2018年8月22日水曜日

「∃(ある・ゐる)」について。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
すべての人が子をもつ(Everyone has a parent)と、言いたいのだとしよう。われわれは、無理なくつぎのように書く、
① ∀x∃y親(xy)
(E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、126頁改)
然るに、
(02)
① ∀x∃y親(xy)= すべての人が親をもつ(Everyone has a parent)。
といふことは、
① ∀x∃y子(xy)= すべての人はある人の子である(Everyone is a child of someone)。
といふ、ことである。
然るに、
(03)
(04)で示す通り、
①   ∀x  ∃y 囗(xy)
② ~∃x~∃y 囗(xy)
③ ~∃x ∀y~囗(xy)
といふ「論理式」に於いて、
①=② であって、
①=③ である。
(04)
(a)
 1  (1) ∀x ∃y囗(xy)  A
 1  (2)    ∃y囗(ay)  1UE
  3 (3) ∃x~∃y囗(xy)  A
   4(4)   ~∃y囗(ay)  A
 1 4(5)    ∃y囗(ay)&
          ~∃y囗(ay)  24&I
 13 (6)    ∃y囗(ay)&
          ~∃y囗(ay)  345EE
 1  (7)~∃x~∃y囗(xy)  36RAA
(b)
1   (1)~∃x~∃y囗(xy)  A
 2  (2)~∀x ∃y囗(xy)  A
  3 (3)   ~∃y囗(ay)  A
  3 (4) ∃x~∃y囗(xy)  A
1 3 (5)~∃x~∃y囗(xy)&
        ∃x~∃y囗(xy)  14&I
1   (6)  ~~∃y囗(ay)  35RAA
1   (7)    ∃y囗(ay)  6DN
1   (8) ∀x ∃y囗(xy)  7UI
12  (9)~∀x ∃y囗(xy)&
        ∀x ∃y囗(xy)  28&I
1   (ア)~~∀x∃y囗(xy)  29RAA
1   (イ)  ∀x∃y囗(xy)  アDN
(c)
1   (1)  ∀x∃y 囗(xy) A
1   (2)    ∃y 囗(ay) 1UE
 3  (3)       囗(ab) A
  4 (4)  ∃x∀y~囗(xy) A
   5(5)    ∀y~囗(ay) A
   5(6)      ~囗(ab) 5UE
 3 5(7)囗(ab)&~囗(ab) 35&I
 34 (8)囗(ab)&~囗(ab) 457EE 
1 4 (9)囗(ab)&~囗(ab) 138EE
1   (ア) ~∃x∀y~囗(xy) 49RAA
(d)
1   (1)~∃x∀y~囗(xy)  A
 2  (2)   ∀y~囗(ay)  A
 2  (3) ∃x∀y~囗(xy)  2EI
12  (4)~∃x∀y~囗(xy)&
        ∃x∀y~囗(xy)  13&I
1   (5)  ~∀y~囗(ay)  24RAA
  6 (6)  ~∃y 囗(ay)  A
   7(7)      囗(ay)  A
   7(8)   ∃y 囗(ay)  7EI
  67(9)  ~∃y 囗(ay)&
          ∃y 囗(ay)  67&I
  6 (ア)     ~囗(ay)  79RAA
  6 (イ)   ∀y~囗(ay)  アUI
1 6 (ウ)  ~∀y~囗(ay)&
          ∀y~囗(ay)  5イ&I
1   (エ) ~~∃y 囗(ay)  6ウRAA
1   (オ)   ∃y 囗(ay)  エDN
1   (カ) ∀x∃y 囗(xy)  オUI
従って、
(01)~(04)により、
(05)
①   ∀x  ∃y 子(xy)= すべての人はある人の子である。
② ~∃x~∃y 子(xy)= ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ~∃x ∀y~子(xy)= ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
に於いて、
①=②=③ である。
cf.
① ∀x∃y囗(xy)= ~~{∀x∃y囗(xy)}= ~{∃x~∃y囗(xy)}= ~{∃x∀x~囗(xy)}
従って、
(05)により、
(06)
① すべての人はある人の子である。
② ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
といふ「日本語」に於いて、
①=②=③ である。
といふことは、「論理学的(logical)」である。
従って、
(07)
① すべての人はある人の子である。
② ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
といふ「日本語」は、「論理学的(logical)」である。
然るに、
(08)
① すべての人はある人の子である。
② ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
といふ「日本語」は、
④ Every person is a child of someone.
⑤ It is not the case that someone has no parent.
⑥ It is not the case that someone is not a child of anyone.
といふ「英語」に、対応する。
従って、
(05)(08)により、
(09)
「日本語」は「英語」よりも「論理学的(logical)」ではない。
といふのであれば、例へば、
② ~∃x~∃y子(xy)= ある人に親がゐない。といふことはない。
⑤ ~∃x~∃y子(xy)= It is not the case that someone has no parent.
に於いて、
② の「右辺」は、⑤ の「右辺」よりも、「論理学的(logical)」ではない。
といふ、ことになる。
然るに、
(10)
存在記号(そんざいきごう、existential quantifier)とは、数理論理学(特に述語論理)において、少なくとも1つのメンバーが述語の特性や関係を満たすことを表す記号である。通常「∃」と表記され、存在量化子(そんざいりょうかし)、存在限量子(そんざいげんりょうし)、存在限定子(そんざいげんていし)などとも呼ばれる。
(ウィキペディア)
従って、
(10)により、
(11)
 「∃」=「ゐる」
 「∃」=「ある
 「∃」=「有る」
 「∃」=「在る」
 「∃」=「存在する」
「~∃」=「ゐない
「~∃」=「存在しない」
といふ、ことになる。
従って、
(09)(11)により、
(12)
② ∃x~∃y子(xy)= ある人には親がゐない
に於ける、
②  ∃=ある
② ~∃=ゐない
に於いて、「右辺」は、「左辺の直訳」である。
然るに、
(09)(12)により、
(13)
⑤ ~∃x~∃y子(xy)= It is not the case that someone has no parent.
に於ける、
②  ∃=some
② ~∃=has no
に於いて、「右辺」は、「左辺の直訳」ではない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
② ~∃x~∃y子(xy)= ある人に親がゐない。といふことはない。
⑤ ~∃x~∃y子(xy)= It is not the case that someone has no parent.
に於いて、
② の「右辺」は、⑤ の「右辺」よりも、「論理学的(logical)」ではない。
といふことには、ならない。
平成30年08月22日、毛利太。

0 件のコメント:

コメントを投稿