2021年11月17日水曜日

aF(幹事は、私です。) ⇔{x:Fx}∈a

(01)
与えられた対象aが{x:Fx}のメンバー(要素)であるためには、aがその条件を満たすとき、またそのときに限られる。
すなわちFaであり、またそのときに限られるのである。『aは{x:Fx}のメンバー(要素)である』を意味するものとして、
a∈{x:Fx}と書くならば、この想定は、任意の条件Fx(xはFである)に対して、
 (1) a∈{x:Fx}⇔Fa(aはFである)
ということになる。
(公理的集合論、E.J.レモン 著、石本新・高橋敬吾 訳、1972年、序論・改)
従って、
(01)により、
(02)
① Fa(aはFである。)⇔ a∈{x:Fx}
に於いて、
① a=私,F=幹事
であるならば、
① Fa(私は、幹事です。)⇔ a∈{x:Fx}
である。
従って、
(02)により、
(03)
① Fa(私は、幹事です。)⇔ a∈{x:Fx}
に於いて、「倒置」を行ふと、
② aF(幹事は、私です。) ⇔{x:Fx}∈a
然るに、
(04)
② F=幹事
は、「集合(クラス)」であるため、「複数」であることも、「単数」であることも、可能であるが、
② a=私
は、「集合の要素(メンバー)」であるため、必ず、「単数」である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
② aF(幹事は、私です。) ⇔{x:Fx}∈a
であるならば、必然的に
② 私は幹事であり、私以外は、幹事ではない
従って、
(05)により、
(06)
② 幹事は私です。
③ 私は幹事であり、私以外は、幹事ではない
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(07)
無題化というのは、「Ⅹは」の「は」を消すことですから、センテンスの形のままでもできないことはありませんが、
センテンスの形では、本当に無題になりきれない場合も起こります。たとえば、
 私は、幹事です。
 私幹事です。
のように、「は」を消しても、センテンスの意味は、
 幹事は、私です。
というのに近く、題が文中の別の個所に移り隠れたにすぎません。つまり、本当には無題化していないわけです。
(山崎紀美子、日本語基礎講座、― 三上文法入門、2003年、65・66頁)。
従って、
(07)により、
(08)
① 私幹事です。
② 幹事は私です。
に於いて、
①=② である。
従って、
(06)(08)により、
(09)
① 私幹事です。
② 幹事は私です。
③ 私は幹事であり、私以外は、幹事ではない
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(07)(09)により、
(10)
 私は、幹事です。
 私が幹事です。
のように、「は」を消しても、センテンスの意味は、
 幹事は、私です。
というのに近く、題が文中の別の個所に移り隠れたにすぎません。つまり、本当に無題化していないわけです。
といふのであれば、山崎先生は、
① 私が幹事です。
② 幹事は私です。
③ 私は幹事であり、私以外は、幹事ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
といふことを、踏まへた上で、「無題化」といふ「用語(現象)」を、説明すべきである。
(11)
無題化の手続きにより、「Ⅹ」の「」は、「のにを」またはゼロ(時の格)を代行している。
(山崎紀美子、日本語基礎講座、― 三上文法入門、2003年、67頁)
といふのであれば、
無題化の手続きにより、「Ⅹ」の「」は、「のにを」またはゼロ(時の格)を代行している。
とも、言へることになる。
令和03年11月17日、毛利太。

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