(01)
① ただ空の名残のみぞ惜しき(徒然草)。
② ただ空の名残だけが惜しい(口語訳)。
に於いて、
①=② である。
cf.
【惜し】失うにしのびない。惜しい。残念だ。捨てがたい。
(旺文社、全訳学習古語辞典、2006年、931頁)
従って、
(02)
① 空の名残のみぞ惜しき。
② 空の名残だけが惜しい。
に於いて、
①=② である。
従って、
(03)
① 空の名残 ぞ惜しき。
② 空の名残 が惜しい。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
ぞ(係助詞)〔上代には「そ」とも〕
①(ア)主語の強調 ・・・が。
(旺文社、全訳学習古語辞典、2006年、463頁)
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 空の名残ぞ惜しき。
② 空の名残が惜しい。
に於いて
①「ぞ」は、「強調」する「語気」を表しゐて、
②「が」は、「強調」する「語気」を表しゐる。
然るに、
(06)
「惟」と「唯」
「惟」は、《書経》の〈商周書〉にきわめて多く用いられており、総字数に対して、二.五%強の高い使用率のものであったのであるが、春秋以降には、次第に用いられなくなっている。しかし、この強調する語気の「惟」は、次第に、専一・単独などの意味を表わす副詞として用いられるようになり、多く「唯」と書かれるようになっている。それで右の例(3)の「惟」は「タダ」と読んでいる人もある。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、309・310頁)
従って、
(06)により、
(07)
「強調」する「語気」は、それ自体が、「Only(専一・単独)」といふ「副詞の意味」を表すことが、出来る。
従って、
(01)(05)(06)(07)により、
(08)
① 空の名残ぞ惜しき。
② 空の名残が惜しい。
といふ「言ひ方」は、それ自体が、
① ただ空の名残のみぞ惜しき(徒然草)。
② ただ空の名残だけが惜しい(口語訳)。
といふ「意味」になる。
然るに、
(09)
私が理事長です。(理事長は私です)
のように、ガの文がいわばハを内蔵していることがあるから、その説明が必要である。このような「私が」を強声的になっていると言うことにする。そこに発音上のストレスを与えたのと似た効果を持っているからである。
(三上章、日本語の論理、1963年、106頁)
従って、
(05)(09)により、
(10)
① 空の名残が惜しい。
② 私が理事長です。
に於いて、
①「が」は、「強調」する「語気」を表しゐて、
②「が」は、「強調」する「語気」を表しゐる。
従って、
(05)~(10)により、
(11)
① 空の名残が惜しい。
② 私が理事長です。
といふ「日本語」は、
① ただ空の名残だけが惜しい。
② ただ私だけが理事長です。
といふ「意味」になる。
然るに、
(12)
② ただ私だけが理事長である。
③ 私以外にも理事長がゐる。
に於いて、
①&③ は、「矛盾(contradiction)」である。
従って、
(12)により、
(13)
② ただ私だけが理事長である。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(14)
③ 私以外は理事長ではない。
④ 理事長は私である。
に於いて、
③=④ は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(11)~(14)により、
(15)
① 私が理事長です。
② ただ私だけが理事長である。
③ 私以外は理事長ではない。
④ 理事長は私である。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(16)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(17)
② ただ私だけが理事長である。
③ 私以外は理事長ではない。
④ 理事長は、私である。
に於いて、明らかに、
②=③=④ である。
従って、
(16)(17)により、
(18)
① 私 が理事長である。
② ただ私だけが理事長である。
に於いて、
①=② で、なければ、ならない。
令和02年12月03日、毛利太。
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