作ったとしても、たぶん、読みにくい。
(34)
(二)に関しては、例へば、
不〔為(児孫)買(美田)〕。
であれば、
~(A&B)=~A∨~B=A→~B。
といふ、「ド・モルガンの法則」と、「含意の定義」が、成立する。
加へて、
(35)
無人不死=
不[有〔人不(死)〕]⇒
[〔人(死)不〕有]不=
[〔人として(死せ)不るは〕有ら]ず。
といふ「漢文」は、
~[∃ⅹ〔人ⅹ&~(死ⅹ)〕]⇒
[〔人ⅹ&(死ⅹ)~〕∃ⅹ]~=
[〔人であって(死な)ないといふ〕そのやうなⅹは存在し]ない。
といふ「述語論理」に、「直訳」出来る。
(36)
(三)に関しては、例へば、「朝三暮四」の、「二 一レ 二 一。」といふ「返り点」に、納得できない高校生が、絶えない。
(37)
(四)に関しては、「Yahoo!知恵袋の質問」を、読んでゐると、さうとしか、思へない。
平成26年11月30日、毛利太。
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