2020年12月21日月曜日

「同一命題」としての「私が理事長である」。

(01)
① AはBである。
② AならばBである。
に於いて、
①=② である。
(02)
②  AならばBである。
③(Aであって、Bない。)といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
(03)
③(Aであって、Bない。)といふことはない。
④(BでなくてAである。)といふことはない。
に於いて、
③=④ である。
(04)
④(BでなくてAである。)といふことはない。
⑤  Bでないならば、Aでない。
に於いて、
④=⑤ である。
(05)
⑤ Bでないならば、Aでない。
⑥ B以外は、      Aでない。
に於いて、
⑤=⑥ である。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
①  AはBである。
②  AならばBである。
③(Aであって、Bない。)といふことはない。
④(BでなくてAである。)といふことはない。
⑤  Bでないならば、Aでない。
⑥  B以外は、   Aでない。
といふ「日本語」に於いて、
①=②=③=④=⑤=⑥ である。
従って、
(06)により、
(07)
「番号」を付け直すと、
① AはBである。
② B以外は、Aでない。
といふ「日本語」に於いて、
①=② である。
といふ「等式」は、「正しい」。
然るに、
(08)
(ⅰ)
1   (1)  A→ B   仮定
 2  (2)  A&~B   仮定
 2  (3)  A      2&E
 2  (4)    ~B   2&E
12  (5)     B   13MPP
12  (6)  ~B&B   45&I
1   (7)~(A&~B)  26RAA
  8 (8)    ~B   仮定
   9(9)  A      仮定
  89(ア)  A&~B   89&I
1 89(イ)~(A&~B)&
        (A&~B)  7ア&I
1 8 (ウ) ~A      9イRAA
1   (エ) ~B→~A   8ウCP
(ⅱ)
1   (1)  ~B→~A   仮定
 2  (2)  ~B& A   仮定
 2  (3)  ~B      2&E
 2  (4)      A   2&E
12  (5)     ~A   13MPP
12  (6)   A&~A   45&I
1   (7)~(~B& A)  26RAA
  8 (8)      A   仮定
   9(9)  ~B      仮定
  89(ア)  ~B& A   89&I
1 89(イ)~(~B& A)&
        (~B& A)  7ア&I
1 8 (ウ) ~~B      9イRAA
1 8 (エ)   B      ウDN
1   (オ)   A→ B   8エCP
従って、
(08)により、
(09)
①  A→ B
② ~B→~A
に於いて、
①=② である。
従って、
(09)により、
(10)
① AならばBである。
② BでないならばAでない。
に於いて、すなはち、
① AはBである。
② B以外は、Aでない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(07)~(11)により、
(11)
日本語』で「思考」しても、
論理学』で「計算」しても、いづれにせよ、
① AはBである。
② B以外は、Aでない。
に於いて、
①=② といふ「等式(Contraposition)」は、「正しい」。
従って、
(11)により、
(12)
A=理事長
B=私
として、
① 理事長は私である。
② 私以外は、理事長でない。
に於いて、
①=② といふ「等式(Contraposition)」は、「正しい」。
然るに、
(12)により、
(13)
① 理事長は私である。
② 私以外は、理事長でない。
といふ「命題」は、
① 私は理事長である。
② 私は理事長である。
といふ「命題」を、「含意」する。
従って、
(12)(13)により
(14)
① 私は理事長であり、理事長は私である。
② 私は理事長であり、私以外は、理事長でない。
に於いて、
①=② といふ「等式」は、「正しい」。
然るに、
(15)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(14)(15)により、
(16)
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は私である。
③ 私は理事長であり、私以外は、理事長でない
に於いて、
①=②=③ といふ「等式」は、「正しい」。
然るに、
(16)により、
(17)
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は私である。
③ 私は理事長であり、私以外は、理事長でない
に於いて、
①=②=③ である。
といふことは、要するに、
④「私」と「理事長」が、「同一人物(The same person)」である。
といふことに、他ならない。
従って、
(17)により、
(18)
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は私である。
③ 私は理事長であり、私以外は、理事長でない
④ 私と理事長は、「同一」である。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(19)
⑤ 昨夜吠えたのはこの犬だ。
⑥ 犬は動物である。
に於いて、
⑤「昨夜吠えた犬」と「この犬」は、「同一」であるが、
⑥「犬」と「動物」は、「同一」ではない
cf.
⑤ A=B(A⇔B)
⑥ A≠B(A⊂B)
然るに、
(20)
9 私幹事です(陰題と顕題)
話を名詞文に戻します。名詞文の中には、特殊な名詞文があります。指定を表す名詞文です。
 君の傘はどれです?
 幹事は私です。
 昨夜吠えたのはこの犬だ。
 猫にえさをやっているのは誰だ?
これらの名詞文は、指定を表していますが、語順を変えて、指定以前のセンテンスに戻すことができます。
 どれが君の傘です?
 私が幹事です。
 この犬が昨夜吠えたのです。
 誰が猫にえさをやっているのです。
これらのセンテンスには、「Ⅹは」が含まれてはいませんが、無題文と呼ぶわけにはいきません。語順をひっくり返すと「Ⅹは」が隠れていると見て、陰題文と呼ばれています。それに対して、「Ⅹは」が現れている方は、顕題文です。
このように、隠題文と表裏を成している顕題文つまり有題文を、三上は第二名詞文としています。第二名詞文は、第一名詞文、たとえば、
 犬は動物である。
のような名詞文(措定)と区別しなければなりません。「犬は動物である。」をひっくり返した「動物犬である」は、意味を成さないからです。
(山崎紀美子、日本語基礎講座、三上文法入門、2003年、56頁)
従って、
(19)(20)により、
(21)
⑤ 昨夜吠えたのは(=)この犬だ。
⑥ 犬は(⊂)動物である。
といふ「日本語の違ひ」を説明する際に「必要」なのは、「同一(同値)」といふ「用語」であって、「陰題と顕題」といふ「用語」ではない。
(22)
① 2は偶素数である。
② 3は奇素数である。
であるため、
① 2=偶素数。
② 3∈奇素数。
である。
(23)
① 2=偶素数。
であるならば、
② 2偶素数であり、
③ 2は偶素数であり、偶素数は2であり、
④ 2は偶素数であり、2以外は、偶素数でない
従って、
(23)により、
(24)
最も、簡単に言ふと、「」といふ「助詞」は、「)」といふ「等号」に、相当する。
令和02年12月21日、毛利太。

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