(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
すべての人が子をもつ(Everyone has a parent)と、言いたいのだとしよう。われわれは、無理なくつぎのように書く、
① ∀x∃y親(xy)
(E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、126頁改)
然るに、
(02)
① ∀x∃y親(xy)= すべての人が親をもつ(Everyone has a parent)。
といふことは、
① ∀x∃y子(xy)= すべての人はある人の子である(Everyone is a child of someone)。
といふ、ことである。
然るに、
(03)
(04)で示す通り、
① ∀x ∃y 囗(xy)
② ~∃x~∃y 囗(xy)
③ ~∃x ∀y~囗(xy)
といふ「論理式」に於いて、
①=② であって、
①=③ である。
(04)
(a)
1 (1) ∀x ∃y囗(xy) A
1 (2) ∃y囗(ay) 1UE
3 (3) ∃x~∃y囗(xy) A
4(4) ~∃y囗(ay) A
1 4(5) ∃y囗(ay)&
~∃y囗(ay) 24&I
13 (6) ∃y囗(ay)&
~∃y囗(ay) 345EE
1 (7)~∃x~∃y囗(xy) 36RAA
(b)
1 (1)~∃x~∃y囗(xy) A
2 (2)~∀x ∃y囗(xy) A
3 (3) ~∃y囗(ay) A
3 (4) ∃x~∃y囗(xy) A
1 3 (5)~∃x~∃y囗(xy)&
∃x~∃y囗(xy) 14&I
1 (6) ~~∃y囗(ay) 35RAA
1 (7) ∃y囗(ay) 6DN
1 (8) ∀x ∃y囗(xy) 7UI
12 (9)~∀x ∃y囗(xy)&
∀x ∃y囗(xy) 28&I
1 (ア)~~∀x∃y囗(xy) 29RAA
1 (イ) ∀x∃y囗(xy) アDN
(c)
1 (1) ∀x∃y 囗(xy) A
1 (2) ∃y 囗(ay) 1UE
3 (3) 囗(ab) A
4 (4) ∃x∀y~囗(xy) A
5(5) ∀y~囗(ay) A
5(6) ~囗(ab) 5UE
3 5(7)囗(ab)&~囗(ab) 35&I
34 (8)囗(ab)&~囗(ab) 457EE
1 4 (9)囗(ab)&~囗(ab) 138EE
1 (ア) ~∃x∀y~囗(xy) 49RAA
(d)
1 (1)~∃x∀y~囗(xy) A
2 (2) ∀y~囗(ay) A
2 (3) ∃x∀y~囗(xy) 2EI
12 (4)~∃x∀y~囗(xy)&
∃x∀y~囗(xy) 13&I
1 (5) ~∀y~囗(ay) 24RAA
6 (6) ~∃y 囗(ay) A
7(7) 囗(ay) A
7(8) ∃y 囗(ay) 7EI
67(9) ~∃y 囗(ay)&
∃y 囗(ay) 67&I
6 (ア) ~囗(ay) 79RAA
6 (イ) ∀y~囗(ay) アUI
1 6 (ウ) ~∀y~囗(ay)&
∀y~囗(ay) 5イ&I
1 (エ) ~~∃y 囗(ay) 6ウRAA
1 (オ) ∃y 囗(ay) エDN
1 (カ) ∀x∃y 囗(xy) オUI
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① ∀x ∃y 子(xy)= すべての人はある人の子である。
② ~∃x~∃y 子(xy)= ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ~∃x ∀y~子(xy)= ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
に於いて、
①=②=③ である。
cf.
① ∀x∃y囗(xy)= ~~{∀x∃y囗(xy)}= ~{∃x~∃y囗(xy)}= ~{∃x∀x~囗(xy)}
従って、
(05)により、
(06)
① すべての人はある人の子である。
② ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
といふ「日本語」に於いて、
①=②=③ である。
といふことは、「論理学的(logical)」である。
従って、
(07)
① すべての人はある人の子である。
② ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
といふ「日本語」は、「論理学的(logical)」である。
然るに、
(08)
① すべての人はある人の子である。
② ある人に親がゐない。といふことはない。
③ ある人が、いかなる人の子でもない。といふことはない。
といふ「日本語」は、
④ Every person is a child of someone.
⑤ It is not the case that someone has no parent.
⑥ It is not the case that someone is not a child of anyone.
といふ「英語」に、対応する。
従って、
(05)(08)により、
(09)
「日本語」は「英語」よりも「論理学的(logical)」ではない。
といふのであれば、例へば、
② ~∃x~∃y子(xy)= ある人に親がゐない。といふことはない。
⑤ ~∃x~∃y子(xy)= It is not the case that someone has no parent.
に於いて、
② の「右辺」は、⑤ の「右辺」よりも、「論理学的(logical)」ではない。
といふ、ことになる。
然るに、
(10)
存在記号(そんざいきごう、existential quantifier)とは、数理論理学(特に述語論理)において、少なくとも1つのメンバーが述語の特性や関係を満たすことを表す記号である。通常「∃」と表記され、存在量化子(そんざいりょうかし)、存在限量子(そんざいげんりょうし)、存在限定子(そんざいげんていし)などとも呼ばれる。
(ウィキペディア)
従って、
(10)により、
(11)
「∃」=「ゐる」
「∃」=「ある」
「∃」=「有る」
「∃」=「在る」
「∃」=「存在する」
「~∃」=「ゐない」
「~∃」=「存在しない」
といふ、ことになる。
従って、
(09)(11)により、
(12)
② ∃x~∃y子(xy)= ある人には親がゐない。
に於ける、
② ∃=ある
② ~∃=ゐない
に於いて、「右辺」は、「左辺の直訳」である。
然るに、
(09)(12)により、
(13)
⑤ ~∃x~∃y子(xy)= It is not the case that someone has no parent.
に於ける、
② ∃=some
② ~∃=has no
に於いて、「右辺」は、「左辺の直訳」ではない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
② ~∃x~∃y子(xy)= ある人に親がゐない。といふことはない。
⑤ ~∃x~∃y子(xy)= It is not the case that someone has no parent.
に於いて、
② の「右辺」は、⑤ の「右辺」よりも、「論理学的(logical)」ではない。
といふことには、ならない。
平成30年08月22日、毛利太。
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