(01)
大文字を使って、「肯定」を表し、
小文字を使って、「否定」を表す。ことにします。
例へば、
(02)
Aの「否定」を、aとし、
Bの「否定」を、bとします。
従って、
(03)
①
AB=Aであって、Bである。
② Ab=Aであって、Bでない。
③ aB=Aでなくて、Bである。
④
ab=Aでなくて、Bでない。
とします。
然るに、
(04)
A=児孫の為である。
B=美田を買ふ。
とします。
従って、
(03)(04)により、
(05)
①
AB=児孫の為であって、美田を買ふ。
② Ab=児孫の為であって、美田を買はない。
③ aB=児孫の為でなくて、美田を買ふ。
④
ab=児孫の為でなくて、美田を買はない。
従って、
(05)により、
(06)
①(AB)に非ず=
①(Aであって、Bである。)でない。
とするならば、
①
AB=児孫の為であって、美田を買ふ。
が「否定」された「結果」として、
② Ab=児孫の為であって、美田を買はない。
③
aB=児孫の為でなくて、美田を買ふ。
④
ab=児孫の為でなくて、美田を買はない。
といふ、「三つ」が、残ります。
然るに、
(03)により、
(07)
③ aB
④
ab
の二つは、
③ aB=Aでなくて、・・・・。
④
ab=Aでなくて、・・・・。
であるため、
「Aならば、・・・・。」の場合に、入りません。
従って、
(07)により、
(08)
②
Ab
③ aB
④ ab
に於いて、
Aならば、② Ab
である。
従って、
(02)(04)(08)により、
(09)
Aならば、Bでない。
従って、
(06)(09)により、
(10)
(Aであって、Bである)でない。ならば、
(Aならば、Bでない)。
然るに、
(11)
「交換律」により、
②
Ab=bA
④ ab=ba
然るに、
(03)により、
(12)
② bA
④ ba
の二つは、
②
bA=Bでなくて、・・・・。
④
ba=Bでなくて、・・・・。
であるため、
「Bならば、・・・・。」の場合に、入りません。
従って、
(12)により、
(13)
②
Ab=bA
③ aB=Ba
④ ab=ba
に於いて、
Bならば、③ Ba
である。
従って、
(02)(04)(13)により、
(14)
Bならば、Aでない。
従って、
(10)(14)により、
(15)
(Aであって、Bである)でない。ならば、
(Aならば、Bでなく)、
(Bならば、Aでない)。
従って、
(15)により、
(16)
高校で習った、「ド・モルガンの法則」は、正しい。
従って、
(17)
①
不為児孫買美田。
といふ「漢文」が、
①
不(為児孫買美田)。
といふ「意味」で、あって、尚且つ、「ド・モルガンの法則」は、正しい。のであれば、
① 不為児孫買美田。
①
不(為児孫買美田)。
といふ「漢文」は、
② Ab=児孫の為ならば、 美田を買はない。
③
Ba=美田を買ふならば、児孫の為でない。
といふ「命題」に、等しい。
cf.
幾たびか辛酸を歴て志(こころざし)始めて堅し、
丈夫(ぢやうふ)玉碎すとも甎全(せんぜん)を恥づ。
我が家の遺法人知るや否や、
兒孫(じそん)の爲に美田を買はず。然るに、
(18)
A=其の能の千里なるを知る。
B=馬を食(やしな)ふ。
とする。
従って、
(02)(18)により、
(19)
a=其の能の千里なるを知らず。
b=馬を食(やしな)はず。
とする。
従って、
(18)(19)により、
(20)
①
AB=其の能の千里なるを知りて、馬を食(やしな)ふ。
② Ab=其の能の千里なるを知りて、馬を食(やしな)はず。
③
aB=其の能の千里なるを知らずして、馬を食(やしな)ふ。
④
ab=其の能の千里なるを知らずして、馬を食(やしな)はず。
然るに、
(21)
食馬者=馬を食(やしな)ふ者
が、
馬を食(やしな)はない。
といふことは、有り得ない。
従って、
(21)により、
(22)
食馬者=馬を食(やしな)ふ者
が、「主語」である場合は、
①
AB=其の能の千里なるを知りて、馬を食(やしな)ふ。
② Ab=其の能の千里なるを知りて、馬を食(やしな)はず。
③
aB=其の能の千里なるを知らずして、馬を食(やしな)ふ。
④ ab=其の能の千里なるを知らずして、馬を食(やしな)はず。
に於いて、
②
Ab=其の能の千里なるを知りて、馬を食(やしな)はず。
④
ab=其の能の千里なるを知らずして、馬を食(やしな)はず。
は、初めから、成立しない。
従って、
(22)により、
(23)
食馬者=馬を食(やしな)ふ者
が、「主語」である場合は、
①
AB=其の能の千里なるを知りて、馬を食(やしな)ふ。
③
aB=其の能の千里なるを知らずして、馬を食(やしな)ふ。
といふ、「二つ」が、残ります。
然るに、
(24)
①
AB=其の能の千里なるを知りて、馬を食(やしな)ふ。
③ aB=其の能の千里なるを知らずして、馬を食(やしな)ふ。
に於いて、
①
AB=其の能の千里なるを知りて、馬を食(やしな)ふ。
を「否定」すると、
③
aB=其の能の千里なるを知らずして、馬を食(やしな)ふ。
だけが、残ります。
従って、
(23)(24)により、
(25)
食馬者=馬を食(やしな)ふ者
が、「主語」である場合は、
①
AB=其の能の千里なるを知りて、馬を食(やしな)ふ。
を「否定」すると、
③
aB=其の能の千里なるを知らずして、馬を食(やしな)ふ。
だけが、残ります。
然るに、
(26)
① AB の「否定」を、
①
¬(A&B) と書いて、
③ aB の「肯定」を、
③
¬A&B と書くことに、します。
従って、
(25)(26)により、
(27)
食馬者=馬を食(やしな)ふ者
が、「主語」である場合は、
¬(A&B)=¬A&B。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(28)
①
食(馬)者不〔知(其能千里)而食〕也⇒
① (馬)食者〔(其能千里)知而食〕不也=
①
(馬を)食ふ者は〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕不るなり=
①
馬を飼ふ者は、その馬が千里馬であること知った上で、飼はないのだ。
といふ「訓読」は、
①
¬(A&B)。
に、相当します。
(29)
③ 食(馬)者不〔知(其能千里)〕而食也⇒
③
(馬)食者〔(其能千里)知〕不而食也=
③ (馬)食ふ者は〔(其の能の千里なるを)知ら〕不して食ふなり=
③
馬を食ふ者は、その馬が千里馬であることを知らないで、飼ふのだ。
といふ「訓読」は、
③
¬A&B。
に、相当します。
従って、
(27)(28)(29)により、
(30)
①
食(馬)者不〔知(其能千里)而食〕也=
③
食(馬)者不〔知(其能千里)〕而食也。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(30)により、
(31)
①
馬を食ふ者は其の能の千里なるを知りて食は不るなり(旺文社、漢文の基礎、1973年、154頁)。
といふ「訓読」は、「誤り」ではない。
然るに、
(32)
① 不〔有(祝鮀之佞)〕而有(宋朝之美)難乎、免(於今之世)矣。
② 不〔有(祝鮀之佞)而有(宋朝之美)〕難乎、免(於今之世)矣。
① 祝鮀の佞有らずして、しかも宋朝の美有らば、難いかな、今の世に免るること。
② 祝鮀の佞有りて、しかも宋朝の美有らずんば、難いかな、今の世に免るること。
に於いて、
① は、 ¬A&B に、相当し、
② は、¬(A&B)に、相当する。
然るに、
(33)
実は、どちらでも意味が通じるのである。①のほうは、古注といって、伝統的な解釈であるが、②のほうは、新注といって、朱熹(朱子)の解釈なのである(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、326頁)。
従って、
(32)(33)により、
(34)
① ¬A&B。
② ¬(A&B)。
に於いて、①なのか、②なのか、といふ「議論」は、実質的に、朱熹(朱子)も、行ってゐる。
従って、
(35)
「漢文訓読」を一切知らない、いわゆる「新儒教」の朱子学の創始者であっても、
① ¬A&B。
② ¬(A&B)。
に於いて、①なのか、②なのかを、問ふことが出来る。
従って、
(35)により、
(36)
このように「不」が頭にきているときは、どこまでかかるのか、ということをじっくり押さえてみることだ(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、326頁)。
といふことは、「漢文訓読」だけに、当てはまるのではない。
従って、
(37)
「漢文訓読」の問題(issue)ではなく、「漢文」の問題(issue)として、「括弧」は有ります!。
平成26年11月06日、毛利太。
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