2014年11月22日土曜日

「括弧」は無いのか? 

(01)
① 世界中の、全ての人には親がゐる(た)。
② 全ての人(約72億2064万人以上)を子供とする親が存在する。
に於いて、
① は「真(本当)」であって、
② は「偽(ウソ)」である。
従って、
(01)により、
(02)
① ∀ⅹ∃yPyⅹ=Everyone has(had)a parent.
② ∃y∀ⅹPyⅹ=Someone is a parent of everyone.
に於いて、
① は「真(本当)」であって、
② は「偽(ウソ)」である。
然るに、
(03)
① ∀ⅹ∃yPyⅹ=
① ∀ⅹ(∃y(Pyⅹ))⇒
① ((Pyⅹ)∃y)∀ⅹ=
① ((ⅹはyの子供である。といふことが)あるyについて正しいといふことは)(全てのⅹに於いて、さうである)。
といふことは、「真(本当)」であって、
(04)
② ∃y∀ⅹPyⅹ=
② ∃y(∀ⅹ(Pyⅹ))⇒
② ((Pyⅹ)∀ⅹ)∃y=
② ((yはⅹの親である。といふことが)全てⅹに対してさうである所の)(そのやうなyが存在する)。
といふことは、「偽(ウソ)」である。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① ∀ⅹ∃yPyⅹ=全ての人には、それぞれに親がゐる(た)。
② ∃y∀ⅹPyⅹ=全ての人の、親である所の人がゐる。
といふ「論理式」は、実際には、
① ∀ⅹ(∃y(Pyⅹ))
② ∃y(∀ⅹ(Pyⅹ))
といふ「形」をしてゐるに、違ひない。
然るに、
(06)
∀ⅹ  ∃y (...) は
∀ⅹ(∃y (...)) の
意味で解釈されるということに注意(Webサイト:V. 述語論理の意味論)。
とのことであって、それ故、「V. 述語論理の意味論」が「正しい」のであれば、
① ∀ⅹ(∃y(Pyⅹ))
は、「正しい」ため、
② ∃y(∀ⅹ(Pyⅹ))
も、「正しい」はずである。が、
そのやうなことは、例へば、「論理学初歩(E.J.レモン)」には、書かれてゐない。
従って、
(03)~(06)により、
(07)
命題論理と同様、論理式を表記するときに曖昧さがなければ、余分な括弧は省略することができる(スマリヤン)。
といふ風に、されてゐる以上、例へば、
③ ~∃y∀ⅹPyⅹ
といふ風に、「入門書」には、書かれてゐても、
③ ~(∃y(∀ⅹ(Pyⅹ)))
といふ風に「思へれば」、「さう思っても、良い。」ことになる。
従って、
(08)
④ ~∃ⅹ(Mⅹ&~Dⅹ)
であれば、
④ ~(∃ⅹ(Mⅹ&~(Dⅹ)))
といふ風に「思へれば」、「さう思って、も良い。」ことになる。
加へて、
(09)
固より、「論理学の記号」は、統一されてはゐないのであって、その意味では、
④ ~(∃ⅹ(Mⅹ&~(Dⅹ)))
といふ「論理式」を、
⑤ 不(有ⅹ(Mⅹ而不(Dⅹ)))
といふ風に、書いても、構はない。
加へて、
(10)
Mⅹ の M は、
Man  の M であるものの、「取りあへず、さうした」のは、私であり、
Dⅹ  の D は、
Die   の D であるものの、「取りあへず、さうした」のは、私である。
従って、
(09)(10)により、
(11)
④ ~(∃ⅹ(Mⅹ&~(Dⅹ)))=
⑤ 不(有ⅹ(人ⅹ而不(死ⅹ)))
然るに、
(12)
⑤ 不(有ⅹ(人ⅹ而不(死ⅹ)))
に於ける「三つのⅹ」は、この場合は、「yやZではなく、三つともⅹである」といふ意味しか、持ってゐない。
従って、
(12)により、
(13)
④ ~(∃ⅹ(Mⅹ&~(Dⅹ)))=
④ ~(∃(M&~(D)))=
⑤ 不(有(人而不(死)))
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(14)
「古今東西、人類の頭の中(思考法)」は、変はらないはずであり、それ故、
④ ~(∃ⅹ(Mⅹ&~(Dⅹ)))
といふ「論理式」に於いて、
④((( )))
といふ「括弧」が有って、
⑤ 不(有(人而不(死)))
といふ「漢文」に於いて、
⑤((( )))
といふ「括弧」が無い。といふことは、ほとんど、有り得ない。
cf.
文法とは、単純に、精神活動の一部であって、精神活動とは普遍的なものである;すなわち、文法は普遍的である(ウィキペディア:ポール・ロワイヤル文法)。生成文法において言語とは、人間の存在を離れて客体として存在しているのではなく、あくまで人間の心/脳の中に存在しているもの (I-language) で、ある言語の母語話者がその言語を話すために保持している知識の体系(language competence) を指している(ウィキペディア:普遍文法)。記号論理学においては表層構造と深層構造の区別は存在しない。といふのも、記号論理学は初めからそのようにつくられた人口言語だからである(山下正男、論理学史、1983年、186頁)。漢文は「東洋のエスペラント」であるといわれます。目で見てわかりやすく、文法も単純な、漢文という共通の道具を使えば、中国人でも日本人でも、朝鮮人でも、安南人でもすぐに意志を通じることができました。そればかりでなく、二千年まえの人の書きものでも、自由に読むことができるのです(魚返善雄、漢文入門、1966年、14頁)。漢文はその発生の初めから知的に整理された中国の文章語で、紀元前の文献である『論語』や『孟子』のころにはすでに記載語として成立していた。その文章は当時の口語の煩雑さを整理して、より簡潔な形に凝集させたものである(ウィキペディア:漢文)。
従って、
(15)
「論理式」を表記するときに曖昧さがなければ、「余分な括弧は省略」することができる(スマリヤン)。といふことが、「論理学」に於いて、成り立つ一方で、「漢文」に於いては、「全ての括弧が省略」されてゐる。と、すべきである。
従って、
(16)
⑤ 不(有(人而不(死)))
といふ風に、書かれることが無い。といふ「理由」により、
⑤ 不有人而不死
といふ「漢文」は、存在しても、
⑤ 不(有(人而不(死)))
といふ「漢文」は、存在しない。とすることは、
④ ~∃ⅹ(Mⅹ&~Dⅹ)
といふ風に、書かれた「論理式」は、見たことがあるが、
④ ~(∃ⅹ(Mⅹ&~(Dⅹ)))
といふ「論理式」は、見たことが無いため、
④ ~(∃ⅹ(Mⅹ&~(Dⅹ)))
といふ「論理式」は、マチガイである。とすることに、等しい。
従って、
(16)により、
(17)
⑤ 不有人而不死=
⑤ 不(有(人而不(死)))
ではない。とすることは、
④ ~∃ⅹ(Mⅹ&~Dⅹ)=
④ ~(∃ⅹ(Mⅹ&~(Dⅹ)))
ではない。とすることと、同様に、マチガイである。
cf.
任意の表述の否定は、その表述を’~(  )’という空所にいれて書くことにしよう;しかし、丸括弧はその内部の表述が連言でないかぎり削除しよう(W.O.クワイン、現代論理学入門、1972年、1頁)。
平成26年11月22日、毛利太。

0 件のコメント:

コメントを投稿