2014年11月2日日曜日

英文訓読(仮題)。

(01)
I  read English=主語+動詞+目的語
の「下線(アンダーライン)」を、「括弧」に換へると、
I  read(English).
従って、
(02)
読(英語)=動詞(目的語)。
であるものの、「漢文」の場合は、
目的語と補語とは、それほど区別する必要はないので、両方併せて、補足語と読んだり、単に補語と読んだりしている(数研出版、チャート式 基礎からの漢文、1982年、26頁)。
然るに、
(03)
荻生徂徠が「主語」である時、
① 読(漢文)=(漢文を)読む。
② 読(英語)=(英語を)読む。
に於いて、
① は「真(1)」であるが、
② は「偽(0)」である。
(04)
ラッセルが「主語」である時、
① 読(漢文)=(漢文を)読む。
② 読(英語)=(英語を)読む。
に於いて、
① は「偽(0)」であって、
② は「真(1)」である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 読(漢文)=(漢文を)読む。
② 読(英語)=(英語を)読む。
は、「主語」によって、「真偽(1・0)」が決まるといふ「意味」で、
「主語の関数」であり、(02)により、
① 読( )=( を)読む。
② 読( )=( を)読む。
は、「補語の関数」である。
然るに、
(06)
① 読(漢文)=(漢文を)読む。
が、「真(1)」である時、
② 不〔 読(漢文)〕=〔(漢文を)読ま〕ず。
は、「偽(0)」であって、
① 読(漢文)=(漢文を)読む。
が、「偽(0)」である時、
② 不〔 読(漢文)〕=〔(漢文を)読ま〕ず。
は、「真(1)」である。
加へて、
(07)
② 不〔 読(漢文)〕=〔(漢文を)読ま〕ず。
が、「真(1)」である時、
③ 非[ 不〔 読(漢文)]=[〔(漢文を)読ま〕不るに]非ず。
は、「偽(0)」であって、
② 不〔 読(漢文)〕=〔(漢文を)読ま〕ず。
が、「偽(0)」である時、
③ 非[ 不〔 読(漢文)]=[〔(漢文を)読ま〕不るに]非ず。
は、「真(1)」である。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
③ 非[ 不〔 読( )]。
は、「関数の、関数の、関数」である。
然るに、
(09)
④ 常読(漢文)⇒
④ 常(漢文)読=
④ 常に(漢文を)読む。
の場合は、
④ 常〔読(漢文)〕⇒
④ 〔(漢文)読〕常=
④ 〔(漢文を)読むこと〕常なり。
といふ風にも、「訓読」出来る。
cf.
「原田種成、私の漢文講義、1995年、56頁」。
従って、
(10)
④ 非不常読漢文。
の場合は、
④ 非{不[常〔読(漢文)〕]}⇒
④ {[〔(漢文)読〕常]不}非=
④ {[〔(漢文を)読むこと〕常なら]不るに}非ず。
といふ風に、「訓読」出来る。
従って、
(08)(10)により、
(11)
④ 非{不[常〔読( )〕]}。
は、「関数の、関数の、関数の、関数」であるが、
それと同時に、(02)により、
④ 非{不[常〔読(漢文)〕]}は、
は、「補足の、補足の、補足の、補足」である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
④ 非不常読漢文 ⇒
④ 漢文を読むこと常なら不るに非ず。
といふ「漢文訓読」が、可能である所以は、
漢語における語順は、大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)からである。
といふ、ことになる。
然るに、
(13)
④ 非不常読漢文=
④ 非{不[常〔読(漢文)〕]}⇒
④ {[〔(漢文)読〕常]不}非=
に対して、
⑤ 非不久如天然読漢文=
⑤ 非{不[〔久如(日月)然〕読(漢文)]}⇒
⑤ {[〔久(日月)如然〕(漢文)読]不}非=
⑤ 久しきこと日月の如く然うして漢文を読ま不んば非ず。
であれば、
④ 漢文を読むこと常なら不るに非ず。
といふ「意味」には、とれない。
従って、
(14)
仮に、
久如日月然=常
といふ「イデオム」が、「漢文」に有って、
④ 非不常読漢文=
⑤ 非不久如日月然読漢文。
であったとする。ならば、
④ 非不常読漢文=
⑤ 非不久如日月然読漢文=
⑤ 久しきこと日月の如く然うして漢文を読ま不んば非ず。
となって、「意味」が、通じないが故に、この場合の「漢文」は、「訓読」には適さない。
然るに、
(15)
久如日月然=常(always)
といった、このような「イディオム」は、実際には無い。
然るに、
(16)
「英語」に対して「括弧(返り点)」を付けてみて分かることは、とにかく、「英語」は「イディオム」が多い。といふことである。
(17)
例へば、
彼らはお金が足りなくなった=
They have run short of money.
その船は波にもてあそばれている=
The ship is at the mercy of the waves.
のやうに、「イディオム」が用ゐられてゐる場合は、「返り点(括弧)」を付けることは、出来ない。
加へて、
(18)
あなたは誰ですか=
Who are you?
机の上に本が有る=
There is a book on the desk.
私が漢文を読まないといふことは、本当ではない=
It is not true that I don’t read 漢文.
等には、「返り点(括弧)」を付けることが、出来ない。
然るに、
(19)
I  don’t〔read(English)〕⇒
I 〔(English)read〕 don’t=
私は〔(英語を)読ま〕ない。
に対しては、「返り点(括弧)」を付けることが、出来る。
従って、
(12)~(19)により、
(20)
「漢文は、その補足構造における語順が、国語とは全く反対である。」が故に、「漢文訓読」が、可能である一方で、「英語は、その補足構造における語順が、国語とは反対である場合もあり、尚且つ、イディオムなどが多く有る。」が故に、「英文訓読」は、可能である場合と、さうでない場合がある。といふ、ことになる。
従って、
(21)
「漢文」が、仮に、「英語」のやうな「言語」であれば、
「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう(ある言語教育関連の新聞の連載コラム、西洋文化研究者)。」と、言はれる前に、「英文訓読」が、さうであるやうに、「漢文訓読」は、成立してゐなかった。ことになる。
従って、
(22)
「漢文訓読」と、「英文訓読」を、同一に論じることは、出来ないのあって、「英文訓読」は、固より、それが出来なかった。といふことに、過ぎない。
平成26年11月02日、毛利太。

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