2021年11月15日月曜日

「日本は東京が首都である」の「述語論理」と「同一性」。

(01)
(ⅰ)
1     (1)∀x{日本x→∃y[(東京y&首都yx)&∀z(首都zx→y=z)]} A
 2    (2)∃z(大阪z&~東京z)                        A
1     (3)   日本a→∃y[(東京y&首都ya)&∀z(首都za→y=z)]  1UE
  4   (4)   日本a                              A
1 4   (5)       ∃y[(東京y&首都ya)&∀z(首都za→y=z)]  34MPP
   6  (6)          (東京b&首都ba)&∀z(首都za→b=z)]  A
   6  (7)           東京b&首都ba                 6&E
   6  (8)           東京b                      7&E
   6  (9)                     ∀z(首都za→b=z)   6&E
   6  (ア)                        首都ca→b=c    9UE
    イ (イ)   大阪c&~東京c                         A
    イ (ウ)   大阪c                              イ&E
    イ (エ)       ~東京c                         イ&E
   6イ (オ)   東京b&~東京c                         8エ&I
     カ(カ)          b=c                       A
   6イカ(キ)   東京b&~東京b                         オカ=E
   6イ (ク)          b≠c                       カキRAA
   6イ (ケ)                       ~首都ca        アクMTT
   6イ (コ)   大阪c&~首都ca                        ウケ&I
   6イ (サ)∃z(大阪z&~首都za)                       コEI
 2 6  (シ)∃z(大阪z&~首都za)                       2イサEE
124   (ス)∃z(大阪z&~首都za)                       56シEE
12    (セ)   日本a→∃z(大阪z&~首都za)                4スCP
12    (ソ)∀x{日本x→∃z(大阪z&~首都zx)}               セUI
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)∀x{日本x→∃y[(東京y&首都yx)&∀z(首都zx→y=z)]}。然るに、
(ⅱ)∃z(大阪z&~東京z)。従って、
(ⅲ)∀x{日本x→∃z(大阪z&~首都zx)}。
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが日本であるならば、あるyは[(東京であって、xの首都であって)、すべてのzについて(zがxの首都であるならば、yはzと「同一」である)]}。然るに、
(ⅱ)あるzは(大阪であって、東京ではない)。従って、
(ⅲ)すべてのxについて{xが日本であるならば、あるzは(大阪であって、xの首都ではない)。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)日本は、東京首都である。然るに、
(ⅱ)大阪は、東京ではない。  従って、
(ⅲ)日本は、大阪は首都ではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)東京、日本の首都である。  然るに、
(ⅱ)大阪は、   東京ではない。 従って、
(ⅲ)日本の首都は、大阪はではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(05)
(ⅰ)日本の首都は、東京である。  然るに、
(ⅱ)大阪は、   東京ではない。 従って、
(ⅲ)日本の首都は、大阪はではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① 日本は、東京首都である。
② 東京、日本の首都である。
③ 日本の首都は、東京である。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(06)により、
(07)
① 日本は、東京首都である。
② Tokyo is the capital of Japan.
③ The capital of Japan is Tokyo.
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(08)
Aids towards recognizing the 'is' of identity are:
(a)Can "is" be replaced by 'is the same object as'? ― if so, 'is' means identity, if not, not.
(b)Can the phrase flanking 'is' on both sides can be reversed preserving approximately the same sense? ― if so, 'is' is 'is' of identity, if not, not.
(E.J.Lemmon Beginning Logic 原文)
同一性の「である」識別するための助けとなることがらはつぎの通りである。
(a)「である」を「と同じ対象」であるによって置き換えることができるか ―― もしできるならば、その「である」は同一性の「である」である。もしできなければ、そうではない。
(b)「である」の両側にならぶ語句は、近似値的に同じ意味をたもちつつ入れ換えることができるか ―― もしできるならば、その「である」は同一性の「である」である。もしできなければ、そうではない。(E.J.レモン 著、竹内治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、205頁)
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
② 東京、日本の首都である。
③ 日本の首都は、東京である。
② Tokyo is the capital of Japan.
③ The capital of Japan is Tokyo.
に於いて、
② が(is the)~である。
は、「同一性(identity)」の「である(is)」である。
従って、
(09)により、
(10)
① AはBである。
② AがBである。
③ BはAである。
に於いて、
① を、② に「置き換へ」ることが出来、
② を、③ に「置き換へ」ることが出来る。
のであれば、そのときに限って、
① A=B
② A=B
③ B=A
である。
然るに、
(11)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。 と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(11)により、
(12)
① 私は理事長である。
② 私理事長である。
③ 理事長は私である。
に於いて、
① を、② に「置き換へ」ることが出来、
② を、③ に「置き換へ」ることが出来る。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① 私=理事長
② 私=理事長
③ 理事長=私
である。
従って、
(13)により、
(14)
①「私」と「理事長」は「同一」である。
②「私」と「理事長」は「同一」である。
③「理事長」と「私」は「同一」である。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
① 私は理事長である。
② 私理事長である。
③ 理事長は私である。
に於いて、
① を、② に「置き換へ」ることが出来、
② を、③ に「置き換へ」ることが出来る。
のであれば、
① 私以外に理事長はゐない
② 私以外に理事長はゐない
③ 理事長以外は私ではない
従って、
(15)により、
(16)
① 私以外に理事長はゐない
② 私理事長である。
③ 理事長は私である。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(16)により、
(17)
① 東京首都である。
② 首都は東京である。
③ 東京以外は首都ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(02)(17)により、
(18)
① 日本は東京首都である。
② 日本の首都は東京である。
③ 日本は東京以外は首都ではない
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(02)(18)により、
(19)
① 日本は東京首都である。⇔
① ∀x{日本x→∃y[(東京y&首都yx)&∀z(首都zx→yz)]}。⇔
① すべてのxについて{xが日本であるならば、あるyは[(東京であって、xの首都であって)、すべてのzについて(zがxの首都であるならば、yはzと「同一」である)]}。
といふ「等式」が、成立する。
令和03年11月15日、毛利太。

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